はてなキーワード: インドアとは
別に彼女ではなかった、何度か遊んでて普通にインドア趣味が合うなーって程度。
恋愛感情があったかは今となってはわからなく、でも互いに付き合う相手はいなかったので、正直多少期待をしてた部分もあった・・気がする。
そんな女友達、昨夜バーっぽい居酒屋で(※緊急事態宣言の出てる土地ではない)俺と彼女二人並んで飲んでると、
一人の男が彼女の隣に座ってきた。
彼は見た目は冴えなかったが、クラスに一人はいそうな面白い男という感じでトークが面白く、
俺は最初は何だこいつと思ったが、気がついたら3人で普通に話をしていた。
そのうち、彼女が酔って気分が良くなったのか、俺の肩にもたれかかってきた。
別にドキっとかしなかった(のでやはり恋愛感情はなかったのかもしれない)が、人目もあって気まずい気持ちが少し沸いたので、
俺は少しヨシヨシとなだめた後、彼女にシャンとするようにした。
すると彼女は目の前のテーブルに少しうつぶせになったかと思うと、
何と今日会ったばかりの隣の男の方の肩へもたれかかった。
男も驚いた風を見せ、まいったなぁ〜とポーズだけとるが、嬉しそうにニヤニヤしている。
そしてもたれかかった彼女を話すまいと肩を抱いて、あとはずっとくっついてた。
繰り返すが、俺はただ訳がわからなかった。
確かに話は盛り上がったが、今日会ったばかりの男にピッタリくっついていて
尚且つ彼女は全く抵抗も見せない(彼女は酔ってはいたがぐったりし切ってたわけでなくちゃんと意識はあった)
再三繰り返すが、俺の頭は「理解不能」って感じになり、ただその時俺はイライラしていた・・と思う
その後飲んだあと3人で店を出る。男は「彼女のことを送る」と言い出した。
が、どう考えてもこの状況でちゃんと家に送る訳ない、ホテルか男の家かわからないが、性行為コースは間違い無いだろう。
俺は彼女にそれでいいか聞いた、すると、答えは「うん」だった。
俺は彼女の身の安全のこととかどうでもよくなり、ただ失望した。
そして俺は一人帰宅して部屋にいて、今日はなんだったんだろうとぼーっとしている。
少なくとも今後彼女と連絡を取る気持ちは全くなくなってしまって、LINEブロックしようかと思ったが、
とりあえず非表示にとどめといた。
3分の1は寝取られたような嫉妬の気持ち、3分の1はそういう女性だったんだという失望、3分の1はまぁいいか・・と諦観?
とにかく初めから、知り合わなければよかったのかなぁとか今考えてる。
人生はクソ
よくコップに水が半分入ってるのを見て「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うか、って話あるよね。
圧倒的前者。
何なら7割入ってても「いやもうあと少しで半分じゃん…」ってネガティブになる。
始まっちゃうと「あぁ、後〇日しかこの楽しみはないんだ…」って思いが強くなる。
2泊3日の旅行で2日目の夜にそうなるとかじゃないよ。
1日目の移動の段階で思ってたりするよ。
今育休中で、今年保育園に入れたら仕事復帰するけど、休みの残り時間を数えては絶望する。
入園は4月だけど、慣らし保育があるのとそれに伴う保険料のこと考えて5月復帰。
まだ3ヶ月はあるけどもう憂鬱。
ちょっと高いもの買ったり不意な外食が入ると「お金大丈夫かな…」ってなる。
コロナ前から自費の飲み会なんて平均して2~3ヶ月に1回あるかどうかみたいな感じ。
もうそういう性格で何十年生きてきてるから、今更直せないと思うし、本気で直そうと思ってる訳でもない。
というか直そう!っていう前向きな気持ちが既にない。
別に高いの買えとは言わない軽でもいい
車なんてアウトドアの極みなのに?と思うだろうが俺は逆だと思う
我が部屋が城ならば車は外という脅威から守ってくれる動く城でもある
大雪除いて天候に左右されずに外出できるというのは心に大きな余裕が生まれるのである
例えば君が映画好きならば映画館に行こうとしても雨が降っていたらそこで断念するだろう
家から車で映画館にいってそのまま映画で見て車で家に戻る間はずっと室内にいるような気持ちだから
もしも君がゆるキャン△を読んでキャンプにちょっと興味が湧いたとして正直キャンプ用品を抱えて生身だけで行くのは無謀に近い
そこで車を味方にすればいい重たい荷物を持たなくても良いし、テント張って泊まるの心細いなら車内で寝ればいい
それはキャンプといえるのか?はともかくとして何もしないよりはマシだろう
それならば車という城を手に入れて立ち向かえばいい
そもそももう10年くらい前から日本のきらきら女子でも深夜アニメ観てて漫画もそこそこ詳しいしゲームもごりごりやってるのが一定数いるって状況だよ
むしろ本田翼や広瀬アリスみたいにギャップ受けや親しみやすさでそういうアピールがプラスに作用した事例も出てきた
オタに媚びたとかじゃなくて普通の大学生とかがそういう姿見て好感を持ったってことね
もうしょこたんが際物として面白がられてた時代じゃないんですよ
あと留学生に絡みに行って仲良くなれるコミュ強者がインドア隠キャなわけないから
自分に置き換えたらわかるでしょ
海外にも日本オタクみたいな女子はちらほらいる。アニメ漬けでフィギュア集めてゲーム好き、その上でヨーロッパの白人は、はっきりいって可愛い子は多い。俺はそれなりにアニメも見るし漫画も読むしゲームもするし、英語も日常会話なら問題ないので彼女らとの共通項が多く、更に中国人と比べたら日本人は比較的珍しい扱いされるので仲良くなりやすかった。
二人で街を歩いたり、カフェで漫画やアニメの話をして静かに盛り上がる。
しかし夜になると彼女らに抱いてたイメージがぶっ壊されることが何回もあった。そしてオタトークしてた時は、あわよくばこのままと思いきや、やはりその文化の違いから付き合うのは難しいと思った。
それは向こうではインドアなタイプの人でもクラブへ行くし、酒を飲めばめちゃくちゃ、はっちゃけるのだ。根っからのパリピー。インドアタイプでもパーティなどの集団で自分を出す方法を知ってるようだ。彼女らは昼間は俺とカフェでジョジョとかハイキューとかについて語って笑ってたが、夜のクラブではガラの悪い男の絡みにも難なく対応し、リア充エピソードで笑いを取りあい、俺は後ろで縮こまるだけになる。
彼女らは確かにオタクだが、そのオタク趣味は単なる全体のごく一部でしかないようだ。部屋の本棚が漫画やフィギュアで埋まってるような女の子でも完全に別物と分けて活動できている。
だから案外、学校の友人相手やクラブで見せる姿はカフェで俺とオタトークしてたのとは全く別の、ちゃんとコミュニケーションを取る女性でいた。寧ろみんなギャル寄りだった。その落差に根はクラス内ヒエラルキー最底辺だった俺は戸惑うしかなかった。
俺はもはや彼女らと二人きりなら話せるが、他に数人加わると会話の速さとジョークのセンスの違いについてけない情けなさだった。
あと根も葉もないことを言えばオタク女子はみんな実はガタイのいい彼氏持ちだった。(二回目当たりのお出かけでMy boyfriend が〜って会話に出てきて彼氏持ちだと察する、つまり向こうは彼氏彼女持ちでも異性と出かけるのはためらわない)
感染者が増えたので最近ネットでコロナ体験記を見かけることも増えたわけだが、一つ思うことがある。
「すごく気をつけていた私がどうして感染してしまったのかわからない」の期待はずれ感よ。
タイトルとか冒頭とかにそう書いてあるから、えっ気をつけてても感染するんだこわっ、と思って読み始める。マスクしてたし手も消毒してた、旅行も行ってない、だからどうして私が、と。ふんふん。でも読み進めるといきなり「会食は年末友達と一度だけ。風邪っぽい人はいなかった」とか、「趣味のライブは先月一度だけ、会場の感染対策はしっかりしてた」とか、「今まで毎食外食してたのをかなり減らしてた」とか出てくる。
いや、なんで私がじゃなくね? どこで感染したかわからんじゃなくね? その一回で感染したんだろ。そりゃあこれまで気をつけてたなら認めたくない気持ちはわからんでもないが、一度でも会食なりライブなりいったらどうして私がとか言わないでもらえるかな。
一度も会食するなとか外出るなとかは言わないし感染者を責める気持ちもない。社会人やってればそんなの不可能だから。でもこっちは「危なそうな場面を全回避して、それでも感染するかどうか」が知りたいんだ。引きこもってた人がピザの箱でうつったとかそういうやつ。そういうのが続出したらコロナにかかっても仕方ないとある意味諦めて適当に力抜けるし、感染した人はみんな何かしらやらかしてるなら気をつけてればきっと大丈夫なんだと自粛を続ける気にもなる。
一人暮らしで昼飯も一人で黙々と食べてて他人との会食ゼロでライブもイベントも行ってなくて、普段から店に入る前と入る後はアルコール消毒しててマスクもしっかりつけてた、って人の感染記無いかな。そういう人は人付き合いが少ないからわざわざ体験記をシェアしようと思わないのか、みんなリア充で他人とまったく会食しない人なんて存在しないのか。体験記読む度にがっかりして、でも期待してまた探してしまう。友達少なくてインドア派の自分が今まさにこんな感じの生活なんで気になる。我こそは真の「どうして私が…」のコロナ感染者って人、いませんかね。
卒論出せねえで留年するんじゃねえかと思ってたが、書き上げることができた しかもなんと提出日は明日じゃない 明後日だ 1日余裕がある 俺なのに!
まあ免許更新とかそういう細々した用事はあるんだけど、心労の大きさがちゃうわ
どっか行こうかなあ!卒業旅行ってこういうノリで行くもんなんだろうな!
俺インドア派だし、そもそも外出てる場合じゃねえし、ノーダメージだわ と思っていたが、自由になってみると途端に抑圧を感じる
ちょっと神戸あたりに出かけてみようかなっ!なんてことをやるのにも反社会的覚悟が必要になってしまった
いや、一人で行く分には全然いいのかな
一人でポートタワー登りに行こうかな でもダルいな 意味わからんし しかもあそこ高いんだよな 700円はない
外出る気にならん エアコンも壊れたし
ホンマやってられん
なんなんだこの人生
つうか大学終わるの嫌すぎる
腫れ物扱いされるのがもう目に見えてる
助けてくれッ!デニムッ!
新居に入居すんのはいいんだけど、いまのとこを退去するのがめんどくさ過ぎる
もう手配したほうがいいんだろうなあ ウワアア
去年の3月。世間が「もしかして、コロナってヤバい?」という雰囲気になってきた頃。私に好きな芸能人が出来た。以下、その人のことを「推し」と呼ばせてもらう。
ほどなくして訪れた緊急事態宣言。以前から好きだったスポーツ観戦やコンサート、舞台等が続々と中止になり、激しく落ち込んだ。
そんな時、唯一の心の支えだったのが、毎日更新される推しのYoutubeだった。
緊急事態宣言が明け、続々と無観客ライブの配信が始まる。推しも仕事を徐々に取り戻し、私は推しのライブの有料配信チケットを沢山買った。
やがて少しずつ観客が入れるようになっていくも、ただでさえ人気の推し。更に座席数が激減となると、ライブチケットは入手困難。
そんな状況でも、チケットを1人で複数枚買い、良席を抜いて残りは金額を少し上乗せして売るという、ダフ屋まがいの行動をしている女性をツイッターでチラッと見かけた。
嫌な奴だなと思った。この人が買い占めなければ、もっと色んな人にチケットが行き渡るのに。
そしてコロナも終わったわけじゃない。私は高齢で体の悪い両親に気を遣い、有料配信で推しのライブを見続けた。更に、推しのグッズが発売されたら全て必ずネット通販で購入した。
夏の終わり。私はとうとう我慢できず、細心の注意を払って、1回だけ生の推しのライブを見に行った。
やっぱり生で見る体験は違う。推しはすごく輝いていた。楽しい時間を過ごした。この思い出でしばらく頑張れる。
同じライブを見ていたファンの人とツイッターで知り合い、友達になった。
「申し訳ありません。事務所の方針で、今は写真撮影NGなんです。コロナが終わったらいくらでも一緒に撮ります!」
多分、出待ちか通りがかりのファンに頼まれたのだろう。そりゃそうだと思った。常識のないファンだなと。
時は流れて冬。コロナ感染者は増えているのに、私の職場はかなり忙しくなった。疲弊していた私は同僚に「お客さん、ちょっとは自粛してくれないかな。コロナなのに」と愚痴った。
思い返せば4月からこれまで、夏に見に行った推しのライブ1回以外は、家と職場と近所のスーパーと、本当に疲れた時に立ち寄る飲食店と、最小限の移動しかしていない。他の買い物は全て通販。
友達とはLINEで「コロナ終わったら会いたいね」と何度か話して、まだ会っていない。
一方ワイドショーでは「若者が遊び歩いているせいでコロナが終わらない」と叩かれる。(私20代の若者だけど、必要最低限の外出しかしてないよ?)と内心イライラが募る。
毎日毎日、仕事でくたくたになって帰ったら、残っている家事をこなし、推しの出ていた番組や有料配信、Youtubeを見て寝るだけ。
休日も家に籠るか、近所の散歩だけ。自分は根っからのインドア派だと思っていたのに、そんな日々にはもう飽きてきた。
年が明けて、再びの緊急事態宣言。タイミング悪く、推しのグッズショップのオープンと重なってしまった。
推しは「こんなご時世ですから、お店に行けない方もいると思います。そんな方はぜひネット通販をご利用下さい」と言った。
私はネット通販でグッズを沢山注文した。通販分の在庫は即完売、実店舗でも9割のグッズが完売した。コロナさえ無ければ、現地に行っていた。
そして先日、グッズショップの公式ツイートが目に飛び込んできた。
【なんと!推しさんが緊急来店します!〇時までおりますので、ぜひ皆さんお立ち寄り下さい!】
ああ、やられた。
TL上で「地方民だから今更行っても間に合わない。地方民はいつもこうだ」「今仕事中だ。羨ましい」と無念そうに嘆くフォロワー達。
でも彼女達と違い、私は行けるスケジュールと距離だった。自粛さえしなければ。
そこから1時間ぐらい経つと、店にいたファンのレポツイが出回ってきた。
自らレジ打ちをし、
ノベルティを渡し、
会話をし、
買ったグッズにその場でサインを入れてくれたとのこと。
明らかに1m以内の距離で撮影された推しとの写真や、「結構お話できて嬉しい」「感動して震えた」「神対応すぎて今泣いてる」等と、現地でファンサしてもらった人々の自慢ツイートがTLに流れる。
その浮かれたツイート達の中には、夏に見かけたダフ屋もどき女性もいた。
そこで、なんかもう、急に全部がばかばかしくなった。
もう疲れた。
推しも現地に居合わせたファンも悪くない。こんな感情は私の嫉妬であり、ひがみであり、八つ当たりだ。
律儀に引きこもって、自分が感染しないよう、身近な人々や推しに感染させないよう、勝手に行動範囲を狭めて、ネットで金を出して現場へ行かずファンを気取って、今ここで愚痴る私が悪いんだろう。
でも、どれだけ私が間違っていたとしても、これだけは言わせてほしい。
「自粛した方が損じゃん」
そこそこ田舎の静岡県東部、東海道線のまわりは本当に住みやすいと思う。
日帰りで海も山も行けるし、もちろん泊まりでも、時間が有効に使える。伊豆も箱根も富士山周辺も、ゆっくり朝出れば昼にはつく。帰りも大和トンネルの渋滞関係ないし。
一戸建てもそこそこ余裕ある建て方できるから、春秋はバーベキュー、夏はプールをどこのうちでもやってる。別にやらなくてもいいけど。
冬は・・・あまり外にはでないけど、雪が降らないのがいい。本当に降らない。「冬型の天気です」とか、「日本海側では大雪です」なんて日はだいたい快晴。そんな日は富士山がよく見える。昼間は暖かいのと、車社会だから、ダウンコートいらない。なんならニットで買い物くらいなら行ける。
あと、都会が恋しくなったら、東京、横浜もそんなに遠くない。新幹線で通勤する人もいるから。終電まで飲むってなると早めだけどね。
子育てに関しては、都会での保育園争奪戦はなんだったかと思う。名古屋でしばらく住んでいたときは保育園は入れなかった。でも、この辺なら、一番近くにスムーズに入れた。三人目が産まれるときには保育園の先生から「いつからいれるの?」って産まれる前から聞いてもらえた。近所の公園もすいてるから、こどもとキャッチボールをしたり、サッカーしたりはいつでもできる。日曜日でもの昼前だと誰もいない。朝は老人がいる。大きな子のボールが、幼児に当たって・・・みたいなことは起きないくらいの密度。
田舎のしがらみっていうけど、町内のゴミの掃除とかその程度。自分たちみたいに新しく引っ越してきた人もいるし、昔からの農家の人もいる場所だけど。
子供と山登り、キャンプ、海水浴、釣り、なんでもすぐできる。大人だけなら、ゴルフやテニス、バイクのツーリングもいいし、マリンスポーツも近い。
家の物置きやガレージに趣味のものをたくさんおいてる人は結構いる。インドアの趣味も、ホームシアターや楽器も音をそんなに気にしなくてもいいし、趣味の部屋も作りやすい。本もたくさん置ける。
彼女ほしい、結婚したいと思うことは多々ある。町中でカップルを見ると羨ましくなるし、可愛い娘をみると付き合いたいなって思う。でも、実際に付き合ったらどうなるのって考えると、やっぱ彼女要らんなってなる。そこまでメリットを感じられない。ずっと安上がりで済ませてきたファッションや髪型にも金かけることになる。デートいっても、色々気を遣って楽しくなさそう。だったら一人で趣味に時間使ったり、男友達と遊びに行った方がいいと思う。lineの返信とかも面倒くさそう。アクセサリー買ってあげたり、おしゃれな店探して食事おごったりとかも絶対ヤダ。金づるにされるとかマジ勘弁。とにかく金と時間が消費されるし、気を遣ったりするの疲れる。俺には女心が一切分からない。表で「可愛い!」を連呼しながら、裏でネチネチ陰口を言ったり、「優しい人が好き」とか言いながらDQNやクズ男に抱かれたりする女は死ぬほど嫌い。そもそも内向的なインドア人間だから彼女とかできたら病みそう。やがて家庭を築いて子ども作るとかなったら、もう自由はない。性欲もあるが、しこっとけば済む話だ。そもそもヤりたいなら風俗に行けばいいのでは?フィクションにあるような相思相愛とか憧れるけど、現実の恋愛ってそんなに美しい物じゃなさそう。もし付き合うなら性格がいいのは絶対条件だ。それに顔が良くないと異性として認識できないから、友達にはなれても男女の仲にはなれない。
結局のところ、彼女にするなら美人で性格良くて、俺のこと本気で愛してくれて、子ども作りたいとか言わなくて、「あれ買って、これ買って」も言わなくて、女特有の陰湿さもなくて、ヤらせてくれて、そこまで気を遣わなくてもいい男友達のような感覚で付き合える人じゃないとメリットがなさそう。無論そんな聖女はいないので、結局生涯ぼっちでいいやってなる。
自分は元々インドア派だから自粛自体はそこまで苦ではないんだけど、
子どもをどこにも連れて行ってあげられない、親にも会わせてあげられないのは残念に思う
出社はしないといけなくて(リモート出来ない職)遊びは自粛って意味あるのかな
普段通りに遊び歩いている同僚がいたり、県外から新幹線使って打ち合わせに来るような業者もいるし、
自分も増田と近い世代で、だんだん自粛がキツイなってなってきた人間。
都内で一人暮らし、業種的にも昨年2月からずっとリモート主体で働いていて、年末くらいにメンクリ通うようになった。弱い人間なので。
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ゲームだったり絵をかいたり動画見たりとインドアオタクな趣味も多いし、余裕やろ^^むしろ嬉しい^^と思ってた。半年くらいは。
それでも、ライブに行けないだとか、おいしいもの食べに出歩くとか美術館行くのをやめたりとか小さなストレスはためてた。
最初の4、5か月くらい、秋口にはちょっと収まるかなと楽観視しながらも、
家族友人には一切会わず、たまに必要に駆られて出社するのと生活必需品の買い出し以外での外出を大真面目にやめていた。
ちょっと辛いな…となってきたのが8月頃、感染者数的にはやや落ち着きも見えてた頃だったろうか。
給付金ガー!みたいなあれで各業界もそれぞれの立場でつらさを訴えていた。
結局のところ、どこもかしこも痛み分けで共倒れしかなくない?と思い始めた。
閉店する近所の定食屋を目の当たりにして、一人では喫茶店くらいは行くようになった。
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感染の拡大を防いで医療の危機を回避するという大義は頭では理解するものの、
そのために衣食住や生命にかかわること以外をほぼ制限して、命を守る、に 正直100%で価値を見出せるかと言ったらノーなんだわ。
それをやっていいと思えることがあるとすれば、その制限がちゃんと意味があって終わるのならという条件付き。
ズルズルいってる現状、もう歯止め効かなくなっちゃってるでしょ。
個人によって守りたい命はあると思うし、自分だって大事に思う人はいる。
でも、それを「守るため」と言って一切会えない生活を続けるの、あんま意味なくない?
いつまで続けるの?コロナ以外でも人は死ぬよ?コロナのリスクもわかるよ?どうしてこれを耐えれば報われるんだって信じられるの?
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そうはいっても自粛を結局やや優先しているんだけど、正直その理由は感染のリスクよりも他人との分断をさけるのが大きい。
出かけてもいいと思うよ、と言ってた知人が感染者に対して遊んでるから…と手のひら返してるの見て怖くなっちゃったもん。
医療関係の仕事の知人もいるけど、ラインで連絡取ろうとも思えない。なんとなくの申し訳なさで。
このメンタリティで生きてると、そりゃあ病むんですわ。楽しくねえもん。
非難されない状況でなら、いっそ感染してもあんま苦しみとしては変わらんて。
(こういうと、じゃあ後遺症で苦しめ^^って言われるんでしょ、知ってる)
この災禍で経済がつぶれるならそれまでだ、命があることだけが一番大事、なんて思えねえよ。
その命で何をするか、だろ。やりたいことが奪われて戻ってくるとも限らないなら、命や健康が戻ってこないのとさして変わらんよ。
生きててほしいと願う相手だって、ただ存在していてほしいだけじゃなくて楽しく生きていてほしいよ。
非難しあうのは、楽しくない。つらい。
エゴ爆発させて遊んじゃいたい。遊んでる人自体を非難はできない。
マスクして手指消毒こまめにして…自分で気を付けられることはいくらでもやるけど
他人にどうこうっていうのは無理だよなってことだけはわかる。
対策は理論と根拠に基づいて行うべきだとは思うが、人間はしょせん感情の生き物なのだ。
不条理があったとき、その感情の向け先がどこに行くかは一つの分かれ道だし、
そんなややこしい生き物が多数集まったこの社会をどう舵取りしていくのか、それが政治だったりするんじゃないかね。
難しいね、とりあえずつらい。
https://anond.hatelabo.jp/20210111000145
30代です。これへの反応を読んでびっくりした。
本当に自粛している人・自粛することで悩んでいる人っているんだな…。
自分はインドア派だし文化系。飲み会したい!とかでも全くなくて、酒の場は苦手。
でも老人や自分のことを「普通」と思っている人ばかりの排他的な今の社会が嫌い。親とも縁切っちゃった。だから他人のために自粛してやる義理はないと思ってる。
年収は1本ぐらいある。風俗とか水商売ではなくて、Web系の仕事に従事。けど税金は最低限しか払ってない(消費税ぐらい)。社会に対してフリーライドしている自覚はある。
でも税金ちょろまかしていることは公言してなくて、普段はすごい小市民感出してる。
最近は医療従事者の友達に、「ありがとう、本当に大変な時期だけど頑張ってね(何ならお互い頑張ろうねとか言っちゃった、売上上げる以外に自粛一切頑張ってねぇわ)」とか言ってギフトとか送ってあげたりしてすごい喜ばれた。
でも自分はそういう、手の届いて実感のある程度しか優しくしてあげたくないんだよなぁ。
もっと大きな社会と関わったこともあるけれど、「30代自営業独身」みたいな属性って、何ならコロナ前は独身税の議論がされていたぐらい社会の味噌っかすだからなぁ。今更、頼られてもって感じだよな。
今の世の中を見ていて、自粛云々で悩むのが一番ストレスフルで、自分が満足するように振る舞うのが一番ストレスないと実感しているよ。
今時期に「自粛することでベッドを圧迫しなくて済んで自分が万が一の時に死なない可能性が上がる」って寝言言ってる人、もう東京ではそういうフェーズ過ぎてるから。。。
今なんて都心住まいで車持っているので、どこに行っても空いていて最高だよ。もちろん横浜・熱海ぐらいなら越境するよ。越境して食べるハングリータイガーうめえうめえw
水族館、映画館、お笑いライブ、音楽系ライブ、深夜のクラブイベント、普段なら予約の取れない飲食店、そういう店のテイクアウトなどなど…開けざるを得ない店はみんなマジで感謝してくれるし歓迎してくれるよ!
行ったお笑いライブなんか、公演終わりのカーテンコールで主催者が「この時期来てくれて本当にありがとうございます」って言って泣いて感謝してくれた。
だって国が補助出してくれない限りは、みんな売り上げるしかないもんね。
でも自分、すっごい風見鶏なので、「社会のルールなんて違法にならない程度で破ったもの勝ちだ」という世の中から「社会のルール守ったらトクだな」と思ったらすぐにそうすると思う。そして色々出掛けていることはSNSには絶対に書かないなあ。でもみんな若い人遊びまくってるよね〜実際。
先週も下北沢でこれから飲み会って感じの若者たちがウコンの力買ってて、元気だなぁwって思ってた。いま東京ってそんな感じだよ。先日はバスにノーマスクじじいがいてさすがにすごいビビったけど。
この10年ほど、「社会のルールなんて違法にならない程度で破ったもの勝ちだ」って国のリーダーが率先して示してくれているのに、なんでみんな見習わないのか分からない。。。
依然ルール破った人勝ちの世界が続いてるけど、あなたまだああいう政治家の実績作りのために、知らん老人のために、知らん人のために自粛するの?
でもコロナに罹ったら医療従事者の友達のツテを頼って大病院に入ってバッチリ処置は受けると思う。
今はもう、都民を巻き込んだロシアンルーレット状態だから、自粛していても、1回のコンビニ・スーパー来訪で感染する人もいれば、そうでない人もいるしね。
だからもう、みんな1回は罹る前提で考えたほうがいいんじゃないかな?自分はそうしてる。
気をつけて自粛して、1回スーパー行って感染するよりは、好きな所に好きな時間に行って好きなことして罹ったほうが後悔ないでしょ。
あと、新宿伊●丹って毎日コロナ罹ってる人出てるけど、あんまり公表していないように、大きい箱モノ系施設の人は、もう罹っても言えないフェーズに来てるから。うちの恋人も、そういう系のところで働いてて去年の春に39度の熱が出たけど「自分がコロナだったら自分のせいで全館閉鎖って責任取らされるから病院には行かない」って言って報告もせず病院にも行かずに家で苦しんでた。まぁ正解だと思う。
かく言う自分も去年の初めにずっと熱が出て、咳が2ヶ月ぐらい止まらずにいたけど病院には罹ってない。ふたりとも自力で治したよね。っていう感じで、罹ってる人は多分いま発表されている人の3倍ぐらいはいるんじゃないかな?
自分の周りでコロナ陽性まで出た人何人かいるけど、みんな会食とか飲み会とかクラブでDJしてるんだよね。
だから食事だけ気をつけてりゃいけるんじゃないのかな?って思ってる。外出を控えるとかは無駄に思えるね。
コロナが始まってからそろそろ一年ぐらい。そろそろ自粛したくなくなってきた。
頭では自粛しないとと分かってるけど、感情的に、もう嫌になってる。
本当は、尾身会長とか菅首相に聞かなきゃいけないんだよね。日本医師会とか岩田教授とかでも良いのかもしれないけど、知り合いにそんな人いない。
けど、なぜかここには医者がいて、如何に医療現場が大変か語っているから、ここで聞けば少しは可能性があるかなと思って書いてみる。
気軽に人とご飯に行かないようになった。赤ちゃんがいる人は誘わないし、よく行く人とも回数はかなり減った。
忘年会や新年会もないし、歓迎会や退職パーティみたいなのも無し。
普段会ってない人と会わないべきだと思うから、学生時代の友人とは会わない。懐かしい人と会っても、軽くお茶して終わり。
「30歳記念で何をすべきか」みたいな話で盛り上がった時に、先輩に言われた「10万越えの風俗行った」って話が気に入ってたから、俺も30記念に超高級店いってみたいなと思ってたけど、誕生日過ぎてもまだ行ってない。
こういうのって、一つ一つは我慢できるし、無ければ無いで「まぁ、しゃーない」って簡単に諦められる程度の小さな楽しみだよね。
だけど、それを一年ずっと我慢しててると、「あれ、最後に楽しかったのっていつだっけ」ってなる
で、「結局、何のために自粛してるんだっけ」って最近思うようになった。
老人が自粛するのはわかるんだよ。症状重いからさ。でも、俺は罹っても問題ないんだよ。どうせ無症状でしょ。まぁ、運が悪ければ人工呼吸になるのかもしれないけど、それは相当運が悪かったって諦められる。
菅首相も「若い人は軽いけど、大切な人のために罹らないようにして」って言ってたし、他の医者も同じような感じだよね。
俺は大切な人と会わないんだから、問題ないよね。大切な人がいるような人とは飲まないし。
でもさ、菅首相も自制しろっていうし、今日なんて岩田教授が「成人式行くな」って言ってるよね。
で、その誰かはどうやって俺に返してくれるの?
もしかしたら、「病院が大変になったら、お前も医者にいけないんだぞ」っていう人がいるかもしれないけど、ここ10年でまともに病院行ったのなんて健康診断か歯医者ぐらいだから。
若い、俺みたいに罹っても問題ない人間が、自分を犠牲にして誰かを助けてる。
その犠牲に対する見返りが無いよね。そろそろもう自制心だけで我慢するのが嫌になった。
それなのにさ、最近よく聞く「なぜ民間病院は協力的でないのか」みたいなやつの理由が、赤字になるからとか、重症になった時のリスクが怖いからっていうよね。
この人もそう。https://anond.hatelabo.jp/20210109182629
でもさ、俺は個人的な利益よりも公共の利益を優先してるんだよね。
医師会の会長とかも「他人のために」みたいなこと言ってたよね。
なのに、自分たちは個人的な利益を追っちゃうんだ?俺が我慢してるのバカみたいじゃない?
もしかして、「俺たちは利益がないと動かない理性的な人間だけど、大多数は感情論で動くバカ」みたいに思われてる?
しかも、俺みたいな人に感謝してる人って見たことないんだよね。
「自分を犠牲にした協力に感謝します」みたいなこと誰か言ってる?「自分勝手な若者が」って言葉ばっかりじゃない?
今日も「成人式に行くやつは自分で状況判断できないガキ。大人なんだから自制しろ」って岩田教授がブログに書いてたけど、こんなのしかなくない?
今まで散々我慢してきて、更に一生の思い出を我慢しろっていう。大切な人のために。
俺だったら、徹夜で飲んで、両親に会わないでそのまま家に帰るね。
実家住みだっていうなら、親と会わないように、親が自制すればよくない?
でも、実際には「若い奴は自制できないんだからそういう場に行くな。大人になってそんなこともできないのか」みたいに後ろ指を指されてるんだよね。
それか、良い話を持ってこない?「これをしてくれれば、もっと得ですよ」って。
言うことを聞けっていう交渉はおかしいよね。大人どころか、対等な人間扱として扱ってないよね?
でも、しなきゃいけないとも思ってるからさ、誰か利益を教えてよ。
俺だってしたいんだから。でも、止めちゃえば?っていう悪魔のささやきが止まらない。
天使のささやきを、だれかしてくれよ。
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追記:
朝起きたらものすごい数の反応があった。
これ書いてる間に増えた分は読めないけど、それ以外ははてブも含めて全部読んだよ。
みんなの考えを教えてくれてありがとう。俺を止めたいって色々な理由を教えてくれてうれしいよ。
俺の考えを言う前にまずはそこに感謝したい。
で、
色々な反応を見て感じたのは「やっぱ利益無いんだな」っていう感想だった。
まず、「お前が思うより後遺症が大変だよ」っていう人多いけど、菅首相とか医者の偉い人が「若者には被害が少ないです」って言ってるのに、なんで「被害が多いよ」って諭してくるのかわからないわ。
どこ情報?っていうか偉い人はそれ込みで被害が少ないっていってるんじゃないのかな。
俺は偉い人のいうことのほうが信頼できると思うよ。
だから、上で書いたように、俺はコロナを凄くやばいと思ってない。
そりゃ、リスクはあるけど、交通事故が怖いから車運転しないとか、落ちたらやばいから飛行機に乗らない、とか考える性格じゃないから。
それは利益じゃないんだ。
あと、「利益でしか動けないなんて、倫理観が欠如している」みたいな言われ方には、悲しくなったよ。
しかも、そういうなら、まず民間病院に言ってくれよ。「医者は損してでも市民を助けろよ。お前らが規制産業として市場の圧力を受けないで利益を得られているのは公共のためなんだぞ」って。
医者が個人的な利益をとるのに、俺は個人的な利益をとろうと考えることすら許されないのかよ。
そりゃ、おかしいよ。
色々見てたら、選挙権以外に政治とか高齢者と交渉する力ができたんだなって思った。
「若者を優先した施策をとってくれたら、行動減らしてやるよ」って言ったら日本動かせそうだよね。
それはうれしいなぁ。そのために積極的に動くっていう動機付けは悪くないな。
あと、「お前もう30だぞ」っていう言葉は意図とは逆に刺さったわ。
俺、30超えたんだな。一昨年は、30やばいなって話してたけど、マジで30越えのやばさの自覚無く超えてた。
もちろん、「30超えても変わらねーよ」っていう話は聞いてたけど、そんなレベルじゃない。びっくりしたわ。
このまま自粛が5年続いて35超えてたら、やばいなって思った。
そうならないためには、今、行動しないとダメなんだよな。
今やりたいことをやろうと思う。年取ってから後悔したくないから。
ただ、紹介されたカミュのペストって本は面白そうだから、それ読んでから外出るわ。
なんか、自分の期待とは逆に動いたし、多くの人の期待とも逆に動いちゃったから申し訳ないな。
でも、決めたわ。
裏切っちゃったけど、色々教えてくれてありがとうね。この感謝は本物だから、礼は言わせてくれ。
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追記2:
正直に話そう。
リモートで働くようになり、急激に楽になった。
自粛が嫌になる順番で言えばレイトマジョリティやラガードに分類される性格だろう。
初期から「なぜこんなことをしなければならないのか」と考えていた。
そして、「なぜ医療のために」とか「政治家の食事が例外なのであれば、私の欲望も例外扱いしてよいのでは」と考えるようになった。
そうして、息抜きをしてきたつもりでも、本当にきつくなったので、このような記事を書いた。
文から見える性格や自己に関する記述は偽りであるが、思考する内容は真実である。
twitterを見ると、この記事への7割以上は好意的な反応であったように思う。
当然、批判もあった。
この記事を批判的に見たのならば、twitterで「医療に協力したら何が返ってくるの」と検索してほしい。
そして、恐らく、3連休に外出した多くの人々は、私よりも早く、自分で考えて「自粛をしない」と決断した人々だ。
そんな彼らをただ批判するのは止めてほしい。
この記事では、被害の少ない若者に損が偏っているという話を書いた。
もちろん、誰もが損している。
しかし、メリットも感じず「なぜ自粛を」と考えている人がいる。
対して、誰かを救うために「他の人にも自粛してほしい」と考えている人もいる。
そんな両者が交渉するならば、メリットのない人間に対してメリットを提示する必要がある。
だが、無かった。
自分が何を差し出すでもなく、まるで自分が絶対であるかのように振る舞い、罵倒した。
「自分のことしか考えない愚か者だ」、「まともな大人の思考ではない」と言う者すらいた。
資本主義をはじめ、自分の欲を中心に思考する態度は極めて普及している。
誰かに協力してほしいのであれば、相手に得をさせるべきではないのか。
せめて、相手と自分のデメリットの不均衡を解消する努力をすべきではないだろうか。
せめて、感謝を示してはどうか。
それが相手に届いている実感はないだろうし、実際に1円の価値も相手に届かないだろう。
だが、「回りまわって利益になる」と説得するならば、ためらう理由にはならない。
そのような行動すらなく、自身の正義を相手に押し付けることは圧政である。
味方の多い思想であれば強硬な方法でも成果を上げられるが、支持者が減れば効力を失う。
他の方法を考えることを切に願う。
SFでよくある、なんか隕石が増えたとか、疫病とかで、地表で暮らせなくなったので地下暮らしになった。みたいなの多いけど。
それって昨今のリアルご時世を見ると長続きしないような気がするんだけど、どうやって持続可能性を担保してるんだろうなあ。って。
いや、絶対に地表に出て死ぬバカがコンスタントに発生することになるだろうなーって。
残念ながらそういうのは淘汰されて、性質が偏った形で存続していくのだろうか。
リアルご時世に照らし合わせると「陽キャは滅び、インドア陰キャだけが生き残り、人類はコロナ歴200年を迎えた・・・」みたいな?
いうて日本も当時の人口ピラミッド見ればわかるけど、若いのは全部戦争に駆り出されて死んだので、若い男がゴッソリ凹んだからなあ。
そんな感じの淘汰が発生することになるよな、何年も長期化すると。「ニューノーマル」に適応できないものは社会的死になるわけじゃん、コロナ特措法も罰則付きで改正するそうだしさ。
コロナで騒がれた2020年が終わって2021年になった。オタクの私は、現地参戦が少なくなったくらいで元々インドアだったので大騒ぎはしなかった。
2021年は既にいくつかのイベントがあり、今年はもっと楽しい年になればいいなと思っていた。そうお気楽に支部のえっちな小説を読んでゴロゴロしていた。とても楽しかった。
忘れもしない2021年1月1日13時丁度。Twitterの通知がなった。推しからのツイート通知だった。「あけおめの挨拶かな?」と思ったが、iPhone12proを使っている推しなはずが、メモの背景が本体のメモ機能のクリーム色ではなく真っ白であることに違和感を覚えた。
ただ事ではないぞとすぐにわかった。
そこには「結婚させて頂きましたことをご報告させて頂きます」と書かれてあった。
手が震えた、頭が真っ白になった、何とも言えない不快な気持ちが湧き上がってきた。とりあえず自室に籠り、ツイートをしまくった。「え」、「ちょっとまって」、「なに」。第一声に「おめでとう」の文字は出てこなくて、その事に気づいたのはしばらく経ってからだった。急いで「ああ祝わなきゃめでたいことなんだから」と思って「おめでとうございます」とツイートした。心からはそう思っていなくて、形式的にそう口にした。
その後、友達に思いの丈をぶつけようと電話をかけたが時間が悪かったのか誰も出なかった。自室で枕に呻いていた。ごめんね素直におめでとうと言えなくてごめんね、私は推しの幸せを祝えなかった。
私はずっとTwitterとたぬき掲示板を往復していた。それが自傷行為になるとは分かっていたが、この辛さは私だけではないと証明して欲しかった。その願いの通り、ファン層がファン層だからか結婚発表を受け止めきれないフォロワーは多く、ТLで傷の舐め合いをしていた。たぬき掲示板は結婚報告の揚げ足取りをしていた。既婚を隠している声優に失礼な書き方だとか繋がりと結婚したような書き方だとか言っていた。
アンチよりも「おめでとう!」と言っているファンの方が共感出来なかった。
私は彼のファンを2年やってきた。決して長くはない方だが、何も冠番組が無い時代から推しているからそこそこ見てきてはいる。推しは普段のツイートからあまりプライベートを語らないから、ラジオの些細な情報やプロ意識が芽生える何年も前の過去ツイートを見たりして、彼を知っていった。いや、知った「気になっていた」のかもしれない。
辛かった大学受験の時は彼と彼の出演している作品に救われた。大学に進学してからは移動や資金の融通がきくようになりイベントにも参加した。いくつもに増えたレギュラー番組ではお便りも読まれたこともあったし、ファンレターも送った。熱狂的ファンには劣るかもしれないが、私なりに最大級の愛を持っていた。
彼の努力は当然だから努力している姿をあえて見せない姿も、嫌なこともファンに率直に言ってしまうのも、浪人した過去も、声優としても人間としても好きだった。いや今でも好きなのだが。
勿論、調べていくうちに社交的な性格から彼女がいない方がおかしいと思ったし、彼女いるかも?という節はあった。しかし、その根拠はあまりにもフワフワしていて楽観視していた。
それは現実だったのだ。私が彼に救済を求めている間にも彼には愛する人がいて、私が聞いていたエピソードの一つや二つは奥さんのエピソードであって、わたしがガールズバーで好きでもないおじさんに愛想笑いして稼いだ金はこの夫妻に渡っていた。雑誌の理想の家族像や好きな下着は黒のTバックという話は、「理想」ではなく「現実」であった。震えた。私の唯一無二の人は彼の大勢の米粒だったことをまざまざと示された。親友も恋人も自由に望めないこの世界で、あと幾つ大切な人を失えば私は報われるのだろうかと思った。
夜になっても考え続けて初夢には彼が出てきた。内容は、私は彼の名前をどうしても思い出せないがどうしても好きなことはわかっていた、しかし友達が「この人気になる」と言って見送ったというものだ。昨日のことを描いている様で悲しかった。
私は結婚自体形容しがたい感じで胸が締め付けられたが、何よりも「おめでとう」と祝えなかったのが悔しくて悲しかった。人間として最悪だと思った。世間がおめでとうムードに包まれている中、当のファン達が祝えなくて、推しの幸せを願えなくて自己嫌悪でいっぱいになった。
結婚報告の夜のソロラジオで本人の口から結婚について語られたが、(私は都合により聞けていないので検索から話させて貰うが)「すみません」という謝罪の言葉があったようだ。私達ファンは推しに「結婚報告してすみません」と言わせてしまったらしいのだ。こんなことさせたくなかったけど結婚報告について受け止めきれないのは事実で、でも推しは何も悪くないのに申し訳なく思っていた。ファンのエゴのせいで推しに謝罪の言葉を口にさせてしまった。ごめんね、ごめんね、ごめんね。
(脱線するように見えるが)私の他の推し(女性アイドル)はソロ曲で「みんなが期待するような人に絶対になれなくてごめんなさい」と歌い、ラストライブでは腰が痛くて痛くて「嫌だ無理だ行けない」と言いながらスタッフに押されてアンコールのステージに立っていた。
共通して言えることは、私達は推しを応援して推しの姿が見たくて理想像を押し付けて、結果的に(少なくともファン視点からして)推しにさせたくない事をさせていた。どれだけ推しを苦しめたら気が済むのだろうか、推しには笑顔でいて欲しいのに。
1日経っても何かに集中していないと「あぁ推し、結婚したんだな」と虚無になってしまう。何故か37.4°Cまで体温は上がった。少しかは冷静になったが多分ラジオやらライブやら媒体に触れると一気にぶり返すので、当分は慎重に動かなければならない。
でも、推しの事は大好きだし降りることは無い。こんなに言っておきながら、結婚報告を正直するような人間性に惚れているのだから。
「お母さん食堂」のからみで「おかあさんといっしょ」が上げられていたので、ちょうど今自分の子供が小さくて一緒に見ることも多く、ジェンダー問題とか家問題の観点で気づいたところを書いてみる。
レギュラーの登場人物は「うたのおにいさん」「うたのおねえさん」「たいそうのおにいさん」「たいそうのおねえさん」(以上五十音順)と4人いて、このうち「たいそうのおねえさん」は2019年度から新設されたキャラクターで、「たいそうのおにいさん」と対等に(立ち位置も横並びで)体操コーナーなどを担当する。(それ以前の体操のお姉さんに相当するキャラクターは「身体表現のおねえさん」と呼称することになったらしい。参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%AD%E3%81%88%E3%81%95%E3%82%93)この「昇格」はいわゆるSDGsを意識したものと思われる。要するに今出演している「たいそうのおねえさん」は「初代たいそうのおねえさん」なわけだが、現「たいそうのおにいさん」と共にかなり身体能力も高く、とても素敵です。
たいそうのおにいさんとたいそうのおねえさんがそれぞれ子供とペアになって体を使った遊びをするコーナーがあるのだが、視聴者の大人側のことを「おうちの人」と表現する。(例えば「おうちの人とやってみてね〜」みたいな言い方。)これはジェンダーというより親がいない子や視聴時に親と一緒にいない子を意識した表現かな?(おうちが無い子供はどうするんだ!という批判は可能かもしれないが。)
番組中の着ぐるみ人形劇コーナー。女の子キャラのチョロミー、男の子キャラのムームー、ロボットのガラピコという3人のキャラがメインキャスト。チョロミーは活発で気も強くアウトドア派(昔風にいうと「おてんば娘」)でムームーはちょっと内気なインドア派とキャラ付けされている。
個人的に「おかあさんといっしょ」という番組名の変更はありだと思います。変えるとなると大人(懐古厨)はギャーギャーうるさいかもしれないが、小さな子供は番組名の変更なんて気にしないと思うしね。