これを読んで思ったこと、またはその反応に対して思ったこと。
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20130228/bigdataisdead
Web2.0からクラウド、ビッグデータまで、様々なバズワードが生まれ、おっさんたちを虜にし、また一部からは揶揄される状況が繰り返されている。当然ビジネスの上でも、これらのバズワードは多用され、一部では本質的に意味のある事業が進んでおり、また一部では知的ゴロツキの餌となっているのが現状だろう。
このようなバズワードに対し、一般的な反応は大きく分けて2つだ。「我が社もビッグデータ事業だ。その方が時代に乗っていて格好いいだろう、ぐはははは」と「またバズワードか。食傷気味だ…一年で何回聞くことになるんだろう…」である。
ここで、問題にしたいのはバズワードの対象自体が有用か有用でないかではない。基本的に正しく捉えればクラウドもビッグデータも有用だ(だからこそ、バズっているともいえる)。では、なぜこれらのバズワードが飛び交う時に、嫌な気分になったり、攻撃的になったりする人たち(自分含む)がいるのだろうか。
考えてみたのだが、バズワードは言葉自体がもつ情報量が圧倒的に少ないことに起因するのではないか?ということだ。これはバズワードの定義が曖昧ということとは異なる。そうではなくて単語が発言されるときにその単語がもつ情報量の問題だ。通常の会話ではある単語が発言されたときに、その人の知識量やバックグラウンドを示す単語があればその人の能力をある程度推測することができる。
卑近な例だが「Excelだと100万行以上あると開けないですよね」という発言があると少なくともこの人は100万行のデータを扱ったことはあるんだなという情報が受け手は得られる。技術的会話とは本来そういうもので、その人の発言する技術用語である程度の技術力を推測するものだろう。いや、コード書かせてみないとわからないだろ、というツッコミはおいてください。あくまで最低限の推測、例えばこれまで付き合いのない企業間での打ち合わせのような場合でのスクリーニングの状況を想定してほしい。
このとき、バズワードによって、なんかよくわかってない人も「ハドゥープでノーエスキューエルでアレですよ」みたいな発言をするようになると、これまでどちらかというとマイナーで技術者かどうかを識別する単語につかえていたHadoopや統計手法名をまた一から考え直さなきゃいけなくなる。一番最初のスクリーニングの仕方をこちらが変える必要がある。それが激しくめんどい。だから、バズワードは嫌いだ、という思考を自分がしていることに気がついた。
というわけで、ビッグデータうんぬんにイライラしている方々、この仮説は如何でしょうか?
蛇足だが、なんでこの思考に辿り着いたのかというと、あまり親しくない他社との打ち合わせ時に相手がビッグデータ、ビッグデータと連呼するので、ほんとに技術力があるのか(またはほんとにビッグデータに関心があるのか)よくわからなかった。そこで、関心あるならそれなりにビッグデータに関する情報もフォローしているはずだという仮説のもとでユバタスについて話題を振ってみたところ、ユバタスどころかPFIも知らなかった。世の中そんなもんである。
スクリーニングに使う言葉として適切じゃなくなるからめんどくさくなるっていうのはあると思う 哲学用語でも歴史用語でも会社名とかCDタイトルとかにされて検索で関係無さそうな団...