はてなキーワード: 滾々ととは
セックスの気持ちよさとは初っ端はそれが出来たことそれ自体の気持ちよさと達成感と昂揚感、支配感だの征服感だの、ある意味全能感の下位互換的な感情がある
だが驚くべきことに悲しいかなセックスは飽きる、順応してしまう
そこで人は浮気だ不倫だに行くのだが、それは「普通はできないこと」をやることの興奮なのだ
駆け落ちなどはその最たるもので、やってはいけないことだから、やられていないことだから、やると昂揚する
誰もセックスを本気で真面目に、相手の気持ちを交えて、情欲や支配欲といったものと全く切り離して語ることが出来ていない
それが出来たのだ
なんとも気持ちの良い、突き抜けるような達成感があった
人は、…少なくとも日本人は、セックスをまともに語ることがほとんどないのだ
だからこそ、まともに滾々とセックスを語ることが、果てしないカタルシスになった
そして、もちろんセックスも出来た
密やかにid:a63grdt4y氏に捧げようと思う
ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。
すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、風呂の蛇口から滾々と、何か小さく囁ささやきながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
歩ける。行こう。
肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、ブラインドに投じ、隙間から差し込んだ光も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人(クライアント)があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。飛んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。
いや、休め! メロス。
「俺が若いときは毎日残業と接待で---」「今の若モンは苦労を知らない」というのはあまりにステレオタイプな昭和の勤め人像だが、確かに洒脱でないなと感じる言い分だ。
こういう、旧来の感性と180°反転して、現代の20代は「自分の楽しいと思える形で努力し、それを認められる環境で生きていくのがクール」「辛い努力をルールに従って泥臭くやるのは恰好悪い」とされる。少なくとも20代半ばの私はそう感じている。
個人的意見だが、私は上記二つの対局にある感性両方に疑問をもつ。
もちろん、空気を読めだとか、いくら無能でも年上を敬えだとか、女はこういうもんだとか、男が大黒柱であるべきだとか、そういった時代遅れの考えに同調するわけではないし、個人が能力に応じて自由な選択を選び取れることが幸せなのだろうと思う。
一方で、今日の大学生たちがあまりに個人主義に傾倒し、大学をでて就活をして大手企業に入ろうとするといういわゆる「人生のレール」を毛嫌いしていることに違和感を覚える。
現実に、私の同期や後輩のうち10名以上が大学を辞めるか、一般的な就職活動を行わずにいわば変則的なルートで進路を決定している。
私は彼らを心から応援しているが、少なからず、その決定に伴うリスクと合理性を問いたい。
彼らは決まって、一見大胆に見える進路を選択した後にSNS上に『なぜ大学を辞めたのか』という旨の投稿を行い、それに他の学生は熱烈なエールを送るのだが、私はそのやり取りを一抹の恐怖に似た感情をもって見つめている。
例えば、大学の研究に意味を見出せず、浪人と休学を含めて6年間を投じた大学生活を途中退出してコネクションを使ってエンタメ業界へ。
賞賛と応援の嵐、夢を摘み取ったことへの羨望がコメント欄に滾々と沸き立っている。
なんだかなぁ、と私は思う。
大学を出てからでもよかったんじゃないのか? 全く触れもしなかった卒業研究からも、得られるものがあったんじゃないのか? などと考えてしまうのは私がもはやロートル化しているからなのか。
繰り返しになるが、私はこの判断を否定する気などさらさらないし、そんなことをできるほど大した人間ではない。
私は単に、大学生たちに、人生のレールがダサいものなどではないことを知ってほしいと思っている。
研究をまじめに行って、大きな企業で世の中にインパクトのあるものを、優秀な同僚とともに生み出していくことが、恥ずかしい事であるはずがないのだ。
学業や就活は総じて苦痛を伴うだろう。私も大変に苦しんだし、大学院をやめようと思ったのも1度や2度ではない。
それでも徹底して競争に身を投じ、苦しんで苦しんで戦い抜いた結果、私は今作りたいものを自らの手で生み出せる仕事をしている。
研究以外で何もクリエイティブなことなどできないが、こういう人生もアリだろうな、と自分では感じている。
何も研究や勉強がいつも楽しかったわけではない。苦しい事が9割5分だった。
それでも逃げ出さずに戦いぬいたことを私は誇りに思うし、この経験が私にとって有益なものをもたらした。
今年で5年務めた客先常駐メインの自称SIerの派遣会社を退職しました。
退職指示の通知は去年の10月ごろに「あなたのスキルではもう派遣先がありません」と言ったメールの本文と共に退職届が添付され同時に事務所への入室カードも無効化した通知と共に来ました。
一応、選択肢として関西の某製造工場に期間工として派遣される道がありましたがIT業界にいた身としてはあまりに違いすぎるので断りました。
ネットワークに興味がある3年制の専門卒で卒業前に基本情報とCCNAを取得して、意気揚々と就職活動をしたもの大企業~中堅(web企業含む)まで30社ほど
エントリーしましたがエントリー段階で全滅、渋々学校の勧めに従い学校訪問してくれる起業を中心に面接したものの「プログラミングには興味はない」と
正直に話してしまったせいで面接までこぎ付けたのは退職した会社だけでした。
今でも覚えています「ネットワーク技術者の育成に力を入れている弊社にぜひ来てほしい」と大喜びされたことを
入社後に1ヶ月の外部研修を受けた後に、派遣されるまで社内待機で5社ほど事前面談を行いましたが断られ、社内で
幹部候補と謳われる派遣社員とセットみたいな形でとある金融系の運用現場に派遣されました。
派遣後は社長も喜んでくれて「おめでとう」と言葉を掛けてもらったのも鮮明に覚えています。
しかし私が派遣された現場は私と同じ会社の派製本遣社員1名以外は子会社と2次請けの社員がメインで4次請けは私しかいませんでした。
なので扱いも雑でした、初日にいきなり目の前に卓上製本機と紙の山を置かれ「これ10ページずつやっといて」と言われ何も教えてもらえず
聞くタイミングもわからない新卒の私はとりあえず積んであった順に作業をしたら後ろにいた2次請けの人にいきなり怒鳴りつけられ
あたふたしている間に目の前の卓上製本機と紙の山を持っていかれ机からも退かされ段ボールが積んである部屋の隅に放置されました。
椅子もなく机もPCもなく立っているだけで1日が終わり2日目は現場のマネージャーから「君は業務では使えないからそこにある資材整理して」と
指示をされそれから2ヶ月くらいはずっと資材の整理をしていました。
散らかった資材整理は思いのほか整理に時間がかかりキレイにしても翌日にはぐちゃぐちゃにされてしまう上にキレイにせず帰ろうとすると
ものすごい形相で睨みつけられたので毎日22時ごろまでサービス残業をして帰りました。
2か月後になって初めて椅子と机と電話が与えられましたがやることは納品するPCの台数確認と資材整理だけでした、仕事が遅いと子会社の人からは
蹴られることもありました、その時はスーツに靴の裏面の跡がクッキリ残って目立たなくするのに苦労した事を覚えています。
そんなある日、会社の営業から携帯に怒りの怒鳴り声と共に呼びつけられクレームの話と自分の無能さを滾々と説明され大変ショックでした。
派遣先の人からは「クズ」だの「死ね」だの言われていたり蹴られる事を訴えましたが「それはお前が仕事が出来ないクズだから」と一蹴され
その1年後に穏便な退場を行うことになりその後、派遣された現場の元請け企業が関わる所からは出入り禁止との通告を受けたとの報告を
そこから1ヶ月の待機ののちに派遣された現場は24時間365日で2交代制の監視とサポートを行う現場でした。
そこは現場の人たちは良い人ばかりで大変お世話になりました、監視のスキルやサポートのスキルやその他事務スキルが
そこで全て身につけられたと言っても過言ではありません。ただランダムシフトで人手不足な2交代制なので休暇はなく土日も出勤
休みは現場の責任者が決めた1日ずつの飛び石休日でまわしていたため大変キツく季節の変わり目に毎回風邪をひく状態でした。
4年目を目前とする年に営業に相談するところ次の現場を探す言う言葉と同じ日にメールにて退職指示を通知するメールが届きました。
その日から有給消化を命じられたため、転職活動をして何とか転職先が決まりました。
ただ、ネットワークに関わる仕事ではなく客先常駐ヘルプデスクです。転職活動をした当時は基本情報以外の有期資格は全て失効済みでアピールできる点は
そこしかないと某転職サイトのアドバイザーから言われ泣く泣く決めた感じです。給与は1社目では手取りが15万~20万でした、訴えればよかったかな?
でも転職で忙しかったのでそんな余裕はなかったのです。転職先では手取りが19万で残業時間はフルに加算してくれるので23万になる時もあると聞きました。
実は先月あたりからeラーニングによる研修と客先常駐ヘルプデスク業務をやっていますが、夜勤もなく休日出勤もない長期休暇も取れる以前とは
大分待遇面での改善が出来たと思っています。周りの社員さんも業務の進め方に対して丁寧に教えてくれてとても働きやすい職場です。
しかしながらネットワークに関わる仕事は未だにできていません、今年で26歳になります・・・・・今の常駐先も40歳以上の人は元請けを除いて
古参派遣社員1人しかいません。このまま感動してはいけないと失効してしまったCCNAを含めて休日を利用して勉強しています。
退職しました(無能編)はここで終わりです、キラキラした話題はどこにもありませんがこれを読んでいただいている方に言いたいのが
劣悪な環境で優秀な人材は育たないということです、ブラック企業でもキツい環境でも優秀に育つ人はごく稀です。働かないよりはましと
・異常な性欲を発散するために女性に近づく輩がいることに憤慨する前にまず己がそうではないと一定の根拠もなく確信するといったような誤謬に陥っているかもしれないという可能性を考慮しない者がやがてそのようになるのである。
・仮にわがままでいるということが自由奔放であるとして褒められてしかるべきものであったとしても、わがままでいられないように抑圧された人々がいざそれに対した途端に罵詈雑言を飛び交わせることが世俗化への障害にになっている。
・そんなに滾々とただ僕に説いても、だいいちあなたが直面している問題には僕はあらゆる面で関係していないんだから、それは彼"に"であって、こんな風に人の事情も考慮しない人に彼をそこまで悪し様に言える資格があるのかね?
・彼女の翌日は彼にとっての今日であるのだから、彼が一昨日送ったメールが今日彼女を駆り立てて山を登らせ遭難に至らせたのは実は彼のせいでもあると言えた。
・地球上に暮らしている人類のうちの1割でも真に一つのものに取り組むような性格だったら俺は間違いなく9割に入る方を見下すことに熱心になるだろうな。
・まとめると、僕が複雑な文章ってなんでみんな読めないのと言ったことに憤慨した人がこれらを読んで実際には読めてるのに決めつけてくれるなと感じることそのことがまず先の一定の根拠もなく確信するという誤謬に陥っている可能性の一端であり、憤懣やるかたない彼ら、すなわちここではあなたはここまで目を走らせて字面だけを追ったというのみで未だに何の情報もこの文章からは得られてないとこう決めつけてもなんら問題はないわけであると私は確信している。
本当に頭の良い人は、短文で分かりやすく要点絞って説明できます。
貴方の文章は1文長い上に読みづらい。人に「読んでもらう」という事を考えておらず、思いやりに欠ける。
大学時代の話。
ある日学寮で数人の寮生と共に留学生と雑談をしていたとき、彼の出身地が話題に上った。
恥ずかしながら浅学なもので、アルジェリアという国がどういう国なのか、想像が及ばない。
モロッコあたりならこう、『カサブランカ』のイメージで、いやそれだってフィクションの中の一都市でしかなくて失礼な話だが、まあ、なんとなく。
誰ぞ気の利いた話題をひねりだせないもんかと他の学生に目を向ける。
え? どこやっけそれ。
しかもひとりではない。仮にも旧帝国大学の学生のくせして、アルジェリアの位置を把握していない人間がぼろぼろいやがるのだ。
まあ、慣れているのだろう。アルジェリア人の彼は自国の位置を説明してくれる。だがまだ終わらない。
あろうことか目の前に居るアルジェリア人の彼が黒人でないことに驚くのである。
なに言ってんだこいつ。
アフリカ北岸は古くはローマ帝国の版図でその後はずっとイスラムの支配圏だったろうに。
選択科目の関係で習ってないにしても、ではまさかハンニバルが黒人だとでも言うのか。
だが俺が呆れかえるより早く、周囲の人間が膝を打つ。あ、ほんとだなんでなんで。
ヨーロッパとは内海である地中海を隔てているに過ぎず、シリアと地続きで、黒人の版図との間にはサハラ砂漠が立ちはだかるあのアフリカ北岸なのだ。
自分の周囲にホワイトアフリカとブラックアフリカの区別のつく人間がひとりもいないという事実に愕然としつつ考える。
旧帝の一角たる国立大ですらこのザマだ。私学など恐るべき状況に違いない。
三教科入試など序の口、幼稚舎エレベーターやら帰国子女枠やら意識高い高いAO枠やらの跋扈する人外魔境である。
ここに至ってようやく俺は気付く。
高学歴の人間に教養を期待するのはてんで的外れである、ということに。
しょせんデータベースとして蓄えられる知識なんぞより、それら知識の有機的結合から導き出される中学生でも納得できるような当然の推論の組み合わせ(つまるところ要するにまあ教養)のほうがはるかに広範囲に及ぶ。
あれはお受験というふるいに対して、どれだけ最適化されているか、抜け道近道を知っているかでしかないのだ。
結局、学歴とは能力の指標というよりも既得権益の可視化という性格のほうが強いのだ。
名前を書けば最寄の高校に入学できるクソド田舎の公立中学から始まって、ずいぶん長い間くだらない幻想に囚われていた。
こんな程度のことに気がつくのに馬鹿みたいに時間をかけてしまった。
おかげで論理的思考だとかリベラルアーツに努力値極振りしていた俺は当然の結果として就活に失敗するのである。
なおこの後クッソド田舎な地元の飲食店でバイトして、自分の先入観からずれた発言はどんなに滾々と事例をあげて諭そうと一顧だにしない低学歴の人間にふたたびカルチャーショックを受けるのはまた別の話。
母の実家で、チャンネル数が少ないテレビから消極的に選んだEテレのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が期待より面白い。
全てシュトラウスの名字を持つ作曲家が出てきた前半、ヨハン・シュトラウスはわかるけど、他は誰?状態の知識から入っていったのだが、
中盤の解説で家族だと知ってほぇ...となったり。曲目はウィーン工科大学二百周年を祝ってるのですよと聞いてなるほどと頷いたり。
この豆知識、googleホリデーロゴに、今年のどこかのタイミングで表示されそうな気がする。
自分も理系だけど、何となく通じるぜ、みたいな共感が滾々と湧くようで楽しい。
ああ、素晴らしい。座りながら、じゃなくて何かしながら聞き流すのが最適。ランニング中とか。