はてなキーワード: 内科医とは
私は高齢者医療に携わっている医者である。癌は見ず、難病や認知症ばかり診る内科にいる。高齢者の延命治療などが増田やXで話題である。その是非についてではなく、自分が日々感じていることを書く。
急性期治療と慢性期治療の延命処置の違い、疾患ごとの違いなど、延命処置の中にもスペクトラムがあるが、私が関わるのはどちらかというと慢性期治療における延命処置…胃瘻などの誰がみても延命と考える処置をするかどうかに直面することが多い。
高齢者に癌や致命的な心疾患などがなければいずれは寝たきりになり食べられなくなるタイミングがくる。経鼻や胃瘻で栄養を投与したり高カロリー点滴などを継続しないと亡くなる状態になることがある。
その際、栄養投与を続けるかといった延命処置を行うかどうかを家族と話し合う。
実は高齢者の積極的な治療はあまりしないでおこうというのが現代の市中病院の内科医師のトレンドではあり、昔とは違い今は家族が延命処置を希望しないことも多い。家族が胃瘻や中心静脈栄養など希望しなければ生きるには不十分なカロリー量である末梢点滴のみを続け、緩和的に看取る方針になることは多い。
私は10年以上医者をしているが、今でもこの延命処置をしない…自分が命を長らえさせることが出来るのにあえて行わないということを、まるで自分のその人を殺しているかのように思ってしまう。
もちろん延命処置をしないことは自然の流れに身を任せることであり、延命治療を行うことで本人の苦痛が増すのはわかっている。意識や理性がなくなっても痛みや苦しみはわかるはずだ。しかし私が命を捌いていいのかと常に思ってしまう。ICするときに延命治療を強く勧めるわけではないが、家族が延命処置を希望した場合はあまり止めないようにしている。
年次を経ても慣れず、逆に経験が増え、特に高齢者が急性期疾患を合併したときなどで、この人はこのままなら亡くなるが無理矢理栄養投与をしたり、人工呼吸器をつけたりすれば命だけは半年から年単位で持たせられるだろうというのがより正確にわかるようになった。嫌な気分になることが増えた。そういう文字通りの延命が可能なのに行わないと決定したときには命の形に触れる気がする。家族の意見を無視して栄養投与すれば生かせられるがそれをしない。家族に延命を説得することが行えるのにしない。できるのにしないのは自分である。手の平大で少しどろっとした感触で、こぼれ落ちるのをそのままにする。
俺は一人息子でもちろん内科医を目指していたんだけど、好きだった先輩と同じ外科に進み、現在は膵臓・胆嚢・肝臓を専門にしている。
ロボット外科学を学ぶために留学している際に父親が倒れた。倒れる2ヶ月前に「脳腫瘍かもしれない…」とやけに暗い声で電話をされ、すぐに検査するよう言った。母には黙ってるように言われた。
倒れた後に母から電話を貰ったが、結局父は怖くて倒れるまで検査を受けていなかった。診断結果は胃がんで脳転移があった。亡くなったの約半年後。
父が最後に意識があった時「〇〇(俺の名前)に連絡…患者の引き継ぎ…」と言っていたらしい。父は俺が外科医になることに何も言わなかったが、やはりクリニックを継いで欲しかったのだろう。朦朧とする意識で俺と働く夢でも見ていたのだろうかね。
体重55kgの体脂肪率17%の除脂肪体重45.6kgだったのが、仕事辞めて運動全然せずに部屋でテレビや映画ばっか見ながら食べたいもの食べてたら、
わずか8ヶ月で体重65kgの体脂肪率23%の除脂肪体重50.0kgまで太り散らかした。
この頃は会う人会う人に「お前ほんと太ったなあ……」とハッキリ指摘されていた。
だがこの時点で除脂肪体重が約4.4kgも純増していることに気づき、かかりつけの内科医になぜか聞いてみたところ
「いくら運動してないっていっても、10kgの重りを全身に付けながら日常生活送ってたようなもんだから当たり前。特に下半身にかなり筋肉ついたはずだよ」
とのこと
久しぶりにバッティングセンターに行ってストラックアウトで球速測ってみたら確かに生涯MAXより10キロも速くなっていた(ちなみに特に何かの訓練や練習せずに球速が半年で10キロUPって野球部的にはまずありえない)
間もなく社会復帰し、
朝飯抜き、昼はカフェのサンドイッチ、夜はサイゼや松屋で腹一杯になるまで食べる、
最初の2ヶ月で体重は5キロ、体脂肪率も5%落ちた(体重60kgの体脂肪率18%の除脂肪体重49.2kg)。
ステロイドを使わず真面目に筋トレしている人達が除脂肪体重1kg増やすのに死ぬ思いをしていることを考えると、一旦ガツンと太って普通に生活する方法は結構いいのでは?
「医師免許」というのは一種類しかなくて、外科医でも内科医でも医者は医者。持っている資格は同じ。(歯科医とか麻酔科医だけ違うのかな?知らんけど。)「外科医」とか「内科医」っていう肩書きは、形式的には「本人が勝手に名乗ってるだけ」という言い方もできる。(まあ、実際には学会に所属して界隈でそれなりに名前が知られていないと「もぐり」扱いされるけど。)
「〇〇学者」というのもそれと同じ。例えば「博士(理学)」のような資格は一応あるけど、「数学者」とか「物理学者」という肩書きは「本人が勝手に名乗ってるだけ」なんだよな。
学際的な分野の人は敢えて自分を「〇〇学者」とは名乗らないこともあるし。
それは何故かと言うと、そこまで専門性が高くなると、もはや「資格」を与えることのできる権威が存在しなくなってしまうからなんだよな。医者や学者は自らが権威となることを求められる職業であって、誰かに認められて立場を与えられてやる仕事じゃない。
https://twitter.com/honne_ped/status/1690016644825849856?s=46&t=-8QmoVUqOCEN3PStH-mA6w
「発達障害(特にASD)はかわいそうだと思うし、うまく生活できるとええなとは思うが
自分は基本診たくないし、100%自分のこどもにはなってほしくないんじゃ
ほんとに医者なのか!?とか怒られても、嫌なものは嫌なんじゃからどうしようもない」
一般小児科医は神経についての専門ではないから、専門的に診れないのだろうということはわかる。しかし何より重要なのは、精神科医の私からしても、「100%自分のこどもにはなってほしくないんじゃ」については同意するということだ。
この言い方も良くないとは思うが、私はASDもADHDもあり、学校では常に問題児だった。発達も遅かったし、家族からは馬鹿だと罵られた。友達もあまりいなかったし、いつも周囲から悪者扱いされて、いじめも何度も受けた。そのせいで鬱になり、私自身が患者として精神科も受診して投薬も受けた。
他方、私は「運良く」頭がよく生まれた。自分自身の死に物狂いの努力を否定するわけではないけれど、そもそもの地頭はそれなりに産んでもらえたので、医学部に受かることができた。しかし、医者としてやっていくには座学のお勉強だけでは駄目で、現場で求められる手技や要領の良さ、マネジメント能力などが欠如していたので、内科医にはならなかった。私でもなれる診療科は限られ、正直言えば精神科の他にはいわゆる臨床系はなかったので、精神科に進んだ。
精神科医として、発達障害、特にASDはとても思い障害だと思う。治すことはできないし、周囲から理解されないので阻害されやすく、二次障害も起こりやすい。そしてストレスから精神病的な反応も出やすくて、そうなると抗精神病薬(いわゆる「メジャー」トランキライザー)も必要になるが、統合失調症などの本物の精神病に比べると効果も出にくい。まじでそこに知的障害も重なると社会適応は絶望的で、本人もつらいし、その家族もとてもつらい。支援者は可能な限りつけるが、支援者と言っても仕事でやっているだけなので、お金が出ない範囲のことをしてくれるわけでなく、最後は家族の無償奉仕で何とかするしかない。
私は優生思想ではない。学者には発達障害が多いことも知っているし、世の中の発展のためにはこうした多様性は必要だと思う。一方で、そうした恩恵に預かれる発達障害者は一部に過ぎず、多くは不適応を起こしてしまう。私もその一人のつもりだが、重篤な当事者から見れば、医者になれているんだから違うだろうと言われるかもしれないが、私の学生時代は悲惨だったし二度と経験したくない。それをこれから経験しないといけない発達障害の子供たちのことはとても不憫に思う。それが自分の子供なら尚更だ。
まとまりがなくて恐縮だが、「発達障害には子供にはなってほしくない」が差別発言だと言われるのは、あまり理解ができない。「子供に癌になってほしくない」「子供に病気になったほしくない」。これが差別なのだろうか。「発達障害は個性だ」という建前的な発想がどこかにあるのだろうか。私にはわからないが、差別発言だというなら、当事者の現実を助けてほしい。当事者が求めているのは綺麗事ではなくて、社会から受け入れられることなのだから。あなたがいじめてきた人、あるいはたった今いじめている人の中に、きっと当事者はいます。
https://twitter.com/honne_ped/status/1690030276360224768?s=46&t=-8QmoVUqOCEN3PStH-mA6w
研修指定病院の勤務医だが、端的にいうと研修医が何かおかしい。
入院の決定権は研修医にはなくて常に指導医にあるので、必要ならばプレゼンをして許可を得る必要がある。
救急のウォークインだと尿院によって体制に差はあるが基本的にその日の当直となる上級医とタッグを組んでいて、この場合は話に出てきた消化器内科医だろう。憩室炎はまさに専門分野であるその上級医が入院が後からではあるが入院が必要と判断しているので適切にプレゼンされていればそのまま入院になった可能性が高い。そのような症例を研修医の判断で帰宅させることはできないのが普通だ。
ここからは推測になってしまうが、この研修医がスタンドプレーをした可能性が高いと思う。上級医にプレゼンをしないまま話を進めたか、上級医の意向が伝わっていなかったのかもしれない。研修医自身の描いたシナリオ通りにはいろいろとことが進まなくて、話に矛盾が出てしまったのを何とかつじつまを合わせようとしたものの、失敗して逆切れという感じか。
余計なひとことだが、この研修医の態度はあまり良くない。自分が研修医の時に言われたが「自部の両親が受けてほしいと思う医療をしろ」ということだった。今でも時々は思い出して自分をいさめている。
俺は20代男性で鬱病持ち。身体的には怪我や病気も過去にほぼ無く健康そのものだった。
しかしタイトルの通り、もう1年以上吐き気や首と肩の酷い痛みに悩まされている。
痛みについて感覚としては首と肩がずっと凝っているような状態。
2021年末 慢性的に弱い吐き気がして「オエッ」とえずくようになる。ただし実際に吐くことは無い。
2022年6月 吐き気が悪化し、本当に吐きそうでトイレに籠るときも。ただしこのときも実際に吐くことは無かった。
同月 以前から通う心療内科で精神科医に相談するが「内科の問題」といわれる。その後、近所の内科クリニックで診察を受け整腸剤を貰う。1ヶ月服用を続けるが改善なし。
2022年7月 内科クリニックで胃カメラを受ける。しかし異常は無く、内科医からは「心療内科の問題。内科のせいにしちゃ駄目だよ」といわれる。
2022年8月 心療内科で担当医に内科での経緯と胃カメラの写真を見せるが「内科の問題」と再び言われる。
2022年9月 ここで首と肩の凝りが突然発症。吐き気と背中の痛みで生活もままならなくなる。吐き気も踏まえるとやはり精神的な原因だと思い次の診察で再度精神科医に相談するが回答は同じ。
2022年10月 隣町にある総合病院の内科と整形外科で診察を受ける。内科医には「心療内科の問題」とクリニックと同じことをいわれ、さらに「心療内科の薬が少なすぎるのでは」と指摘される。整形外科ではレントゲンを取るが大きな異常は無し。
2022年11月 心療内科で精神科医に再度相談するもとうとう「分かりません。私の力不足」と匙を投げられる。
同月 身内の勧めで整骨院への通院を開始。整体師からは「効果が出るのに2ヶ月はかかる」といわれ以降は毎週通う。
2023年1月 整骨院へ通い始めて2ヶ月が経過するもまるで治らず。
2023年2月 今度は鍼灸院を試してみるが2回通ってみても一切効果が出ず、費用的に定期通院は断念。
この間、2022年11月からは1日7000歩のウォーキングを毎日欠かさずしているが効果無し。
押し入れのWii Fitを引っ張り出してヨガをやったりストレッチポールをやったり、寝る前に白湯を飲んだりもしているが全く良くならない。
整形外科ではストレートネックといわれたのでストレートネックに効くという枕やタオルでのストレッチを試したがこれらも効果無し。むしろ枕は悪化した。
ネットでググっても同じような症状が原因不明なままこれだけ長期間続いている人の話は出てこない。
マジで何なのこれ。誰か治してくれーーー。
定期的に目に入るツイートがある。
ツイートの主訴としては入院する際に大部屋が満床だった場合は病院側の都合で個室に入るから差額ベッド代が必要ないというものだ。
なぜならみんな知らないと払うのだ。
適切な医療を受けるために。
そして後から知るのでめちゃくちゃ揉める。
「病院側都合の個室入院は差額ベッド代が必要ないですよね?」と
大変なことになったので備忘録として書く
【経緯】
2、3ヶ月前に都内で働いていたところに突然の腹痛。
憩室炎が再発したなあと肌感で感じる。(1年前に初めてなった)
15時ごろに気付き、繁忙期のためなんとか残業を終えて21時に帰宅。
帰宅時の体温は38.5程度。
腹部に差し込むような痛みを覚えつつ、以前も入院した地元の大きい病院のほうがカルテもあるしいいかなあと電話。
同じ箇所が痛いこととカルテがあるのでと説明し、無事に救急にて受診。
たどたどしい内科の研修医が消化器内科医に相談しつつ見てくれる。
一生懸命見てくれてありがたいがルートを取る時に床まで血みどろになる。
誤診もありつつ結果憩室炎の再発と確定。
再発していること、炎症の数値が高いこと、受診時の熱が39.2まで上がっており、単身世帯で何かあるかもしれないのでと入院して絶飲食及び抗生剤を点滴していく治療と説明される。
了承し、差額ベッド代がかからないように大部屋希望と研修医に伝える。
1日15000円になりますのでお支払いの誓約書にサインしておいてください。」
熱で本当に揺れる頭の中そう思ったのをよく覚えている。
そして申し訳なさそうに聞いた
「あの、大部屋希望して、満床の場合は差額のベット代は必要ないとガイドラインにあるのを聞いたのですが…」
10分後
「入院必要ないので、差額ベッド代払えないなら帰ってください」
私の病状は検査のタイミングも含めたら劇的に30分で回復したらしい
なるほど。すごいな。
研修医「前回の入院時よりは炎症の数値が低いので帰って大丈夫です」
『なるほど。でもさっき入院が必要と言っていましたし、単身者ですし39度超えてて家帰るのも辛いので入院できるならしたいのですが。前回も相当辛かったので』
「あなたは入院してもしなくてもいいので、ベット代が払えないのであれば帰ってください。本当に絶対入院が必要な人に空けておきたいので」
私もさっきまで本当に入院が必要な人だった!!!!!!!!!!!!
まあ変わっただろ!って攻めても仕方ないし、とにかく入院するには差額ベッド代を意地でも取るのかあ。と具合が悪すぎて若干諦める。
看護師さんが来てくれて体温測って40度を超えており、坐薬で解熱剤入れてくれる。
前回の辛かった憩室炎のことを思い出してげんなりするけども1週間入院して10万差額だけで超えることとさらに医療費がかかることを考えて今回は自宅療養だと覚悟を決める。
この時点で深夜1時を超えており、解熱剤がきいたらタクシーで帰るしかないとさらに覚悟を決める。
研修医に説明ありがとうございました。お金払えないので帰りますと伝える。
えっ?!満床じゃないの?!と素で大きな声が出る。
研修医「満床かもしれないし、満床じゃないかもしれないです!」
えっ?!箱の中身はなんだろなじゃないんだよ?!
私『申し訳ないのですが、満床かどうかをお調べ頂くことはできないでしょうか。』
ここは向こうのシマ大きなことは言えないと思いつつ、
私『なぜ先ほどは満床と伝えて今は満床じゃないかもなのでしょうか。刻一刻と変わるのも承知の上ですが。この時間に退院も早々ないでしょうから』(この時点で夜中2時)
研修医「調べる担当が別にいるので満床ぎみなので個室に入れて!とのことです!」
私ここで最後の力を振り絞る
私『今も具合が悪くて40度出てて前に入院した時は人生で初めてうんこ漏らしたくらい辛い憩室炎をこれから家で誰のサポートも無い中で毎日絶飲食して点滴に通わなきゃいけないのに?そんな不透明な回答で2月の寒い中帰るの?調べてくれるくらいはできないの?』(敬語使う元気もない)
研修医「できませんし、さっきから部署違うって言ってますよね?!」
私もブチギレて具合悪くて泣く
調べる調べないの押し問答の後に舌打ちされた瞬間に消化器内科の先生に何してる!と研修医連れていかれる
結局消化器内科の先生の計らいで書かなくても病床の空きを調べてくれたし、入院できたし、大部屋だったので今でも許していない。
ちなみに憩室炎は無事に治った。
【結論】
差額ベッド代のことを伝えたら病気の具合が入院が不要というところまで変わる可能性がある。(結局入院の必要を判断するのは医者)
その場合どんなに具合が悪くても差額のベット代自体は必要になるパターンもある
某市立病院の話です。
地元の医学部に入学しそのまま母校の附属病院で勤務という、いわゆる地元の秀才コース。数年前まで同地域の大学病院に勤務していた。
研修医の大学離れが叫ばれて久しいが、働き方改革でそれに拍車がかかっており、人的リソースは多くの医局において現在進行形で悲惨なことになっている。
大学病院を辞めて時間が経ち、自分が辞めた理由を冷静に振り返れるようになったので、備忘録的に記載してみる。
多くの方がそうかもしれないが、辞職の理由は単一の理由ではなく、複数の要因の組み合わせである。
一つのことであれば我慢できても、同時期にいろいろな問題が重なるとその場に居続けるのが難しくなってしまう。
大学へ行く前から、化学や物理の実験の時間が苦手だった。当時から実験計画を立てて正確に遂行していくのに興味がなかったように記憶している。
大学病院勤務なので、研究の真似事や学会発表、論文執筆は細々としたが、何年やっても面白くならなかった。
仕事だから嫌々やっている状態で、達成による金銭的なインセンティブもなく、全くモチベーションが湧かなかった。
そんな折、大学より「来年度から各講座への研究費は教員当たりの論文数を参考にして支給する」旨の通達があった。
つまり論文数が少ない医局員は講座のお荷物になるということと同義である。
今後、論文数が減りこそすれ増えることは全くないことを自覚していたため、大学から離れる理由の一つとなった。
・地域医療への貢献ができないこと
弱小医局ゆえ、県内の主要病院への医師派遣も行きわたっていない状態が続いていた。
例年、研修医として回ってくる若手をあの手この手で勧誘し、少しでも人員不足を解消しようと全医局員が願っていたように思う。
しかしボス(教授)より不意に、「来年度からA県のB病院へ一名派遣することにしたから調整よろしくー」とぶっこまれた。ちなみにボスはA県出身である。
いやいや先生、まだ県内すら充足していないのに隣とはいえ他県に人を出す余裕はないっすよ、と繰り返し伝えたが、
「もうB病院の先生と約束しちゃったんだよ。同じ大学の先輩なんだよね。非常勤でいいから。お金はしっかり出してくれると思うよ。」と取り付く島もなし。
やむなくスタッフを説得して派遣。B病院の事務と交渉したが、給与はむしろ当県としては安いレベル。
前項のようにボスは気分や口約束で仕事を拾ってくることが多く、悩みの種であった。
科内の方針変更だけであれば不平不満をカバーすることもできるのだが、他院や他科も絡むと厄介この上ない。
あるときボスから、「C科と共同して新しいプロジェクトを進めることにしたからよろしくね。D教授とは話がついているから。C科の先生たちと調整してね。」
明らかに業務量が増えそうな内容であったが、自分の科の医局員にも勉強になりそうであり、資料集めを行った(一部は実費で)。
それからC科の先生方と何度か調整を行い、C科としても非常に前向き。必要な人員やコストを見積もれたのでボスへ報告。
で、返答は「思ったより負担が大きいねえ。うちの科としては無理じゃない?やっぱりやめようか。D教授には直接伝えないけど、医局員同士で話をつけといてね。」
いやいやいや・・・もうC科の先生方は割とやる気ですよ、そのつもりでいますよ、と話したが覆らず。
この辺りは言うに及ばず。
筆頭はやはり夜間の緊急性が極めて低い呼び出し、夜間帯は当直医に運ばせる薬剤、採血や点滴をやらない看護師、あたりか。
挙げればきりがない。
・医局員への不信
まず先に、自分が所属していた医局は非常に雰囲気がよく、医局員も非常にまじめだった(と少なくとも自分は思っていた)。
年々ボスの要求が強まってきているのを、皆が不穏に感じてはいたが。
上述の幾つか不満が頭の中でグルグル回っていた折、決め手となる2つの事態が発生した。
患者さんの病状に関わるような内容ではなかったものの、精神面には少なからず影響を与えそうな事象であり、明らかにこちらに非があった。
自分はその後輩のオーベンという立場で繰り返しフォローを行い、なんとか訴訟にならずに済んだ。
なお外来主治医はボスであったが、フォローの場には一度も顔を出さなかった。
もう1つは自分が出張で不在中、および不在後のトラブル。コロナ禍の真っ最中であり、どこも入院ベッド確保に苦労していた時期である。
自分が長期にフォローしている外来患者さんが、自分の不在時に具合が悪くなったと受診希望があったようだ。
その日の当科救急担当の後輩(上述の後輩とは別の医局員)が電話を受けたが、満床で来院を断ったと。
自分が出張から戻ってきて数日、他院他科の先生から連絡があり、その患者さんが急変して亡くなったとのこと。後輩からは何も報告を受けていなかった自分は、電子カルテを開いてようやく状況を把握した。
「満床なのは分かるが、長期フォロー中の患者の具合が悪くなったのであれば、まずはフォロー中の病院で患者を受けて病態の評価をしたのちに十分な情報提供と共に依頼をするのが筋ではないか」と至極真っ当なお叱りを頂いた。
この辺りで急速に、力が抜けていくのを感じた。しばらく腑抜けた状態が続いた。
大学病院とはこういうものだ。ボスも業務が多くて忙しいのだ、仕方ない。後輩も日々がんばっていた上で、トラブルを起こしたり満床ゆえ断ったりしたのだ、やむを得ない。
結局、自分のフォロー患者の急変報告を受けて数か月後、大学病院を退職。
それから数か月は仕事をせず過ごして、今は臨床研修指定を受けていない小規模の一般病院で働いている。
全く苦労がないわけではないが、仕事に関する不満はほぼない。
家に帰ってから、ボスからの要求や他科の先生との交渉、他院の先生からのお叱りが頭の中をグルグル回って眠れないこともない。
子供関連のイベントはほぼ皆勤賞で出席できるようになった。運動習慣がついた。酒が減った。
もしかしたら上述した要因のうち、いくつかがなかったら、まだ大学病院で働いていたかもしれない。
それでも間違いなく言えること。
追記:
基本「いいおかあさん」を内面化するだけだよ、それが大変なんだけど
<医療>
あと検診がないが個人的に不安のある項目の医者(たとえば歯医者や眼科医)などにもこまめに自分で予約をとってかかりにいく
(基本、不安があれば健康診断のため企業に派遣されてくる内科医に総合相談してもいいけどアルバイトで変な医者がきてることがある)
それもできないのなら献血センターに行って献血したあと家にとどく血液検査結果で*がついてる異常値がないかはチェックする
ワクチンもできるだけ打つ
酒・たばこ・ゲームのやりすぎをさけて散歩・運動などを日課にする
<社会参加>
子供がいれば子供会。いなければ自治会に入ってそこらのおじさんおばさんの考えてることを知る
(たとえば地震がきたらみんなはどこに逃げるの?とか、この地域でなんでも頼み事をきいてくれる政治家いる?とか)
親戚のじいさんばあさんを自分の将来のすがたとおもって愚痴もほどほどにきいてやる
直系(両親・祖父母)に糖尿病やガン、高血圧などがいればどういう経過になるか注意しておく
<家>
片付けるか片付けてもらう
<飯>
あすけんアプリ使う
<メンタル>
やりがいとか楽しみをみつける 銀行や医者の待ち時間で読める雑誌なんかでほかの大人はなにしてるのかなってのぞき込むのもよい
いいかえると依存先を一つにせず分散させる(親に依存してたら親が死んだときガクっとくる、企業に依存してたら65歳定年から先が不透明になる)
多くはプライベートで最大の依存先を異性や同性と築いた「家庭」においてる、ご飯もおいしく楽しくあそべて共同生活
ただ人によっては合わない、合わない人は全然、徹頭徹尾、あわない
酒とかたばこだとまあ御察し
アフタヌーンで大人気連載中の医療漫画「フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語も新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在、新薬JS1編へと続いてくれています。
そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。
時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。
フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。
「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」
「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」
「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家も編集もすっかり忘れて楽しくやってました」
長期連載にありがちな後から立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね。個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間が必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。
連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。
まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。
特に困ったところが「日本病理学会総会~アミノ株式総会」。かなりぐちゃった。
それに加えいつかは不明だがリアルの専門医の受験資格が経験4年から3年に変わった影響もあるかも
たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。
宮崎の試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし
あとは
・ 壮望会の悪評と建て直し
もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。
岸
森井
火箱
南波
細木
中熊
手嶌
比日野
壮望会
慶桜
岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)
稲垣、医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。
岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。
25歳前後?
将棋友道8「今月号」
恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」
原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTSが中国で特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)
稲垣、内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)
(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明「病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))
およそ13年前で火箱12歳
森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校に入学。(3話)
壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)
岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理の先生ですよね?」(18話)
物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)
岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。
火箱、アミノ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒ではいればこの辺り?
新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)
宮崎、医大卒業?。出身大学の病院で初期研修開始(80話)「初期研修は出身大学の病院」
手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカに留学して~研究職に転向した」(33話)
本郷、最後の彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33日彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)
宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」
一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎の発言と矛盾する気がするんすよぉおおおおおお
9月23日-24日開始。院内描写は24日スタート。終了は25日。
24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日
宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。
てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者の意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…
岸、森井に転職の話をする。
6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?
森井30歳?
森井慰労会(4話直後?)
火箱登場、宮崎とは初対面。
宮崎、病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)
4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?
根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」
実際何ヶ月生存したかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。
火箱、アミノ退社(14話)
(間瀬、アミノ退社)
「あれから数ヶ月」
火箱、ビフィズス入社
(14話終了)
「この前」コンサル窪田参加(15話)
高柴65歳?、定年半年前(15話)
高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)
慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬の配列設計を発見。
5月時点で布施がまだ医大5年なので病理の学校は4月以降(25話)
布施「君何年生?」「5年生です」(25話)
人物紹介 年齢
岸不明
森井31歳?
手嶌登場「4月から京都の細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)
流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?
ハル編(35話~)
野球回。(44話)
入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?
火箱が野球をテレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球は3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか。
火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。
こまごまとした話。3日謹慎や新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?
布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)
現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…
「神経内科から病理に転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?
しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html
4月越えなら
森井32歳?
宮崎29歳?
火箱27歳?
作山、リンチ編
円、27歳?「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
稲垣、オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)
稲垣、医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。
ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)
ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)
(株主総6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)
新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。
「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明。
数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)
(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎、試験願書提出?(89話))
総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月の日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。
そもそもオプジーボの同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査にいくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。
総会間近、火箱懲戒解雇(68話)
十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)
株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)
間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。
慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
弁護士編は過去が矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)
前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。
また、過去以外の話の時間は正史として前の編から地続きと考えておく。
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに
(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)
岸、壮望会に。(73話)
(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前で矛盾)
患者、菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)
菊池、状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)
森井、彼女に振られる(18巻末)
宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。
壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)
久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)
「今月の予定組むんで」(71話)
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
「夏も近い」(74話)これジョーク?
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで
私は医者じゃないです。
何人かの医者の内情を知っている者です
●東京で発熱外来をコロナ初期からやっている先生は所得は1億円に到達した。
もともと人気の内科の先生なので、グーグルで見るとこの先生じゃないとって書いてる人がちらほら。
ただこの先生は過労死するんじゃないかってくらい働いてるので、所得1億円でも納得できる。
お金はすごく余ってて毎年車を買い替えてる。ひとり息子は私立大学生で、医学部ではなかった。ゴルフ部に入ってる。医者の息子ゴルフ部に入りがち
●同じくコロナ初期から発熱外来やってる先生。こっちはそこまでじゃなくて所得5000万円くらい。
まあ1億円の先生と比べると所得5000万円くらいの働き方って感じがします。
この先生も若くて親しみやすくてグーグル評価も良いです。私も好きです
息子は二人いるけどそんなに近況を知らないです。私立中高ではあった
●同じくコロナ初期から発熱外来やってる先生。グーグル評価は良いけど話すと選民思想が見え隠れしている。(稼いでるやつが偉い的な)
この人は医療法人なので役員報酬で3000万円もらってるけど、法人を私物化してて法人のお金を引き出してしまう。
●横浜でやってる年配の先生。売上はそこそこ、そんなに忙しくなさそう。所得は2000万円くらい。
まあ60超えてるからゆるーくやってるのかも。
売上どんどん落ちてる。去年所得1000万円を割った。先生は悪くないんだけど受付の人が怖い。
受付で追い返してるのか?やる気がないのか?わかりません。
去年の夏にコロナにかかってしまったけど復活したので良かった。
所得は3500万円くらい。
奥さんは元キャビンアテンダントという話は聞きました
息子何浪かしたあと医学部に入ったが、医師国家試験に落ちてしまったらしい…
だんだん適当になってしまったが、ひとくちに内科医といっても所得に差がありますということをお伝えしたかった。
フェイクはないです。
やる気がなくても所得2000万円はかたいです