はてなキーワード: LPとは
当時(四半世紀以上前)は田舎なのを良いことに大音量でクラシックのLPレコードをかける傍迷惑なやつという思いしか無かったが、高さ1m以上あるクソでかフロントスピーカーが有り、後方壁面にはリアスピーカーが設置されていた。今思うと結構な金額が必要な設備だったのではなかろうか。そういえばLD再生環境も揃っていた。
登山や釣りにも行っていたし、5インチフロッピードライブのあるPCもあった。
一方自分の環境は10万円ちょっとのTVやPC、3〜4万円のサウンドバーが精々といったところ。
今の自分の年齢にはとっくに妻子・家持ちだったという点からは目を逸らしたとしても、どうやら趣味人としても負けている。
もし存命だったら機材関係で語り合うような事もあったのだろうか。とはいえ、好きとは言えない父親だったのでやっぱり分からんな。
音楽の売買って側面じゃなく心情的な面についてこの記事の中から探すとここなんだと思うんだけど、
イワモト:SpotifyやApple Musicといったストリーミングサービスの普及により、音楽に愛着や思い入れを抱く機会が減っていると考えています。
CDやLPなどの質量を伴うパッケージでコンテンツを取り扱っていた頃は、手触りがあって所有している感覚が得られるので、愛着も沸きやすかった。部屋に飾っているジャケットが目に入ったり、歌詞カードやライナーノーツを通じてアーティストの思いに触れたり、それらの意匠の意図を汲み取ろうとしたりもしました。アルバムは一枚3000円以上したので、曲あたりの購入コストが高い分、一つひとつの音楽を大事に聴いていたということもあると思います。
「愛着」や「思い入れ」、「手触り」、「一つひとつの音楽を大事に聴いていた」っていうこういう楽しみ方をしていた勢が絶滅しかかってるので、何とか残したいんじゃないのかね
自分も増田と同じでガンガン聴こうぜ派で、多分今ならそういう派閥もあっていいけど、ストリーミングサービスを利用し始めるとみんなその派閥になっていくけど、
昔ながらの「曲に愛着や思い入れを持って、CDジャケットを飾ったり眺めたりして1曲ずつを楽しんでた」タイプの人も居ていいじゃない、って話なんだと思う。
[B! 教育] 「母はこの問題の意味を理解できませんでした…」小学3年生の子どもが解けなかった算数の問題は大人でも回答に詰まってしまう - Togetter より引用
daitokai1980 「もとにする数」は授業で踏まえたあとの宿題だろうからなんとも。ほんと「自分がわからなければ相手が無能」扱いの空気の蔓延はどうにかならないか
2021/09/21 リンク yellow262yellow
youichirou 問題自体の是非はさておき、こういう問題は授業でやってるはずだから、答えられないのはその授業を受けていないか(大人)、ちゃんと聞いてなかった(子供)からだよね。
2021/09/21 リンク yellow131yellow
mobanama 確かに問題文はわかりづらいが、そもそも授業で説明したものではないのか?意味を考えればその答えになるだろうし。 教育
タイトルと本文の画像だけ斜め読みしてるアホの多さが分かるねえ。
元のツイート主が
①100000
②100
と言ってるんだから「授業で教えていたはず」「答えられない奴がバカ」は当てはまらないよね。
漠然とこの辺が答えかな~~ってのは見えるんだけど「これが答えだ!」って確証をこの問題文から持つのは無理かな。
これで「答えは一意に決まる(難しい概念だから分からない人はググって勉強してね)」と言い切っちゃう人こそがヤバいよ。
もしもこの問題に対して「テストって答えが一意に決まる必要があるんですか?」とか言い出しちゃうならそれもヤバイよ。
もし上の文に「答えが一意に定まらないテストはある。たとえば美術の試験なんかは~~~」とか言い出すなら超ヤバイよ。
算数のテスト、それもこのレベルの簡単な計算や公式の確認のテストであるなら答えは一意に定まるべきだよ。
この問題だけ例外的に回答のストライクゾーンを広く取るのならば「この問題の答えは多少曖昧でも許されます」と例外規定を書くべきだね。
少なくとも相手が小学3年生という時期であり、「テストで間違いを書くとさらし者にされかねないから恥ずかしいよぉ(T_T)もういっそ白紙にしよ(T_T)」と考えちゃいがちなナイーブな時期であることも考えるとね。
ああだこうだ言ったけど結局の所はてなーって「本文もロクに読まずに脊髄反射で相手に殴りかかって論破して調子に乗りたい」ってだけなんでしょ?
普通じゃないよね。
普通の日本人は「相手を批判するなら、自分の側が間違っている可能性を考慮してもう一度じっくり相手の意見を隅々まで確認する」よね?
いや凄いよ。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
webデザイナーになると一念発起し、何も知らないところから勉強して一年、月◯◯万稼げてます。今月◯本受けて、これだけ稼ぎました!ツイートする勢いるけどさ。
これさ、ほんと?そんな稼げるもん?
みんなこういうアカウントに騙されて、webデザイナー目指してんの?
ライターとかもそうなんだけどさ。
たしかに、ちゃんと実績あります!の呼び水になるかもだけど、金額固定で仕事受けてないならダメでは???
(LP一律15万、とか)
たとえば、同じクライアントから仕事もらってる別の人が金額見て、「私の方が単価低い…?」ってなると本当に困る。
どちらかを値切ってるとかじゃなくて、LP一本つくるにしても、修正対応が多い案件は簡単な作りでも最初から金額盛って発注する。
逆に、要素が多くてもテンプレパーツがあって組み合わせるだけなら、ページボリュームの割に安くなる。
たくさん図版作成あるのに、「1本は1本だから。普通のLP作成の金額以上は出せません」って、客に言われたら仕事受けないでしょ?
そういうことだよ。
案件バレないように内容ぼかしてるからこそ、作業ボリューム曖昧だし、誤解しか生まない…。
ていうか、そんなことしてる外注見つけたらフェードアウトするよ。
本名アカウントじゃないからバレない。って過信しないほうがいいと思う。
そもそも、SNSで発信して、人脈増やそうとしてるんでしょ?危ないって。
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
例えば適齢期の異性と知り合う人数をMeet人/年とおく
すると、1年に好きになる人数Nは
N=Meet*Love人/年 となる
1回の好きの持続期間がPeriod年だとすると
N*Periodがその人の**好き時間**(LP 単位:人*年)となる
例えばこの好き時間が0.5人年だと
「2年間のうち1年間、1人を好きで居る人物」となる(Aさん)
この好き時間が2人年の人は
Aさんは惚れる人数が少ないタイプで
Bさんは惚れる人数が多いタイプだ
LPをまとめると
LP=N*Period=Meet*Love*Period となるから
・出会う人数
・好きになる確率
・好きになる期間
に依存する
でも注意したいのは、LPが小さいからと言って同時に2人以上を好きにならないわけではないということ
Aさんでも「2年のうち0.5年間、2人を好きになり、1.5年は誰も好きで居ない」があり得るから
ただしBさんに比べたら確率は相当減るよね?
蛇足1
好きになる確率Loveや出会う人数Meetは、その人本人の魅力にも関係すると思う
美人なんかはイケメンからもアプローチされるだろうし、アプローチされたら惚れることもあるだろうから
蛇足2
俺はよく一途だと言われるんだけど、単にLPが相当小さいだけだと思う
プログラム完全に理解したレベルのWeb系雑魚プログラマーの戯言。
先に気になるだろう話だけしとくと、自分はn万円単位でしか入れてないしわけわからんうちに手数料やらなんやらでn千円消えてる。これから増えるといいな。
まじでこの遊びは投資ではなくギャンブル。競馬と一緒。でも賭ける対象が馬じゃなくてWebサービスなところが面白い。
以下オタクの自分語り。丁寧に解説する気なし。やらないほうがいいよ!
ホッテントリ入りした某増田の記事を読んで、LPの仕組みを知って興味を持ったんだけど当時は手を付けなかった。
ここ数ヶ月でいっちょやってみるかと色々調べてたところ、きっかけの記事移行にかなり情勢が変わってることを知った。
LPトークンの概念が生まれた、ネットワークの圧迫で別基盤のクローンサイトが当たった、そっちの世界ではいまのところ1強。
後追いのクローンが続々と出ては消えていって、最近では最適化とか自動複利とかネズミ講的なやつとか、付加サービスを付けるところが多い。くらいが自分の知る最近までの流れ。
いちおうプログラマだから自分でコード書いてなにか面白いことに参加できそう(できない)部分にも夢があるし、
「次に出てくるサービスはこんな仕組み考えてきたか、頭いいなあ」っていう感覚も面白い。
自分が試しに推してみたサービスの売上が全部開示される(とはいえそんなによく見ない)のと、そこの独自通貨が価格というスコアで可視化されるのもいい。
ドラえもんの記念イベントか何か分からないけれど、藤子 F 不二雄の作品が公開されているらしい。
ホッテンで知ったのだが、ビュアーからは企画サイトにリンクされていないので、なにも分からない。記念しているのかも販促しているのかも分からない。 link:dorachan.tameshiyo.me で検索しても出てこない。
どこで告知されているかも分からないので、はてブをドメインで検索している。でもたまたま他のものを検索したときに、履歴を見てついでに見るくらいなのだ。公開期間は終わっていることが多い。
ペライチの LP でもなんでもいいんだが、バックリンクは欲しいなあ…この本を買うリンクはありがたいが(掲載巻を調べるのすごい苦労する)なんかのキャンペーンの効果を上げないといけないのでは。
関連検索でドラえもんチャンネルとやらが出てきてやったーと思ったが試し読みへのリンクがあるのかどうかもよく分からんゴチャゴチャなサイトで、ぱっと見たしかに SEO ヤバそうな印象だけ抱いた。
まあ少し不思議な本を履修するか…と思ったが、なんか名義が複雑か何かで何を買えば単行本化済み SF 短編が全部読めるのかも分からなかった。まあ…そのうち…どこかの本屋で特集棚とかやっていたら。
ブコメで教えてもらった。まさにちょうど終わったところで笑った。
https://dora-world.com/contents/1766
なんでそういうデマを広げるんですか?
リュート奏者の佐藤豊彦さんが最初のLPを出したのが1971年で、ハーグ王立音楽院教授に就任したのが1973年です。
そして、有田正広さんがブルージュ国際音楽コンクールのフラウト・トラヴェルソ部門でダントツで第1位を取って賞賛されたのが1975年ですよ。
同じ時に東京リコーダー・カルテットがリコーダーアンサンブル部門で優勝しました。山岡重治さんらのグループです。
有田正広さんは、その後70年代中からコレギウム・アウレウムのメンバーとなって活躍されてました。後には18世紀オーケストラなどにも参加。
また、オトテール・アンサンブルの活躍開始も70年代です。アルヒーフからレコードが出てましたね。(今はCD)
中世の音楽についても、皆川達夫さんの主催する中世音楽合唱団がありましたし、岡本一郎さん主催のダンスリー・ルネサンス合奏団の結成も70年代(1972年?)でした。
その後、主な団体だけでも、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの活動開始が80年代。バッハ・コレギウム・ジャパンの活躍開始が90年代、ヴォーカル・アンサンブル カペラの活動開始も90年代です。
はークソだ
夜中にふと明日の仕事ちら見して寝るかと思ったらクソチャット見てしまった見るんじゃなかった
最初1個作るはずだったのが複製という名のマイナーチェンジ(チェンジ箇所が重い)で10個くらい作れって話に納期もそのまま残業なんかせず適当にそれなりのもん作って渡したら「こんなんでいいの?」がクソだーーーーーー
いやまあWeb屋なんですけど、お前のそのクソおでかいビッグな画面じゃアクセス解析で見てる客の画面サイズと遥か彼方ってかおまえそんなかの0.1%ユーザやぞ。ついでに言うとその画角の客でコンバージョンしてるやついねえから!!いねえんだよクソが。なーにがマーケやってますだクソが。てめえがやってんのは企画で自分仕様だ。それがうけてても万人向けじゃねえのを自覚しろ。
客でそれにヒットするようなのはそんなクソでかクソ高マックなんかもってねえよバカなのか。仮にいてもクソ金づるかもしれんがその0.1%に注力するならスケジュール考えろ。何を目的かちゃんと企画書で下々に落とし込めクソが。そんな仕事なんだから8枚だろうとちゃんと作れっていうだけならいちにんまえでちゅねクソが。できねえって言うのも仕事だクソが仕事だから言ってやってんだぞ。これが締め切りになってから「できまちぇんでちた」つったらもっと怒るくせにアホだしねクソが死ね。
つうかガチのコーダーでもないんだけどうちら。そのクソ仕様にしたの、プロジェクト終盤に体調不良なってコロナじゃなかったんで復帰しましたもう終わってた「状況把握したいから教えて」とか言ってくるようなクソPMなんだが。知るかよ。クソだーーーーーー知るかーーーーーーうるせーーーーーそんなの作れねえってぶん投げるべきだった。
アクセス解析でぶいぶい言わせるつもりだったんだけど
Webディレクターなのになんでクソデザのクソデザインからワイヤーを起こし直してレイアウトカンプにデザインまで作ってコーディングまでやらされてんの???バカなの???
外注使ってもいいよ→クソ無駄に長いテキスト盛りの原稿からLPフル制作ったら1日とかで上がってきませんけど???そんなことをやってんだけど???アアークソだ…いやだ本当に嫌だあいつが嫌だ。あいつらが嫌だ。
ブコメ経由で知ったキューサイの「ミニッツ メイド おいしいフルーツ青汁」も一見するとその類。
ユーグレナなど3社、「青汁」のキューサイ買収: 日本経済新聞サンキューお野菜のキューサイってコカコーラ子会社だったの?全然知らなかったですね。もしかしてミニッツメイドでコラボとかしてたり……? と調べたら普通に有った。 http://www.kyusai.co.jp/excludes/dmlite/ads/lp/faj_lp_001a_t/2020/12/14 17:49
この手のサイト、利用者の属性が(30代女性)とか(40代男性)とか括弧書きされてたりするが、
中には「これをきっかけにキューサイのケール青汁も飲んでいただけたらうれしいです!」と社員目線でのコメントもあるものの、
他は「冷蔵庫にあるとうちの子たち大喜びです!」とか「こんなにおいしい青汁、飲んだことありません!」とか一般客のようなコメント。
そりゃ社員なら「これは不味い」とか「苦くて飲めない」とか言わないだろ。
まあ属性隠して褒めコメント書いて後で社員だったとバレるよりは潔く、いっそ清々しい。
そんな「ミニッツ メイド おいしいフルーツ青汁」、キューサイがコカ・コーラ傘下から脱する為かコカ・コーラとのコラボである
DTPからweb移行でももうちっとあるでしょなAdobe知識がないうえ、ワイヤー作ってくださいも最初通じずなんでもいいからデザイン出してって出てきたものに沿ってざっくりbootstrapで手抜きして組んだら
てめえPC/SPでデザインよこせつうたのに出てないし、aiのと異なる口頭での文字サイズがもっと大きい小さいのがいいとか舐めてんの?そう言うこだわりあるなら自分でコーディングするか人にちゃんと指示しれや
つかaiから画像の切り出しアセット関連の機能も知らず解像度てかサイズたりてねえっての
で、もらったデータはやつしか持ってないモリサワフォントでOLかけたのと元のとでLPなんこもつくるそれ×2とかで、全部同じファイルのアートボードに入れてよとかデータ作りからコケてるからデータもらった後にこう作って欲しかったとかできないじゃん
そこまで指示されるデザイナーってなに?素人?自称webデザ?つかデータ作るときに聞けよ
って期待してんのがクソか?ハァー
ジョー氏にはサイトが機能してればそんな細えこたあいいんだよって言われてるし締め切りも迫ってるから目先の制作をあげるの優先で本人はコーディング丸投げして暇になったからなんか仕事ある?って聞いてるんだーとか聞こえてんだよクソが
って言う愚痴です