はてなキーワード: スタンスとは
自分は二次創作のとある界隈で文字を書いている。二次創作というものは界隈の外から見たらそれだけで既に特殊なものな訳だが、今回はその前提は差し置いて話をさせて欲しい。
自分はお題箱を設置している。このエントリを読んでくれているということは使ったことある・聞いたことあるという方が多いだろう。お題箱の説明は割愛する。
自分のお題箱には有り難くも定期的にリクエストが来るのだが、時々顔を顰めずにはいられないリクエストが届く。
誤解なきように言っておくが、べつにオメガバースだとか逆行だとか諸々の特殊設定の存在を否定する気はさらさらない。好きな人は好きでいいと思う。
自分はその手の特殊な設定については全くと言っていいほど食指が伸びない。だからもう5年くらい作品をpixivに投稿し続けているが、その手の設定の話を書いたことは一度もないし、Twitter上でも話題に上げたことは一度もない。好きとも嫌いとも言及したことがない。相互さんが仮にその手の作品を書いたとしても、全く反応しない。そういうスタンスで活動を続けてきた。
ちなみに余談だが私がオメガバースなどの特殊な設定を書かない理由は、自分の創作スタンスが「原作世界線の中で物語を作る」であるからだ。繰り返しになるが二次創作というものを行なっている時点で作品の世界から逸脱していることは理解している。だが、それでも「性別を変える」「物語のあり方を決定づける出来事をひっくり返す(例えば死ぬはずの登場人物が生存している)」
といったことはしないというのが自分の中でのルールとしてあるのだ。あくまで自分の中のルールだから、他の人が書くことには何も思わない。書きたければ書けばいい。
だが、書けない・書かないものを求められると話は変わってくる。前述の通り自分はオメガバースなどの話は微塵も触れずにいるし、100以上あるpixivの作品にもイベントで出した本にも一切その手のものがないのだから、「この人はオメガバースとかは書かない人なんだな」と察せそうなものである。にもかかわらず時々やってくる「オメガバース書いて」のリクエスト。文面から察するに同一人物ではなさそうだ。ただ、そのどれもが「オメガバース(あるいは逆行など)で◯◯な話書いてください/がいいです」という、さもこちらが当然その設定を好きで書いているかのような前提なのだ。
たとえばこのリクエストが「貴方が書いているのを読んでみたいです」という文脈なら受け取り方も変わるだろう。だがしかし、自分の元に届くのはなんでもいいからこういう設定のものが読みたい、そう感じるようなものばかりだ。本当にリクエスト主は自分の文章を好いて読んでくれているのか? もしかして手当たり次第該当CPの人に送り付けているだけなのでは? と邪推してしまう。そしてそんな疑り深い自分が嫌になる。
自分の場合、これらの特殊設定を「書かない読まない」というだけだが、当然これらの設定が地雷だという人も存在する。もちろんどんなジャンルどんなCPどんな傾向設定でも誰かしら地雷に思う人がいるのは当然だとは思うのだが、オメガバースや逆行などは明らかに作品の外部から持ち込んだ特殊な設定なわけで、「両片思い」とか「悲恋」だとかそういったものに比べたら当然地雷率は上がるはずだ。何度も言う。これらは特殊な設定なのだ。
だからこういう特殊な設定をリクエストする場合は、リクエストを送る前に果たしてその作家がその特殊な設定を扱っている人間か、というのを確認して欲しい。既に書いている人なら問題ないだろう。作品にその手のものがないし普段から話題にも挙げていないのであれば、そのリクエストはやまたおいた方が無難だと自分は思う。世の中には自分の地雷を◯◯は地雷だと大声で話す人もいれば、こっそり見ないように・かかわらないようにする形で地雷を自衛している人たちもいる。
そしてオメガバースをはじめとするバース系や逆行、転生、成り代わり入れ替わり、生存ifなどが「特殊な設定」であることをくれぐれも認識しておいて欲しい。ちなみに今あげたのはパッと思いついたものだけなので◯◯も特殊設定では?とかそういった野暮なツッコミはご遠慮頂きたい。
最近は夏のせいかあまりにもこのタイプのリクエストが多いのでお題箱を閉じようか迷っている。ミュートで対応はなんだか角が立ちそうだし特殊設定にあたる用語やその略称を全部ミュート登録するのはあまりにも億劫だからだ。
自分で言うのもなんだが、180cmの身長に恵まれ、どこへ行ってもお世辞交じりでイケメンと呼ばれ、ファーストコンタクトで異性から好感を得る事が多かった。
そして女好きで好色で面食いな父親と、役割に依存して不満だけを漏らす母親の間で育った俺は結婚生活への憧れというものを1mmを抱くことがなくここまで来てしまった。
おかげで結婚への憧れを全く持たずに育ち、恋愛への頓着が無くなってしまったので、学生時代に何度か好意を寄せてきた同級生からの告白を断ってきた。
しかし、恋愛関係以外では去る者追わず来るもの拒まずのスタンスで終電を逃した駅で、夜の飲み屋で、逆ナンされてそのままセックスする事が多くなり、趣味と話しがあい、尚且つ人間関係には干渉せずにセックスをする友人が今でも何人かいる。お互いに友人だと思ってる。というか、その辺が割り切れる相手だと思って寝たら恋愛脳だった女ってのが過去に何人かいて、それ以降慎重に見極めた結果が今のセフレ達だ。セックスしまくって気づいたのが、女には二種類いて、踏み込まれたくない線引きが理解できない女と、踏み込まれたくない線引きを瞬時に理解できる女が二種類いる。俺のセフレは全員が後者だ。
時々、私生活で彼女いない歴年齢だという話をすると驚かれる。「ホモ?」「女に興味あるんだよね……?」こういう反応にいちいち対応するの正直しんどくなってくる。「いやあ、モテなんいで……」と適当にはぐらかす。
多分俺自身、もしも誰かと一緒になるなら信用信頼を担保に関係を築きたい思っていて、少なくとも簡単に誰かと寝る女は信用できないと自分を棚にあげて思ってる節がどこかにあるんだと思う。そして、セフレを作りすぎて、セックスだけの関係を築きすぎて、女なんてみんな誰にでも股を開くし信用になんて値しないとどうしても思ってしまう。我ながら重症だと思う。お前が言うな案件なのは自分でも重々わかってる。別に絶対に処女がいいと思ってるわけではない。信じられる相手なら恋愛を考えられるんだと思う。
とかなんとかいって、こんな事もやもや考えながら、やっぱりまた女から連絡が来るたびに音楽の話をしたり絵画の話をしたり仕事の話をしたりしながらなんだかんだセックスして、いない歴を更新し続けるんだろう。
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
最近呪いって言葉よく使われてるけど、自分がどうにも出来なかった事象に「呪い」というレッテルを貼って「私のせいじゃねーし!」的なスタンスで構えるのすごいダサいから本当にやめたほうがいい。
だと私は思っている。そうしようとする女性活動を尊重するし、協力すべきだと考え、できるところで協力している。
しかし、その結果、
これは容認できない。
容認できないとは何様だ、こっちは男性の権利が女性を超えているのが容認できないんじゃ。と女性の皆様は思うかもしれない。思うだろう。
上で書いたが是正すべきだと思うし協力すべきだと思う。
だが突き詰めると私は男性であって、女性のことは他人事である。
理屈のうえで「是正すべきだ」とは考えても、「容認できぬ」とまで強く感情的には思えていない。
一方で女性の権利が男性をイコールよりも上に超えることに関しては、理屈のうえでもダメだと思いながら、かつ「容認できぬ」と強く感情的にも思う。
まとめると、理屈のうえでは男性が女性を上回ることも女性が男性を上回ることも等しくダメだと考え、さらに私個人が男性であるので後者については感情も乗って反発する。ということだ。
この世界が、あるいは日本が現在、男性優位なのは自覚している。
一方で、限定的な状況下では女性優位な面があるのも経験している。
たとえば寡婦年金や女性優先車両、レディースデイといった大小の制度的なものから、結婚・離婚の場面での女性優位な構造。あるいはもっと言えば男性が女性をエスコートするとか重いものを持つとかデート代を奢るといったような精神規範的なもの。
私が言いたいことを伝わりやすくするために非常に矮小化して話すと以下のようなことになる。
「女の子たるものお淑やかであれ。男の子を立てて一歩引いていなさい」という教育が古いものとされ、排除される。それはいい。
だがその一方で「男の子たるもの強くあれ。女の子を助けなさい」という規範が排除されていなければどうか。
はっきり言うと、「女は男を立てるべき」規範と、「男は女を助けるべき」規範が同居する社会は、男女不平等ではないと考えている。
そのどちらの規範も存在しない社会も、もちろん男女平等であると考える。
女性のみなさんが女性運動により前者の規範を消そうと努力するのであれば、それは容認するけれども、同時に男性からのカウンターとして男性運動をして後者の規範を消しにかからなければならない。そうでなければ結果男性が不利に立たされるからだ。
私は社会の中である領域では男性優位で、ある領域では女性優位という不均衡はあってよいと考えている。
たとえば鳶職には男性が圧倒的に多い。これは男女の力の差から仕方の無いことだ。一方で女性が鳶職になりたいと思えばなることができる。これが重要である。
管理職の問題も同じだと考えている。女性が管理職に就きたいと思えば、男性とちょうどおなじなりやすさで、なることができる。こうであるのが理想で、そうであるためにあらゆる構造を変えなければならないと思う。
しかし、女性の管理職の数が少ないからといって女性の昇進しやすさを男性より上にするというのであれば、それは看過できない。強く、強く、強く反対し、もし自分が決定に関与できる立場であるならば、やめさせるだろう。
「まず踏んでいる足をどけろ」
これは本当に本当に真っ当な言葉だ。そうすべきだと思う。
私も、自分が踏んでいる足に気付いた場合、どけるようにしている。
しかし男性の右足が女性の左足を踏んでいる一方で、女性の右足は男性の左足を踏んでいるという状況も私はあるように感じる。
その場合、男性のみがその足をどければ今度は男性だけが女性に踏まれている状態となるのだ。
「女性は自分たちで活動して男性の足をどけるのを実現させてきたのだから、男性もそうしろ」
と言うのであれば、仰る通り、そうさせてもらう。
と言うのであれば、女性にも男性を踏んでいる足をどけることに主体的に協力いただく。
と言うのであれば、「ある」と主張させてもらう。
しかしまだタイムラインにはDaiGoを罵るRTが流れてきて、泣く泣くRTした人をブロックする作業が続いている。
私はDaiGo擁護派だ。ホームレスを蔑視している訳ではなく、DaiGoの謝罪を受け入れ応援したいと思っているという意味だ。
だが今DaiGoを表立って応援したらお前もホームレスを差別するのかと言われかねない雰囲気なので匿名で主張する。皆、コロナの自粛に疲れて殺気立っていると思う。どうか落ち着いて欲しい。
まず、DaiGoのホームレス蔑視発言は完全に悪いことだった。弱者を見捨てる社会であってはならない。当然だ。
だがそもそもDaiGoがこの発言をしたとき、その動画はホームレスの問題をメインとした話ではなかった。もののついでに出た彼の個人的な感想だった。本人も今は辛口だからこう言うが普段はこんなこと言わないと言っていた。「辛口ならなんと言ってもいいのか」というとそうではない。なのでやはり言ってはならないことだったので。
だから彼は謝罪をした。謝罪動画を見ただろうか?自分が言ったことが何故悪いことだったのか、どう改めるべきなのか、自分の無知を知り勉強しなおすと言う謝罪だった。だいたいの人は「何が悪いんだかわからないが皆怒ってるから謝ろう」とするだろう。だが彼は「自分が悪かったこと」を完璧に理解し謝罪し解決策を考え実行するという。反省としては完璧ではなかろうか。なお、謝罪動画の収益は全て慈善団体に寄付される。繰り返す、謝罪動画の収益は慈善団体に寄付される。
さて、彼は謝罪したがその動画を拡散したツイートのコメントには「何も反省してない」「やはり金儲けか」「謝罪動画で金儲けをするな」「スパチャをオンにして何が謝罪だ」という言葉であふれた。
DaiGoを批判するひとは元動画も謝罪動画も見てないのだ。DaiGoがどんな人物でどんなスタンスで動画を出しているのか、どんな意図でそんな発言をしたのか確認しようともしない。
Buzz Feedの記事だけ読んで彼の人格を全否定して攻撃だけしているのだ。
これはおかしくないだろうか?DaiGOは確かに影響力のある人間だが政治家ではない。人生で失言を一度もしない人間なんているだろうか?しかも彼はそれを理解し反省しすでに謝罪している。それをまだ攻撃し続ける道理はあるのだろうか?
コロナで自粛でイライラする、金持ちが許せない、権力者が許せない、そうだ、DaiGoだったらブッ叩いてもいい!!
みんなそう思って発言の元も調べずに気軽にスナック感覚でDaiGoを批判しているように思えてならない。
どうか落ち着いてほしい。それはもはや八つ当たりではなかろうか?
そしてそうやってよってたかって一個人を叩いたらどうなるかわかるだろうか?今まで何人そうやって自殺に追い込んできただろうか?
もうネット記事に反射でお気持ちを表明したり、RTするのをやめよう。相手は本当に気軽に叩いて殺していい人間なのか?
私は殺さなきゃいけない人間なんて、本当に好んで人殺しをするシリアルキラーだけだと思う。
DaiGoは自殺せずにこれを期に更に学んでホームレス問題にもその知識を幅を広げるだろう。
マッチングアプリで出会い、1年弱のお付き合いを経て今年結婚した。
明確に話したことはなかったが、なんとなく維新に好感を持ち、野党に好感を持っていないことは分かっていた。
だが、どの党を支持していてもそれは個人の自由だし大して気にはしていなかった。
韓国や中国への態度を見ていてもネトウヨみたいな感じでもなかったし。
しかし、昨晩、ふとしたことからDAIGOさんの一件の話題になり
「DAIGOの言うとおりじゃん。ホームレスとか生活保護とかムカつくよね。」
と妻が発言した。
それを聞き、私は衝撃を受けてしまい「あはは、そうだねー」と軽く流した。
妻は察しが良い方なので私があまり話題を広げたくない、ということを汲み取ったのか
それ以上深堀してくることはなかった。
しかし今回の氏の発言は政治スタンスの問題ではなく、人権に対する根本的なスタンスの違いである。
私が大病して高額な治療費がかかるようになったらそういう目で見てくるのだろうか。
今の職場で精神的にやられて職を失い雇用保険を受給するようになったらそういう目で見てくるのだろうか。
重度の障害を持つ子供が生まれたらそういう目で見るのだろうか。
いや、そもそも私が、人を軽んじるような人を理解できないので許容できない。
スタンスとしてはマススクリーニングとして公費でPCR検査・隔離は反対。診断治療や入国時の検査能力拡大は賛成。
抗体検査・CTによる画像診断は言及しない。現状PCR等遺伝子検査のほうが有用でありこの検査ができない時に仕方なく臨床診断の補助として用いるものだと考えるからである。
標準予防策とは、未知の病原体や潜伏期間を考慮して「すべての患者の汗を除く湿性生体物質(体液、血液、排泄物、その他分泌物など)、粘膜、傷のある皮膚」を感染性のあるものとして感染対策を行うことである。例えば手洗いやマスクなどは唾液などの付着や飛散を考慮して行われる標準予防策である。
無限のリソースで「俺もお前もウィルス持ち」とやれば検査は不要である。が、無限のリソースもなければ厳格な適用は生活に支障をきたすので無理がある。
私の感覚では感染対策の基本といえばこちらの方なので、検査と隔離が感染対策の基本と言われても違和感がある。
経路別感染対策とは感染力が強いなどの理由で標準予防策では不足な疾患別に行う対策である。こちらには検査などで疾患を特定することが望ましい。
経路は3つあるが正直この3分類では説明しきれないところがあるので、定義よりざっくりこういうものだと言う話をする
エアロゾル感染なんて無いと言っても、空気中に浮かんだ水分を吸い込んで起こる感染は分類されていないのでそういう言い方にならざるを得ない。
新型コロナでは接触感染対策(隔離など)・飛沫感染対策(ソーシャルディスタンスなど)が取られているが、一部空気感染対策(陰圧室管理など)が取られている。
疾患の原因を追求し治療方針を立てるためには精度の高い検査が有用である。
自前で1時間以内にPCRやLAMPができなければ、迅速に陽性者を振り分けられる抗原検査の方が有用。
抗原検査の精度が低いという話をするなら診断結果が出るまで個室隔離である。もちろんそれだけの個室があればという話にもなる。
精度よりも自分でリアルタイムな検査ができるという方が有用である。
検査キットに補助金を出して購入しやすくする程度までならやるべきだと思う。
無症状のうちから感染性があることを考えると濃厚接触者は無症状でも感染の疑いがあるものとして扱ったほうが良い。
この場合、迅速な治療は必要としていないので、時間はかかっても精度が高い方が有効と考える。
精度が高い検査を用いる必要がある。ただし、検査より感染を起きる状況を聞き取り、分析する人間の方の方が圧倒的に不足していると思う。
すり替えが困難でリアルタイムな結果がわかる現場での抗原検査のほうが良い。
1万人規模とか規模が大きくなると現場での検査は困難になるので事前PCR検査になるのしょうがない。
マスコミだと派遣ADとかお上に逆らうことこそ我が人生みたいなやつから感染しそうだけど。
だが、公的な検査・隔離を行うのは反対。隔離して感染対策する人間をどっから調達するのかの考えたら、その人達をワクチン接種に振り分けたほうがいいと思う。
PCR検査は有用な場面が多く検査能力を拡充すべきだが、抗原検査が有用な場面もあり戦略・目的によって使い分けるべきである。
また、検査というものは感染しているか否かを振り分ける手段であり、議論されるべきは戦略や目的の方である。
よって戦略・目的が語られない、あるいは「感染者を見つけて隔離すべき」から「感染の実態を調査しないと対策ができない」というように目的がブレるような、「とにかくPCR検査を増やせ!」という検査件数しか見ていないような話には反対である。
戦略・目的が変われば検査後に必要なリソースが変わるからである。
これをかくのに今月参考にしたリンク。コピペすんなと言われても同じ考えの人がいるのはしょうがないし、別に目新しいことを書いたつもりもない。
スタンダードプリコーション https://www.inazawa-hospital.jp/media/standard.pdf
新型コロナウイルス感染症に対する検査の考え方 http://www.kankyokansen.org/uploads/uploads/files/jsipc/COVID-19_kensaguide0526_2.pdf
Twitterにはバカしかいないからついに「鉄道オタクを見たら叩きのめしていい」「列車の写真を撮るやつは撮り鉄かどうか関係なく叩きのめせ」みたいな連中が出てきたわけだけど
要は「撮り鉄の内部で、罵声を上げるような連中を放置してたから連帯責任だ」っていうことなんだろ?
江ノ電のフザケンナァ!フツウニカネダロォカネェ!を見ても分かるが、言葉が通じない連中なんだよな。これ自浄作用でどうするん?無理だろ。
スポーツカーやバイクに乗ってる連中は暴走族の行動に責任を持てと言ってるようなもんだよ。自浄作用じゃなくて捜査機関の仕事だろ。普通に逮捕してくれ。
そもそも、とにかく鉄道オタク自体が気に食わないから閑散とした駅の隅っこで静かに写真撮ってるようなオタクまで叩きのめせというスタンスなんだろうか。
好き嫌い自体は結構だけど、それ普段はオタクたちが反発してる「二次元コンテンツのファンは性犯罪者だから漫画は規制すべき」みたいなやつとあんまり変わらねえと思うんだけどなあ。
オタクの二枚舌、三枚舌を見るのはもう飽き飽きだよ。
この増田に付いてる「お前だって差別主義者じゃねーか」って頭の悪いブコメに絶望するわ
女性なら、フェミニストならありとあらゆる差別に聖母のように手を差し伸べなければいけない!って押し付けに元増田は絶望してるっつってんのに
部落解放同盟は部落差別以外はどうでも良い、朝鮮人差別も女性差別もバンバンやるって割り切ったスタンスだから今のように成功したって具体例書いてあるでしょ
これまで見たフェミニストを自称している人の中でもここまで潔い人はそう見た事が無くて好感が持てる
はっきり申し上げておきますと部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈な差別事例を知った上で言うことです。その理由のひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性が女性であることから逃げる手段は自殺しかありません。
男性は男性性から降りていい~とかそんなに男が嫌なら性転換手術でもすればいいのでは?みたいな無茶振りする人を比べたら大分潔い
女性は女性である事から逃げられないけど男性はいつでも逃げられるじゃんってスタンスなら知らないけど
これも偽善者にルッキズムだエイジズムだ言われそうだけどまあ女性から見たら醜いおっさんってはっきり言って死んでほしい存在だよね
なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現は自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります。
近年フェミニズムの影響で少しずつそう変わりつつあるのでフェミニズムは成功していますね。
女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的なものか、それとも後天的なものか、両方だろうか?とにかくフェミニストを自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争が可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません.
やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?
「フェミニストはありとあらゆる差別と戦い弱者に救いの手を差し伸べる庇護者である」みたいなスタンスを表明しているせいで足元を掬われている活動家の人は少なくありませんね。
これが貴方のように「女性差別問題以外には興味ねえんだよ!」と割り切ればそうはならないのに、今度は同胞である女性からも差別主義者とかエゴイストだの言われるのが辛い所というか。
それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシューで在日朝鮮人を差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きます。イシューを抱え込まないことがやはり運動の成功の秘訣のひとつであったのかと感じますが女性は女性というだけでやはりシングルイシューではいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバーカ死ねでございます。女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお
フェミニズムがLGBTとくっついたのは良くなかったと思いますね。そのせいで変態男を女子トイレや女性更衣室に入れて良いか否かというどうでも良い事でもフェミニスト同士が争う事になってますし。
実際黎明期のフェミニストというのは女性差別以外はどうでもいいと思っていたから成功した所はあると思うんですよ。昔の女性解放運動の先導者が黒人差別はいけない黒人にも自由を!なんて言ってたと思います?
解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったから部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分が当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!
アンビバレンツな感覚分かります。柴田氏は差別される部落民に女性というだけで差別される自分を重ねて共感したのが行動力の源だったんでしょうけど、部落なんてどうでも良いから女性のために動くべきだったんです。
今現在フェミニストを自称している人間達は女性だけでなく男性や性的少数派も救う!と聖女ぶっているのが各所で嫌われている一番の理由ではないかと、本当にそう思います。
ところで今更なんですが、元増田さんの文章は女性にありがちな「自分を良く見せよう、常に綺麗でありたい、加害者になるなんて絶対に有り得ない」という女性ならではの意思が見られないんですが、ひょっとして男性だったりします?
これらの主張や問題提起は既にNHK、民放、ラジオ、いろんなメディアで発信されていて、特にYouTubeに触れている層は知ってはいるのでは?と。
政党がこういう題材を扱うなら、その声がある→政党としてどうするか、まで伝えてほしい。
この投げっぱなし、考えてよ皆!という学級会のスタンスでは、本当にこの問題で悩んでいるクラスタを取り込むための宣伝にしか見えなくて、気持ち悪いなあ…とおもった。
刑事モノは必ず見ているらしく、なかなか造詣が深い。
芸人、アイドルが出ている番組が好きらしく、これまた造詣が深い。
最近は演出(ディレクター)の名前までチェックしていたようだ。
が、どちらも「ドラマオタク」「バラエティオタク」とは名乗らない。
彼女らは「ただの消費者」だから「オタクではない」というスタンスらしい。
わからんじゃない。
では「俺アニオタだから」と語るアニメオタク君はどうだろうか。
ほとんどのアニオタはただアホみたいに画面を眺めて満足しているだけの
ただ単にアニメを見ているだけの人にすぎない。
それくらい、ただドラマ見ているだけの母だって俳優の良しあしくらいは語るし、
バラエティを見ているだけの姉だってMCだどうだ、ゲストがどうだくらいは言える。
※ここでは「医療リソース専有問題」は置いておきます。筆者は、それは五輪の悪いところだったのは間違いないというスタンスです。糾弾するにしてもどこが間違いでどこが正解なのかと考えることは、先を考える上でとても大事です。我々が次代のためにすべきことは、建設的な意見交換です。
こんなご時世だから好きなブランドで購入するようにしているけどよく使用するブランド三つほどネットと店舗回ったが全く売っていない。どういうことだ?メンズは種類豊富なハーフパンツが展開されているのに何故レディースはないんだ?勿論あるところもあるだろうけど好きなブランドの、好きな系統の服が欲しいのだ。こだわりは持っていたい。
日本のファッション業界の何処もかしこも同じような服を売るスタンスは嫌いではない。企業努力で流行のムーブメントを起こす姿はカッコいいと思うしやり甲斐はあるだろうと思う。けれどここまでハーフパンツが無いのはどうなの?気候に対応しろよ。何故ブームのせいで利便性が損なわれるんだ。
あー、海外みたいに40、50になっても平気で足を出せる世の中になってほしいー。
なんで日本って三十路の女が足出すとみっともないみたいな感覚なの?本当に勘弁して欲しい。こんな気温と湿度でロングパンツなんか履いてられるかよ。
インターネットが交流する前は、そもそも「情報」にアクセスできる人間が少なかったし、情報の扱いに慣れた人間も多くはいなかった。報道機関は、スタンスとともにそれにそれに沿った報道をなしていれば、あとは思想の近い人間がそれを読み、近しい人間の間で広めるだけであった。
インターネットが広まるにつれて、情報を扱える人が増えていった。報道機関でなくとも、情報を広めることができる人も増えたり、情報に触れる機会が増えるにつれて、その読み方にこなれた人間も増えていった。
SNS全盛に当たっては、そもそもが皆が発信側に回ったと言っていい。もちろん、皆が発信をしているわけではないし、発信している人間がみなうまく発信しているわけではないけれど。
しかしながら、90年代の前半―インターネットが登場する前―と今では、そもそも情報の総量が違うし、人一人あたりが扱える情報の量も変わってきた。
既存メディアは、特に大手のテレビ局や新聞社は、それに気づいているだろうが、やり方が変わったとは思えない。せいぜい新しいチャンネルとしてインターネット・SNSを使うことはあっても、その使い方は既存の使い方―思想が近い人が読んだり、あるいは思想を近くさせるためのもの―である。
もちろん、各社の間にも情報の扱いの上手下手はある。いくつかの軸があると思うが、私が思う二つをあげてみたい。一つは「主張の強さ」である。
たとえば顕著なのは、文春と新潮ではないかなと思っていたりする。「文春報」と呼ばれるような比較的大きなうねりを生むような報道には、インターネットでの拡散が大きな役割を負っているように見える。これは文春の編集部が、インターネットにフィットした情報発信の仕方で、インターネット受けのする情報を発信しているからだ。
一方で、新潮はそこが弱い。スタンスを強く持ちすぎているように見える。特にコロナに当たっての報道などはその傾向が強く、西浦先生に対して強く当たってみたり、いまいち受けの悪そうな人の主張を拾ってきてはインターネット(の一部)を失望させている。
正直な話、文春の報道には、主張が見られない(もちろんすべてに対してではない)。彼らは淡々としているのだ。淡々と受けるものを発信しているのだ。いや、彼らなりにあるのはわかるが、それを周到に隠して見せている。これが、彼らのインターネットでウケるためのテクニックなのだ。
もう一つ軸として思うことは、「ソースへのアクセスが可能か否か」だ。
ニュースには情報源を秘匿しなければいけないような報道も多いが、そういうものはここでは含めない。たとえば、画期的な論文が発表された、あるいはなんらかの組織からの調査結果が出た、といったものには、明示可能なソースがあるはずで、そういったものについての報道である。
最近では、論文を元にした報道については、そのソースへのリンクを貼る新聞社のサイトも増えてきたように思う。一方で、どこの調査かわからない表現で、なんらかの調査結果について報道している記事もまだまだ大量にある。
そもそも、ラジオやTVなどは、そういったものについてのソースを明示しようと思っても、なかなか難しい。この点、媒体としてインターネット時代には合いにくい部分はあるのではないかと思う。
みたいなことを適当に書いていたのですが、この文章にソースはないという。それに私自身、別にメディア論とか勉強したりしたことがあるわけではないので、参考になる書物などがあれば、教えていただきたいです。現場からは以上です。