はてなキーワード: 最期とは
元増田だが、昨日は怒りに任せて感情をブチ撒けてしまったのと、
あと俺に対して言ってもいない主義主張を推察している人もいるので、
その辺りも含めて追記しておく。
まず第一に、俺自身は「トランス女性は女性です」と言う考え方を支持しない。
と言うより、「トランス女性は女性ではない」のだからその現実に苦しむのだし、
そこへ「トランス女性は女性です」と言うイデオロギーを無理矢理押し込んで、
無理にトランス女性を女性扱いさせるのは当事者である俺自身も含め、
次にトランスジェンダリズムとして呼称されている「女性と言う言葉と意味を無くす」だとか、
あるいは「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼び掛けについても、俺自身はほぼ支持していない。
まず「女性と言う言葉と意味を無くす」と言う考え方は、女性へ性別移行したい人間にとって、
移行する先の性別を無くすことを意味するし、「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼掛けも、
男性に例えるなら「男性とすべての前立腺を持つひと」みたいな呼掛けになる訳で、
ただとは言え子宮癌とか前立腺癌への健康診断を呼び掛ける文脈で、
「女性とすべての子宮を持つひと」とか「男性とすべての前立腺を持つひと」
と言う呼び掛けを使わずに健康診断を受けろよ、と言う呼掛けを出来るのかどうか、
って言うところには、俺自身は回答を持ち合わせてはいないのが現状。
まず最初に言っておくと、世間一般が懸念している(とされている)、
俺は女だと名乗ったら、どうみても男でも女性として扱わなければならない
みたいな考え方も俺は支持しない。
と言うより、生活実態として中身が伴わない状態で俺は女だ、とか言っても誰も相手にするべきではないし、
そんな行為が罷り通る社会を実現したいか、と聞かれたら、「は?何言ってんのコイツ」としか思わない。
ただな、ルッキズムにはなるけど、生活実態として女性にしか見えないトランス女性に対し、
「チンコが付いている限り、男性用トイレだとか男性用設備しか使うな」って言うのは、
流石に無理があるだろ、とは思ってる。
まずトイレについてだが、どう見ても女性にしか見えず、どう頑張っても男性だと認識させられないトランス女性に対し、
男性用トイレ使えって言うのは、「お前は男性用トイレに入ろうとした女の不審者になれ」と言うのと同義なんだよ。
逆のバージョンを考えれば分かるが、どうみてもオッサンにしか見えないトランス男性が女性用トイレ使おうとしたら不審者にしかならんだろ?
次に Twitter で良く例として上げられている風呂とかの入浴設備の問題なんだが、俺個人としては、SRS でチンコを取らない限り、
トランス女性が女性用浴場に無条件に入るのは、建造物侵入と公然わいせつで男性刑務所にブチ込まれたくないなら止めとけ、とは考えてる。
ただこの問題は一個やっかいな点があって、トランス云々とはまったく関係ない文脈で、
ごく一部の DSD 女性(性分化疾患を持つ女性)がとばっちりを食うんだよな。
と言うのも DSD 女性の中には外性器として男性器も性発達している人もいて、
チンコが付いているなら女性用を入浴設備を使うな!と単純に主張すると、
こういった DSD 女性たちも無条件に排除されてしまう訳で、
そう言った意味ではこの人たちを無視しないで欲しい、とは思ってる。
を見てくれたら助かる。
俺個人としては、トランス女性を女性競技に無理矢理突っ込むのは互いに不幸にしかならんから止めてくれ、と思っていて、
どう言うことかと言えば、例えば競技でトランス女性が不断の努力を以ってして優勝を勝ち取ったとしても、
「あいつはトランス女性だから勝ったんだ」と後ろ指を指されることに繋がってしまうし、
逆に女性側からしてみれば、「あいつらトランスは私達から活躍の場を奪った」と言う認識にしかならん訳で、
こう言った面からトランス女性を女性競技一般に無理矢理ブチ込むべきではない、とは考えてる。
とは言えその反面、今の今までトランス女性が「女性として」のプロスポーツへの参加方法が一切無かった、
と言う現実は直視すべきで、この点はルールを決める側の競技連盟が無い知恵絞ってどうにかしろよ、とは思ってるし、
無論これはトランス男性でも同じことが言えるんじゃないか、とも考えてる。
ただこの手の問題でいくつか思うのは、現状のルールに基いて競技に参加したにも関わらず、
トランス女性選手であると言う「だけ」で、その当事者やトランス女性全般へ増悪を向けるのは止めろと思ってるし、
元々が女性一般とトランス女性を問わずの競技大会(確か自転車だったか)でトランス女性が上位入賞したケースを、
「女性の競技での活躍を奪ってる!」と言うのは、流石に御門違いもいい加減にしろ、とは思う。
なんでそう言う競技の不公平云々は大会設営者に言えよ、と言うのが正直なところではある。
keshimini 差別主義者と一般社会とLGBT当事者で、どこまでが「おかしなLGBT活動に対する批判」でどこまでが「当事者の苦痛を踏みつけにする行為」の認識のラインがまず違うんだよな。そこが合わない以上、揉め事はなくならない。
と言う指摘があり、これについては元増田を書いた以上、返答する義理があると思うので、
それについて言及してこの話を終わりたいと思う。
まず俺が思うのは、
ついで、
と考えてるのがまぁ社会一般かな、と思う。
で、最期問題なのがトンチキな LGBT 活動家と当事者集団で、こいつらは、
みたいな事を言っている印象がある。
それで、この問題の根幹にある、
については、これはもう文脈に依る、としか言えないと思っていて、
例えば「トランス女性は女性ではないから○○は当然だ」みたいなのは当事者の苦痛の踏み付けだと思うし、
「トンチキ活動家と当事者はそう言うけど、こう言う場面では不都合が出るよ」みたいな懸念の表明は穏当だと思ってる。
とは言えこの辺りはグラデーションで、ある面では穏当な懸念を示していたとしても、
ある面では苦痛の踏み付けをやってしまっている面もある、と思っていて、
人間の読解力に限界がある以上、ある程度これは許容しなければならない、と個人的には思ってる。
ただ Twitter だと特に顕著だけど、トンチキ LGBT 活動家も、それを批判する側も、お気持ち当事者も、
全員が全員、イナゴの群れか何かか、と言う勢いで安易に個人の発言に群がってる面があると思っていて、
これがネット上でトランス女性への増悪を増幅させたんじゃないか、と個人的に思うところはある。
なんでインターネット老人会じゃないけど、いわゆる炎上案件でのネットイナゴが Twitter で大量発生し、
それがどんどんどんどん増幅して相互に憎悪を撒き散らした結果、
今のネットでトランス女性への増悪はあたり前、みたいな風潮になって行ったんだろう、と俺は思ってる。
正直なところ、俺が昨日ああ言う感情剥き出しの記事を書いてしまった理由としては、
今のネットでトランス女性への増悪はあたり前、性別違和への苦痛の踏み付けは無視当然、
と言う態度への我慢が出来なくなったからで、まぁ感情を剥き出しに書いたのは俺の未熟だったとしても、
追記: 2022-07-03
俺がトランス女性云々の話で思っているところをまとめてみました。
この記事の補足としてヒマがあったら読んで欲しい。
https://anond.hatelabo.jp/20220703133838
ーーー
いい加減我慢できなくなってきたので、性別違和の当事者として思ってることを雑に書く。
Twitter では、
そう言うことを良く言っている連中がいる。
確かにトランス女性の骨格は女性一般と違っているし(んなもん当り前だ)、
トランス女性と言っても SRS(詳しくはググれ)を受けてない人はチンコ付いてるし、
海外の LGBT 活動過激派の主張は自分でも受け入れ難いトンチキなのも確か。
と言う三種類に分けられると思っていて、確かに (1) と (2) に関して言えば、
スポーツに交ぜるなとか女性用トイレとか使うな、と言うのはまだ分かるんだよ。
このタイプの人たちって毎日女性として生活できるか、って言ったら多分耐えられないから。
問題は (3) に当てはまる人達で、この人たちがなんでトランス女性をやるか、
って言ったら、
って言うどうしようもない現実そのものが苦痛になってるんだよ。
わかるか?
ただ自分が男であると言う現実に対して苦痛がある。ただ生きているだけで苦痛がある。
その上で Twitter のクソどもはトランス女性をやらざるを得ない人達を悪魔か何かだと思って攻撃してくる。おまけに向こうから突進もしてくる。
そして性別違和で精神を病んだりすると、あいつらはメンヘラだとか言ってくる。当事者が苦しみ抜いて自死したりしても平気で無視する。
最後にネットバトルになってトランスに対する増悪が向けられている現状をトランス「だけ」のせいにする。
あるいはトランスに憎悪を向けている自身の責任を活動家に擦り付けて責任逃れをする。
俺から言わしてみれば、一部の同じ穴の狢と化したトランスのアホどもはともかく、
真っ当に人生をやろうとして、真っ当に苦しみながら生きてる人間にとって、
よっぽど悪鬼羅刹の類いかなんかだと思うんだが、その辺り理解する気は微塵も無いのか?
そう言う自分たちこそが悪鬼の類いと化している可能性に対して、一遍の考慮もしないのか?
おまえたちの脳味噌は、トランス女性に対する憎悪だけが目一杯詰ってるのか?
本当いい加減にしろよ。
毎回毎回毎回毎回、
みたいなことを言ってくんな。こっちはそんなことは百も分かってるんだよ。
そんな事への理解も想像もする気が無いならいい加減黙ってろクソどもが。
その憎悪に塗れたクソみたいな脳味噌の中身を垂れ流すことをとっとと止めろ。
あと追加で言っとくとさ。
ネットのバカどもはトランスの人間だけを悪魔扱いして平然と苦しめる様な事をしているが、
俺は当事者会にすら一回ぐらいしか参加できてないから最後はどうなったか分からないけど、
「男の子として生んであげられなかった」と自分を責めて病んでしまった母親の方を見たことがあるんだよ。
これは当然、逆パターンもあり得る話で、そう言う想像力を働かせてくれよ、と本当に思う。
それとこれも言っておくけど、こう言うトランス女性に対して増悪をブチ撒けるのを止めろ!とか言ってると、
おまえらはトランスジェンダリズムとかジェンダーイデオロギーを支持するのか〜とか言うやつらが居るけど、
そう言う反トランスジェンダリズム派の人間、トランスジェンダリズムとかジェンダーイデオロギーと言う単語の意味、
ちゃんと理解して説明できるのか?俺は未だにそう言う言葉の定義について見たことが無いぞ。
と言うか一回きちんとググって調べたこともあるけど、トランスジェンダリズムに関しては、
と言う定義文しか出てこなかった。つまりこの思想についての具体的かつ客観的な定義がない。
で、最近になって調べ直してしても、「トランスジェンダリズム」の定義は曖昧で〜みたいな説明もあったけど、
それで良くトランスジェンダリズムがどうこう、とか言えたもんだな、と呆れ返った。
良くもまぁあんなに大言できるのか、と本当にバカだとしか思えない。
彼を知り己を知れば百戦殆からず、と言う事から掛け離れた愚行で、
本当に海外の過激思想の輸入を止められる、と思ってるなら本当に愚かだとしか思えない。
あと最期に言っておくと、この反トランスジェンダリズムを支持する一派の言っていることって、
海外の反トランスジェンダーの理論とほぼ同じ理論を使っているんだよね。
つまりあいつらのやっていることって、簡単に言えば海外で言われている事の焼き直しそのものなんだよ。
それで自分達が海外の過激なトランスジェンダー思想を受け入れるな、と言っている割には、
自分たちこそ海外の過激な反トランスジェンダー運動を輸入している訳で、
よくもまぁそう言うことをやっておいて自分たちに都合の良いことだけを言えるよなぁ、としか俺には思えんわ。
まぁそれはともかくとして、LGBT活動家を批判したいなら大いに結構。好き勝手やってろ。とは思ってるが、
だがそれを理由に性別違和と言う「現実の性別」が苦しくて仕方が無いひとたちの苦痛を踏み付けにするな。
それがどう言う結果を招くのか、少しは考えてから発言しろ。条件反射のごとく妄言を垂れ流すな。
そして俺はこう言うクズを赦す気は無いし、こう言うクズが跋扈し続けるのであれば、
Twitter も含めて、増田とかも法によって全面規制されるだろう、とだけは言っておく。
個人に対して誹謗中傷を浴せていた連中、侮辱罪で逮捕されても自業自得だからな。
覚悟だけはしとけよ。
京都大学医学部を卒業後、36歳という若さで同大学の教授に抜擢された笹井氏。日本の科学界を牽引してきた天才研究者の、あまりにも唐突な最期だった。
一体、なぜこのような悲劇が起きたのか。その最大の原因は、笹井氏が小保方さんという未熟な研究者と出会い、彼女とSTAP細胞にのめり込んでしまったことにあるのは否定できない事実だろう。
笹井氏と小保方さんとの間には、師弟という言葉では説明できない、親密な関係があったとされる。
「上司部下でありながら、2人が特別に親しい間柄に見えていたのは確かです。
十年の時が経った。
満を持したペルシア軍の大遠征が始まる。十年前のマラトンの戦いの規模を遥かに上回る戦力(十五万人程度と言われている)を前に、ギリシア世界は当然のごとくパニックに陥った。
しかし、ギリシア軍は自国の陸軍の主体を成す重装歩兵に絶大な信頼を置いており、特に、ギリシア連合軍の雄たる都市国家スパルタは、強大な軍事力を背景にペルシア軍に対する陸上決戦を提案し、その決戦をスパルタ自身に主導させようと画策する。しかし、テミストクレスがそこで動いた。
テミストクレスは海上決戦以外に活路が無いことを、十年前から看破し、その準備を着々と進めていた。そのため、軍事力を背景に陸上決戦を主張するスパルタ陣営を確実に抑え込む必要があった。また、スパルタの主張する決戦案は、バルカン半島南方のコリントス地峡において、複数の都市国家を犠牲にすることによって最終的な決戦に持ち込む、一種の焦土作戦の体を成しており、当然ながらテミストクレスはそのようなスパルタの立案を容れることができなかった。そのため彼は当時ギリシア市民に信頼されていたデルフォイの神託を利用することに決める。
ギリシア諸侯の要請に対してデルフォイから下った神託は以下のようなものであった。『陸上決戦を避け、木の砦を頼れ』。
テミストクレスは、この『木の砦』こそが、アテナイが着々と準備を進めていた軍艦なのだと主張し、海軍によってペルシア軍を打倒する海上決戦案にギリシア諸侯の意識を誘導することに成功する。また、自軍の立案を妨害され立腹するスパルタに対しては、海上決戦の際の軍事的イニシアチブを譲ると確約することによって、何とか説き伏せることにも成功した。
(なお、艦船の保有数の関係上アテナイは海上決戦においてスパルタに対して大きな影響力を持っていたため、スパルタはあくまで形式的な海上決戦の総司令官に任命されたに過ぎなかった)
また、このデルフォイの神託は、恐らく事前にテミストクレスが賄賂を贈ることによって歪曲された結果であると、後世の歴史家たちによって推測されている。
以下は歴史の辿った事実の列挙である。ギリシア連合軍は、陸路においてスパルタ陸軍、また海路においてアテナイ海軍が主力をなす軍隊を、それぞれ沿岸の主要な陸路と海路に布陣させ、海峡と山際の隘路という大軍の利を発揮させにくい地形を戦場に選ぶことで、ペルシアの侵攻を食い止める作戦に出た。
しかし、要衝であるテルモピュレーにてスパルタ軍は味方の裏切りに遭い、精強を誇ったスパルタ陸軍は時のスパルタ王であるレオニダス一世の指揮の下で壮絶に奮戦したものの、全滅を遂げる。その情報を聞きつけたギリシア海軍は、実質的な指揮官であるテミストクレスの指示の元、南下、後退し、最終的にはアテナイに程近いサラミス海峡へと撤退することによって、当初の予定通り最終的な海上決戦にてペルシア海軍を撃滅することを画策していた。
テルモピュレーを突破したペルシア陸軍が急速に南下を続け、アテナイへと到達し、故郷が陥落したというニュースであった。
ギリシア諸侯において絶大な信頼を誇っていたアテナイの陥落に、周囲からテミストクレスに対して注がれる視線は冷ややかであった。しかし、テミストクレスは冷静であった。事前に彼はアテナイ市民をサラミス島やその他の土地に疎開させていたため、人的な被害が殆ど出なかったことが幸いした。テミストクレスは諸侯に対して、アテナイの保有するギリシア海軍の半数以上に及ぶ軍船の存在を主張し、未だアテナイはその国土を失っていないと説得すると、依然軍議における主導権を確保したままに、海軍を南下させ続けた。やがて、テミストクレス率いるギリシア海軍は、サラミス海峡の隘路に布陣し、静かにペルシア海軍の来襲を待った。
この際、テミストクレスはペルシャの首脳陣と使者を交わすことで内通していた。ギリシャ陣営の内部情報をペルシャへと流し続けていたのである。
テミストクレスは誰も信用していなかった。敵に対しても、味方に対しても、一切の信用を持たなかった。この内通が、ペルシア侵攻の初期の段階から行われていたという説さえ存在している。
テミストクレスは膠着状態が続く中で、ギリシャ陣営内において撤退論、転進論が巻き起こっていることをペルシャ王であるクセルクセスへと伝えると、さらにサラミス海峡の出口を塞ぐことができれば、艦隊は撤退も不可能となり、必ずやギリシア海軍は撃滅され、ペルシア軍は勝利の栄光に浴することができるだろう、とクセルクセスを焚き付けていた。また、テミストクレスはクセルクセスに対して、海上決戦の際にはアテナイはギリシア陣営を裏切り、ペルシアの勝利に手を貸すことを約束していた。テミストクレスの思惑通り、クセルクセスはサラミス海峡へと向かわせていた七百隻の主力艦隊を二つに分けると、二百隻に海峡の出口を包囲させ、また残りの五百隻を以てサラミス海峡に立て籠るギリシア海軍を撃滅しようとした。テミストクレスは謀略によって、まんまと敵艦隊を二つに分断したのである。
敵艦隊が二手に別れたことを知ったテミストクレスは、ギリシア諸将に対して海峡が包囲されていると伝えると、撤退や転進は不可能であり決戦のみが活路であると諸将を誘導した。そのようにして諸将の士気を奮起させたテミストクレスは、海峡へと侵入してくる五百のペルシア艦船を静かに待ち受けた。
当初、ペルシア海軍は海峡の奥深くで待ち受けるギリシア海軍を発見した際に、攻撃を急がず機を見計らっていた。内通者であるテミストクレスの情報通り、アテナイが離反しギリシア海軍が劣勢に立たされるのを待ったのである。
しかし、ペルシア軍の目に映ったのは異様な光景であった。ギリシア陣営の旗の上に、戦意を鼓舞するための戦場ラッパの音色が鳴り響き、そしてギリシア艦船が淀みなく戦陣を整え始めたのである。
それでもペルシア軍は攻撃を保留し続けた。ペルシア軍は最後までテミストクレスの情報に踊らされ続けた。
◇
テミストクレスの号令一下、突撃を開始したギリシア艦隊の前に、ペルシア軍には動揺が走った。テミストクレスが離反するという事前の情報との乖離も影響した。密集体形で海峡の奥深くへと侵入していたペルシア艦隊は、有効な機動を取ることができず見る見る間に壊走を始める。更には、後方から押し寄せたペルシア艦隊の援軍までもが、ペルシア前衛艦隊の撤退を妨げることとなった。
ペルシア海軍は大混乱へと陥り、急速に戦闘能力を喪っていった。ギリシア海軍の勝利が決定づけられたのである。
◇
主力艦隊の大部分を喪失したペルシア軍は、このサラミス海峡の戦いの敗戦を重く受け止め、海上部隊の撤退を決断する。テミストクレスが当初画策していた、海上兵站を寸断する計略は成功し、ペロポネソス半島への侵略を行っていたペルシア陸軍も急速にその影響力を喪っていった。最終的に、ギリシア連合軍の反撃によってペルシア陸軍もギリシア世界から追い出され、十年を費やしたペルシア帝国の大遠征は失敗に終わり、ギリシア世界の完全勝利となったのである。
当然、この勝利の立役者となったのは英雄テミストクレスであった。テミストクレスはまさしく英雄であり、一度は終わってしまった世界、喪われた故郷を彼は取り戻した。ペルシア戦争の勝利はひとえに彼の超人的な洞察力、長期的な戦略立案能力、謀略や陰謀を駆使し敵と味方をコントロールする政治力、それらの能力によって成し遂げられた勝利であった。
とは言え、テミストクレスはあまりにも優秀すぎ、また、あまりにも自分の能力を過信し過ぎていた。
最終的に、テミストクレスはギリシア世界にとっての危険人物であると判断され、政治的指導者の地位から失脚させられ、かつての仇敵であるペルシアへと亡命している(相変わらずペルシアと内通を行っていた)。その後、ペルシア軍によってギリシア再攻撃の責任者へと任命されるのだが、母国に弓引くことをよしとせず、毒を呷って自決したと言われている。
テミストクレスは間違いなく英雄であり、凡庸な人間とは違う視野を持って生きた人物であった。とは言え、狡兎死して走狗烹らるという言葉の例に漏れず、自国民から危険視された英雄の最期は、あまりにも物悲しい。
「な~~んでお前はぁ~~、僕に似てぇ~~、そんなにハンサムなのに~~彼女いないのぉ~~?信じられないよぉ~~」
「いいかぁ~~い?お前もぉ~~、とりあえずぅ~~手当たり次第にぃ~~周りの女の子に~~告白すれば~~いいんだよぉ~~」
ぼくの母方の祖父がつい先日死んだ。
生前のことを思い出すと同時に、彼の行った所業について祖父に代わり孫として謝罪しようと思う。
彼は生前、比喩でも誇張でもなく会う度に冒頭のセリフしか言わない男だった。
あなたの遺伝子を残したくないからだ、と言ってはダメだろうか。
彼は中国出身で戦時中国に疎開(という名の事実上の口減らし)で来ていた祖母と出会い、極貧にも拘らず祖母とだけでも30台を迎えるまでに3人もの子供を産むことになった。
(なお後述するが最終的には祖母との間に4人、再婚した妻との間に1人の合計5人である。)
母(つまり娘)からも「父さんは人よりも何十倍も性欲が強い上に避妊もろくにしなかった」「父さんも母さんも性教育どころか教育自体をロクに受けておらず子供同士で子供を作った」とこきおろされる始末である。
そこで戦後、祖母のつてを頼って来日しそこで理解ある方の支援を受けながら暮らしていたのだという。
祖父と祖母はどうやら子供を産んでからは極めて不仲になったようで、母と2人の姉(ぼくから見た伯母さん2人)が成人してからはすぐ離婚すると決めていたそうな。
そんなことを言いつつ祖父が52歳、祖母が43歳の時にまた子供(四女)を作った上で離婚したのだという。
子供が成人してから離婚と決めていたくせに絶対に子作りだけはやめなかったんだな。子供が子供を作っていたとは的を得た批判だ。
彼は一人中国に帰ったが、四女の養育費は最期まで1円も払わなかった。
四女(僕から見た伯母さん)は今もそれに対して強い恨みを抱えており、「アイツの顔は永遠に見たくない」と言っていた。
そしてそれから8年後。彼は20歳年下の妻と子供を作った上で来日した。
60歳にもなり体力も落ち、日本語もうまくない彼に仕事などあるはずがない。彼は最初から生活保護だけが目当てで日本に乞食に来たのだ。
(なお徹頭徹尾生活保護目当ての来日であったことは本人が自分で認めていた。本人は「えぇ~~?な~~にが悪いのぉ~~?いいって言ってくれてるんだからぁ~~、もらえるお金はぁ~~全部ぅ~~貰うんだよぉ~~」などとほざいていたが。)
何の計画性もなく性欲の赴くままに子供を何人も作り、四女の養育費を踏み倒し続ける事実上の虐待をし
離婚しても何一つ学習することなくまた性欲の赴くままに60歳にして新たな妻との間に子供をもうけ、育てる金がないからと日本に金をせびりに来たわけだ。
それほどまでに性欲が強すぎて一生をかけて常に女性のことばかり考えていた祖父からすれば、ほとんど女性に興味を示さず趣味に生きるぼくの存在はUMAの如く意味不明な存在だったようで冒頭のセリフに至ったようだ。
爺さん、そこまでしつこくしつこくこちらに訊いてくるのならぼくからも聞かせてくれ。
そんな貧困の中無計画に子供を作り自業自得で更なる貧困に陥っておきながらなぜ八つ当たりとばかりに母や伯母さん達に暴力を振るった。
なぜ我が子なのに四女の養育費を1円も払わなかった。
養育費を払えない程に困窮しているのになぜまた新たに子供を作った。
なぜハーフですらない完全に純血の中国人なのに平気な顔で日本人の税金を食いつぶした。日本人は中国で生活保護を受けられないのに。
そんな恥しかないような生き様でなぜ一人で生きたいと願うぼくの生き様をくどくどしくネチネチネチネチと褒めるふりして批判してきた。
けれど彼はもう死んだ。答えが返ってくることは永遠にない。
制度上は認められているのだろうし、受給させるか否かを決める権利は自治体にあるのだろうからぼくが口をはさむ余地はない。
けれど、我が祖父ながら感情としては決して彼の生活保護受給は許せるものではない。
日本の生活保護制度は日本人の為のものだ、外国人を救うのは結構だがそれは困窮している自国民を救ってからだ。
不服なら母国に帰ってもらうなり他の国をあたってもらうなりすればいい。
「おにぎりが食べたい」と言って亡くなった北九州市の男性、生活保護が受けられずに愛するお母様に手をかけざるを得なかった京都伏見介護殺人事件の男性。
そしてすべての生活保護を受けられず困窮している日本人の方々へ。
祖父があなた方にご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありませんでした。祖父に代わって深々と謝罪いたします。
彼の遺伝子を残さないように一生一人で生きて、人よりも多く働いて税金を納めることだけがせめてもの贖罪だ。そうやって生きて行こう。
客先常駐×多重階層というのはとかく業界外の人からするとややこしい業務形態だ。
例えば、家族から緊急連絡などを受ける際にひどく面倒だし理解されにくい。今はスマホがあるから直接行くのではと思うかもしれないが、そう単純にはいかない。
現に俺は、じいさんが死ぬ間際に最期に会わせるために家族がスマホに連絡してくれたのだが、作業中ででられなかった。(客先常駐はオフィスでの私用スマホ操作を禁止してる所も少なくない。)
↓
2次請
↓
元請
↓
エンドのDCのサーバールーム(ここにいた。スマホは建物内操作禁止。)
という具合だったので、俺へ連絡が届くはずもなく最終的には死に目に会えなかった。まあ、届いていたとしても、代替要員がいないということで帰れなかったろうがな。
俺への連絡がどこで滞ったのか犯人探しをしたいわけではないし、家族の死に目に会えないなんて珍しくもなんともないが、まあ多重請負ではこんな事もあるよというお話でした。
■序文
本稿は戦前の天皇のインナー・サークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループは宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループを宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団と位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこのグループを牧野伸顕中心の「薩摩系宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州系宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩系宮中グループは皇室との関係においては貞明皇后、秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后のインナー・サークルとも言える。また、彼らは英米のエスタブリッシュメントと戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室と英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエルと薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州系宮中グループは昭和天皇のインナー・サークルとして昭和の戦争を主導した勢力である。岸信介や松岡洋右を仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力、後者は大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人を薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統の先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから、長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人 』斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人、後者は弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸からの渡来人によって縄文人が日本列島の南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱の過程で賊軍の汚名を着せられた武士階級の出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派は賊軍の汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程でクリスチャンとなって薩摩系宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州系宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍の悲劇は、勝てば官軍の東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州系宮中グループの敗北も意味した。薩摩系宮中グループは戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後、英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長の明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である。戦後、薩摩系宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装、改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田はカトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州系宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍の汚名を晴らすかのように国際政治の舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成の時代になって「政治優先、対米自立、再軍備、自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンのたすき掛けリレーが小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である。
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1850.html?sp
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覚えてますか?
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⇒ http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1145.html
が・・・
※宮城
⇒ http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151102_13013.html
それも事故で…
亡くなった時は5歳にもなっていない頃。
死ぬには若すぎる!
これから書くことで
もし気分を悪くしたらごめんなさい。
読むんじゃなかった。
だって…
嫌なんだもん、この記事!
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※【動画】海上ガレキ漂流後奇跡生還犬:「飼い主と再会できたバンちゃん」
https://youtu.be/ZZaMbI1WVSY @YouTubeさんから
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※【動画】3週間漂流犬飼い主と再会。 https://youtu.be/YxZQBU_-Mi4 @YouTubeさんから
なのに、そのバンが無残な最期を迎えたというのにまるで他人事のような言い草。
お前のせいでバンは死んだんだよ!
お前が適切な飼い方してないから!!
外で放し飼いしてたんでしょ?
たとえ復興事業の車両が昼夜構わずひっきりなしに通る道沿いにお宅があるとしても
この飼い主には二度と動物は飼ってほしくない(もう次の子飼い始めたようですが)。
せめて今度こそ、行政主導で講習か何か強制的に受けてもらって、適切な飼養方法をしっかり学んでいただいた上で、次の犬を飼っていただきたかったですね。
でなきゃまた同じ間違いを繰り返すだけじゃないですか。
その後たった1年で飼われることになった柴犬だってバンと同じ目に遭わせてしまう危険性大ですよ。
たとえ寂しかろうと(該当記事はすでに消えてたけど、新しい犬を飼った理由は寂しかったから!)
バンをあんなひどい目に遭わせておいてよくもまぁたった1年で別の犬を飼おうと思えるね。
それもその柴犬、ペットショップで買った1歳弱のまだ子犬らしい!
http://www.j-cast.com/2015/11/02249623.html @jcast_newsさんから
やっぱり放し飼い!!
たとえ震災時に奇跡的に助かったのは鎖に繋いでなかったからだとしても、今度は震災前のような穏やかな自然たっぷりの平穏な頃と違って、復興のためお宅の前を大型車両がひっきりなしに通る環境に変化してるんだからさ、ちょっと考えたら以前と同じ飼い方したら、バンにとってどんな危険なことが起きるかわかりそうなもんでしょ?
奇跡的に助かった命なのに
あんなに再会を喜んでたのに
バンの分までしっかり長生きして、ご長寿で、天寿を全うできますようにと祈ります。
検索かけて関連記事を読み漁り、詳細が明らかになるにつれ、この飼い主に益々怒りがこみあげてくる!
全く懲りてないよ、この飼い主!
どうすればこれが美談になるの?
今日は、今日だけは静かに穏やかな心で祈りの気持ちでいたかったのに…
あぁ…気分悪い!
※別の参照記事
【訃報】未曾有の大災害 東日本大震災を生き抜いた『漂流犬・バンちゃん』復興事業関連の車両にはねられ・・・・(涙)【事故】 - 『徒然と』・・・道楽 http://blog.livedoor.jp/dourakukousuke/archives/1094278.html
種は違えどうちにも同じ名前の猫がいるんでね
他人事とは思えなくって。
だからね、あまりに悲しい最期だったから私、バンのためにお話を書きました。
「バンに捧ぐ」
だけど、死ぬ間際、朦朧とした意識の中で必死に神様にお願いをしたの。
「神様、お願いです。このまま死にたくない。もう一度だけ飼い主に会わせてください。」
神様もバンを可哀そうだと思し召し、願いを聞き届けてくれました。
一つ条件付きで。
「バン、お前はすでに死んでおる。だから長くこの地上にはおられぬぞ。
そして、この世を去ったものが再度死ぬのだから、それなりの別れ方をせねばならぬ。
今より辛く苦しい思いをせねばならぬがそれでも良いか?」
そして再び期限付きの命をもらってあのがれきの上に立ち、助けを待ったのです。
だからこそ私たちが首をかしげ、奇跡と呼ぶほど傷一つなく、あんなに元気だったのですよ。
そのあとのことは報道で伝えられた通り。
が、その幸せは長くは続かなかった。
飼い主は無意識のうちにバンを震災前と同じ放し飼いにしました。
「バン、時は満ちた。別れの時だ。」
柵を超え道路に出て、
近づいてくる車の前に身を投げ出しました。
だって願いが叶ってもう一度、愛する飼い主と再会し、共に暮らせたんですもの。
それがどんなに短い間であっても。
再び巡り会って3年も暮せなかったけど。
飼い主とまた再会するまで
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【戦国こぼれ話】惨殺された兄弟姉妹。なぜ豊臣秀吉は厳しい処罰を下したのか?
豊臣秀吉像。時代劇では明るくひょうきんな秀吉だが、実は残酷な男だった。(写真:アフロ)
現在でも隠し子なるものが存在する。隠し子がいた場合、亡くなった親の遺産をめぐって争うことは決して珍しいことではない。非常に厄介な問題である。
豊臣秀吉といえば、弟の秀長などが有名であるが、知られざる兄弟姉妹が突然姿をあらわしたことがある。秀吉はどのように対処したのだろうか。
秀吉の兄弟姉妹については、以下に示す興味深い史料がある(フロイス『日本史』第12章より)。
1人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった2、30人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。
時期は、秀吉が関白に就任した翌々年の天正15年(1587)のことだ(秀吉は51歳)。この若者に関しては他に史料がないものの、秀吉と兄弟であることを周囲の人々が確信していたとの記述は、興味深い。
秀吉は実の兄弟と称する若者に対して、いかなる対応をしたのだろうか。
関白(秀吉)は、傲慢、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(大政所)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女(大政所)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。
若者が秀吉と面会した際に、何らかの身分的な保証を求めた可能性がある。秀吉があえて母・大政所に若者のことを問うたのは、当然「知らない」と言わせるためだったに違いない。
大政所も秀吉との暗黙の了解のうちに、「若者のことを知らない」と答えた。大政所も後ろめたいところがあり、何かと不都合なことがあったのであろう。
■残酷な結末
母・大政所が知らないとなれば、若者は権力者・秀吉に嘘をついたので、苛酷な運命が待ち受けていた。続けて、同史料を引用しよう。
その言葉(大政所が知らないと言ったこと)を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである。
母の大政所には、3回以上の結婚歴があったといわれている。貧しい大政所が生活を維持するためには、仕方がなかったのだろう。大政所は不特定な男性と関係を持ったのは確実で、当時としては珍しいことでなかったのかもしれない。
■姿をあらわした姉妹
無残な最期を遂げたのは、この若者だけではなかった。次に、史料を挙げておこう(フロイス『日本史』第12章より)。
その(若者が殺されてから)後3、4ヵ月を経、関白(秀吉)は、尾張の国に他に(自分の)姉妹がいて、貧しい農民であるらしいことを耳にした。そこで彼は己の血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。
「己の血統が賤しいことを打ち消そう」としたとあるのは、血のつながりのない兄弟姉妹を根絶やしにすることを意味する。秀吉は自分の知らないところで、血縁者を名乗る人物を消したかったのだ。
■惨殺された姉妹
さらに話は続く。
その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天からの良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて(都に)出向いた。(しかるに)その姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった。
この姉妹はあまり気乗りがしなかったようであるが、最終的には使者の甘言にそそのかされたようである。秀吉に会うためにふさわしい服装を整え、来るべき輝かしい未来を信じて入洛したのであった。しかし、結果は史料にあるとおり、無残なものであった。おそらく首は晒しものにされたに違いない。
秀吉といえば、明るくひょうきんなイメージがあるが、実は大変残酷で怖い男だったようだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201110-00207204
入院付き添い親の人権に関するnoteが上がっていたので、個人的に思ったことを書いておく。
地方の状況は詳しく知らないが、例えば東京であれば、付き添わなくてもOKとしている病院も多い。
付き添い必須の病院がいまだにあるのは知っているので、それは国の援助や働きかけで改善されていくとよいなと思う。
②任意の付き添いだからといっても、付き添いしないわけにはいかない
看護師さんは忙しいので、必要な処置以外は構っていられないことがほとんど。
子どもが泣き叫ぶ声が聞こえても、心拍数や呼吸に問題が生じなければ、駆けつける必要性はない。
付き添い親がいない子どもにとっては基本的にひとり孤独に過ごさなければならず、過酷な現場であり、彼らにはほとんど人権がないと思える。
子どもが適切な医療を受けられているかどうか、見守り、子どもの代弁者になる存在が欠如してしまうのも、問題の一つだと思う。
親としては病気と闘う子どもを少しでも独りきりにするのは心苦しく、責任感から結局、休みなく付き添いを選ぶ人が多い。
唐突に症状が厳しくなり亡くなる子どもも勿論いるので、そういう子どもはまともに親と過ごす最期の時間すら与えられず、根こそぎ人権がなかったろうと思う。
今は多少緩和されて、付き添い自体は可能だけど、夫婦で付き添いを交代できなかったりと、夫婦どちらかに過剰な負担がかかる仕組みになっていたりする。(付き添わないなら会えない、とか、面会できてもすごく短い時間、とかそのほかも厳しい条件になっている。)
④声が広がらない訳
先天性疾患だったり子どもの病気に対して、親には罪悪感があり、自分達の環境改善に向けた声を上げづらい。
④その他
自分の子が入っている病院は、平日病棟に2人保育士さんがいて多少(ひとりあたり30分程度)遊んでくれたりするので、その間に食事したり、トイレ行ったりする。