2013-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20130202185951

 必ずしもガチガチ護憲派ではないが、変な風に変えるぐらいなら現行のままで良いと思ってくるぐらいの緩い「護憲派からの返事。改憲といってもいろいろ論点があるが、とりあえず9条に関心がありそうなので、そこにポイントを絞る。

 憲法というのは、一種の努力目標なんだと思っている。憲法には様々な人権に関する規定があるが、それらが今の日本で守られているかと言えばそんなことはない。たとえば、第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるが、健康文化的な生活を送れていない人などいくらでもいる。だからと言って、現状に合わせて健康文化的な生活を送らなくても良いように憲法を改めようということにはならないよね。

 9条も同じ。世界の現状を見れば、戦力を持たないわけにはいかない。誠に残念なことに中国北朝鮮との緊張関係もあるし、それ以外の国々でも少数民族に対する弾圧等を止めさせるために戦力での威嚇が必要なこともある。なので、いますぐに戦力を放棄するわけにはいかない。

 しかし、他方において、戦力の行使には制約があったほうが良いとも考える。近現代において戦争はたいてい「自衛」や「自国民保護」のために遂行されてきた。ナチスドイツだってドイツ民族の生存」のために周辺諸国をどんどん侵略していったし、「自分たちは平和を望んでいる、戦争を望んでいるのは他国だ」と主張していた。「自衛のためなら武力行使も許される」という発想だけでは、実質的には戦争抑止にならない。

 こうした意味で、9条の重しはそれなりに有用なのではないかと思う。9条があることで戦力の行使は最後最後まで避けるべきことなのだという価値観が強化されてきたのではないだろうか。戦力の行使にはそれぐらいの慎重さが欲しい。先の大戦にしても、好戦的マスメディア世論軍部が煽られた部分がかなりあると聞く。9条そのもの戦争抑止に役立つとは思わないが、戦後日本で「戦争は良くない」という価値観が培われたのは良いことだと思う。

 また、いまの改憲派の少なからぬ人たちが歴史修正主義的な価値観を持っているように見えることも怖い。石破さんあたりはさすがに慎重だが、脳天気戦前日本を持ち上げる人たちを見ると改憲にはどうしてもイエスと言いにくくなる。内外の多くの人たちを苦しめ、泥沼に入り込んでしまったことに対する真摯反省もないまま、国防軍への改組というのは怖すぎる。しかも、そうした反省なき改憲では、欧米諸国の理解も得にくいし、中国国内でも対日強硬派さらに発言力を増すことになってしまう。

 むろん、9条があることで、自衛隊アンビバレントな地位に置いてしまうことは問題だとは思う。「憲法では許されていない組織」といったスティグマ自衛隊員に貼られることは良くない。しかし、先の震災での活躍もあり、自衛隊に対する国民の信頼は高く(http://www.crs.or.jp/data/pdf/trust12.pdf)、もはやそうしたスティグマ心配するような状況でもないだろう。その一方で、自衛隊内部にも歴史修正主義的な思想が浸透しているということもあり、そこには不安を感じる。自衛隊の元トップコミンテルン陰謀論を論じているのとか見ると冗談しか思えない。

 

 というわけで、ゆるい「護憲派からすれば、(1)努力目標として9条を維持することは支持したい。永久に実現しない目標かもしれないが、戦力に依存しない国際秩序を目指すことは自体は悪くないと思う。(2)それでも、どうしても9条の改正が必要ならば、歴史修正主義は全面的に放棄して欲しい。

 という感じ。以上。

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