はてなキーワード: 文化系とは
http://anond.hatelabo.jp/20140912200957の返信
増田の優しさに感激。既出ネタにもいろいろレスしてくれてありがとう。以下ムラのある返信。
masudamasurao
はてなにもそれなりにいるのでは、あとは大学とかでやってる文化系の講演会とかは?まあリアルでは散在してて群れてなさそう 2014/09/12Add Star
明大のリバティセンターでやってた○○学フォーラム行ったが、ネタがネタだけに若い人皆無だった。
ただ内容は非常に楽しめたというか糧になった。
散在してるのはほんとそう。団体様のほうが見つけるの楽だけどもう相手いる/群れてない人の方が好きだけど探すの難しいというジレンマ。
pachikorz
大学研究室のテクニシャンとかパートタイマー研究員(ポスドクとは違う)とか大学附属の研究施設の事務員とかで、比較的年齢が若い人なんかをあたってみるといいのではないか
whkr
司書なんかは高学歴ワープアの典型だから図書館巡りなんてどうだろう。聴講生になって大学図書館にも足を伸ばそう。 2014/09/13Add Star
研究助手とか司書とかいいよね。あとスクールカウンセラーなんかも。
出会い方とすると、やっぱ図書館とか大学か。理想的なんだけどなあ。
kds1256
文系のが付き合ってそうなイメージだけどDTには分からんとです。
Outfielder
地方から都会に出てきて独り暮らしで周囲に相談する相手が少なくて、行動力あるが貧乏でいろいろ考え込むような高学歴独身ワープア女性なんか新興宗教とかマルチとかからすれば特A級のターゲットだから気をつけろよ 2014/09/13Add Starcider_kondowhkr
ほんとこれ。失礼な言い方だが地雷も多そうなんだよな。
相手からすると自分も地雷である可能性は高いんだから、お互いさまと言ってしまえばそれまでだけど。
gimonfu_usr lusts がまぐち
( いやいや。君の周辺におるのとちがうか。http://toyokeizai.net/articles/-/11273 こういうのは、データ上だけの話かな。)
確かにいるんですが、高学歴ワープア(別に東大卒とかではなくて、なんというか『ある体系の話が好きな人』)と出会うのはどうかなと。
そういう話をちらっとしても???なことが何回かあったり、そもそも、日常会話でそういう話できないから分からんのですけどね。
民間に比べてどうかはわかりませんが、官製ワープアは確かにひどいです。正規採用の××を引き合いに出すと吐きます。
tatage21
何で高学歴でなきゃいかんのだろ?
大学は卒業しててほしいですが(あの自由な時間の経験を共有したい。高卒は頭の良し悪しではなくあの感覚が共有できない。)
別に大学名とかじゃないです。上で書いたようになんというか『ある体系の話が好きな人』、この言い方は好きではないですけど、簡単に言えばオタクですかね。
何で高学歴とつけたかといえば、そういう話が好きな割合が比較的大きい気がしたからです。
だよなあと思いましたけどその線以外でお願いします。付き合いないんです。
他学部の学部卒や高校の友達とは今でも付き合いあるんですが全員女っ気ないです。
death6coin
お前が探し方を書くんじゃないのかよ! 2014/09/13Add
書けるんだったらそもそも書かんわ!
poipoichang poipoichang
女医さんや薬剤師さんと結婚したいと思ってた時期が私にも3日くらいありました。
tomakomai01951
正しい増田の使い方。自分のスペック(容姿、学歴、性格、趣味)、相手への要望(高学歴ワーキングプアなら誰でもいいのか?)も書いた方が相手見つかりやすいんじゃないか? 増田本人はオレへのスター忘れんなよww
うーん、容姿とか性格とか趣味は案外難しいな。客観的なことなら179cm72㎏、田舎国立理系卒とか書けるけどな。
要望はタバコと大酒やらなければ。「高学歴」の理由は上記。付け加えるならNHKの教養番組を一緒に見て感動したり話したりできるとかかなあ。
お前の意見はあくまでもお前の立場や視点から出た一方的なものでしかないから、自分に対しては甘く見て、相手に対しては厳しく見る。
だからそんなことで優越感を覚えるのは間違いだよ。
まあ、お前の言葉を借りるなら。向こうもこんな風に思ってるよ。
俺の高校の野球部は別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。
俺はこの夏で野球部を引退し、大学受験のために塾に通い始める。
入塾にあたって面談の為に塾を訪れることとなった。
簡単なあいさつがあって、そこからは塾長と俺による面談が続く。
得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活のことなど、なんてことない普通の面談だ。
それに対して俺は「はい!」「はい!」と元気よく返事していたが、具体的な事は何も答えられなかった。
「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」
もちろん、高校の3年間を部活に捧げることはすばらしいことだ。
何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちも多くその行いを賞賛する。
しかし、だからといってそこから引退してしまったら何も残らない、というのは間違いである。
夢も目標もそこから前に進むための道標となるものは何も無いが、少なくともオレには、三年間を部活に捧げた実績、そしてそれをやり抜いた成功体験がある。
体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」なんて事を口にするけど、
後に残るものはそれだけだ。そして、それだけで十分なのである。
オレは体育会系だった。活動の中で将来やりたいことも見つからなかったし、今何をすべきかもわかっていない。
文化部の連中のことはよくわからないが、少なくともオレには進路や将来のことを知ったかぶりしているだけのようにしか見えなかった。
部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎること、それだけで得られるものもあるのだ。
どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。
彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ……という、意見もあるだろう。
しかしオレには物事をやり抜くだけの精神力があるから、何でもやり通す事が出来る。
文化系の連中はいつも目標や進路を明確に定めて努力している風の顔をして、しばしば体育会系の俺らの努力を見下すが、はたして奴らに奴ら自身の定めた目標への道筋を完走するだけの精神力が本当にあるのだろうか。
俺にはある。
そして後は、志望校という目標を、数ある大学の中から選ぶだけである。
それがどんな険しい道であれ、完走する自信は既にある。
どんなに暑い日も、どんなに寒い日も、グラウンドでしごかれ汗を流していたあの日々に比べれば、正直どのような困難も恐れるには足らない。
ってな。
http://anond.hatelabo.jp/20140825071636
こういう記事があったけどさ、本州の学校の夏休みの自由課題って「自由研究」固定なの?
あ、全部自分語りというかブコメの拡張なので無視してください。
いや、自分の通ってた学校は、自由研究も、工作や書なんかのアート作品でもよかったからさ。
小学生だったのもう14年も前だから、今の学校の状況はわからないんだけど。
「研究」もいいけど、ゼロから物を作る(これも研究?なのか)のもすてきだよ。
そういうのを楽しめる子なら、子どものパトスにまかせるのも良いと思うんだけどなあ。
自分は作ることが大好きだったので、とにかくめっちゃ楽しんでた。
宿題(ドリル)は全く無計画なのに自由課題はスケジュール立てて計画を練るくらい。
ちょっと覚えてる限り回想する。
①工作キットは使わない。
②コンセプトとアイデアと実際の作業は親に頼らない。やり方は教えてもらう。アドバイスももらう。
③おもちゃとして遊べる&普段使いできるものを作る(小6で見事に破った。理由は後述、というより読めばわかる的な)
水族館に行ったので、絵日記と連動して水族館のペーパークラフトを作った。
お菓子の空き箱の内側に色を塗り、背景の魚や海藻、サンゴを作って貼る。
厚紙に魚を書いて切り抜き、糸を貼り付けて箱内部に吊るす。
透明なセロファンの一部に、青色のマジックで波模様を描き、箱に貼ってふさぐ(水色のセロファンが売ってなかった)
親からはセロファンに霧吹きで水をかけてピンと張る方法を教えてもらいました。
仕上がりは水族館じゃなくて海じゃねーか、とつっこまれまし。
小2冬 おべんとう入れ
なかよしの懸賞でソーイングセットが当たったのではっちゃけて母親に縫い物を教えろと要求。
キルティングの布を買い、裁ちばさみを借りて、お弁当入れを作った。
型紙不要の巾着にマチをつけただけ、裏地もなし。
でもこれが結構丈夫で、いまでも買い物袋入れとして使っている。
小3夏 リコーダー入れ
小3でリコーダーを習ったのではっちゃけてリコーダー入れを作る。
冬のキルティングのあまりで、長い巾着&スナップボタンで止めるタイプの2種類を制作。
小3冬 マスコット
手芸にはまる時期。かがり縫いをマスターしたのでフェルトマスコットを作った。
猫とウサギ。綿が入ってるのは頭と胴体だけで、耳や手足はぺらぺらだった。
小4の秋くらいにウサギの首が取れておおいにへこむ。
小4夏 ドールハウス
小3の時に作ったマスコットであそぶための家。空き箱を悪魔合体して紙造、2階、延べ800㎠くらいの家を作る。
一階は広めで、そこに2つに区切った箱を立てれば1階の壁と2階のできあがりである。
展示から持ち帰った際に派手にぶっこわれる。
マスコットとドールハウスを失った私を哀れみ、サンタさんが、シルバニアファミリーの人形2体、「おとぎの国のおかしのおうち」をくれる
しかし、お菓子の家になぞ住んでられるか! と再度ドールハウスに挑戦。シルバニアスケールで作る。(親ごめん)
家具には一部木などを使用。かまぼこ板、割り箸、彫刻刀でベッドを作ろうとして指を削る。
人形あそびに飽き、従姉妹(今思えば同人便せんとか作ってたんだなあの人)の影響で元々趣味だった絵描きの技術(カラー彩色)を覚えた私は、全部イラストのトランプを作ろうと試みる。
大きめの厚紙製プライスカードを購入し、イラストを描く計画。しかし、デザイン段階で枚数の多さに挫折し、絵札のみ絵を記入。ほかはマークで済ました。
にもかかわらず、12回の自由研究で一番面倒臭かった気がする。
絵を描いただけじゃねえか、といわれそうだったので、トランプゲームを多少調べてノートに書いて添えた。
小5冬 着せ替え人形
もう絵なんか描くか!と思って手芸に戻る。ちょうど小5で本格的な裁縫セットも買ったし。
本体をフェルト、服は春夏秋冬それぞれの服を布で作った。ちなみに、瞳をカラーフェルト、まぶたやまつげのラインを刺繍で再現した、完全にアニメ調の顔である。たぶんゼノギアスにはまってたせいだと思う。
小6夏 なべしきになる鍋つかみ
正方形に切ったキルティングに、正方形の角を一つ切り落とした5角形を重ねて、ループを挟んで縫った。
いまでも実家で使用している。端の処理にバイアステープを使用しており、自分的には完全にロストテクノロジーである。
そして問題の小6冬。
どういうわけか自 作 小 説 を 提 出 。
いや、夢水清志郎シリーズとか、2、3年前に見ていたスレイヤーズの原作本に手を出したりとか、アルセーヌルパンにはまったりとか、シャーマンキングとか東京ミュウミュウにはまったりとかしたもので。
たしか美少女怪盗もの。プロットというか話しの運び方はコナンのキッド回とルパンスペシャル&一応本家ルパンから学んだ。
ミステリというより犯罪エンターテイメント。というよりラノベ。
主人公は洋菓子をひらがなにした名前(ミュウミュウの影響)。猫耳である。
猫 耳 で あ る。(付け耳)
原稿用紙にペン書きしたものを袋とじで製本。自作絵の表紙をつけた。吐血。
この前帰省した際に今読み返してみた(どういう訳か本文のコピーをとってある)ところ、まあひどかったが良い意味で今では書けない勢いがあった。
日本語もままならないまま文字を書く仕事に就いてしまった今となっては、家に帰って文字を打つだけでも苦痛だと言うに。
というわけで絵を描いたり黒歴史作ったり、黒歴史作ったり、して楽しいので、もっと創作系自由研究は増えるべきだと思うね!(苦笑い)
ちなみに中学時代は文化系が「文化部」しかなく、文化祭の時に展示することが主な活動だったので、中1の時は例の小説の続編を晒したよ!(喀血)
「CASの部室が広すぎる」と思う人がいるかもしれないので念のため。
私が90年代に見たCASの部屋は確かに狭かった。
だけど、聞いた話では80年代ごろまでは文化部会(CAS含む)の部室は校舎内にあった。
(部会、というのは文化系、運動系でサークルをくくったやつね)
経緯は分からないけど、その後に運動部会の部室だった場所に文化部会が移った。
(いずれにせよそのボロかった建物は00年代までには取り壊されたはずだて、まだ残ってるんだ建物。http://groupcas.web.fc2.com/about.html)
でも、うーんやっぱ記憶違いかも知れない。←記憶違いかもねやはり?
天板の壊れたテーブルは今井さんがセーラーファイターななみchanの撮影で火薬シーンに使って壊したけど内緒だよ、という話は間違いないと思う。今井さんはSF研だから内緒って話だったっけな。
僕はメレ子さんのキモいファンだが、勝手に東大文学部出身だと思い込んでいた。しかし、実際は日本の文系の頂点に君臨する東大法学部卒であり、僕は内心驚いてしまった。
この思い込みの理由としては、メレ子さんが文化系だということもあるが、やはりメレ子さんが女性だからというものも大きい。
・同じく文化系アルファブロガーで似た趣味を持つココロ社さんは東大文学部出身である。
つまり、女性だから文学部だと決め付けるのは差別かもしれないし、また、女性だから文学部=偏差値が低いまで考えるのなら、これは明らかに女性を劣性に見ている悪質な女性差別主義者と言える。
だが、ココロ社さんのイメージから文学部を想像していたなら、これは差別とは言えない。
つまりだ、女性に対し「文学部出身だと思った」とか、「文学部っぽいね」とか言うのは差別につながるのか?
もしくは、工学部の女性に対して、「文系かと思った」とか、「工学部っぽくないね」と言うのは差別につながるのか?
記名で書くのは恥ずかしい、自分勝手なファン心理なのでここにこっそり置いておく。
自分が憧れていた同性(ここではヒーローと呼ぶ)が結婚したりすると少し寂しい気分になる。これは憧れの異性、つまり自分のアイドルが結婚した時に感じる悶々とした気持ちとは少し違う。
自分は、30歳を軽く過ぎても独身のままで、学生時代と同じように、いや、よりマニアックに自分の文化系趣味に没頭して楽しそうにやっている人に憧れる。彼らは高尚な人間だが、社会からは少しだけはみ出し者だ。そんな異端な人間が、尾崎豊のようにぶざまに吠えることなく、社会と自分の折り合いをうまくつけてやっているところがカッコいい。つまり自分は単純ばかなロックスターが嫌いだ。もっと複雑な心を持っているのに、マトモな職について日中は真人間のように働いている人はたくさんいる。それなのに簡単にドロップアウトしやがって。
まあそんなことは置いといて、自分はヒーローのそんな生き下手そうなところが好きだ。経済的に余裕があり、社会的な地位もある、それなのにどうしても臭ってしまう体臭のような生き下手さが好きなのだ。この臭いがしない人はどんなに良い人でも信頼できない。心の底で疑ってしまう。
そして、ヒーローには近づきたくはない。幻滅するのが嫌だからではない。少しでも馴れ合ったら崩れてしまう繊細な感情があるのだ。
だから影ながら応援していた。素知らぬふりをして、心の中で「もっとやってくれ。もっとやってくれ!」と思っていた。
そんな人が結婚した。お相手はなかなかの美人だが、家庭的な雰囲気のある女性だった。亭主の趣味にも寛大で、足りないところを補うしっかり者という印象だ。それを聞いてビックリした。あんなに自分のために時間を使っていた人が結婚するなんて、と思った。ただ矛盾するようだが前からヒーローは非モテであってはならないとも思っていた。女性にモテないことからくる負のエネルギーを趣味に活かすタイプの人が苦手だからだ。そのタイプの人間は年をとって性欲が減退するに連れてセンスも減退してしまう。なので、モテてもモテなくても変わらずに趣味に没頭できる人が良い。
ああでも結婚するなんて。わかっている、結婚したから丸くなるわけではないだろうし、結婚しても趣味を謳歌する人はたくさんいる。だけどそれを奥さんが「うちの夫はいつまでたっても子供で~」みたいに笑顔で惚気でもしたら?耐えられない。そんなの耐えられないよ。この感じに似たものを経験したことがある。学生の頃、女の子と夢見心地でデートした後、実家に帰宅した時に感じるイヤな生活感だ。「遅かったじゃないどこ行ってたの?ご飯早く食べてね」の感じだ。それまで視界の上の先にぼんやり見えていた美しい願いが、何十年も続く古びた生活の重みによって地に落ちて割れてしまう、あの感じだ。つまり悲しいのだ。やるせないのだ。
そろそろ認めないと。赤の他人に自分の理想を押し付けても仕方ないのはわかっている。ただそれに時間がかかってしまっただけだ。これで最後にしよう。祝福しよう。心の中で、こっそりと祝福しよう。自分なりの愛を込めてこんなふうに祝福しよう。
「ああ生き下手な僕のヒーローよ、おめでとう。そして永遠に生き下手なれ。」
さて、今週末はどのidをご飯に誘おうかな?
「いわゆるサブカル系ロックバンドのファンに背が低い女の子が多い現象」といった記事を読んでも読まなくても、ほんわりと感じていたことなのだが、いわゆるキャスケット(wikipedia)をかぶって街を歩いている日本人の男女がどうもちんちくりんな外見の人が多いのは、なぜなのだろうか、という問題について考えてみたい。
太めで大きな体の男性がキャスケットをかぶっていたら、この帽子の丸いシルエットがうまくマッチして、なかなか愛嬌のある外見になるが、ほとんどそういう人はいない。キャスケットをかぶっている男性はほとんどがひょろっとした体型で、以下の属性に分けられる。
たくましいイケメンがキャスケットをかぶっている姿はまず見かけない。かぶっているのは大抵の場合、ひょろっとした体型で、顔の作りがあまり良くない男性である。そして、キャスケットに合わせようとしている服や靴のセンスはぱっとしない。
これは次のように説明できるのではないか。
もともとファッションセンスがあまり良くなく、外見にもあまり自信のない男性が、オシャレしてみようと考えると、なにか他の人と違っていて、オシャレっぽく見えるものとして、キャスケットという選択肢がある。が、体を鍛えておらず、猫背で、しかもトータルコーディネートの技術に長けてはいないため、キャスケットのみが目立つ。その結果、全体的に、貧相で、うさんくさく、むさくるしいというイメージが、意図せず演出されてしまう。
若くして禿げてきている男性が、減った頭髪を隠すために帽子をかぶるが、少しでもオシャレにしようとして、キャスケットをかぶっている。しかし1.と同様の理由で、トータルコーディネートがうまくできていないため、一種異様な印象を与える。
私自身の周りで、キャスケットをかぶっている女性は、男性よりもさらに顕著な外見的統一性がある。
彼女たちは総じて背が小さく、痩せていて、顔の造作は地味であり、また浅黒い肌の割合が高い。
上記の体型をした彼女たちがかぶるのは、男性よりも輪をかけてサイズの大きなキャスケットであり、低身長とコントラストをなして、ひときわ、ちんちくりんとしか言いようのない外観を呈する。
この現象は次のように説明することができるのではないか。
彼女たちには、男ウケのする、Viviやcancamに載っているような、ギャル系の服を着る選択肢は最初から与えられなかった。
次の選択肢は、リンネルやOZmagazineに出てくるような、ナチュラル系かつ文化系女子を目指すことだが、この路線でナチュラルビューティーを達成するには、相当なリサーチ力とファッションセンスを要する。
とはいえ、ジーンズに、中途半端なフリルがついた寸胴型のチュニックを着ているだけでは、喪女たちの中に埋没してしまう。
このようにしてキャスケットをかぶることになるが、そのことによって全体的なコーディネート力がアップしたり、顔の造作が変わったりするわけではない。もっとわかりやすく、オシャレ感を出そうとすると、キャスケットのサイズがどんどん大きくなる。
こうして、身体の大きさにキャスケットの大きさが反比例してゆく。
以上のことから、キャスケットをかぶるという行為は、男女ともに、もともとの外見やファッションセンスというリソースの不足を最大限に補おうとする努力の一端であることが伺える。しかし、彼(女)らはもともと、異性に見せるための服と割りきって自分の服を選んだり、髪型や体型を変えたりすることがあまり得意ではない。その結果、キャスケットをかぶるという行為は、一点豪華主義または局所最適化的な解答になっている。
お世話になっていた身としては、一様に無能と決めつけることは、非常に心が痛い。でも僕はあえてここで言わしてもらう。ハローワーク職員は百害あって一利なしだ。
というのも、ハロワってみんな何しに行きますか?職を探しに行くわけですよね。当たり前ですけど。でもその職探しに僕は警鈴を鳴らしたい。
遡ること大学4年生時代。僕は就活がうまく行かず、救いを求めてハロワに行ってみることにした。自分が何がしたいのか、何がやりたいのかぼんやりとしている中で、漠然とIT業界で働きたいという想いを抱いていました。とにかく内定ないし、社会も自分のこともよくわからなくなって迷走していた僕は、救いを求めるように、どうしたらいいのでしょうか?とハローワーク職員に漠然と問いかけた。。
すると募集一覧とワークシートを渡されて、次回までに興味ある会社とその志望動機や自己PRを考えてこいと言われた。言われた通り、漠然とその募集一覧から会社を選び、わからないながらも志望動機と自己PRを書いて提出した。何回か添削した後は面接の練習になった。
失礼しますとかハキハキいうとか背筋をピーンととかそんな練習。どうでもよくない?面接の練習を無駄にさせられたのだけど、どうなんだろうと思った。元気よくハキハキ相手の目をみてしゃべる!とかさ。これがいつもできる人はいいと思うんだ。でもいつもの自分はこうじゃなくて、あんまりハキハキするのとか苦手で、いつもテンション低いタイプ。よく言えば瑛太タイプwだとするならさ、面接だけそんなハキハキして元気ハツラツキャラ演じてもどうなの?って思うわけですよ。
それでまあ、面接受かって会社に受かるとしましょう。会社で苦しむことになるよ。だって無理やり演じて、本来の自分にないもの出して、受かったんだもの。僕はそれで、超文化系なのに、面接で元気ハツラツな体育会系で臨んだおかげで、超体育会系の会社から内定もらってそこに入社してしまいました。
結局さ、ハロワってただ就職率上げたいだけなのよ。就職してからのこととか何も考えていないわけ。これね、お前が無能だよって思う人いるかもしれないから書くけど、全く社会のことがわからないで、自分がどういう人かもわからない人が救いを求めてハロワに相談するわけでしょ。自分一人で就職できる優秀な人はそもそもハロワなんかに頼らないだろうし。僕らブラック企業の見分け方すらわからないのよ。そういう人たちがさ、救いを求めてハロワに行ったのに対して、面接や履歴書で好印象を与えて内定ゲットしようって取り組みされても、それは違うんじゃない?って思うのよ。
圧迫面接に遭遇して、面接官に一発芸とか、腕立て伏せ50回やらされたり、罵倒されまくったときに、それをハロワに相談しに行ったときがあったのよ。そしたらその会社のホームページ見て、「あらーちゃんとしてる会社じゃない?」とか言う訳?バカかと。そりゃブラックな雰囲気をホームページ上で出さないでしょ。ホームページ上は綺麗に見せるでしょ。警告とかなんか対処してくれたり、僕の他に圧迫面接の被害に遭わないようにと相談したらこの有り様ですよ。
僕は気づいたんだよね。ハロワに相談しても何も得られないんだ、と。ハロワに頼って、何か救いを求めていた僕がバカだったんだ、と。
もはや部活動は児童虐待となっている。特に高等学校の部活動は、その傾向が著しく、実際のところ一時期よりはマシになっているのだが、現在も状況は続いている。
この児童虐待というのは体罰やいじめといった暴力事件の問題ではない。単純に現在の部活動は、その運用自体が虐待になっている。
一般の高校の場合、生徒は通常1日に6時間の授業を行うことになる。間に休憩時間を挟むがショートホームルームや掃除などを加えれば6時間程度になる。
そこに2時間も部活動をすれば8時間となり、これを5日間で労働者ならば法で定められる週40時間の労働に相当する。
大体朝の練習30分、放課後1時間30分も練習すれば丁度良い按配であり、その範囲内に留まる部活動も多い。
しかし大会で実績を残すような運動系の部活動では授業をあわせて8時間をゆうに超える活動が求められている。
相談に来る生徒の中には朝1時間半、放課に4時間、通学は自転車通学を部内規則とするため、学校から遠い家に帰るのは11時ごろという者もいた。
土日も午前午後の練習か公式or練習試合があり、1日の休暇もない部活動の相談もある。
企業ならば松崎茂と並べても完全にブラックといわれるような状況だ。だからこそ、運動部の経験がある人間はブラック企業に重宝される。
このような部活動の異常な活動時間が許されているのには一つの理由がある。
教育基本法など各種教育の法律には部活動を規定する法律の条文がほぼ存在しておらず、部活動は要約すれば『生徒が自主的な活動として課外活動をすることを援助し、教員が行動を監督しなくてはならない』といった趣旨のことが書いてあるだけだ。
つまり、部活動は本来「生徒の趣味」として行われているだけで、その援助をするため学校は場所を与え教員は事故や犯罪などのないように監督(指導ではない)するようにされている、ということである。
これは野球の甲子園などで確認できる。監督は審判に抗議してはならず生徒が行わなくてはならない、なぜなら生徒の自主的な活動だから。(どれだけ事実と馬鹿馬鹿しくかけ離れていてもだ。)
生徒の趣味であるのだから、どれだけ活動しようが学校による虐待に当たるはずもなく、教員も指導ではないのだから、そこに仕事としての給与や指導における特別手当が発生することは殆どない。(土日などの手当てはスズメが悔し泣きする位には出る。)
確かに部活動は完全に自由に選択でき所属非所属を選べる学校もある。だが当たり前のように部活動への所属が強制される学校も少なくはない。
部活動は指導の場ではないはずだが、部活動(特に運動部)を通して指導を行うことが期待されている現状は揺るがしがたく存在している。
部活動は教師の完全な指導と強制の下に行われ、自主的な活動が認められていない部も多くあり、退部すら許されず不登校になる生徒もいる。
部活動が生徒の趣味であり、教員は指導をするわけではないという建前があるからこそ、部活動は学校ごとに大きな不均衡をもたらす。(それが学校に利益をもたらすことにもなるが。)
まずもって問題なのは、教員には部活動を経営する教育は一切与えられていないということだ。
教員免許に部活動に関する必修講義は存在していないし、教員採用試験にも存在はしない。
現実の部活動においては教員が生徒を技術指導することが求められているが、その技術指導する教員が適切なスポーツ知識を持っているという前提はない。
そのため、公立高校ですらも部活動においては顧問となった教員によって生徒への教育成果に大きな差が現れる。
部活動は現実として、生徒への教育や指導となっており、その成果は後述するが生徒の進路にも大きくかかわってきている。
しかしながら、それは義務教育段階ですら機会も完全に不平等であり成果も完全に不平等である。
入試段階で学力偏重が問題であるならば、部活動の成果もまた評価の基準に含まれてよく、そしてその結果は生徒や学校によって偏りがあることは望ましくはない。
部活動が異常な拘束時間をほこっても行われるのには、これは誰でもわかることだが、そこに大きな利権が存在しているからだ。
学校の入学希望者は、その学校にどんな部活動があるかを明確に意識して選んでいく。ある部活動が全国的、県内でも有力であるかどうかは入学の大きな動機になっている。
部活動で大きな成果を出せば、(建前では成果の主体者ではないはずの)学校に大きな利益をもたらす。
プロになれば知名度は上がる。プロでなくとも実業団や有名大学に入れば、そこに企業や大学とのパイプができる。
大学は厳しくなってきたが、それでも推薦枠がある。それはともすれば進学率就職率に大きくメリットとなる。
指導する人間には、その働きに対して金を払う必要はない。存分に働かせれば良い。
資金が出せず設備を整えられないが成果は出してほしいため、労働者(生徒)には労働時間を増やして成果を出させようとする。
私立で学費免除などで多いが、公立高校でも独自入試、つまり一芸入試のようなものなど、いわゆる入試に下駄をはかせる行為も未だに行われている。
確かに学力だけで生徒の可能性を測るのは良くないかもしれない、高校に入れるのが学力によって選抜されることは不平等かもしれない。
しかし学校の成績は学力でつけなければならないものが他の活動で評価される部分よりも多くあるのだ。
定められた教育内容を覚えたといえない限り、それを卒業できる学力に達しましたと認めることは難しくなった。
下駄を履かした生徒の授業を担当することになった教員も悲惨である。下駄を履かせてどら猫を追っかけさせればそれで優に出来るなら良いが。
下駄を履いていない生徒に定めた最低基準と同じだけの成果を出さないことには、成績に可をつけられない。特に公立高校では、明確に許すことは建前上できない。
授業は、その特待生に足を引っ張られ、入試を越せない人間にすら理解できる内容まで落とさなくてはならない。
その上、多くの生徒には授業によって良い大学を目指せる成績まで上げることを求められる。
そして特待生を抱えるような部活動はやはり長時間の活動時間を生徒に課す。
前記したように、夜遅くまで活動する部活動も多く、それによって予復習をする時間も余力もない生徒が多く現れる。
(部活動は特待生のみでは行われず、多くの一般生徒までもが、それによって時間を取られることにもなる。)
疲労した生徒は、授業中に集中することが出来ない。研究結果では睡眠時間が6時間と8時間の生徒には明確な学力の差が現れている。
学力の落ちた生徒は、テストで赤点を取り補習や追試を受けることになる。そのために他の教科すら更に成績が落ちていく。
ここまで問題をあげつらってきたが、しかし、部活動が多くのメリットを生んでいることも事実である。
部活動は日本の高いスポーツレベルを支えている大きな要因である。
野球が世界トップレベルであるのは甲子園という高校野球の大きな競争があるからこそだといえる。
文化系においても書の甲子園やロボットコンテストなど、生徒の育成に大きな力となっている。
また文化への影響も大きい。
複数の生徒が同じ活動することは交友関係を広げ、違う学年との交流を生むことで認識に大きな幅をもたらす。
そして、多くの生徒が共有の「部活動」という体験をしていることは、創作などで「部活動もの」と呼ばれるジャンルを生み出す要因となっている。
多くの人に共有体験があれば、それは一般に受け入れられる創作物の幅広げることになる。
問題なのは、そんな成果や影響の大きい部活動を何一つ政治的な援助も規制もせずに野放図となっていることだ。
一部の教員によって支配されている部活動が体罰などの問題を引き起こす。
それは教員が全て強制の無償活動で行っているからであり、そこに「俺がやってやっているのに」という感情がなきにしもあらずといえる。(実際にそういう声も相談に上ってくる)
育ち盛りで可能性のある若者が、知識のない指導者によって無理な運動を強いられ体を壊す事例もある。
特待生として入学した生徒が芽が出ずに、退学を強いられる問題も起きている。
野球でも度々問題となったが、人材を求める企業などとの癒着も未だに多く存在している。
部活動をなくすべきではない。しかし、現状の大人の建前と利益によって児童生徒が被害を受ける状態は改善されなければならない。
そして出来るならば部活動のメリットをより大きなものにするべきだろう。
部活動が生徒の教育に成果を生んでいるのならば、それを教育活動として認め労働としての対応をしていくべきなのだ。
運動部の指導を運動の素人である教員に任せず適切な指導者を雇い雇用を増やすべきであるし、
少なくとも自民党と日本ユニセフには、存在していない児童への性的被害を問題視するよりも、現実に存在している過酷な部活動を問題にしてほしいところだ。
夢の共有とか、みんなで同じ方を向いて頑張ろうとか、違う人間のはずなのにひとつになろう!って青春するの毛嫌いするのなんでだろう?イベントとかでもそうじゃん。ノリだかなんだか知らないけど、みんな同じようにアツくなろうぜ!そんな学生の文化祭みたいな考え方でプロジェクト進めていきたい。完全に同一な何かで物事成し遂げた達成感!それをお前たちと分かち合いたいんだよ!もっとアツクなれよ!
っていうとアイツらは
「あなたはあなた、わたしはわたし。あなたの手段は私の目的だし、あなたの目的は私の手段でしょ。温度差はあるもんだし、そんなバラバラな人間たちでも、それぞれ公平な取引で力を交換し合って大きなこと成し遂げるために組織ってできたんじゃないの?」
とかよくわからんこと言い出すんだよな。
スポーツが好きじゃないのに同調圧力がイヤってのは、凄く良く分かる
でも、混雑に関しては、湾岸エリアに住んでいる人じゃなきゃ、多分そんなに今と変わらないんじゃないかなぁという気がする
湾岸住人だったらごめん
スポーツ嫌いだからっていう意見には、そりゃそうだよね、と思えるんだけど
「税金の無駄遣いだ」とか「被災地に回せ」とかは、全然納得できない
オリンピックやらなかったお金ぐらいじゃ、被災地復興には全然足りないし
スポーツ施設以外の文化系の施設、たとえばコンサートホールとか、それこそ市区町村図書館なんかだって、
そういうモノに興味がない「不要な施設」だと思う人だっているんだけどなーと思ったり
図書館不要はもちろん極論だけど、市区町村図書館だったら「蔵書」の意義なんてないわけで
そうなると、本を借りる習慣がない人にとっては「不要」でもある
でも、図書館不要でしょ。って言ったらキチガイだと思われるんだよね。特にはてな界隈では
http://anond.hatelabo.jp/20130907211741
うちの場合はお見合い、お互いに初めてのお見合いでそのまま結婚。お互いに「まぁ悪くはないしな」程度だったと思う。
結婚はそれぞれパートナーとの組み合わせの問題なのでケースバイケースだと思う。相手による場合もある。必ずしも幸せになれる訳ではない、という事は確実にいえる。
先日、茨城の大洗に行ってきたんです。ウチの場合、主にプランを立てるのは嫁さんで私は荷物持ち、金を出す担当、もちろん嫁さんのプランニングには不満はまったく言わない。
「常磐線で気軽に行ける旅館でヒットしたの」「○○さん、あんまり歩きたくないでしょう? ゆっくりするプランで」という訳でのんびりする予定で立てたらしい。
チェックアウトも終わって大洗アクアワールド行きのバスを待つ間、ホテルのロビーで待ってたんだけど1歳ちょいの息子が不満げなのよね。
私もだっこするのは重いので座椅子の上で待っててほしいんだけど、だっこを要求してくる。で父親と母親交代、嫁さんが抱っこして持ち上げてあやすと、ヤターって顔してる。
嫁さんもホテルで鋭気を養った感じなので調子に乗り出して、ゆっさゆっさしだしてるのよ。 それまで立ち込めていた霧が晴れてきて、なんだか気分が良くなってきていたのかもしれない。
で、ふと嫁さんくるくるまわりだしたのね。「ぴゅー」「ぴゅーぴゅぴゅー」とか言って。 子供は大歓喜。「キャキャ」「キャーキャキャキャ」みたいに笑ってた。
その時の嫁さんはゆるい茶色のワンピースで、子供を胸に抱いて、回る度にスカートが広って、子供はキャヒャヒャキャーヒャーゥ言ってた。二人ともすごく楽しそうだった。
子供はまぁ、1才児であるので素直に楽しんでいる事は分かる。ただ嫁さんも子供が楽しそうにしているのを単純に楽しんでいるようだった。 あまり他人の気持ちに関して確信を持てないが、あれは純粋に楽しんでいたように思う。
一瞬なにが起きたのかよくわからなかった。 なんか嫁さんが無邪気に子供っぽく喜んでいるのが信じられなかった。いま思い出してみてもなぜか泣きたくなってしまう。
私にはあまり美醜のセンスがない。が、あれは美しいもののように思った。信じられないのは「自分の身にこんなことが起きている」という事が信じられないからだ。結婚する前は結構なアニオタだったのに。「いいの?」って感じ。
嫁さんだが、別にDQNって訳でもない。国立4年生卒、ギャルというよりは文化系、新宿渋谷というよりは根津千駄木、天然っていうよりはこじらせって感じ。 割と複雑な心理をもった部類だと思う。
お見合いで結婚して、なんか都会で生きる一匹猫みたいだった嫁さんも、なんだか柔らかくなり、子供もできて、変わってはきていたのだが、ただあんな風に無邪気に笑うなんて思ってなかった。
目の前で好きになった女性が、子供と一緒にくるくる回って単純に笑っている。スカートが膨らんで回ってる。ちょっと信じがたい。おねティにこんなシーンあったかな、と思うレベル。
一瞬思ったのは さんさん録の中の台詞で「この一瞬があれば私は生きていける」みたいな台詞が思い出され、作者すげぇ、これがそれか、げは、直視できんな、俺の中で一人ぐらし時代の汚い部屋がフラッシュバック、泣きそう、とりあえずカメラに、と起動したら、回るの終わってた。「目が回るねー」とのこと。それは良くない。 シャッターチャンスって難しいんだな。
ただ、たぶん私は今後なにかに絶望しても、あの一瞬が思い出せれば大丈夫なような気がする。
あとちょっと客観的に見ると、これはただ「嫁さんが子供とくるくる回ってる」だけであり、割と頻繁に起こり得る事象のようにも思う。
ネットではあまり見聞きしないが、たぶん世の中的には頻繁に起こっているのだろう。 なんかそう思うと、結婚っていうシステムも悪くないかもよ、と思う。
ただ結婚やそれに付随するお見合いみたいなシステムがなかったら、我々夫婦が成立したか?って考えると無理だなー、とも思うんだよね。 二人ともあまり積極的ではないしね。
fd3522816ecaddb484b2f218b8bb72c0
うーん、取り敢えず理系で"大学教員"って表現がよくわからないけど。
んで、教職課程をとる理由だけど、大多数は人脈広げるためとか経験のためとか興味本位とかツブシを利かせたいとか教職取ってる異性と仲良くなりたいとか、本気で教師目指してる人には怒られそうなものばかりだ。
この中で異性と仲良くなりたい、以外はまあ、普通に教師目指してる人とさほど変わらないと思うけどね。
教育学部を出た人間に比べれば、確実にあなたの学部(レベルは分からないけど、単科大学で博士まで行って意味あるのって、東工大とか理科大くらいしか無いと思うんだけども?そこで20人程度って少ないから違うかもしれないけど。。。)
へ行った人の方が、数学や理科系については確実に知識としては高いと思う。
でも、それらからやーめた、って人が多いから、教えるのなんてどうでもいってかんじで、理科の先生とかひどい人間が多いんだと思うんだけど。
知識はあるかもしれないけど、授業とかどうでも良さそうだし、適当な教師が多い印象。
勿論、自分の経験による所が大きいから超偏ってるかもしれないけど。後、理科系に文句があるのは自分がそれらが得意だったからで、
もしかしたら文化系が得意な人は英語や国語の先生にも文句言いたいかもしれない。(ま、受験用の英語や国語って文句言う言わないがあるようなとこではない気もするけど。。。)
とあるけど、科研費の辞退なんていくらでもあるし、理由に関わらずDC辞退したぐらいで研究室に迷惑がかかるとか、ありえないから。
実際に迷惑かかるのかどうか、審査にどう影響出るのかまでは知らないけど、少なくともそういう噂があるのは事実だし、
大規模実験で全く同じ様な事やってる学生でも、上の教授の学生が採られるのは常なので。
確かに
ちょっと言い過ぎ。
結果として、大いとか少ないとか、有利だとか不利だとか、そういった定量的な結果を出す研究結果において
物理とかでも純粋理論に行けば行くほど、数字、なにそれ?っていう感じの話になってくから恐ろしいことで、、、
ただシミュレーション、ってそれこそ統計処理のためのものだよね?
実際、理論で突き詰められない所をサイコロ振って数を集めて処理するわけで。
先の厚生労働省のもググれば元の論文っぽいのが見つかるけど、まあ素人でも出来るようなレベルの統計処理とは言え、
一応p値がどうたらこうたら、得られる数値についてはちゃんと載せてる。
医者が考えたっていうのが現場の医者、って言いたいだけなのか知らないけど、
統計的に調査して、それぞれの状況を解析した結果こうでした、ってんだから、
それはそれで十分医学的な結果だと思うけど?
薬試してみました、結果これくらいOKでこれくらい副作用が出ました、ってのと一緒だぞ?
国のなんたらの機関が数集めて結果出したのと、
医者がこうじゃね?って自分の目の前で起こったことだけに対して言うことなら
数集めて出した結果のほうが"研究結果"だし、医者の言う事はただの小数経験でしかない。
勿論、その医者の得た経験をさらに沢山集めて結果出す事出来ればそれも意味のある結果だけど。
http://anond.hatelabo.jp/20130423093210を書いた増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20130426234429を書いてくださった増田さんは
http://anond.hatelabo.jp/20130422232409を書かれた増田さんだという認識でいいでしょうか??
ちなみに、わたしは「アイドルブームの悪いところ」(http://anond.hatelabo.jp/20130422181939)を書かれた増田さんとは別人物です。
もし、あなたがhttp://anond.hatelabo.jp/20130422232409を書かれた増田さんで、
わたしが横からわかったような発言をしてしまったことに対して不快感を抱かれたのであれば、その点はお詫びします。
アイドルブームのせいで一般人が美を強く意識しすぎているがために、※ただしイケメンに限る。とかブサメンは歩くだけで犯罪通報とか、電車でバカ女が言いがかりつけるといった空気が作られているのだ。
という部分は、わたしの疑問
暴走フェミニズムがあなたの「異性観」に影響を与えるのは そりゃ確かにそうかもしれないけど、、、なぜ今、その話???
に対するご返答(遠まわしな?)ですか??
どういう意味なのかわからず、いろんな可能性をあれこれ考えてもみたのですが、
結局、遠まわしなご返答としか受け取れませんでした。曲解でしたらごめんなさい。
因果関係の主張、ということか。 なるほどその視点はなかったです。
ただ、「たしかにそうなのかも。」言えるほどの納得感は得られていませんが…
わたしのなかでは、ここで話題になっている「アイドル」の問題と
「美形かそうでないか」という要素は本質的に関係ない気がしていて……
「他者の欲望に合わせる/自分のもっているものを前面に出す」の問題だと思っているので……
あなたのような方々が美人顔に飽きてしまい、「文化系・微ブス女子」を求め出したら、
”黒ブチ伊達メガネの歴女5人組”みたいなアイドルが売り出されるんじゃないですか??
アイドルは「人格労働」である。という話も聞くね。そりゃあ精神も崩壊するわな。そんなモンを売り物にするような生き方をおいそれと尊敬することなんでできない。
「アイドルブームの悪いところ」を書いた本人でもない
乗りかかった船、ということで、私見を述べさせていただきます。
これについては、わたしも「アイドルブームの悪いところ」を書かれた増田さんと同意見です。
つまり、「そういう生き方は、したい人だけがすればいい」わけで、
したくないひとに(直接的に、あるいは同調圧力を介して間接的に)強いるべきではない。
そんなモンを売り物にするような生き方をおいそれと尊敬することなんでできない。
わたしは、良いも悪いもなく、それぞれの価値観の問題でしかないと思います。
「他者の欲望に自分を合わせていく(≒アイドル)」よりもむしろ
主体性を前面に出すような、アーティスト等のほうではないかと思います。
ニーズに応じて自分を矯正する仕事も非常にストレスの大きな仕事だと思いますが
(「アイドルブームの悪いところ」を書かれた増田さんがおっしゃっている通り)、
受け入れられたときの満足感が大きい反面、
ともすれば「作品に対する批判≒人格否定」となりかねず(技術の問題もありますが)、
脱童貞をして思ったことを箇条書き
・おっぱいは着衣の上で視覚的に楽しむものであり、揉んだ瞬間に幻想が殺される。
・イラストではわからないが髪の肌触りは素晴らしい。いつか髪でシゴいてくれる風俗へ行きたい。髪射は不要。
・つまり二次元と三次元ではフェチを感じる部分が異なってくるらしい。
・乳首や金玉は言うに及ばず他人に肌をただ撫でられるだけで快感である。責められたい。
・AV男優特有の声の出し方が嫌いだったが、セックス中は自然とあのように声が出てしまうと体感した。
・いかにも感じている風に甲高い声で喘がれるのも好きではないが、その作った声のまま話しかけられるとえもいわれぬ不快感に襲われた。
・セックスは右手より圧が弱いと言われるが、それでも1分で果てる早漏は治らなかった。
・自分ではXLサイズのコンドームがちょうどいいと感じていたのだが、それが自惚れではないと実践で経験豊富な相手からも認められ、大きくて硬くてまたシたいと言われた。ペニスは非モテ文化系オタクの自分が唯一肉体的な自信を持てる部分となった。
・いざセックスをしてもなんというこもなく日常が続くだけだった。だからこそ美人であるか、あるいは恋人として精神的に繋がった相手以外とのセックスは不要で、誰とでもいいからヤりたいという強い性欲を自分は持っていないようだ。
なぜか消されていたので再掲
http://anond.hatelabo.jp/20130212203411
というのが彼の主張の全部。
青二才が体育会系に対して抱くコンプレックスが教育論の皮を被った、偏見とルサンチの垂れ流し。
「自分が万が一にも体罰の対象にならなくて自分が嫌いな奴にだけ体罰が行く」理屈を構築した上での空想的体罰論。
自分が嫌いなものを、自分じゃなくて他の人が殴っておとなしくさせてくれって、ヘタレな上に厚かましい欲望。
経済学は全く関係ないというか彼は経済学についていくつかの単語以外について完全に無知。
自分のゲスい欲望をなんとか正当化しようとした試行錯誤の結果が全部垂れ流しになったのが今回の文章。