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2022-04-27

柏木商事でぐぐったらヤバすぎた

トランプ大統領もかかわってるらしい

カネを自分のためだけに使うとヤバい最期になんだね

南無阿弥陀仏

ひろゆきさんを思い出した

でも彼はまだ若いホモインフルエンサーとして今後の行動次第だね

2022-04-17

[] そのにひゃくななじゅう

オヤーッス

 

日曜作業お疲れ様です。

今日世界血友病の日、日本ではハローワークの日、あと恐竜の日です。

いろんな記念日が一日の中に詰め込まれることは多く、調べる度に「こんな記念日があるのか」という気持ちになります

いろんな出来事があって今に続きますが、それを忘れない為に記念日というものはあるのでしょうね。

とはいえ大人になるとやり直したくなることばかりです。

まぁ大人になるまでにそういう思いはどこかで捨て去るべきなのですが、なかなか出来ないものです。

一番しんどいのは最期最期に思い出してしまうところでしょうけれど、それでもそれが世の常だったりします。

そんな時に「まぁ、いいか」と思えたらいいですね。

 

ということで本日は【切り替えよいか】でいきたいと思います

切り替えよいか!切り替えヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

僕の妻は感情がない(34話)の感想備忘録

https://www.pixiv.net/artworks/97652638

基本的には色んな作品ネタバレと、ただの連想の垂れ流し

ともかく、今回の話は凄かった

杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる

ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる

これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と

とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする

ネタバレ要素】

ちょびっツブルーピリオド物語シリーズライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス


4コマ目】

「大切な友達自分を壊してくれって言ってるのよ」

真剣に聞かないでどうするの」

これ、本当にたまらないセリフですよね

最後コマセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで

【5コマ目】

個人的に好きな所

ロボット」というのをある種の比喩である解釈した時

これは親による教育比喩でもあるなあ、と

【6コマ目】

「何か問題があるとしても家族で乗り越えてきたかったそうです」

ここは難しいところ

家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか

答えはない

【7コマ目】

今回のメイン

表情も含めて、本当に苦しい

「ただ ロボットがすごく気持ち悪いの」

「不自然で何も生み出さないくせに 人間みたいな顔をしてる」

ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」

自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然であると感じる

誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く

ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性ネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った

「早く人間になりたい」と何度でも思うのだ

ひとにすがたを 見せられぬ

もののような このから

「早く人間になりたい!!」

――作詞第一動画文芸部 作曲田中正史「妖怪人間ベム



【8コマ目】

「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」

「追い出すということは その先で壊されることも あります

友達からって特別扱いするわけにはいきません」

後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね

久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ

自分を偽らない、自分規律に従う

厳しく辛い道である

決して状のない人間ではないから故に

もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と

タチコマ会議を思い出す

【9コマ目】

「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」

ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」

「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」

人間と同じくらい… ううん! 人間よりずっと…」

自分(自分たち)と違う相手排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚

これを吐露することがどれだけ難しいことなのか

杉浦先生の、本当にフェアな所はこういう台詞に出てきますよね

ロボット“をある種の比喩であるとも捉えている立場としては

この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる

10コマ目】

「そのような社会で うまくいかないことだらけの 人間と深くかかわろうと するでしょうか」

ロボット人間から パートナーを 奪ってしまうんです」

ここが、この話の本質

自分にとって都合の良い存在”を希求する

頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ

意地悪な人より、優しい人が好きだ

醜い人より、美しい人が好きだ

自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ

自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ

至極当たり前の人だ

自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか

好き嫌いや損得は非常に大事観点

それをなしに、我々は我々を規定できない

その町には 誰もいなかったの

お家もあるし

から明かりも見える

でも 道には誰もいない

から中をのぞいてみた

ヒトがいた でもアレといっしょだった

ほかの家もみた

やっぱりアレといっしょだった

この町も ほかの町とおんなじだった

アレといっしょは楽しいから

ヒトといっしょより楽しいから

みんなはもう外には出てこない

この町には誰もいない

――CLAMPちょびっツ 第1巻」

最初は 好き好き言っててもさ」

パソコンみたく 自分に都合のいい相手が現れたら ぜーんぶ ひっくり返して なかったことにするんじゃないかって」

――CLAMPちょびっツ 第3巻」

これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる

12コマ目】

自然だとどうして良いんですか

個人繁殖して 種を保存するために いるわけじゃありません

これは根本的な質問

「不自然で何も生み出さないくせに」への反論にもなっている

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃあないからな」

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

――西尾維新恋物語 第恋話 ひたぎエンド



【14~15コマ目】

いくら努力しても 振り向いて もらえない人は?」

死ぬほど頑張って 恋人友達も 出来ない人は どうするんですか?」

「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」

「… 振り向いて もらえなくても 努力無駄に ならないはずです」

「久永さん 美人からそんな事 言えるんですよ!」

「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」

「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」

「言います…」

「人でなし!」

ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い

物語主人公理想を語ることがあるが

皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある

そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

――坂口安吾「余は弁明ス」


【16コマ目】

文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」

お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います

ロボットが居る事で 私たち必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」

「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」

「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」

「でも私は そうするべきだと 思います

「心が満たされた あとの社会

「その向こう側に 行けると 信じているからです」

ロボットと 一緒ならね」

ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ

以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた

科学とは再現性学問から

究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない

その時、我々は、我々の意識は何を希求するのだろうか

その向こう側に行けるのだろうか

「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい

機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える

「…………どの真実をだね?」

「あの時代 どれほどの憎悪絶望世界を満たしていたか想像したことあるかな?」

「数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ」

「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」

「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」

調停のために神まで造ってしまった」

「とるべき道はいくつもなかったのだよ」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

自分の罪深さにおののきます

私たちのように凶暴ではなく おだやかで賢い人間となるはずの卵です」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉




17コマ目】

ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」

「? そうですね」

「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」

「歩行コースブロックを 置くでしょ?」

「私 ブロックになりたいの」

全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回し

「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」

「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」

大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」

「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」

「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」

子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」

「一日中僕はそれだけをしてる」

「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」

バカみたいだってことは分かってるけど」

――J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」



【18コマ目】

「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」

「今回の件は保留ということにします」

地味に好きポイント

やはりフェア


20コマ目】

「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」

「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面否定することになる」

「どちらにしても 勇さんは救われない」

「どうすれば…」

やはり誠実だ

そして、ここのテーゼアンチテーゼが次のコマからアウフヘーベン布石となる

24-25コマ目】

あなたが誰かを 傷つけても」

「人やロボットを 殺しちゃっても」

自分を 殺しちゃっても」

「私は そのとき 一緒にいたいの」

あなたの代わりは 世界のどこにもいないから」

「殺していいって言ってます?」

「久永先輩 いいんですか? こんなの」

いいわけ ないでしょ」

「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」

これがジンテーゼとなる

否定肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者

これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセタンである

ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在承認」してもらうこと

「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」

「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。

 ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」

――割内タリサ異世界迷宮の最深部を目指そう 5章.庭師名無しの物語 207.光の理を盗むものとの遭遇」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきもの区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています

そして、この人生が小さくとも幸福ものとなり、天国あなたのもとで永遠幸福を得ると知っています

アーメン

――ラインホルド・ニーバー「ニーバー祈り

あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです

天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら

あたしはどう致しましょう

――椎名林檎依存症




【27-27コマ目】

「みんなが」

「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」

大丈夫ですか?」

大丈夫じゃないわ」

「もう少しで友達を 壊さなきゃ いけなかったの」

もう、なんというか

ズルいと思う、このセリフ

これをやられたらもう何も言えない

2022-04-13

さよなら絵梨の論点を整理したい

追記:整理と言いながら大分とっちらかってしまったので要約。

・少なくとも、スマホ主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈余地あり

・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。

・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。

■本作は五重構造になっている

母親最期を看取る主人公

②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジ映画作る主人公

③の出来事を振り返る中年主人公

④に爆破オチを追加した主人公

⑤という映画体裁にしたマンガ

あとは無数の映画オマージュそれから作者の過去作や実体験も重なってくる。

■どこまでが虚構でどこから現実か?

身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチ現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやす表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。

■①

最初主観視点スマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?

18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます

P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。

■②

P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホ隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用

★"母親の死を冒とく"”あん映像流して母親申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"

続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムスマホで撮った映像と、後撮りした映像シームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。

P39、作中で言及されている通り本来眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像ソフト編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生技術力を考えるとBかC。

P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブファイトクラブは、本作のどこまでが現実空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにメタ構造ネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。

★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。

P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身過去編集と似たようなやりとりしてたことを過去インタビューで語っていた。

★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機主人公の口から言語化されている。

★P82で、作品テーマである"ファンタジーひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。

P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写編集ウソが混ざっていることが明示される。

★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画バカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼死ぬシーンの説明

P87で絵梨が意味深沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86過去回想シーンのため、編集

P90~P93もそう。意図的沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやす表現で、電子掲載特性が生かされていて良い。

★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分面白いと思って作った作品馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。

前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。

P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的ネタにしてアピールすることで、ネタマジレスを防ぐと同時に、この作品テーマの一つである虚構現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。

★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"

ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。

P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。

P108。最初出会い病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。

P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。

P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。

★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"

ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。

P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。

P133廃墟主観視点でないので、後撮り。

■③

P151にて場面転換。

P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。

P164、ここから主人公モノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらいかカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像流れるのかな?

P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。

■④

P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作現実メタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。

★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。

映画タイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス定番ネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。

★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーひとつまみ足りないんじゃない?"

恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。

★P191、最期作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"

作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。

P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。

すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体作品にしてやろうというところなのではないか脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。

2022-04-12

anond:20220412224030

世の中のナニカをソイツがどう楽しもうとオマエとソイツの勝手じゃないのか?

…それともそーゆーのがダメなのが「キモい」ってことなのか?その言葉、廻り廻って最期にオマエを殺すんだぞ?

さよなら絵梨』についてのメモ

●『さよなら絵梨』の表現手法について

①横長固定四コマ

・「横長固定四コマ日常を描く」手法自体はよくあるが、それ1本で最後まで走りきる漫画は珍しい。

・「横長固定四コマ日常を描く」手法で一番多くの人が目にしたことがあるのは、たぶん『幽遊白書』の海藤の日常

・近年は定点カメラ時間を表す表現として、主に成人漫画一般化している

難病モノ、かつ固定四コマ最期まで走りきる読み切りとして『肩幅の未来(やまむらはじめ)』がある。泉信行氏がやまむらはじめファンサイト運営していたこともあって、一般的な知名度と比べてマニア人気のある短編

しかし、『肩幅の未来』再読すると『さよなら絵梨』とはかなり雰囲気が異なることに気付く。

・『肩幅の未来』における固定四コマは、あくま淡々と続く日常(そしてそれがある日突然終わることを予感させる)を表す。終わらない日常を描く日常四コマと同一の効果を狙ったもの

・これに対して『さよなら絵梨』はより固定カメラ及び手持ちカメラ画角表現するための意識が強い

・『肩幅の未来』より、アメコミ表現藤子・F・不二雄の諸作によくみられる時間経過を表す連続コマ表現に近い

手ブレ表現

・手持ちカメラのブレを表現した人物の線

・どこかに元ネタがあるのかもしれないけど、あまり見ない表現

●『さよなら絵梨』は何にオマージュをささげられているかのか

・爆発オチファイトクラブ

・ページ数、主人公名前吸血鬼という設定→ぼくのエリ?

メタフィクション

表現論?

・『ルックバック』の反響への回答?

●『さよなら絵梨』は何をしようとしたのか

・たぶん漫画フェイク・ドキュメンタリーをやりたかったのだと思う

念頭にあったのは、白石晃士フェイク・ドキュメンタリー作品

・『チェンソーマン単行本作者コメントにも、『コワすぎシリーズ』や『貞子vs伽椰子』についての言及がある

・以下、「映画の生体解剖 VS戦慄怪奇ファイルコワすぎ!(高橋洋稲生平太郎白石晃士)」より引用

フィクションドキュメンタリーの違いは(中略)フィクションキャメラ存在を消していくもので、ドキュメンタリーキャメラがそこにあるということを顕在化させていくもの

”そんな馬鹿なことがあっていいのかというぐらいのことが起きてても、「だってキャメラの前で起きてるんだから、『イッツ・オールトゥルー』じゃないの?という”

自分フェイドキュメンタリーを撮っててすごく魅力を感じてるのは(中略)フェイク・ドキュメンタリーという手法を使えばそういうことをすっ飛ばして、映画表現ものすごく原始的ものに戻せると思ってるんです”

●『さよなら絵梨』の感想

めっちゃおもしろかった

マリウポリ第36海軍旅団からの、最期メッセージ

2022年4月11日・現地時間の朝(日本との時差6時間)に公開されたもの

https://novynarnia.com/2022/04/11/dali-vrukopashnu-u-36/

親愛なるウクライナの人々へ。

私たちは、ミカイロ・ビリンスキー少将にちなんで名付けられた第36海兵隊です。2014年に宣誓を裏切ることなく、クリミアを離れ、尊厳を持ってウクライナを守るという任務遂行し続けました。

戦争が始まってから47日間、マリウポリを守ってきました。私たち飛行機から爆撃され、大砲戦車、その他の銃器から発砲されました。私たち尊厳をもって身を守り、不可能なことを成し遂げました。ただし、補給が不足しています

戦闘中私たちは50,122の砲弾20地雷、そしていくつかの「飛び地」と「スターリン」と「スターリンク」を与えられました-ありがとうイーロン・マスクスターリンクは多くの空爆に耐え、今も動いています

これ以外には、私たちは他に何も与えられませんでした。

弾薬がなければ、防御することができず、私たちは徐々に敵に押し込まれ、囲まれ、そして今破壊されようとしています

防御を強化し、継続するために、旅団突破口を開いて彼らの軍隊と合流するという選択肢がありました。それについてOTUVostokに報告し、彼らは計画運用を開始しました。SodolとDelyatytskyは何かをしようとしましたが、彼らの上級スタッフはそれを変更しました。私たちはそれについて報告しましたが、彼らは「待ってください、私たちは働いています」と言いました。最高司令官ヘリコプター派遣約束されましたが到着せず、包囲を突破することを約束してくれましたが果たされませんでした。

1か月以上の間、海兵隊弾薬の補充なしで、食物なしで、水なしで戦いました。水たまりから水をすすり、そしてパックで死にました。旅団のほぼ半分は負傷者です。手足が引き裂かれておらず、歩くことができる人は任務に戻ります。すべての歩兵が殺され、大砲対空砲手、連絡係、運転手料理人が、楽団員ですら戦闘に参加しました。

だんだん終わりが近づいています

弾薬が残っていないので、今日はおそらく最後の戦いになるでしょう――白兵戦の後の死、あるいは捕虜

親愛なるウクライナの人々。 次に何が起こるかわかりませんが、海兵隊員のことを優しい言葉で覚えておいてください。そして、物事がどのように展開しても、海兵隊悪口を言わないでください。

彼らは可能なことと不可能なことをすべて行いました。

なぜなら、私たちは常に忠実だからです!

追記アゾフ連隊と合流できた模様、良かった! 

https://www.ukrinform.jp/rubric-ato/3456317-mariupori-fang-wei-zhan-can-jianoazofu-lian-duito-dihai-bing-lu-tuanga-he-liu.html

2022-04-04

anond:20220404122418

しろそういうのはそいつ個人情報得てさらなる嫌がらせの為に、虚偽報告してるんやぞ

「お前のアカウントが作る度にすべて封印されるorお前の個人情報を俺が手に入れてそれを用いたさらなる嫌がらさをされる」

虚偽報告してるやつってのはこの二択を迫ってきてるワケ、目をつけられたら最期

2022-04-02

最強の、おにぎりの具

いちばん人気のある漫画、史上最も売り上げた漫画ワンピースだ。

ワンピースは確かに面白いけど、しか世界いちばん面白い漫画かと問われるとノータイムYES と応えられる自信はない。

良いもの = 売れる

方程式が成立するほど、現実社会は単純じゃないからだ。

偶然知られていないとか、運悪く日の目を見なかったとか、連載のコストパフォーマンスが極端に悪くて続編が中々作られないために、さほど売れないとか…。様々な理由で隠れている可能性があり得る。“人気” は、それを見つけるための物差しにはならない。

知りたいのは「最強」である

いま、恥も外聞もかき捨てて、虚心坦懐に「最強」を語ろう。

たとえば、最強の おにぎりの具 って何だろう。

梅干しが旨い、明太子が旨い、おかかも時々食べたくなりますオーケイ、そういうのはいい。

お互いを尊重するという名の心理的安全パーソナルスペースを確保するための牽制球みたいなのは、もういい。

もし明日世界おにぎりがいっせいに賞味期限を迎えて、以降もう二度と産出されなくなるとしたら。

最期にひと握りだけの、おにぎりが許されるとしたら。

それでもツナマヨおにぎり、選びますか?


…最強は思い付かないが、以前どこかのサービスエリアで一度だけ食べた、とり五目を焼きおにぎりにしたやつは記憶に残っている。あれは美味かった。

他には… 布団ちゃんという人が数年前に教えてくれたやつは気に入っている。彼がペカドの裏の闘技場にパラシュートで降下しているときに戯れに話していた焼きおにぎりだ。直後に作って食べて以来、定着したので思い出に残っている。味噌マヨネーズを同量混ぜて、固く結んだおにぎりの上に塗りたくってグリルで焼く、という実に単純な料理なんだけど、これが中々に癖になってやめられない。俺は小腹が空いたときにたまに焼いて、パリパリ海苔で包んで食べている。

焼きおにぎり方面に最強の答えがあると思っているんだけど、わさびクリーム状になったやつも旨いんだよな… 何だっけ、釜めしトッピングされてるやつ… ううむ ググっても出てこん

2022-03-30

小林麻耶さん、麻央さんについて思うこと

小林麻耶さん・麻央さん姉妹は、とてもよく似ている。

麻耶さんも麻央さんも恐らく、自分気持ちを抑圧する事で、家族平穏自身安全を守ってきた(そうして生き抜くしか方法がなかった)タイプの方々ではないかと思う。

幼少期に何があったかは知らないが、もしかしたら苦労もあったのかもしれない。

表に見せる表情と、心の内にあるとても繊細な気持ちとが乖離せざるを得ない環境にあったのではないか

まり、本当は寂しくても悲しくても、本当は傷付いていても、家族の為(あるいは自分の為)に無理に笑顔を作り続ける必要性があったのでないか

そうする事で乗り越えられた事、うまくいった事も確かにあったのかもしれない。

特に麻耶さんは、姉という立場もあり、背負うものが多い分、小さい頃から自分気持ちよりも家族や誰かを優先する機会も多かったのだろう。

自分気持ち自身無視し、心の傷がなかったかように振る舞う機会が多ければ多いほど、「私は平気だという顔」と「笑顔」仮面が張り付いたように剥がれなくなる。

以前から麻耶さんは、典型的なそれだと感じていた。

一方麻央さんは、そんな優しい姉の健気な努力に守られつつも、姉の無理を案じ気遣っていたのだろうと思う。

本当は繊細な姉の心を、これ以上犠牲にしなくてもいいよう「お姉ちゃん、少なくとも私は全然平気だよ」と、のほほんと、しかし図太く逞しい自分無意識に演じていたのではないかと感じる。

そのため麻央さんも麻耶さん同様、複雑な思いを抑圧していたのではないだろうか。

似たような特徴を持つ麻耶さんと麻央さんだが、2人には決定的な違いがある。

麻耶さんは、背負うものの重さによりその時その時が精一杯で、また、張り付いて剥がれない笑顔仮面と繊細な心との狭間で、どうしても「のらりくらり」状態になってしまう。

とても苦労をしているのに、苦労をしてるからこそ、フラフラとしているように見られてしまう。

一方麻央さんは、姉に守られている分の余裕を最大限に生かし、姉の苦悩をひっそりと支え続ける為の洞察力と安定感を磨いてきたのではないだろうか。

麻央さんなりに姉を守る為、のほほんと図太く鈍感な自分を保ち続けるというある種の信念を掲げていたであろう麻央さんは、とても真っ直ぐで、そして実は頑固な方だったのではないかと思う。

そんな姉妹大人になり、妹麻央さんは海老蔵さんと結婚する。

麻央さんは海老蔵さんに、麻耶さんと似たようなものを感じていたのではないだろうか。

海老蔵さんは、麻耶さん以上に強く強く自分を抑圧して生きてきたように見える。

しか麻耶さんとは違い、海老蔵さんには、いくら自分に圧をかけ抑えつけても漏れ出してしまうほど、溜め込んできた強い感情エネルギーがあるように感じる。

その強いエネルギーを抑え続ける為に、人間らしい感情を極限まで削る事を意識しながら、生きなければならなかったのではないだろうか。

そしてストイック自分を追い込み、恐らくあるであろうルーティーンをこなす事で安心感を得つつ、それでも足りない部分はさまざまな方法ガス抜きのように発散し、やり過ごすように生きてきたのではないだろうか。

麻央さんはそんな海老蔵さんの内なる心を、分かっていたはずだ。

今まで、抑圧して生きてきた姉をそばで見ていたのだから。そしてそんな姉を、ひっそりと支えてきたのだから

海老蔵さんと結婚した時点で麻央さんは、今まで姉にしてきたように、彼を支え守るという信念を掲げたのだろう。

彼の心をこれ以上犠牲にしなくても良くなるように「少なくとも、私は全然平気だよ」と、強く逞しく穏やかに

麻央さんの最期言葉は「あいしてる」だったと聞く。

麻央さんはどれだけ辛くても、自分犠牲にしようとも、その信念貫き通したのだ。


麻耶さんの話に戻そう。

妹は耐え難い苦しみを抱えながら、それでもひたむきに信念を貫こうとする姿。

麻耶さんは、そんな麻央さんをどう見ていただろう。

察するに余りあるが、麻耶さんは妹と妹が掲げた信念を守り抜く為、今まで以上に自分の心を抑圧し、「笑顔」で麻央さんと甥姪を支え続けていたのだろうと思う。

しかしもはや、今までのように「笑顔」では乗り越えられないほどの理不尽現実と、今までのようには抑えきれない強い感情もあったはずだ。

それでも、それでも麻耶さんは、笑顔を崩さなかった。崩せなかったのかもしれない。

妹を失っても尚。

麻耶さん自身、すでに剥がし方のわからなくなってしまった、そして結局何も救えなかった自分の「笑顔仮面」を憎んだだろう。

どれだけ自分を責めただろう。

その「笑顔仮面」が、ガラガラと崩れて剥がれるキッカケとなったのが、麻耶さんの元夫、國光あきらさんだ。

國光さんはとても優しい方なのだと思う。

恐らく麻央さんしか知らなかった、麻耶さんの笑顔仮面の下にある本当の顔を、彼は優しく撫でたのだ。

麻耶さんが今まで、家族や何かを守る為に笑ってやり過ごしてきた長い長い年月。

そして、抑圧してきた悲しみと怒り。

國光さんは自らが、麻耶さんの心を写す鏡となり、本当の姿を麻耶さんに思い出させた。

そして、そんな麻耶さんの全てを愛し守ると誓った。

「怒っていいんだよ、僕はとっても怒っている」


麻耶さんは時に恐る恐る、時に解き放つように、今まで抑圧してきた感情放出し始めた。

本当はとっても傷付いてきたのに、それを無視するように笑ってやり過ごしてきた自分自身

そうして傷付けられたことを、許したかのように振る舞ってしまっていた自分自身

そんな自分を変える為に、もうこれ以上後悔しない為に

から笑顔は、抑圧した気持ちを素直に吐き出し受け止めた先にあると信じ

今まで抑圧してきた感情の塊を、海老蔵さんに一心に向ける事で

自分自身を救おうとしている。

私には、そんな風に見えて仕方がない。



部外者勝手意見申し訳ありません。

麻耶さんへの誤解が解け、麻耶さんが救われる事を私は願っています

2022-03-29

anond:20220329130621

最期に半擬人反植物みたいになってヒィ!し、しねない!いっそころしてくれェ~~ッ!みたいなオッサン

殺人大根

変な夢を見た。

夢の中で自分は「殺人大根」を売る行商に同行する見習いだった。

殺人大根というのは、食べると死ぬ大根だ。安楽死するために使われており、先のない病人とかが買い求める。

輪切りにして調理した状態で売っているので、買ったらすぐ食べられる。そして死ねる。

行商に同行しているという設定なのだが、行商の姿は見えないし声も聞こえない。まあ夢というのは理不尽ものだ。

さて、一軒の古い民家を訪れた。そこには老女が一人で住んでおり、重い病気を患っていてもう長く生きられないという。

このまま苦しむくらいなら、殺人大根を食べて楽になりたいというのだ。

こちらも商売なので、毎度ありがとうございます、とお代をいただいて大根を一切れ渡す。

行商と同様、老女の顔も見えないし声も聞こえない。私は軽い相貌失認の気があるためか、夢に出てくる人の顔が見えない(首からしか視界に入らない)ことが多い。

しかし、老女に殺人大根を手渡した瞬間、なぜか「これは私の母だ」と直感した。

私は母に、死なないでほしいと泣きながら懇願した。しかし母の意思は固く、もう死ぬしかないという。私も母の苦しみを知っており、死ぬしかないことも理屈ではわかっている。

泣きながら、顔の見えない母の手を取った。母は私の頭を抱き寄せてくれた。母の手は分厚く、指は太くて短く、ごつごつしていた。その懐かしい手を握りながらまた泣いた。

やがて母が意を決して殺人大根を口にする、という瞬間に夢から覚めた。

から覚めて少しして、夢と現実とのあまりギャップ呆然とした。

現実の母は都会育ちで農作業経験もなく、その手は華奢で柔らかかった。あんなごつごつした手の女性記憶にない。

それに現実の母はもう十年近く前に病気で亡くなっている。最期は病状の悪化が早く、安楽死とかなんとか考える前に死んだ。

まりにも悪化が早かったため、死なないでほしいと泣きながら懇願する時間すら無かった。

そんなに現実と違っていたのに、夢の中で泣いた私の気持ちだけは本物だったのだ。そこに呆然とした。

まりに変な夢だったので、増田に放流して供養とするものである

2022-03-24

推しライブ行きたくない

チケットキャンセルできないからたぶん行くけど。行かなきゃなんだけど。

あ゛ーーーーー行きたくねえーーーーー。

知らなかったんだよ近年あそこまで陰謀論どっぷりだったなんて。俺はTwitterやってないから。

コロナ存在しないとかウクライナナチだとか、しかも「私はそう思う」止まりじゃなくて「貴方がたは騙されている」まで来ちゃってるとか、もうなんか、だめじゃんこれ。

曲は好きだよ。いや、好きだったよ。いやいや、やっぱりまだ好きだよ。たぶん。

でも何ていうか、この件知って歌詞の味付けがわっちゃったよ。

ぜってーライブ楽しめない味だよ。

マスクしてるのを「奴隷タグ」とまで言われてライブなんか楽しめるかよ。こちとら元病院勤めだし、身内にも知り合いにも医療従事者おるのよ。

はーーー。行きたくねーーー。

でもカネがもったいねえ。

売ろうにも明日で、しかもそんなに良い席でもないんだぜ。定価どころか6割オフくらいの値段にしても買い手がつかない。実際チケット売買掲示板では結構売れ残ってる。

何より、俺は攻撃的な陰謀論者に落とすカネが惜しいのであって、それは買ってくれた人がいても避けられないのが痛い。

それなら自分の中で推しを殺す最期ライブとして行くだけ行った方がいいような気がしてくる。

しかし単純に考えてみると、金払って時間も使って不快な思いをしに行くって何???あほ???

はーーーーー。行きたくねえーーーーーー。

anond:20220324034101

派遣社員になったり、年金に入るかどうかでもつれるエピソードでもハラハラした

でもなんといっても最後のほうの

「うちには娘しかいないぞーッ!!」って叫ぶシーン

あそこは歴史にイフはないという無情さを覚えた

細川家の援護を取り付けられなかった明智光秀最期と重なるものがあったよ

2022-03-22

君のひとみは10000ボルトって歌あったけど

  1. 10000ボルトってどれくらいの威力なの?
  2. 地上に降りた最期天使ってことは雷なの?
  3. 曲中の「私」は死んだの?

2022-03-16

自殺したとしたら、職場の人はどう反応するか妄想していた

後輩①

「えーっ」

後輩②

自殺ですか。ハハハ、ただのバカですね。クズらしくっていい最期なんじゃないですか?勝手に死んだのに、俺らのせいにされちゃたまりませんね。人のせいにする変なメモ置いたりしてそう。あー、そもそもあん低能にそんな知恵ないっすね!ハハハ!」

先輩①

「えーそりゃ残念ですね…なんか悩みとかあ…(ほかの人に「んなもんあるわけねーよ」と言われて)そうですか…大変ですね…」

先輩②

当然の帰結です。こちらはさんざん手を貸して、しんどかったら頼るように何度も言いました。でも頼って来なかったのは彼です。まあ、いざ頼ってきたところで蹴散らしますがね。自分仕事くらい自分で片づけなさいよ。自業自得ですわ。死んだなんて単なる逃げです。他人の気を引いているつもりなんでしょうか。死んだのは完全に自己責任です。それで、こんなことで自分過去にしでかしてきたことの責任が取れるとでも思っていたのでしょうか。被害者(注:顧客のこと)に賠償の一つでもしたんですか。しないで自分だけ逃げるんですか。幸せですね。あんな人より苦労している人などごまんといるのに、視野が狭い。死体を片付けるほうの身にもなれないんですか。いろいろ手続きだってめんどくさいのに、それをするほうの気持ち想像できないんですか。死んでまで人に迷惑をかける自分勝手カスのために手を動かすなんてまっぴらです。まあ、それも仕事というなら、粛々とやりますが。」

係長

「あーあ。死んじゃったね。」

課長代理

「やっぱりクズしかなかったか。」

課長

「さて、顔でも拝んできてやるか…」

anond:20220315145611

>それでもラストは感動的だった。途中でやめなくてよかった。

俺、そのラストの場面で

3人が主人公を救う別の道を一瞬たりとも考えなかったことが凄くモヤモヤするんだけど増田はそう思わない?

「言えたじゃねえか」って要は「最期本心吐露できて良かったね^^」という意味な訳で、死にたくない主人公に対して死なせる気満々じゃん

涙を流す主人公にかける言葉としてはズレているというか…

2022-03-11

anond:20220311094958

なんといっても江利チエミでしょう。

本当の意味での化け物。

そして何でここまでの才能が悲劇的な最期を迎えてしまったのかが理不尽すぎる。

2022-03-08

イルゼコッホのような最期を迎える女

2022-03-04

今まで人生を楽しめてない。楽しんじゃ駄目だと思ってしまうから楽しもうという気持ちを持ちたい。

期待して裏切られるより自分で不幸になる道を選んだ方が楽だからそっちを選んでしまう。

楽しもうと思えないのは幼少期からやりたいことをやらせてもらえずしたくないことばかり強制されたせいだとも思うんだけど。

金も無駄遣いすんなと言われ続けた所為自分に金をかけることができない。無駄に金だけ貯まる。

縁も切れてるのに呪いが消えない。最期くらい自分のために生きてみたいんだけどな。どうしてもできないわ。

anond:20220304125817

そもそも彼女は私に拾われてしあわせだったのだろうか?

よい猫生だっただろうか。

これはいつも考えてしまう。猫が亡くなった後も考えてしまう。

答えは無い。

でも一年半前に亡くなった我が家の子最後半年間の猶予をくれたので、家族で出来る限り看病することが出来た。

本当に優しい子だったので、家で看取る為に病院から連れ帰ってから半年も頑張って我々に時間をくれたんだなと思っている。

自己満足しか無いけど「やるだけやった」という感覚ペットロスを軽減してくれる

(勿論、亡くなる直前でも「また持ち直す」と思っていたのでショックは大きかったし、最期看取れなかったのも悔やまれる)

今まで何匹も見送ってきたけど、いつも後悔ばかりだった。

そして「次はもう立ち直れない」と思っていた。

でも、一番縁の深かった子をそうやって見守ってから送ることが出来たせいか自分まで死にかかることは無かった。

悲嘆に暮れることは無いにしても、こうして時間が経った今もふとした拍子に思い出し泣いてしまうこともある。

猫が亡くなって一年半経つが、未だに納骨出来ない。

白い布で包まれた桐箱の中に彼は眠っている。

もうここには居ないけど。

増田猫さんの苦しみが出来るだけ少ないことを願う。

2022-03-03

anond:20220303195435

さんざん宇軍は赫赫たる戦果を挙げたり!って煽って来たんだから最期まで応援しよう

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