2022-07-22

「足して二で割らない」の誤謬

「足して二で割ったような」という言い回しがある

これに対し「足して二で割らない」という亜種の言い回しがされることもある

微妙ニュアンスの違いが興味深い

AとBを足して二で割ったような、と言うときはAとBの両方の要素を併せ持つという意味合いだろう

このとき二で割っているからAとBそれぞれの要素が半分に減っているという数学連想がなされるのかも

からこそ足して二で割らないという言い方は、AとBの両方の要素を併せ持つがそれぞれの要素は強く残ったままというのを強調した言い方なのだろう

しかし、足して二で割ろうが割らなかろうが濃度という観点では結局等しいんだよな

足して二で割らないというのは要素の絶対量を重視した言い回しと言える

この前ゆる言語学ラジオで「1の多義性」という話題トークがされていたのを思い出す

数量としての1と割合の総量としての1の二種類があるという話だった

足して二で割らないという表現は、強調表現として言いたいことはわかるが割合の総量としての1をわかってない言い回しだなと思った

小学生算数を学ぶとき割合の総量としての1でつまづきやすいという話もされていた

人間という生物の脳が直感的に判断できる数の認知限界を感じさせる

書いてから思ったが、足されるものそれぞれの量が同じという前提で考えていた

必ずしもそうではないという気もしてきたな

であれば話が変わってくるか

AとBを足して二で割ったような、というときAとBはだいたい同じレベルのものなのではないか

ドラゴンボールデスノートを足して二で割ったような漫画という言い方には違和感はそんなにないはず

ドラゴンボールと(なんらかの10打ち切り漫画)を足して二で割ったような漫画という言い方はあんまりしないかちょっとこれは自信無いが

悟空ベジータを足して二で割ったようなキャラ言い回しとして違和感ない

フリーザ戦闘力5のおっさんを足して二で割ったようなキャラは……そういうふうには言わんわな

しかしここで気付く

この言い回しは、足して二で割った結果何かを算出しているのではない

算出されたとされる何かがまずあって、比喩として足して二で割っている

この気づきに何らかのヒントがあるか

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