世の中には「いじめる理由があるからいじめる」のではなく、「いじめない理由がないからいじめる」という人種がいることは、もっと広く知られるべき。
普通の人は路傍の石を蹴りに行かない。蹴る理由がないからだ。だがそれをわざわざ蹴りに行く人がいる。蹴らない理由がないからだ。
そしてそんな人種がいることを知らないから、いじめが発生した時、いじめられる側の理由探しが始まる。
いじめない理由がない、つまり被害者側には理由も原因もないのに、何を改めろというのか?
もし「"いじめられない理由"を持っていないのが悪い、"いじめられない理由"を持って自衛すべきだ」と言うのなら、
それは被害者に対して改善要望どころか追加要望を出している訳で、あまりにもマッチョイズムが過ぎるだろう。