はてなキーワード: 打者とは
清原和博が覚醒剤容疑で逮捕された。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
今の若い人で「球界のアイドル清原」の時代を知る人は少ないだろう。入団の経緯もあり、計算高そうで表情の起伏に乏しい桑田との対称で、清原は喜怒哀楽が素直で純朴、というイメージが一般には持たれていた。また球界を代表する投手のウィニングショット(例えば山田久志のシンカー)を簡単に流し打ちでスタンドに運ぶ打撃など、野球ファンに抱かせる将来への期待という点でも計り知れないものがあった。日本球界で、最もバッティングの能力が高かった選手は誰かと言われれば少し迷いつつ「落合博満」と答えるが、素質や潜在能力については迷わずに「清原和博」と答える。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しく、意外に精神的に不安定な選手であるという認識はあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン半ばに走塁中の肉離れで一月弱ほど戦線を離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
でも、投手戦だと、その段階までいかない。
例えばBasketballがかごにボールを入れる球技なように
例えばVolleyballがボレーを続ける球技なように
この辺は見てれば分かる。
この辺は、見てても伝わりにくい。
で、見ても分かりづらいっていうと、
このへんが、野球のウザさ。
http://anond.hatelabo.jp/20151108234357
http://anond.hatelabo.jp/20151109101956
http://anond.hatelabo.jp/20151109110332
例えばBasketballがかごにボールを入れる球技なように
例えばVolleyballがボレーを続ける球技なように
例えばFootballが足でボールを蹴る球技なように(手で持って走る方々は一旦ご退場ください)
Baseとは何か。
塁は安全地帯である。ここにいれば兵士=走者は死ぬことはない。
さて、走者の死の種類には主に3つの種類がある
また、重要なルールとして、進塁義務、「フォース」という状態がある。
この時、一塁走者は「打者走者に必ず一塁を譲り渡さなければならない」
この際に、守備側は二塁にボールを投げ、ボールをもったまま進塁義務先である二塁を踏む。
踏んだ際に、走者が二塁にたどり着いていなければ死である。
守備側が二塁を踏んだ後素早く一塁に転送。打者走者が一塁にたどり着く前にボールをもって一塁を踏む。
これがいわゆる「ダブルプレー」「ゲッツー」「併殺打」である。
打球が地面に落ちず直接キャッチされた場合、走者は一度元の塁まで戻らなければならない。
高く打ち上げたまま落ちてくる間に進み続けることは許されない。
一度塁に戻ると、再び次の塁に進むことが許される。
このプレーがいわゆる「タッチアップ(タッグアップ)」である。
内野手は走者が戻る前に一塁に送球し、一塁手がボールをもって一塁を踏む。
「アピールアウト」は、ルール違反を指摘して取るアウトである。
違反があった塁にボールを投げて踏み、審判にアピールすることで成立する。
また、「タッチアップ」の離塁が早かったというアピールもこの「アピールアウト」である。
さて、Baseballは、「ボールを投げてバットで打つ球技」だという認識の人が非常に多いだろう。
これは間違っていない。決して間違ってはいない。
しかし、BaseballがBase=塁を巡る球技であることを理解すれば、
進塁義務「フォース」、帰塁義務「リタッチ義務」によって、それぞれの細かいルールの理解が容易になる。
このことを前提としていれば、
インフィールドフライはなぜあるのか、
インフィールドフライが発生しない状況とは、
はたまた、いわゆる「ルールブックの盲点の一点」が盲点でもなんでもないことが分かりやすく説明できる。
(そもそもしっかりルールブックに書いてあるのに盲点もくそもないだろう!
ある個人サイト1つしか使ってなかったのがwikipediaに転載されたのち広まってしまった用語というのは調べがついている)
小さい頃から、まったく運動のセンスがなかった。友だちと鬼ごっこをすれば、すぐに捕まって鬼になってしまったし、一度鬼になったが最後、いつまで経っても他の人を捕まえることができなかった。結局、そんな僕を見かねた友だちがわざと近くまで捕まりに来たり、僕だけ有利になるようなハンデをつけてもらったりしていた。
小学校の授業でドッジボールをしたときは、最後の方まで残ることが多かったように思う。僕はほとんど戦力になっていないので、ボールを当てるのは後回しにして構わないからだ。運動が得意な子たち同士の激しい応酬が一段落した頃合いに、遠慮がちに投げられたボールを避けそこねてコート外へ出るのが僕の日常だった。野球やキックベースをしたときも、僕は守備の役には立たなかったし、打者になったときには投手がかなり手加減をしてくれていた。
男の子にとって、運動が上手にできないというのは、人間としての価値がほとんどないのに等しい。そんな空気を感じ取っていた幼い頃の僕は、自分はみんなよりも劣った存在なのだと信じて疑わなかった。
そんな自分自身のことが恥ずかしすぎて、特別親しい相手以外とはコミュニケーションを取るのが苦痛だった。できる限り他人との関わりを避けているうちに、自然と、社交性に欠ける今の人格が形成されていったのだと思う。
こんな僕だけれど、勉強だけはすごく良くできた。授業を聞いて理解できないという経験は一度も無かったし、大して勉強をしなくても試験ではいつも上位に入っていた。受験でもまったく苦労をせず、地元で一番の進学校へ入学し、日本の誰もが知っているようなトップレベルの大学に合格した。
いまの歳になるとこういう話は自慢だと受け止められるけれど、思春期の頃の僕にとっては、勉強ができることなんて自慢でもなんでもなかった。勉強ができたって、世の中の役には立たないし、かっこよくは無いし、女の子にはモテない。そう思っていた。
もし、できることならば、あの頃の僕に言ってあげたい。
近い将来、学ぶことが楽しくてたまらない毎日が訪れること。研究という、かけがえのない仕事に出会うこと。昼ごはんを食べるのも忘れて、海外の数学書を読みふけるような大人になること。まる一日、方程式と向き合って、解けるまで家に帰らないと意地を張ったりすること。客員研究員という肩書きをもらって、ヨーロッパの大学に滞在すること。研究でいろいろな賞を貰ったりすること。周りの人たちから期待され、また、尊敬の眼差しで見られること。
なにより、もうすぐ童貞のまま30歳を迎えるということ。
母校が世間を騒がせている
《http://mainichi.jp/select/news/20150908k0000e040142000c.html》
《http://www.asahi.com/articles/ASH9835GDH98UTIL007.html》
母校愛は全くないつもりだが、母校愛がない俺なりの母校へのささやかな貢献として、そして何より自分の承認欲求のため、この場を借りて知っていることを述べたい
A教授は受験業界では俺の受験生時代においても試験への影響力が強いということで有名だった
司法試験の受験テクの一つとして、考査委員の顔ぶれや過去の学術論文から翌年の出題傾向を探ることを試みることがあるのだが、俺の観測範囲でそのテク的に“全科目の中でも”最重要人物視されていたのがA教授であったほどである
情けない話だが、このようなことが起きても不思議ではないというのが率直な印象である
俺の在学中にも、飲み会に異性未婚学生と二人で堂々と揃って遅刻して登場し、飲み会終了後も二人で堂々と揃って夜の帳に消えていく教授(考査委員ではなかったが、既婚者だった)がいたりした
学生達も試験合格に必死だし、教授達は業界内で限定されたものとはいえ権力を持っているし、そんな環境の中で、中には使える武器(ゲスパー)は何でも使って情報を得ようという発想をする奴もいるだろう そうじゃない奴が大半だったと思うがね
換言すると、狭いコミュニティーで、モラルの壊れた権力者とモラルの壊れた権力利用者がいれば、今回のような事件が起きるのは必然だし、その可能性はそこまで低くないということだ
学生間でも色々なことがあったが、今回の事件とは無関係なので割愛する
“オタサーの姫”“青春を取り戻そうとするKY既婚おっさん”くらいのキーワードで察してもらえればよいかな
今年の司法試験の問題もまだ見ていないので、事件記事以外の情報はないものの、特に新司法試験憲法の論文問題は、その問題自体を事前に知ったところでどうしようもない傾向がある
“できるやつは制限時間内で余裕の合格答案を書けるし、センスがない奴は基本書を見ながら丸一日かけてもそこそこの答案しか書けない”という傾向が最も強い科目だというのがほぼほぼ受験生の共通見解だ
俺も試験合格後に学生に受験指導をしたことがあるのだが、毎年公表されている採点実感や予備校の模範答案を見て書かせても、特に憲法論文についてはセンスがない奴はセンスがないなりの答案しか書けないのである
しかし、解答内容まで懇切丁寧に教えていれば話は別だ
既に一部報道もされているが、今回、当該学生の答案の出来が良すぎて発覚したということは、問題漏洩が解答指導も含めて本当の本当に根幹の部分までされたのであろう、ということだ
考査委員を長年勤めた教授が本気で憲法論文の解答指導なんかしたら明らかに不自然な答案ができあがるに決まっている
・出題分野の漏洩=ピッチャーの球種を各打者に公開(受験生=バッター(以下同))
くらいの次元の違いがある
したがって、試験合格後は刑事事件に全く縁がないので「半可通の感想として」にとどめておいて欲しいのだが、特捜はこの事件はきっちり背景を含めて捜査するんでないかな、というのが俺の考えだ
背景事情によっては、試験と制度の根本を揺るがす特大スキャンダルだからな(現時点で既に“大スキャンダル”だがw)
これを機に制度潰すくらいの勢いで腐った部分を徹底的に取り除かないと社会的にもマジでやばいぜ
例の件でデザイン業界が業界人の内輪擁護で炎上している状況を遠巻きに見てきたものだが、次がウチの業界の出番とならないことを心より願って締めの言葉とする
旧司の一行問題時代には、考査委員の東大教授の直前の期末試験の問題が丸々コピペだったりしたので、「昔は受験生が競って情報を取り合ったものだ」とこないだマックで女子高生が話していたのだが本当なのかね?
> 問題作成者が公開なのが意外。しかもその間学生の指導ができないのか(http://www.moj.go.jp/content/001129497.pdf)。授業は指導に入らないということなの?
そのとおり、「授業≠指導」というのが建前だ
どう違うのか、というと説明しづらいが、誤解を招きかねない個別ゼミや私的な少人数ゼミはもちろんNGだし、俺の知っている考査委員の教授は“指導”をしないよう慎重に配慮していたものである
また、実際の問題《http://www.moj.go.jp/content/001144527.pdf》を見てもらえれば明らかなように、問題が複雑すぎて独力で問題作成することは不可能であるし、実績のある学者に頼らざるをえないのが現状だ
あまり知らないといっても、
・走るチェックポイントは1塁~3塁
どちらかというとサッカーの方がドリブルでスルっといくのがかっこよくて好きだったので、
テレビで野球中継をやっていても、ボールが小さくて何がどーなってるのかさっぱりわからなくてつまらないと思っていた。
小5の春、転校した田舎の村では、地区ごとにある子供会という組織に小学生が強制的に参加させられることになっていた。
子供会では男子はソフトボール、女子はバレーボールの活動があり、当然のように強制参加だった。
チームの高学年の人数が少ないので、バットを持ったことすらないチビガリの俺も自動的にレギュラーにされる。
最初はキャッチボールの経験すらなかったので、グローブの付け方や使い方もわからなかったし、ボールを掴んで投げるという動作もものすごくぎこちなかった。
飛んでくるボールが怖くてキャッチできなかったので、キャッチボール練習は俺とペアになった子が俺に球拾いをさせるだけの作業になっていた。
さらに、コーチは野球好きな誰かのお父さんたちなんだけれど、その人たちは俺が野球の細かいルールをさっぱりわかってないことに気付いてなかった。
練習を見に来たお母さん方の中には、もしかして…と気づいていた方もいたらしいのだけれど、
コーチは「野球のルール知らん子供なんかおるわけあれへんがぃ!」「転校生やゆーても子供はみんなやっとるもんやろ」で流してしまっていたそうだ。
田舎の子たちはみんな小1から子供会ソフトボールに参加するので、高学年になってもルールを把握してない、という可能性を思いつかなかったのだろう。
結局一度も詳しいルールの説明をしてもらうことなく進んでしまい、あっという間にソフトボールの練習は俺にとって、
知らない怖いおじさんに怒鳴られながらルールのわからないスポーツを無理やりさせられる苦痛の時間になってしまった。
とりあえずヘタクソ枠ということになっていたっぽいライトが定位置になったが、
飛んでくるボールや勢いよく転がってくるボールがキャッチできないので、ライト=ホームランのボーナス状態になってしまう。
重点的にやらされたフライキャッチの練習ではグローブの使い方や落下点の予測が下手で見失ったり頭や顔でボールを受けたりしまくって、
どんどんボールが怖くなって落下点に近づくこともできなくなった。
打席に立ってみても、ストライクとボールの見極めなんかできるわけがなかったし、
怖くて飛び退って逃げるか、目をつぶってキャッチャーミットにボールが収まってからバットを振り始めるくらいのトロくささで、
たまーにバットにボールが当たったら、ボールの勢いに負けてその場で尻もちついてコケる有様だった。
キレたコーチに「やる気あんのか!?」と何度も怒鳴られるけど、残念ながらそんなものは最初からない。
なにがなんだかわからなくて、上達しようという意欲もこれっぽっちもわかず、痛い思いをしたくないから逃げるのだけが早くなった。
試合では、守備側が相手バッターを煽る掛け声をずっと上げ続けるように指導された。
「バッタービビッとる!ヘイヘイヘイ!」 言うのも言われるのも苦痛だった。
そのうち、練習の日になると腹痛を起こして下痢が止まらなくなることが多くなった。
小6の最後の村内大会の日、大会にはどうしても来いと言われたので仕方なしに行った。
いつものライトの守備位置につく。みんなは相変わらず相手打者を煽ってたけど、俺は口パクでごまかしていた。
試合経過は覚えていないけれど、うちのチームは他のチームに比べると比較的高学年が多かったので、俺というお荷物がいてもある程度点は取っていたらしい。
最終回、打球がライトに飛んだ。なんのことはないフライだが、そこにいるのは今日もいつも通りやらかしまくっていた俺だった。
俺は一応ボールを追いかけようとして上を見上げて、眩しくて即座に見失ってフリーズした。
全然見えないのでとりあえず太陽を遮ろうと掲げたグローブの中に、ボスッという慣れない感触があった。
たまたまボールが落ちてきてグローブに入ったのだ。保護者席で歓声が上がった。
完全に偶然だったけれど、そのとき俺は、初めて試合でフライのキャッチに成功した。
そして、照れながらボールを2バウンドでピッチャーに投げ戻した後は、二度とボールが飛んでくることもなく試合が終わって、チームは優勝していた。
不良が更生したらやたら褒められるのと同じ理屈なのか、チームメイトやコーチからはやたらと褒められて、初めてちょっとだけ楽しいと思えた。
今ではなんとなく甲子園とかを見て、「わーがんばってるなーすごいなー」と思うくらいはできるようになった。
もしあの時偶然ボールをキャッチしていなかったら、今頃もっと野球が嫌いになっていただろうなと思うと、俺は運がよかったのかなーと思う。
最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑、DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れで長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
いずれもここ10年ぐらいの競技の変革にプロ選手の体が追いついていないかんじ。
野球は投手に関してはもはや肘やったらすぐトミー・ジョンして1〜2年かけて復帰するのが当たり前になってきて、
ダルが苦言を呈してるけど中5日は最低取って欲しいところ。
肘をやってしまうのはまぁ変化球が多彩になってきたからだと思う。スプリットやらツーシームやらね。
NPB、MLB共にツーシームで芯を外されても強引にもっていく力は足りないってだけ。
だから更に体をデカくするんだけど、デカくしても節や骨が強くなるわけではないので、
その結果怪我をするっていうパターンだと思う。
サッカーはもはや走るサッカーでなければサッカーではないみたいな風潮すらあるため、
怪我が本当に多くなった。ウッチーなんか慢性化してるし、長谷部とかたぶんウチのサカティも…
ハードワーク・ハイプレス…全員で攻撃して全員で守るのはいいけれど、
ドルトムントやシャルケを見ると選手を資産としてきちんと守っているのか?そのサッカーでいいのか?と思ってしまう。
ショートカウンターなんか前線の選手の負担を考えると恐ろしい。Cロナウドやらロッベンやら大きな怪我もなく、本当にすごい。
サッカーでも選手の怪我が多いクラブは、運動量を極力減らして勝てるサッカーを追求するべきだと思う。
つまんないと言われようが選手を潰してまでやるよりは広島サッカーとかでいいんじゃないかな。
サッカーでも野球でも負傷箇所をトレーニングすれば?というのもあるけど、
http://anond.hatelabo.jp/20140604175240
思ったより反応がよかったので、うれしくなって2日連続。仕事? いいじゃないですかそんなことは。
5捕 バットマン:キリングジョーク(アラン・ムーア、ブライアン・ボランド)
「気弱な少年が競技ダンスの魅力に取りつかれる話。単行本未収録。友情・努力・勝利という週刊少年ジャンプの三大原則にのっとった、さわやかな余韻が印象的な期待の新星、かと思いきや、ヤングマガジンにおける連載作はエログロ。なにそのふり幅。連載化待っています。あと集英社は一刻も早く『戦下に咲く』と合わせて単行本化してください」
「白昼夢のような短編。正直、いまだに内容が理解できていない。まったく意味がわかりません。それでもつげ義春全集を読んだ後に、どれが一番面白かったか聞くと、皆が口をそろえて『ゲンセンカン主人』と言う。凶悪なクリンナップへとつなぐ技巧派の曲者。いまだご存命とのことですが、水木御大同様この人も妖怪なのでしょうか」
「腰のあたりでつながったまま生まれてきた双子の姉妹の話。20頁弱と短いながら、大正義萩尾望都の代表作として名高い名作。切れ味が鋭すぎて若干トラウマになります」
「ある団地における超能力者たちの戦いの話。不動の四番。本塁打王と打点王の二冠。その圧倒的な迫力と威圧感は、全盛期のカブレラを思わせます。難点は、あまりの体躯のぶ厚さから、ルールに引っかかる恐れがあること」
「バットマンとジョーカーの因縁の話。チーム内唯一の助っ人外人にして捕手。メジャーリーグからきた黒船。シーズン途中まで4割を打って首位打者。『助っ人外人が捕手って、どうなの?』という方もいらっしゃるかと思いますが、だってアラン・ムーアだし、どう考えても一番かしこいから仕方ない。いいときのマウアーが日本球界に来た、と思ってください」
「結婚式を前日に控えた男女の会話劇。期待の巧打者です。クリンナップが重量級のため、肩肘を張らずに読める短編を6番に置きました。合コンでオススメの漫画を聞かれたら、最近面白かった漫画として、これか『俺物語』と答えるのがスマートな大人ではないかと思います。映画で言うと『リトル・ミス・サンシャイン』。電車の中で読んで泣いた、との知人の声多数」
「自動車競技選手の人間模様の話。連作短編『茄子』に収録されています。宮崎駿が認める天才打者。今回はクリンナップが凶悪すぎるのでこの打順だけど、去年までのカープなら中軸です。余談ですが、最初はピッチャーを『連作短編』つながりで組んでいたため、当初は先発として起用していました。チームの都合で野手に転向」
「若いカップルの何気ない日常を特徴的なコマ割で描いた話。今回のひいき枠。大好きなんだから仕方ない。漫画評論家の泉信行氏も『やまむらはじめ非公式ファンサイト』を運営していました。たんたんとしつつも、じんと胸にしみる佳作。短編集『未来のゆくえ』で読めます。粒ぞろいの短編集なので、是非」
「戦闘用ロボットとピアニストのふれあい。長編『PLUTO』の中の一エピソード。『5回までなら完全試合、完投させたら滅多打ち』こと浦沢直樹の最高傑作ではないかと思います。。独立した短編としても読めるだろう、と無理やりねじ込みました。たとえルール違反だとしても、面白いんだから選ばざるをえない」
「人間そっくりなアンドロイドと、彼女を教育する科学者の話。SF短編につづいて連続登板。だって好きなんだから仕方ない。連作短編『アフター0』に収録」
「説明不要の金字塔。もし増田が文部科学大臣に選ばれたら、強権を使って教科書に載せます。連作短編『夕凪の街、桜の国』に収録」
こちらからは以上です。
好きなSF短編で打線組んだ(http://anond.hatelabo.jp/20140604175240)
が楽しそうだったので、便乗。短編に限らずに打線組んでみました。
フランチャイズ小国家、凄腕ハッカー、スケートボードに乗った運び屋、仮想空間上のAI人格等々、わかりやすいサイバーパンク的ガジェットを詰め込みつつも説明臭くはなく、スピード感ある展開で一気に読めるエンターテイメントSF。よくできたハリウッド映画みたいで素直に楽しい。粘り強いバッティングと走力に裏打ちされた出塁率の高さから、不動の先頭打者。
バチガルピは、個人的には長編だとちょっとダレる感があって、そういう意味ではこの短編集の方が好み。ねじまき少女の世界観濃縮版「カロリーマン」、文明がゆるやかに崩壊する恐怖「第六ポンプ」が好み。現代を代表する作家の一人に数えられますが、独特のディストピア・バイオパンクを突き詰める職人気質。2番ショートで起用。
現代と地続きの近未来からスタートして、加速度的に変容する社会と人類が技術的特異点を迎えるまでを描く大作。ストロスはコンピュータ関連のジャーナリストってこともあって、ギーク文化との親和性も高そうなディテールが満載で楽しい。抜群の守備範囲の広さ、打てば長打を量産する勝負強さで3番に定着。
イーガンは短編が無難と言われてますが、この「順列都市」は素直に面白いと思う。荒唐無稽なアイデアを、超力技で煙に巻かれてなんとなく納得されられてしまう快感。本書冒頭の、コンピュータ上でシミュレートされた人格のコピーが、目覚めて状況を把握してから辿る思考過程を描いたシークエンスが最高で、10回は読み返してる。イーガンほど投手にプレッシャーを与える打者はそういないでしょう。ネクストバッターズサークルにいるだけでも圧倒的存在感。
現代SF・ファンタジーの最右翼(本人は左翼だけど)。スキンヘッドにピアスのイカツイ兄ちゃんです。一見ありふれたハードボイルド警察小説?と見せかけて「重ね合わされる都市」というとんでもない舞台装置、どうやったらこんなもの思いつくのか。さらにそれを言語化できる力量もすごい。
ここまででお分かりの通り、増田は現代SF好きです。が、この「地球の長い午後」は入れざるを得ない。遠未来、自転が停止した地球。動物と植物の力関係が逆転した異常な世界で、食物連鎖の下層で右往左往する人類の、圧倒的無力感。ベテランならではの味わい深さと駆け引きの巧さ。
6番・オールディスの直接的な影響下にある、椎名誠のSF三部作。の中でも、この「武装島田倉庫」が一押し。奇妙な生き物が跋扈する文明崩壊後の世界を、さまよい、戦い、逃げ惑う人間たちの群像劇です。これも何度も読み返してるな。漬汁がなんか旨そう。
海外文学方面では、現代SFにおけるイーガン的大正義ポジションを占めておられますマッカーシー御大の手による、核戦争後と思しきポストアポカリプス世界をさまよう親子を描いたロードノベルです。沈黙の音が聞こえそうなくらいの静寂と、真綿で心臓を締め付けられるような絶望と哀しみ。大変地味ですが間違いなく大傑作。
ギブスンといえば「ニューロマンサー」でありそれに続くスプロールシリーズなんでしょうが、増田はどうにもこの「ヴァーチャル・ライト」が好きでして。何と言っても作中に出てくるベイブリッジ。閉鎖された橋をホームレスが選挙して好き勝手に増設を繰り返し、無計画・無軌道に成長してしまった構造物…すてきすぎる。
増田の中では「柔らかいイーガン」という位置づけにあるんですけどどうでしょうか。「実存」をメインテーマに据えながら、幻想的・宗教的な色彩の強い作品群。ワンアイデアをじっくり煮詰めて、これ以上ないくらい適切に料理した佳作集。死ぬほど寡作なのが玉に瑕。最近何してんの。
増田的には究極のSFはステープルドンになるんじゃなかろうかと思っています。20世紀から20億年後までを俯瞰する人類史。これほどのタイムスパンで書かれた作品は他にないんじゃなかろうか。しかもこれ1930年の作品ですよ。半端ない。
仕事が暇なので書きました。後悔はしていない。
3遊 しあわせの理由(グレッグ・イーガン)
5右 シェイヨルという名の星(コードウェイナー・スミス)
7捕 たんぽぽ娘(ロバート・F・ヤング)
9投 たったひとつの冴えたやりかた(ジェイムズ・ティプトリー・Jr.)
「SF版『山月記』。大好きなので。短いページ数ながらも切れ味のある読み応えと広い守備範囲を考慮して、1番センターで起用しました」
「星新一については、小粒ながら小技の利く選手が多いため、当初は2番セカンド『宇宙の男たち』で起用するつもりだったのですが、タイプの似た選手であるレイ・ブラッドベリとの兼ね合いから、比較的長打力のある『午後の恐竜』をサードで起用することにしました。終末SFとしての情景の美しさは随一ではないかと思います」
「説明不要、大正義グレッグ・イーガン先生の代表作。抜群の身体能力と懐の深さを備えた守備、勝負強いバッティングを考慮した結果、3番ショートでの起用となりました。全盛期のジーターみたいなもんです」
「コメディータッチの導入部から、突然ホラーに変わる異色の短編です。放射能に汚染された島に生物学者が調査に向かう話。筒井先生が『結末を考えずに書き出してみて、途中でオチ思いついた感』満載なのが笑えます。大好きなので入れました。一応星雲賞をとっているのですが、大変読む人を選ぶ短編で、ハマる人はハマる。ダメな人はダメ。アダム・ダンのような味わいがあります。最後の植物の名前は作中で明記されていませんが、おそらく『カリクビ』なのでしょう」
「囚人たちが地獄を思わせる惑星に送られる話。4番がバクチ性の強い打者なので、ある程度確実性のある、コードウェイナー・スミス先生の代表作を5番に選びました。結果、3番大正義からの4番・5番は『この世の地獄』つながり、という大変邪悪なクリンナップが形成されたのではないかと思います」
「認知症患者の看護をするアンドロイドの話。連作短編『アイの物語』の中の一編です。5番打者としての起用も考えたのですが、下位打線を『ハートウォーミング』つながりにしたいと考えたため、6番に繰り下げました。率も残せて長打もある、将来の4番候補。『アイの物語』は、他にも読み応えのある短編の多く、お買い得感があります」
「『悲運の少女』つながりで投手陣を起用しているため、彼らの球を受けるキャッチャーには、ロマンチックSFの代表作を起用しました。タイムマシンで未来からやってきた少女と出会う話。一時期、『ビブリア~』効果で価格が高騰しましたが、新訳が出たので価格は落ち着いた様子。プレミアがついてるうちに売っとけばよかったかな、という邪まな思いが頭をよぎります」
「タイムマシンで未来を見てきたという男と、彼にインタビューをするアナウンサーの話。『霧笛でも万華鏡でもなく、なぜこの作品なのか』と不思議に思う方もいらっしゃるかと思います。ひいき起用です。SF界の吟遊詩人がつづる『嘘とはなにか』という大演説にしびれます。なお、個人的ブラッドベリの最高傑作は『ウは宇宙船のウ』の序文。
「『悲運の少女』その1。少女と、彼女の脳に寄生したエイリアンの友情。説明不要の大投手。怪我さえなければ300勝できます」
「『悲運の少女』その2。人間そっくりなアンドロイドと、彼女を教育する科学者の話。唯一の漫画からの選出です。マナカナが若いうちに、世にも奇妙な物語で実写化するべきだと思います。オルセン姉妹ならなお良し」
「『悲運の少女』その3。隔離された世界から飛び立つことを夢見る聡明な少女の話。連作短編『キリンヤガ』の中の一編です。ヒューゴー賞・ローカス賞・SFクロニクル賞・SFマガジン読者賞・ホーマー賞受賞作の鉄壁のクローザー。是非とも沢村賞サイ・ヤング賞を取っていただきたい」
こちらからは以上です。
はい、いきなりはじまりましたが、一応ラノベ業界人です。エロゲ業界にもちょっと関わってたり知り合いが多かったりもします。
で、どうやばいのかというと、何がヒットするのか完全に手探りすぎてやばい。
それでも面白けりゃヒットすんだろ。だなんて仰られる方ももいらっしゃるでしょうが、面白いのにヒットしない作品もゴロゴロしててやばい。
何年か前、プロ野球史に名前を残したある大打者が、その年打撃好調だった若手に対して、「打ててる根拠がない」と苦言を呈したのと同じで、いまヒットしてるラノベの大半が、「売れている根拠がない」状態でよくわからないまま数字を伸ばしている。
もっともらしいヒット要因を挙げようと思えば挙げられはするけど、それってヒットしなかった作品にもあてはまるからややこしい。
学園ラブコメや謎部活をやらせとけばよかった時期はとっくに過ぎてしまった。
一部レーベルは萌え風味のファンタジーをプッシュしているが、あれは要するに、根強いファンがある程度存在するであろうファンタジーに、自レーベルがノウハウを蓄えている萌えをプラスすることで手堅く読者を獲得しようという守りの戦略に他ならない。
そんなんじゃブームは起こらないし業界の主流にはならない。需要に応えてるわけじゃないからね。
そういう傾向はエロゲ業界にもあって、「なんで売れてるのかわからない」状況が続いているというようなことを知人はいっていた。
「“面白くないのに”なんで売れてるのかわからない」というやっかみみたいな話じゃなく、ヒットを飛ばしている側の人間もたしかな売れてる要因を捉えきれなくて困惑気味だったりする。
よく言われる絵が良いとかヒロインがかわいいだとか、そんなあやふやなのはわからないのと一緒だよ。
だから、ラノベ業界は人気WEB小説にこぞって手を出す。たしかなものを捉えたくて。
~~だから売れている。~~だから人気がある。というヒット要因が、WEB小説は商業よりもわかりやすい。わかりやすいように見える。
いわゆる俺TUEEEだとか異世界転成だとかそういうの。
で、それらの特徴を商業でも取り入れようとしてる人たちも現われたんだけど、あんまし上手くはいってない。投稿サイト発とちがって思ってたより需要がないっぽい。
いまの商業ラノベは、つまるところ、面白い作品も面白くない作品も、売れるか売れないかが運のようなあやふやなものに左右されすぎててやばい。
それから、学園ラブコメブームに乗ったつもりであぐらをかいちゃってました。そういうのを安定して書いていけば長く食っていけると高をくくってました。
ごめんなさい。
※思ったより反響があったので追記
学園ラブコメというのはひとつの例ですけど、ヒット作を生みやすい枠があって、その枠の中でのクオリティアップやインパクトの発生に力を注いでいればそこそこ安定して売れた時期はたしかにありましたよ。
そのころの成功体験が忘れられない人たち、会得したラノベのセオリーをは見直せない人たちはだいたい苦労してますね。
実質ゼロからのスタートに戻りはじめてるのに、そこに対応し切れてない人が業界に多すぎるのがやばい。
見方を変えればチャンスなのに、オタクさんたちに間でさえラノベに対する偏見が目立ちはじめてるのがやばい。
組織に少々問題あり、兵器にも少々問題あり、それなのに結果としては戦争には勝っているようなもので、言いしれぬ不安と隣り合わせなのがいまこれからのこの業界ですよ。
メジャーリーグのワールドシリーズがついに始まりましたね。そこで、5日ほど前のものですが、アメリカ3大ネットワークの1つNBCによる上原の記事を翻訳してみました。誤訳があったらご指摘ください。
ウエハラ・フェノメノン
http://hardballtalk.nbcsports.com/2013/10/18/the-uehara-phenomenon/
さて、君もおそらく、今年のボストン(レッドソックス)の上原浩治が、野球史上の全投手と比べて、最も塁に出るのが難しい投手だったということをご存知だろう。それはとてもいいことだ。ここにWHIP(1イニングあたりの被安打と与四球の合計。少ないほど出塁されていない)の歴代トップ10、少なくとも50イニング以上を投げた投手のリストがある。
2. デニス・エカーズリー, 1989年, 0.607
3. デニス・エカーズリー, 1990年, 0.614
8. J.J.プッツ, 2007年, 0.698
興味深い小ネタを2つほど――リストの11位はまたも上原で、2011年のことだ。12位は? ペドロ(ペドロ・マルチネス)だ。それは2000年のことで、WHIPは0.737であった。彼がほかの選手の3倍のイニングを投げたことを考えると(訳注:ペドロ・マルチネスは先発投手)、彼の三振四球比(K/BB)が284割る……まあ、多くの人々が、ペドロの2000年のシーズンこそ野球史上で最高のシーズンであったと信じるのも、驚きではないだろう。
とにかく、トップ10を見れば君も気づくだろう……クローザー(抑え投手)だ。いや、そのうちの2人――ベノワとメレディス――はセットアップマン(セットアッパー、中抑え)だが、残りは全てクローザーである。歴代のWHIPトップ10のうち8人がクローザーだという事実は「9回はアウトを奪うのが最も難しいイニングだ」という神話に小さな短剣を投げつけるかも知れない。だが、今日のポイントはそこではない。我々が焦点を絞っているのは上原だ。
上原がキャリアをスタートさせたのは日本である――大阪大学(訳注:大阪体育大学の誤り)を出て、ドラフト1位で指名されたのだ。上原は1年目に20勝を挙げて、読売ジャイアンツの先発投手として活躍。また、オリンピックやWBCなどでは、日本代表の先発投手としてめざましい活躍を遂げた。2007年、32歳のときに、上原は読売のクローザーになり、そこでも周囲を圧倒した。2008年のシーズン終了後、上原は先発投手としてボルチモア・オリオールズと契約する。(しかし2009年)彼はもがき苦しんだ。彼は故障した。翌年、オリオールズは上原をブルペンに送った(リリーフに転向させた)。上原は驚くべきコントロールを見せ(44イニングで与四球は5個)、いくつかの試合では実際にボルチモアのクローザーもつとめた。だが、誰も彼に熱狂することはなかった。
そして2011年、当時は誰も驚異とは考えなかった驚異のトレードが行われることになる。
オリオールズは上原と幾ばくかの金銭をテキサス・レンジャーズに送った。レンジャーズはトミー・ハンターという悩める先発投手と、クリス・デービスというマイナーリーグの一塁手を送り返したのである。
私は、彼らが言うことも正しいと思う。将来の50本塁打男(訳注:デービスは今年のアメリカンリーグ本塁打王・打点王)と、年間WHIPの史上最少記録保持投手を、小さなトレードが生むことになるなんて知るよしもない。OK、それがことわざだかどうかは分からない(訳注:ここら辺ちょっと自信なし)。上原はレンジャーズでいい投球をしたが、怪我なしで居続けることはできなかった。テキサスでのWHIPは驚天動地の0.685。純粋に安打を打たれなかったし、四球も出さなかった。だが、1年半でたった54イニングしか投げなかった。そしてともかく、ただ1つ、誰もが本当に注目したのは、上原が2011年のポストシーズンの3試合で苦しんだということだった。それはおおむね1試合のことだ。2011年の地区シリーズ、タンパベイ(レイズ)との一戦で、上原は7対3でリードする7回に登板。すぐさまデズモンド・ジェニングスに四球を与えると、B.J.アップトンにライナー性の安打を打たれ、エバン・ロンゴリアに本塁打を打たれた。そして降板させられた。
上原はまた、デトロイト(タイガース)とのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおける、次の二度の出番でも失点を許した。しかし私は、それが酸っぱい後味を残した初めての出番だったのではないかと思う。上原はそれまで、アメリカの野球ファンたちの心に、何一つ印象を残してこなかった。無地のスレート(屋根葺き用の石板)のようなものだったのである。ロンゴリアの惨事のあと、誰もが皆、上原に(悪い)印象を持った。翌年、上原はボルチモア(オリオールズ)とのワイルドカード決定戦に、レンジャーズがすでに3対1で負けている状況で登板。トレード相手のクリス・デービスを三振に仕留めた。アダム・ジョーンズも三振に仕留めた。マット・ウィータースも三振に仕留めた。だが、それは大事な局面ではなかったし、ロンゴリアの記憶を消し去るのに十分ではなかった。
レッドソックスは、425万ドル(約4億2500万円)という以前と同じくらい少額の契約で、上原と1年契約を結んだ(とはいえ、今では2年契約になっている。付与オプションが有効になったからだ。ボストンにとって大変嬉しいことだろう)。上原はクローザーではなく、セットアップマンでもなく、セットアップマンのためのセットアップですらなく、単なるチームの6イニングの選択肢になろうとしていた。レッドソックスの本来のクローザーは剛速球投手のジョエル・ハンラハンであった。ハンラハンは9試合で肘を破裂させ、トミー・ジョン手術を受けた。
そこで全員1つずつ繰り上がった。つまり、今やアンドリュー・ベイリーがクローザーになったということだ。ベイリーはアスレチックスのクローザーとして2009年に新人王を獲得し、翌年もまた周囲を圧倒していたが、その後はあらゆる怪我と辛苦を経験していた。ベイリーはレッドソックスのクローザーを3カ月弱つとめ――そして肩を故障した。6月26日、レッドソックスは上原をクローザーに指名した。
ではここで、上原の残りのシーズン(クローザー指名後)の成績をご紹介していこうと思う。拍手喝采は紹介が終わるまでお待ちいただきたい。
投球回:44 1/3
被安打:14
ふざけてるよな:分かるよ。
失点:3
被本塁打:1
三振:59
与四球:2
待った、今すぐ止めろ:2四球。よく見ろ。
被打率:.094
被長打率:.152
早く言えよ:ちゃんと頼め。
WHIP:0.358
紳士淑女の皆様、ご来場ありがとう。気をつけてお帰りください。
どうやって? OK、これはたった44回1/3でサンプルとして少なすぎるし、クローザーは1試合でたった1イニングしか投げないし……、どうやって?? 上原浩治は剛速球を投げない。Pitch f/xは上原の速球が平均で89.2マイル(143.6キロ)だと示しており、これは彼が日本から来たときとだいたい同じままだ。上原のマネーピッチ(決め球)、スプリットフィンガー・ファーストボールは約81マイル(130.4キロ)。102マイル(164.1キロ)の速球の世界で、一体どうすれば上原は対戦相手に出塁するのが無理だと証明できたのだろうか?
もちろん、コントロールの話から口火を切ることができるだろう。これはマリアノ・リベラの栄光の輝きの中で、常に最も過小評価されてきた部分の1つである――そう、リベラは対戦したみんなのバットをへし折ってきたし、同じ球を繰り返し繰り返し投げ続けてきたが、四球で自滅することはまずあり得なかった。リベラの最高のシーズンはおそらく2008年だ。彼は70回2/3で6人の打者にしか四球を出さなかった。
上原は、大リーグでのキャリアを通じて常に、気が狂うほどコントロールが良かった。2012年のレンジャーズでは、わずか36イニングしか投げなかったが、四球を出したのはたった3人だ。我々は、キンブレルの代名詞である剛速球を投げるようなクローザーと恋に落ちている(訳注:ここら辺自信なし)。しかし、剛速球を投げない代わりに、ピンポイントコントロールと多くの惑わし(投球術)で成功した名クローザーたちは、これまでにも多数――デニス・エカーズリーを筆頭とするが、偉大なるダン・クイゼンベリーとダグ・ジョーンズも含まれる――存在した。上原も明確にそれらを備えている。
2つめはこれだ:上原の投球――特に、ツーシーム・ファーストボールとスプリッター――が非常に鋭く動き、メジャーリーグの打者たちはしばしば当てるのに失敗しているということ。それがストライクゾーン内であったとしても。これは重大だ。大リーグの打者はストライクゾーン内のボールにバットを振るとき、一般に大成功を収めるものである。今年、打者がストライクゾーン内でスイングした上原のボールは、31.1%が空振りだった。これはいうまでもなく球界で最高のパーセンテージだ。
ストライクゾーン内のボールで打者を空振りさせた投手のトップ5は:
2. エルネスト・フリエリ, 26.9%
3. アロルディス・チャップマン, 25.6%
さて、同じトップ5の速球の平均急速は:
ああ、そうだ。君にも違いが分かるだろう。彼らは打者のバットを吹き飛ばす。上原は打者のバットの上下を通り抜けるのだ。上原には、大きく違う方向に動く2つの球種がある。ツーシーム・ファーストボールは右打者に向かって突っ込んでくるかのように見えるし、左打者を引き剥がす――リベラの代名詞カッターの逆バージョンのようなものだ。そして、スプリットフィンガー・ファーストボールはチェンジアップのように機能する傾向がある(速球より8マイル遅い。これは理想的な差に近い)上、遅くになって急降下する。打者の観点からすると、これは見たところ(飛び回る)スズメバチと、地中から現れるゾンビの手に、攻撃されるかすら定かではないまま、草原に踏み入れるようなものらしい。打者はどこを見ればいいのか分からないのだ。
全力の上原を前にしては、今や逃げ場などどこにも存在しないのだ。
特に、上原は今38歳で、レッドソックスは上原をクローザーとする前に2人の男たちを試していたということを考慮すると、これは極めて異例な才能の行列である。ここまでのポストシーズンで上原は7試合に登板し、そのうちの1試合でタンパベイのホセ・ロバトンにサヨナラホームランを許した。ほかには、落ち着く前にタイガースの2人から安打を打たれたが、失点は許さずにイニングを終わらせた。木曜日、上原は1回2/3をパーフェクトに抑えた。
全体として、このポストシーズン、上原は8イニングを投げて安打を4本で抑えた。WHIPは0.500。ここまで、一人の打者にも四球を出していない。