はてなキーワード: テレビ番組とは
はてなのオッサンたちは疎いと思うが、今中高生に大人気のk-popアイドルIZ*ONEなどを生み出した、k-popが人気の東アジア・東南アジアで一大ブームになっている「プロデュース」シリーズというアイドル選抜番組がある。
その日本版(素人男性候補者から11人を選んでアイドルグループを作る)を吉本でやるっていうんで蓋を開けてみたら
ナインティナイン岡村による候補者へのセクハラ発言がヤバいと話題になっている。
今回のシリーズに注目している者はk-popファンがメインである。そのため下ネタ絶対NGの韓国テレビ番組に慣れており、前シリーズでビックリするほど候補者に対するリスペクトが深く、兄弟のようにサポートする紳士的な司会者(韓国の有名俳優)の様子を覚えている。
だが岡村はどうだろう。
収録に参加した人のTwitterによると
「玉のがデカイ?」
「下は脱ぐの?」
「アンダーヘア生え揃ってないでしょ」
https://twitter.com/_ooonao/status/1172850169064259584?s=21
更に今回韓国人候補者も参加しているのだが、日本語がうまくしゃべれなかった韓国人に対して「何言ってるかわからん」的なツッコミもあったとのこと。
前シリーズでは日本人が2人、台湾人、タイ人、アメリカ人などが参加しており韓国語が堪能じゃない候補者もいたが、韓国語が喋れないことに対するdisは一切無く、「むしろ韓国語ができないのによく頑張ってる」的な編集が目立った。
「日韓関係」の報道でしか韓国のことをご存知ない方々には残念かもしれないが未だにk-popは人気があり、プロデュースシリーズは毎シリーズ人気グループを生み出すためk-popクラスタには注目の的だ。
k-popファン人口の多い東アジア・東南アジアで広く視聴されるのは当然(既にある候補者にはTwitterにタイや中国からの応援アカウントがあったりする)のこと、BTS程ではないにしても、欧米からの視聴もあるはずである。
国内だけであれば「フェミが何か騒いでんな〜(鼻ホジ)」で済まされたはずだが、岡村の発言がカットされずそのまま放送されれば日本のヤバさが世界的に広まることになるだろう。
15年前ということは狩野英孝がリバイバルさせなければ今頃イケメンは死語になってたってことか。合ってるような気もしなくもない。
関西ではかっこいい男のことをこう呼ぶんだよと紹介されたような。
思い出せない。ググってみようか。
Wikipediaによると1990年代中頃のゲイ雑誌に起源があるのだとか。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3
Pixiv百科事典によると平成仮面ライダーの放送開始から広まったのだとか。 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3 2000年からということか。これはちょっと遅すぎる気がして信じがたい。
ニコニコ大百科だと『egg』1999年1月号が起源だという。 https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3
間抜けな感じの語感なのにかっこいいものを指しているというのが違和感があって面白いなと思った記憶はあるが、いつ思ったのか全然思い出せない。
国立国会図書館 2002年のワールドカップ頃までしか遡ることができない
2000年7月と10月に鹿児島県内の2つの大学と1つの短大で18歳から24歳までの学生を対象に行われた若者言葉調査ではイケメンは84.4%の人が知っていたにもかかわらず8.9%の人しか使わないという言葉だったらしい。 「言語意識から見た若者ことば使用の要因」 太田一郎, 牧瀬那生 - 人文科学論集, 2001
媒体によって意味にばらつきがあり当初は女性に対しても使われていたが、次第に男性に対してだけ使われるようになっていったのだとか。 「若者ことばの発生と定着について」桑本裕二 - 秋田工業高等専門学校研究紀要, 2003
殿山徹二著 「監禁肉刑人妻、堕とす!」 1999年9月25日発行に「嶋村って、あのイケメンですな? わが社の女性社員の間でも人気の。その女房がストリッパーとは味ですなあ」という記述あり。
柳美里著 「女学生の友」 1999/09/20発行に「イケメンだと思ってて、日に日にナル化してんだよ。花音里的にはむかしのケンブーに戻ってほしい」という記述あり。
鹿児島大学の調査から2000年の秋までにはほとんどの若者が知っている言葉になっていたのは確かだろう。ネットでは1998年以前の確実な使用例は見当たらない。ニコニコ百科事典が主張するegg1999年1月号が起源だとしたらたった1年半で鹿児島の若者が誰でも知っている言葉になっているのだろうか?。最近の流行語はそこまで早く浸透しないからegg起源説には疑問をいだいてしまう。
死語かどうかに関しては20世紀の末のポッと出の言葉だから通常のサイクルなら15年前にはもう使わない言葉扱いされてておかしくないところなのかな。
昔から思っているんだけど、同意してくれた人が今までいたためしがない。それどころか人非人であるかのように扱われることも多い。そこで増田でみんなの意見を聞きたい。
同性愛者だから云々とかいうのは一切ない(と自分では思っている)。一言でいえば、彼(彼女?)の行動はどれも「美しいもの」を持ってきて「ほら、美しいだろ?まともな人間ならこれは美しいと思うんだ」と見せつけて回っているように思えて、暴力的に思えてしまうのだ。もちろん、彼はマイノリティとして権威に挑戦しながら今の立ち位置を獲得してきたわけで、彼の行動を責めるとかは一切なくて、むしろ今まで大変なこともたくさんあっただろうにえらいなあとは思っているし、何なら4, 50代以上の世代が彼を好むのも理解はできるのだ。しかしながら、それこそ「若者の右傾化」みたいな話なのかもしれないが、今や彼が『神聖ニシテ侵スヘカラス』な「美しさの権威」になってしまっていて、どうも反発心を感じる(ちなみに増田は20代)。いくつか具体的な点を挙げてみる。
ずいぶん昔のテレビ番組であるが、美輪氏を嫌いになった一番の理由はこのオカルト番組。もう一人のコメンテーターの江原啓之氏は胡散臭い自称霊能者であり、言ってしまえば大川隆法や麻原彰晃みたいな新興宗教家と大差ないように思える。その番組中で、美輪氏は江原氏と一緒になって、出演者の芸能人の後ろに守護霊がみえるだのオーラがどうだの箸にも棒にも掛からないような反知性的なことを放言していた。同時期にやっていた細木数子の番組と比べこの番組はどうも耳当たりのいいことばかり言っていたので、世間に受け入れられていたのだろうが、上に書いたようになんだかどうも価値観の押し付けじゃないかと感じていた。
別に土方がどうのという話をするつもりはなくて、これもどうも「美しさ」の押し売りのように聞こえてしまう。「土方」がいじめられる理不尽さを歌ったのに最終的には「機械の世の中」で「エンジニア」になれてよかったねえというのはどうなんだろうかとか、残念なことではあるけれど「貧しい土方」の子が「何度かグレかけた」にもかかわらず「高校も出」、特にこの時代に、学力的にも金銭的にも周りの理解の面でも(貧しさというのは奨学金など情報にアクセスできないということでもある)「大学も出」ることなど現実問題ありうるだろうかとか思ってしまう。いや、もちろん創作なのはわかっているし、人々がこの歌詞を感動的だととらえるのも理解できるんだけど、どうも「感動を呼び起こすパーツ」を寄せ集めた、養殖物の感動であるように感じられてならないのだ。
こういうことを言うたびほんとに「お前がサイコパスなだけだ」といわれ続けたんですけど、どうなんでしょうねえ…
高校の保健の授業で習うじゃないですか。
いや、読んで字のごとく、「妊娠」を「避ける」ことだってのは分かるんだけど。その方法を説明されているってことも分かるんだけど。
だって性行為って子供を作るためにするんでしょ。妊娠しないようにしたら本質的に意味なくね?
ずっとそんな疑問を抱きつつも話題が話題なだけに誰かと話すこともなく過ごしてきた。
ホームレスみたいに、「本来あるはずのものがない」みたいな言い草が理解できなかった。
が、新聞の週刊誌の広告とかでその単語を目にして、次第に、もしかして、と思うようになっていき、あるとき、とあるテレビ番組をきっかけに、思い切って親に聞いてみた。
親はうんと答えました。
22歳くらいのときだったと思う。
まあ、うすうすそうなんじゃないかとは思っていたわけだから、あー、やっぱりそうなのかー、と思った。それでようやく納得いった。妊娠したくないときも性行為するひとがいるんだと。だから避妊が必要なんだと。
知識としては理解したが、アラサーとなった今も、性行為の経験はないし、したいと思ったことも、一度もない。
別にだから何ということはないです。こんな話できるとこ他にないと思ったから書いてみただけ。
テレビ番組に興味があろうがなかろうが、NHKが良質な報道をするおかげで社会が適切に運用される益は、誰もが享受することになる。NHKを国民全体で支えるのはそれが理由だ。
たとえばNHKが粘り強くとある難病についての調査報道を続け(民間でそんな「儲からない」企画が通るわけがない)、その結果世論が後押しして関連法が成立したとすると、その法律の直接間接の受益者は全て、NHKが存在し「儲からないが重要な情報を広く国民に配った」お陰を被っていると言える。たとえば増田か増田の子が将来その病気にかかったとき、その法律のお陰で治療費や介護費が出たとしたら、生涯で払うNHK料金なんて軽く凌駕する「益」を受けるだろう。
もし増田が「NHKから私は受益しない」から「受信料は払わない」と主張するなら、こういう制度の一切も拒否するという覚悟であるべき。でなければ増田は俺たちの受信料とNHKにフリーライドするただの卑しい存在になり下がる。
京アニ放火事件、何が悔しいって、過去に強盗で逮捕された時点で犯人を病院に隔離していたら起こらなかったってこと。
『精神障害で他人に危害を加えたら社会から一発退場』と制度が運用されていたならば……と思わずにはいられない。
誰にも気付かれずに統合失調症を発症して初犯であれをやらかしたなら、マイノリティレポートかシビュラシステムでも無ければ止めようが無いと諦めが付いたのに。
統合失調症のリスク遺伝子を持って生まれて、報道されている限り幸福とは言えない半生のストレスで発症して、治療に寄り添ってくれる同居の家族もいなくて、その結果に過ぎないと思ってる。
統合失調症を発症してから強盗、放火にはしるまで妄想に操られて動いていただけで、本人の自由意志による選択のような物は無かったのだろうから、責任を問う気にはなれない。
本人も、初犯で隔離されていた方が幸せだったんじゃなかろうか?
前科と精神障害を抱えた四十路にあなたはまだ社会復帰できるから仕事を見つけなさい自立しないというのは残酷だ。そのストレスが病気を悪化させてあそこまで妄想を育てたのではないか。
初犯で社会から隔離する代わりに一生国が面倒を見ると認めてもらえていれば、山奥の施設で投薬を受けながら、好きな本やテレビ番組を楽しむ程度は許される長く穏やかな余生を過ごせたのではないか。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
吉本興業に所属する芸人の闇営業問題が本来の問題の発端で、被害者がいらっしゃるのにテレビは吉本興業の立て直しに終始している。
事の発端となった芸人と反社に属していた方の繋がりはどうだったのか、取り上げたのはスッキリのみ。
会見で亮さんが言っていた「在京5社、在阪5社が株主だから大丈夫」という言葉の本当の意味がテレビを通してわかる。
明らかに印象操作、情報操作しようとしているので、怖いし気持ち悪い。
TwitterやYahooのコメントでテレビの偏向報道に意見を残している方たちもいるけど、
書き込むだけでストレス発散することよりも、もっと具体的に動ける手段があるんじゃないかな。
私たちがテレビ局を動かせるのは、偏向報道と感じる報道をしたテレビ番組に協賛している、番組のスポンサーに直接問いかけることだよ。
そう、番組が始まる時とか、CMで流れてくる商品を売っている企業だよ。
どの企業も問い合わせ窓口がメールや電話番号、あるいは会社のTwitterアカウントがあるはずなのだから、聞いてみるといいんじゃないかな。
「コンプライアンス的に問題がある点を取り上げない報道番組に、なぜ協賛しているのか?」と。
そんな視聴者からの疑問が大量に集まれば、スポンサーにも今のままでいいのか、テレビ局に声をかけて、変えてくれるキッカケになるんじゃないかな。
私も林先生(精神科医)のネット相談や、元統合失調症患者のエッセイ読んだくらいの知識しかないからいろいろ間違ってるかもしれないけど、
近くで咳払いされれば「私への警告だ!」と思い込むし
晩御飯何食べようと考えている時に近くで食事の話をされれば「思考を盗聴された!」と逃げ出し、
自宅で洗濯機を回している時にテレビで洗濯洗剤のCMが流れれば
「私の行動を常に監視しているぞというメッセージだ!!」と戦慄する。
"偶然の一致"という常識的な考えが病気のせいで出来なくなっているんだ。
加えて統合失調症は症状の進行の過程で病識(自分が病気であるという認識)を得る事が難しい。
ゆえに「私は何もおかしい所はない正常な一般人なのに、なぜか自分の思考を他人に把握されている。恐ろしい!!」という恐怖と絶望の中で日常生活を送る事になる。
「道行く人の全てが私の思考を盗み、私の考えていることを知っているぞとほのめかしてくる!テレビ番組までもが!私はマスコミも動かすような大きな組織に狙われているんだ!一体どうしてこんなことに!!」というように。いや冗談でもなんでもなく彼らはマジでそう考えてしまうんだ。
獺祭を作っているメーカーは旭酒造という会社名で、山口県東部、岩国市にある。
地元が広島の私はUターン(Jターン?)就職も視野に入れて、旭酒造の会社説明会に行った。
内容は至って普通の会社説明会で、会社の事業内容やこれからの選考予定の説明を受けた。
桜井氏は社長にしてはかなり若々しかったので驚いた。スーツのよく似合う、カッコいいおじさまだ。
桜井社長は、売上げが伸びているので給料に反映していること、ニューヨークで酒蔵を作っている話などを語ってくれた。
事業説明を聞いているときはかなり魅力的に感じており、ぜひともこの会社で働きたいと思っていた。
ただ、旭酒造では10日間にわたるインターンに参加することが選考の条件らしい。
正直なところ、大学の近くの大阪に住んで他の会社の選考も受けている私にはかなりスケジュールが難しい。
その選考スケジュールを聞いた時点で、自分には無理かな、とは思っていた。
「毎年、女性の採用が1、2名ですが、女性は不利なんでしょうか」と彼女は質問した。
パンフレットを見ると、ここ数年は男性を10名以上雇っているにも関わらず、確かに女性は1人か2人だった。
「メーカーで力作業もありますので、男性が多くなる傾向はあります。ただ、私は女性の能力は男性と同等、特に差別することなく活躍できると考えております。」
どうせ女性を差別するなら、そんなタテマエを言わない方がよっぽどマシだと思った。
長時間の労働ができるか、という意味での体力ならば、性差よりよほど個人差の方が大きいだろう。
腕力で雇用を絞るのが合理的なら、東京医科大は数十キロのバーベルを持ち上げられることを入試基準に入れてしまえばよかったのだ。
「緊急時、患者を搬送する必要があるため」とでも理由をつけて。
全ての業務に腕力が必要なら、そういった能力主義も許容することができた。
しかし、旭酒造で女性が働いていないのかというと、決してそんなことはない。
私が工場を見学した際には、たくさんの女性が段ボールの箱組みやラベリングを行っていた。
昔、獺祭を特集したテレビ番組内(がっちりマンデーだったと思う。うろ覚え)では、品質管理を行う女性の姿を見た記憶がある。
杜氏のカンではなく、計測可能な数値で味を保っているとかで、そのデータ取りを行っていたのはパートの女性だった。
要するに、どうしても腕力の必要な力作業があることを理由に、正社員には男性を採る。たとえ、管理職になってからの仕事には腕力が必要でなかったとしても。
彼女たちは重要な業務を任されてはいても、それ以上のキャリアアップも給与のアップも望めない。
正社員の給与は引き上げたのかもしれないが、パートの給与は最低賃金に毛の生えたような、普通の時給だった。
もしかしたら、パートになるよりない当事者の主婦たちにとっては、旭酒造は働きやすい会社なのかもしれない。
でも、力の必要のない業務を全てパートの給料で済ませてしまえば、そこに正社員の女性が入社する余地はない。
この話は数年前のことなので、今は体制が変わってきたのかもしれない。
最近、世間で「女性が働きやすい会社」と呼ばれるものが、子育てに女性だけが時間を割くことを前提としていたり、時間の都合がつきやすい代わりに夫の収入無しではとても成立しないような薄給だったり。
そんなことが多くて絶望したので、今更のように思い出してこれを書いている。
獺祭を作っているメーカーは旭酒造という会社名で、山口県東部、岩国市にある。
地元が広島の私はUターン(Jターン?)就職も視野に入れて、旭酒造の会社説明会に行った。
内容は至って普通の会社説明会で、会社の事業内容やこれからの選考予定の説明を受けた。
桜井氏は社長にしてはかなり若々しかったので驚いた。スーツのよく似合う、カッコいいおじさまだ。
桜井社長は、売上げが伸びているので給料に反映していること、ニューヨークで酒蔵を作っている話などを語ってくれた。
事業説明を聞いているときはかなり魅力的に感じており、ぜひともこの会社で働きたいと思っていた。
ただ、旭酒造では10日間にわたるインターンに参加することが選考の条件らしい。
正直なところ、大学の近くの大阪に住んで他の会社の選考も受けている私にはかなりスケジュールが難しい。
その選考スケジュールを聞いた時点で、自分には無理かな、とは思っていた。
「毎年、女性の採用が1、2名ですが、女性は不利なんでしょうか」と彼女は質問した。
パンフレットを見ると、ここ数年は男性を10名以上雇っているにも関わらず、確かに女性は1人か2人だった。
「メーカーで力作業もありますので、男性が多くなる傾向はあります。ただ、私は女性の能力は男性と同等、特に差別することなく活躍できると考えております。」
どうせ女性を差別するなら、そんなタテマエを言わない方がよっぽどマシだと思った。
長時間の労働ができるか、という意味での体力ならば、性差よりよほど個人差の方が大きいだろう。
腕力で雇用を絞るのが合理的なら、東京医科大は数十キロのバーベルを持ち上げられることを入試基準に入れてしまえばよかったのだ。
「緊急時、患者を搬送する必要があるため」とでも理由をつけて。
全ての業務に腕力が必要なら、そういった能力主義も許容することができた。
しかし、旭酒造で女性が働いていないのかというと、決してそんなことはない。
私が工場を見学した際には、たくさんの女性が段ボールの箱組みやラベリングを行っていた。
昔、獺祭を特集したテレビ番組内(がっちりマンデーだったと思う。うろ覚え)では、品質管理を行う女性の姿を見た記憶がある。
杜氏のカンではなく、計測可能な数値で味を保っているとかで、そのデータ取りを行っていたのはパートの女性だった。
要するに、どうしても腕力の必要な力作業があることを理由に、正社員には男性を採る。たとえ、管理職になってからの仕事には腕力が必要でなかったとしても。
彼女たちは重要な業務を任されてはいても、それ以上のキャリアアップも給与のアップも望めない。
正社員の給与は引き上げたのかもしれないが、パートの給与は最低賃金に毛の生えたような、普通の時給だった。
もしかしたら、パートになるよりない当事者の主婦たちにとっては、旭酒造は働きやすい会社なのかもしれない。
でも、力の必要のない業務を全てパートの給料で済ませてしまえば、そこに正社員の女性が入社する余地はない。
この話は数年前のことなので、今は体制が変わってきたのかもしれない。
最近、世間で「女性が働きやすい会社」と呼ばれるものが、子育てに女性だけが時間を割くことを前提としていたり、時間の都合がつきやすい代わりに夫の収入無しではとても成立しないような薄給だったり。
そんなことが多くて絶望したので、今更のように思い出してこれを書いている。
有名ネトウヨのTwitterアカウントが凍結された。
以下三名である。
https://twitter.com/niraikanai07
500円
ねこおぢさん
https://twitter.com/necoodisan
DMCA Takedown が5件承認されると永久凍結となる。
よくある DMCA の悪用ではなく、きちんと著作権違反していたツイートが報告された。
ほとんどがテレビ番組キャプチャ画像の無断転載が原因だが、ニライカナイのみ著作権者とTwitter上とやり取りがあった。
パクツイ常習犯のニライカナイφ★さん、わさびちゃんの写真を無断盗用した上飼い主さんからの削除依頼に「パロディだからセーフ。みんな楽しんでるからいいだろ」と削除拒否 - Togetter