はてなキーワード: 路線とは
その路線は
「著作権侵害は親告罪なので問題だと思ったら権利者が訴えろ(訴えられるまではセーフ)」って話になる。
ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
https://anond.hatelabo.jp/20220830191713
自分は投資はしたほうが良いと思ってるが、まずいちばん大事なのは
その前提でぶっちゃ下がってもいいとおもってやるもの。それ以上でもそれ以下でもない。
その上で、
・「投資をしない」判断をしつづけるのもストレス、変な投資話が舞い込んでそっちにフラっと流され
ないためのワクチン代わり
などの追加のメリットはある。
そもそも最低限の給与を上げるような活動ができない人はやめたほうがいい。
給与が高くて、給与が上がっていくのだったらそれで投資もしなくていい。
それだけのシンプルな話
そんなんウダウダ言わずに長期投資しながら、一方で給与上げれば問題ないのでは?
長期投資文が激下がりすることはないっすよ
いや〜、こんな作品これまであったかな……ってくらい斬新な一作だった。
だいたい、「ワンピース × Ado」って字面だけでもう"強い"。
かたや連載25年目・通算1000話を超えてなおトップに君臨するマンガ界の王者。
かたや彗星のように現れ唯一無二の声質でまたたく間に世を席巻していく次代の申し子。
脇を固めるは谷口悟朗・中田ヤスタカを始めとする音楽七武海・東映アニメーションなど。
こんな尖った才能たちが一つの作品に集まるなんて、今後10年はないんじゃないかな。
先に述べたとおり、ワンピースといえばその名を知らない人などいないほどの著名作だ。
これまでどおりに映画を作ってても興行収入50億は手堅かっただろう。
そこをあえてAdoという「異質」の取り込みを冒したスタッフ一同に拍手を贈りたい。
おそらくは『君の名は。』『鬼滅の刃』『呪術廻戦0』あたりの成功が影響を及ぼしたのだろう。
この人選を知ったとき、これらを是が非でも超えていくという想いを感じずにはいられなかった。
すでにご存知かもしれないが、この作品に対する声は賛否がキッパリ二分している。
そりゃそうだろう。これだけのドラスティックな変化、とりわけ従来のファンからは反発が出ても不思議ではない。
ただ、従来どおり既存ファンだけに目を向けた路線でやったところで人気に先は見えている。
今のままでも十分にレジェンドではあるが、守りに入らずさらに挑む人や物がどれだけあるだろう。
尾田栄一郎という人の辞書に「妥協」の二文字は(良くも悪くも)ないんだな、と思った。
現在、東海道本線と称されている鉄道路線、確かにほぼほぼ東海道に沿っているのだが、険しい峠は迂回するか長大トンネルで通過させていたりする。
箱根峠は箱根山の南から伊豆半島に連なる、ちょうど半島の付け根に当たる部分に丹那トンネルという長大トンネルを掘った。
トンネルができる前は箱根山の北側の高原を回る、現在の御殿場線ルートだったが、勾配がきつい上に荒天に弱い(土砂崩れ多発)ということで新線を建設したと。
鈴鹿峠に至ってはルートを大きく北に変え、名古屋から岐阜に北上、そこから草津までは中山道のルートをトレースするという大胆な施策で乗り切った。
というわけで鈴鹿峠の前後はメインルートからは完全に外れてしまったものの、実は鈴鹿峠に近い旧東海道を通る鉄道路線が、あるにはある。
関西本線・草津線ルートのうち亀山~柘植が、加太越と言われる鈴鹿峠の南を回る峠越えになっているのだが、現在ここを含む関西本線の亀山~加茂が存廃の危機に立たされている。
ここのルートは元々私鉄だったものを旧国鉄が買収し、それが東海道線とライバル関係にあるルートだったためか今の今までロクに近代化せず、低規格路線(しかも非電化)のまま放置してきた。
そのまま近鉄と名阪国道という大幹線に需要の殆どを吸い取られた結果、誰も当ルートを使わなくなり、これから何をするにも手遅れという惨状に。
本来だったらJR化する前の国鉄時代に、加太越と木津川渓谷という急峻で狭小なルートを、電化した長大トンネルによる新線建設とかで抜本的に改善すべきだったと思う。
その意味では、何もかもが遅すぎた。
ここまで需要が落ち込んでしまった以上JR西日本は廃線にしたいだろうから、どうしても残すなら上下分離方式を導入し、インフラのケツ持ちを三重県が全面負担するくらいしか手段がない。
それだって、誰も使わない路線に県民の血税を投入してまで延命する是非を大きく問われるだろう。
そもそも名古屋-亀山を受け持つJR東海も、近鉄を向こうにどこまで輸送強化に投資するか微妙だし。
あーあ、せめて近鉄の単線バージョンくらいに近代化した、今の智頭急行みたいな鉄道で加太越を味わってみたかったわ。
ということで、今度旅行する時は名古屋で車借りて新名神を京都まで走り、帰りは難波まで出てひのとりプレミアムシートに乗ろうと思う。
自動車交通、(高速道路という例外はあるにせよ)基本的に道路の維持管理は行政が受け持っている。
どれもインフラは行政で、それを利用する「乗り物」部分だけが民間。
というのも、インフラの維持管理は収支赤字が当たり前なので、民間に任せたら潰れるか潰れる前に撤退してしまうから。
なので、国にとってどうしても必要なものは国が税金で維持管理。
(国にとってはどうでもいいが)自治体にとって必要なものは自治体が税金を投入して、それでも足りなければ国からの補助金を動員して回している。
さっさと上下分離方式を導入しないのはなんで?
車両だけJRにまかせて、その他の設備については幹線は国が、地方交通線は自治体が面倒みろよ。
そしたら結果的に「本当に必要な路線」だけが残るんじゃねーの。
更に、黒字の路線だって運賃安くなるという意味でも好循環でしょ。
ちなみに北海道の宗谷本線の北の方とか、根室本線の東の方とかの「国防上重要で~」と言われる路線、そこまで言うなら防衛省が軍事施設として管理したらいいんじゃね?
あとは災害時の迂回路として~であれば、国交省のみならず総務省か経産省あたりも多少は負担を肩代わりすべきだよね。カネ出すなら相応に口出しできるし。
どちらかというと、フランスの路線に舵を切ったほうがいいと思う。
対カルト、日本はどう向き合うべきか。アメリカは市民活動、フランスは法規制…「宗教批判を一人一人がタブー視せず、リテラシーを持って臨む」 | 47NEWS
どちらかというと、という、あいまいな言い方になるのは、日本の憲法がアメリカ式に多様性を擁護する緩い政教分離なので
フランス式に公共空間の徹底的な浄化をするためには憲法の改正が必要だから。
恐らく大多数の心情としては、カルトは許容できないし、許容しない制度設計をすべきと思っていると思うのだが、
憲法がそうなっていない。アメリカのように宗教汚染上等、トランプみたいなのが現れても、社会がいずれバランスをとってゆく、と信じることはとてもできない。
VTuber事務所にじさんじに所属するアクシア・クローネの活動休止するとともに、運営会社ANYCOLERがデマの流布や誹謗中傷などに対応することが発表された。
https://www.anycolor.co.jp/news/ptphttmlev
それに合わせてアクシア・クローネは粘着荒らしと母親面・恋人面ファンをdisるラップを投稿した。
https://www.youtube.com/watch?v=wkOciDA_WRA
誹謗中傷する人間の問題と、母親面・恋人面ファン……要するにアイドル視してくる、ドルオタ的なファンの問題は別ではないかと考える人もいるだろう。
最近彼やにじさんじ所属ライバーが襲われていた誹謗中傷は、他の女配信者との仲を勘繰ったガチ恋ファンの行動(もしくはそれを装ったもの)だったので、関連がゼロではないが、基本的には別の話だと私も思うし、事務所も言わない方が良いと忠告したらしい。
だが、彼にとっては、配信で何をやっても「かわいい」ばかり言う、アイドル的消費をしてくるファンが大きなストレスであり、この機会に言わずにはいられなかったようである。
ここには、VTuberに限らない、様々な「ドル売り」を巡る、理想と現実の葛藤が感じられる。
VTuberに限らず、タレント活動をしていてアイドル視を防ぐことは困難だ。
男芸人が「俺らをキャーキャー言う女ファン、金は出してくれるが、あいつら向けの仕事をしてたら腕が落ちる」みたいなことを言って物議をかもすことからも明らかである。
極端に異性受けの悪いジャンルや、ニッチな仕事、あるいは個性の塊である芸能人の中でも更にごく一部の特殊な個性を持った人間をのぞけば、タレントはアイドル視されるものだ。(同性へのアイドル視は、割合が少ない上に話が複雑になりすぎるので除外する)
芸能人のファンになるにあたって、性欲を刺激してもらえるかというのは非常に強い要素だ。
わかりやすくムラムラする、オナペットにするということはせずとも、「なんだか和む、ほほえましい」みたいな感情を同性より異性に抱きやすいのであれば、それは結局性欲が基本にあるのだ。
だから、普通に活動していれば性欲的に楽しまれる、つまりアイドル的に楽しまれてしまう。
アイドル的に見られることを防ぐのであれば、「アイドル売りを狙わず普通に活動」ではなく、「強い意志を持ってアイドルらしさと衝突する活動」をしなくてはいけない。
アクシア・クローネが、アイドルらしさに強烈に背を向けた活動をしていたかというと、そうとは言えないと思う。
見た目は、機動歩兵部隊のパイロットをしている22歳の人間の美青年である。キモいおっさんとか、動物とか、概念とかの姿ではない。
活動内容も、風俗レポだの格ゲーやカードゲーだの女性が敬遠する分野ではなく、FPSやゼルダなど広く人気になるゲーム実況である。
かわいいと言わないでくれという訴えは前からしていたが、それでは活動全体のキラキラした感じを打ち消す効果としては薄い。
今回発表したdisラップはなかなか強烈なので、この後どうなっていくかは気になるところだが。
なんにせよ、これまでの活動について言えば、アイドル的消費をされないのはちょっと現実的には不可能だったろう。
(生配信についての微細なテクニックの話をすれば、チャットと会話する雑談配信を多くやると、そこで拾うチャットに似た書き込みが増えるというノウハウはある。視聴者とボケツッコミを多くやればギャグ的な、かわいがられるコメントを多く拾えばかわいがりチャットが、アンチと喧嘩や説教をすれば構ってもらえてアンチが増える。これによってチャット欄の雰囲気を自分好みにしている配信者はいる)
しかし、企業所属VTuberというのは、喋っている本人の意志だけではなく、運営企業や同僚との関わりで活動内容が決められるものだ。
もちろん私は、にじさんじの内情なんか知らないので、彼がどのような採用手続きや打ち合わせを経て活動していたのか知らない。
演者が先かアバターが先か、あのようなキャラデザに決定したのはなぜか、美青年であることが際立つグッズなどをどうとらえていたのか、など。
「アクシア・クローネというバーチャル存在」にアイドル的な魅力があったのは確かだが、その魅力の全てをアクシア・クローネとしてしゃべっている人が演出したものとは言えないのは確かだろう。
だが、アイドル視やガチ恋ファンを嫌がる彼に合わせたプロモーションをしなかった事務所が悪いという話でもない。
結局のところ、ドル売りをすることは人気・知名度・収益・ファンの熱量、どれも安定性があるのだ。
「念入りにアイドル消費を防ぐプロモーション」なんてのは、「わざと不人気にさせるプロモーション」とほぼ同じであり、一人の人間の人生をかけてもらうのにそんなひどいことはできないだろう。
VTuber事務所の大手二つであるにじさんじとホロライブでは、ホロライブが強烈なアイドル売りをしていると言われることが多い。ホロライブは昔はお色気アイドルだったが、今はキラキラアイドル路線になり大成功した。
だが、にじさんじも十分アイドル売りをしている。所属人数が多いのでドル売りの度合いがやや弱い人もいたり、ドル売りしている人でもホロライブほど徹底している人は少ない、という特徴はあるが、全体としてしっかりアイドルっぽい売り方をしている。
「アイドルじゃないです」と言っている所属者もいて、リスナーの中にはそれに完全に頷いている人もいるようだが、よく考えてほしい。
ジャニーズが熱湯風呂に入ってもアイドルなように、にじさんじのライバーがローションカーリングをしようとアイドル消費の対象である。
(アイドルじゃなくオモシロバラエティ集団ですよという体裁をとることで、元々アイドル文化に抵抗がある層にもアイドル消費させやすくする効果がある。また活動者本人がアイドル文化に抵抗があるがアイドル的仕事をしなければならない、という心の折り合いをつけるために「自分はアイドルじゃない」と発言することは意味があるだろう。だが結局それらは方便であり、芸能活動をして売れることを目指すならほぼ皆アイドル需要にこたえる必要があることを、芸能を志す者も消費者も心の隅で自覚しておくべきだと思う)
そしてVTuberに限らず一般芸能界でも、ほとんどのタレントはアイドル的なファンを得たものが成功する。
ニッチでいいというアマチュアリズムでやるならともかく、シェアの拡大を目指すのであれば、程度はともあれアイドル的需要に応えることが安定である。
アイドル的な消費のされ方は下品だとか、失礼だとか、ストレスだとか、倫理的に良くないとかで、アイドルらしさを意識的に遠ざけるのであれば、企業としての成功の可能性は減ってしまうだろう。
「アイドル売りに背を向けても人気になるような人材を採用するのだ!」などというのは、夢物語である。
にじさんじは新人を大量に入れることで多少それを目指してはいるだろうが、そのような能力者は年に一人いるかいないかである。
そんな人だって、アイドルっぽく歌ったり踊ったりかっこつけたりかわいこぶったりした方がさらに人気が出る。
そうとも思わない。
もちろん、最低限の常識は必要だろうが、常に自省して規律正しくなんていうのは、長続きすまい。
自省して規律正しくなんてのは実生活の人間関係でやり疲れているわけで、そこから解放されて好意を追求するために金と時間を使って芸能人のファン活動をするのである。
空気を読めなくて友達や恋人ができない人間も、推しには、変なタイミングかもしれないが好きだと言うことや、サイン会で目を見れずおどおど振る舞うことが許されているはずだ。
ファンのノリがアイドル的で閉鎖的すぎるとは初見が引くというのは一理あるが、それと同時に「キチッとした雰囲気」なんつーのを本気で求めだしたら息苦しくて去っていくわけで、そこのバランスを柔らかく調整をしていくのがいいはずなのだ。
(わずかな例外として、キチッとした軍団の一員になることを楽しむ分野はある。宝塚とか)
繰り返すが、私は彼らがどのような話し合いや打ち合わせや合意をしてやっていたのか知らないのだから。
打ち合わせが十分かもしれないし不十分かもしれない。意図せぬ売り方なのかもしれないしそうじゃないのかもしれない。キャーキャー言われることに最初から抵抗があったのかもしれないし途中から嫌になったのかもしれない。
バーチャル存在「アクシア・クローネ」を巡る、具体的で個別の経緯は、ゴシップ好きが話せばいい。
私はそういう話ではなく、なんというか、この世の業というか、人間達のぬぐえない欲というか、そういうものについてため息をついているのだ。
タレントにとっては、並外れたカリスマや能力や運がなければ、芸能人として成功する上で、アイドル消費されることは必要である。
大衆にとっては、アイドル消費(性欲刺激)なしには、ある芸能人への好意を持ち続けることは困難である。
私たちのほとんどは、性欲から自由になることはできない。性から離れて能力だけで他人を応援することはできない。
なんなら、同性からの人気についても、ある種の性的魅力は重要だ。
「アイドル的に見られたくないなら顔出しストリーマーをやればよかったのに」という声もあるが、顔出しストリーマーも、人気になることを目指すならアイドル性が必要である。
たとえば格闘ゲームは知名度があるが、FPSに比べてはるかに人気がなく、常に悩んでいる。
ウメハラがかつては「プロとして責任を果たすには人気を得ることが必要で、それにはスキンケアとかもしなきゃいけない」みたいなことを言っていたし、最近だとときどが筋肉のわかる格好いいウェアを発表した(https://www.famitsu.com/news/202208/07271381.html)のは、埃っぽいゲーセン出身でゲームの腕で有名になった顔出しおっさん配信者でもジャンル盛り上げのためには性的魅力とアイドル人気が必要ということだ。
私が好きな女性VTuberがクソ笑える動画を投稿してもコメント欄で「ここの笑顔かわいい」に沢山いいねがつけられていたり、好きな舞台女優がインスタライブでキレキレのタップダンスを披露しても「かわいい」と並ぶことに舌打ちをせずにはいられないのだが、しかしそのような人たちを排除したら、彼女ら彼らは食っていけなくなるだけだということは私も解っており、かくいう彼女たちが他のタレントへの言及する時だって一番多いのが「共演させてもらった○○さんかわいいですよね」だし、だいたい私自身が女性タレントや女性主人公アニメばかり見るわけで、人間ってやつはな~と思うしかできないのであった。
タイトル通りの内容について話していく。
日本ではシュレディンガーの猫と並ぶ有名な思考実験であり、それと比べて随分と簡単な内容なのに本質を理解している人が少ないように感じたのが書こうと思ったきっかけである。
まずトロッコ問題の具体的な内容なのだが…説明するのが面倒なんでwikiからコピペしてくる。
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。
というものなのだが、ようするに5人を助けるために1人を殺すか、何もせずに5人を見殺しにするべきか?という2択から選べというやつだ。
まぁ先に結論から言ってしまうと、これは「功利主義」か「義務論(カント主義)」どちらを支持するか?という倫理学の問題である。
倫理学にはいくつかの流派があって、その中に「皆が幸せならそれでいいじゃない」という考えの功利主義と「正しいことは絶対正しいんだよ!」という考えのカント主義が存在する。
功利主義では「1人が死んでも5人が助かるなら幸福の総量は多いんだからそれでいいじゃない」と1人を殺して5人を助けるほうが正しいと考える。
逆にカント主義では「他人を目的のために使ったりしてはいけない」と考えるので、結果的に5人が死のうがそれを助けるために1人を殺すのは悪だと考える。
ようするに功利主義が正しいと思うのなら分岐点のレバーを引いて1人を殺し、カント主義が正しいと思うのなら何もせずに5人を見殺しにするという至極単純な問題なわけである。
くだらない議論だし、功利主義は「最大多数の最大幸福」という基本原理を掲げてるだけでそれが正しいという根拠はないし、カント主義はカントというドイツのおっさんが「目的のために他人を利用するな!」と言ったからそれが正しいとされてるだけで、その正しさにも根拠はない
ただ日本には義務論的な土壌がないので、直感的に5人を助ける方が正しいと答える日本人が多いと思う。
どっかの高校の教師が授業中にトロッコ問題を出して、とある一人の生徒がカント主義の考えを主張したら冗談だと思ったという冗談みたいな話がある。
これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
彼はひねくれていたから敢えて俺を困らせようとした可能性は濃厚だけど、彼が本気でそう思っていたのかはさておき、そういう意見が出てくる授業というのは「良い授業」だと思う。周囲も衝撃を受けていたけど、どう受け止めたのかは未知数。それが良い点であり怖い点でもある。授業はまさに生き物だ。— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
仮にも大卒の教員が問題の意義も知らない上に、それを生徒に出題するなんてアホだと思うが、それだけ「トロッコ問題」という名前だけが独り歩きして本質が理解されていない例だと考えている。
ちなみにこのトロッコ問題に関連する事柄があって、5人を助けるために1人を殺しても許される。と考えるならば「5人の臓器移植しないと助からない患者のために、1人の健康な人を殺してその臓器をそれぞれ5人に移植しても許されるはずだ」という論調が存在する。
トロッコ問題では「1人を殺してでも五人を助けるべきだ」と直感的に答えた人の数が多かったとしても、臓器移植の問題になると罪悪感を覚えるのか、五人の為に1人を殺そうと考える人が急激に少なくなる。
トロッコ問題も臓器問題も「多数の幸福のためならば少数の犠牲を厭わない」という功利主義の原理は同じなのだが、前者と後者で人間の善悪の判断は変わってくる。それはなぜだろうか?
と、このように「功利主義」と「カント主義」どちらを支持するか?でなく、その根拠になる人間の善悪や罪悪感の基準はどこにあるんだろう?といった話に繋がる思考実験なのである。
スーパーなんか行くと子供がアンパンマンを好き放題にクレヨンで塗ったものとかが飾られてるじゃないですか?
”アレ”と一緒ですよね?
本当に当時の人がそんな色だったんですか?
「なんとなくこの人は美人だからもうちょっと色白にして頬はピンクにしようかしらなんて。こっちの男性は見るからにセンスが無さそうだからシャツの色もケバケバのピンクでいいよね」
それを当時の情景に思いを馳せる貴重な資料扱いはやっぱ違うかなって。
まあエンタメだったらそれでいいんですけどね。
『一度減衰された情報を、増幅するか減衰するか』ってのはそれがどういう分野の資料なのかを決定づけるファクターの一つだと思うんですよ。
信頼性の高い情報でありたいなら減衰されたものは減衰されたままにするべきだし、信頼性よりも面白さや分かりやすさ重視だって言うならそれはそういう路線のコンテンツとして扱われるべきなんです。
個人の感性の話になるけど、こういう世界観ならこういう組織やキャラクター、シチュエーションが成立しそうだね、そういうキャラクターがこういうシチュエーションに放り込まれたならこういうドラマが発生しそうだね、というところが可能な限り破綻なく噛み合って、その上でキャラクターの行動・お話の展開に意外性がありつつも納得できる形で成立しているとすごく刺さるんだよね。そのとき設定やお話自体は作中で納得感がある形で描写されていれば現実離れしていても問題ない。
逆に世界観と展開が一致しないとか、キャラクターを無理に動かしてるとか話の都合が優先されると一気に萎えちゃうんだよな。だから松野泰己が作るお話はすごい好き。
その点リコリス・リコイルはもったいないなーという印象。世界観の骨格は重めに作ってるのに、設定に無理があったり細かなお話の展開・演出がご都合優先で整合性を欠いたりしている。たぶん実際にやっていることはヒロイン二人のお話だから、不必要な世界観が足を引っ張ってるんだと思う。ただ自分にとっては前述のように世界観・設定やキャラクターとの整合がとれたドラマを観られることが重要だから、そのあたりのチグハグさがとても気になる。
すごくいいところもあるし放送されてる間は話題になるけど、オールタイム・ベストになったり後世に名を残すでもなく、中途半端に消費されるだけになりそうというか。その点ガンスリンガー・ガールは確かに後世に名を残しているじゃんか。その違いだよね。作画は劇場版と言っても問題ないくらい高水準なのに。そういう意味ではワンダーエッグ・プライオリティに似たものを感じる。
後半でうまくお話転がしてDAという組織の成立やリコリスの出自に伴う因縁、敵対組織との相克を折れたタワーの由来と絡めながらダイナミックに風呂敷広げて、歪な社会構造の少なくとも一部を何らかの形で次のステージに進める感じで綺麗に畳んでくれるといいけど、千束とたきなのしょーもない心の葛藤を百合百合パワーで乗り越える!みたいなヒロイン二人の関係性で話が終わりそう。学園ドラマでやってくれ。
微妙だと感じた点を色々書いていくけど、制作陣はそんなこと言われなくても分かってると思うので最終的にこういう指摘を跳ね飛ばすくらい面白い、視聴してよかったと思える作品に仕上げてくれることを祈る。
とにかく突き抜けた作画クオリティとメインのふたりのキャラの魅力がアニメ作品として話題を引っ張ってる印象。
作画のよさとはアンバランスに、設定作りや脚本演出には力入れてないなという印象。
もっとコミカルだったりファンタジーに寄せてくれれば(ガルパンのように)そういう作品なんだと割り切ることもできたけど、なまじほぼ現代日本で一見リアルっぽい作りにしているから見せたいものと世界観・設定が一致してないように見える。
詳しくは下記の通り。
そもそものベースとなる世界観とお話の展開の間をつなぐ設定に納得感が無い箇所が多い。ファンタジーにするならもっとファンタジーに描く、リアルに寄せるなら設定も妥協しないという整理をしてほしかった。リアリティラインをどのあたりに置けば良いのか迷ってしまった。
その流れならその展開しないでしょとか、このキャラクターがこう動くのはおかしいとか脚本の都合優先で設定やキャラクターが置き去りになってる。
敵も味方もいちいち迂闊。治安維持組織と犯罪組織の攻防にリアリティも緊張感もあったもんじゃない。ツッコミどころに対して劇中でセルフツッコミもしてるけど、それがいちいち言い訳がましい。それなら最初から整合性のある設定や演出をしてくださいよ。
まあエンタメ作品だからね、ある程度の制作上の都合とか、あからさまにネタに寄せてる部分もあるよね。分かるよ。
気にはなったけどまあ飲み込んでもいいかというポイントを書いていくよ。