はてなキーワード: 誤謬とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1923651
「ラブジョイの法則」に関して「子供のことを考えるな」という意味だと勘違いして見当違いのキレ方をしている人がいたので補足しておきますね。
より具体的に言うと
・討論の中で「子供たちのことを考えろ」と訴えることは、理性の問題を感情の問題にすり替える行為である
・子供の話を持ち出すと論理的な思考、なかんずくモラルをめぐる議論を阻害する効果がある
・子供をこのように幼児扱いし、保護してあげなくてはならない無垢なるものとみなすことは、「純粋さ」という概念への妄執が取る一つの形だ
などが指摘されている。
要するに、子供の話を持ち出すと論理的思考力や知性が低下しやすいので気をつけろってことである。
そこに気を付けた上で、子供のことを水戸黄門の印籠のように言い出さなければ別にいうこと自体は構わないのだ。
まさにその通り。ラブジョイの法則を勘違いしないように気を付けてほしい。
homarara んー? そうは言っても子供の事も考えるべきでは? 「世間が許さない」というのも、単に「自分も許さない」を省略しているだけで、非難する観点としては普通というか、それがダメなら「三方良し」も変だろう。
その通り。子供のことを考えてもいいんですよ。というよりも考えるべきなのです。より丁寧に。
でも実際は子供のことを言い出すととたんに議論が雑になるのは気を付けようね、という話です。
restroom たしかに詭弁かもしれませんが、これを「法則」と言ってしまうのも間違いでしょう。全然法則ではありませんから。
はい。Wikipediaを読めば「ヘレン・ラブジョイ抗弁」、「ヘレン・ラブジョイ症候群」、「子供たちのことを考えろイズム」と書かれてますね。
gwmp0000 「ラブジョイの原則」 シュナムル氏はどうかしてるが ここで批判してる連中は幼児に何見せてもいいと思ってんのかな それもどうかしてる
はい。結局「モラルパニック」が起きたとき、自分の意見を言うのを避けてまず子供を持ち出して自分の感覚を正当化しがちなのもこの法則の通り。
sukekyo “子どもという弱者を盾に自分の要求を押し通そうとする態度はどこに行っても醜く見えるものです”→これだけ出生率の低さが取り沙汰されてるときに子供を出汁にするのなんか手の込んだ皮肉のように思えますわ。
この人はいっつもいうことがふにゃふにゃしてる印象がありますね……。
よくわからないとか関心がないなら黙ってればいいのにこの手の話題だといちいちいっちょかみしたがるのやめない?
はてなの中でも最年長クラスなのだから、年長者としてもう少しまともな発言をしてほしいです。
hatsumoto 嘘の子供を盾にするのは良くないが、いい歳した成人が子供への影響を全く考えないのも問題あるのはわかるよな?
誰もそういうことは言ってない上に藁人形で誰かをたたくという2重の誤謬。
確実に知性が低下していると思います。
ラブジョイの法則という言葉はあなたのような方にこそ必要なのですが
「必要な人ほどその言葉が図星だからこそ否定したがる」という現象にも名前がついてほしいですね。
zheyang 最後の章(見出し)、ブコメの何が悪いのかを説明せずに誹謗してるだけ。匿名なくせに上から目線のあなたがワーストだよ
はい。「説明が不足してる」ならともかく説明してないと主張するのはいかがなものでしょう。
匿名とか上から目線というのもお前の中でな。でしかないし私のほうがまだあなたよりは説明してますし誹謗してませんね。
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801093013
最後の章のどこが説明してるのかイミフすぎてワロタこの法則のとおり!ふにゃふにゃ!言ってないから言ってなァァァァァい!これが説明だと思い込んでるなら生まれつき論理的思考力や知性が欠けてるので感情的に喚くアホと常に同等ってことっすね。感情的になってるのに気づけないアホが他人が感情的になった瞬間だけ発狂するのめちゃくちゃおもしろいなあとはてな最年長みたいなくっさい言い回しするのはインターネットの中でも加齢臭がひどいおじさんにしか見えないからいい加減卒業しようね
んで、上の記事に対するトラバがこれ。上のトラバからわずか20分後。
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801095003
匿名は普通に匿名という事実だと思うんだが、お前の中ではな!ってそうとう頭悪いよな他人に厳しく自分に甘く他人にはさんざん人の話を聞けとか議論やコミュニケーションが大事だとか説教かましまくっといて、ブコメ非公開のブログ書いてるカスを思い出すわ
わずか20分後に増田だけでは絶対に読み取れない文脈を理解してる自分以外の他人が都合よく通りかかるというのは無理があるということすら考えられないらしい。
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801140425
え、私の知ってる特定の誰かだと妄想で決めつけてるの?これ、論理的思考力がある人とはとても思えないんだが…笑結局、反論もなにもないしなw
んで、上に対するトラバがこれ。
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801161720
感情的だよなぁ。常日頃、自分がさんざん他人に言葉のレッテルで圧をかけといて、自分が同じことを見かけたら発狂するみたいな、ダブスタ丸出しのやり口はやめた方がいいよなぁ
わずか2分後にすぐ「常日頃」という感じで、増田だけでは絶対に読み取れない文脈を理解してる自分以外の他人が湧くというのは無理があるということすら考えられないらしい。
https://anond.hatelabo.jp/20220801172212
サラダ油とやらが特定できるなら、常日頃と言われるレベルでおまえも特定されてもおかしくないわな
ま、俺はそんな脇の甘い発言しないしそもそもそのうち一つしか書いてないんだが、マジで糖質を疑うレベルだから病院行ったほうがいいぞ
これはサラダ油さんですね。何度も言うけどごまかすつもりないよね。語彙と論理展開が完全に同一人物なんですよ。
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801172421
1分後
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801172504
ごめん、俺サラダ油なんだけど、どれも書いてないぞ…
1分後
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801172652
いや!俺こそがサラダ油だ!
1分後
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801172959
じゃあ私です!
3分後
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801173248
https://anond.hatelabo.jp/20220801095614
イライラしてて草
さwくwじょwとwうwぼwうw
顔真っ赤すぎるでしょwww
それにしても、どうせこのあと自分が書いたやつ消すのになんでこのセリフを真顔で書けるんだろう。
それとも今回は消さないつもり?
https://anond.hatelabo.jp/20220801174344
17分後。
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801180039
https://anond.hatelabo.jp/20220801184550
いろんなブクマカを殴りまくっといて、 自分を批判するのは一人だけだ! ってめちゃくちゃ論理的思考ですね
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801184635
オーサラダ油
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801184707
サラダ油ぬるぬるで草
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801184922
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801185424
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801185706
これで論理的思考とか言ってるんだから、もはや存在がネタ 偉そうにブクマカに説教たれといて、客観的に見たら完全にアレにしか見えない、って自覚できないとこがすごいよね
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801185508
ttps://anond.hatelabo.jp/20220801200939
なんで削除逃亡したほうの魚拓取らなかったんだ
1つは「本人は一生懸命火をつけてるつもりだけど燃えない」という意味があります。自分が一生懸命騒いでるだけで火が燃え広がらないんですよね
「足して二で割ったような」という言い回しがある
これに対し「足して二で割らない」という亜種の言い回しがされることもある
AとBを足して二で割ったような、と言うときはAとBの両方の要素を併せ持つという意味合いだろう
このとき二で割っているからAとBそれぞれの要素が半分に減っているという数学的連想がなされるのかも
だからこそ足して二で割らないという言い方は、AとBの両方の要素を併せ持つがそれぞれの要素は強く残ったままというのを強調した言い方なのだろう
しかし、足して二で割ろうが割らなかろうが濃度という観点では結局等しいんだよな
足して二で割らないというのは要素の絶対量を重視した言い回しと言える
この前ゆる言語学ラジオで「1の多義性」という話題でトークがされていたのを思い出す
数量としての1と割合の総量としての1の二種類があるという話だった
足して二で割らないという表現は、強調表現として言いたいことはわかるが割合の総量としての1をわかってない言い回しだなと思った
小学生が算数を学ぶとき、割合の総量としての1でつまづきやすいという話もされていた
人間という生物の脳が直感的に判断できる数の認知の限界を感じさせる
書いてから思ったが、足されるものそれぞれの量が同じという前提で考えていた
必ずしもそうではないという気もしてきたな
であれば話が変わってくるか
AとBを足して二で割ったような、というときAとBはだいたい同じレベルのものなのではないか
ドラゴンボールとデスノートを足して二で割ったような漫画という言い方には違和感はそんなにないはず
ドラゴンボールと(なんらかの10週打ち切り漫画)を足して二で割ったような漫画という言い方はあんまりしないか?ちょっとこれは自信無いが
悟空とベジータを足して二で割ったようなキャラは言い回しとして違和感ない
フリーザと戦闘力5のおっさんを足して二で割ったようなキャラは……そういうふうには言わんわな
しかしここで気付く
この言い回しは、足して二で割った結果何かを算出しているのではない
算出されたとされる何かがまずあって、比喩として足して二で割っている
この気づきに何らかのヒントがあるか
おねショタイズム、または、おねショタ主義(おねショタしゅぎ、英: oneshotaism)は、ユウクン・ショタスキーによって主張されたマルクス主義および共産主義革命理論である。
おねショタイズムでは、おねショタとは「年上のお姉さんにショタが性的にイタズラされる」シチュエーションのみを指すとされており、「お姉さんはショタに対して常に優位な立場にあり、お姉さんの側が一方的に主導権を握る関係であること」を前提とする。
おねショタイズムは、「ショタの逆転」や「ショタが仲間を呼ぶ展開」を資本主義経済による堕落が招いた結果であるとして批判する立場を取る。
おねショタイズムにおいては、資本主義社会における誤ったおねショタのイデオロギー的解釈を解明し、その誤謬から解放されることが目指されている。
判断基準は性交の有無だみたいに表現したのは雑だったかもしれない。
つまり18禁漫画はおそらく必ず「挿入」か「射精」か「(特にレズものなら)イくシーン」のいずれかを盛り込んでいる。
18禁漫画はエロでなければならない、エロとして読者が抜くにはそれらがなければ出来ないという二重の固定観念が編集側にあることによるのだと思う。
性器を克明に描写しているところ以外はストーリーなどは一般向けのそれという漫画は成立し得るはずだ。
ヌードデッサンモデルを客体する視点の主たる主人公等がそれを見ることに対して興奮しているような描写、台詞は一切ない。
ただその世界観において是とされる「より性器を美しく見せるにはどうすればいいか」という苦悩を描くうえでさまざまな性器をあらわにした姿勢をとったモデルが要所要所で描かれる。
それに読者が興奮するのは勝手だ。ただしあくまで書き手の目的はエロとは独立したところにあるストーリーを楽しませるところにある。
雑誌にグラビアアイドルを載せる人は、それを抜くのを目的として買っていく人も想定しているかもしれないが、目的自体は射精とは無縁の鑑賞をさせることにあるだろう。
このような漫画は前のブコメにもあった天原の常識改変シリーズに一見通じるところがあるように見えるかもしれないが、天原のそれはメタ的に抜いてもらうことを目的としたうえでの作者に都合のいい世界観の構築を図ったものであり、ストーリーの要請上でキャラに恥じらいなく性器を見せてもらうこととは作者のスタンスが異なっている。
ちなみに天原の作品で私が好きなのは大人のお姉さんに謎ビームを照射してロリに変身させたのち本人の意思に反して髪型を三つ編みにしてカボチャパンツを履かせるというイラストで、これもまた性器の描写はないものの抜き目的で描かれたものであることは明らかだろう。これと同じ題材でも違った目的で描けばまた違ったテイストの作品になるものだと思う。
とにかく一見同じような動機でも、スタンスが異なっていればアウトプットは異なるものであると私は信じている。また、性器の描写をなくしてはもはやストーリーが破綻してしまうような微妙なバランスの上に成り立ち得る作品も実現可能なのだと私は信じている。
ちょっとたとえとして適切ではないかもしれないがでこまん事件で裁判ではわいせつ物と認定されてしまったあの作品にしても、あれは人を欲情させることが主題ではないのにも関わらずそれでいて性器が作品のコンセプトの核になっているわけで、裁判の判決通り性器の型を無くしてしまったら、それは作品やそのコンセプトを成立させる核の一つをなくしてしまうということになるわけで、もはや本来の作品としては成立してしなくなってしまうだろう。
それと同じだ。
こういう例示に対して、所詮漫画は芸術とは異なり多少こだわりに対して手を抜いても読者に全く同じ認識や考えをもたらす作品になる、みたいな理屈も無しに芸術に対して漫画(の媒体としての繊細さ)を軽んじる考え方を私は信じないのである。
ギャグ漫画のように性器の部分に象を描いたり、弓月光のシンデレラエクスプレスのように性器に顔を描くような手法があるが、このような安易かつ強引な一般向けへの適合化を図れば作品の持ち味を壊してしまうような微妙なバランスが有り得るということだ。
かりに、そのどうにもならないはずのことを作者の最大限の工夫で上手い具合にごまかせたとしても、やはり作者が当初想定していたものとは趣が完全に同一とはなり得ないことは確かである。
なので結局作者が想定する通りのそのような漫画は一般向けにおいて居場所がないのである。
一方で18禁漫画の世界でも、性器を描いただけの漫画というのは通用しないのだ。
前述の通り、誰かしらが挿入する/されるか、絶頂するか、射精するようにしろと編集側が制約を課しているかのようだ。俳句における季語のようなものか。
なのでまんこ拓をとって生計を立てる女の気丈なヒューマンドラマなんて企画は通らないわけである。
18禁という場で描きたいなら上記のいずれかの要素を盛り込めと編集者は迫ってくるのだろう。
しかし描きたいのはヒューマンドラマであって、その小道具として今回は性器の描写が必要なのであって、いくら要請があるからといって作品にそれらの要素を盛り込んでは作品の趣というものが自分が想定していたものからどうやっても変質してしまうというということもありえないことはないだろう。
だがそんな意見をしようものなら多分「お前は18禁には向かない」と言われて追放されるのがオチだ。
かくしてこのような漫画を描きたい人はどこにも居場所がない、このような漫画はたとえ構想があっても構想段階で破棄され、日の目を見ることがないということがいえるのだ。
論理的に漫画全体を切り分ければ世の中には4種類の漫画があるといえる。
性器の描写がなく性行為(やそれに関連する前戯や自慰等)がない漫画、性器の描写がなく性行為がある漫画、性器の描写があって性行為がない漫画、性器の描写があって性行為がある漫画の4つだ。
上記でその存在が危ぶまれるとつらつら語ってきたのはすなわち三番目の「性器の描写があって性行為がない漫画(やそれに関連する前戯や自慰等)」のことなのである。
現状は有り得る4種類の漫画のうちの1つの存在を否定するものであり、それだけ本来世に送り出されるはずだった表現の幅を狭めていることになるのだ。
ストーリー重視という点では一般向けが相応しいだろうが、法や倫理上の問題からそこはどうしても難しいところがあると思う。
だから18禁という分野がこのような漫画に居場所を与えるべきだと私は思う。
冒頭で少し触れたことだが、18禁だからエロでなければならないというのは固定観念であり誤謬に過ぎない。
18禁というのはなんらかの事情で一般向けでは公開できない要素が一つでも含まれるような作品全てが当てはまるはずの概念だろう。
性器が克明に描かれている漫画は一般向けとしては出せないという状況は今のところは容易には覆し得ないことなのだから、18禁がその居場所を与えてやるべきなのである。
既存の雑誌はエロを銘打っている雑誌が多いのでそこでの掲載というのは難しいかもしれない。
なので私の提案としては18禁というだけでテーマは問わない新たな雑誌を作れということである。
新たに費用がかかるので難しいところもあるだろうが、それでも法改正よりはよほど簡単なことであり、またこういうときこそ18禁というものの寛大さを見せてほしいものであると思う。
いや貴方がどうって話じゃなくて、私が結構前から抱えている疑問なんだ。
この場を借りて、みんなの前に披露させてくれ。
男性が女性Vtuberと仲がいいと、『チャンネル登録解除』なのに。
女性が女性Vtuberと仲良くしてると『てぇてぇ』になる。どうして?
女性同士だってセックスするし、関係者以外立ち入り禁止の雰囲気になることもある。
可能性の大きさが違うというなら、男性がその女性Vtuber を性対象として見ている、って可能性と、女性がレズビアンの可能性、どっちが大きいってことになってるのか。
一般的には不明瞭だろうし、確率をそのまま特定個人に当てはめるのは、統計的差別という有名な誤謬にあたる。
LGBT をまったく知らない老害ならまだしも、Vtuber のような新興のエンターテイメントには、最新の価値観にアップデートされた若者が寄ってくるはず。
彼ら彼女らが新品のモラルを持ち合わせてるにも関わらず、レズビアンの可能性が考慮されていないのには違和感がある。
私は、何か勘違いをしているだろうか…?
世の中には「いじめる理由があるからいじめる」のではなく、「いじめない理由がないからいじめる」という人種がいることは、もっと広く知られるべき。
普通の人は路傍の石を蹴りに行かない。蹴る理由がないからだ。だがそれをわざわざ蹴りに行く人がいる。蹴らない理由がないからだ。
そしてそんな人種がいることを知らないから、いじめが発生した時、いじめられる側の理由探しが始まる。
いじめない理由がない、つまり被害者側には理由も原因もないのに、何を改めろというのか?
もし「"いじめられない理由"を持っていないのが悪い、"いじめられない理由"を持って自衛すべきだ」と言うのなら、
それは被害者に対して改善要望どころか追加要望を出している訳で、あまりにもマッチョイズムが過ぎるだろう。
無知に訴える論証 (Argument from ignorance)
否定派「大麻を法律で解禁したとして日本の治安が今の状態を保てるとは到底思えない、だから大麻解禁はありえない」
論点先取 (Begging the question)
否定派「大麻が悪なのは、使用者自身が証明している、鏡を見てみろ」
循環論法 (Circular reasoning)
否定派「大麻は悪だ、なぜなら大麻は日本において違法だからだ」
誤った二分法 (False dilemma)
否定派「大麻解禁による未来は既存のジャンキー達が堂々と外で吸い出して治安が悪化するか、ゲートウェイドラッグとしてさらに入り口を広げて薬物犯罪を増やすだけだ」
・そんな二択あってたまるか
単一原因の誤謬 (Fallacy of the single cause)
否定派「殺人を犯したこの男は、過去に大麻を所持していた容疑で逮捕されています、故に大麻は殺人を引き起こします」
・いわずもがな
否定派「大麻等のドラッグで人生を狂わせる、狂わされることは反道徳的だ、故に大麻は全面的に禁止すべきだ」
自然主義的誤謬 (Naturalistic fallacy)
肯定派「大麻はもともと地球に自生している生物だ、野菜、肉を食べるのと同じだ、何も悪くない」
動くゴールポスト (Moving the goalposts)
→否定派「その実験にしようした大麻の品種だけでは?アメリカの研究でしょ、日本人においてもそうだと言える証拠は?サンプル数が少ない、もっと多くのサンプルで実験すれば
科学の不完全性に訴える誤謬 (Science was wrong before)
→否定派「でも結果が覆って危険性が実は高かった可能性もあるよね?だって何百年も天動説が信じられてたけど科学の発展によって覆ったじゃん」
本物のスコットランド人なら (No true Scotsman)
否定派「でも純粋に大麻を解禁したいと願っているだけなら、そんな喧嘩腰で言ってこないよね普通。やっぱ大麻吸いすぎて攻撃的になっちゃってるんじゃない?」
否定派「君大麻解禁派なの?最終学歴どこ?え?高卒?wほらな、大麻解禁派の連中は揃いも揃って低学歴なんだよな、だから誰も相手しねえよ」
井戸に毒を入れる誤謬 (Poisoning the well)
肯定派「スティーブ・ジョブスは素晴らしい人間だ、そしてスティーブ・ジョブスは大麻を吸っていた、俺も吸っている、故に俺も素晴らしい人間だ」
同情論証 (Appeal to pity)
否定派「運転手が大麻を摂取した状態に起きた交通事故で家族を失った遺族のことを何も思わないのか」
肯定派「あのセレブもあのセレブも大麻を吸っている、大麻が悪いモノなわけない」
「大麻吸ってるジャンキー共に品がいいと思うか?あいつらはいつも汚い格好をして所得の大部分をドラッグにつぎ込んでいて貧乏だ、大麻が良いモノなわけない」
年代に訴える論証 (Chronological snobbery)
肯定派「え?未だに大麻は違法とか言ってんの?価値観古すぎでしょおっさん」
「大麻肯定派の大多数が違法なのに毎日ブリってる犯罪者集団だ、そんな連中と議論する意味も価値もないね」
id:ruin20である。自分のIDが出ていたのでいっちょ噛みしておこう。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
元増田が無知なのか無知を装ってるのかは知らんが、アイちゃんが選ばれたのは『たわわ』のシリーズヒロイン、つまりは『月曜日のたわわ』を象徴するヒロインだからだ。
本シリーズは、Twitter上で、「月曜朝の社畜諸兄にたわわをお届けします」と銘打たれて始まった。当初は巨乳少女の水着姿が中心だったが、33回目にアイちゃんが登場する。それまでいいねは1万前後だったがアイちゃんは2回目の登場で2万いいねを稼いだ。作者も(アイちゃんを)「ちょっと気に入った」と述べており、アイちゃんを連続して描くようになる。2回目、あるいは3回目にはぼかしながらも「相手」が登場し、4回目にはスーツ姿の男性らしき人物がアイちゃんの視線の先に現れるようになった。
このように、アイちゃんはシリーズにおいて始めて連続して登場した少女であり、シリーズ飛躍のきっかけになったキャラクターであり、元々はただの巨乳少女を描くだけだった本作に「たわわな女の子と男性」という二者間の関係性を描写するという枠組みを導入したキャラクターなのだ。人気アンケートを取れば当然1位になるだろう。歴史的にもコンテクスト的にも人気的にも『たわわ』の顔であり、だからこそ広告にも登場した。「電車の中で会える女子高生だからアイちゃんがおすすめ」というまとめ方は本質を外していると言わざるをえない。私はここでハンロンの剃刀ということわざを思い出すべきだろうか? 難しいところである。
元増田が無知なのか無知を装ってるのか気になるところは他にもある。
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
上記の根拠として元増田はリスク認知について持ち出している。一定納得するところもあるが、リスク認知が文化的影響を受けるというなら麻薬に対する不安レベルがアメリカより日本の方が高くなるのは明らかにおかしい(当該論文の図4)。レイプの発生件数や発生率はアメリカやイギリスなど先進諸国とくらべて日本が圧倒的に低いと統計的に明らかになっている(※1)が、本邦フェミニストは日本が欧米に遅れた性犯罪大国かのように喧伝する。アメリカに比べて麻薬がまったく社会問題化していない日本の方がそのリスクを感じていたり、レイプ統計を合わせて考えれば実態を伴わないイメージだけで過大にリスクを感じているだけではないのか。
また、元増田はまったく無視しているが、歳を経るごとに『たわわ』に対するイメージが悪化していくのは、若い人ほどオタクに対する偏見やネガティブイメージがなくなっていくからだという点を見逃してはならない。オタクはもともと蔑称であり、宮崎勤事件を頂点に変質者・犯罪者予備軍として社会から差別されてきた。この事件は今40歳であればだいたい10歳ごろにそれを経験している。リスク認知に文化的影響があるというならオタクに対する偏見が社会に満ちていた時代を経験した世代かどうかを無視してはならない。
2010年に行われた調査では10代女性の50.9%は自分がオタクだと回答し、35~39歳の女性は17.6%に過ぎなかった。同調査においてオタクに対するネガティブイメージは10代だと29%だったのに対し、35~39歳は40.5%だった(※2)。自身がオタクである割合が増えればオタクに対するイメージも良化する傾向にある。別の調査元ではあるが、2020年の調査では自分がオタクだと回答した10代女性は86%に増加している(※3)。これらを踏まえれば「40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていない」はむしろ正と言える。
「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
これもありふれた理由付けである。誰かの個別的体験に配慮して表現を規制するのであればあらゆる表現が規制されねばならない。表現規制しろとまでは言ってない、と言うのだろう。しかしこれもいじめではなくからかっただけ、と同じで攻撃者が好むご飯論法だ。
誰かの権利を抑制しようとするとき、そこにはフェアネスが必要だ。オタクや萌え絵を攻撃する連中にはそれがない。
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
元増田は上記ブコメに感銘を受けたようだが、俺に言わせれば萌えフォビアのフェミニストにこそ信頼が置けない。月曜日のたわわ、温泉むすめ、宇崎ちゃん、境ホラ、のうりん、人工知能学会表紙エトセトラエトセトラエトセトラ。連中はいくつものコンテンツを燃やしてきたが、それを批判されると反論するのではなく論点を変えてやり過ごそうとする。たわわも最初は公共の場にふさわしくないという話だったが、日経新聞というブランドでやったことが問題視され、次は「見たくない表現に触れない権利」などというものが持ち出され、どちらも論破されると「日経新聞はUN Womenのアンステレオタイプアライアンスのメンバーだから守るべき」という話にすりかわってそれも論破されると元増田のように「講談社の意図が気になる」みたいのが出てくる。もはやいたちごっこであり、誠実さの欠片もない。広告だったことが問題なのであれば何故たわわ以外のコンテンツを燃やしたのか? 主張の一貫性などどこにもない。たわわのような表現によって性犯罪が増えるという統計的裏付けがあるならまだしも出てきたのがたわわのような表現があると不安になる女性がいるから、とか言うんだから話にならない。
萌えフォビアのフェミニストにフェアネスがないのは、ananSEX特集の駅ナカ広告や宮崎県日向市のCMをスルーしたり擁護したりすることからも指摘できる。これを引き合いに出すと決まって必ず「Whataboutismだ!」などと吹き上がる連中がいるのだが、ここで問題にしているのは社会を背景に表現を批判する者が持つべきフェアネスと一貫性である。萌えフォビアのフェミニストがオタクコンテンツを燃やすとき決まって必ず社会性をまとう。私が気に食わないからという理由で攻撃しても誰もついてこないからだ。だから「公共の場所に性的と感じられるコンテンツを置くべきではない」という論調になるが、それであれば渋谷駅の駅ナカで展開されたananのSEX特集の広告など真っ先に批判されるべきだろう。しかしそれをやってるフェミニストは見たことがない。けっきょく「私」が気に入らないから攻撃しているに過ぎず、それであれば「私はそれが嫌いだから私の見えないところにそれをやれ」と言われた方がよほど誠実に感じる。
フェミニストにフェアネスと一貫性があってもっと信頼感があれば言うことを聞く人も増えるだろう。だが今はその対極にいる。その事実をまっすぐに受け止めた方が良い。
※1:https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_1_3_4_0.html
https://anond.hatelabo.jp/20220417174423
「日経新聞はジャニーズを広告に出すな」というタイトルだが、この増田はもちろん皮肉で書いているだけで「あなたたちが『月曜日のたわわ』広告を批判した基準を適用すれば、ジャニーズを広告に出すなということになる」と言いたいのでしょう。
しかし、そんな増田の皮肉を適切に読み取ることができず、頓珍漢なコメントとそれにスターを付ける読解力のない人が結構おられるようなので紹介しよう。
id:ghosttan 本当にアホだな。ミラーリングしたいなら「ジャニーズJr.のチン○が見れることで有名なジャニーズのぬいぐるみのズボンがチラッと脱げている広告に、日経が『かわいい男の子で世の中を元気に』」と言った場合だろ。
本当にアホなブコメである。増田は「性的だからダメ」との意見をミラーリングしているのではない。一行目に「正確には、出してもいいけど女とセットにしろ」と書いてあることからもわかる。性的搾取などと言って『たわわ広告』批判をした人もいたがこれはその人たちを皮肉ったものではない、あくまで3つのPに関してだ。そして「3つのPを満たしていないから」批判したハフポストに記事の論理を適用すれば、成人男性だけで構成されたTOKIOの広告も批判の対象になり得る。
id:ajakan 「月曜日のたわわ」に等価する女性向け広告を挙げてるんだろう。おつかれ。「金曜日のビンビン」ってキャッチで男子高校生の下半身をやんわり強調させたイラストが新聞広告に出たらアウトやろ?スポーツ紙ならいいよ
一つ目と同じ勘違い。
id:turnriv01 文脈を理解しようとしない奴がまたしても登場。『たわわ』は同人版まで遡ると未成年が成人男性へ媚びる様を読者へ現実であるように誤認させる作品。商業版でも同キャラ同ストーリーで展開しており危険性は明らか
id:roikokun 「A=BゆえにAにしたのと同じことをBにしなければならない、でもそれは困るだろ?」はアンチフェミくんお得意の論法だが、「A=B」に根拠はなく、都合よくでっちあげてるだけ。誤謬であり詭弁でしかない。
増田は多様性やジェンダーステレオタイプの強化といった『たわわ』批判に用いられた用語を用いて批判しているのだが、お気付きにならないようだ。
id:shimajitan この内容でミラーリングした気になっているの、アンチフェミの現状認識の雑さが露呈している/メタ認知って現状認識がしっかりしてないと意味をなさないんですよ
id:iroha2_hohe いつまで論点ずらしし続けるんだろう。支離滅裂にもほどがある。表自のやってることは連中の大好きな若い女性に嫌われる事そのものだと思うぞ
id:hate_flag たわわなおっぱいで癒されたいからって屁理屈が過ぎるよ。君は大人だろう?男だろう?なぜ未成年の女子を守ろうって言えないんだ?
id:cinefuk 『女さんが好きなジャニーズが規制されるとダブルバインドで困る筈w』という、性暴力に親和性あり、ハラスメントの視線しかない戦士たち。性犯罪者ジャニー喜多川への告発を無視し続けたメディア業界の罪は大きいが
どこがダメか説明もせず上から目線。こういう人たちは「現状認識の雑さが露呈している」「女性に嫌われる」「たわわなおっぱいで癒されたいから」などと内容とは関係ない決めつけや人格批判などを繰り返すことしかできない。馬鹿だからである。
id:napsucks whataboutismですなぁ。ちなみに旧ソ連の西側に対する態度からつけられたものらしいぞ。
一定のルールや基準で世の中を動かしていきたいなら、恣意的運用やダブスタはあってはいけないものだがそれが分からないのだ。多分馬鹿の一つ覚えでwhataboutismと言っているのだろう。
・はじめに
優しくていい奴はモテない、とことんモテない。これはいったい何故なのだろうか。いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。これはとんだ誤謬である。
女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。だが現実、彼女たちは普段どんな男を選んでいるだろうか。あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。
まるでそういった所謂「悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体の関係や交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際やセックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ。
ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプの去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要な問題であるのにも関わらずだ。しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである。理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実を直視するところから始めていこうと思う。
・優しい男の悲惨さ
男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男の彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである。
この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子は別に今恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男に男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。男性としての魅力がないから女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないから彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。
そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし、言語道断な悪手である。「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。モテないスパイラルに陥ってしまうのである。
一度女性の言うことや、一般的な常識から抜け出した視点で現実を見てみよう。大学の課題に困っている女の子に課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。筆者は女の子の死にたいラインを一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。
一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。
こういった、一般的な常識や女性の意見と現実との乖離はなぜ起こるのか。これを説明する答えは単純明快だ。女性は本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのである。しかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性が本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。
まず第一に、人間だって動物なのである。どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサルの時代のことを考えてみよう。ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為を交渉していたのだろう。そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。
しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。産むだけであればなりふり構わず性行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。
なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合は遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味で遺伝子を残すのに有利に働く。この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙なバランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子どもの世話役をしていたのではないだろうか。
これが所謂、good genesとgood dadの関係である。良い遺伝子であることと良い親であることは異なるのだ。そして雌は雄の性質を本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである。
この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合は日本では20人に1人程度らしい。これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である。文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。
だがしかし、収入や肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性が結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。そして雄としての力が弱い状態で結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実は残酷だ。
そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。これも群れの繁殖に都合がよいからなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略を女性は本能で取り続けているのだ。実際に言葉で説明できる女性はほとんどいないだろうが、それを感覚で理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである。
・おわりに
優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的に男性としてモテることはない。これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度や女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである。
男が恋愛や結婚といった男女の関係において充実し、人生を幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。
最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性と幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである。