はてなキーワード: アッパーとは
イオンがマルエツ、カスミ、マックスバリュ関東の3社を統合して、首都圏での新しいスーパーマーケット連合をつくると発表をしている。
http://www.aeon.info/news/2014_1/pdf/140519R_2.pdf
この「首都圏スーパーマーケット連合」発足をきっかけに何をしようとしているのかを、ゆるく考えてみた。
統合後はスーパーマーケットの屋号は、「マックスバリュ」に統一するだろう。マックスバリュサイズでないマルエツ・プチみたいな小型の店舗は別屋号にする。
具体的には、
にするのでは?で、首都圏で、「マックスバリュ」「まいばすけっと」の2つのブランドでガンガン攻めていくってことじゃないかな。残念だけど、マルエツ・カスミの屋号はさようなら。
今回不思議だったのは、首都圏で店舗をもっているイオングループ企業のダイエーがはいっていなかったこと。ダイエーをどうするか、ってのがイオンの課題なのにね。
「首都圏スーパーマーケット連合」は実は、ダイエーの受け皿なんじゃないかというのが俺の意見。新会社に丸紅が30%も出資するのが謎だが、これもたぶん「ダイエー受け皿説」で説明できる(ちなみに報道ではマルエツに丸紅が出資しているから、みたいな言われ方をしている)。丸紅ってダイエーの株主じゃん。きっと何か関係してるんだよ。そうでもなきゃ、イオンの大株主の三菱商事が丸紅の出資を許すわけがない。
ダイエーの始末は以下のようにするんじゃないかな。
ってやるんじゃないかな。
ついでに、同じく首都圏に店があるグループ会社の旧ピーコック、旧テスコに関しても同じようにするんじゃないかな。
イオンの持ち分法適用会社の「いなげや」「ベルク」あたりを入れてもいいんじゃないの。他の会社で買えるところは買っちゃうんじゃないかな。
売りに出てる成城石井はどうかな。その場合は、マックスバリュ業態にするのはしんどいから、ピーコックとくっつけてアッパーな層に対応させるかな。オオゼキとか、いっそのことウォルマートから西友買っちゃうとか。西友はさすがに無理か。
★ブックオフのビジネスモデルは、一定スペックの古本なら買い取り価格も売り出し価格も均一化したこと。
細かく言えば、古本に多少の価格差がつく筈だが、査定要員の人件費をカットしたのがミソ。
宅急便も、サイズ毎に価格均一化して、料金計測要員人件費をカットしたのがブレークのきっかけ、と聞いている。
★この「一定スペックを満たしていれば、均一価格」というビジネスモデル、不動産に応用できないか?
「100坪以上なら、面積に関係なく、場所に関係なく、古家付きか否かに関係なく、日当たりに関係なく、
「俺の土地はそんなに田舎じゃない、もっと高く売れる筈」という人は、そのサービスを利用しなければいい
★例えば「50万円均一不動産サイト」を国土交通省が立ち上げる。
田舎の土地を売り出したい人は、そのサイトに土地情報をアップする。
田舎の土地を50万円で買いたい人は、そのサイトを閲覧し、1000件近い物件掲載から、お目当ての土地を入手する
50万円程度の土地なので、仲介手数料の法定上限額が少額で、不動産業者を介在させられない(不動産業者の人件費倒れ)、
という事情もある。
個人間取引なので、価格交渉トラブルは避けたい。だから50万円均一にして、トラブルを避ける。
★想定売り主は、「タダでもいいから、親の遺産の土地を早く手放したい」的な人。
「自分は都会住まいなので、田舎への交通費や、権利書類の用意だけで数万円かかる、だからタダでも手放したい」という人。
★逆に想定買い主は、「なんでもいいから、田舎に土地が欲しい」という人。
以前北海道で、荒野を1万円でセールスしたら、購入希望が殺到したらしい。
ヤフオクで「なんでこんなガラクタに?」という高値が付いたりする。
ただ、「ガラクタマニアが小遣いで出せる額」のアッパーは数十万円じゃないか、と。
(100万円だと、心理的抵抗感がある)
だから50万円均一にしておく。
★厳密に言えば、
「100坪50万円なら、150坪は75万円に、200坪は100万円にならなければオカシイ」。
しかし、いちいち土地を実測するのは、土地家屋調査士の人件費が無駄。
「100坪以上あるかどうか?」のエビデンスは、グーグルアースで代用すればいい。
★「別にタダにしてもいいのでは?」との意見もあるが、50万円程度の対価がないと、
(つまり、売り出そう、というインセンティブを喪失してしまう)
一方、買い主側にもある程度の対価を要求した方がいい。タダだとイタズラ目当てが横行する
何にイラついてるかって、「人気エントリに入ってきてウザい」「なんだよ焼き直しじゃねえか」「はてブやたらついてる」「PV稼ぎかよクソ」「英語勉強記事と同類だわ」「入れるべきって、あんたの仕事環境や趣味嗜好を根拠にすんな」「また全部MacVimじゃねえの」とかそういうことを思うわけ。
とは言え自分もそういう記事を参考にトレンドを知ったりしてお世話になってきた部分もあるんだけど、じゃあ自分も同じように紹介して還元したいかっていうと、そうじゃない。だけど需要はあるみたいだ。みんな、良いアプリを知りたいんじゃなくて、自分の作業をもっと楽に早くできないか考えてるんじゃないかな。
アプリはあくまで道具。どんな目的を達成するために、どう組み合わせて、どういう手順でそれを使うのか。それを導入すると、どういう人がどう嬉しいのか。それをはっきりさせてほしい。それが理解できないままインストールするなんてことはしたくない。
だから、業種や職種、OS、作業目的を明示したレシピを公開して共有するサービスがあれば素敵じゃないか。例えば、
といった感じでぱっと自分の思いついたものを適当に上げてみました。
で、投稿されるレシピに含まれるアプリの統計を取ってトレンドを探ったり、時代の移り変わりに応じてレシピをバージョンアップしたり。黒い画面に抵抗がある人はそれが含まれるレシピを省いて検索。同じ作業目的でも効率に差が出るレシピには知識要求レベルも割り当てることでステップアップ形式にするとか。
これらを充実させていけば、目的に特化したレイアウトで規格化・整理した状態で横に並べて比較参照でき、それに慣れた人々はエゴに満ちた中途半端なブログ記事のクソデザインで邪魔なサイドバー、冒頭のよくわからない挨拶、わざわざ自サイトでそれをやることにイラついて糾弾が加速し、次第にアプリ紹介記事は消えていくことになるでしょう。そして結局何を目指しているかというと、
ということなのです。会社としての強みとしてそういったノウハウを抱え込むのもよいですが、なんかもっと高レイヤーで競いあったほうがいいんじゃないのとか思うわけです。業務フローをオープン化したらプレイヤーのスキルが汎化されて、より人材の流動性も高まって、もっと人間にしかできないようなことで悩めるようになるんじゃないでしょうか。
自分のツイートを転載編集。読み苦しいかもしれませんがご容赦を。
★近年池袋にある豊島丘女子中は女子中御三家に匹敵する偏差値にまで上昇しているが、
「池袋に湘南新宿ライン&副都心線が乗り入れたから偏差値が急上昇」した、という説がある。
大宮・浦和・川越・志木・武蔵小杉・東横線・横浜・・・辺りから通学しやすくなったから、一気に偏差値が上がった
★開成の歴史は詳しく知らないが、千代田線(常磐緩行線)が西日暮里開業して、一気に偏差値が上がった、ということはないか?
というか、山手線(京浜東北線)西日暮里駅自体が、千代田線に合わせて作った新駅だからなあ。
それまでは開成は日暮里又は田端から歩いてた、陸の孤島だった。
西日暮里駅開設で、山手線京浜東北線千代田線で「集客」できるようになったから、開成の偏差値が上がった説。
★男子御三家の中で武蔵が低迷してるのは、立地が山手線の外で、北西方面の中学生以外からは「通学が不便」だからでは?
★灘が名門になった背景には、京阪神間の鉄道インフラの充実が確実に影響している。
灘は住吉(国鉄→JR)、魚崎(阪神)、岡本(阪急)が使える。昔は阪神国道線(路面電車)も利用できた。
ライバルの甲陽は、阪急以外は使いづらい。この辺も影響して偏差値に格差?
昭和40年代に神戸高速鉄道が開業し、山陽や神戸電鉄沿線の子供も灘に通いやすくなった。
灘が東大合格者数が1位になった時期がそれと一致するのは、単なる偶然か?
★近鉄と阪神のなんば直通運転で、従来なら東大寺学園を目指した奈良の秀才が、灘を目指すようになったらしい。
徐々にその効果が出てくるのでは?
★80年代に開成が灘を抜いたのは、「開成が上がった」というよりは「灘が落ちた」というのが正しいのでは?
70年代に関西の繊維とか商社とかがダメになり、本社の東京流出が目立ちはじめ、アッパーミドルの親が東京流出したのも大きい気がする。
★名古屋圏が御三家や灘クラスの難関中学を生み出さない理由の一つに、
「優秀な生徒を効率良く集めるインフラがない」、つまり「鉄道網が首都圏や関西圏より貧弱」という理由もあるのでは?
他にも「アッパーミドルクラスが、従来なら都電エリアに集住してたが、
高度成長以降、郊外にも分散居住するようになり、学区内のアッパーミドル数が減った」影響も無視できない。
★筑駒が躍進した一因に「アッパーミドルクラスの人口重心が日比谷付近から渋谷付近に、南西に移動したから」
という要素はないか?
★「アッパーミドルクラスの人口重心が、中高一貫校の難易度に影響する」仮説が正しければ、
湾岸エリアのタワマン大量供給は、中高一貫校の偏差値を左右する力はある。
★開成の躍進は「アッパーミドルクラスの人口重心西南移動」に反するが、
あれはやはり埼玉や常磐エリアのアッパーミドルクラスを一網打尽にしたんだろうな。まさに西日暮里駅効果
★こうみると、アッパーミドルクラス人口重心論から超然としているラサールって、異質だな。
ラサールの歴史は知らないが、ひょっとして敗戦時に「日本をキリスト教化しよう」と開校したのか?
戦前に、保守の権化のような鹿児島にキリスト教学校設立が認められたとはとても思えない。
鹿児島って廃仏毀釈を徹底して仏教すら否定した土地だから、そういう土地がキリスト教を容認するとは信じられない・・
ラサールが「アッパーミドルクラス人口重心論」を無視して、今でも東大合格者数が上位なのには敬意を表する。
逆に言えば、そこまでして頑張らなければならないほど、鹿児島は保守が強いことを逆説的に証明している。
多分、地元の鹿児島県庁鹿児島市役所鹿児島銀行鹿児島新聞などは、昭和30~40年辺りは「鶴丸高校閥」が強固で、
ラサール出身者はいくらアタマが良くてもなかなか出世出来なかったんだろうな。だから福岡や東京を目指すしかなかった。
ラサールの開校は1950年。つまり最長老のOBでも79歳以下。だから県政界への影響力は鶴丸には遠く及ばない
あえて書くと、「逆説的だが、ラサール高校は鹿児島の保守性のお陰で東大進学校に成長できた」
★久留米付設は孫正義を生み出したが、久留米付設が優秀な背景には、
筑豊や三池の関係で優秀なアッパーミドル層があの辺りに存在した影響もあると思う
(はてなーの自分は、「はてな」というサービスを生み出してくれた近藤氏そして京都大学に感謝している)
★日本の私立中学文化が、日本の高度な鉄道インフラを前提としてるのは紛れもない事実で、
例えば都市内公共交通が未発達なアメリカだと、「公共交通で通学なハイスクール」は成立しない。あるとしたら寄宿舎型?
イギリスとかは寄宿舎型の私立スクールとか盛んですが、あれは都市内交通が首都圏ほど発達しなかった裏返しかもしれない
★鉄道インフラの進展と私立中学高校のレベル推移について、交通社会学?が専門な原武史先生に論文書いて欲しいものだ
4 重要:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:02:01.06 ID:qLgU2BKM0 [1/3]
■カーニーの方が得点高いのどうして?
・最終滑走だから
■でもミスしたよね?
・技に対する得点は決まってて、そこからミス分の0.2ptはしっかり引かれてる
・技の芸術度に対する点数が引かれてない(ミスはあったが技が美しかったということ)
■そんなにレベルの差があったの?
・いいえ、ありません(上村がもう一段高いレベルの技に挑戦して成功してれば表彰でした)
・最初の滑走はそれが基準点になり、モーグル最終滑走は比較的に点数が高くつけられる傾向もあります
・要するに準決勝が全てでした
追記
■いやいや、明らかに相手ミスってたじゃん!
・技としての原型を成さないレベルのミスであればptが消滅します
・減点が少ないのは技としての基準点はクリアしているミスということです
■『女王』という肩書きがpt高いんじゃないの?
・もちろんあります
・前提として『女王』の異名を与えられる競技者は標準レベルが高いものです(どの競技でもそうですが)
・元が高いので減点があっても高位置をキープしてる訳です
■八百長じゃないの?
・残念ながら審判のpt振みれば分かる通り、全員が満場一致です
45 重要:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:08:57.05 ID:i1HUumCP0 [1/7]
つまり一番手の上村が様子見として極端に低い点数になってしまった
もちろん審判も知ってる
その後の選手は本来なら上村の点数を基準につけられるべきだが、
それとは別問題として、カーニーのミスがほとんど無視されている問題がある
決勝だけ「アグッレシブさが大事だからちょいミスはおkだよ~」な基準に変貌している
でも上村だけは上記にある理由もあって普通にただの低い点にされてしまっている
145 重要:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:21:01.31 ID:i1HUumCP0 [2/7]
>>79
ここの人たちが一番わかってると思うけど、決勝より前のラウンドでは
「あーやっちまったな」という選手は全員点が伸びなかったから、見ていてこいつはダメだと視聴者でもわかった
それが決勝だけおかしかった
上村 →攻めまくってミスも少なかったけど一番手だから点が出ない
カーニー →結構攻めてあからさまなミス連発したけど最終滑走者で実績もあるから不自然に高得点
こんなかんじだった
ミスをミスとして採点に入れないならもう採点基準は無いと思った方がいいかもね
214 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2014/02/09(日) 08:30:04.54 ID:qLgU2BKM0 [2/3]
>>145
『攻めまくった』という印象よりも『焦ってた』が正しいと思う
ざっと見た感じ重心が前にかかり過ぎてる
それからアッパーボディが崩れてしまってる(タイム意識したせいだと思う)
・フォールライン…スタートからゴールまで垂直に結んだラインを直線的に滑り降りているか
・カービング…雪面コンタクトを保ったカービングターンを行っているか
・アブソープション&エクステンション…スムーズなターンに結びつくコブの吸収動作
・アッパーボディ…フォールラインに向けて上下左右に振られることなく安定しているか
235 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:33:28.66 ID:i1HUumCP0 [3/7]
あの難しいコースを1番手で思い切り攻めて、他の選手より1秒も速いタイムでフィニッシュ
高速ターンは見事で、どこからどう見ても全選手の中で最も難易度の高いターンを行っていた
それなのにあの点数だもんな
準決勝より格段に良い滑走だったのに準決勝より点数が低いって、もう採点ミス以外の何物でもない
理論上決勝の点数が上でなくてはならないのに、1番手滑走という理由だけで爆下げ
上村の渾身の迫力ある滑りがここまで評価されないんじゃ、もうモーグルに未来はないよ
あとは>>45>>145に書いた
278 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2014/02/09(日) 08:39:45.03 ID:qLgU2BKM0 [3/3]
>>235
見事な高速ターンに見えるだろ?
でも2箇所で減点対象なってるわな、吸着の部分で
【ソチ五輪】女子モーグル 上村愛子は4位、またもメダル獲得ならず・・・デュフォーラポイント姉妹が金銀 ★4
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1391900445/4,45,145,235,278
http://www.logsoku.com/r/mnewsplus/1391900445/4,45,145,235,278
東京都心住まいまたは都心勤務、大阪名古屋都心に少々、あとはこのあたりの経験者で地方に染まってないミドルアッパークラス。
人口にしたら1000~2000万人くらいかなと思ってる。
ただの感想で、まさにチラ裏だけど増田ならいいだろうと書いてしまう。先日数年ぶりに会った友達(女性・見た目はギャル系上がり)とメシを食った時の話。エロい話はありません。
やたら長くなったわりには読み返してみると想像以上に中身が無いクソみたいな文章になりました。それでも自分のモヤモヤを処理するために投稿してしまうこととする。
自分のことを書いておく。東京在住30代半ば、男、サラリーマン、収入は並ぐらいか。既婚。メシも酒も好きなので飲食店はそこそこ知ってる方だと思う。お高い店にはあんまり行かない。出身地は東京から遠くないが地元の友人と会う事はもうほとんどない。その辺によくいる感じの人間だと思う。
話を戻す。その友人とは5年ぶりぐらいに会ったのだけど、5年前だって大勢の集まりの中ですれ違い軽くあいさつしたぐらい。そもそもそれ以前も頻繁に会っていたわけでもない。小学生の頃の一時期に仲良くしていたぐらいで後はロクに接点もなかったのだけど、数年前にSNS上で繋がったのでせっかくなんでたまにはメシでもって感じでなんとなく会ってきた。
店は予約せず当日に決めたいと言われていたので会ってから何を食べるか相談した。向こうの希望してきたジャンルに合わせて提案した数軒の店は全滅。どうやら好き嫌いが激しいらしい。ジャンルにはこだわらなくていいよというのでさらにいくつか提案したがやはり全滅。「スペインバル的なところはどう?ラムチョップとかあるよ」ラムは嫌い。「ベルギービール屋は?」え?ベルギー…ビール? …ビール飲まないんだよねえ。「あ、いつも行列してるワイン屋さんが空いてたよ!」ワインだめなんだあ。
いわゆる居酒屋ではなく食事もある程度おいしいところという前提のリクエストももらっていた。焦る。
次に提案した店は混んでいたのでカウンター席のみ。椅子に背もたれが無いと嫌だとのことで却下。なかなか店選びが難しい。しかしぎゃーぎゃとワガママを言う感じではなく、ただ自分の意見を表明しているだけと言った感じなので不快な気分にはならなかった(店が決まらずに困ってはいたけど)。
結局決まったのはよくわからないチェーン店風の店。ワタミを少しランクダウンさせたような雰囲気。ここに決めた理由はその店の看板に最初に希望したジャンルの料理が書かれていたことだ。しかしここでも妙なこだわり(偏食?)を発揮しそのジャンルの料理は注文しなかった。微妙な店で特にうまいわけでもない料理を食べながら話をしているといろいろと会話内容にギャップを感じる。ちなみにエスニックな料理も好きではないそうだ。
自分でも理由はわからないのだけど一番衝撃的だったのが「友達とお茶するのはいつもファミレス」という言葉。郊外に住んでいる彼女がファミレスに行くことは珍しくもないのは良くわかるんだけど、今日ここまでに積み上がっていた違和感に最後の仕上げをされたような感じを受けた。住んでる世界が違うんだなと思い、何かさみしい気持ちになった。地元の友達と連絡を取らない理由を思い出した。まさにこういう経験の繰り返しで彼らとは疎遠になっていたんだ。
地元の他の友達とも旧交を温めてみようかと思っていた矢先、出端をくじかれてしまいなんだかモヤモヤしている。
ふと今思ったのだけど、最初からワタミにでも行けばよかったんだな。椅子には背もたれあるし、当たり障りのない料理がなんでもあるし。ああいうお店はある種の「モノのわからない人」に対して非常に有効なんだろうなと思いました。
----
沢山のコメント(おれ比)でみなさんの意見を聞けてモヤモヤが少し腫れた気がします。
まさにそれに尽きるわけです。ワタミがイケナイとは思ってないけど、お互い大人だし、久しぶりだし、ちょっとは面白みのあるお店にしたいですよね。
よっぽど誤解されないような普段から付き合いのある相手ならともかく、普段付き合いはないけど久しぶりに顔を合わせるレベルだとリスク管理としてそうなる。
親のためと思って高い酒を持って行っても「味はよくわかんねえ」って感じだし、
(中略)
これを独りよがりとするトラバもついていたが、要はおれもこういう事を言いたいのかもしれない。
良かれと思って良い物を勧めたらまったく興味を持ってもらえなかった(こちらのレベルが低すぎるとか、好みに合わないという話しでは無く)。気に入ってもらえなかったのなら今後はやめればいいだけなので、おれはもういいんだけどね。
というか、少なくともお前の書いた女の対応見てる限り、安いとこで味なんてどうでもいいよ、なんてことやってないじゃん?
おれが彼女からヒアリングした内容も、決して「安いとこで味なんてどうでもいいよ」ではなかったんですよ。
そしておれもそういうつもりで書いていない。ただ人は慣れ親しんだモノの好感を持ちがちで、彼女が慣れ親しんでるのはどうやらチェーン店的なものなのかな。という印象だった。そしてそんなに好き嫌いがある人とのお付き合いがないのでびっくりしたってのもあるかも。
事前に相談して予約できればこんなことにはならなかったんだけど、本人の希望で当日に店を決めることになったというのは本文に書いた通りなんですが、今思えばこれも「土曜の19時に飛び込みで行って入れるような店」を想定していた(そういう店しか頭に無い)って事なんだろうな。つまりはチェーン店的なところ。
ファミレスに関してはなにも意見はありません。あなたの言う通りです。だからおれも「自分でも理由はわからないのだけど一番衝撃的だった」のですよ。ファミレスの話し単体ならよかったのかも。まあいいや。
その他ルサンチマン系コメントに個別に書くのは面倒なので代表としてここに書いちゃうけど、全員に共感・理解してもらえるとは思ってないからいいですよ。
冒頭に「お高い店にはあんまり行かない」って書いた通りです。
本文に書いた女友達側に立つ人が読んだら嫌な気持ちになる文章だったのかもしれません。それはしょうがない。
ワタミとか、マックとか、ファミレスとか、誰もが知ってる店以外で食事はしない?
ラーメン食いたいなら、あの店にしようとか。
別に究極のグルメを追及しろとか、チェーン店には行くなと言っていなくて、30過ぎまで生きてれば自然とお気に入りの店とか気の利いた店とかそういうのがいくつかあると思うし、そういうところを紹介したり紹介されたりってのは普通だと思っていた。
東京都心住まいまたは都心勤務、大阪名古屋都心に少々、あとはこのあたりの経験者で地方に染まってないミドルアッパークラス。
人口にしたら1000~2000万人くらいかなと思ってる。
人数の見立てに(今となっては)疑問があるけれど、そういうことなんでしょうね。以後はもう少しその辺を意識して生活します。
店選んでもらってるのに3回以上?ダメだしする女がすげぇ
おれが得意なエリアでの集合にしてもらったし、「おれが提案するよ!」的な雰囲気はおれが自発的に作ったのでその辺はモンクいいにくいかなあ…
嫌いなものを無理してくれてもしょうがないし。上にも書いたけど、たぶん彼女側はお手軽なチェーン店に入ることを想定していて、そんなに悩んだりするものじゃないと思っていたのかもしれない。
こじゃれたカフェ系を候補に選んで送ったら、
なぜかファミレスがいいということで、
そうそう。わざわざなんで?ってのはあるんですよね。
ファミレスやチェーン店が基本の人からすると逆に「なんでわざわざどんな味かもわからない店に?」とか「なんでわざわざ予約してまで値段の高い店に?」って感覚なのかなあ
めんどくさいタイプの可能性は多々あるけど、それ以外はハズレ。
これですよね。
気の利いた店じゃなくて、グローバルダイニング系列で良かったんじゃないか説。
結果としてはその辺がよかったのかもしれないですね。
意図を読み取ろうとしてくれてありがとうございます。
でもおれのお話は「チェーン店 VS こじゃれたレストラン」ってわけでもないのです。とても説明しにくいけど、チェーン店だから無条件でダメというつもりはないんです。
多少店舗数が少ないのと、都心に偏ってる(はず)ので、都心に住んでない人にはいいんじゃないってだけ。
ただのおしゃれファミレス。
元増田のように、都心でメシを食べるのが好きっていうことだと(これはグルメとか、高級なレストランに行くのが好きというのを意味しない)、客単価が3000円〜6000円ぐらいの星のようにあるお店の中から「どういうのが食べたくて、どういう見立てで店を選ぶか」ってのが大事なわけですよ。
メシ食べる場所って、高けりゃいいわけでもなくって、オシャレだといいわけでもなくって、色々あるわけですよ。そこでワタミとか、そういうチェーンを選ぶのは、思考停止な気がして、勿体ないと思ってしまうんじゃないかな。
そういうのを共有出来なくって、なんか残念だったなーって話なのかと。
すげえ!おれ自身が言語化できてない気持ちはこういう事なのかもしれない。
おれが最初に書いた文章にはもう少し雑多な要素も含んでしまっているけれど、話しのコアとなるところはほぼこういう事です。
たかが店選びで何を言ってんだか。
噛み合わなかったのって本当にそこだったの?
無言でずっとメシ食ってたの?
それとも出てきた食事のことぐらいしか、話題なかったの?
そこ、いっっっっっちばんどうでもいい所だよね。
もうちょい深い交流の仕方知らないの?
噛み合わなかったとは書いていませんよ。むしろ店選び以外のほとんどは問題なかったので、問題のあった店選びの部分を書いているのです。
店選びを「いっっっっっちばんどうでもいい所」と考えている人にはちょっと嫌な気持ちにさせてしまうテーマだったみたいです。スミマセン。
(ブコメ)
食は文化。文化が無い奴と話が通じないのは当たり前。だが、文化が無い事自体は罪ではない。増田だって上流階級の食事会に行けば疎まれるだろう。同じレベルの者同士で楽しむのが一番。
まさにその通りですね。印刷して病院に行かなくても良いみたいで安心しました。
----
結局はタイトルに書いたように自分の常識の適用範囲には常に懐疑的でいなければいけないなということですかね。当たり前の事なんだけど時々忘れてしまう。
http://m.blogs.yahoo.co.jp/noayt777/32500121.html
<ダニエル書7章25~27節> 彼は、いと高き方に逆らうことばを、吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間彼の手につだねられる。 しかし、さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 国と、主権と点火の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。」
日本の聖徒たちは疲れきって、押し倒され、圧迫されたが、今は預言の言葉を聞く時、それは壊される。
悪魔は時を変えようとしているし、また、そのように聖徒たちを疲れさせようとしてきたが、
しかし、神はこの時、私たちに言われます。新しい時代、神の好意の時、進歩、反映、守りの時が来ます。
神はただ経済的な危機から、この国を救うだけではなく、津波やいろいろな災害から守りを与えられます。
私は好意の時を日本に定めた。
新しい総理大臣の立ち上がりとともに、超自然的な事が、日本に起ころうとしています。
神は、この国の経済を強化される。
私はそれを好転させ、彼らに対し、私が国に計画をもっていることを示す。
それはただ日本人が自分の国に、自分の計画を持って国を再建したいというだけではなく、私がこの国を愛しているので、この国を好転させる。
私の計画と目的は達成され、よく成させる事を示す。
私が、この地に対する預言的な言葉を示す時、日本人の心は私にむけられてゆき、開かれていくだろう。
なぜなら、彼らは心の中で「我々は自分の国を、自分で心配しよう。自分たち意外に我々を心配してくれる神はいないから。」
そのように、日本人は、いつも他の外のものに信頼する事をせず、自分の国を愛してきた。
そして彼らは自分せ再建しなければならなかった。
そして他の国から退いて、自分の国にプライドを持つようになった。
しかし、神がここにおられ、彼らの心に語られ、神が素晴らしい良い計画を持っておられることを示し始める。
彼らのための計画は、良い計画である。
神は超自然的に彼らの心を、ご自身に向けられる。
カンファレンスを9月に日本で持つが、これは、とても日本にとって重要な季節で、日本がその計画に立ち返るときなのです。
なぜなら神は、この国を好転される。
今すでに、日本人の心には恐れがある。
しかし、日本の教会が立ち上がる時、津波や地震が実際に起きた時、被害者は少なくなり、止められます。
なぜなら、神はこの国を愛しておられるからです。
神は、滅びと荒廃の代わりに、悔い改めへと導かれ、荒廃は食い止められます。
だから、恐れてはなりません。
好意の時は来ています。
新しい始まりが起ころうとしている。
2013~2020年にかけて、何か超自然的な事が起ころうとしている。
リバイバルの火花があちらの教会、こちらの教会、あちらの街、こちらの街で聞かれるようになる。
アッパールーム(祈りの部屋)に聖霊が降られ、超自然的な始まりが起こる。
かたくなな心がとかされ、人々の心が反応するようになる。
もう、彼らは、自分の国の為に、重荷を負わなくて良い。
そして、彼らの愛国心は強く明確になる。
彼らを思ってくださる神が見方なら、誰が敵対できるでしょう。
人々がイエスの御手が彼らを守り、彼らの上に重くあることを知るためです。
ある商材を通販で販売している。
そんな一企業の末端社員である。商材は日用品であるが結構アッパーな価格で販売。この商品をもっと全国の人々に知ってもらいたいと思っている。
通販ってのは数字が全てにおいて出る。広告を出したらそのレスポンスが分かる。ひとつのイベントをやるにしてもそう。全部数字がデータとして残ってる。
だけど何だウチの会議は…。
「A商品を買っている人はこの商品も買っているような気がする」とか「今年は別届けが少ないような気がする」とかさ。
話す内容が全て“感覚”でしゃべってる。“数字”でしゃべってない。俺か?その数字をデータで出そうにも新たに変わった顧客管理システムを理解しようとして四苦八苦してる。このシステムを今のところ分析に関しては俺を含め誰も扱えてない。俺もダメだ。
もう感覚で会議をするのはうんざりだ。それで「自分たちは全力で企画を作ってる!なのに何で売り上げが上がらない?」とかよく言えたもんだ。俺はこの馬鹿らしい会議を変えたい。
というわけで一本何か書いてみようという安易な意識からキーボードを叩き始めました。名も無きはてな民です。よろしく。
さて、今回は巷でネット民の熱い羨望を浴びながら、同時にドス黒い憎悪と嫉妬とを育み続ける孤高のネットライター、ドリー氏の行う書評について、何か適当に書いていこうと思います。正直言って資料を用いながらの適確で分析的な記事とかは書く気がしないんで、フィーリングで書いていくことにします。
さて、ドリー氏については説明不要だと思います。あの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』をamazonレビューにてけちょんけちょんに叩き、その軽快でユーモラスな批評において人気を博した、ネットの出身の新鋭ライター・ブロガーでございます。あ、ちなみにこんな風に書くとまるで私自身がドリー氏のモグリか何かのように見えるでしょうが、その心配には及びません。この記事は売名を目的にしてはおりません。
ドリーさんには、今回のamazonレビューを切掛にして、何と出版社からのライターとしての依頼が飛び込んできたようです。何ともまあ、驚くべきことです。ネットからの躍進というものが、こんなに身近な部分で行われているなんて……と、些かめまいのようなものを覚えてしまう塩梅でございます。そんなこんなで、今更になってドリーさんの名前を広める為に誰かが努力をしたりステマをしたりする必要は、今の時点ではおよそ皆無だと言えるでしょう。何たって既にその名前が広がっていく余地が取られているわけですからね。
さてまず、彼の批評について述べる上で、彼の書く批評文においては幾つかのポイントがあるわけですが、それについて紹介していきたいと思います。
自分をアッパークラスならぬダウナークラスに位置付け、そしてそのような低きからの視点において、批判対象(アッパーな雰囲気を纏うものや、ハイソな雰囲気を纏う書物)を叩いていく、というのがドリーさんの基本スタイルとなっております。
こういう風な「ダメ人間」としてのキャラ付けで文章を書くのは、ドリーさんの特徴でもあります。ちなみに、これまで「ダメ人間」としてのキャラでエッセイを書いてきた著名な作家を挙げるとすれば、例えば滝本竜彦とか、あるいは穂村弘などが該当するんではないでしょうか。ともかく彼のレビューは低い視点から行われます。そして必然、そのような視点が読者からの親しみを呼んだり、あるいは共感にまでこぎつけることも当然起こります。こういったことで、ドリー氏はネット層のナイーヴで、どちらかと言えばハイ・カルチャーには属していない人々の人気を勝ち取ってきたというわけです。
ドリー氏がamazonにて村上春樹を批評した手段はまだはてな民の皆さんには記憶に新しいと思うのですが、ドリーさんの真骨頂は、この「形而下ツッコミ」にあります。
ときに、今年の四月中旬に発売された、『色彩を持たない~~』という小説。これは村上春樹の発売した新作なのですが、この小説にはこれまで村上春樹が取り組んできた様々なエッセンスというものが生かされており、また、その他にも新奇な取り組み、挑戦的なメッセージなどが込められた作品でありました。
そのような『色彩を持たない~~』ですが、特にこの作品に込められたメッセージの中で重要なものを上げるとすれば、それは次のようなものになると思います。つまり、「我々の見る〈夢〉と、現実に起きている様々な事象の間には、ある種の相関関係があり、そして我々は夢というものを通じて現実の事象における幾らかのレスポンシビリティー(責任)を共有している」というものです、こうやって一文に纏めると分かりにくいんですが、もう少し分り易くまとめると、要するに「我々は社会的責任や個人としての責任というものを、夢という通路を介して確認することになる」、ということです。このようなメッセージは、恐らく村上春樹氏がこれまで取り組んできた、ユング研究者との間のやりとりや、あるいは彼の人生経験というものを基立ちにして書かれているものだと思われます。そのような点において、村上春樹の主張している文学性というものが光っているのです。
ドリー氏の批評のやり方は、そういった〈文学性〉。いわば、〈形而上学的〉な分野においては、全くタッチしないという、そういう方法論を使ったものだったのです。
これは、私が主観的な立場において評している事柄ではありません。
というのは、こういう「形而下的ツッコミ」とか、あるいは別名「表層ツッコミ」という言葉は、誰でもない、他ならぬドリー氏自身によって発された言葉であるからです。正に彼自身が、彼のレビューのやり方を評して、「表層ツッコミ」。あるいは、「形而下的ツッコミ」と呼び習わしていたのです。
つまり、彼の特徴を一言で述べるならば、その作品の奥深さというものに関してはできるだけ発言を控える。というものなのです。そして、そういった「奥深さ」に関しての発言よりも、もっと身近で物質的な、そういった部分に関して照明を当てる、というのが、ドリー氏の批評術なのでした。
アレ、ちょっと待てよ? という意見が、そろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。
というか、若干キレ気味な方というのが、現れてきてもいいんじゃないか、という風に僕は思ってます。なんなんだそれは! と声を荒げてもおかしくない方法論じゃないのかこれは? と、むしろ僕自身がそんな風に思ってきているところです。
ドリーさんのやり方は、例えば以下のようなものです。
『色彩を持たない~~』にて、以下、主人公とその友人「アカ」とのやりとり。
アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シェフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」
「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」
アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ・・・」
こういった、ちょっとオサレというか、まあそれらしい描写に関して、ドリーさんは以下のように述べています。
なるほど……。と思えるようなツッコミです。確かに、アカの言い方からは、極普通の社会生活を営んでいる方々から見れば、少し苦笑いをしてしまうような、あるいは軽く眉を顰めてしまうような、そういう素振りが端々から匂わされています。
これが、いわゆる「形而下ツッコミ」というものなのです。読者にとって、距離の近い何か、つまり、作中の人間における特徴的な発言とか、あるいは、そのキャラクターが行なっているファッション、あるいはスタイルというもの、そういった身近な位置に存在するものに関して、一つ一つツッコミを入れていく、という技術。これが、ドリーさんが主に自称しているところの、「表層ツッコミ」という技術なのでございます。確かに、このツッコミは面白い(笑)
ぶっちゃけ僕も何度か読み直して笑ったくらいのものです。それくらいに、この「形而下ツッコミ」には効果があります。
しかしです。
実際に、この『色彩を持たない~~』を読み込んでいくと、このようなツッコミに果たして正当性を認めてよいものなのだろうか? というようなメッセージが改めて浮かび上がってきています。
と言いますのは、まず、このアカという人物。なんと、未読の方にはネタバレになってしまうのですが――
――ですから、この先の部分に関しては未読の方は注意して読んで下さい、お願いします――
――同性愛者なのです。しかも、そのような事実に関して、何と自身が女性と結婚関係を持ち、暫くしてから気付いてしまった、というかなり不幸な人物でもあるのです。彼は、結婚後自分の性癖について自覚してしまい、かなりの苦悩を感じていた模様です。
その辺りは、『色彩を持たない~~』本編においてかなり描写が尽くされております。
ところで、ここで、「アレ?」と思われる方はいらっしゃいませんでしょうか?
つまり、ドリーさんのツッコミの内容が、果たして本当に妥当なものなのだろうか? という感想を抱いた方が、ここまでの文章を読んでいて幾らかいるんじゃないかということなのです。
ドリーさんのツッコミの内容は、以下の通りでした。
「『アカ』の臭わせている『自分大好き』臭がひどい、彼の自己陶酔的な態度がヤバい」
しかし、上のような本文の描写を読む限りで、そのようなツッコミはぶっちゃけ間違っていることが、明らかになっています。つまり、むしろ「アカ」の根底には、「自分大好き臭」などではなく、徹底的な自己嫌悪が存在しているということなのです。
付け加えるならば
この「アカ」は、その父親が何と名古屋大学の経済学部で教授職を務めている人物であったりするのですが、そのような父親に対してアカは名状しがたい反感のようなものを抱えて青年時代以降を生きてきていた、ということが本文にて言われています。しかし、多崎つくるが生きている現代の世界、彼が36歳になっている時点において、アカは一般企業向けのサラリーマン育成サービス会社の代表を務めているのですが、何と彼は、自分が忌み嫌っていた父のような、尊大で狭量な振る舞いを、そっくりそのままその会社経営やスピーチにおいて行なってしまっているのを作中で嘆いているのです。つまり、繰り返すように彼の中にあるのは、「自己嫌悪」というべき以上の何物でもない感情なのです。そしてそれを無視したまま、ドリーさんは「自分大好き臭がすごい」、などなどと形而下的ツッコミに終始してしまっているということなのです。
ドリー氏は他にも、レビュー中で多崎つくるのファッションについて言及しており、彼の終盤におけるファッション、「オリーブ・グリーンのバスローブ」について批判しております。
曰く、その色は「クソ緑」とのこと(笑) なんともまあユーモラスな表現ではありませんか。
しかしです。このような緑の色、というのは、西洋においてはいわば「嫉妬」というものを表す象徴的な色でもまたあるのでした。
主人公の多崎つくるは、本編の終盤において、交際相手の女性の浮気現場を目撃してしまい、そのことで苦悩します。そして本作は、作中において何か特定のスタイルや生き方、つまり「色彩」を持てなかった彼が、最終的に嫉妬の感情を表す「オリーブ・グリーン」のバスローブを着込む、ということを最後に、幕が降りることになります。結局のところ、この『色彩を持たない~~』という物語は、多崎つくるというプレーンで如才ない特徴の無かった男が、嫉妬という、これまで無色だった彼にとってあまりにも大きすぎる感情を背負うことになってしまうという作品なのです。そんなテーマが描かれた小説なのでした。
しかし、ドリー氏はこの「オリーブ・グリーン」の比喩に関して、「クソ緑」とただ一言切り捨てたのみなのです。それ以上の言及を、彼は避けております。
これが、いわゆる「形而下ツッコミ」の正体なのです。その、暗喩や文学的比喩といった奥深さに関しては常に除外し、表面的な部分にのみ視点をおいて俗っぽい言葉によって吐き捨てる、というのが、結局のところドリー氏の行っている批評の正体と言えるでしょう。
ドリー氏は、これは個人的な意見になってしまうのですが、はっきり言ってそういった「奥深い部分」に対する想像力、というものを発揮しない(あるいは表立って発言しない)といった批評のやり口に、あまりにも慣れきってしまっている感があります。何というか、そういった相手の表現したい奥深い分野については言及せず、大体において「表層的」あるいは「形而下的」な部分に対してのツッコミだけを行う、というのが彼のスタイルになってしまっているのです。
さて、ここまで長々と書いてきて、結論としては、ドリーさんの批評(クリティーク)においては、あまりにも想像力や文学的表現に対する理解というものが欠けてしまっている、ということが言いたいわけなのです。そんなこんなで、ドリーさんの書籍批評に関しては、以下の言葉でまとめることができるでしょう。やはり、ドリーさんの書籍批評はまちがっている、と
変猫が綺麗な最終回を迎えて、押し倒されてM字開脚を披露した月子を穴が飽くまで脳内に焼き付けた増田だが、
主人公の『思い出を誰かに渡す』願いに、正直モヤモヤが晴れない。
月子の感情と同じように、変態王子は一生記憶が思い出に変わるたびに、必要とする誰かに渡し続けることを選んだらしいが、
そこまできたら願いではなくて呪いだろうと思った。
そして、そのことを選択した紳士に、個人的にイラつきを覚えずにはいられなかった。
思い出がない人間は生きていけない。
私にとって、ノスタルジーとは現況を上手に覆い隠し、遠くの記憶をぼんやりと明るく照らしてくれる濃霧だ。
不甲斐ない今に蓋をするために、昔を引き合いに出すこと。これほど簡単に自己肯定に繋がり、現実逃避ができる手段は他にない。
『昔は良かった。』
そう、呟くだけでこの暑苦しい六畳一間がサザエさんと家族の声が響いてたあのリビングに変わるのだ。
それをこの変態王子はずっと否定するのか。常に現実アッパーで過去なんていらないというのか。
前回の話も地味に痛かった。選挙ポスターで『平成十五年』の年号を確認するところ。
え、嘘、計算間違ってるんじゃね?と思った。狼狽えた。十五年だよ、十五年、西暦に直しても2003年、全く古い気がしなかった。
満年齢=年号なので、ノスタルジーを利用するためには年号を辿れば良かった。
一桁代が私の幼少の頃だから。あーでも、他の世代ってどうなのだろう。
昭和って聞けば、セピア色になるし、二十世紀と聞けば、古き良きという枕詞が勝手につくのだけど、
これからの子って平成の時代が続く限り、ノスタルジーはそこに見出せない。
ノスタルジーを見いだす手段って他にあったっけ。考えてみた。
ノスタルジーを見いだすには、適度な時間を置くことと、分かりやすい変化があればいい。
例えば、自分がかつて住んでいた家の近くの近況とか。
先日、職場で一緒になった人が、昔の家の近所に暮らしていることを知り、
三角屋根が目印の本屋の話題が出た。ハローマックみたいな形の。
幼少の見切りでは、二階の児童向け文学を読んでいてダダをこねたら親に置き去りにされた場所でもあり、
初めてラノベを手に取り、エロゲの画集を買ったお店でもあるそこは何も変哲もない牛丼屋に変わっていたことを知る。
建物ごと変わり、当時を残すものは残ってないよという話だった。。。GoogleMapのストリートビューにも果たして残っていなかった。
『そうなんですね、ショック。。』そんな当たり障りのない反応を返しつつ、内心安堵もしてた。
育児書では子供を殴って躾けるのはよくないってのはまぁ常識です。
このあいだ「1歳8ヶ月の子供が犬や他の子供に小石を投げて困っています、手を叩いて叱っていますが聞きません、いつも羽交い絞めにして止めるようにしています」みたいな相談をネットで見たが、お前の躾け方が悪い本気で怒鳴れ殴って躾ければ赤子でもわかる的な意見が大多数。
でも殴っても聞かないだろうと思う。
私も1歳半を育児中だが、赤子に痛みで学習する能力はあるのか?と疑問に思っている。
例えばこの間、子供が食器を乾燥している籠を流しから引き摺り下ろして、食器が落ちてきた、幸い鍋やプラスチック類が主で何も割れず赤子にも重いものはぶつからずにすんだが、ガシャーンと大きな音が鳴って籠はぶつかって、恐くて痛くて大泣きした。
でもすぐにまた引き摺り下ろそうとして手を伸ばしている。あれだけの恐怖と痛みでも学習していないのに、体罰であれ以上行ける気がしない。
家の子は母乳を飲み終わったら私の乳首を歯に挟んで思いっきり噛み、ビーっと引き伸ばして遊ぶ。
あまりの痛さに反射的におでこやほっぺをバチンと手ではたいてしまう事がある。
かなりいい音が鳴って痛そうなので、すぐにゴメン!と謝るが次もやる。
授乳中にいきなり下から足のバネをフルに使ってジャンプをし頭突きアッパーをくらわして来る事もある。
私が下を向いて話していたりすると、歯がおでこに当たって、子供がギャン泣きする。
それでも何度もやる。
また、私が寝ている時に、隣に立ってそのまま私の頭にめがけて倒れて頭突きをしてくる事がある。
目や鼻の上に赤子のおでこが落ちてきたりして、悶絶するほど痛いし、勢いをつけて頭をぶつけるのは赤子も悶絶ものの傷みなのか尋常じゃないギャン泣きをする。
それでもまたやる。
あれほどに痛くても繰り返す子供が、はたして殴った程度でやめるかというとまず無理だろう。
私もせめて他に被害が行かないように、他人に何かしようとしたら駄目よやめなさいと赤子を羽交い絞めにする日々だ。
いつごろ悪さをやめるのかなぁ。
痛すぎて身が持たんよ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20130330-00024161/
俺は子育てより優先順位がずっと高いやりたい事があるから子供作ってる時間ないわけだが。
子育てのインセンティブがどうとか言うなら、俺みたいな奴も納得させる答えが必要なんじゃねえの?と思う。
これについて、産めよ増やせよ派からまともな回答が得られた事一度も無いんだよね。
自信満々に「子供作った方がいいよ!」とか言う割に、俺の話をすると「いや…」とか言って黙るだけ。
お前が人生の答えみたいに語ってる理論の根拠はその程度なのかよ、と臍で茶が沸く次第である。
以下、具体的にあったやりとり。俺が上記のように「やりたい事あるから子供作れない」と言ったことに対する反応。
こんなんばっかで納得性のある意見を得られたことがマジで無いんだよ。もちろん俺はここで書いてるみたいな攻撃的なやり取りは実際には一切してないし、納得できる意見があったら納得する気満々なんだよ。
増田で「自分は東大だけど」って書くとホッテントリ入りする法則なんなの。
海外に出ると「東大」っていうくくりで見られなくなるからほっとする。
でも、それって海外が学歴社会じゃないからっていうわけじゃなくて、単に東大の知名度が低いからなんだよね。逆に日本の事情を知ってる人は、もうなんていうか、日本の学歴コンプな人たちとは比べ物にならないくらい、「東大すげー」ってなる。
それは階級社会だからなんだろうけど。階級社会がベースにあって、大学に行く=中流階級以上、なおかつ名門大学=アッパーミドル~上流階級っていう区分けになる。
誰でも行きたければ大学に行けて、がんばれば東大、京大に行けるっていう日本のシステムは悪くないと思う。結構本気でそう思う。