はてなキーワード: 迫害とは
小児性愛を内心の自由うんぬんで論じるべきではない、という「子供を性的にみる内心の自由はない」(anond:20200609071250)の冒頭部分はそのとおりだ。
これは性指向に基づく差別に反対という話であって、本来は内心の自由とか表現の自由とかは二の次の問題だからだ。
たとえば、この記事を読んでみてほしい。
LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました | 包帯のような嘘
読むのがめんどくさいという人のために説明すると、小児性愛は生まれつきのものであり、多くの小児性愛者はそれを変えられずに苦しんでいること、それでもなんとか現実と折り合いをつけて生きていこうとしていることが書かれている。
つまり、小児性愛は、それを持って生まれた人にとっては変えがたい性指向だということだ。
性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて人を差別することは許されない。
小児性愛者を治療しろ? 百年前に同性愛者も同じことを言われていた。小児性愛者は性的モンスター? 「ゲイが同じチームにいたらロッカールームでケツを掘られる!」というのとどう違うのか?
もちろん、小児、すなわち性交同意年齢に達する前の子供と性行為をおこなうことは許されてはならない。あるいは、実在する子供を性的に虐待することで生み出されたコンテンツは、厳しく規制されるべきだろう。
だが、それはあくまでも行為であって、性指向の問題とは別だ。性指向が子供に向いていなくとも子供を性的に虐待することはありうるし、性指向が子供に向いていても実在の子供の人権を侵さずに生きていくことは可能である(架空の子供を描いたイラストや漫画、あるいは今回問題になっているようなラブドールを消費している分には、実在の子供の権利は損なわれない)。
性指向に基づく差別に反対することと実在の子供の人権を擁護することはまったく矛盾しない。
増田は「同性愛」と「同性間での性行為」を、「小児性愛」と「小児との性行為」を混同している。
同性愛も小児性愛もその人の持つ性指向の問題であり、それ自体が犯罪となるような性質のものではない。
逆に、性行為を問題とするのであれば、同性間での性行為に同意が伴っておらず強制性が存在した場合、当たり前だがそれは犯罪である。同性愛のすべてが犯罪でなくなるわけではない。たとえばゲイが嫌がるノンケを押し倒して事に及べば強制性交罪だ。
もしも小児との性行為が犯罪であることをもって小児性愛を犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛も犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛も犯罪的な性指向である。唯一犯罪と無縁でいられる性指向は無性愛しかない。
「ある性行為が犯罪である」ことと「ある性指向が犯罪である」はまったく同一ではないことが以上の例示でわかるだろう。
幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。
小児性愛者と児童虐待者はイコールではない。仮に性指向が成人に向いている人間であっても、「身近にいて、非力で、手を出しやすい存在」である子供に性的虐待を加えることは十分に起こり得る(これは児童虐待を論じる上での常識だ)。
児童への性的虐待は痛ましく、許されてはならないことだが、それは小児性愛者を差別する理由にはならない。
そもそも論として、児童への性的虐待が小児性愛者によって行われていたとして、それは一部の小児性愛者の行為にすぎず、それをもって全体を犯罪者と罵るのは典型的な差別主義である。
あなたは9・11テロの犠牲者の遺族に向かって、イスラム教を擁護する言葉を声高に発することができるのか? もちろん声高に発するべきであり、遺族の気持ちを慮って差別主義に屈するのは間違いだと言わなければならない。たとえ遺族の気持ちを傷つけたとしてもイスラモフォビアには反対すべきである。それが市民としての倫理的な義務だ。
人でなし? それはこちらの台詞だ。私から見れば、変えられない性指向に基づく差別を正当化する連中の方が、よほど人でなしに見える。
犯罪を好む特殊な性癖を持っている人たちの権利を擁護したいのであれば、自分の言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。
性指向に基づく差別を正当化したいのであれば、自分の言葉が性指向に基づく差別で苦しむ性的少数者を傷つけることを理解した上で注意深く発言すべきだ。というか、少なくとも自分が差別主義者であるという自覚は持ってほしい。それはそんなに難しいお願いだろうか? だって言ってることは一昔前にホモフォーブが言ってたこと――あるいは今も言ってること――と同じじゃないか。
私は、「性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて」人を犯罪者予備軍扱いしたり(それ自体が誰の権利を侵害しているわけでもない)オナニーの道具を取り上げようとするのは差別だと思うんだけど、それは差別じゃないって言いたいのかな?
差別主義者はいつだって「これは差別じゃない」と言う。どれだけ明々白々な差別をしていたとしても。
子供の姿をしたラブドールでどう子供の安全が脅かされるんだ……?
そんなに子供の安全が気になるなら、小児性愛者よりも先に家族に目を向けるべきではないか。児童への性的虐待は見ず知らずの小児性愛者によってなされる事例よりも家族・親族あるいは見知った大人によってなされる事例の方が多いのだから。
小児性愛者を怪物に仕立て上げたところで、子供が安全になりはしない。それで安全を得たと思えるのなら、それは本当の安全ではなく心理的安全に過ぎない。あなたがラブドールを愛好する小児性愛者を槍玉に挙げる横で、今日も義理の父親が義理の子供に性的虐待を加えているかもしれないのだ。
内心は誰にも分からないけど、欲求を公言したら批判や忌避される対象となるのは仕方ないと思う。/ 臨床現場で現在ペドフィリアに行われている治療は、薬物療法のほか、認知行動療法やグループミーティングが中心。
前段。同じことを同性愛にも言えるか? 仕方ないとか寝ぼけたことを言ってないでそれが差別感情だと認めるべきだろう。差別感情を認知しなければあなたは一生差別主義者のままなのだから。
後段。それって性指向を変えるような治療じゃなくて、性指向を抱えたままでこの社会に適応できるようになるための治療ですよね。
彼らが法を犯さないように生きていくためにその種の助けが必要であるなら助けを求めればいいと思うけど、そもそも論として社会が彼らを差別しなければ彼らの社会適応への苦しみはもっと軽減されていたはずだろう。自分の性指向を公言したら差別され排斥される社会で自分の性欲との適切な距離の取り方を自然に見つけられるわけがない。
そういう人は一定数この社会には存在していて、そのセクシュアリティは実行に移されない限り誰にも否定されるものじゃない、あなたたちはこの社会の一員だ、と啓蒙していくことが必要なはず。LGBTと総称される人たちに対してはそういう啓蒙が徐々になされるようになってきて、彼らの悩みを軽減して社会の一員として包摂する流れになってきているのだから、同じことを小児性愛に対してもすればいいだけ。
一昔前のイギリスでは同性愛は犯罪で、アラン・チューリングは犯罪者扱いされたすえに自殺に追い込まれた。今、イギリスでは同性愛者は堂々と街を歩き結婚もしていて、彼らに対して侮蔑的な言葉を発した者こそが差別主義者として非難される。隣国アイルランドでは同性愛者が首相になりさえした。彼らは胸を張って通りを歩けるのだ。
小児性愛者には愛する人たちとの結婚はできないが、せめて堂々と胸を張って歩く権利くらいあってもよいだろう。
持って生まれた性指向で批判されても仕方ない、なんて、これほどおぞましい主張があるだろうか。私は成人を対象とする異性愛者だけど、思春期からお前の性欲はおかしいと言われ続けていたら発狂していただろう。そんな酷い扱いを受けてしかるべき存在なんてこの世のどこにもいない。いていいはずがない。性指向に基づく差別は間違っている。
公的機関ならともかく、私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできないので、あらゆる差別を禁止することは不可能で、どの区別が禁止されるべきで、どの区別が禁止されるべきでないかの検討が必要。
私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできない? 別に小児性愛者と友達になれとか家に上げろと言っているわけじゃない。侮辱するな、迫害するな、彼らの権利を奪うなと言っているだけ。それってそんなに難しいこと? 他人をいじめないと社会生活を営めないの?
子どもは圧倒的に守られなければいけないのがなあ。/「われらの権利を擁護しろ」と少し大きな声で言うことは、純粋な「内心」から少しはみ出してしまう行為で、小児性愛の場合はそこに多くの人の目が行ってしまう。
子供を守ることは誰も否定していないのだが……小児性愛者を差別するなと言っているだけで……
というか、思春期に入ってはじめて自分が小児性愛者と気付き苦悩する少年は守るべき子供じゃないの? 18歳になる前に自分の性指向に気づいた小児性愛者のことは守らなくていいの? どうして守るべき「子供」から小児性愛者を無条件で除外できると思えるの? それが差別意識ってやつなんじゃないの?
これは余談というかお気持ちだが、昨今の小児性愛者をめぐる議論において本気で悲しいのは、かつて私に差別とは何なのかを教えてくれた進歩主義陣営の人たちの多くが、小児性愛者への差別を扇動する悪質極まりない差別主義者に成り果てている姿を見てしまったからだ。
あなたたちから教わった差別の考え方であなたたちを叩き斬らなければならない日が来るなんて考えたくなかった。
J・K・ローリングがトランスジェンダーへの差別に加担している姿を見ることも辛ければ、反差別を訴え続けてきた人が小児性愛者へのヘイトを垂れ流している姿を目にすることも悲しい。かつて私の蒙を啓いてくれた反差別陣営が、こんな露骨な差別に加担している光景なんて夢か何かだと思いたい。
そういう「ぼくのかんがえた理想の社会」を押し付けて正義感で他人を排除したり善意で他人に変化を強要したりすることが
助けを求めている人に寄り添って余裕があればその人が望むかたちに近づくよう協力することは元の文でも否定していない。
そうじゃなくて「この人はかわいそうな人でこういう助けが必要なはずだ」という推測にもとづいた行動は逆効果になりかねないので自分はしないという話。
アスペに対する差別は少数民族迫害として訴えていくのが一番理解を得られやすいだろうけど
(チー牛はブサメン差別!って言われてもアスペ以外の人は?不審ではあるけど言うほどブサイクか?ってなる)
自閉の人は自分が「普通」であることにこだわるから難しいだろうな
ASの普通へのこだわりの大きな特徴は、少しでも普通であることを否定された場合に限り、
「自分が普通だ」「自分が正しい」と死に物狂いに自己正当化する行動である。
実はこの「普通へのこだわり」自体が最もAS的な特徴であるのだ。
「自分こそが普通中の普通で、ほんの少しも偏ったところは無い」と異常に自己正当化し続ける。
世間の全てが自分の主張を当たり前に受け入れるべきであり、その根拠は「自分が普通であるから」というわけだ。
全体を包む「空気」の中に、50パーセントから前後10パーセント程度の広がりを持ったものとして「普通」があり、
しかも「変わっている」「異常」との境界は連続的で、「少し変わっている」「大いに変わっている」というのがあるだけである。
だから「自分が普通」と死に物狂いに力説することは多数派の「普通」の話ではなく、発達障害の問題そのものなのだ。
「本当はあなたが変なのだ」と本当のことを忠告しようものなら極端に逆切れしてその忠告した相手を執拗に攻撃し続ける。
ほとんど人の話も聞かなくなる(この点では躁うつ病の躁状態に似ても居る)ので、この状態になると周囲の人が心配してケアしようにも手がつけられない。
コロナで自粛していたここ数カ月、暇を見つけてはVtuber動画に熱中していた自分だったが、最近段々と我に返ったかのように熱が冷めてきた。しかしなぜだろうとその理由を考えてみた。
・まずチャンネルページの動画一覧にずらりとサムネが並んでいるのがなんかダサい。1本あたり一時間とか二時間とかの中身のないだらだらとした雑談とか下手くそなゲーム実況で埋め尽くされているため、Vtuberの活動って一体何なんだろうと思ってしまう。(おまけに同じ企業でも膨大な数の配信者がいるため、視聴者の時間の奪い合いをしているのだと考えると虚しくなる)
・「チャンネル登録者数〇〇万人達成!!」とかの文言をみると結局、空虚な数の競い合いなんだと思えてしまう。(おまけに毎度のこと誕生日パーティーのような催しが盛大になされる)
・配信開始前にOPがついてる必死さが萎える。(peercastやニコ生にOPついてるのを想像するとなんか笑ってしまう)
・日本のアニメ漫画文化を培ってきた人々の成果を、なんだかタダ乗りしているような気がする。(Vの人たちも普通の声優と変わらない気もするのだが、しかし声優は声優で技術を磨き一つの仕事に専念して偉大な作品を作り上げてきたはずだ)
・知らぬ間にライブでずいぶん盛り上がったようだが、しかしこれも考えてみれば他の歌手の曲を「歌ってみた」だけだった。
・コロナで世間が混乱しているさなか、棚から牡丹餅とばかりに集金活動に勤しむ。(ちゃんと寄付とかしてるのか?)
・他人の著作物は金儲けに利用するが、自分たちの3Dモデルを金儲けに使われるのは規約違反という徹底さ。
しかし結局やってる内容はテレビのバラエティ以下なんじゃないか?彼ら彼女らにとってゲーム自体に興味はなく、数字が稼げればそれでいいのだ。
最近あった権利問題にしろ、何もかもがグダグダで中途半端な印象でしかなくなってしまった。身内のごたごたがある種のコンテンツになっているが、そんなもの楽しんでも仕方がない。
これからの時代、クリエーター志望の若い子が金儲け主義に走って中身のないコンテンツを量産しまくるのだと考えると暗澹たる思いだ。そのうち大手広告代理店なんかが絡んでそれは加速していくのだろうか。
もちろんすべて個人の感想でしかない。ただ、この業界全体を俯瞰して思うことは、やってることの割には金が流れ過ぎなんじゃねぇの?とは思う。初期の頃はこれが次の時代を担う新しい文化なんだなぁと思っていたのだが、如何せん場末の地下アイドル崩れみたいな連中が何の目的も高度な技術もなく、巨大なプラットフォーマーら(Youtube、エンジニア、イラストレーターなど)数字至上主義の連中の食い物にされているような気がして、肝心の「物語」がうまれてこず、オタク人生を数十年続けてきた身としては、ますます日本のオタク文化もつまらなくなるのかなと思った今日この頃。
こいつらは数年後、何をもって「私たち、頑張ったよね?」と互いを激励し合えるのだろうか?後に残るであろうものは、膨大な時間を浪費しただけの空虚な動画の一覧ばかりだ。頑張ったと言えば頑張ったといえるであろうが、やっぱり無といえば無だよな・・・と思えるそんな危うい業界。
自分がコロナで鬱になってるだけかもしれないから、聞き流してもらって構わない。
自分もVTuberのそれぞれ個性的な声とイラストのマッチングのクオリティに当初は感動さえ覚えていたもので、これが新しい文化を作ればいいと思っていた。(彼ら彼女らは、なんというかうまく言葉にできないけど、現実の人間と、2次元のキャラクターというものの枠組みを拡張させる何かがあるような気がした。)
しかし結局自分に対するコメにもある通り、嫌儲的な思想にならざるを得ないし、そうなることが正義のような気がする。
彼女らは自分たちで実際にソシャゲやゲームの課金要素に金を突っ込みまくり、それがさも普通の事であるかのように演出してみせる。そうなると当然、彼女らにスパチャを投げるのが当然のことなのだと若い子らを間接的に洗脳する。(Vtuber本人たちにもその意図が見え透いている感じがする。)
現代の貧乏な日本社会では、本を買う金すらも惜しむはずなのに、あんなものに金を突っ込んで本当に大丈夫なのか?と考えざるを得ない。
確かに世の中にはソシャゲやらなんやら巧妙な商法がもはや当然のようにまかり通っているが、Vtuberもまた、形を変えたキャバクラやホストのようなものだときつく言及しておいたほうがいいのではないか。
あの高速で流れる赤スパ(1万円の寄付)のような、金の流れを見ていると、自分もこの流れに乗らなければならない!と熱狂してしまう人間が少なからずいることは当然のことではないのか。一時の感情に瞬間的に値段をつけさせるシステムが怖い、というのもある。
自分は別に彼女たちのことが嫌いではないし、嫉妬しているわけでもない。むしろ彼女たちは根本的に頭が悪かったり、貧乏だったり、もしかすると見た目が悪かったりして不遇な人生を歩んできた人たちが多い。(確かにこれはほとんど憶測だが、自分の好きな女性Vはアイドル目指す以外に何の取り柄もなく、家庭環境もまともでなく、とてもまともに社会で生きていけるとは思えない人たちばかりだった。余興でやってる余裕のあるVならともかく、何の保証もない不安定な世界に飛び込んで毎夜のごとくメンヘラ発症してるのを想像するといたたまれなくなる)
そんな人たちが頑張って毎日のように配信したりTwitterで宣伝する姿は胸打つものがあるのだが、これも結局バックの何も考えていない大人たちに踊らされている気がしている。(ある配信者は、得意だったテトリス配信が権利関係のごたごたでできなくなってしまった)。
彼女たちは政治について語ることはないし、語ることもできない。無駄に歳を重ねて新しい若い子がでてきて一瞬で捨てられて忘れられてしまうのかなと思ってしまう。そう考えると彼女たちに全力でコミットできない。
自分はVの世界というか、アニメ漫画業界、あるいは今はGAFAに乗っ取られた日本社会全体について危惧している気がする。金持ちがいくら散財しようが知ったことではないが、10年後、20年後に咲く花の種を今植え始めたのだと考えると、今のアニメ業界(なろう系のような)を見れば焦土と化しつつあるのは火を見るよりも明らかだ。
既存のyoutuberや自分の嫌儲思想とごっちゃにするなという意見はわかるが、全てはつながっているし、つながってしまった。
youtubeというプラットフォームのせいで、どのコンテンツにどれくらいの価値があるかということが、動画再生数やチャンネル登録者数で決められてしまうような気がしている。そんな世界からオリジナリティのあるものなど生まれてこないのだ。なぜ、しょうもないお笑い芸人やyoutuberたちと高尚なオタク文化が混同されなければならんのだ。
Vtuberだけが倫理観のあるプラットフォーマーが構築した独自のシステムに移行するというのなら、自分は喜んで金を出すだろう。これだけ無駄に長い謎長文を書いてるんだから、自分がどれだけVtuberを愛しているかわかるだろう。
何か根本的なものが間違っている、これでは10年後に何も咲くものないのではないか、ということがいいたいだけだ。
確かに自分にしか当てはまらない、1つの実感でしかないかもしれない。自分には向いていないものかもしれないし、知らないVもたくさんいたことだろう。しかしなぜ、このような戯言のくだらない記事がここまで伸びてしまったか、そのこと、その事実そのものについて考えてみてほしい。熱狂していたものに冷めてしまうことというのは、日本人の戦争に対する見方を取り出すまでもないが、勝手に信じて勝手に裏切られたような気持ちになるのは見当違いだろう。「興味ないなら黙っていればいいじゃん」というロジックの人間は、ならば自分のこの記事に対しても余計なことを言わず黙ってスルーしてればいいじゃん、と忠告しておく。
いや、皆様本当に申し訳ない。こんな記事にたくさんのマジレス頂いて本当に恐縮しております。
考えてみれば自分がこんな文章書こうと思ったのはつい数日前にnetflixで攻殻機動隊見てそのクオリティの高さを改めて思い知り、今のアニメ産業に言いがかり的に文句言いたかっただけのようだ。自分の精神的な未熟さを甘んじて受け止めると共に、確かに自分もVtuberのことを皆様ほどあまりよく知らないのです。この記事にしたってよく考えて書いたわけではないし、ふと日本のサブカルチャー的なものに不安を感じてしまい、気軽なつもりで書いてみたら予想外に伸びてしまいました。
しかし逆にどうしてこれだけの人がこの記事に反応しちゃったのか疑問でもあります。
むしろ皆さまの方にV業界に関して思うところがあるのではないでしょうか?どうでもいいならむしろスルーしているはずです。それがこの業界の"鉄則"だったはず。
業界に対して、何か思うところがあるのなら、今のうちにちゃんと議論しておいて小さな芽は潰しておいたほうがいいのでは?
次に何を書けばもっと伸びるか考えてる。こりゃ確かにハマるわ。こうやって数字稼ぎを頑張ってるんだね、今の人々は。コメント欄でも書かれていたが、何もかも "not for me"だよ。すべてブーメランなんじゃないか?
そもそも俺は何も考えて書いてないもの。何を書いたのかももう忘れてしまった。
実は俺には何の信念もないし、何もよくわかってないし、何も考えていない。
それでも今のあなた達のような人々の神経を逆なでするくらいは、どんなネタでもあっけなく簡単にできるということが今回分かった。
この流れに乗じて言うが、コロナの件でも思ったけど今の人たちは言葉数が少なすぎじゃないか?
そうやって気にいらない意見を全力で叩き潰そうとしてもがき苦しんでいる姿があなた達の"病理"だと思う。
行け!もうすぐで200だ!
200行ったら記念配信するからみんな赤スパ投げてねv(^^)
今のあなた方を煽って数字を稼ぐのも、喜ばせてスパチャ投げさせるのも、赤子の手をひねるように簡単かもしれない。
ただ反応してるだけで、何の信念もない。もちろんこの記事も中身がない。
いつの間にか200行った!見ろ、数字ってのはこうやって稼ぐんだよ。
ふとVtuber的なもののパロディをこの場で再現できるのではないかと思いつき、良質な中身のないコンテンツを皆様にお届けできるかと思ったのだが、さすがに疲れたのでここで降りる。あなた達の時間を奪うことは、私の時間を無駄にすることと即ち同じだった。
たった少数の人間にたくさんの人間の人生の時間と金を消費されてることについてもっと考えてほしい。特に最後までこの記事を読んでしまったような人達と、給付金を一瞬でVに散財してしまったフリーターの友人に対しては。
自分はゆたぼんがお前らのせいでダークサイドに落ちないように見守る仕事に専念する。
起きたらまだ伸びてたので最後に1つ、自分が本当に言いたいことだけ書いておく。
別に特定の企業がどうとか、権利関係がどうとか、V業界に関する不満をぶつけてるわけではない。
それは飽くまできっかけに過ぎない。
このコロナ禍で思ったことは、個々の人間がどう立ち回れば自分が最も有利なポジションにつけるか少なからず学んでしまったことにあるんじゃないか、ということだ。
自分はたまたま在宅勤務を命じられて家にいることができたけど、現実には外で仕事するしかできない人間がたくさんいるってことだ。そいつらの中にはウィルスに感染して自粛警察や近所の人間に心無い迫害を受けたり、あるいは破産して生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっている奴もいる。
ところがyoutuberはどうだ?むしろこの機に乗じて独り勝ちして、リアルが上手くいかずやけくそになってる引きこもりリスナーは金を吐き出しまくっている。
確かに嫌儲は不健全な思想だろう。けれどこれが、儲けるにせよ儲けないにせよ自己責任という形をとってほしくないのだ。
自粛して家にいた若い子供たちの中に、恐らくこう思ってる奴もたくさんいるかもしれない。
「なんだ、結局外に出て働いている奴がバカで、家にいて配信で人集めて金稼いだ奴が勝ちなんだ」と。
これは俺の思い込みかもしれない。しかしそうでもないかもしれない。少なくとも自分だったらそう思っていただろう。
嫌儲だ!嫌儲だ!とバカの一つ覚えみたいに過剰に反応してレッテル貼りしてみんなで安心感を得たい気持ちもわかるが、しかし君たちの現実は大丈夫なのか?本当に生活費は払えているのか?少なくとも良識ある大人なのだったら、もっと自分の人生に必要なものに金を使ったほうがいいし、そういう忠告をする人間の言うことを多少は心にとどめておくべきだし、他人にもそう諭してやるべきなんじゃないか?
何に金使うのも自己責任、他人をそそのかして金を使わせるのもそいつの自己責任、Vにならなかったのもそいつの自己責任、そんな危ない思想を若い子たちに広めないでほしい。
多少思うところがあるから君たちも反応しちゃったんだろう、でなきゃそもそもこんなどうでもいい記事は普通ここまで伸びない。
キャラの向こう側にいる等身大の彼女たちをちゃんと見極めて、プラットフォーマーたちの作ったシステム上で数字を稼がせ、それが彼女たちのアイデンティティの全てだと思わせ、そのためには何でもするという闇に引きずりこまないでほしい。
女性差別の話題となると必ず湧いて出てくるのが「お前ら男は自分たちが持っている特権に無自覚だ」という論理だ。男は全て特権があり女性の苦しみなど分からないというのは完全に極論であり、そんなことを言ったところで共感を得られるはずもないのにこういう意見に同調する輩がいる。
アメリカでは白人は特権を持った存在として扱われており、それ故に謂れのない迫害を受けることだってある。貧乏で苦しくて仕事もなくて、それなのに白人であるというだけで特権階級であると言われ続ける地獄がある。そこに目を付けたのがトランプという男だ。外国人や有色人種は優遇されるのに自分たちは何なんだと不満を持った人たちをないがしろにしてきた結果がトランプ大統領の誕生だ。トランプが悪いと責める人たちは何も分かっていない。
そうやって健常者たちは僕を迫害する
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
なんか上の記事で(長いので全部読んでないけど)NL(ノーマルラブ)って呼び方は差別だってあって、よくわからんかった。
俺は同性愛はノーマルかアブノーマルかでいうと、アブノーマルだと思うけど。
一応用語の説明をしとくけど、「ノーマル」は「正常」とかいう意味で、「アブノーマル」は「異常」とか「正常でない」という意味で俺は使っている。
何をもって異性愛がノーマルで、同性愛がアブノーマルなのかという話だけれども、人の自然交配が男女の組み合わせだからだと考えている。俺ら人は雌雄同体のウミウシでもなければシダ植物でもないので、人は男女の組み合わせで生殖活動するのが生物としてのノーマルだろう。
「雌雄同体の生物もいるのだから、異性愛が『ノーマル』とは言い切れない」という反論があるかもしれない。けれど俺は人間の話をしている。ウミウシにとって同性愛は「ノーマル」でも、人にとっては違うだろう。
だからといってアブノーマルを差別しろとか、迫害しようってわけでもない。好きな生き方をしてもいいし、人の恋路や生き方にとやかく言う気はない。BLの同人誌書けばいいし、誰と誰のカップリングでオナニーしようが、その人の勝手だろう。
「男が男を好きになろうが、別にいいんじゃない?(まあ変だけど)」というスタンスである。
そもそもすべてにおいて「ノーマル」なんて人はいない。同性愛はもちろん、先天的にも、後天的にも「障害」を持つ人がいるだろう。指が4本しかない人や、目が見えない人。これらは人としての本来の機能として「正常」ではない。が、だからといってなんだというのだろう。正常ではないからと言う理由で迫害を受ける謂れはないし、多様な生き方は許されるべきだ。社会はアブノーマルを受け入れるべきだ。俺だってロリコンだし。
しかしノーマルかアブノーマルかでいったら、「アブノーマル」だろう、という話である。同性愛も、指が4本しかない人も、目が見えない人も、ロリコンもアブノーマルだ。
正直言って、「アブノーマルをノーマルの仲間入りにしろ」は、言葉遊びにしかならないのでは?
たとえば同性愛をノーマルの仲間入りにしたとして、子供ができますか?という話。「子供を作らない選択肢もある」という話ではなく、「iPS細胞でいつかできるようになる」という話でもなく、「自然交配で作ることができるか?」という話である。可能か不可能かの話である。生物は生殖活動ができるのがノーマルなので、それができないのはアブノーマルだ。いくらノーマル呼びにこだわったところでだ。
異性愛でも子供ができないという人もいる。それもアブノーマルだ。ちなみに俺は精子が少ないと言われたので、病院に通っている。多くの人は病院に通わなくても子供ができるだろうけど、俺は精子の量や活動が「異常値」なので、通院しなければならないってわけだ。
もし俺が「あなたの精子が少ないのも、別に変なことではなく、ノーマルですよ」と言ってもらえたところで、「は?」という気しかしない。
「アブノーマルでも受け入れられる社会」と、「アブノーマルをノーマルの仲間入りにする社会」では、全然意味合いが異なるのには注意したい。
前者はアブノーマルはアブノーマルのまま受け入れられるのに対し、後者はアブノーマルにノーマルの機能を要請されかねない。あるいはノーマルの再定義が必要になる。そんなのめんどくせ。俺は受け入れられてさえいれば、アブノーマルのままでいいんだよ。
もしかして「普通」という概念をなくそうとしているのだろうか? たしかに普通という概念がなくなれば、すべてのものはありのままにだけども、やっぱり言葉遊びの域を出ないのでは?
小児性愛もひとつの性指向であり、差別されてはならない、という大原則をもっと強く主張していくべきだなと思った。
同性愛はひとつの性指向と認められてはいるが、性的同意なしに同性との性行為が認められているわけではない。
同様に、小児性愛をひとつの性指向と認めた上で、性的同意なしに他者と性行為を行ってはならない(=性交同意年齢前の子どもと性行為を行ってはならない)、という筋をきちんと確立すれば、性指向に基づく差別に反対することと子どもを性的虐待から保護することが両立するのに、なぜか小児性愛者を差別しようという方向に向かうリベラル派が多すぎるんだよな。
表現の自由戦士も腰が引けてるのか、それとも反差別というイシューにはあんまり興味がないのか、表現の自由だとか表現規制反対だとか言うだけで、そもそもの本丸である小児性愛者への差別反対というお題目を口にしたがらないし。
でも、やっぱりそろそろ差別主義への反対を主張すべき時期でしょ。
かつて同性愛者を嫌悪し迫害していた連中はいま差別主義者という扱いを受けて反面教師として扱われるようになっているんだから、いま小児性愛者を嫌悪し迫害している連中もそういう扱いを受けるべきなんだよ。
フォロワーすらあまりいないうちがコロナ不況で明らかになった実態も含めて声を挙げようと思う。
最近のTV含めたメディアは勿論、インタビューなども基本的に受けている人は大半が「友達」ともとれる人がカメラに入ることが多い。
最近はコロナウイルスの恐怖でどうやって家で過ごすかをSNSなどのメディア含めて色々紹介されているが、
テレワークやそれから再人気になったと思われるビデオチャット機能で複数の人と楽しそうにしたりとネットを介した活動が多い。
しかし、これもやはり誰かしら「友達」がいるのが前提で構成されており、使える環境があったとしても
話す相手が(ほぼ)いないひとりぼっちである人にとっては関係のないモノである。 少なくともうちは過酷なので○○の動画無料公開って見たとしても心が癒えることがない
こういった経緯になってのも人によっては仕事などの疲労・精神的な病気・過去のトラウマなど様々な事情があるのは明白である。
しかし、こういった助けを必要としてる人がいるってこともメディアは勿論、影響力が多い人や機関も問題視する事はほぼないのだ。
むしろ、必死で頑張ろうとして生きている人がいるならば「陰キャ」「4ねコミュ障」などといいヘイトとも言える投稿を飛ばすのも多くみられ
ひとりぼっち=悪魔だと不当差別することによりまた差別を呼び、様々な最悪な事態への拍車をかけてるともいえるだろう。
無視され、見捨てられ、揶揄され、迫害され、それが積もった結果 この世に対する様々なものに摩擦が生じ復讐心が生まれるのも無理はない
インスタなどの最近のSNSだと、透明ブロック(フォローしたままだが、いわゆる投稿を特定の人に表示させない機能)もある。
実際にフォロワーも少ないうちも、タイムラインに表示されるからだろうか20代後半に近い美容師に透明ブロックされていた。
これが感情を制御できない酷い人となると、ストレスが爆発して別アカウントでの複数攻撃やストーカーとかも起こってしまうだろう。
ま る で 中 世 と 変 わ っ て な い
日本の犯罪史にもあるような凄惨な傷害・殺人事件が発生するのはその犯人だけが悪いのだろうか?
犯罪は到底擁護できないが、少なくともずっとひとりぼっちであるこっちの身からすれば犯人の人生経緯も非難されるべきとは思わない。
現状を察するに、幸せ(になりたい)と簡単に言えるのは都合の悪いと思った人を簡単に排除する優生思想を持ってる人だと思う。
様々な情勢もそうだが、これが生きてて幸せな国なのか。 なぜこういう見捨てられることから起こる問題はお咎めなし・非難されないのか
今やってる『BNA』、駄作とは思わないが、見ていて複雑な気分になる
劇中の「獣人」てのがなんか露骨に現実の人種民族的な被差別者ポジションで
というパターンは不滅の模様
今の日本の漫画やアニメでは、ファンタジー的なメタファーにしているが
ULTRAMANでも地球にいる宇宙人の多数は善良で社会に溶け込んでる設定
そういうのが存在しないのだとすると
「オタの右傾化」てのもなんか信用できない気がする
あるいはウヨのオタは『BNA』や『亜人』みたいな作品を見ても
「この劇中でいじめられてる主人公は、中国人、朝鮮人に支配される日本人の姿だ」
かつて、1970年代の漫画やアニメのヒーローはむしろそんなんばっかりだった
半分悪魔のデビルマンしかり、すぐ動作不良を起こす人造人間キカイダーしかり
半分ロボット人間のキャシャーンも劇中で守ってる相手の人間に嫌悪されてた
俺はマイノリティ側に自分を投影する非常に古いタイプのオタクなので
逆にウヨのオタは
「なんで異種族が絶対悪者で普通の多数派一般人が正義の作品がないんだ!?」
と強い不満を抱いてたりしないのか?
deepL翻訳
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コロナウイルスに関連した差別や迫害は今や世界的に広がっています。
その状況を具体的かつ広範にまとめたものがある。
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"COVID-19パンデミックに関連する外国人の恐怖と人種差別事件のリスト"
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Google Chromeで、右クリック→日本語に翻訳してくださいと出てきますが、ちょっと訳が荒いですが、誰でも日本語で読めるようになっています。
内容はこんな感じです。
>> フランスでは、2020年1月24日に新型コロナウイルスが確認されてから、アジア人に対する嫌がらせや差別が多発した[41]。中国人、韓国人、日本人、ベトナム人、フィリピン人[42]などのアジア人を狙ったもので、中国人、韓国人、日本人の乗車を拒否するタクシーや電車が登場している[41][43]。
>> フランスの新聞『Le Courrier Picard』は、2020年1月26日に「イエローアラート」という見出しで、マスクをしたアジア人女性をトップページに掲載した。
>> 2020年3月8日、ピエモンテ州トリノ市リヴォリにある日本食レストランが、店主をからかって伝染病のキャリアと呼んだ10代の若者に放火の標的にされた。[191]
上記に限らず、中国の武漢とアフリカ人、日本の中国人と感染者。
アメリカでもエジプトでもアフリカでも世界のどこでも差別は全く存在する。
ある意味ではほぼ平等である。極端な状況下では、敵を作らずに自分たちを維持できる「弱者」も珍しくない。
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しかし、私が言いたいのは "フィランソロピーで優しく生きよう "などという使い古されたフレーズではありません。
異論はありません。世の中から差別や偏見をなくすことができるのであれば、当然それを望む。
しかし、それ以前に私が感じたことは、大きな疑問でした。それは学問的な関心といってもいい。
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中国人は武漢の原住民を差別し、日本人は中国人を差別し、ヨーロッパ人はアジア人を差別する。
なるほど、コロナウイルスの感染拡大を考えると、それなりの理由があるのですね。"見たところ、危険なのはその地域 "ということですね。
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しかし、ここで不思議なことがあります。アジア人、アフリカ人、黄色人種、黒人、彼らは世界中の多くの場所で差別されているのです。
率直に言って、黒人はコロナウイルスとはほとんど関係ないと言ってもいいでしょう。元々の差別意識が表面化しただけです。
これらの民族や地域は平等に差別されている。恐怖心に基づく差別意識だが、間違っているが筋は通っている。
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4月から5月にかけて、欧米で爆発的な広がりを見せたコロナウイルス。
世界の感染者数ランキングでは、米国だけが134万人で、5月10日現在の感染者数4億200万人の4分の1以上を占めている。
2位以降はスペイン、イタリア、イギリス、ロシア、ドイツ、ブラジル、フランスが続き、それぞれ国内の感染者数は10万人を超えている。
ブラジルを除くと、2位から7位まではすべてヨーロッパです。西ヨーロッパ」という言葉があるように、明らかに世界で最も危険なコロナウイルス汚染地域/感染地域であることがわかります。
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しかし。不思議なことに、"世界では白人、欧米人、アメリカ人が差別されている "という話はほとんどありません。
もちろんゼロではありませんが、一つの "白人差別 "を探しているうちに、"アジア人差別"、"黒人差別"、"黄色人種差別 "などが出てきます。
現在世界で拡大しているのは、中国からの第一波ではなく、ヨーロッパからの第二波であり、パンデミックだと言われています。
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これで、「白人」が清く正しく正しいことを続け、コロナ対策に成功してきたことは、まだ理解できる。
1月、2月にはすでにアジア人が "コロナ・コロナ "と称して歩き回っているという話も珍しくなかった。
どう考えても、白人は悪の化身である。それは良いことではありません。
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初期の流行に関わらず、「コロナ感染の温床」がそこに移ってしまった今、白人に嫌われてもおかしくないはずです。
そうでなければ「平等な差別」とは言えない。結果として、それは間違っている。
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ここで理由を考えてみると、結局のところ「対象は種族/元々敵対心を持っていた対象」ということになります。
"移動に制約があり、白人アジア社会はあるが、白人以外の社会はほとんどない "というのが仮説かもしれません。
このあたりを学術的に研究してみるのも面白いのではないでしょうか。
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しかし、歴史的に見ても、「白人」が十字軍と一緒にいろんなところで十字軍をして、それに逆らって全力でやっているのを見てきました。
イギリスのトリリンガル外交が、現在テロが頻発している中東で、黒人やインディアン、黄色人種への差別を繰り返して悪事を働いている状況を作ってしまったのではないかと思います。
だから、ここでは白人を正しく差別しようとするのが正しいのではないでしょうか?
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そんなことを考えていた今日この頃でした。
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現在、世界中でコロナウイルスに関連した差別や迫害が拡大している。
その状況を具体的、かつ広範にまとめたものがある。
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『COVID-19パンデミックに関連した外国人恐怖症と人種差別のインシデントのリスト』
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GoogleChromeであれば、右クリック→日本語に翻訳、で、少し翻訳は荒いが誰でも日本語で読むことができる。
内容はこのようなものだ。
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>>フランスでは新型コロナウイルスが確認された2020年1月24日以降、アジア人に対する嫌がらせや差別が多数発生した[41]。中国人、韓国人、日本人、ベトナム人、フィリピン人などのアジア人に対するもので[42]、中国人、韓国人、日本人などの乗車を拒否するタクシーや電車も登場した[41][43]。
>>フランスの新聞Le Courrier Picardは、2020年1月26日にトップページに「イエローアラート」という見出しでマスクをしたアジア人女性を特集しました。
>>2020年3月8日、ピエモンテ州トリノのリヴォリにある日本食レストランは、飼い主をからかい、流行病の保因者と呼んだ10代の若者による放火の標的にされました。[191]
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上記に限らず、中国では武漢出身者やアフリカ人が、日本では中国人や感染者が。
アメリカ、エジプト、アフリカ、世界中のどこであれ、大なり小なり差別は存在する。
ある意味でこれは平等と言っていいほどだ。極限状況下であり、「弱い」人々が敵を作らなければ自分を保てないのは珍しい話ではない。
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しかし私が言いたいのは、「だから博愛をもって優しく生きよう」などという使い古された文句ではない。
それに異議があるわけではない。この世から差別と偏見を消し去れるのならば、私も当然それを望む。
だが私が感じたのは、それ以前の大きな疑問だった。学術的な関心と言ってもいい。
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中国人は武漢出身者を、日本人は中国人を、ヨーロッパ人はアジア人を差別するという。
なるほど、コロナウイルスの感染拡大の流れなどからも、それには一理ある。「こちらから見たら危ないのは大体その辺り」ということだ。
大ざっぱだが、「弱い」人々なりに考えた結果ではあるのだろう。
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しかしここで、奇妙な点がある。アジア人、アフリカ人、黄色人種に黒人、それらは世界中の多くの場所で差別されている。
率直に言えば、黒人はコロナウイルスとはほとんど関係ないのでとばっちりと言ってもいい。単に元からある差別意識が表面化しただけだ。
これらの民族、地域は平等に差別されている。恐怖感に基づく、間違ってはいるが理屈の通る差別意識だ。
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4月から5月にかけて、コロナウイルスは欧米において爆発的な感染拡大を見せた。
今や世界の感染者数ランキングでは、アメリカが134万人と5月10日現在の総感染者数、402万人のうち4分の1以上を占めてトップを独走している。
2位以降はスペイン、イタリア、イギリス、ロシア、ドイツ、ブラジル、フランスと続き、どれも10万人以上の国内感染者がある。
ブラジルを除けば2位から7位まではすべて欧州だ。『欧米』というくくりは、明らかに世界で最も危険なコロナウイルスの汚染領域・感染地帯である。
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けれども。不思議なことに、「そのため、世界で白人、ヨーロッパ人、アメリカ人は差別されている」という話はほとんどない。
もちろんゼロではないのだろうが、『白人差別』を一つ探している間に『アジア人差別』『黒人差別』『黄色人種差別』が十も二十も見つかる有り様だ。
現在世界で拡大しているのは、中国由来の第一波ではなく、ヨーロッパ由来の第二波のパンデミックだとも言われているにも関わらず、だ。
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これで『白人』が世にも清廉潔白で正しい行いを続け、コロナ対策にも成功しているというのならまだわかる。
欧米メディアも日本の感染対策の不備をあげつらっては批判し、1月、2月には、既に現地でアジア人が歩いていると「Corona Corona」と囃し立てられる、という話が珍しくなかった。
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手洗いをあまりせず、マスクをせず、外出規制を無視して罰金をくらい、アメリカでは外出制限に対し2万人が集合して3密完全達成のデモが起きた。まぁこれらが欧米パンデミックの原因とは限らないし、いくつかは欧米だけの話ではないだろう。
だが、少なくとも欧米は上から目線で物を言える立場にはないはずだ。
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というわけでどう考えても、白人は悪の権化である。ロクなものではない。――と、言い出す人がいても、その方が自然だ。
流行初期はともかく、「コロナ感染の温床」がそちらに移った以上、今度は白人が忌み嫌われてよいはずだ。
でなければ「平等な差別」とは言えない。起きる結果として、間違っている。
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ここでその理由を考えてみれば、やはり「元々敵対意識があった人種・対象がターゲットになる」、
「移動制限もあり、アジア人が多い白人社会はあっても、白人が多くいる非白人社会は少ないから」、という辺りが仮説になるのだろう。
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けれど私は、歴史的に見ても『白人』は十字軍で各地を荒らし回って悪逆非道の限りを尽くし、
イギリスの三枚舌外交が現在のテロが多発する中東情勢を生み出し、黒人、インディアン、黄色人種と差別を繰り返し、と悪事を重ね続けてきたと思う。
なので、ここらで一度、白人を正しく差別してみてもいいのではないだろうか?
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そんなことを思う今日この頃であった。
フェミ系の人が言うキモいは「セクハラしてくる・無神経」くらいのニュアンスな気がするんだけど、迫害されてる非モテの言うキモいは「容姿が悪い・臭い・存在してるだけで害悪」って感じに見える
フェミ系の人が言う「キモいオッサン消えろ!」は「セクハラするな・デリカシーを身につけろ!」で、それを見た非モテの人は「外見が気持ち悪い男は生きる価値がないから死ね!」と受け取る みたいな悲劇的状況があるような
これどっちが悪いんだ
フェミの人が外面を気にして言ってないだけで実際は容姿が悪いこともキモいの要件に入るのか?
それとも非モテを拗らせた男たちが俺たちは何もしてないのにキモいと思われ迫害されるって被害妄想を抱いてるのか?
俺はキモい男だけど、体感としては「キモい」は何もしてなくても言われうる言葉なんだよな 中学のとき、ひとことも口きいたことない後輩女子二人組とすれ違った後後ろから「いまの人キモかった」って声が聞こえて死にたくなったことある
最近は昔ほどオタクは迫害されていないそうだが、私が子供の頃はオタクといえば「暗い」もので、バカにされがちな存在だった。
オタクだった私は何かとからかわれていたが、まあそれなりに日々過ごしていた。
仙台は東北一の都会だが、私の住む市からは遠く、なかなか行けない場所だった。
「仙台のアニメイトに行ってみたい。一番町にあるんだって(今もあるかは知らんが当時はそうだった)」と言った。
「一番町は店いっぱいあって明るい所だから、そんな暗い店はないと思うけど……」
別に馬鹿にするとかそんな様子は全くなく、本気で「何か勘違いしてない?」と思っている顔だった。
それにしても「暗い店」ってどんな店を想像してたのだろう。