はてなキーワード: フロー状態とは
そんないきなり知的障害の話に推測が飛ぶかなあ。ネット上の匿名の書き込みへの憶測の話やろ?
寡黙且つ精神的に自律してる人は、仕事に没頭していても、その人は集中力が高くてフロー状態に入ってるだけかも知れない。
スキゾイドと回避性って他人が見てもそれほど違いが分からんような気がする(何でも精神疾患で分類するのもよくないけど)。
社交不安障害はご存じ?趣味の有無や思考の深さと、コミュニケーション上の緊張やストレスは別の話だからね。
まあ俺自身はもう諦めてる。元来の衝動性から、5chや増田覗いてるが、年に数回書き込むくらいしかしてない。
そもそもネットみたいな遠隔コミュニケーションで居場所になんのかと疑問に思うし(おしゃべりなAGIロボットができればいいけど)。
中学3年間の部活の試合のたびにあがってたんだが、中学最後の試合で「(これが中学最後の試合なのだから)上手く行こうと行かなかろうと、誰にどう思われるのかも考えず、ただこの瞬間を楽しもう」と思ったらあがらなくなかったうえに、フローとかゾーンとか呼ばれるような心理状態に入った。もちろん試合には勝った。
高校1年まで同じ部活で試合に出てたんだが、その中学最後の試合以降は「上手く行こうと行かなかろうと、誰にどう思われるのかも考えず、ただこの瞬間を楽しもう」と自分に言い聞かせて、気持ちにスイッチを入れられるようになった。
これは試合に限らず、集中して良い結果を出したい時に使える。でも、あがることなく集中して良い結果を出せるのは、この言い聞かせに加えて、やっぱり普段からその行動に慣れてる必要もある。ぶっつけ本番で慣れないことをやる時には、「楽しもう」と言い聞かせても大抵あがるし、フロー状態にも入れない。
魔法が解けた と逆の経験をした。今も私は魔法の中にいて、不便さと面白さと両方感じている。
昔、私は真面目な性格だった。
書類仕事は得意な方で、記入ミスがあるのを見ると「ここに指示が書いてあるのに、目が見えてないんですか?」ぐらいに思っていた。
大した病気では無かった筈なのだが、なぜか手術後に連日連夜、激痛に苦しめられた。
医療ミスだった。
このままの状態が数日続いたら死ぬな、と思った頃に別の医者に交代して再手術を行って何とか生還した。
退院するまで大分かかったし、退院後も当分の間は本当にしんどくて、ソファーでぐだぐだ過ごす時間ばかりだった。(幸い、今は良くなった。)
しかしそれ以降は、自分の仕様が書き換わったのかと思うぐらいに出来る事が変化した。
まず書類仕事が苦痛になってしまった。書いてある筈なのに目が滑ってしまう。
それ以前に書類を見ようという気力が沸かず、封も切る事も出来ない。
最近はどうにか気力を溜めて、締め切り直前に自分を追い込んで処理する感じだ。
旅行の準備も非常に苦手になった。昔は難なく出来ていたのに。
持ち物リストを見ながらでさえも、丸一日かかってしまう。それに非常に疲れる。
また以前から散らかし屋だったが、それも拍車がかかってしまった。
他にも日常生活でやりにくくなった事は沢山ある。
ただ、嬉しい変化もあった。
ちょっとした出来事、ニュース、子供の頃の宝物などから設定が浮かんでくる。
お話がするすると頭の中で流れ出す時はメモ帳にまとめていく。細部を詰めていると、カチッとパズルがはまったように感じる事もある。
登場人物の言動がご都合主義すぎると「いや、私はこう動きたいから」と彼らは勝手に動き出す。
こういう時は頭の中がフロー状態というか、集中して頭も回転していてとても楽しい。
書いていて気がついたら昼休みが終わっていたり。
体調がギリギリセーフの時だけ起こる魔法なので、書き留めるにはかなり頑張らないといけないけど。
この状態は、魔法にかけられたとも思うし、大規模メンテナンスでリニューアルしたのかなとも思う。
いずれにせよ何か新しい扉が開いた感じがする。そして違う扉が閉じたのだろう。
そのせいで日常生活では不便な事も多々あるが、貴重な体験が出来たのは面白かった。
もう病気にはなりたくないけど、なったらなったで別の新しい扉が開くかもしれない。
認知症になったらある扉が開き、麻痺が起きたら別の扉が開くだろう。
自分以外にもこういう事が起こるのなら、どんなふうか是非知りたい。
将来、その開いた扉の中身を人にそのまま伝えられるデバイスが出来ていたらいいな。
読んでくれてありがとう!
ここ数年脂肪肝ということもあり、コロナでの自宅勤務を契機に1日2食にして、朝食はヨーグルトだけ、昼食抜き、夕食は栄養士がデザインした宅配食にしていた
おかげで体重は10kg減。脂肪肝も徐々に改善中だ。ただこれのいけないところは体の抵抗力が弱ることと、クソがあまりでなくなることだ。本当にちょっとしか出なくなる。なんだろう完全に消化されているといえば聞こえはいいが普段どうみても栄養とは思えないクソのような要素も体の中に取り込まれているかと思うといい気分でもない。
ここ2日ほどちょっと気分を変えてカレーを食べた。普段の食事では出ないものだ。量は特に大盛でもないが、ひさびさに人並みのものを食べて少しいい気分だった。そして今日は仕事で少しいい結果を出すことができたので、ご褒美としてラーメンを食べた。
そして帰宅。自宅に帰ったことでリラックスしたのか便意を催してきた。おなかが痛いわけでもなく自然な便意。そして感動の時間が始まった。
最初は強く抵抗するクソの感覚だ。普段よりも太いクソが無理やり肛門を広げる感覚。そして直腸越しに感じる確かな重量感。直感で分かったこれはすげえのが来る!思いっきりキバる。年を取ってからキバると脳卒中になる可能性があるらしいが。ともあれ脱糞に集中する。溜まりにたまって別格のようになったクソがじわじわと体外に排出される。肛門と直腸からわきあがるさざ波のような快感。そして1本目が排出され・・・クソが切れない!すでに意識の制御を離れつつある肛門をねじ伏せるように収縮させて千切るようにひり出す。
・・・ヤバい奴が出た・・・。体に広がる問答無用の充実感。便器をのぞき込むと完璧な一本グソだ。密度が高く、ガチガチに固まってもなく柔らかくもなく完璧な硬度。大蛇のようにふてぶてしく便鉢のなかに横たわる極太のフォルム。こんなクソは1年に1回出せるかどうか。素晴らしいプロダクトを生成した自分の体に感激した。
しかし感動はまだ続く。1本目で出来らなかったやつが直腸をじわじわと降下する感覚。そうだこれだ。早く出したいとわななく肛門。出せるものなら出してみろお前のチンケな力でな、と嗜虐的な気持ち。必死にひり出す直腸と肛門。そして2本目排出。快感で体がブルブル震える。1本目と同じペースと品質で、そして1本目とは比較にならないほど短い2本目。強烈な快感。ああ・・・出た・・・。猛烈な達成感。脳からセロトニンがジョバジョバ放出される感覚がわかる。本当にいい脱糞をすると問答無用でわかる。快楽にまかせて「あひぃ~」と言ってみたりダブルピースするのもいいかもと一瞬思ったが、自分の感覚をマンガ的に茶化していて自分に誠実ではないような気もしてやる気になれなかった。外から見たら単に無言のままブルブル震えている中年だ。
もう直腸にはクソはほとんど残っていない。しかしあの快楽を味わっていたいのか自意識とは無関係に肛門が必死に脱糞するような動作を行う。ククク・・・ワガママボデーめ。気持ちのいいことというのは欲しい時には得られないものなんだよ間欠的不規則報酬を理解できていないらしいな。しかしあの快楽に未練がある体は必死に残りわずかなクソをひり出そうと蠢動する。まあそういう過去の栄光に必死にすがり付く姿も俗っぽくて嫌いではない。
いいクソの時は脱糞そのものの気持ちよさもそうだが事後の余韻もまた格別だ。大きな達成感と体の中から何かが引きずり出されてしまった喪失感が混ざったような感覚。フロー状態にも似ているようにも思う。体内に意識を向けるとなんとなく脱糞後小腸大腸などが再配置しているような蠢動を感じる気もする。しばし時間を忘れて身をゆだねる。
そろそろ体もあきらめたころにウォシュレットだ。む、ちょっと肛門が切れちゃったみたい少し痛い。まあでもいいやと思える。丁寧に洗って事後処理。
しかし改めてクソを見るとその存在感よ。堂々としている。かつて電気グルーヴが「我々は!太く!末永くいきたい!」と言っていたな。40を超えていまだこのようなクソが出せる自分が誇らしい。流すには惜しい。しかし残しておいても特に何のメリットもない。次このレベルのクソにいつ会えるだろうか。自分を高めていきたいと思いつつ流す。さらばマイベストオブクソ!
動摩擦力よりも静止摩擦力の方が大きいから、動かし始めの方がエネルギー消費するってやつ。
やんなきゃいけないことも、やり始めの段階が一番エネルギー消費するから、逃げちゃうんだよな。
オーソドックスだけど、やるべきことを細分化して、やり始めのハードルを下げてあげるのがいいと思う。
困難は分割せよって言うし、プロジェクト管理の手法にもWBSってのがある。
まぁどうやったら気軽に着手できるか、最終的には自分の性格を分析するしかないよね。
フロー状態に入ることが習慣づいているモンテッソーリ教育を受けた子なんかは、集中することが快感になってるからこういう逡巡はないって聞く。
うらやましいよな。
それはある。ただ、正直そういう不毛感はどうでもいいかなと思う。
料理好きの人が美味しいオムライスを研究したとして、それって別に斬新なオムライスを発明したいわけじゃないじゃん?
研究してる過程とか、工程とかが楽しかったり、美味しいオムライス出来た!っていう達成感が楽しかったり、美味しいオムライスうめええ!っていう感動が楽しかったりするわけ。火加減の微妙なさじ加減のために集中してる状態(フロー状態)が気持ちよかったり。
俺は料理はしないから、料理は例えでしかないけど、そんな感じ。何も新しい事のない不毛な作品でも、作ったものはみんな可愛い可愛い我が子だよ。
ここ最近、子供を産まないのは人でなし、みたいな意見を読んで、日本社会の同調圧力は怖いと思った。しかし、「子供はいいぞ」と言っている人の多くは男性で、たいして説得力を感じなかった。もし、大学卒業以上の教育とプロフェッショナルとしてのキャリアがあり、人並み以上の収入を得ている女性が「私は自分のキャリアより子供を産む方を優先させる」と言うのなら、私は彼女たちの話を聞きたい。実際、キャリアと子育てをちゃんと両立している人も多く存在していて、そういう高いハードルをこなしている女性達は本当に凄いと思う。
かく言う私は今、とても仕事が楽しい。夜中までずっと仕事をしていても幸せだ。普通の会社勤めではないから会社の利益のために働いているわけではないせいもあるし、平均年収の2倍はもらっていることも幸いしている。でも、決して収入だけが目的じゃない。お金は生活を快適にしてくれて、新しい経験をさせてくれるけど、ただそれだけ。私は仕事に没頭してフロー状態になるのが楽しい。自分の仕事は社会のためになると信じているから、やりがいを感じる。このうえ子供を作るのは、とてもとてもハードルが高いのだ。
幸いにもパートナーは、私さえいればいいと言っている。彼は私にメロメロなのだ。もし子供ができたら、ちゃんと時間をかけて育ててあげたいし、私が学んだことを教えてあげれることもあるだろう。しかし、諸事情でそんな覚悟はできないのが現実だ。
しかも、もうすぐ海外に転職することになっていて、そうしたら年収は現在のさらに倍になる。もちろん、それだけの成果をあげることを期待されているのだし、成果をあげれば報酬もついてくるだろう。でもお金よりも何よりも、この転職は私にとって自分の力を試すチャンスである。今よりもっと自由にやりたい仕事ができるようになるだろう。子育てに興味がないわけではないけれど、こういう形で職業的に社会に貢献するのがせいいっぱいなのだ。私はスーパーウーマンじゃないから。
だけど、それでもう充分じゃない?とも思う。誰かの役に立つ生き方ができれば。誰かの未来に貢献することができれば。それが自分の子供の未来であっても、他人の子供の未来であっても、どっちだっていいんじゃない?