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はてなキーワード: バスケ部とは

2021-10-18

ネトウヨ20代OLだけど、日本エンタメがダサくてつらい

ネトウヨ24歳。

ネトウヨになったのは高校時代艦これヘタリアといった2次元作品にハマってからで(DMMが18歳未満登録禁止なのは一旦置いておいてほしい)、元々家が保守寄りだったから、あとは本当に「当然のように」嫌韓嫌中に転げ落ちていった。

私は顔が悪かった。成績はよかったけど、マジでトロールみたいな外見してた(今はトロールが痩せて、化粧と小綺麗な格好を覚えたゴブリンみたいになってる)。当時は東方神起SHINeeなどの韓流アイドルの走りだったけど、そういう趣味ダンス部とか軽音楽部、バスケ部とかのカースト上位の女たちのものだった。垢抜けない日陰者のオタクだった私は、どんどん二次元に傾倒していくと同時に、カースト上位女たちへの嫉妬韓流コンテンツへの憎悪に上乗せしていたと思う。

でも、大学に入って中盤くらいになった頃からマジで韓流嫌い」とか口に出そうものなら、同じオタク同士でもヤバいやつ扱い受けるようになった。

若いやつ全員韓流好きになってる気がする。カースト上位の女が韓流好きなのはそのままだけど、大学に入ったらそもそも垢抜けてない女がマジでいなくなって、みんな韓流が好きになった。韓流が嫌いなやつは「ダサいヤツ」になった。え、垢抜けないブスはどこに消えたの?

自分も流されるままに韓流を見るようになって、いくつか推せるアイドルも出来るようになった。オルチャンメイクを覚え、韓国通販で服を買い、右にならえでシースルーバングになった。でも嫌韓気持ちも消えず、日本コンテンツにハマりたくて、日本アイドルも見るようになった。

そうしたらびっくりした。え、日本エンタメダサすぎんか?ダサいというか、質が悪すぎる。掛けてる金が違う。MVが低予算すぎて、韓流との落差で惨めになってしまうのでまともに見られなくなってしまった。

ジャニーズ個人的容姿が好きなアイドルは何人かいるが、それでもエンタメとしては推せなくなってしまった。アイドル同士で比較すると、まるで日本の方が貧乏のような錯覚に陥ってしまう。あとこれは単純な好みの問題だが、秋元康演出キモいと思ってる。

気がついたらネトウヨというよりも若干リベラル(かも怪しいが)に寄ってきている自分がいる。頼むから政府エンタメ課金してくれ。心穏やかに嫌韓したいんだこっちは。

2021-09-03

夢日記

剣道場にいる。

練習前にふざけて遊んでいたら、先輩から借りた竹刀を折ってしまう。

だが先輩はずっとパソコン作業をしており、竹刀を折ったことなど気にも留めない様子だった。

少しすると、隣町の中学に勤務している、厳しい指導で知られた剣道先生が登場。パワポで何かの説明を始める。

スマホをいじりながらパワポ説明を聞いていると、隣に座っていたバスケ部中学同級生から怪しい話を持ち掛けられる。(記憶曖昧だけど宗教マルチの話)

先生説明が終わると、大学の後輩(知らない人だったけどそういう設定?だった)から外に出ようと声をかけられる。

後輩に連れられてしばらく歩いていると、半壊した古い建物のところへ着いた。

よく見ると、それは私の地元にある、明治時代に建てられた古い建物だった。

2021-07-21

anond:20210721181406

だよねえ

野球部バスケ部に志願入部して先輩から殴られるのは当人が望んでそうなってるんだからイジメではない

ボクシング試合中に殴られてるようなもの

3年・4年しっかり部員やればメリットがあるから属してるんだからただの取引

2021-07-06

美人で人当りも良いのに何かモテない女

高校から友達が、とても深刻な感じで「相談があるんだけど」と言ってきたので、転職したいとかもしくは結婚を考えてる相手がいるとかそんな感じかな~と構えていた

ら、「この年(※20代後半)まで恋人ができたことがないんだけどどうしたらいいのか分からない」という思いもよらない内容だった

なぜ驚くかって、この友達普通に美人スタイルがよくて頭が良くて運動もできるのに気取るところも特になく、クラス中のだれとでも分け隔てなく仲良くなるタイプからだ。今羅列してて思ったがこいつ漫画から出てきたのか?ってくらい欠点のない女。こんなにもいいとこ祭りじゃ僻まれいじめられるんじゃって心配も全部はねのけるくらい同級生み~んな友達!みたいなタイプバスケ部中学からダンス部(高校)とかい陽キャ中の陽キャ。人懐っこくて犬みたい。オタクの話も熱心に聞いてくれるやさしさの塊。

そんな360°どっから見てもモテモテだろみたいなこの女が、「恋人ができたことがない」とかのたまう。確かに高校時代はいなかった気がする。でも仲いい男子休日でかける、とか普通にしてたし、言わないだけでいろんな男の子に告られたりしてんのやろなと思っていた。けど、告白されたことすらないらしい。

高嶺の花すぎて遠巻きにされてるんちゃう自分から気になる人にアピールしまくれば?と言ったら、「自分ではアピールしてるつもりなんだけど、いつの間にか”いいお友達ポジションで落ち着いてしまって向こうに別の相手ができてしまう」というなんとも想像しがたい回答を得た

告白までに結構時間をかけてしまタイプなので、その間に相手自分を女としてではなく友達としてみるようになり、ようやく思いを伝えた頃には「ごめん、君はそういうのじゃないから」みたいになるらしい。いや分からん分からん出会いがしらに即告白したらOKってこと?そら極論やなスマ

彼女モテない原因を三日三晩考えてみたけど、モテない相談を私のような非モテ女にしてくる浅慮さくらしか思い浮かばなかった(ちなみにこれは単に私が一番頻繁に彼女に会っている/同僚のため)

というかここまで魅力的でありながら一切告白されたことがないのはどう考えても世の摂理に適っていない(ことにしないと自分がみじめ)ので、「あまりにも男性からのモーションが多すぎて告白告白だと認識できていないだけではないか?」という結論になりました

2021-06-21

anond:20210620223246

それって家庭環境問題があったか、その子統合失調症だったかのどちらかだと思ったわ。

私の姉は高校のころまではまさに増田みたいなタイプで、中学のころはバスケ部高校のころは音楽部の部長まで務めていたけど、統合失調症発症してからはそのれいなちゃんみたいになったよ。

身だしなみを整えられなくなって、毎日同じ服を着てるから臭くて、歯も磨かないし顔も洗わないから唇の端に白い粘膜の塊(?)みたいなものがついてても平気な不潔な人間になった。賢かったのに精神年齢子供のようにもなってしまった。字も、小さくて蛇がのたくったようなものしか書けなくなった。

2021-06-20

anond:20210620215357

私が女子校に通う高校生だった頃にクラスの端っこで漫画ばかり読んでたのがれいなちゃんだった

れいなちゃんあんまり可愛くなくてちょっと体臭があって漫画の話をふると早口で話すのにこっちのふった話題には曖昧に笑うだけだからみんななんとなく触れずにいた

その頃の私は受験合格した時のハイテンションが続いた躁状態学級委員やったりバスケ部でしごかれたりで自分で言うのもなんだけど人望があった

かられいなちゃん自分世界に取り込みたかった

まずれいなちゃんが読んでる漫画ブックオフで揃えて読んで、れいなちゃんの保健委員仕事がある時に部活の途中で足首が痛いと言って保健室に行った

本当は痛くない私の足首に湿布と包帯を巻いてくれるれいなちゃんの頭は粉チーズのようなにおいがした

れいなちゃん漫画の話をふると早口で何巻のどのシーンが最高という話を始めたので私も暗記したセリフ引用して合わせるとれいなちゃんは興奮して口の端に泡をつけながら嬉しい嬉しいと更に話し続けた

それかられいなちゃん携帯メールアドレスを交換し毎日夜にメールをするようになった

数週間でれいなちゃんは私に対し崇拝のような感情を持ち始めたが接点がほぼない校内で話しかけてくることはなかった

毎晩れいなちゃんメールに返信するのは誰も持っていない変わった植物に水を与えるような感覚だった

学年が上がり別のクラスになったれいなちゃんおかしくなりはじめた

寒い時期は黒いタイツを履いていい事になっていたが丈も買ったままの長いスカートの中にガーターベルトを履いているとれいなちゃんメールで言った

リーツは取れかけお尻部分の布がテカテカになったれいなちゃんスカートを思い出した

途中の駅に面白いお店ができたから行こうと言われたので期末考査の最終日で部活がない日に私たちは初めて一緒に帰った

そのお店はドンキホーテ系列店で天井まであってもなくてもいいような安っぽい物が積み上げられていた

れいなちゃんはそこでサイドが紐の黒い下着ストラップになっている小さな電マを買った

下着指定はないし電マもただのおもちゃなので何も言うべきではなかったのでその日は黄色ビニール袋を下げたれいなちゃんホームで別れた

そのお店に行った日を境にれいなちゃんはどんどんおかしくなっていった

むっくりしていたれいなちゃんは妙にやせて眉毛を抜いて校則ラインぎりぎりのところで十代らしからぬ饐えたエロさの方向に走った

指定ブラウスの下に着ている紫レースの豹柄タンクトップが見えていたが頭は粉チーズのにおいがするままだった

夏休み合宿で数日携帯電話を触れなかった間にれいなちゃんからメールは途絶えた

れいなちゃん学校に来なくなったのは進級ができなくなったのがきっかけだった

その理由不登校でも校則違反でもなく提出物を出さずに幾つかの科目で評定が付かなかったからだった

私立校留年も選べたがれいなちゃんは退学した

それかられいなちゃんがどうなったかはあまり知らないが退学後に来た最後メールでは縄師に弟子入りしてアゲハ蝶入墨を鎖骨に入れてAVに出たらしい

2021-06-15

「会いたい」の歌詞についてずっと思ってること

あの歌ずっと気になってるんだけど

「机並べて同じ月日を過ごした」というからには同級生なんだろうけど

そうなると「卒業しても私を子ども扱いしたよね」の部分が引っかかる

同級生でも片方が大人びて片方が子供っぽくて子ども扱いするということはもちろんありうる

しかし「卒業しても」の部分にどうにも違和感がぬぐえない

卒業しても」という言い方は「卒業によって両者の立場関係に変化が生じたにもかかわらず」というような意味を含んでるいるように感じる

「片方が社会人で片方が学生だったのが卒業によって両方とも社会人という立場に並んだにもかかわらず子ども扱いされたまま」という状態ならば

「『卒業しても』私を子ども扱いしたよね」という表現は非常にしっくりくる

だが同級生であれば卒業という節目も同時に迎えてるわけで両者の立場関係に変化は生じない

相手だって同じように大人になっているんだから卒業しようが何しようが相対的関係は変わらない

わざわざ「卒業しても」なんて言い方をするのはちょっと変じゃないのと思ってしま

そこで二つの仮説を考えてみた

1.「私」は卒業したが「あなた」は留年した

これならば「私」が「あなた」より一歩先に進んだ立場になったのに「あなた」は「私」を相変わらず子ども扱いしている

まさに「卒業しても私を子ども扱いしたよね」というにぴったりのシチュエーション

問題点は「あなた」があまりにも情けない奴になってしまうこと。歌の感動も冷めてしまいそう。

2.「机並べて同じ月日を過ごした」は叙述トリック同級生ではなく先生と生徒

先生であれば生徒を子ども扱いするのは普通だし、卒業によって関係性が変わったにも関わらず子ども扱いを続けたままならば

まさにこれも「卒業しても私を子ども扱いしたよね」というにぴったりのシチュエーション

「少しの英語バスケット」もバスケ部顧問英語教師ということではないか

個人的にはこっちの解釈がいいのではないかと思ってる

2021-05-30

anond:20210530212913

自分の知り合いに蹴人(シュウト)いるけどバスケ部だで

球児って名前野球向いてなかったやつも腐るほどいると思うわ

2021-05-27

高校のかっこよかった先輩がよくわからん水売る人になってた

バスケ部の先輩で結構よくしてもらってた先輩から久しぶりに連絡が来たので会ってみたら水の営業された。

マルチ商法とかではないんだけど、よくある水素水とかあれの感じの水売る人になってて、知ってる限りはスポーツできて大学結構いいところ行って新卒スマホゲー作ってる大手に行ったはずなのに今これ??とか思ってすごく残念だった。

気持ちが悪いか丁重お断りしてついでに連絡してこないように釘刺したけど表面上は申し訳なさそうにしていた上にその場の食事代はおごってくれたし相手感情がよくわからない。

好きな人とかじゃなかったのが唯一の救いだわ。

2021-05-02

anond:20210502133348

美人な幼馴染いたけど、バスケ部イケメンと付き合ってたよ

今何してんのかなぁ

2021-03-07

ラーヤと龍の王国

・よかった

・色んな部族出るのかっこええ

・画面に文字出るのかっこええ

女子だった

クラスに馴染めないタイプ人間にも

優しいタイプバスケ部女子だった

短編アニメで泣いた

光とか反射の表現が化け物すぎ

やっぱソウルフルワールド

映画館で観たかった

2021-02-28

今年、大嫌いな女に勝った(と思いたいだけだけど)

今年のバレンタインに、大嫌いな女より早く結婚した。嫌いな女とは小学校中学校が同じだった。眼鏡をかけた頭のいい女で、いつも先生に褒められていた。でも、同級生から嫌われるタイプではなかった。

その女のロッカーはいつも数冊本が入っていて、朝読書時間、読むものがない同級生に本を貸してくれた。彼女が勧める本にはハズレがなかった。私も彼女から何度か本を借りたことがある。これはどう?と言って貸してくれたさくらももこエッセイ自分でも買って、今でも読み返すことがある。

当時クラスはいくつかのグループがあったが、彼女はいつもあぶれていた。でも、何かのイベントがあると、彼女は色んなグループから声をかけられた。彼女がいると、イベントごとがスムーズに進むし、諍いがなくなって楽だったからかもしれない。

勉強ができて、先生から可愛がられていて、地味で、それなのに彼女を嫌う人はほとんどいなかった。優等生だけど、頼めば宿題を見せてくれたし、勉強を教えてくれることもあった。まだ彼女のことを嫌いでなかった頃、宿題を写されるのは嫌じゃないのと尋ねたら、みんなに嫌われないようにしてるだけだよと流された。

彼女のことを嫌いになったのは、中学3年生の冬だ。彼女は1組、私は2組だった。私は1年以上片想いしていたバスケ部男子と、やっと付き合うことができて、3ヶ月経った頃だった。まだお互いの家に行ったことはなかった。

そんなとき友達からあんたの彼氏からMさんの夢を見たって相談を受けたけど、別れたの?」と聞かれた。喧嘩すらしたことがなかったし、3ヶ月記念日を祝う手紙を贈ったばかりだったから、間違いだろうと思った。それに、彼女と私の彼氏とはあまりにも釣り合わないように思えた。確かにクラスは同じだった。でも、勉強なんか全くしないでバカなことばかりしている彼氏は、彼女と仲良くなるようなタイプではなかった。それに、彼女には生徒会長と付き合っているという噂もあった。

少し経った後、別の男子から私の彼氏が「彼女の家に遊びに行ったらしい」という話を聞いた。付き合っていることはごく一部の友達しか言っていなかったから、興味を持ってるふりをして詳しく聞くと「勉強を教えてもらうって口実で日曜に押しかけたらしいよ、勇気あるよな」と教えられた。授業中、彼に手紙を書いた。あの女の家に行ったって本当?と書きたかったけど、放課後聞きたいことがある、というような文言にした。

休み手紙を渡すと、彼氏はあー、いいよ、と珍しく険しい顔で言った。私はああ、たぶん本当なんだな、と思った。噂について尋ねると、彼は「彼女のことが好きと言い切ることはできないが、私のことを好きということもできない。別れるというならそうする」と言った。私は無責任だ、あの女が告白してきたのか、と言ったけど、「彼女は何も言ってないし、誘ってもきていない。俺が勝手に家に押しかけただけ」と言われて、耐えきれずに待っていてもらった友達のところに逃げ帰った。同じ部活女友達ほとんどみんな私の味方をしてくれたけど、最初に夢の話を教えてくれたひとりだけは「ムカつくのはわかるけど、あの子も悪くなくない?」と言っていた。

受験間際だったし、クラスの違う彼女と会うことはほとんどない。でも、先生休みとかなんとかで、1組と合同の体育の授業があった。彼女がひとりでネットの片付けをしていた。私は手伝うふりをしながら「◯◯のこと好きって本当?」と聞いた。彼女は「なんで?ただのクラスメイトだよ〜」とことも無げに答えた。彼女の手がちょっとだけ強張ったように見えたけど、ほとんど「シロ」っぽいふるまいだった。

彼氏とは、別れなかった。1年以上好きだったし、彼はあの女を好きとは言わなかったし、彼女も彼を好きじゃないという以上、私が正しい彼女だと思っていた。

卒業式の後、地元公立高校合格発表があった。私はすでに決まっていたけど、違う高校に行く彼氏の発表を一緒に見に行く約束をしていた。合格の番号を見つけた後、彼は写真を撮って、誰かにメールしていた。こっそり横目でのぞくと、相手はあの女だった。「勉強教えてくれてありがとうちゃんとお礼させてください。」という文章と、番号の写真を送っていた。私はサッと血の気が引くのを感じて、「結局あの子が好きなんでしょ」と言った。彼は一瞬うろたえて、「でも、付き合っているのは君だから」と言った。結局、別れたくないと思っているのは私だけだってことだった。

しばらくその話を巡って喧嘩したり、冷却期間を置いたりしたけれど、やっぱり彼の気持ちは戻らなかった。最後は私がキレて、「もう好きにしろよ」と怒鳴って終わった。

彼女は頼むとなんでもしてくれたけど、テストの点数や好きな人志望校とかのプライベートなことを誰かに教えることはなかった。でも、頭がいいのはわかりきってるし、県内トップ校に行くんだと思ってた。でも、彼女東京高校を受けて、さっさと地元を出て行った。

彼女最後にあったのは成人式の日だ。成人式二次会で、女子はみんなちょっとよそ行きのワンピースとかセットアップを着ている中、彼女は高そうな赤いドレスで現れた。昼間の着物の時とは違う髪形だった。私の元彼が、彼女の手を引いていた。みんながあんたら付き合ってんの!?優等生ちゃんめっちゃ綺麗になったじゃん!と騒ぐ中、元彼は「付き合ってないよ、親友っすわw」と言っていたから、結局付き合ってはいないようだった。ひどい別れ方をしてるし、当然というべきか、彼は私のところになんか一度も来なかった。東京の有名な大学に進学して、綺麗になった彼女を自慢する元彼の姿はバカップルよりひどいと思った。そして、イオンで買った黒いワンピースを着て、着物の時と同じ髪形で、彼が私のことを惜しいと思うんじゃないかなんて思ってた自分が惨めだった。

私は働き始めてから付き合った人から去年の誕生日プロポーズされて、今年のバレンタインデーに結婚式を挙げた。コロナのこともあったけど、田舎から式ができた。でも、ひとりだけ彼女の味方をして、夢の話を教えてくれた友達は、結婚式に呼ばなかった。

繋がっていないFacebookと、繋がっていないInstagram情報から察するに、彼女独身らしい。彼氏がいるとも書いていない。だから、私は少なくとも愛されてプロポーズされたという点においては、彼女に勝ったんだ。馬鹿みたいだけど、私はそれだけで、少しは自分に自信が持てる。大嫌いな女より早く結婚した。子供の頃のことを引きずって、自分に酔っているだけなんだと思う。相手にされてすらないかもしれないし、こんなの無駄だとわかってるけど、こうして書いて忘れたかった。ああ、本当に勝てたらいいのに。

2021-02-07

30代陰キャの末路

セックスしたい..

俺は30代も半ばになる。結婚もしている。こんなことで悩んでいるのは馬鹿げている。だけども匿名の殻に閉じこもり、あえて主張したい。それでもセックスしたいのだ。飽きるほど。

からモテず、彼女が初めてできたのは20代後半だった。見た目への自信がなかった。体力も自信がなかった。

足が速ければモテ小学生時代サッカー部バスケ部に入ればモテ中学生時代髪型を整え制服を着崩せばモテ高校生時代。どれも見事に縁がなかった。唯一人並みにできたことといえば勉強くらい。良い大学に入ればモテるとおもっていた。

かくして良い大学に入った。ところが何のアピールポイントにもなりはしなかった。就職して稼ぐ大人になれば今度こそモテるとおもっていた。そして同年代よりは稼ぐ大人になった。しかし結局童貞を捨てられたのは魔法使いを目前にした29のときだった。

結局全て言いわけだった。

別に見た目が悪くても、金が稼げなくても、可愛い彼女がいるやつはいるのだ。

未だに若い美男美女カップルを見ると狂おしい。別に顔や外見が全てじゃないと強がってみるも、あのかわいい女の子と毎晩ヤリまくってるんだろうなと思うと情けなくも嫉妬する。

中学生とき初キスだとか、高校ときセックスしたとか、たとえフィクションでも話を聞いただけで気分が落ち込んでしまう。中高生への性教育現場なんてのも胸糞悪い。クラス女子とはなかなか話せず、家では黎明期インターネット収集していた画質の悪いエロ画像妄想で補完しながら抜く。そんな暗くじめじめし青春時代を送っていた俺。女子どころかクラス陽キャ男子とも疎遠だったため、リアル恋愛事情なんて情報が入ってこない。今、当時のリアル恋愛事情を聞くとフィクションではなく本当にあったなんて裏切られた気持ちになる。次節イジってくる陽キャどもを敵視し、恋愛うつつを抜かしている隙に勉強し見返してやりたいと思っていた。大学就職は非常にうまくいった。でも、やりきれない。風俗にいっても、やるせない。今さら何を経験したところでもう青春時代トラウマを塗り替えることはできない。今からどれだけやりまくったところで、10代は巻き返せないのだ。


俺は結婚はした。美人ではないが毎日話していて楽しい妻と一緒にいると、結婚してよかったと思う。ところが典型的アラサー夫婦で、結局セックスレスになった。結婚したらセックスフルな生活を送れると思っていた矢先だ。

「今さら何を経験したところで」なんて強がってみたところで満たされない事実からは逃れられない。

夫婦セックスレスだろうが、やってるやつはやってる。コロナリモートワークで昼は家に俺ひとりだ。同じ状況の男は不倫だとか浮気相手よろしくやっているのだろう。

もう後悔したくない。性欲枯れてからもっとやりたかった人生だったなんて情けないことを考えたくない。10代は巻き返せなくても妻と精一杯楽しめばいいじゃないか。たとえ暗い青春時代を送っていても、飽食すれば多少は浮かばれることだろう。

そう思いながら、そっぽを向いている妻と冷たいベッドで寝るのであった。

2021-01-19

ビデオゲームが遊びではなくなったとき

僕はビデオゲームが好きだ。

幼い頃に任天堂64とウェーブレース64を買ってもらったあの日から、僕はビデオゲームに恋をしている。

幼稚園ポケモンごっこをした。

小学校いじめられた時、勇気をくれたのはテイルズオブシンフォニア主人公だった。

中学校バスケ部練習がキツくても帰宅毎日PCテイルズウィーバー遊んだ

高校勉強部活もサボって友達アラド戦記に没頭した。

大学生の時、アルバイト給料で買ったゲーミングPCコールオブデューティバトルフィールドに熱中した。

社会人になってから多少ゲームをする時間が失われた時期もあったけど、余裕が出来てからウォッチドックスやディアブロなどを遊んだ

僕の人生には、いつだってそばビデオゲームがあった。

今でもそうだ。

今、僕は仕事をしていない。仕事をせず実家毎日ファイナルファンタジー14で遊んでいる。

中学生の時に初めて遊んだMMORPG

あの頃の楽しかった思い出を今もまだ引きずっている。

FF14楽しいのではなく、あの頃の思い出を探している。

あの頃の仲間はもうとっくに、出世結婚といった人生の次のステージに進んでいるのに、僕ひとりがまだ中学生の頃の思い出に囚われている。

FF14がどんなゲームなのか、説明不要だろう。

難易度コンテンツギミックの予習とボスに与える最高ダメージを出す練習必須

これらをこなした8人をそろえてようやくコンテンツの"練習"へと入る。

多くの人は仲間と固定パーティを組み、毎回同じメンバー攻略に挑む。

僕も数年前までは固定パーティを組んでいたが、いわゆる固定崩壊経験してから、高難易度をやるなら野良だと決めた。

野良も険しい道のりであったが、ようやく1層、つまり難易度1面をクリアした。

僕はこの時もうボロボロだった。

FF14にはゲーム結婚システムがあるのも有名だろう。

僕にも、その当時「今度結婚しよう」と誓い合った仲の相方がいた。

しかし、絆は無常にも崩れ去った。

フラれたのである

さらに追い討ちをかけるように、当時所属していたFC(ギルド)で問題を起こして自主脱退に追い込まれた。

愛も絆も全て失った僕は獣のように高難易度で戦い続けたが、それも1層で燃え尽きた。

僕はこのゲーム世界にいてはいけないような気にさえなった。

もちろん新しいギルドを探す努力はしたが、その時はもうやっていけないとしか思えなかった。

僕は数千時間と数万円の課金を注ぎ込んだキャラクターデリートした。

数日後、僕は別のサーバーで新キャラを作った。

課金ジャンプアイテムを使い2週間で前線に追いついた。

ここまで来て、僕はようやく思った。

何をこんなに必死になっているのだろう。と。

僕はビデオゲームが好きだ。

でも、こんなのは僕が望んだ遊びではない。

お金時間をかけて、何でストレスをもらわないといけないのか。

何故、義務であるかのようにゲームをしているのか。

あの頃の思い出を追いかけていたMMORPG自体が僕にとってはもう義務しかなかった。

この感情は恋ではなく義務だったと、そう気づいたときFF14から離れようと決意できた。

今の僕には何もない。

FF14しか人と関わらなかったから、それらを断ち切った僕に残ったものなんて、何もない。

現実家族との関係は冷え込んでいる。関係を修復する気はない。

いっそもう、自殺してしまおうか。

僕は大好きだったビデオゲームにここまで追い詰められた。

昨今のインターネットを見ていると、オンラインゲームきっかけのトラブル喧嘩晒しなどは日常茶飯である

それは、僕が大好きなビデオゲームからは遠く離れた別の何かである

それでも僕は、ビデオゲームが好きで、また新しいゲームを探している。

ビデオゲームでの冒険はどこまでだって続いていく。

僕は、今年30歳になるというのにまだそんな妄言を信じている。

2021-01-07

anond:20210107164402

周りの男ってのは吹奏楽部からテニス部からバスケ部から現役消防士(レスキュー隊)までさまざまだがどいつもこいつも持ちが悪い。

2020-11-24

anond:20201121130943

そもそも喧嘩したら野球バスケ部員の方が強いよね

空手家が凄んでビビるのは格闘経験どころかスポーツ経験なしのオタクと老人だけ

来世では他人がいい

私の昔話を思い出して書いてるだけです。

思い出したこと書き出してるので

よく分からない文です。どうぞ。

両親は母と血の繋がりがあり、父とはありません

私と、私の7つ下の弟は精子違いの兄弟です

今の父とは血が繋がっておりません

他3人の兄弟は今の父の精子からできた子です

そんなややこしい家系でも

仲良く暮らしてたと思っていました

私が両親と縁を切るまでの話です。

私は私が生まれて3ヶ月の時に

実父が母の友人と不倫をしており離婚しました。

当たり前ですが当時の記憶はありません

自我を持ち、大きくなってからから

聞かされていたのは

「実父はお前と私を捨てて女と出ていった」

だけでした。

それから直ぐに母は恋人を連れてきました

パンチパーマタバコが良く似合う恋人を、

見た目通りその人はヤクザ屋さんでした

母のヤクザ彼氏嫉妬心が強く、

娘の私でさえ母に触れることができなかったと

聞いています

母と私は個別に部屋を分けられ

軟禁状態でした。

自分の部屋で永遠ループされるアンパンマン

映像を今でも覚えています

母はDVを受け、1歳か2歳の私は軟禁されている

日々が1年ほど続きました

母はヤクザ彼氏と別れるために私を

祖母に預けそこから7歳まで母と住むことは

ありませんでした。

月に何回かは会っていました

その間に紹介された母の彼氏その②は

いい人そうでしたメガネかけて真面目そうな

そいつが飛んだクレイジー野郎

クレイジー野郎韓国人との間に子供もつのが夢だったみたいで

当時韓国人率高めのスナックで働いていた

日本人の母を韓国人だと思い込んで近づき

お付き合いしたそうです。

無許可中出しで出来たのが7つ下の弟です。

久しぶりに会ったら母親は身ごもっていました。

しかクレイジー野郎と別れて別の人と

結婚をしていました(知らなかった)

母は私に「ママと一緒に暮らすか、このままおばあちゃんと一緒に暮らすかお前が選べ」

と言いました

小さいながらにもやっぱり母親と住みたかったです

その事を祖母に伝えました

祖母は「お前はばあを捨てるんか!!

あんたをここまで育ててきったたのはだれやねん!」

泣きながら私に怒鳴ってきたんです。

当時1年生ですよわたし??

そんなこと言われたら

私が間違ってるんだと思って悩みますよね

結局少し悩んで母と住むことにしたんですけどね。

祖母の家を出る時の祖母の顔

すごい顔してました。

祖母は怖くてもキチガイメンヘラ系でした

育ててくれたものの甘えに甘やかされ

お箸の持ち方はおろか、

人様のうちに入る時のお邪魔します、

邪魔しましたとか常識

教えられて来なかったんです。

一緒に住み始めて母と新しい父から鬼のよう

躾されました

そのおかげで今では常識を持った人間になったつもりです。

ありがとう

先に母は被害妄想ヒステリックメンヘラ

父は虐待モラハラアル中ということを

わかった上でこの先ご覧下さい

当時から母は水商売をずっと続けていて

まだミルクを飲んでいる弟と私、父で

母のいない間留守番をしていました

父は母の送迎をしていたのですが

母を職場に送り届けると父は

死んだように眠って迎えの時間まで起きることは

ありませんでした

母を迎えに行くのは深夜1時

まだ夜泣きをする弟の面倒をみてました。

後に産まれてくる妹2人がいるのですがそれまで

この生活を続けました

全員で5人兄弟です

最後の5人目が生まれてやっと母は

水商売をやめました

父は子供を見ることはありませんでした

5人目が産まれくるまでに

私は中学生になりました

中学生で私の人生分岐点メンヘラに変わります

部活内でのいじめプレッシャーが原因で

きしょメンヘラになりました

母が昔していたバスケ部を選んだのが間違いで

母はキャプテンをしていたのですが

どれだけ私が努力しようと試合に出ようと

キャプテンじゃないと意味が無いという理由

貶され、罵られ、靴やボール

下手くそなのにいいの買う必要ないと

1番安いもので揃えられました

それは全然いいんです、実際下手だったし

弟が野球を始めました

これがビックリ弟のスポーツ用品

全部高級な物たちが揃ってました

ここからぐらいかな?

「私」と「兄弟」の差別が生まれてきたのは

初めは小さな差別からですほんとに

言う事聞かなかったりわがままを言うと私だけ

地元の山に置き去りにされたり、

外に放り出されたり殴られたり、言葉暴力だったり

昔は私が言うこと聞かないからだと思ってました

でも今思えば同じことして怒られてるのに

私だけこんな仕打ちされるのなんでだ???

こんな感じの生活高校辺りまで続きます

高校に入りバイトもはじめ、家に毎月3万

入れてました祖母携帯代も払ってました

門限があったんですよ、うち

門限は18時で遊びたい盛りの高校

守るわけないじゃないですか、、

門限を破ったその日から数日

晩御飯が出てこなくなりました

理由は「ママの言うこと聞かないのに

なんでママはお前の為に晩御飯作らなきゃいけないの?」

まって?食費入れてるんだが??????

仕方ない、門限守らなかった私が悪い

みんなが寝た頃にコソコソ晩御飯を食べてました

そんなことをしていたからか

家でのあだ名ゴキブリになりました。

このあだ名はずっとわすれることないです。絶対

ゴキブリ呼びがムカついたので

飯食わなくなったんですよもう3日ぐらい

そしたら母親はその事を仲良い隣人に伝えてたみたいで

隣人が窓からおにぎりくれたんですよ

あの時人の優しさに触れた感じ、

ほんとにありがたかった

この一件から何をしても母と言い合いになって

父とも上手くいかなくなって

メンヘラ悪化して首を吊って

これじゃだめだと思って高校卒業を機に

一人暮らしを始めたんです。

両親からの冷たい目線

母親ヒステリック、父のモラハラ暴力がない

生活はほんとにほんとにほんとに

自由で、幸せで楽しくて

から包丁を向けられることはもうないし

クソ女、アホって呼ばれることもないし

家の物食べる度にお金払わなくていい

父の機嫌を伺って過ごさなくていいし

殴られなくていいし

父が兄弟を殴ってる姿も見なくていい

暴れてる姿を見なくていい

祖母お金を取られることも

服を無くされることも

お金さないと誰がお前を育てたと思ってるねんって言われなくていい

18年間辛かったなぁ

感謝してます両親には

常識を教えてくれてありがとう

お箸ちゃんと持てるようにしてくれて

ありがとう

無いと思うけどもしこれを両親が見てくれたら

こう伝えます

もう二度と会いませんように

来世では他人でありますように

2020-11-06

回想

anond:20201105213236

ふと、似たような経験を思い出したので、増田に認めてみる。

中学三年の時、A(♂)がB子(♀)に告白したらしい。

  (Aのスペック:170cm中ほどだったが、ひざ神みたいな運動音痴、ちょいポチャ、今でいうキモオタ系。)

  (B子スペック:150cm代中ほど、華奢だがバスケ部体育会系、かなり細くて色白。)

中学の時に付き合っていたとはいっても、帰宅彼女を家まで送る係みたいなものだった。

時は過ぎて卒業式も終了し帰宅することとなった。

靴箱の僕の靴の所には、何通か手紙が入っていた。

その一通が、B子からの物だった。

僕に対する告白と言うほどのものではなかったけど、

Aからしかけられて、あまり気持ちのいいものではなかったとか、キモかったとか。

ただ、文面からは、僕に対しては好意的ものだった。

他の手紙告白ではなかったけど、私のこと忘れないでねみたいな、手紙だった。

シャイな僕は、その後誰にも会ってないし、話もしていない。

なんだみんなそんなに興味があったんなら、先に言ってくれよともやもやした覚えが有る。


話は変わってAの事なんだけど、1年から同級生で仲は悪い方ではなかったのに

(もう一人の友達を加えて、3人で同じ文科系部活を行ってもいたので、仲は良かった方だと思う。

当時は、文科系部活運動部と両方に属することも当たり前だった)、

僕に対する態度が、3年のある時期から変わってしまった。

かなり攻撃的な態度を取るように変わって行ってしまった。

から思い返してみると、それはB子と付き合うようになった後の事だった。

しかしたら何かの拍子に、B子が僕の名前を出したのかもしれない。

それを快く思わなかったAが、僕の事を妬むようになったのかもしれない。

卒業式を数か月後に控えた或る日、僕とAは同じ学校受験した。

僕は3年の或る時期から、その学校過去問題集等を取り寄せて、かなり勉強していた。

結果、他のクラスから受験した人がいたが、その人もAも不合格となり、僕だけが合格した。

その時Aに言われた言葉が、なんでお前だけが合格なんだよ、大して勉強もしてないくせに、と。

(残念ながら君よりは勉強したんだよ、君には分からなかったかもしれないけど。)

そしてAは学区内の工業高校に進学したと思う。

そんなことが有って、卒業式を間近に控えた或る日、とある催し物(お別れ会みたいな)が行われ、

僕をターゲットにした些細な事件が発生した。

僕らの仲間内では、犯人はAしかいないと誰もがそう言っていた。

B子と付き合いだしてから事柄(この事件の時点では、まだ知る由も無かったこと)、

受験の失敗等で妬まれていたのかと思ったのは、卒業して暫くしてからの事だった。

余談

B子が僕に好意的だった事に関しては、思い当たる節が有った。

或る時、数学担当先生女子バスケ部コーチが授業中にC子を侮辱するような言葉を浴びせた。

クラスみんなの前でだ。

  (C子のスペック:160cm弱位、肩幅はそこそこあり、がっしりとは言えないがしっかりした体形でバスケ部、色白)

その先生にすれば、愛情表現だとも言いたいのか、好き勝手な事を言っていた。

今にしてみればパワハラであり、モラハラであり、訴えられるレベル言葉だったと思う。

授業終了直後、先生がいなくなったところで、C子は顔を覆って泣き顔を隠すようなそぶりをしていた。

それを友達のD子、B子が慰めに来ていたのだが、C子の直ぐ近くの席にいた僕は通りすがりに、

少し乱暴気味に、あんな奴のいう事なんか気にすんなよ!、皆、そう思ってるよ、と声を掛けた。

その直後D子が僕に向かって、凄くいい事言ってくれた!と、そこにいるみんなに聞こえる程度の声で言ってくれた。

C子もD子も、そしてB子も、ほんの少しは僕に対して好感度を上げてくれたのかもしれない。

しかしたらそんなことも、Aの反感を買うような事になったのかもしれないし。

2020-09-08

ある日の風俗 元居酒屋店員

 夏の夜で、その子は胸元の緩い赤い服を着ていた。

スカートの下は生足。風俗嬢は大体間違いなく生足でいる生き物だ。

見るからに小柄で、しかし口調などから運動部出身なのはすぐにわかった。

恐らくキャプテンとか務めていた感じだ。

裏表がない感じ。野球部バスケ部の男と仲良くしている姿が目に浮かぶ

一方の増田は、根暗であった。陰と陽である

絶対思春期に仲良くなることなんてなかっただろう人間同士が、素っ裸ですごい距離にいる。これが風俗だ。

This is Fuzoku. マイコービックリよ。

そんな陰陽の組み合わせなので、話が盛り上がったりは別にない。

海へ遊びに行ったとか、陽キャエピソードを聞いてた記憶しかない。

そんな噛み合わない陰陽でも、はじまってしまえばなんかすごいことになる。 This is Fuzoku. 汗汗汗、濁濁濁って。

お金とか性ってやつは、すごいのだ。

それが介在することで、なかったらありえないことが起こる。

彼女と飲みに行ったりデートしたりして盛り上がるのは、多分無理だろう。そこにはとても大きな溝が横たわっている。

そんな溝がないかのように、一瞬でも錯覚させてくれる、不可能可能に、物理法則ねじ曲げる、それが、This is Fuzoku.

ててーん

2020-08-07

会社を無断欠席していつまでバレないかやってみる

新卒でこの会社入社して、正社員として働き早三年が経った。

しょぼいと思われるかもしれないが、

自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。

なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。

中学生ときバスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方から練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。

私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。

そのときのことは、正直昔すぎてあまりよく覚えていない。

単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。

ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。

今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしま出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。

それ以前もちらほらと、小学校読書クラブや、公民館児童クラブ友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。

それより象徴的なエピソードは、大学受験ときのものだろう。

私は県外の国公立大が志望で、地元私立大学も併願していた。

二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大学の前期試験に挑んだ。

父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。

そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。

だけどそれはおかしい、と同時に思う。

結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学合格し、結局実家を離れることになったのだから

前期試験あの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?

自信はあった。

試験範囲勉強計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。

今でも思う、あの日あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。

第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。

もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。

就職先も今の会社ではなかったかもしれない。

そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。

前期試験の日、私は試験会場の前までたどり着いた。

しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。

受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。

大学の正門前最後横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。

駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。

それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。

駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。

県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日からまり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。

好きなアーティストライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。

少しだけ後悔している。

きっと母親ホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから

私はやってしまった。

ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。

感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。

同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。

受験発表の日、ネットで番号がないのを先生確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。

月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。

結局、受験していても受かっていたかどうかはわからない。

長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。

それくらいしかあんなことをした理由は考えられない。

思い当たることがあるとすればあと一つだけ。

学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。

いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。

短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。

大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。

さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。

その最後の週だった。

作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。

いわゆる機械の非常停止ボタンだ。

大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。

他の停止ボタンと違って、プラスチックカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。

この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンス必要になり、その間はラインを停止させることになる。

一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。

そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。

これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。

班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。

からストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。

それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。

私はそれを班長そばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。

そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。

もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。

プラスチックカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。

班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。

その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。

その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。

私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。

流石に外までは追いかけてこなかった。

そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。

掛かってきた電話も全て無視して逃げた。

いわゆる「飛び」だった。

最低最悪なことをしてしまった。

その事件の後、私は罪悪感と共に、大きな不安に襲われていた。

それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。

理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。

ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。

怖かった。

とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。

実際は、適性検査タイミング不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのとき自分にはそれが奇跡に思えた。

そうして入社したのが今の会社だ。

入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。

こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。

何よりこの会社に入るとき、心に決めていたことがあった。

自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。

きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。

何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。

そして今年の四月で、見事それを達成した。

ああ治ったんだ、と私は思った。

私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。

その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってから毎日が楽しかった。

そうだ、毎日が楽しかった。

今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。

それなのに、私はまたやってしまった。

はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。

会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。

私は時間になっても、家の机に座ったままだった。

一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。

会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。

申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。

11時を過ぎて、まずい、と思った。

遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。

私は静かに時計の針が回るのを見ていた。

父親就職祝いに買ってくれた時計だ。

それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。

ほんの数時間前までは。

私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだ気づき始めていた。

怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているもの台無しにしてしまう癖。

治っていなかったのだ。

三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。

ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。

この病気は一生治らない。

発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。

たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。

ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか

ああ怖い。

恐ろしい。

いっそ死にたい

会社からはまだ連絡が来ない。

上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。

明日からお盆休みから休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。

しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。

私が「そういう人間」だということに変わりはない。

私は

私は……

2020-08-04

勧誘

中学生の頃はバスケ部だった。
25年くらい前のことで、ちょうどスラムダンク流行っていた。とはいえ週刊誌を読む習慣がなくスラムダンクは読んでいなかった僕は流行りに乗って入部したわけではない。単純に自営業だった家にバスケゴールが設置されていたのと、兄もバスケ部だったため馴染みが深かったのだ。
兄とone-on-oneをやったことはない。仲が悪いわけでもなかったが、クラスで背の順に並ぶと一番前だった自分は体格差関係で歯がたたないことが分かりきっていた。幼い頃の4〜5年の差は絶大だ。一人でずっとシュート練習をしてた思い出しか無い。

一人バスケには慣れていた。

大学を出て東京中小企業就職して、僕は一人暮らしを始めた。
ある日、なんとなく立ち寄ったスポーツ用品店でカゴ売されたゴムバスケボールを見かけ、懐かしさを覚えて買った。
調べてみると自転車圏内公園バスケゴールが設置されていることが分かった。それからは晴れた週末には出かけて行って一人でシュート練習をする日が続いた。「練習」などと書いたが、それはおこがましいかもしれない。ただ、運動不足解消も兼ねてテキトウに打っていただけだ。

大人になっても一人だった。

そんなある日、声を掛けてくる人がいた。
それまでも声を掛けられたことはあった。小学生集団に声を掛けられ5対5で無双したこともあったし、ヤンキーっぽい人とone-on-oneもやった。が、それらの人たちは同年代とは言えなかった。
その人も運動不足解消のためにといったゆるい理由バスケをやっていると言い、気が合いそうに思えた。(高校に入ってから一気読みした)スラムダンクの話で盛り上がったりもした。
その会話の中で「来週末にでも良かったら遊びに行きませんか?」と誘われた。
いつも一人で時間つぶしにも似た週末を過ごしている僕には予定など無い。即、了承した。「こうやって人と人は繋がっていくのかねえ?」などとウキウキしていたくらいだ。

来週末、待ち合わせ場所へ行くと、何故か1020くらいは上そうな年配の人が一緒にいた。
この人もバスケするの?と訝しんだが口に出すことはしなかった。
とりあえず、喫茶店に入ることとなりテキトウな会話をした。最近の天気とかニュースとかの話だったと思う。

「で、ですね。」と話題の切り替えが行われ、「座禅って組んだことあります最近、私、けっこうやっていて――」「そうしたら、いろいろと上手くいくことが多くなったんですよー。」「神様って信じます?――――。」

新興宗教勧誘だった。

寝耳に水だった。
「出ます。」とレシートを持って席を立ち、会計をして店を出た。二人は後を付いてきた。このまま付いてこられても困ると思い、近くの広場お断りの話をすることにした。

「一人の自分に話しかけてくれたのは純粋に嬉しかったが、こういう誘いは要らない。踏みにじられた思いだ」「貴方が何を信じようが勝手だが、僕を巻き込まないでくれ」「神様は居ると思う。が、自分が信じてる神様物理法則を作っただけだ」人格否定にはならないように気を使ったが、余計な話もしてしまった。

二人はもう付いてこなかった。
帰路についた僕は、初めて一人で居酒屋に入った。後から思い返せば怪しい点がたくさんあったなと自分の迂闊さを後悔しながら飲んだ。

あれから7年ほど経つ。公園に行かなくなったし、バスケボール下駄箱の中で眠ったままだ。

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