はてなキーワード: 文化系とは
小学校のときはおとなしい文化系だと思ってたからちょっと意外だった
先輩は才能があったみたいで、背がぐんぐん伸びてその部活の中でも一番うまいポジションになった。
選抜とかにも選ばれてた。
大会とかでその先輩を見るたびに、他の部員に、あのうまい人、中学のときの自分の先輩なんだよと自慢しまくっていた。
でもあるとき、その先輩が「増田ってやついるんだろ?あいつ下手だろ?wwww」って言ってたと、高校の部活のキャプテンがニヤニヤしながら自分に教えてくれた。
その場では愛想笑いしてたけど、内心心が凍りついた。
実際自分は下手だったけど、自分って存在を先輩がまさかそういう形で認識してるとは思ってなかったから。
その後からは、大会でその先輩みかけても周りにどうこう言いまわることはなくなった。
周りが気を遣って、ほらあの先輩出てるよみたいに言ってくれても、ふーんと流すことが多くなった。
もう今ではその先輩の苗字も覚えてない。
キャプテンも嫌いになった。
数年ぶりに思い出した嫌な記憶。
せっかくの土曜の朝から気分悪い。
姉→従兄、妹→従弟であってる?
自分は40代の男なのだが、子供の頃から従兄の従弟(私)いじめが激しかった。
私は、従兄に逆らった事もなく常に従兄の顔色を伺い続ける人生だったし従兄の言うことを素直に聞く優しい従弟だったと自分でも思っているのだが…。
最近になってようやく、なぜ従兄がこんなにも執拗に従弟いじめをするのかが分かってきた。
従兄は昔から、フォースが好きでピアノをよく弾いていた。私もフォースが好きでピアノを弾いていたのだが、従兄よりも私の方が上手くできてしまったのだ。
私は、上手い演奏を聞くのが好きで(自分で言うのもなんだが)吸収が早かった。従兄には、私以上にピアノが優れていれば私は嬉しかったし、自慢の従兄に思えていたし、そうでなくても別に構わなかった。私は従兄を追い抜く気はなかった。
しかし、従兄には「従弟より上であるべき」という親からの無言のプレッシャーがあったのだろう。
従兄は、「フォースが好き」ということは家族の誰にも一言も言わなかった。
昔から現在に至るまで…。(しかし従兄を長年観察して、ようやく気づいたのだ。40年の時間を費やして、ようやく従兄の行動と言動を推理することで解けなかった謎が溶けたのだ…)
そして従弟の私は、子供の頃から「フォースが好き」と素直に家族に伝えていて、反対されても反論して強引にフォー大へ進学した。
そして従兄は普通の文化系の大学へ進学した。「私はフォースは趣味でやってるだけ。別に好きじゃない」「フォースでは食べていけないでしょ」と私に言っていたのを覚えている。
従兄は、もしかしたら、自分のフォースの道を挫折させたのは、"従弟が原因"と考えているのではないかと思えるのだ。従兄は昔から周囲の顔色や意見、世間体を異常に気にする。そういう風に従兄というのは育てられるのかもしれない…。従弟以上に。従弟はその責任からはある意味、自由だ。嫌、私の個性が、散々世間体を言われたけど弾き飛ばすメンタルだっただけかもしれない。
従兄はフォース以外では、私より優れていているものは沢山あった。しかし、その部分を誉められても全然喜ばなかった。従弟には無いモノを持っていても満たされなかった。フォースという一点において、優れていなくてはならなかった。なぜなら、従兄にとってフォースが一番、求めていたことだったから。
私は、従兄のそんな心の内を知ることなく、フォー大に進学し、フォースをたっぷり学んだ。そしてこの業界の嫌な部分を山ほど見て、心から嫌気もさして興ざめし(飽きて飽きて仕方がない…)フォースの中心に遠くも近くもない絶妙なポジションに収まった。
そして従兄は、気の遠くなる人生の紆余曲折を得て、40代になってようやく大好きなフォースの世界に辿り着いている。
だから私は気付けたのだ。従兄が本当に求めていたものがなんだったのか?従兄は一言も、誰にも何も言わず、ずっとフォースを求めていたのだ…。
その思いにまったく気付かず、フォース業界の愚痴や不満をこぼし続けていた私。好きな事をしているのに愚痴っている姿は、さぞ嫌味に聞こえただろう…。
しかし、そうすると私はどうしたら良かったのだろうか?
私がフォースを好きであることは間違ってはいないし、自分の力をセーブして周囲の人を引き立たせば良かったのだろうか?
ちなみに私であれば嬉しくないが、私の感覚は世間とは違う事もわかっている。
私の感覚では、正々堂々勝負して、真剣に力を出し尽くして、自分の力をぶつけたいと思う。そうでは無い勝利は虚しいと思う。しかし世間はその逆で、正々堂々でなくとも勝つことが嬉しいと思うのがマジョリティだった。
人との感覚の違いは、それに気付くまでに、多くの誤解を生み
人間関係を困難にさせる。
自分は40代の女なのだが、子供の頃から姉の妹(私)いじめが激しかった。
私は、姉に逆らった事もなく常に姉の顔色を伺い続ける人生だったし姉の言うことを素直に聞く優しい妹だったと自分でも思っているのだが…。
最近になってようやく、なぜ姉がこんなにも執拗に妹いじめをするのかが分かってきた。
姉は昔から、音楽が好きでピアノをよく弾いていた。私も音楽が好きでピアノを弾いていたのだが、姉よりも私の方が上手くできてしまったのだ。
私は、上手い演奏を聞くのが好きで(自分で言うのもなんだが)吸収が早かった。姉には、私以上にピアノが優れていれば私は嬉しかったし、自慢の姉に思えていたし、そうでなくても別に構わなかった。私は姉を追い抜く気はなかった。
しかし、姉には「妹より上であるべき」という親からの無言のプレッシャーがあったのだろう。
姉は、「音楽が好き」ということは家族の誰にも一言も言わなかった。
昔から現在に至るまで…。(しかし姉を長年観察して、ようやく気づいたのだ。40年の時間を費やして、ようやく姉の行動と言動を推理することで解けなかった謎が溶けたのだ…)
そして妹の私は、子供の頃から「音楽が好き」と素直に家族に伝えていて、反対されても反論して強引に音大へ進学した。
そして姉は普通の文化系の大学へ進学した。「私は音楽は趣味でやってるだけ。別に好きじゃない」「音楽では食べていけないでしょ」と私に言っていたのを覚えている。
姉は、もしかしたら、自分の音楽の道を挫折させたのは、"妹が原因"と考えているのではないかと思えるのだ。姉は昔から周囲の顔色や意見、世間体を異常に気にする。そういう風に長女というのは育てられるのかもしれない…。妹以上に。妹はその責任からはある意味、自由だ。嫌、私の個性が、散々世間体を言われたけど弾き飛ばすメンタルだっただけかもしれない。
姉は音楽以外では、私より優れていているものは沢山あった。しかし、その部分を誉められても全然喜ばなかった。妹には無いモノを持っていても満たされなかった。音楽という一点において、優れていなくてはならなかった。なぜなら、姉にとって音楽が一番、求めていたことだったから。
私は、姉のそんな心の内を知ることなく、音大に進学し、音楽をたっぷり学んだ。そしてこの業界の嫌な部分を山ほど見て、心から嫌気もさして興ざめし(飽きて飽きて仕方がない…)音楽の中心に遠くも近くもない絶妙なポジションに収まった。
そして姉は、気の遠くなる人生の紆余曲折を得て、40代になってようやく大好きな音楽の世界に辿り着いている。
だから私は気付けたのだ。姉が本当に求めていたものがなんだったのか?姉は一言も、誰にも何も言わず、ずっと音楽を求めていたのだ…。
その思いにまったく気付かず、音楽業界の愚痴や不満をこぼし続けていた私。好きな事をしているのに愚痴っている姿は、さぞ嫌味に聞こえただろう…。
しかし、そうすると私はどうしたら良かったのだろうか?
私が音楽を好きであることは間違ってはいないし、自分の力をセーブして周囲の人を引き立たせば良かったのだろうか?
ちなみに私であれば嬉しくないが、私の感覚は世間とは違う事もわかっている。
私の感覚では、正々堂々勝負して、真剣に力を出し尽くして、自分の力をぶつけたいと思う。そうでは無い勝利は虚しいと思う。しかし世間はその逆で、正々堂々でなくとも勝つことが嬉しいと思うのがマジョリティだった。
人との感覚の違いは、それに気付くまでに、多くの誤解を生み
人間関係を困難にさせる。
オタク系・文化系・運動部系などに関わらず、今の30前後の男性には、女の子にカッコつけようとしたり、運動部みたいなノリで声が大きかったりするという層が多く存在しているのをよく見かけて、彼らは軟弱さに甘んじつつ男の子のプライドだけはしっかり持っていて、あまつさえそれを良しとしているような態度をよく見かけるのですが、そんな姿は痛いなあと思いつつ、あと数年もすると僕らもああなってしまうかもしれないというのはキツいものがあるなと思ってたんだけど、最近そのあたりの年代には、ドラゴンボールを主体にしたジャンプ黄金時代を体験して、ジャンプは神・その他はオタク(罵倒語)という世代があるというのを知って、これはもしかして全ての少年が30前後になるとあのようになるのではなくて、いま現在30前後の男性に特徴的な性質なのかなと思いました。すると、今30前後の人や40前後の人も、青年だった頃にそれぞれの10年先の世代をみて、おじさんになるとはこういうことかしらと絶望しながら、実際にはそれらとは少し違って、世代に影響を受けた別のタイプのおじさん達になっていったのだろうということです。僕らもどんなおじさんになるかはなってみないとわからないのだな。
「体育の授業」のおかげでスポーツが嫌いになる、というこの記事を読んで、ひとつ思い出したことがあった。授業の話じゃないけれど、でも、通じるところはあるので書く。
↓
どうして「体育の授業」のおかげでスポーツが嫌いになってしまうのだろう - YU@Kの不定期村
しかし、まともな練習はさせてもらえなかった。
某個人球技だったんだが、部員は40人いるのにコートは2面しかない。
フルに使えば4人、半面ずつ使っても8人しか一度には練習できないので、全員に公平に割り振ると、1時間のうち実質練習に使える時間は5分~10分ぐらいしかないわけですよ。
「コートが2面しかない」っちゅう物理的な限界があるのはわかるので、あんまり文句も言えなかったけど。
・素振りはフォームを作るために非常に大事な練習だ! 真面目にやれ!
・球拾いしてる間は上級生のプレーを見て試合の組み立てを学ぶんだ!
で、その場では一応「ハイ!」と素直に元気に答えて真面目にやるものの、いくらなんでも練習できる時間が短すぎると思った僕は半年ぐらいで辞めました。
それから20年ぐらいの年が過ぎたある日、その某球技の指導本をたまたま読んで驚愕した。
って書いてるんだな、これが。
理由は、初心者が素振りばっかりやると、悪いフォームを固定させる弊害のほうが大きいんだそうな。
初心者ほどボールを使って、ボールがきれいに返るのを確認しながらやらなきゃいけない、、、、だそうで。実際、ヨーロッパのトップ選手は素振りなんかやらんそうで・・・・
逆に、熟練してからだったら素振りにも意味がある、と。(ただしそれは必要に応じて個人的にやるべきもので、「全員、素振り300回」とか一律でやっても意味は無いと)
で、今思うとわかることがある。
当時の学校での部活動というのは、放課後の時間、子供の自由を奪うための口実だったんだな、ということ。
外で遊ばれて事件・事故起こされたりすると困るので、健全な身体の育成を名目に全員を部活動に参加させ、自由時間をなくしていたわけだ。
ところが実際に全員を入部させると絶対的に設備が足りない。部員は40人いるのにコートは2面。
で、どうするか。そういう状況での実に安直な解決法が、球拾いと素振りをやらせておくことだった。
そこで、
・真面目にやれ!
という、一見もっともらしい理屈をつけて新入生を黙らせてたんだな、ということ。
「素振りを真面目にやって上達した先輩」がいるのは事実だろう。
ただしそれは、何でも真面目にやる先輩が、素振りも真面目にやっていただけのことで、素振りが練習法として役に立つことは意味しない。素振りをやってる間、コートを使えていたらもっと上達していたかもしれない。っていうか普通はそうなんだよ。
ところでこの問題が深刻なのは、当時部活の顧問をしていた教師はこの
理論を真面目に信じていたってこと。本人は大まじめにそう考えていて、それが適切な指導だと信じてそう言っていたんだよ。それはわかる。しかしその結果何が起きたかといえば、練習時間の壮大な無駄だ。
だったら、コートが使えない間は他の活動するのを許可しとけばいいじゃないか。外で遊んで事件起こされるのが困るんだったら、教室で出来る文化系の部を作らせて、マルチ所属にしとけばいいでしょ。
けれど学校はそれを許さなかった。どの部も少ないリソースにおおぜいの部員を詰め込んで、実質ろくに練習できない環境に多くの生徒を縛り付けていた。
今思えばあれほど無駄なことはなかったと思う。
しかもその「無駄なこと」に疑問をもたずに真面目にやる生徒が高く評価されるわけですよ。
アホかと。
http://anond.hatelabo.jp/20150920201508
確かになー、私の場合は30歳の時にお見合いでした。お互い初めてのお見合い。嫁さん27歳。
うちの場合は私の母親が教師で文化系部活の顧問。嫁さんは部員だった。
で、母親も退職して「そろそろ面倒見るか」みたいな感じで嫁さんに声をかけたらしい。
私は、あまり母親の事はよく思ってなかった。支配欲が強い人だし、かといって反論すればしょげかえる心の弱い人でもあるし。
そんな訳で、いきなり出て来たお見合い話は正直面倒だな、という感じではあったんだけど、
まぁ失敗できる機会があるのもありがたい話ではあるな、と思ってお見合いに行くことにした。当日はそれなりの金をダウンロードして現場に向かった。
当日は、というと、東京駅の喫茶店で落ち合って、いろいろ話をして、彼女の話を聞いて、1時間くらいしたら
館内をいろいろ歩いて、なんだか立ってるのも疲れて来たので喫茶店でお話しして、帰った。
なんかネットの情報で『女性は話を聞いてもらいたいと思ってる』みたいな話があったので、彼女が話はじめたら真摯に聞いてた。
別れ際、彼女の連絡先を聞こうかどうしようか迷ったが、聞かない事にした。私がストーカー化するリスクもあるし、彼女を脅えさせてもな、と思ったので。
彼女が最後に連絡先の交換を申し出てくれた。ありがたい。たぶん彼女が最後に連絡先を聞いてくれなければ子ども二人は生まれてなかったと思う。
という話を嫁さんにすると「お見合いに来て連絡先交換しないなんて、なにしに来たんだ、って思いましたよ」と言われた。
いやまぁ、私は私でかくかくしかじか、と話すと、穏やかに笑ってた。
回答はその場で言っちゃいけないとか、車で来ても送って行っちゃいけないとかあるらしいけどほんと?
回答はその場では言わない方がいいんじゃない? と書いてみて思ったんだけど、お見合いって告白とは違うプロトコルなんだなー。親が断ってくれると思うけど。その点、告白と違って楽だなー。
車に関しては持ってないので分からないですが。送り狼を避ける、という事なんですかね。ただ明らかな草食系男子だとオオカミに見えないので、あれですよね、
女性から見て「なんで車もってるのに送ってくれないの?」みたいに思われたりするだろか。
いくつか選択肢を用意しておいて、お見合い相手に聞いてみては? 乗ってこなければ脈はない次の女性にいった方がいいでしょ(という心理的な余裕は持っといた方がいいと思う)
振り返って、我々のお見合いはおしゃれか?一般的か?と考えてみると、割と雑だなぁ、と思う。もうちょっとお金をかけるべきだったかも。でもまぁ、二人共、気取ったタイプではないし、まぁいいか。お話できれば、どこでもいいよね。いや嫁感謝しておくべきか、という感じです。 まぁお見合いの1ケースって事で。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150903/k10010215341000.html]
募集→審査→内定(→変更→再審査)→発表というのが一般的かと思います。
また、応募者とやり取りをするのは事務局(今回は組織委員会の担当部署)です。上記の最初の審査で見られた問題点(場合によっては、応募者からの変更願における問題点)を応募者に伝えます。その問題点をどう変えるかというのは応募者ですので、そこまで指示しては意味がありません。もちろん内定のまま進んだほうがいいに決まっていますので、うまいこと進むよう少し詳しく応募者に知らせることはあります。
審査委員と応募者が審査の過程において仲良くやることは、審査というものの性質上、よいことではないと思います。事務局もそうではあるのですが、応募者に対してそこを取り持つ役割が求められます。今回、取り消されはしましたし彼のこれまでの活動の中でやったことで悪いことがあったことも事実ですが、裏でしっかりフォローしてあげていることを願います。
こういったことためにはカウンシル的組織がいい意味で独立していることが重要なのではないかと思いますが、文化系の事業ではPDクラスのいい人材が不足していることが浮き彫りになったと思います。
審査委員に進捗が知らされていなかったこと。これはありえません。事務局として失格です。
また、再審査の資料が発表1週間前にきたら、検討してどうにかする時間はありません。どうせすぐに上がってくるわけがないのだから、急かさないとダメです。悪い用法として執行するためのゴリ押し手段として用いられるのだから、そうした下衆の勘ぐりの誘発を防ぐためにもです。ただし、今回は規模が規模なのでそれだとは言えません。
加えて、あの理由で取り下げたことや一連の流れにおいては、組織委員会側は何かしら責任をとる姿や通すべき筋を通したという姿を見せるべきです。
門戸を開くことは悪いことではありませんが、これに合致しているかといえば疑問符がつきます。特に今はいたずらが行われる恐れがありますし、永井の発言は妥当です。「そんなことされて当然だ」という思考が蔓延っている界隈のおもちゃになるでしょう。こちらには既にレプリカのおもちゃがあるので、オリジナルのおもちゃを与える必要性は皆無です。下読みに代表される一次審査の経験者ならばこの危うさはご理解いただけるのではないでしょうか。
それに、今回のものが理解されないのは当然としても、多数のみんなに選んでもらいましたで終わらせることの危険性も大きなものです。これは理想であり、人類のアップデート後に行ってください。
「理解が得られない」ではなく、理解させるのがデザイナーの仕事であり、各委員会メンバーの仕事です。特に委員会はクリエイターを守るために全うしてください。
今日高校の同級生とあってきたんだけど、そのうちの一人が雰囲気美人だった。
正直な話、顔の造形だけを取ればその子より私の方が整っているんだけど、どうかんがえてもその子の方がモテそうなんだよな。
私はモテてるとは言い難いし、モテても処女厨とかDV男とかなので、男に下に見られているんだと思う。言うこと聞きそうというか、はっきり言って芋っぽい。
黒髪ボブで化粧も薄くてサブカルになりきれないみたいな格好しているからダメなんだろう。
大学のゼミでも同じようなことを思ったことがあった。二人の女の子の後輩がいて、一方の方がどう見てもかわいい顔してるのに、もう一方の方が断然モテそうだった。
かわいい顔している方は髪の毛も気を使ってる感じはないし、服装も田舎の中学生でももうちょっとおしゃれしてるよという感じ。
モテそうな方はきちんと手の入ったショートにシンプルでカジュアルなんだけど清潔感と清楚さを感じさせる格好。
モテには実際の顔の造形より髪の毛や服装含む雰囲気の方が重要なんだと思う。
今好きな人はちょっとモサいというか、ファッションに興味なさげな文化系男子で、あんまりファッションに気合い入れ過ぎるのもなという感じもする。
それよりも、共通の話題の芸術とか文学とかに時間とお金を裂いた方がいい気もする。
でも、私はもう女の子にマウンティングされたくないし、男にも見下されたくない。
ファッションとかメイクとか気を使ってないわけじゃないんだけど、サブカル方面の青文字系だったので、それじゃ雰囲気美人にはなれないんだよな。
手っ取り早い方法を誰か教えて。
俺が典型的じゃないのか、お前が典型作るのへたかどっちかだな。
・IT業界(非管理職)----------- YES(NO)
・電通大卒 ------------ NO
・非体育会系(≠文化系)-------------- YES
・文系の教養がない ---------------- NO 文系と呼ばれる学問の範囲が曖昧だが、一応、意図を汲み取ってこたえるならNOになると思う
・英語が出来ない --------------- NO
・夏になるとウナギと高校野球でファビョる ----------------- ウナギにファビョるというのが高騰に文句をいうことなら両方NO。ウナギは金で解決すればいい。
・髪が薄い ----------------- NO
・自転車が嫌い ---------------- NO
・常に上から目線 ---------------- YES。
・知ったかぶり(前のブコメをパクる)---------------- やりかたが分からん
自己採点してみた。
・IT業界(非管理職)----------- 違う、けど生命系ポスドクだし似たようなもんか
・電通大卒 ------------ 違う
・独身(ほんとは結婚したい)------------バツイチ(ほんとは結婚したい)
・非体育会系(≠文化系)-------------- よくわからない
・文系の教養がない ---------------- 平均くらいはあると思う
・英語が出来ない --------------- 一応通じる
・夏になるとウナギと高校野球でファビョる ----------------- ないな
・髪が薄い ----------------- 髪は死んだ
・自転車が嫌い ---------------- 好き
・常に上から目線 ---------------- そうですけど?
・知ったかぶり(前のブコメをパクる)---------------- 知ってた
ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
ずっと思っていることであったが、あまりにニッチ過ぎてリアルで語る話題ではないし、誰も読んでいない荒れ果てた個人ブログに書いたところでつまらないので増田に書き捨てておくことにする。
私は青二才ともこうのインターネットでの活動をここ三年ほど定期的に観察してきた。その上で断言する。この二人はあまりにも似ている。しかし、両者のファンやアンチが全く生息領域が異なっているために語られたことがない。(そもそも語る必要がないという話は置いておこう)
類似点をあげていくので、それぞれの具体的な事件等は脳内で脳内で補完しておいてください。
彼らのアップしたコンテンツはよく荒れる
文化系チンピラとは今作った用語で、オタクに対しては育ちが悪いDQNアピールをし、DQNに対してはオタクアピールをすることで優位に立とうとする人のこと
文化系説教ジジイはマジで老害、または老害候補です。本や映画を愛してやまない物静かなおじさま(ジブリパパとしましょうか)や、「若い子みーんな大好き」な明るいガハハオヤジとはもちろん違います
「若い女にからみたいけど傷つきたくない。自分が優位にたてそうで、金のかからなそうな、文化系娘を選ぼう」という計算と気弱さが見え隠れする彼らは手をかえ品をかえ、本や映画が好きな妙齢の女性に遠回しなアプローチをかけてきます。みんなが心底迷惑してるのは、うんちくがめんどくさいというより彼らがびっくりするほど傷つきやすく、そして執念深い点です。「ごめんなさい。迷惑なんですけど」なんて言おうものなら涙目で「はあ? 何様? 俺、本や映画の話をしたかっただけだよ? うぬぼれないでえ!」とキレられ、その後何年も何年も、あなたの悪い噂を流し、恨み続けるからです。
この執念深さを「純愛」と言い換えたがる人も居るけど、いや純粋でも何でもないから、ただの執念深さだから。粘着だから。
される側は何もメリット無いし怖いだけだし本気でごめん被りたいやつです。
男女の問題ではない。メンヘラおばさんに粘着される小奇麗な草食系若年男子とかも同じ状況に置かれてると思う。
なんで執念深くなるかって、異性との縁に恵まれてないから。その人ただ一人しか見えてない状態になってるから。
異性の友達が多くて恋愛に発展しそうな関係の人も多いと、ここまで病むこともないし、相手に怖がられるほど粘着することもない。
そのサッパリ感は重要。だから興味の対象は分散したほうがいいと思う。趣味とか、仕事とかでもいい、とにかく分散する。
無趣味で、仕事がクソなら、二次元や芸能人などにハマるのもアリだと思う。それも分散になるから。
「彼氏居るしジャニーズのファンでもある」「彼氏居るしマンガのイケメンも好き」みたいな子って結構安定してる。
「私には彼氏しか居ない」ってなると病む。ヤンデレ萌え~みたいなこと思う男は本当に病んだ女に熱烈に執着されたことが無いからで、本当に良かったですね。おめでとうございます。
久しぶりに飲んだサークルの先輩が、「俺たちが出てからの○○(サークル名)はダメだ」とか、「あのやり方はよくない、うちのサークルらしくない」とか、その手のことをぐだぐだ言い続けてた。
たまに顔出してくれた時にはいつも激励してくれてたのに、裏ではあれこれ思ってたらしい。(うちは小規模の文化系創作サークルで、定期的に会誌を作ったり、交流目的の飲み会とかレジャーもやってる。そのわりに俺の文章力が残念なのは仕様)
俺らは俺らで頑張ってやってるつもりだし、そもそも今のメンバーからは先輩が言ってたような不満は聞こえてきてない。
だけど、先輩には譲れないことがいっぱいあるっぽい。
最初は、いくらOBだって今は外野なんだから、外からぐだぐだ文句つけてんなよ、と内心イラッとしたんだけど、先輩が正しいってこともあるかもしれないし、とか思って、どうすりゃいいすか、って聞いても、昔みたいに、みたいなあいまいなことしか言ってくれなかった。最後には、「俺の好きだった○○はもうないんだな」と言われた。
それで心底うんざりして、一種の懐古厨だって納得しようとしたけど、なんかしっくりこない。俺が気付けてないだけで、やっぱり先輩が正しいのかも、って考えが捨てられない。
在学中はすごくお世話になった人だし、今だって面倒見がいい先輩だ。先輩の愛情だ、ありがたい忠告だって解釈すべきなのか? 次会った時、どんな顔すりゃいいんだろ。先輩はどうなりゃ満足なんだ。
もういろいろわからん。
とにかく、しばらくあの先輩には会いたくない。できればしばらく顔見せないでほしい。