はてなキーワード: テリトリーとは
猫が死んだ、飼っていた猫だ、猫は飼われていた。おれは猫を飼っていた。恐らく、地元でも有数の猫を飼う、そういう認識だった。
猫はよく外にでて、ミノという名前を付けていた。カイノミが好きだったからだ。彼女もミノをかわいがっていた。飼ってみたい、そうつぶやく言葉の奥に
どうしようもない寂寥が感じられて、おれはなにも言えなかった。カイノミはメスだった。よく鳴きよく子を為した。よく縁側で寝ては、よく寝ていた。
おれもよく真似をしてはミノに怒られた。臭う・・・らしい。くさいという意味ではない、猫にとってどうしようもない嫌悪のような感情らしかった。
ある日は晴れていた。猫はよく見ていた。晴れるという時は大体軒下で、万歳をしていた。猫は柔軟だった。みるにつけ、昔猫を飼っていたことが思い出された。
そっちはオスだった、実家の。そいつはよく鳴いた。喧嘩もした。だいたい俺が泣かされる、そういう関係だった。近所にも猫を飼う家がいた。近所は
飼うというよりも、放し飼いというか、野良を集めて世話をしていたような・・・そんな記憶がある。数匹単位がグループ単位で、皿が何枚かあったと
記憶している。それぞれがネコのテリトリーのようで、面白かった。カイノミはそのオスネコに似ていた。名前はガッチャマとかそんなたぐいの名前だった、
あまり不適当な、そんなものであったが、昔はそうだったらしい。
ガッチャマはよくケンカをしていて、オス同士のケンカの声をよく出していた、近所のオス猫は去勢していないらしく獰猛だった、よく自分の子供に腰を
振っていた、これは実際あるらしく、ヤツらにはそういう近親への嫌悪がないようなのだ。性欲に支配された獣だ。人も、おれも・・・
異論はあるだろうけど
西尾維新が面白い、読み応えある、話がすごい、みたいな扱われされだした前後から
それ以外に入らない中での生き残りの結果、
異世界モノ・さすおにモノ・オタクカルチャー型主人公・かろうじて一般人青春恋愛モノ
にババっと分かれて、そっからもう進化してないかんじと言えば分かるだろうか
少しでも西尾維新のテリトリーにケツをはみ出そうものなら比較されて蒙古斑も真っ赤にされる
なのでプリプリとおしり振りながらドライブで西尾維新コーナーを右に曲がるしかないわけだ
こうなると話が面白いラノベって意味で西尾維新が天井になってしまい、
正直西尾維新のどこが素晴らしいのか
盲点やシュールさや奇抜さで評価したら星新一の足の爪の垢ほどの面白さもないのに、
周りの評価が残念に思う俺にとっては、
もうラノベは停滞したんだなあ、もっとキチガイに溢れて欲しかったんだけどな、
と一旦センチになりつつもそれより便秘2日目だなと「プリプリ」を見つめながらおもつた次第である
眼球えぐり子とか話つまんなかったけど面白かったじゃん
ラノベはそういうの読みたいんだよ
大ヒット狙いすぎなんだよ日陰者のくせにサクセス狙うな
キモイわ
追記
というか西尾維新の面白さって魅力的な伏線を貼りまくって読者が勝手に妄想して保管するけど
結局、その魅力的な伏線は回収されずに本編は書かれないで終わるって、最初期くらいからずっと言われてたやん
それが本編にしたら全然大したことなくてクソみたいなのしか描けなかったってのが
最近やった映画とその原作の評価で、あれは爆死でもなんでもなく完全に西尾の実力そのもの
旬も過ぎてたけど単体でみてつまらないに尽きる
新連載も、まだ化物語で儲けられると思ってるのか、と悲しくなるわ
諦めて新作シコシコかけばいいのに
いや言うほど悩みじゃないんだけど、まあ聞いておくれ。
俺は男。女友達がいる。
俺は好きなキャラクターとか愛着があるキャラクターに対して譲れないものがあるから
その女友達が「嫁!」とか言ってるキャラクターは好きにならないようにしてるし
「ああ、確かに可愛いよね~」ぐらいのコメントにとどめてるんだ。
男の子だから(?)好きなキャラのランキングとか作って遊んだりしてる。
俺の周りも結構そういう、男同士だと互いのテリトリーに対して気を使ったりしてたんだよね。
でもその女の子はすぐに「ふーん」とか、今まで「別に欲しくないな」とか言ってたのに
そのキャラを入手してストーリー読んだ瞬間「マジ嫁!かわいすぎる!最高でしょ」とか言っちゃう。
その手のひら返しがなんか気に食わないんだよ。
その子が言うには「好きなキャラがいっぱいいてもいいじゃん!」っていう道理で
こっちも全部のキャラが好きな中、苦渋で本当に好きならコイツ!って選んでるわけ。
それをね、こう、ずかずか入ってこられると気に食わないんですけど
これは俺が心が狭いだけかい?
音楽と歌詞は安易に切り離して評価できない。相互に絡み合う、それはそれは繊細な関係なのだ。
もっと言えば、音楽が主で歌詞は従の関係だ。フルトベングラーもそう言っている。私もその一派である。
のぶみの絵本は嫌いだし、歌詞だけを見たときも嫌いだと思った。
しかし、歌を聴いたら感動した。
「呪い」と言う人もいるだろうが、歌を聴いて率直に感じるのは、圧倒的に母であることの喜びだ。
どうしてもやりたいなら佐野元春ぐらいには慎重にやりたまえ。
私がそう感じただけで、歌を聴いてもやはり呪いの歌にしか聴こえない人も多いのかもしれない。
しかし、歌詞だけ見た時と、歌を聴いた後では少なからぬ人が違う感想を持つはずだ。逆転はしないかもしれないが印象は変わるだろう。
もちろん変わらない人もいるだろうけど。いちいち言い訳のために両論併記しなければいけない社会は本当に息苦しい。
これは完全についでに言うけど、
この歌詞だけで感動したり救われる人もたくさんいるんだろう。それは容易に想像がつくはずだ。そのこと自体の好き嫌いは別にして。
自分のテリトリーを守らなければ生きていけない、と言う気持ちもわかるが、そんなに必死で否定して叩き潰さないといけないのか。
そうですか、いけないんですか。じゃあしょうがない。やってください。やりましょう。
私もそうします。
音楽なめんなよ。
鳥や猫ではないでしょうか?
近隣のマンションからだとしても、一軒家のベランダに、うまく落ちるものでしょうか?
うちもベランダの屋根にわりと大きな石があがってて、びっくりしたことがありました。
鳥や猫なら火が付いたまま吸殻を運びはしないでしょうから、掃除が大変という括りになるのだけど、
原因がわかるといいですね。
ttp://www.afpbb.com/articles/-/2915265?pid=9946726
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ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1041360465
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ttp://www.bird-research.jp/1_shiryo/fushigi/2013/fushigi(87).pdf
だが実際のところは特別っぽくしようとしているだけだったりする。
個人にとっては何も変わらず、俺にとっても観ていたテレビ番組がいつもと違うくらいしか言えることはない。
それでも他にいえることがあるとすれば、この時期になると親戚の集まりを我が家でやるのが恒例であることくらいか。
歳の近い従兄弟とかもいないし、話せることがない。
あったとして話したいわけでもない。
お年玉という名の給料を貰う代わりに親戚に愛想を振りまく仕事だと割り切る必要がある。
その考え方でいくなら割がいいともいえる。
「おー、二人とも大きくなったなあ。長男の方はティーンエイジャーだっけ」
「そうだよ。バアちゃんも大きくなったね」
「ハハッ、言うようになったな。弟くんのほうは何歳だっけ」
「見てのとおりだよ」
俺はそれなりに場数を踏んできたからまだしも、経験の浅い弟は態度が露骨に出やすい。
「ああ、すいません。こいつ照れているみたいで……」
「構わん構わん」
とはいえ親戚も大概そんなことは承知の上である人が多く、お年玉をくれた後は俺たちをほっといてくれることが多い。
「お前と同じだよ」
というより、貰ったお年玉は全て同じ額だった。
どうも親戚一同で決め打ちしているようだ。
「なあ、俺もう疲れてきたよ。外に遊びに行きてえ」
「母さんと父さんに、今日は家にいるよう言われているからなあ」
遠くの親戚より近くの他人とはよく言うが、自分たちのテリトリーにそういった存在がわんさかいるというのは、予想以上に息が詰まる。
俺たちは年長者たちのいる席に引っ張りこまれないよう、自分たちの部屋に避難することにした。
その人は父の妹、つまり俺たちにとって叔母にあたる。
「よう」
俺たちの存在に気づいても、悪びれる様子はなくそのままゲームを続行している。
「こんなところで何やってんの叔母さん」
叔母は冒険家とかいう胡散臭いことを長年続けており、自由奔放というか、とても豪快な人だった。
「何でもいいけどさ。さすがに俺たちが来た以上はゲームすんのやめてよ」
ここまで図々しくないと冒険家なんてできないのか、それとも叔母がイレギュラーなだけなのだろうか。
「それだと俺たちが退屈なんだけど」
「え~、じゃあ、そうだなあ。私のこれまでの冒険を片手間で話してやるよ」
俺たちの顔が歪む。
「いや、昨年も聞いたし」
冬休みを利用してセブ島を満喫した帰りの便での出来事、まぁ今日の事なんですが…私の隣には幼い娘さんを連れた奥さんとその旦那さんが座っていた。昨晩あまり寝られなかった為に座った早々に寝てしまっていつの間にか飛行機は飛び発っていた。
その後、窓のシェードが閉められる大きな音に起こされた。どうもCAに閉めろと言われ隣の奥さんが閉めたらしい。
目を覚ました時は隣の奥さんが娘さんの方に向いていて、状況が読めていない私の顔を見て奥さん越しに旦那さんが身振りで事情を説明してくれました。一言あっても?と少し不愉快になったのだがその後は肘が当たる度に謝って来たりととても丁寧と言うかワタシ的好印象な態度に軽く惚れましたw。
その後2〜3度肘が触れてたりしてましたが奥さんは気にする事なく触れたままにしていました。
何も起こりはしないが「これはもしかして!?」と勝手な妄想で少しドキドキしてました。機内食が配られた後、「シェードを開けても良いですか?」と彼女の方に向き訊ねると彼女が振り向きました。隣に座っているので結構な至近距離で向き合う事になり彼女は照れながら「どうぞ」と言い私はまたまた妄想の世界に。その時にマジマジと彼女の顔を見ちゃいましたがモロ好みの顔でした。初めてエコノミーって良いって思いましたw。その後は何事も無く私はスマホで映画を見始め、隣の彼女は書類や新聞に目を通しては何かをメモっていました。映画が終盤に差し掛かり主人公に危険が及ぶ頃に突然妄想の続きの様な出来事が起こりました。彼女の足が私の足に触れて来たのです。二人とも靴を脱いで靴下でした。多分座席の脚か何かと勘違いしていたのでしょう。暫くすると飛行機が揺れて私はバランスを取るために足を動かす事に。それにビックリしたのか彼女の足はササっと身を引き何やらコッチを見ている様子。驚いて「触れたのに何で反応しねぇんだコイツ!」的な顔をしていたのかもしれませんw
こうなったら映画に集中するかぁー!と気分を新たに観ていると30分後にまたまた彼女の足が!
先程と全く同じ感じで触れて来たのです。
今度は流石に私の足だと知っているはず、なのにどうして!?「これはもしかして♡」いやいや、「コイツどう言うつもりか確かめてやれ的な行動かも」とこの葛藤を繰り返して何も出来ずにいたらそのうち彼女の足は離れていってしまいました。
そうしているうちに映画が終わり、彼女の足も去ったのでゲームするかなとappを立ち上げることに。
立ち上げてこれからって時に何故か少し勇気と言いますかアプローチをする気になって彼女のテリトリーまで足を伸ばしてみました。すると想像していたより案外近くに彼女の足がありモロに触れてしまいました。反射で足を引いてしまい更に自分で墓穴を掘ってしまう事に。明らかな侵犯行為です。バツが悪くて固まってしまいました。ゲーム画面の主人公も敵にやられっぱなしですw。
すると隣の彼女は睨んでくるどころか何も表情を変えず平静にしていました。
ドキドキしながらこれは行ける!行くしかないと自分を奮い立たせ再度足を動かそうとした瞬間彼女の足が触れて来たのです。これはもう間違いない(と思いながら自信は全く無し)躊躇している場合では無い行動あるのみ!
彼女の足を踏むのは変だし、でも何かアプローチを…と考えた末に彼女の足の下に自分の足を滑り込ませました。彼女が僕の足を踏むような形になった訳です。そんな状態になりながらも彼女は足をそのままにしていました。
これはもう確実かもと思ってペンを取り何とか彼女に電話番号を渡すかスマホで連絡先を教えられないだろうかとアレコレ考えを巡らせていたら成田到着5分前に。見ると彼女はすでに靴を履いていて降りる準備を…当たり前ですよね。到着後に皆ベルトを外して帰り支度をしている間も何とかアプローチをしようと肘を触れたりしましたが結局何も出来ずに撃沈です。この話は成田への到着と共に完全に消えてしまいました。
そんな訳でこの話は完全に終わったのですが、彼女が気づいてくれる事を期待して悪あがきをする為に投稿をしました。セブ、帰りの便、隣の女性で検索してくれないかなぁw
考えてみれば、多くの人が本をインテリアとして使っている
研究室の書棚だったり
部屋の主からすると、自分のテリトリーを形作っている存在でもある
本は、読んだという証でもあり、それにものすごい時間をかけているという説得となる
これは電子書籍に中々できない点でもある(最近自分の部屋が空虚なのは本が無いからかもしれない)
ただまあ、読んでない本をインテリアに使っちゃうのは悪い意味でファッションって言われちゃうよね・・・
写真多めで
最近テレビで「他人のお母さんが握ったおにぎりが食べられない」とか「よその家で炊いたごはんが苦手」とか聞くけど、(有吉なんかがそうらしい)あれって潔癖と言うよりは恐怖症に近いと思うんだ。
「他人の家」というテリトリーに自分が踏み込んでるという恐怖。
子供の頃、友達の家に遊びに行った時友達が干して取り込んだ布団にゴロゴロ転がって遊んでて、私もやろうよと言われたけど乗れなかった。
気持ち悪い、というよりは恐い。
なんていうか布団に上がるとアウェー感を覚えるんだ。
寝具でも段階があって、他人の家の寝具がでも綺麗にしてあるベッドならさほど嫌悪しなかった。
ぐちゃぐちゃでシーツを使い込んでるベッドはむり。
一番キツイのが使い込んでる毛布やタオルケット。一番肌に触れるからだと思う。
しつこいようだけど、臭いからだとか汗がついてるからだとかではない(少しはあるかもしれないけど)。
もちろん自分の布団は大好きだし(何ならこの記事布団から書いてるし)旅館やホテルの布団は当然余裕。
「言ってはいけないといわれた」ことはしっかりと覚えているのだが
「この人になら言ってもいいかな」や「この雰囲気なら言っても大丈夫だろう」というその場の自分の認識でつい言ってしまう。
いままでに、それで大きく信頼を失い友人関係を壊してしまったこともある。
すごく仲良い子には「わたしに秘密はしゃべらないでほしい。つい話すから」と言っている。
だが私のもといんはたまに「秘密」がぽんとやってきて、
そもそも仲良くなればなるほど
人はどうしても秘密を分かち合いたくなる瞬間がやってくる模様。
今年すでに大きい失敗を二回した。
Aちゃんが私に不満として漏らしたため、
2名しかいない場所で私がそれについてはっきりと名言したこと。
これはBちゃんがそもそもAちゃんに「秘密」として伝えたことを
Aちゃんが私に言ったためAちゃんも私も悪いとい言っていたのだが
まあ私が言わなくてもよかったと思う。そもそも2人の関係のことだし。
もうひとつは、ある人がある女性に誘われたという下衆いお酒の席での話。
そして冷静になると「別にあの場で言わなくてもよかったな」と思う。
想像力がないのだろうか。
本当は他人に興味がないのだろうか。
すべてに当てはまる気がする。
あ、思いついた。
逆に今年ちゃんと秘密にできていることもある。
煮えきらない態度にだんだんと愛想つかしてるようだ。
私の考える「さすがに言ったらだめ」ライン=わかりやすい崩壊なのだろうか
実際は選んでいるだけで誰とでもセックスできる。
・友達の家で初対面とセックスした(これはバレているっぽいが、その友達は何も言わずいまでも友達でいてくれている。ありがたい。)
バレたらどうなるかも考えてみよう
・かなりだらしない人として見られるかも。
・友人をやめる人もでてくるかも。
・それを知られているところでまともな恋人はできないだろう
やめたい、とは思ってる~~~~~~~~思ってます。
俺は女性恐怖症なんだと思う。
女性恐怖症というものの定義については何も知らないし、そもそもちゃんと定義されているものなのかすら知らないけど、女性が怖い。
小学生の頃は男、女問わず友達がいっぱいいて、それこそ言い方は悪いが、クラス内カーストの高い男女グループにも所属していた。
たかが小学生の頃、と吐き捨てられるかもしれないが、俺の人生の中では輝いていた時代だった。
そのグループで休み時間も、放課後も、休日も、いっつも一緒に遊んで、ときには地元の遊園地とか、ディズニーとか行ったりした。
彼らの大半は、というか、俺以外、みんな中学受験をした。
俺の小学校はある程度治安が良くて、それは理想的だった。頭の悪いやつが頭の良いやつを尊敬し、頭の良いやつが頭の悪いやつに勉強を教えるような。
その環境にいて、俺は勉強ができた。つまりは、尊敬される立場だった。真面目に勉強していたし、褒められることは嬉しかった。
俺の進学した公立の中学校は、複数の小学校から生徒が集まっていた。
この場合の公立の中学校ってのは、中学受験しない、いわゆる「そこまで勉強できない」生徒たちの割合が多くなってしまう。
「勉強できない」と「素行が悪い」では必ずしも同じではない。これははっきり言える。
ただ、俺の進学した中学校は「勉強ができなく」て「素行が悪い」生徒の温床であった。
2つの小学校から進学してきた生徒のおよそ半分ぐらいが、不良だった。半分以上かもしれない。
壁に穴をあけたり、トイレを壊したり、窓からものを投げたりするような連中だった。
女子は、器物破損は流石にないが、口での嫌がらせや陰口、陰湿ないじめだった。
入学当初はみんなで和気あいあいおとなしく相手の動向をうかがったりしていたが、そのうちに本性を見せた。
俺と同じ出身の生徒たちは、みんな最初は怖がっていた。俺も怖かった。
こいつらと同じ環境で3年間過ごさねばならないのだ。今までの平穏な暮らしじゃ、到底ない。
だが、人間は慣れる生き物だ。
しばらくして、俺と同じ出身の生徒が、次々に問題を起こし始めた。
いずれにしても、いい影響ではなかった。
俺と同じ出身で、腐らずに真面目に学校生活を送っている生徒もちゃんといた。
俺は彼らと一緒に行動した。なにより小学校が同じで、もともと友達だった。気兼ねなく話せた。
小学校のころいつも一緒にいたグループの彼らとは、休日、会えるときは会って遊んでいた。しかし、今の生活に精一杯で、各々、徐々に会わなくなってしまった。
真面目を貫く生徒と、腐る生徒、完全にそれらが分断されるまで、1年ぐらい時間がかかった。
中学という、クラス単位で密閉されてる空間であれば、なおさらである。
中学1年の成績は、かなり良かった。
俺は喜んだ。この環境でも1年間やったぞと。
学年から、クラスに、クラスからは、班というものにわけられる。これは小学校の頃から同じだ。
中間試験か何かの答案返却があった。
かなりテンションが上がっていて、友達と答え合わせをしながら騒いでしまっていた。
その様子は、クラス全体が見ていたと思う。
と言われた。
すると、
「言われてやんの。うざいんだよお前」
と、同じ班の男子に言われた。
ここで、全て崩壊した。
俺は何も言い返せず、悔しくて、怖くて、うつむいて飯も食わずにその場をやり過ごした。
今までは、不良相手ではあるが、それなりのコミュニケーションを取って、空気を壊さないように、深く関係を持たずに、壁を何重にも張って、テリトリーを守って接していたのに。
1年はこれでやり過ごせた。あと2年間、無理だった。
泣きそうになった。鼻水が垂れてきた。
多分、この女子は自分が勉強できない腹いせにこういうことを言ったんだろう。
確か、記憶が定かじゃないが、彼女は偏差値30の高校に進学していたと思う。
話はすぐに広まった。
男子は、今までの関係もあるから、いじられることが増えたくらいで、敵視されるようなことはそんなに多くなかった。
次第に無視されることも多くなり、俺は病んだ。
あれだけ頑張って勉強して、その対価に、テストの点数で喜んだだけなのに、それを僻まれて、馬鹿にされて。
同じ出身の女子からも距離を置かれるようになり、さらにつらくなった。
俺はプライドが高く、それ故にこれまで頑張ってこれた。
このプライドをこの一瞬でずたずたにされて、しかもそれに対して何も言い返せなかった自分に腹が立った。
これまで興味のなかったアニメやゲームに没頭し(今ではこれが必ずしも悪かったとは言えないが)、放課後、休日はパソコンに張り付いた。
授業の知識は何も入ってこなかった。
先生からは怒られることが多くなり、それまでやっていた部活も途中で何かと理由をつけてやめた。
高校受験は、入学当初考えていたより、かなりひどい結果に終わった。
何も期待せずに相手と接し、全て平穏無事でことを済ませられるような対処をした。これを3年間続けた。
中学に、あのグループと一緒に進めていたら、なんてことを考えてしまう。
もしくは、俺も中学受験して、環境の良いところに身を置けばよかった。
少なくとも、"幸せな状況がいつまでも続く"という幻想を抱いていた俺が馬鹿だったと思う。
中学のあの頃、死にたいと思ったことが何度もあった。それでも耐えた。勉強にも身が入らなくなって、別の方向に腐った日々だったけど、必死に毎日を行き続けて良かったと思う。
卒業式、真っ先に一人で家に帰る、あのときの俺の気持ちが想像できるか?
これ以上、あの校舎に足を踏み入れなくていいんだと思った、あの気持ち。
あれから、変わったやつもいた。
変わらずに、いつまでもああいう人生を続けていくんだなと思うやつもいた。
もう一生会うことがないだろう、さようなら。と。
女性が怖い。
いつ、ふとした行動でどん底に落とされるか。
考えただけで、いやになる。
男尊女卑がなぜ起こるのかは、生物学的な配偶システムが大きく関わってきます。
動物社会には男尊女卑(オットセイなど)、男女平等(トキなど)、女尊男卑(アンコウなど)のいずれのタイプも存在します。
なぜそうしたいろいろなタイプが生じるのかというと、♂と♀との間に繁殖適齢期までに生き残る数(これを生物学では「第三次性比」という)にあまり差が出ないタイプや大きな違いが生じるタイプの動物があり、少ない側の性に希少価値が生まれるからです。
ではそもそも、性別によって適齢期までに生き残る数に差が生まれるのかというと、少し専門的な話になりますが潜在的繁殖スピードに性差が生じるからです。潜在的繁殖スピードが他方の性より遅いと、出産や育児によって次の繁殖までにかかる時間が長くなり、配偶者獲得の場面であぶれにくくなります。逆に、他方の性は配偶者獲得の場面であぶれやすくなるので、配偶者獲得競争が生じやすくなります。そこで、大きく筋力の強い体を作って同性が繁殖するのを邪魔したり追い払ったりして配偶者を独占しやすくなるのです。しかしながら、大きく強い体を作るのにはそれなりのコストがかかるので、生存率が犠牲になります。
例えば、トラは♂が♀より体重が1.5倍近くあり、テリトリーの広さで♂が♀の3倍ほどありますが、♂と♀とのテリトリーの広さの違いはそのまま生存率の違いによるものです。独立して自分のテリトリーを獲得するときに同性同士で争って死んでしまうことが♂は♀と比べてはるかに多く、♂は♀と比べると壮年期までの生存率が1/3程度になります。つまり、♂の方が体が大きくて力も強く、支配できる土地が♀の3倍ほどもあり、♂のテリトリーには数頭の♀のテリトリーが重なる形になります。このため、生き残った♂一頭当たりの経済的資本と繁殖機会は生き残った♀の3倍ほどもあるということになります。
つまり、生き残って次世代を生み出す年齢帯で♂♀一頭当たりの食糧獲得機会と繁殖機会に格差が生じる動物は、男尊女卑(女尊男卑)タイプといえます。
ライオンなども同様で、繁殖適齢期まで生き残る確率は♀の方が高く、少数の♂が多数の♀を従えるという構造の群れを成します。
オットセイやアシカなどはこの傾向が非常に強く、数頭の♂が数十頭から百頭もの♀を従えるハーレムを作り、配偶者獲得競争に敗れた(不戦敗も含む)十数頭のあぶれ♂がハーレムを奪うか、ボスが狩りに出かけたり睡眠に入った隙を狙って♀と交尾する機会をうかがうためにハーレムの周りを取り巻くという形態が生まれます。
人間はトラやライオンほどではないにしても、♂の方が潜在的繁殖スピードは速く、構造的にやや男尊女卑になりやすいタイプの動物だとは言えます。
また、文化人類学の見地からは、ジョージ・マードックによる無文字社会の研究から、結婚適齢期における男女比(生物学では第三次性比という)が1:1から大きくずれてしまうことが一夫多妻制や一妻多夫制といった複婚制ができる土壌となることを明らかになりました。
ヒトの一夫多妻制社会は、無文字社会では狩猟や戦争などで死亡率において男性の方が高いこと、女性は性成熟した15歳付近で結婚する人が多く、男性は社会的自立を確実なものにした25歳くらいで結婚する人が多く、婚姻年齢に差があるため、15~25歳の年齢帯で男性の死亡率が高いことが多い無文字社会では結婚適齢期の男女人口比で女性の方がはるかに多くなることが原因で形成されるとされています。
ヒトの場合も、第三次性比が偏ることが配偶機会の性差をもたらす点で、他の動物と基本的相違はありません。また、経済資本の争奪戦も異性間より同性間で強くなる傾向があり、これに勝った少数の男性が多数の女性を経済的にも支配し、敗れた多数の男性が排除されることから、経済面でも男女格差と男性間格差が顕著になる点も他の生物と同様です。
そして、富や繁殖機会の偏在は狩猟社会より農耕社会の方が顕著になりやすいです。こうして富や繁殖機会をより多く占めた男性が権力をふるうようになり、男尊女卑社会が形成されるのです。
また、文明化の恩恵によって男性の死亡率が下がり、結婚適齢期の男女人口比が1:1に近くなって性別による経済的利得と繁殖機会の不平等をもたらす生物学的基盤が失われても、一夫多妻型婚姻制度や男尊女卑が文化社会制度として強く根付いてしまうと、なかなか解消されずに継続されてしまうことが多くなります。
老いに対する恐怖ではなく、文字通り「オバさん」という存在に自分がなることが猛烈に怖い。
「あなたは今日からオバさんです!もう若くないですよ!」と定年退職のようにスパッと自らがオバさんであると認識できる仕組みがあるならいい。
でも、オバさんって無意識だ。
すごく尊敬していた年上の友人がいる。それなりに賢くて(賢いと思っていた)理知的で自分の意思がしっかりある人。
小さいことから自らに関係ない世の中のゴシップ、あと「結婚」が異様に地雷のようで、テレビ番組の家族団欒特集やウェディング特集に常に怒っている。見なきゃいいのに。
「こんなことも知らないんだw」と周りに自らの薄い知識を開けかすようになった。
「軽い気持ちで●●を見たら後悔するよ( ;´Д`)」 その作品、割と有名だし、そこで優位に立ったところで誰が得をするのか。
「これだから老害は!」「これだから若い子は!」自分と同じテリトリーに属さない人間をいつだってひとくくりにして批判するようになった。
以前はこんな人じゃなかった、と思う。
少なくとも、楽しそうだった。イキイキしている彼女が、何事にも捉われず自由に生きている彼女が好きだった。
「老害」「新規」を叩き、様々なものを阻害する、まさに「オバさん」だと思う。
現実でもインターネットでも若い人間に異様に物事を教えたがったり、はたまた異様に忌み嫌ったりする割と年配の女性というものは一定数存在する。
自らの界隈ではないので詳細は不明だが、先日とあるベテランアイドルグループの中学生くらいのファンの女性に、デビュー当時からのファンを名乗る女性が長文で「若いファンのこういうところが嫌い。あなたたちが私たちに擦り寄ってきてくれれば私たちはデビュー当時の貴重な映像や音源なんかをあなたたちに無償で提供してあげるのに」といったような文章を送りつけているのを見かけた。
ドン引きした。「ドン引き」という言葉でしか形容できないほど気持ち悪く、まさに「オバさん」的であると感じた。
自らの娘と同世代、下手したら孫世代でもおかしくない子供に対してだ。(しかも中学生くらいの女性本人はマナー違反等をしたわけではなく、「どうして新規が嫌われるのだろう?もっとみんなと仲良くしたい!」といったような純粋な呟きがトリガーとなったようで、彼女はそれを批判するでも煽るでもなく「そうか!こうすれば昔からのファンとも仲良くできるんだ!」とはたまた純粋な気持ちでインターネットにその婆オタクから届いたメールを載せたらしい。気の毒だ。)
そんな純粋無垢でまだわからないことの方が多い若い年齢の人間にムキになって何が楽しいのだろう。
若い子と若くない大人と住む世界が違う、と許容して、攻撃するくらいなら関わらなければいいじゃないか。
短いスカート、ヘアメイク、ネイルアート、派手な洋服。何が悪いんだ、なぜ私たちは私たちの何も知らないただ私たちより年が上というだけのオンナに見下され、「これだから若い子はw」なんて言われなきゃならないのだ。
女子高生は身なりは派手でも、好きなものを着て自分の好きなように生き、自分とは違う人間を怒っている暇がないくらい「自ら」の物語を謳歌している。
私より若いその子たちがとても眩しく、そういった存在を素敵だと思う。
「オバさん」はきっと自らなりたくてオバさんになっているわけでも、批評がしたくて物事を厭世的に見ているわけでもない。
きっと「オバさん」は無意識的に生まれてきて、自らが「オバさん」であることには気づけないのだ。
これが加齢や長く生きていることに対する弊害ならば私は歳をとることが怖い。
そして、彼女を受容することも直接注意することもできずこんな掃き溜めのような場所で愚痴を書いている私自身もまた、「オバさん」への道を少しずつ歩んでいるのだ。
アメリカの大人気TVシリーズ「セックスアンドザシティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。
かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。
私は最近、中学時代からの友人Aをこれを理由に音信不通にした。
Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。
ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。
そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。
私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤしストレスをためながら、でもどうしていいかわからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。
初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。
穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミーと普通の関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。
Aとの付き合いは長い。中学・高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。
ある日、中学の同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。
専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女が東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。
大学卒業後、Aは地元で社会人になり、私は地元にはもどらず東京でフリーターをしながら資格の勉強をしていた。
Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界に就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。
私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから「東京で改めて学生をすることにした、初上京だから色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。
私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々で東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。
私の電車が人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。
彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。
でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。
諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。
夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。
私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。
この頃はAのこういう行動に対して「東京生活でストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。
これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自身大人になっていなかった。正直このときの違和感を信じていれば、と今でも思う。
私はAをよく遊ぶグループや趣味のグループ、習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。
Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。
18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女が孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。
春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキー、クリスマスパーティーに忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。
冬のある日、お台場のイベントに大人数で遊びにいくことになった。
駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。
周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。
このとき「もしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。
その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。
そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。
なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。
新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分は人間として未熟なんだと落ち込んだ。
その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。
私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデンの伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人と結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。
Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたかも自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。
私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。
この頃になるとAの髪型や服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。
私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。
しかし、最初に色々な自分のコミュニティにAを紹介したことからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。
どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。
Aの他者に対する暴言はますますひどくなり道端で「あんなデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。
私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。
この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達にコミュニティを乗っ取られる」と検索したことがあった。
ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分がモヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分が性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。
段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。
何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデンの工芸品も全部売り払った。
不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからのラインはパッタリと途切れた。
Aに真似されるというのが、大げさだが自分のアイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。
同じ趣味の教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。
Aはその後も私の友人達と遊んだ様子などをSNSにアップしていた。
最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。
なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。
28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。
春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。
久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。
しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。
マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女は大手アパレルの企画をしている人でいわゆるキャリアウーマンだ。
しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。
バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。
ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。
私は「子供っぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。
話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議な感覚だった。
大学でできた友達、大学の外でできた友達、フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。
それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリー、カバンをもっているAがいる違和感。
話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。
Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。
Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。
「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。
人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分の直感や違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。
子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分のテリトリーに必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。
そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。
決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女のコミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。
私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。
Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達を遮断する影のようだった。
私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。
今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。
決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。
Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏か旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。
私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。
Aとの関係は綺麗には切れない。
自分が所属しているコミュニティに彼女もまたしっかり根を下ろしているから共通の友人が多い。
でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。
友達の結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。
そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。
周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。
夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。
前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。
自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。
「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。
今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。
「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分がしんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。
時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。
そう男が言うと草食男子と言われてもそれほど叩かれず、女で異性(恋人、結婚)に興味ないと言うと性格に問題があると叩かれる事が多い(と個人的に)と思う
学生時代は勉強!社会人になると仕事で忙しくて、全然恋愛に興味持たなかった
元々性欲もないし、かと言って二次元やらイケメン役者に熱中する事もない。見たら格好良いなとは思うけど、美女を見て可愛いな、と思うのと同じような感覚
だから結構願望とか全く理解出来ないし、(多分)このまま一生独身行き遅れの可哀想な売れ残り女と社会的評価を受けるだろうけど、言われる分には別に何とも思わない(仕事で不利になる事は多々あれど)
高齢者独り身だと生活が大変だろうな、とは思うけど、結婚だって支え合い出来ても片方が倒れたらその負担が掛かるだろうし、親族との交流やら何だでストレスありそう