はてなキーワード: 命綱とは
3年前、30年ローンで4000万の家買った。
今29歳で年収500万。
週1で”ねぎし”行って1000円超の牛タン定食食べてたし、PS4は財布と相談せずともその場で新品買えた。
月収16万と聞いたときは「こいつどうやって生きてんだ」と思った。
俺よりもよっぽど金遣い荒いし、服やマンガやゲームや酒に金をガンガン使う。
そんな彼に最近
「節約したほうがいいぞ。貯金はマジでいざというときの命綱になる」
と老婆心ながらアドバイスしたら、なんと毎月必ず3万円は貯金できているという。
正直、ぶったまげた。
「実家だからなあ。家賃ないと低収入でも貯まるんだよ」と言っていた。
家賃入れずに実家で問題なく過ごせるってこんなにも凄まじいパワーなのな。
同年代の平均以上に頑張って生きてるの、実家に住めないがために生活水準がフリーター以下の俺。
無料の家があるってとんでもないパワーなんだな。
はじめに--------
まず教育界ってのは、日本に数多ある独自の村のひとつで、その中でも道北の中心地・旭川教育大学は学閥が強いと昔から言われてる。
早い話、道北で、40代とかで校長に昇進できる人材がいた場合、まあ、そういうことだ。
ついでに言うと、先輩諸氏(校長)が、各地の教育委員会関係者に自動昇進するわけで、多少の火の粉からは守られてきたワケですな。
実際、教育界だって市長の後ろ盾のひとつであり、お互い大人なんだから、持ちつ持たれつでやっていくのが普通。
教育って社会には必要だし、コップの中で何しようが、コップの外にとっては関係ない話だから、政治家からすれば、上の人間となあなあで済ませるのがベターだろう。
ところが教育関係者と前旭川市長との仲は、外部が思っていたよりもずっと深かった模様。
よりにもよって、現在進行形で盛んに火を噴いているイジメ自殺を隠蔽しようとするほど強固だとは、思わんかった。
なんせ調査ってのも掛け声だけで、原因を追究しようとか関係者に責任を取らせようとか、再発防止策をぜんぜん取らなかったのだ。
つまり現状容認であり、また同じことが起きた際に、私は同じ対応をしますって宣言してるに等しい。
教育関係者が、当人にとってどれだけ大切な選挙基盤だったのかは知らんが、結果は惨敗してしまった。
所感--------
いやもう、まさか前市長がイジメ自殺の件で、教育委員会側と心中する意思を固めていたとは思わんかった。マジ想定の範囲外だわ。
どー考えても最初から勝目ねーのに、なんでまた、やらかした連中のケツ持ちしようとしたんだ?どんな繋がりがあったものやら。
いや旭川界隈に、教育大閥てかムラ社会があるのは知ってるが、自殺者まで出てしまったんだから、逃げないで責任取るのが筋だろ。
地雷抱えながら選挙して当選すると当人が思っていたとすりゃ、お花畑すぎて目も当てられない。誰か止める奴がいなかったのか?
何にせよ、もはや後ろ盾のない教育関係者からすれば『この騒ぎで、君らはどこまで差し出せるの?』という最悪の展開がやって来る。
具体的には、まず教頭。校長も射程内だし正直担任も厳しい。一つ間違えれば上役の教育関係者辞任すらあり得る。下手すりゃ全員。
旭川在住の教育関係ムラ社会の皆さん、アンタたちにも言い分あるんだろーが、これ以上逃げ回るのはやめた方がいいと本気で忠告するぜ?
敗因分析--------
ああ、分かってない現地関係者がいるかも知らんからあえて書くが、今回、学校側のかん口令が絶望的にまずかった。
もうあれで、教育界側の負け戦が完全に決定されたと言っていい。
かん口令を敷きたくなる気持ちは一応、分らんでもないのだが、それ自爆スイッチ。もう自滅っつーか最悪手なんよ。
学校が関係者全体にかん口令を敷いた場合、それだけで、メディアも我々も『コイツらはきっと、何か都合の悪いことを隠してやがるな?』と悪印象を持つのは避けられん。
実際、後からいろいろ出てきただろ?記事に出てから当事者たちが慌てて対処に追われたところで、現状の追認にしかならんワケ。
だからかん口令をもって、学校の、教育者側の敗北は完全に決まったと断言していい。
にもかかわらず、まさか特大の地雷を抱えつつ選挙戦に入る奴がいるとは思わなかった。読みが外れてぶったまげたのはこっちだよ。
巡り巡って国勢選挙にまで影響しちまったんだから、前市長は組む相手を根本から間違えていたとしか言いようが無い。
情報戦の闘い方--------
今回の事件は既に情報戦になっている。情報公開と責任を迫ってくる一般世間と、逃げようとする教育関係者との戦争なんだよ。
しかし、教育者村側は下手を打っちまった。いくら地の利があっても、かん口令は完全に自爆。やってはならない手を打ったんだ。
関係者は、よほどうまくやらない限り、かん口令ってのは情報を完全に遮断は出来ないことを肝に銘じろ。
かん口令はむしろ、主流派に反感を持ってる奴や金で転ぶ奴らから、大げさな情報や信ぴょう性があり得ない情報を流出させ易くなる。
それをどうやって防げるんだ?無理だろ常考。そこが理解できていないから、情報は遮断できるとか楽観的に考えちまうんだろうな。
つまりかん口令は、結果的に、情報(戦力)を小出しにする逐次投入にならざるを得ない。これ、戦争では絶対にやってはならん手法なのよ。
かん口令を敷き、情報を小出しにするというのは、第三者から見ても最悪の対応なんだっつーの(警察とかなら話は別だが)。
今更だが、教育村が大打撃を受けるくらいなら、何もかもあけっぴろげで、開き直ってどんどん公開していった方がまだ断然マシだった。
どうしても学校だけでは限界があるんです、助けてくださいって言えば、それなら皆で考えましょうという機運になったかも知れない。
彼らが本当に守りたかったものが、いったい何だったのかは分からん。まあ生徒たちではなかったんだろうな。そう自白してるようなものだ。
もはや誰がやろうと、あとはサンドバックになる可能性が高い。つまり『より大きな力』で蹂躙されていくのだろう。
たとえ頭を抱えたくなっても、理由はどうあれ、自分たちも自殺した生徒と親にやったんだから文句は言えんぜ。
少しだけフォロー--------
旭川の前市長、選挙で不利になると分かってて教育関係者を身内に取り込んだのが阿保過ぎる…のだが、恐らく泣きつかれたんだろう。
死を待つ半病人とゆーか、棺桶に片足突っ込んだ連中に縋りつかれたよーなもので、現職当人にとってみれば、たまったモンじゃない。
前市長、そんな連中を切れなかった。関係者から頭を下げられたときに厳しく言えれば良かったのだが、それが出来んかった。
たぶん旭川があまりに小さな市場過ぎたというか、道北圏はいささか狭すぎて、友人やらしがらみやら、何やらあったんだろうね。
しかし関係者を処分しないということは、未来永劫、同じことを繰り返し行うとゆー宣言でもある。
『自分の子供が死んでも、先生が処分されたら可哀そうだから、アンタたちは黙って言うとおりにしてね!』と言われて納得する親(市民)がいるか?
よしんば教育関係者の全面的なバックアップがあったとしても、これで選挙戦を戦うというのは、無理を通り越して無謀だ。
あるいは、対立候補が共●党だけならまだ何とかなったかもだが、幾ら何でも無茶というもの。そんなこと当人も分かっていただろうに。。。
結局、前市長は責任を取らされる羽目となった。新市長は教育関係者に冷淡になるに決まってる。連中が地獄を見るのは自明の理だろうぜ。
こーして見ると、そもそも何が問題なのかを、教育関係者たち自身が見失っている可能性が高いんぢゃね?と思ってしまう。
『誰かを自殺するほどイジメても、逃げて責任取らなくてもイイ!』のだと、先生サイドが体現することが果たしてマトモかって話。
殺されてしまう生徒とその親はもちろん、殺すことにお墨付きを貰えてしまう加害者の子供たちだって、広い意味では犠牲者だろう。
先生がそんな調子だから、ガキなんて絶対また『やる』に決まってる。ついでに言うと、社会に出てからだって『やる』に違いない。
そんな卒業生を量産することが教育者の仕事なんか?それとも、途中である程度死ぬことは、旭川の教育界隈では織り込み済みだとでも?
まあ『教師のみが通用する世間、いわゆるムラ社会の掟』が存在することは、知っている。仕事である以上、掟があるのはそりゃ仕方がない。
ただしその『掟』が、教え子の生命よりも上位にあると看做すことは、どう考えても異常だろ。
そんなの、当事者たちだって本当は分かっていたはずなのに、なんでまたいい年こいて、逃げようとか無責任なことを考えるのか。
逃亡に成功するか?--------
ちなみに現代日本でイジメ自殺があった場合、学校関係者はもちろん教育委員会の面々は、事件を徹底的に隠蔽したり、最低でも自己保身に走るケースが極めて多い。
さらに言うと、残念ながら、こうした隠蔽や自己保身が成功してしまうケースも、決して少なくは無いのだ。
たとえば2005年にあった埼玉県北本市立北本中学校でのイジメ自殺は、加害者と教育界側が揃って逃げ切りに成功したケース。
そういう意味では、山形県のマット事件も『逃げ切り成功』に含めてもいいだろう。
いずれも詳細を知れば胸糞必至で、必殺仕事人かデスノートが欲しくなること間違いなしだ。
道内でも、2006年に起きた滝川市江部乙でのイジメ自殺では、もう少しで加害者と滝川市の教育界側が逃げ切るところだった。
当局の失態とメディアが火をつけたため逃げそこなったとはいえ、教育界側の隠蔽と逃亡の体質は相変わらずだと言わざるを得ない。
今回のケースも、文春が火付けしなければ、素で逃亡されていた可能性が高かったのではないか。
ついでに言うと、前旭川市長が当選していた場合、強権により、恐らく連中の逃亡は成功していたと思われる。危ないところだったのだ。
これからどうなる--------
今後の展開としては、教育長の辞任・関係者の更迭・教頭と担任の免職、そして当時の校長や加害者たち、当局への訴訟等が考えられる。
あれだけ隠蔽したという事は、事実が明らかになると不都合が多いと自分から宣伝しているよーなモノだから、どーにもならない。
新市長もその気になっている様子だし、関係者は震えて眠れと言いたいところだが、実のところ、一般世間の側が、教育村の強固な掟をどこまで崩せるかが勝負どころだ。
道北という世間は非常に狭く、そこは、一般市民から見て不可思議な教育界の『掟』が、大手を振ってまかり通る世間でもある。
教師たちはあからさまに、自殺した生徒と真摯に向き合う事よりも、自分たちの組織保全をより優先的・上位に考えて行動してきた。
彼らの『掟』には、『組織維持のためには、必ずしも教え子を保護しなくてもいい』と書かれていたようで、ビックリ仰天してしまう。
本来、何があっても保護・育成すべき生徒を差し置き、自分たちの保身ばかり優先することに血道を上げるのだから、何をかいわんや。
自分たちの仕事にプライドがあり、疚しいところが無いのであれば、調査に協力し積極的に情報開示して然るべきだろう。
こそこそしている時点で終わっているが、追及するのはいいとして、日本におけるムラ社会というのは本当に手ごわい相手だ。
ましてや教師は弁が立つため、ひとつ間違えると、自分たちに責任は無かったという結論にすり替えられる可能性すらある。
さらに言えば、繰り返すが、前の市長ですらアチラ側に取り込まれたほど強い政治力を持っていると見ていい。
そこをどう切り崩していくのかが第三者委員会には問われるわけだが、果たして上手く行くかどうか。
いやまあ、仮に上手くいかなくても最終的には、教育関係者連中は責任は取らされるんだろうけどね。そんな世の中なのだよ『現代』は。
最悪何が起こるのか--------
このような状況下で、もし万が一にも教育者サイドが逃げ切った場合、社会に与える悪影響は計り知れないほど大きくなるだろう。
一例として、2011年に起きた大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件では、ひたすら組織保全に走る教育委員会に業を煮やし、ついには殴り込みに行く者まで発生する始末だった。
無論、殴りに行った短絡的な奴がもっとも悪いのだが、世間様に対し殴り込まれるほど酷いことをしたという自覚が、当事者たちに皆無だったところは正直、驚きを通り越して少しだけ感心してしまった。
これ理想的な悪役そのものじゃん。教育界のトップが体現してどーすんのさ。
それともナニか?イジメ自殺した生徒と加害者、無能な教師、隠蔽にだけ熱心な教育委員会を題材にシナリオ書いて、演劇でもやれってのか?
これを学校の学芸会で上演したら凄いだろうなー(棒)。止めようとする教師に対し、生徒側が事実じゃんと言ったらどう反応するのやら。
ついでに言うとネット上では、殴り込んだ者は事実上、ヒーロー扱いされていたと記憶している。保釈金クラウドしたら、千万単位集まるかも。
では、今回の件で実質無罪判定が出たら、何がどーなると思う?
とゆーか、今だって目立ちたがりのユーチューバーに突されてて、かなり厄介な状況なんじゃねーの?
袋叩きという祭りの後に残るモノ--------
恐らく、教育関係サイドには、その辺まで読んで行動している者なんて居ないだろう。そもそも誰だって責任なんて取りたくないし。
一般社会から攻撃されかねないと懸念している人間がトップいれば、世間を舐めた態度を取れる訳が無いのだが。。。
道北の田舎町に居れば地域世間が守ってくれると思っているのかも知らんが、もっと大きな世間から叩かれるリスクを考えたことがあるのか?
第三者委員会による調査は、確かに、加害者や教師たちを断罪するかも知れない。
しかし同時に、関係者に対する処分は、その加害者たちをギリギリのラインで保護する命綱にもなり得る。
そこからさえ逃げようとするのは、完全な自殺行為だ。公的に処分されたほうが絶対にマシなケースだろこれ。
すでに情報を隠すことなんて誰にも出来ない。前校長も教頭も担任も、教育長でさえ氏名年齢住所家族構成等はネットにばら撒かれている。
家族ごと海外逃亡でもする気なら話は別だが、今の世の中、大きな世間から叩かれたが最後、どんな結果になるか本当に理解しているのか?
最近また子供ハーネス擁護派が増えてきており、一体何回この議論を繰り返すのか・・・と疲れています。
ここで改めて、子供にハーネスを装着させることを是とする派閥に対し、全て意見を論破しようと思います。
よくある擁護派の意見ですが、これは「手つなぎで対応する」で終わりです。
古来から人はそうしてきました。先祖代々連綿とそのように生きてきたのに
今ハーネスに頼るというのは、育児に力を入れておらず、子供を軽視していることに他なりません。
古来から多動の子もたくさんいました。それでも、ほとんどは手つなぎという愛情をもって子育てをしてきました。
現代に生まれたからと言って多動の子を特別扱いする理由はありません。
はい、子供は危険性がわからず道路に突っ込んでいってしまうというのは、その通りです。
違います。高所作業者には保護者がいないので自身の命を守る必要がありますし、法律でも着用を義務付けられています。
子供は保護者がいるので、親が手つなぎして対応するのが愛情です。
ハーネスを付けて出かける親がいる以上、それを見てしまうことになります。
不快なものを見せつけられているので、擁護派の言う「外野」にも意見をする権利があります。
例えば少女に首輪をつけて連れて歩く男性がいたら、不快に思う人がたくさんいることでしょう。
それと同様の話です。
強制的に不快な行為を見せつけらていて、それを咎めたら「他人に干渉するな」とはおかしな理論です。
干渉されたくないなら人のいるところでハーネスを使わないでください。
人のいないところでハーネスを使う分にはこちらも不快な思いをしないので、
心情的には反対ですが、表立って反対はしません。
いいえ。子供を産むという選択をした一部の人の自分勝手で、他人に迷惑をかけて良いというわけではありません。
子供を産んだからといって他人に迷惑をかける権利を得るわけではないのです。
誰かに迷惑をかけるようなことをせず、互いに配慮し尊重し合う社会であるべきと考えます。
【追記】
一食300円程度で食べられるローカロリーな完全栄養食で愛用してたんだが。
在庫が減ってきたからそろそろまた買いだめしようかと思ったら販売終了してた。
日清は「完全栄養食プロジェクト」とかいうのを進めてるらしいけど、肝心の物がないんじゃ画餅も良いとこだ。
まいったな。
それなりの大学出た人が、子育てでブランクがあって/もう若くないしという理由で低賃金で人間関係だけが命綱みたいな一般事務しか就けないのはもったいないのは同意。
ただ文系でセンター試験で数学まで受けた国立大学受験者は世間の少数派でもある。
いや書いてる自分自身もその層に含まれるが、はてなは「最低でも駅弁大学ぐらいは出てるんでしょ?」という感覚の人が多い。実際は今の二十代でも四大進学率は5割程度。
もちろん最低限の数学への適性はいるけど、そもそもハロワの名ばかり正社員(昇給ボーナスなし手取り13万ぐらいサビ残有り)みたいな求人ばっかりの中で、うちの求人は過酷な肉体労働もなく好条件のはずなのに事務職じゃないからか、女性の応募者はほぼゼロ。皆もっと応募すればいいのに。
布マスクを目の仇にするのは個人の勝手だけどその主張の根幹たる「布マスクは無意味」という言説のエビデンスを見たことがない。反面、不織布には劣るが十分な意味があるというエビデンスは見たことがある。というか厚労省の公式見解が現状ではそれ。エビデンスではないけれど信用すべきはそこ以外にどこにある。
ウレタンのものは目が粗過ぎるというなら同じ機序で不織布も目は粗過ぎるし、理論的な欠陥を孕んでいる。もちろん理論的な欠陥はいつもあるもので直接言説の否定にはならないけれど、自明でない以上はきちんとエビデンスを取る必要がある。理論的な説明なんてどうとでもできるんだからエビデンスにはならない、くらいのことはそろそろ分かるだろ。何ヶ月この状況で生きているんだよ。脳がないのか。
というより当初 WHO がマスクの意味を同じ理屈で否定していた。ウレタン/布問題はそれの蒸し返しなんですよ。もちろん布の意味がない可能性はミジンコほどある。ただ、データが揃っていて意味がないことがほとんどありえない現状でそのように断言をしてしまうのは控え目に言ってもあらゆる意味で頭が致命的に悪いとしか言いようがない。
ていうかですね。マスクなんて二次的なものなんだから適当でいいんですよ。ソーシャルディスタンスが先、マスクが後。まず人に近付くなボケカス。マスクしていればオーケーとか考えているんじゃねえよアホ。マスクは命綱みたいなものでそんなものに頼る時点で敗北なんだよ。物理的に距離が離れていれば感染もなにもねえんだよ。十分に離れている場合は布でいいに決まっているだろ。ちょっとは考えてものを言え。哺乳類だろ。
ネット世論だの華やかなところばかり観て、「ネット論客が自民党を勝たせた」「ネットサポーターが安倍晋三を勝たせた」って言うのはとんでもない間違いだよ。
くっそ寂れた地方にも自民党議員は地方議員はじめ草の根のように活動して、場合によっては福祉だったり命綱だったりをめっちゃ頑張ってるんだよね。
だから、都市型政党みたいにテレビのワイドショーで取り上げられることばかりやってたり、都会でネットのハッシュタグまつりばかりやってる人たちには、なぜ自民党が勝つのかわからないんだよね。
「困ったことがあった。どうしたら良い」と困ってる人間がお願いしたら、「よし。県のここに電話かけろ、中央官庁のここに電話かけろ。もしよければ私が代わりに聞いてやる。お願いしてやる。声を届けてやる」って、今の政党で他にできるところがあるかって話で。
なんで自民党が勝つんだって、そういう事ができるところがでかすぎる。
原発事故後、リベラル左派政党が都市型政党に特化してネットでの祭りを選挙に持ち込もうとしたのは間違いだったと思う。
なぜなら、結局ネットの祭りの寿命は2~3日、テレビでも1週間しか持たない。
テレビとネット世論ばかり観ている立民系は、何度も同じ間違いを繰り返してる。
そこのところ、きちんとネット戦略もやりつつ、現実でもきちんと福祉の窓口になって支持を集めている共産党はかなりすごいとは思う。
「自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力高いね。
私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしか観たことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近はミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。
訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前で検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から「死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースはミュートしてる。)
訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内の映画館に観に行った。
別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。
というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ。
死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。
開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間4時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。
彼を「30年で完成した完璧な作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。
と思ってしまうほど、ライトなファンのイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。
そんな「完璧な三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。
でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)
今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。
でもこの世に三浦春馬が存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。
出勤する際は意地でも座りたいから鈍行で長時間掛けてノロノロ通勤する。
今回の出勤もいつも通り、端の座席を一目散に確保して周囲を気にせず、スマホで電子書籍を読み耽っていた。
ある駅に着くと、視界ギリギリに入っていた手すりを突然飛び出してきたシワシワの手が勢いよく掴んだ。
ふと目線を上げると「どっからどう見ても婆さん」、という風体の高齢女性がよろけながら乗車してきたのだった。
すぐ後ろにはヘルパーさんか孫か分からないが、30代くらいの私服の女性が心配そうな眼差しで、
婆さんを支えながら様子を見守っている。そりゃ心配だろう。遅めとはいえ通勤通学時間帯だ。
都心に近づくにつれ乗客は増え、周囲には人がごった返しはじめていた。
ふと辺りを見渡すと当然ながらどの座席も完全に埋まっており、8割以上の人々は先程までの自分と
同じく手元のスマホに視線を落とし、そのうち半数以上の人は耳も塞いで、外界との交流を遮断している。
その事実が視認できた瞬間、「ああ、なんて醜い光景だ。」と反射的に感じてしまった。
つい先程まで自分だってその「醜い光景」を構成する片棒を担いでいたのにも関わらず、だ。
「よし、席を譲ろう。」何食わぬ顔で一旦スマホの中の文字列に目線を戻しながら、そう決意した。
ただ自分の中にも若干の葛藤が生まれた。「ここで譲ったら、少なくともあと2~30分はすし詰めで立ちっぱなしだよな。」
「今日何の為に早寝早起きしたんだろう。」・・・いやいや、それどころじゃないだろう。バカ言うな。恥を知れ自分。
この間の思考の変遷は自分でも驚くほど高速に行われた。時間にして20秒くらいではなかろうか。再び視線をスマホから上げる。
定刻通り電車がぐらりと動き出す。婆さんはよろめく。同伴女性は急いで支え、心配そうに声を掛ける。婆さんは小声で礼を言って頷く。
この間も彼女らに誰も席を譲ろうとする人間は出てこない。視線を送るものすらいない。どうなってんだこの国は、ええ?
この事態を認識しているのは俺だけなのか?それとも誰もが薄々気付いてるが、手を差し伸べないのか?
なんというか、やり場のない怒りが沸々と湧いてきてしまった。いや、ここでキレてもしょうがないんだけど。
よーし、このクソッタレな現代社会を象徴する1ページを俺が打破してやろうじゃないか。こん畜生め。
意を決してむんずと立ち上がり、婆さんの前に立ちはだかる。一瞬戸惑う婆さんと同伴女性。
先程まで自分の座っていた座席に向かって上に向けた手のひらを差し出し、「どうぞ」と声を振り絞った。
「いやいや、いいですよ。」婆さんは、はにかみながら言う。いい訳なかろうが!受け取りなさいって!
「いやいや、いいですから。」こっちも折れんぞ。婆さんの目を見据えて力強く、毅然とした態度で続ける。
「ああ、ああ、ありがとうございます。」婆さんはすぐに折れた。頭をペコペコ下げてよろめきながら、席に座った。
そりゃ婆さんも本心では座りたいだろう。同伴女性からも同様の礼と会釈を貰う。これで一丁上がりだ、うむ。
こうして、「クソッタレな現代社会を象徴する1ページ」を打ち破ることに成功した俺は僅かな達成感と大きな気恥ずかしさを覚えながら、
婆さんと同伴女性が立っていたドア脇に陣取り、つい先程まで婆さんの命綱だった手すりに寄り掛かり、再びスマホに目を落とした。
それからしばらくの間、目では文字を必死に追いかけているのに、電子書籍の内容はぜんぜん頭に入ってこなかった。
マスクの中の頬っぺたとマスクを引っ掛けてる耳がジワジワ熱を帯びてくるのを感じた。ああ、マスクしててよかった。
みなさん、もっと席を譲りましょうね。以上。
お金のために働くだけだと、毎日自分に言い聞かせてパソコンに向かう。
クリエイター業で働いて、顧客から依頼されたものを製造するだけの仕事。
モチベーションは常に低空飛行で、2〜3年に1,2度興味ある分野の案件があったりするくらいだ。
思えば、社会は8割は面白くない仕事で回っているのかもしれない。
好きが仕事になるってかなり幸福に見えるかもしれないが好きなものの中にも嫌なコトって必ずあって、仕事にすると実際嫌いがほとんどで。
大人は大変なんだな、と嘆きながら生きている。
私の親は日本での学がなく、満足な読み書きもできず、1人は少ししか日本語を話せない。
したがって、就ける職が絞られる。実際父親は派遣の工員をしていて、母はレーンでの作業員をしている。給料はびっくりするほど低い。
残業は、命を削って得るもので、母は毎日4時間ほど残業をしてやっと23,4万得られるらしい。体は、ボロボロだ。
(これは年老いてきた近年で、景気がマシだった頃は30万前後だったと聞いている。とはいえ、基本給は約5万下がった程度だと聞いている。)
私は幸いなことに奨学金で専門学校へ進学できたが、入学金を自力で用意できず銀行に借りた。
就職活動の時は、親の給料以上必ず稼ぎ、好きなことで生きていくぞと輝いていた。
青かった。どこまでも青二才だった。
ほんとうに私はどこまでも幸運で、勉強ができて資格もあって、それなりのコミュニケーション能力と、底抜けの明るさが持ち味だったので一部上場企業に就職先に選べた。
問題はその後だった。
奨学金の返済で月に2万は搾取される。家賃・光熱費・ペットの養育費...エトセトラエトセトラ。給料は良かったが、高い物価と遊ぶ場合は必ず金をかける必要がある都会で心細かった。
会社は残業代のない年俸制、軍隊研修をなんとか乗り越え、胃痛を抱えながら配属先が決まった。優秀だ優秀だと持ち上げられ、しかし知らないことはたくさんあるので失敗すればそんなことも知らないでやっていたのか、と驚かれる。秒数億円が動くのシステムを保守。1コマンドでサーバを停止させてしまうような仕事だった。先輩6人に囲まれていたが年齢が一番近い人でも8歳ほど違った。
教育らしい教育は、同じ時期に入った中途の人がしてくれた。もちろん中途の人も仕事を絶賛覚え中だった。
能動的に学ばなければいけない、止まることは許されない、間違いも許されない、私は優秀だ、社内の情勢が見えてきたら、政治にも巻き込まれたりして不要な人間関係の悩みも受けた。
親元からかなり離れ都会で精神も削れる所まで削れ、土日は酒浸り、酒がないと眠れなくなっていた。23時前後の帰宅時は24hスーパーに寄って、枝豆やウィンナーと酒を買い、それが夕食だった。就寝前に風呂に入る時間はとらず、睡眠に充てた。
気がつけば、ドアノブに手を触れただけで泣き崩れるようになっていた。その日は会社を休んだ。
翌日、出社した。
会社にいたくなくて、立ち食いそば屋でギリギリまでご飯を食べた。そこに、同期がいた。残業代出ないのつらいよなーとか、またみんなで飲みにでも行きたいなーとか他愛無い会話をした。
入社して半年以上、気がつけば11月。親から電話がきた。LINE通話じゃなく、電話だった。LINEは長いことスルーしていた。
しんどいなら、帰っておいで
はっきりと覚えている。
1ヶ月後、年をまたぐ前には実家に帰っていた。
実家に帰って真っ先にしたことは、禁煙。その後、お酒を控えるようにした。
胃痛は、消えていた。
この業種自体は好きだったし、早く働いて自分の金が欲しかった。
小さな会社だった。ここも教育は行き届いていなかったが、自由はあった。
自分の思う最強のシステムを作ることが許されていたし、管理も自分に全て任されていたので、やりたいことを全てやった。
案件は人数で割れないほどきていたし、毎週レベルでシステム製造の見積もりを作成していた。忙しさは最初の会社の8割くらいという感じだろうか。
私は全て乗り切った。小さな問題は起こしても大きな問題は何一つ起こさなかったどころか、火消役としてあちこちの案件に引っ張りだこだった。
問題はそれを誰も評価してくれないことだった。同僚は自分を評価していたが、それが上に伝わることはなかった。全然なかった。
あるいは、伝わっていたが無視されたのかもしれない。
私の額面給料は21万円だった。リーダをしていた人でさえ32万だった(給料明細を見せ合いっこした)
3人のメンバーを抱えてリーダーをするようになっていたし、新人教育も私だけが力を入れていた。全ての質問に根強く答え、新人の空いた時間にする課題を出したりもした。
会社のPCの注文や備品管理、整理、不便な部分のヒアリングと解決を何度も繰り返した。
ひどい低賃金で結局、3年弱働いてやめた。
こうして、晴れてフリーランスになったのだ。
付き合う会社、仕事は選べるし、自分のペースで自分の責任で、自分のやりたいことができる。評価はお金で返ってくる。
私にはすごくあっていた。
幸にしてコネもいくつかあったし、コネがコネを呼び、仕事には事欠かなかった。15〜20日程度働いて、月35万前後稼いでいた。
未払金80万。私は血の気が引く音が聞こえた。
いろいろを経て借金をせずになんとか過ごしたが、安定を欲して、
また正社員になろうと思った。
完全在宅で働けて、受注系の開発で、評価制度が分かりやすい会社が良かった。
履歴書・職務経歴書を登録していたサイトから、全て叶った会社からオファーをもらった。
残業は月に30時間ある月もあるが、お金が出るからやる気がすごかった。
残業を減らそうと色々なフローに案を出した。新参者がいろいろ言っているなと思われただろうが、ここら辺は上司への根回しやあんの提出の仕方でなんとかなった。
しかもこれが、評価をされた。入社して半年後の査定で給料が上がった。3万も上がった。
開発業務自体は大して興味なかった分野が割り振られたが、会社のフォローが手厚く、やりたくないがやり切れている謎だった。
ストレスはあるが胃痛がするほどではない。正常範囲なのか、自分が慣れてしまったのかはわからない。
やりたくない仕事だけど、金払いがいい。
この仕事なら、続けられる気がした。
何故だろうと不思議だった。
社会人5年目位程度の若造の言うことを真摯に聞いてくれるからだろうか。
困っていることを部門全体で解決してくれようと動いてくれるからだろうか。
金払いがいいからだろうか。
わからないけれど、基本的に社内に敵がいないことも大きかった。
仕事終わりや休みの日の精神はとても安らいでいた。少し愚痴を話しておしまいだった。
面白くないけど、しんどくない。
やりたくないことだけど、その中でやりたいことを見つけられる実施できる。
疲れたり、めんどくさい時だってあるけど、評価とその結果のお金で返ってくる。
私は今幸せなんだなと実感した。
面白くなくたって、自分や自分の周りの人の負荷になっていなければきっとそれでいいんだ。
やりたくない仕事だからこそお金をもらってやっているのかもしれない。
さあ、もうすぐ連休だ。
好きな作品の続編が完結からしばらくして発表され地雷になる苦しみ
地雷と言えるか分からないけど「けいおん!Shuffle」かな。
この作品はけいおんの続編というよりはスピンオフと言ったほうが正しい。
キャラデザは京アニの影響を大きく受けていて、その分レベルが上がっている。
ただ、この作品は休載がめちゃくちゃ多い。掲載されること自体がネタになるレベル。
まんがタイムきらら(本誌)は、「けいおん!」の連載終了後から右肩下がりに落ちぶれていると言われている。「ゆゆ式」が2013年の日常系アニメブームの火付け役になったが、アニメ化の本数的にも円盤の売上的にも姉妹誌に置いて行かれていった印象がある。
そんな本誌に大きな朗報が舞い降りてきた。2019年4月にけいおんのアニメ放送10周年を迎える。それに先駆けて2018年8月号からけいおんの新作「けいおん!Shuffle」が連載開始。芳文社は京アニと一緒にけいおんで大きな賭けをしてみようと思ったのだろう。しかし、京アニに大きな悲劇が起こる。
京アニの放火殺人事件だ。この事件は京アニだけでなく、作者のかきふらい先生や芳文社にとっても大打撃になるだろう。実際、京アニの放火殺人事件からは告知なし休載が多くなってしまった。
事件当時においてかきふらい先生の心境が最も現れたのは京アニの放火事件の際に芳文社がTwitterに上げた追悼イラストであろう。
京アニの放火事件を受けて、芳文社はTwitterで京アニに対する追悼の言葉を述べ、最後に一つのイラストを上げた。この最後の追悼ツイートが15,000以上もバズったわけだが、実を言うと、このイラストはけいおんの雑誌連載最終回の雑誌表紙イラストを流用したものである。
正直言って、かきふらい先生にはもう少しやる気を見せてほしかった。オリジナルのイラストを描いて「京アニの放火事件が起きても私は元気です」という意気込みを見せてほしかった。これでは、けいおんが京アニに依存しているみたいだ。
そりゃあそうだよね。「鬼滅の刃」はufotableという一流スタジオが作ったアニメの大ヒットで大躍進したと言われているけど、けいおんの伸び幅は鬼滅以上だ。元から人気が高かったAIR、ハルヒ、Kanon、らきすた、CLANNADとは違って、けいおんは非常にマイナーな作品だった。そもそも、けいおん放送時のきららは、ジャンプとは違ってオタクの間ですら知る人ぞ知るマイナーな雑誌だった。こんなけいおんを京都アニメーションという一流スタジオでアニメ化したら大ヒットした。
本誌にとって京アニは命綱と言っても過言ではないだろう。その命綱が燃え尽きてしまったといえる。けいおん!Shuffle、いや本誌の明日はどっちだ。