はてなキーワード: 退職とは
・たぶん金はある
・頭が寂しくなってきている
・身長は高くない
・割と太ってる
・顔は良くはない
・地味
・多少変人
自分含めとある趣味で知り合った仲なんだけど、AがBを年末食事に誘ったらしい。
そこでAがBにしつこく性的な質問をした挙句、なんだかんだ理由をつけて黙って目を見つめたり、「寂しいんだよね」とか言ったりして最終的に「家に泊まって行かない?」とまで聞いてきたらしい。Bが「どうして私が家に泊まるって思うんだろう?ワンチャンあるように見えるのかな…」って聞いてきたんだけど、自分にもよく分からなかった。Bは黙ってたら綺麗だし惹かれる人がいるのは分かるけど、口開いたら生意気な陰キャ学生って感じで1時間も話したら異性としては見れなくなるタイプだし
「性欲とかあるの?」
→「全くないです」
「寂しい」
みたいな返答だったらしいし
自分も年取ったら自分がしょぼくれたオッサンだという事実を忘れて若い子とワンチャンあると思ってしまうようになるのだろうか?若い女ってそもそも男に困ってないのに、オッサン相手にするわけないだろ…って正直自分でも思う。オッサンになりたくないなぁ
社内政治に巻き込まれて、わたしだけ退職させられた二十代を経て、すこし丈夫になった30代女です。
そもそも、誰とも性的にも恋愛的にも関係を結んでいないんだけど、なんかそうなってわたしが死ぬ。
ただ、今回は長年の努力の甲斐あってか少し助かった。おそらく信頼されていた。
仕事は30代のくせに補佐の補佐みたいなしごと。なのに仲間だと認めてくれていたのか、いろんな人が助けてくれて、私、いま平日に大好物のナスの天ぷら食べてる。
私はどうも人の心がわからないみたい。あんまりうまくいかないね。考えているんだけど、うまくいかない。
いろいろ考えた。結論として、私女として要求されてる部分をなんだか知らないうちに獲得してたのかも。だから下駄を履かせてもらって、だからあっさり切られた。
胸は小さいけど、胸が小さいことを指摘されても笑ってた。よくなかったね。
もしかすると他の企業だと優遇してくれるのかも。でもつかれた。
最後の晩に殴られた。暴れるなと。
英語を全く使わないメーカーのルート営業に就職。理由は金が良かったから。年500はあった。でも英語で採用された。
研修期間に遊びまくり試験成績が悪かったからか地方の田舎の営業所に配属。
毎日上司or客先の営業を兼ねた酒の付き合いで体調と精神を崩し、1年で退職。実家に帰る。
英語を使う仕事なら出来ると開き直り上京して未経験可のIT中小へ就職。客先出向でヘルプデスク。年収200万ダウン。
上京したテンションで前職で覚えた風俗とギャンブルにハマり借金を抱える。
このままではいけないと2年後に未経験可の社内SEに転職。完全にポテンシャルのみの奇跡の採用。年収が100上がる。
部長からやる気を買われ社会人大学院生として推薦される。学歴に自信が無かったのでロンダして転職出来るかなって二つ返事でOKする。
1ヵ月で生徒達のレベルの高さに入学を後悔。ゼミ、授業についていけず鬱になる。授業もディスカッション形式のものは的外れの事ばっかり言ってた。でもみんな優しいし気遣ってくれる、そんな出来た人間と自分を比べて鬱になる。
なんとか1年を耐えて二年次へ。
諸事情でゼミが変わる、と同時に実験再現性の無さから研究テーマの変更を勧められる。
新規テーマで書き始めるも仕事が忙しくなり研究をさぼり始める。
年末にまとめる予定だったが怠けて失敗。修論締切カウントダウンが始まるも全然書けない。教授からのコメントに震えて返信ファイルが開けない。有休を使い果たし論文を進めるも教授から意味不明とのコメント。とりあえずyoutube見て気持ちを落ち着かせて3連休終了。
バックれたいけどセットで会社もバックれるハメになり、借金だけが残って人生詰む未来が見える午前2時。
こんなの書いてるくらいなら論文進めろよ。
徹底して自己管理が出来ない人間が勢いだけで生きたら失敗した。
間違いなく将来を見据えて毎日勉強して技術力をつけてより良いところへステップアップすべきだし今時1つの会社にいるのはリスクだ的な事はわかるし俺もそうありたいけど。それって継続して努力出来る出来た人間だけであって、俺みたいな無能は目指しちゃいけなかった。
もしもうちょっと頑張れて卒業出来たなら程々の努力でちょっとずつそこそこの給料もらえるプレッシャーも少ない今の職場に感謝して定時退社して遊ぶことにする。
というかもし卒業しちゃったらなんちゃってMaster of Engineeringになってもっと調子乗っちゃうんじゃないの。
俺は研究して新たな成果を見出すことに何の興味も無かったんだな多分。
勉強するのは嫌いじゃないけど。
TOEICのせいみたいな書き方して風評被害すみませんでした。
自分の能力以上の評価をされて鼻の下伸ばして背伸びして生きてたら人生狂ったが正しいです。
900無ければ学歴通りのそれなりのところでそれなりの仕事して今のような苦労は無かったのかなと、でもそしたら違う苦労があるんですよねたぶん。
Procrastinationの動画を教えて頂いた方ありがとうございます。締切直前になってやり始める事を繰り返してたら、最近パニックモンスターが出てくるのが遅くなった気がします。
・1万円も引き落とされた!高すぎる!
1分20円に変更する980円のオプション入れば通話料が半額になりますよ。と案内して
月額の金額を書いて説明しても980円もオプション代が掛かるなら入らない!と断られる。で、また高い!と怒って来店。
・家族4人で使ってる超優良顧客だぞ!ポイントが溜まっていない!詐欺だ!最新機種が0円にならないのはおかしい!ドコモに行くぞ!
最低料金で4人で月5000しか使ってないからポイントはたまりようがない。
怒鳴り散らしておいて翌週来店。ドコモは高すぎて変更できなかった模様。
土地柄もあるけど、来店者の6割がこんなの。
https://anond.hatelabo.jp/20200111024952
これを書いた。
色々疲れているので、めちゃくちゃに書いてスッキリしたかった。はっきり結末を書いていない部分も多く、文章の構成も考えないで書いたから支離滅裂だと言われると頷くしかない。
アドバイスくれた人もいたので、それに対して少し答えようと思う。
あと、成年後見人については、今回のことで少々知見を得たので、それを記すことにする。
一つ言い訳をするなら、自分の下の世代に「自分が若い頃は…」って話はした事がないし、同じ道を歩んで欲しいとも思わない。
最近の若者は優秀で素直な者が多い。そのせいか、一部のクズが目立ち過ぎているという面はある。
クズはどの世代にも一定数いるので、突出して多いわけではないが、メンタル面の弱さはやや感じる。
彼らには面倒だなと思うことはあっても、怒りを感じることは少ない。
たまに、自分は正しく、正義はいつでも勝てると純粋に信じている雰囲気を感じる事があり、その点をうらやましく思う事はある。若い頃に困難が多い社会情勢(就職氷河期)だったので、社会が言うところの正義を素直に信じられない。
誰か書いてたけど、下の世代よりも、むしろ上の世代の方に怒りを感じることはある(勿論、全員ではない)。
部下に当たっていると思った人もいたようだが、むしろ、一部の若手や上司が不機嫌を周囲に撒き散らす事も多いので、それに精神をやられそうになったり、ライフスタイルの変化による困りごと、他部署にいて仕事の進め方に悩んでいる社員から相談や愚痴を聞かされる事がある。
自分のプライベートに問題があったり、上から面倒を押し付けられたりしても、周囲に当り散らしたりしない。
生産性がないと言うこともあるけど、そもそも相手に興味がないし、怒るほど元気もない。
そんな感じなので、社内では常に精神状態が一定だと見られているらしいけど、本当の中身はぐっちゃぐちゃなんだよね。
本来、相談を持ちかけられるような性格ではないし、知りたくもない裏事情を知ることになるので、他人の裏事情を知りたいハイエナが、事あるごとに探りを入れてくるので非常に迷惑している。
長くなったが本題に入る。
実家のローンを払いきれず、数年前に手放したのだが、売却後に残債が残り、債権回収会社に債権が渡った。
この債権回収会社は「サービサー」と呼ばれ、国の認可を受けた民間企業だ。
ある時、父親のアパートに出向いたところ、山のような郵送物の中から督促状を発見した。
わずかな金額を返済していたことは知っていたが、詳細までは知らなかった。
父親は病状が悪化して、意思疎通ができない時期でもあり、状況確認のためにサービサーに連絡を入れた。
が、個人情報保護の観点から、娘であったとしても情報の開示はできないと言う。
ただ、支払いが滞っても、娘の私に支払いは求めないので心配するなと告げる。
保証人になっていないので、そこは当たり前だと思うのだが、問題は「口座の差し押さえ」である。
担当してくれたソーシャルワーカーのおかげで、病院費用の負担は免除されていたのだが、今後の生活は施設のお世話になるのは確実だった。
それらは年金収入で賄うため、差し押さえされると非常にまずい。
連絡が来た以上、必要最低限のことはするが、金銭援助をするつもりはない。
サービサーの担当者も、事情を知って気の毒に思ってくれたようだが、個人情報保護を考えると「一般的な話」までがギリギリできることだった。
その時に「成年後見人になれば情報開示は可能。そうする親族もいるが、任命されるまで時間もかかり現実的ではない」と止められた。
金を払えと督促を出すのに、情報開示にための成年後見人は現実的ではないと止める。
結局、サービサーからはそれ以上の話はできず、定期的に連絡を入れると言うことで電話を切った。
放っておけばいいと言われればその通りだが、降りかかりそうな火の粉を放っておけば、気付いた時には大炎上している可能性がある。
火が小さなうちに処理しなければならない。
忌々しいが、自分のことを考えると仕方ない。
個人情報保護が壁になっているなら、弁護士に相談するしかないが、あいにく弁護士の知り合いはいない。
ここは弁護士会が行なっているサービスで、初回は電話相談になる。電話相談は無料。
ここで話したのは下記。
電話相談に応じてくれた弁護士が言うには「費用は発生しないと思うので、成年後見人になっても良いのでは」と言う事だった。
この弁護士の話をそのまま信じるなら、成年後見人の制度を利用するのが一番良いような気がする。
迷った挙句、弁護士を知っていそうな知り合いがいたので、恥を忍んで事情を話し、成年後見人制度に詳しい弁護士を紹介してもらえないかお願いした。
先に相談した弁護士よりも詳しく、また反対のアドバイスをされた。
法テラスから紹介された弁護士のアドバイスのことも話し、それについても意見をもらった。
成年後見人は、すべての高齢者に対して必要なものではないし、利用する事でかえって色々な制限がかかる可能性がある。
この弁護士自身、高齢の身内が認知症を患った時でも、成年後見人を立てずに財産等の処理を乗り切ったとのことだったので、こちらが思うほど、万能な制度ではないのかもしれない。
結果そうした。
アドバイス通りにサービサーに連絡すると、振込先の銀行口座、残債の内容と返済計画の書類一式を送付してきた。
金額を確認したところ、100万円ほどの残債だった。破産するにも、自分の持ち出しになるのでやりたくない。
年金収入でどうにかできそうだったので、返済を続けることにした。
父親の死後は相続放棄することで、こちらに返済義務が生じないようにする。
ただ、連絡が入った以上、最低限のことはしなければならない。
問題が大炎上してから全振りされたくないので、小さなうちに鎮火しておくのが肝要だ。
ただ、病院関係者や、今お世話になっている施設の担当者には、積極的に関わるつもりはないと話している。
とはいえ、どうしても自分が出向く必要もあるので、仕方なく行く場合はある。
親の離婚により離れていった友人は、高校の時から別の学校に通っていた。
離婚自体は私が20歳の時だったが、友人が知ったのは24歳くらいの時だ。
すでに就職はしていたものの、定期的に会っていた。ただ、話をするまでに時間がかかった。
やっぱりなーと思うのと同時に傷ついた。まだ若かったし。
相手にしてみれば、自分の身近にいない環境になった人間と付き合いたくなかったのだろう。
面倒になると思ったのかもしれない。
10万で管理職って…っていうコメントがあったが、10万だったのは、新卒入社した会社の時の話。
管理職としては、月収は低めだと思う。それでも3倍くらいにはなった。
同年代が少ないから、あんたの実力でも管理職になれたんでしょ?っていうコメントもあった。
同年代が少ないのは同意だが、年功序列じゃないので、有能だと30代入るか入らないかで昇進する者もいる。
もともと技術職で食ってた人間だし、管理職としての教育も受けてない。その志向もない。他部署の管理職を異動させる方法もあったので、管理職に上がるのは本意ではなかった。
数年抵抗を試みて、自己評価をかなり低めに書いていたこともある。
結局、管理職代理みたいな立場で、給料は非管理職のままなのに責任だけ負わされることになったので、退職するか上るしかなかった。
転職も視野に入れていたので、ゆるゆると活動はしていたけど、仕事は忙しいわ、父の件でそれどころではなくなって休止してしまっている。
地元離れてないと思われてるっぽいけど、20代の時に離れている。
共産党の支持者と思った人もいるみたいだけど、それも間違い。
彼らを否定することもないが、支持してるわけでもない。そもそも支持政党なんてない。
が、再婚相手は私を娘だと思っていて、年賀状を寄越さないと不満らしい。
私には年賀状を書く習慣はもともとない。
40代も半ばに入る。
若い頃は、就職できないのも低所得なのも自己責任だとなじられ、中年になれば親の介護によって、人生失いそうな危機が迫る。
間の悪い時期に生まれた運のなさと言えばそれまでだが、もうなんかいろいろ酷くて泣けてくる。
…実はものすごく辛い。ここ20年、ずーっとその気持ちを抱えてきた。
なのに、涙さえ出ない。
泣くこともできないので、自分の心の中で、いろいろな苦しみが渦巻いたままになっている。
大人になっていたから、どちらに付く・付かないみたいなこともなく、便宜上、持ち家の父と暮らしていた(5年後には家でたけど)。
この時失ったものは
今でも忘れられない。
真冬の雪の降る夜。
突然、発熱が始まって、家には解熱剤がなかった。
車通勤していた父が帰宅したので、具合が悪いので近くのスーパーに連れて行って欲しいと頼んだが、テレビを見たまま無視。
仕方ないので、40度近い状態で、雪の降る中、徒歩でスーパーに向かった。
通常なら、往復20分くらいで済む道のりだったのだが、体調が悪く、途中で足を取られて転んで動けなくなった。
田舎だったので、人も車の通りもなく、道路にひっくり返ったまま、夜空から静かに降る雪を見ていた。
痛みと具合の悪さでしばらく動けなかったので、家に戻ってくるまで1時間以上かかってしまった。
もちろん、体調が悪化したのは言うまでもない。
父から心無い仕打ちをされたのはこれだけではないが、去年、そんな父が倒れた。脳梗塞だった。
今は離れて暮らしているため、こちらに連絡が来たのは病院に搬送されてから1週間経っていた。
当初は軽く済んでいたものの、治療を行なった後に脳内出血を起こして症状が悪化。
私は兄弟姉妹もおらず、父方の親族も亡くなっているか音信不通だったので、自分一人でどうにかせねばならなかった。
父の親族と母はあまりうまく行っておらず、赤ん坊の私が入院した時の揉め事をきっかけに、ほぼ行き来がなくなっていた。
祖父母が亡くなった時にお葬式をしたので、2度ほど会ったことがあるのだが、母はもちろん、唯一の直系の孫である私も、親の目がないところでいじめられた。
当時、私は小学生だったのだが、いい歳したジジババが寄る辺ない小学生をいじめるという、なかなかシュールな状況だったよ。
そんなこんなで父方の親族は音信不通。確実に生存しているいとこの存在も知っていたが、私自身が名前を覚えていない…。 そのくらい馴染みがない。
父は定年時に多額の退職金をもらっていたのに、気がつけば年金でかつかつの生活をしていた。
資産も貯蓄もないので、病院費用をどうしようかと思ったが、ソーシャルワーカーさんのあたりが良かったのか、病院が用意している制度を利用する事ができ、無料で治療と入院をする事ができた。
これはもう、運が良かったとしか言いようがないが、共産系の病院だったので、後日、メモ用紙の裏を見て仰天する事になったけど…まあ、貧乏人としてはありがたい対応を受けたし、看護師さんが、皆さん明るくて優しい人ばかりだったので、搬送先が市外だったのは驚いたが、運が良かったと思う。
1.5ヶ月〜2ヶ月ごとに4、5日の有休を取って、帰っては病院やら役所やらを行ったり来たりしたので、金銭・体力的にかなりしんどかった。
以前は持ち家だったのだが、数年前に支払いきれずに手放してしまっていたので、泊まるところもない。
医療費はかからなかったが、私の移動費や宿泊費、田舎なのでタクシーもバンバン使ったので、かなりの諭吉さんとさよならした。
そのうち、一人暮らしには戻れない事が確定したので、部屋や車の処分もせねばならず、また諭吉さんは消えていく…。
また、持ち家の負債が残っていたので、月々細々と返済していたのだが、手動で振り込んでいたらしく、ばんばん督促がくる。
曰く「資産を差し押さえ」するだの、不穏な文字が連なるアレだ。
一時期、意思疎通が全くできなくなっていたので、振込先がわからない。
先方に確認しようとしても、個人情報保護で、本人が「子供に教えても良い」と意思表示しなければ教えられないの一点張り。
かくして、毎月定期的に不穏な督促状が送られてくる。
本人は錯乱していて、話ができない。
支払いたくても支払い先がわからないのに、督促状は送られてくる。
退院したらどうする。
賃貸どうやって片付ける?
お金は?
去年の年末、運良く施設に入所する事ができたが、そこに来るまで、毎日こんな感じだった。
そして、今も続いている。
次の施設をさがすために、数十件の施設に申し込みをしたが、待機人数を見ると数年単位の勝負になりそうだ。
もちろん、その間も真面目に仕事もしていた。
それでも。
ひとつだけ、無理やりいいところを見つけるとすれば。
両親が離婚した時、母方の親族とは音信不通になってしまったのだが、父が倒れたことを知って20年以上ぶりに連絡をくれたことである。
子供の頃は行き来をした親族だったので、私を心配して車を出してくれたり、お見舞金やお小遣いをくれた(お小遣いをもらう年齢じゃないんだが、「おじさんには内緒ね。取っておきなさい」と叔母がにぎらせてくれた)。
私は免許を持っていないので、車の移動や売買も、この親族が手伝ってくれた。
この時さ。本当にありがたかったんだよ。
父方はあてにしていなかったけど、母方の親族とは、私が子供自分は行き来もあって、色々助けてくれていた。
母方の親族がいてくれればな、って思ったことは過去に何回もあるけど、母の離婚によって、かなり長い間、音信不通になっていたのだ。
実際に手伝ってくれなくても良かったし、お見舞金もお小遣いもいらなかった。
離婚した母親も心配はしてくれたのだが、父への不満が大きいのか、「なぜお金を貯めておかなかったのだろう」と私に文句を言う。
私に言われても非常に困るのだが、ともかく父への不満を口にする。
私だってそう思ってるが、言ったところでお金は出てこないし、過ぎてしまってしまったものに文句を言っても虚しくなるだけだ。
父親の肩を持つわけじゃないが、こちらも疲れているので、私に文句を言うのはやめて欲しかった。
だからこそ、深い事情を知らないためか、そういった話をしない親族の存在はありがたかった。
ただ、私を助けてくれる人たちだと感じられたからだ。
母親は年を経るごとに文句を言うようになり、父はもともと助けてはくれないし(他人は助けるけど)、今は病気のため正常な判断ができなくなっている(私の職業も知っていたはずなのに、いつの間にか、看護師かホテルの従業員という、共通点がまるでないものにすり替わっていた)。
教育を授けてくれた親とはいえ、連絡をとったり、会うたびに精神力を削がれ、正直、かなり会いたくなかった。
その証拠にと言うか、10年くらいは父と会っていなかったし、母とも数年間連絡を取ってなかった。
大人になってから、親から助けてもらったことは一度もない。精神的にも金銭的にも。
就職氷河期だったので、新卒で入った会社は、正社員で入社したにも関わらず、景気が悪いだの何なのと理由をつけて、正社員になるまで3年近くかかった。
最終的に正社員になれたのも、その会社で一番大きいクライアントの担当になっていたからだ。退職してやる!って喧嘩になったが、結局、会社が正社員にすることで、一旦収まった(そして1年半後に辞めたw)
時給700円。手取りはいい時で13万円、悪ければ10万円を切る。だから、すごい貧乏だったんだよね。
それでも、当時は実家暮らしだったので、家賃がないだけマシだった。
いつ解雇されるかわからないので、かなり頑張って貯金していた。月10万とか。今考えればよくやってたよ。
そういう貧乏していたけど、親にお金を借りたことはない。お金がなければ、食べ物切りつめたり、買いたいもの控えたりした。
パジャマもシーツもビリビリに破けていたけど、買うお金なくて、そのまま使ってたことあるしw
半分くらいは返ってきたけど、全額は戻ってこなかった。
他人の家を見れば、子供を助けてくれる親も多いのになあ…周囲はそんな人が多いのに、なぜ自分は違うのだろうって思ったよ。
隣の芝生は青いだけなんだろうけど、大人になってから、頼る人はまったくいなく、しかし自分が苦境になった時に限って、親が頼ってくるという最悪パターンが多かった。
「鬱になっている暇はない。助けてくれる人は誰もいない。自分が自分を助けずして、誰が助けると言うのか」
そう思って、歯を食いしばって頑張った。
暗くなる心を奮い立たせて、仕事では、いつもニコニコ平常心でいるようにした。
苦しいのは自分だけじゃない、自分以上に苦しい人はたくさんいる。
就職氷河期で、理不尽な書類選考や面接があり、圧迫面接なんて当たり前だったけど、まだ頑張れる!まだマシだ!って思ってやってきた。
そこでくじけてしまったら、自分に意地悪を仕掛けてくる人に負ける事になるから。
自分は、運良く困窮するところまではいかなかったけど、そんなのは薄皮一枚の差で、周囲を見渡せば、誰よりも努力をしていたのに、ほんの少しの運に恵まれず、望みを叶えられなかった人がたくさんいる。
どちらかといえば、望みを叶える事ができた自分は、頑張る義務もあると思うんだ。
私が今いるポジションは、努力しても叶わなかった人たちが欲しかった椅子だろうから…。
去年はそんな感じでプライベートがゴタゴタだった。諭吉さんがたくさん旅立ったのも痛すぎて死にそうだった。
プライベートだけならまだよかったが、職場でもゴタゴタが数年続いている。
どうしたことか。
会社初の女性管理職になる羽目になり、その上、同じ役職の中でも数人しかなれないポジションにいる。
本当は管理職になりたくなくて、自己評価を下げまくっていたのだが、管理職じゃないのに管理職と同じ権限を持たされるようになり、会社の制度上、色々不都合ありまくりだったので、仕方なく管理職になった。
はっきりいえば、部長は自分の使いっ走りが欲しかったんだろうな。
なぜ、管理職になりたくなかったのか。
私自身、その部署には配属されたくなかったし、好きな部署があれば、どこでも受け入れると言われていた。
ただ、どの部署も引き取らない部下がいて、私のバーターとしてなら受け入れると言ったのが、唯一その部署だけだったのだ。
部下の名誉のために言っておくけど、仕事ができなかったわけじゃない。
実務経験を積ませなかったのはオマエらなのに、配属拒否とかいい身分だよね。
普通に経験積ませれば、仕事ができるようになる人材だった。物覚えも良かったし、キラリと光るセンスもあった。
配属部署がなければ宙ぶらりんになる。いろいろな不利益も生じる。
本人に落ち度もないのに、そんな立場に落とすわけにはいかない。
自分が新卒だった頃、不当に扱われ、嫌な目にたくさんあった。けれど、周りは助けてくれなかった。優しい言葉をかける上司は日和見主義者で敵だった。
予想通り…というか予想以上にごちゃごちゃで、管理職として配属された最初の仕事が、部下に突き上げ食らってノイローゼ寸前のリーダーとの面談たっだ。
そして、それは今でも続いている。
この部署は、売上だけはいいので、若手の頃から野放図になっていたところがある。
そのため、メンバーはかなりスポイルされていて、私から見るとわがままな奴ばかりだ。
同じ社内で、クライアントに苦労させられている社員が数多くいるのに、その社員らを無視して、自分の意見を無理やり通そうとする。
自分は就職氷河期世代で、上からガッツリ押さえ込まれる割に、仕事のノウハウは何も教えてくれない環境にいた。
まともな教育もせず、仕事ができなければ、信じられない方法で首を切られた。
きちんとした教育を用意され、言いたいことを言い、けれど会社に立場を保証され、守られている。
恵まれているのに、もっと福利厚生を拡充しろ、給料が安いだの評価が不当に低いだの文句ばかりだ。
うちの会社はパワハラやセクハラに敏感で、若手社員にストレスがかからないよう、特に管理職は言動に注意するよう指導されている。
そのためか、逆パワハラと呼ばれる状況に陥りやすく、守られた若手社員に突き上げられてリーダーが病む、ということが珍しくない。
とくにうちの部署には「ぜったい部下にしたくない」ナンバーワンの若者がおり、こいつが部署の癌になっている。
さすがに管理職にまで上がる人間は、下から突き上げられることがあっても負けないので、病むところまではいかない。
私も「絶対に部下にしたくない」ナンバーワンに逆ギレされて怒鳴られた事があるが、あまりにもわがままな言動すぎて「自分に甘く、素直に生きていると、本当に楽だよなあ」と思いながら右から左に受け流した。もちろん病まない。
その片鱗が見えると、メンバー個別に面談を設定しなければならず、かなりしんどい。
私は仕事に来ているのであって、お守りしに来ているのではないのだが…。
中年になった今、若手は守られるのに、自分は会社から「自分で頑張ってね」と言われる。
本当に、生まれた時期が悪かったよなあ。
2年上はベビーブームで子供の数が多く、受験も大変な世代だった。
私のころも余波があって、浪人中のベビーブーム世代との戦いがあったので、まあまあ大変だった。
悲しくて辛くて泣いたのはいつだったんだろう。
外も内も辛くて嫌なことばかり。
死にたいとは思わないけど、辛くて苦しくても涙も出ないから、逆に苦しいものが心の中に堆積する。
苦しい時に泣く事ができれば、発散する事ができるのにね。
頑張り過ぎて泣き方をわすれたのかもねー。
学生の時なんか、目じゃないほど頑張った。
不当な扱いにも耐え、戦った。
多分、就職氷河期世代の中では、恵まれている方だと思う。人によっては「勝ち組」って思うのかもしれない。負けてもいないが、勝ってもいないのにね。
でもさ。
プライベートも仕事も頑張るには、もう、息切れして動けないんだよ。
ばらばら書いたから、話が飛び飛びになってる。
支離滅裂なのは疲れているから。この苦しさを誰にも訴えてこなかったから。
これだけ頑張っても、誰からも認められないのが中年ってことなのかなあ。
自己責任を強く求められてきたけど、全然褒められないんだよね。
我々世代はそれが当たり前で、他は守られる世代ってことなんだろうか?
ほんと、運悪いよね。
その2となります。
とある会社へ契約社員として就職が決まったので、めでたく(?)コンビニバイトから卒業することができた。
もしこの就職が決まらなければ、まだ続けていただろうと思うのでとてもホッとしている。
少し話はそれるが、セブンイレブン自体の勤務経験は約7年といったところだ。
今ではおなじみの電子マネー「nanaco」がまだ無かった時代にアルバイトを始めた。
そして、揚げ物調理器(いわゆるフライヤー)もなく、現在「フランク」と呼ばれる
とても良い香りがするのだ。
自宅近くの新店スタッフ募集の際に、思い切って自営でやっていた店をたたみ
この行動に後悔はなく、むしろ学ぶことが多かった。
話を戻そう。
いくつかご紹介いただいた。
住宅街は6時か7時まで、オフィス街は8時ないしは9時までの枠となっている印象。
もちろんスタッフ側は終わりの時間を仕事予約の際に申し出ることができる。
初めは稼ぎたいと22-7の枠でスタッフを探している店舗さんをご紹介いただいた。
しかし
ヒマ、なのだ
毎回レジ+洗い物+廃棄チェック+雑誌検品陳列+チルドやパン、冷凍納品など
一通りの作業をさせてもらえることはない。
レジは基本だが、店舗側からすれば「よけいな仕事をふやすな」ということだろう
派遣がミスしてもカバーできる範囲の仕事しかまかせてもらえないのが現状。
例えば、洗い物にいたっては
固定で勤務しているのであれば一例に過ぎないが
フライヤー調理器、フライヤー什器、コーヒーとカフェラテマシン
など、深夜でレジしながらこれだけの量をこなすだけでもあっという間に朝が来る。
深夜はあまりお客さん来ないでしょ?と言われるが
それがやがてストレスとなってゆくのだ。
店舗によっては夕勤が先取りして行うケースも多々見受けられるが
概ね冬場はこれだけの洗い物を、商品をスキャンして袋詰めするだけじゃない
宅急便やチケット発券といった他のレジ業務も、いつくるかわからないので
頭の休まる暇がないのだ。
そこで派遣にはレジ専門かつ、洗い物の一部をやってもらうパターンが多かった。
お箸やタバコの補充といった、レジに張り付いてでもできる作業は
慣れると鼻をかむのと同じくらいあっという間に済んでしまう。
するとどうなるか
できることがあればお手伝いします、と申し出ても
できることといえば、入店チャイムが聞こえたら「いらっしゃいませ」と挨拶
何も買わないお客さんが退店しても
「ありがとうございました またおこしくださいませ」
(ヒマでお客さんの行動を見る余裕ができるからこそ言える)
そのぐらいしか、できることがない。
勝手にやること見つけてやれば?
指示されたこと以外の作業を勝手にやることで店舗側とトラブルになれば
その日の交通費や働いた分の賃金はパーになってしまう可能性がある。
万全の態勢で勤務に臨むべく
ささいなことでトラブルとなり、賃金が泡と消えるのだけは避けたい。
勤務前からぐったりすることもあるのに。
休憩をこまめにとらせてくれた。
そのかわり、レジだけやっててください、という。
(無論、パワハラは許されないが)
これに尽きる。心得て仕事をしていてトラブルは一度もなかった。
しかしながらレジで立っててヒマな時間がどーもしんどくなったので
翌週からは22-6の枠で募集されてる店舗があればご紹介いただくよう
予約したのだった。
ここで問題が起こった。
「ご紹介できるお仕事が見つかりません」という連絡だった。
理由は推測にすぎないが
(応募者多数のため抽選、みたいな)
といったところだろうか。
「急に依頼がくることもあるので
待機するか、お休みしていただいて構いません」
とのことだった。
一度目は待機し、連絡がきたものの
22-6で定期的に勤務できないとなると、生活費にも支障が出るので
これが、正解だった。
退職するまでの間、おかげさまで希望した日の夕勤全てご紹介いただくことができた。
心理について書いてみようと思う。
読んでくださってありがとうございました。
看護や介護だと人手不足だから、体調悪けりゃ休職させてくれる所が多いと思うし(首にしたら人材がもったいない)
辞めても再就職も容易だよ。
職住近接ってのも近場に転職すればいいだけだし、夫の転勤とかで辞めざるを得なくてもどこでも仕事は見つかる。
ただ土日勤務や夜勤があるから、子供がいるとどっちみち無理って人は多いだろうと思う。
(外来のみのクリニックとか訪問介護とかで平日日中だけって職場もあるだろうが)
一度無職になると保育園入れない地域だと子供が幼稚園に入れる年齢になるまで再就職出来ない、ってのはある。
逆に、楽なデスクワークだと他にやりたがる人がいくらでもいるから職場側もそこまで配慮する必要ないし、
一度首になったらまず再就職できない。だから皆必死でしがみつくしかない。
えー、造語だけど別にそれは解説しなくてもなんとなくわかるやろ。
「人生においての最終地点での地位の高さ」がどれくらいか、という点で職業を考えた場合の話やで。
例としては
東大卒/中退でベンチャー社長→仮に成功してもほぼ半グレ扱い、もしくは最悪生活破綻者
東大卒で民間大企業→退職まで勤め上げても勤め上げた後はただのおじさん。
理由としては、加盟店社員側と意思疎通ができておらずストレスが溜まる環境だった。
とある作業について、全員が共有すべきだからアナウンスして欲しい
忙しいのか忘れているのか、どちらもスルーされた。
ストレスが日々溜まって、頭痛薬を大量に流し込む日々が続いた。
その時早朝勤務が無断欠勤したのだが
もう一人だけ、しかも何か重要な発注をやらねばならないのでと言われ
広い心で見るべきではあったと反省はしているが
当時の自分にはそんな余裕がなかった。
ありがたいことに即採用となった。
そして時間が来たら帰れることも。
ただし、廃棄の持ち帰りはできないこと
服装が決まっていること
時給が高い代わりに勤務地が選べないこと
などがデメリットとしてあげられる。
するとすぐ紹介されて、何軒か勤務させていただいた。
これまた店舗によって型が違う。
洗う箇所はだいたい一緒だが、細かなパーツが違うなどで少し苦労する。
そしてここはトイレを貸す際は、買い物が条件でかつトイレの鍵を貸与するという
大変珍しいスタイルで、トイレ貸してーといいつつ歩くお客さんにいちいち呼び止めて
これくらいやらないといけなくなった理由として
利用客はありがたく使わせてもらっているのだと
肝に銘じねばならないと実感した。
また洗い物やレジだろうなと思ったのと、夕勤のおばちゃんスタッフから
洗い物やってていいよ、とのことだったのでできるところから進めたのだが
店長が出勤してくると高圧的な態度で、洗い物は私がやりますから、とピシャリ。
言い方がたいへんキツイ人ではあるが
話を聞くとコンビニ勤務はかなり長いらしい。
そのプライドがそうさせるのか、この店長さんが日々洗っているのかわからないが
フライヤーに使う備品の全てが新品同様に綺麗に洗い上がっているのだった。
しかし、この店舗のGoogle マップの口コミには
さもありなん、といったとこか。
派遣の辛いところとしては
(場数をこなせば、あぁ、あの店舗ねって思い出すのだろうが)
それらが何一つ同じでないのが苦労する。
お札も、9枚の束を1枚のお札を半分に折って重ねることがあるかと思うが
少々パニックになることもあった。
在庫が一個になったら補充してください、だったり
とりあえず補充してね、のアバウトなところもあったり
固定スタッフには当たり前のことが
ここも苦労するポイントといえる。
他にも苦労した点は多々あるが
続きます。
30歳、無職。
前々職では上場企業で管理部門に在籍していたが、給料をもう少し伸ばしたいと思っていた。そんなところに知人から未経験のSEの誘いがあった。年齢もそこそこだし、転職するとしたらここかな、と考えて軽い気持ちで転職した。しかし給与は面接時に提示された額の半分程度。最初約束されていた研修は1日もなく、自分で勝手に学習しろと言われ仕方なく本やPCを買い込み自習を続けていたが、個人情報関連の書類を一気に紛失されたことで気持ちが切れ退職した。もう3ヶ月転職活動を続けているが、未だにいい結果は得られず。幸いにして実家暮らしを続けていたため、なんとか食事は得られているが、そろそろ貯金も底を尽き、失業手当で何とか生きながらえる日々である。
まあ、深く考えずに転職したツケが回ってきたことは分かっているが、それにしたってこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないのはなんでだ?という気持ちがないではない。前々職で発達障害を疑われたりしたこともあって、だいぶ人間不信ではある。年下の恋人がいるにはいるが、いつ愛想をつかされることやら。そんな不信感、不安感に毎日押しつぶされそうになっている。
今は前々職の経験を活かせる場所がないかと思い、エージェント経由で面接を受け続ける日々だ。正直しんどい。
この上でなお、誰かに助けてほしいと思ってしまう私が甘えているのだ、とは思う。だけど、助けてくれ、と思うことくらいは許してほしいのだ。自分のことは自分で助けるしかない。そんなことはとっくに理解しているし、自分がどれだけ情けない存在であるかも理解しているつもりだ。それでもなお、私は助けがこないかなあ、などと来もしないヒーローを考えてしまう。それがまた、自分の矮小さを際立たせている気がして死にたくなる。
生きるための正念場なのだ。もっと気合を入れなければいけないし、もっと頑張れ、と思う。事実、私にできることの大半はやってきたつもりでいる。それでも上手くいかないのは、おそらく私が無能だからである。何者でもない私の責任である。だから私はもっと頑張らなければいけないのに、それでも上手くいかない現状で、私以外の何かに責任を負わせようとしている私に一番腹が立つ。