はてなキーワード: 治安維持とは
それ、どう解釈しても第1項と第2/3項が矛盾してると思うが。
「国権の発動たる戦争」に「国際紛争を解決する手段」としては用いることができない「陸海空軍その他の戦力」とは、なんなのだ。
国内治安維持専用の軍隊か? なら別に軍隊でなくてもいいわけだし、「自国の領土、領海、領空を防衛することにしか使わない」としても、軍隊であることには変わらんぞ?
一応、現状の憲法解釈でも「自国防衛にしか使わない自衛隊は軍隊ではないし憲法違反ではない」わけだし。
昨日さいたまスーパーアリーナで開催されたももクリ2014に参加した。
今回は初めてアリーナ立ち見席という席が用意された。
これはアリーナ内にライブハウスのような空間をつくろうという意図でつくられたもののようだ。(価格は通常の座席と同じ)
結論から言うと、これはひどい取り組みだったと思う。いくつかの悪い点を挙げる。
・アリーナ立ち見席はアリーナの最も後方にあり、高低差がないため、まずメインステージが見えない。(これは通常のアリーナ席でも同様であり、立ち見席特有の問題ではないので問題点ではないかもしれない)
・人口密度がひどい。ほぼ動くスペースがないのにスタッフに空間がないのであと一歩前に詰めるよう何度も言われる。この時点で女性や子供は何も見えない(女性・子供専用空間はあったがカップルが入れたのかどうかはわからない。少なくともそれらの説明が皆無だった)
・立ち見席内の治安が悪い。これは座席の境界がないため、講演中に各自の空間争いが始まる。サイリウムを振るスペースもないので、周囲に配慮した人は自分の前で小さく振るだけだが、脳がお子様な人たちが通常席と同じノリで振るので前の人の頭に当たりまくる。私は2つ後ろの席の人から何度も公演中にサイリウムで殴られた
・スタッフが立ち見席内の治安維持をしないのでやったもの勝ちになる。またはいざこざが発生する。周辺でも一触即発のケンカが発生しそうになっていた
・結果としてトイレに行けない(行きづらい)。立ち見席内の治安が悪いのでトイレに行きたくても、周辺の人が信用できないので「トイレに行くのでこのスペースを確保してもらっていいですか?」など決して言えない。絶対にスペースは奪われると思う。
・にもかかわらず4時半(ほんとはもっと前)から並び、講演が終わったのが10時半頃だったのであのスペースにいた人は6時間経ちっぱなしである。拷問であった
私は隣にいた周辺を顧みないでサイリウムを振り回す高校生との境界線争いと6時間の立ちっぱなしによる疲れで最後の方は全く集中できなかった。私と一緒にいた妻(身長162cmなので女性では決して低くない)は4時間の公演中、3つある巨大モニターすらどれ一つも見えずただ音だけを聞くだけで最後の方は早く終わってほしいと思っていたと言っていた。帰り道でこんなことならライブビューイングにすればよかったねと話をした。
ライブとはそういうものという声があるだろう。ライブハウスなら当然だと。でも、私はライブハウスには行ったことがないし、これまでのももクロのライブはこんな治安の悪さはなかった。夏の桃神祭では冷えピタを周辺の席に配る優しいおじさんがいたし、ももクリ2013のときは押し色がゴンドラで近づいてきたら少し内側にいる押し色モノノフの子に変わってあげるといった優しいファンもいた。
通常のライブでもずっと立ちっぱなしだし、立ち見席なんて変わらないんじゃない?と思う人がいるかもしれない。でも、席が確保されていない・トイレに行けない不安感は半端ないし、周辺のモノノフと一緒に楽しみたかった私にとっては戦場のような立ち見席エリアは終止不快であった。私はモノノフ間でケンカをしたくない。
これについては俺は反論できない。
アフィリエイト目的か、役立つと思ってのアフィリエイトリンクかの線引きが難しいのも、
「訪問者にとってどうなの?」ってところだと思う。
問題は、ブロガーが「有益」と決めつけて、擁護する信者様が人目のつく舞台に上げてしまっているってこと。
もう一つは、それを踏まえて貴方の言うはてなブックマークの話。
URLやキーワードを使ったフィルタリング機能を各ユーザーに実装してはどうかと。
アルゴリズム変更するのと、どちらが難しいかという話になるし、運営の負担が増えてしまうことになると思うんだけど、
フィルタリングで得られる効果は、はてなにも効果があると俺は思う。
「各ユーザーの有益(ホワイトリスト)、無益(ブラックリスト)の情報が収集できる」
「はてなユーザーは、「どんな情報が欲しくて、どんな情報が要らないか」が、データとして蓄積される。」
結果、そのデータに則したアルゴリズムやカテゴリー区分を検討するだけで済むと俺は思う。
「特殊部隊オタではまったくないんだが、しかし自分の特殊部隊オタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない特殊部隊の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、特殊部隊ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、特殊部隊のことを紹介するために
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に特殊部隊を布教するのではなく
あくまで「入口」なので、理解に過大な負担を伴う発展途上国の特殊部隊は避けたい。
あと、いくら特殊部隊的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
特殊部隊知識はいわゆる「GIジェーン」的なものを除けば、ネオ麦茶事件程度は知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「グリーンベレー以前」を濃縮しきっていて、「グリーンベレー以後」を決定づけたという点では
ただ、ここでベトナム戦争トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な部隊について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな特殊部隊(そうオタクが思い込んでいるだけ。
実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、
それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「特殊部隊オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の第二次大戦オタクが持ってる北アフリカ戦線への憧憬と、その後の対テロ作戦のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも軍隊系特殊部隊的な
「Special Air Service」を体現してない部隊名
の二つをはじめとして、特殊部隊オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「スペツナズナイフだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の部隊がソ連崩壊後も続いていること、スペツナズナイフが日本では大人気になったこと、
浦沢直樹 のパイナップルARMYにもでてきて、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり特殊部隊は治安維持のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「銃器対策部隊」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この特殊部隊にかける日本警察の思いが好きだから。
断腸の思いで増やして300人、っていう人員が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「増やす」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
人員の多さを俺自身は冗長とは思わないし、もう増やせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
アメリカだったらきっちり足りずに増やしまくってるだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけてきっちり300人にしてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ日本警察がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。部隊が行った作戦自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ミュンヘンオリンピックより前の段階で、ドイツ赤軍とかテロ対策部隊の必要性とかは頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの部隊が海外でハイジャック事件を解決したんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく同じ敗戦国としては不思議に誇らしいし、
いわゆる東西統一後でしかドイツを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
陸自の「資格」あるいは「部隊づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「即応性を高めた精鋭部隊」的な感覚が特殊部隊オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ日本版『レンジャー』はアメリカのレンジャー部隊の模倣以外ではあり得なかったとも思う。
「レンジャー資格者の数がより多い部隊」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はレンジャーき章を有する者にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
非人道的なアンチ・マテリアル・ライフルを犯人に使用して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9部隊まではあっさり決まったんだけど10部隊目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にUSSOCOMを選んだ。
グリーンベレーから始まってUSSOCOMで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、 1987年以降の陸・海・空、三軍が統一された
特殊部時代でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい部隊がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10部隊はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
http://www.asahi.com/articles/OSK201312120077.html
で、やっぱりその主旨に賛同する人が出てくるのだけど
長期的に考えて、貧しい家庭の子が貧しい親の面倒を見る社会って本当に成り立つのだろうか?甘えるなと言ってる人の方が、貧困家庭の子ども達に甘えた期待をしてるだけじゃないのかな。
だって、親からの経済支援無しで大学卒業〜学費の返済だけでも不公平感があるのに、さらにその先も親が死ぬまで経済的な負担が続くことがわかっていたら、もう努力して真っ当に働く人間になろうだなんて思わないよ。
貧しい家庭に産まれた子ども達がインセンティブを失って「努力なんてしても無駄だから、将来は生活保護を貰って暮らしまーす」という戦略を取った場合、結局は全体的な負担が増えることになるんじゃないの?
貧困が連鎖する社会なんて充分な社会保障がないと治安が悪化(治安維持も大きなコスト増だね)するし、その他の人達まで損するだけだと思うので勘弁して欲しい。
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
僕の観測範囲では、評価以前に話題になっていない。
僕もホワイトハウスダウンを見た後、パシフィックリムの次の上映待ちでちょうどいい時間じゃなければ多分見なかった。一生。
端的に言えば面白い。
しかし、おそらく日本人以外では楽しめないのではないか。これをアメリカが一生懸命作ってくれたおかげで、僕はパシフィックリムの上映開始までを無為に過ごさずにすんだ。ありがとうございます。
以下、ネタバレ。
終戦後、マッカーサーを元帥とする占領軍(進駐軍)が日本にやってきました。
つまり占領地の委託経営を請け負った状況です。うまく日本を復興させれば、それを手土産に大統領選に出馬、ホワイトハウスへの道が開ける。
つまり、戦争を起こした責任者を片っ端から縛り首にしてしまう。
東条英機をはじめとするお偉いさん方が刑場の露に消えたのは事実。その当たりは邦画『プライド』を見て貰えば。
さて、政治家についてはそれで良し。
ところが日本には首相とは違う大物がいる。つまり昭和天皇である。
・
話はそれるが、アメリカは野蛮な国である。それは現代も変わらず、『悪者』(或いは異分子)がいればみんなでリンチを加えて殺したりする。日本でもそんなのはあるけどね。
そして、大半の国民には学がない。
・
閑話休題。
本国からは、昭和天皇を戦争責任者として処刑せよ、そんな突き上げを食らうわけだが、それをやるのは日本統治のために非常に厳しい。
②国内には大量の、数百万規模の“元軍人”がいた。(不穏分子)
③終戦後、国民に食料は行き渡らず、また、失業者も多かった。(経済的停滞)
普通、これだけ揃えて、天皇を処刑すれば、火薬に火を付けることになる。
どっかのフィクサーが兵士崩れを雇って私兵隊に仕立てれば、再び戦争状態にもなるし、暗殺等のテロルも横行するだろう。なにせ、必要があれば死ぬように教育を受けた連中だ。
それに十分な大義名分を向こうに渡すことになる。
結果、治安維持に大量の兵士を必要とし、再び国土を焦土に変えなければならないかもしれない。食料の供給や経済の発展は大きく阻害され、マッカーサーは責任をとって辞職。
・
なんなら直接行ってぶん殴ってやろうぐらいにしか考えない。正義が当然勝ったのだ、くらいのもんだ。
さて、ここでようやく話が始まる。
・
マッカーサーは部下に命じる。
・
こうして主人公の准将は、焼け野原をかけずり回ってその証拠を探すのです。
てのがあらすじ。
・
正義とか悪とかの話ではなくて、ケジメの付け方、落としどころの話。
九割方フィクションだとしても、まあ今の時期に見るのはいいのかもしれない。
ちなみに、主人公に付けられた通訳兼ドライバーがミスター・タカハシなる人物だったので、その後にプロレスの暴露本とか書くのかもしれない、と思いながら見てた。
「国籍だけを重視する」なんて別に言ってないでしょう。それぞれのパラメータについて、開示のコストとメリットを比較するだけ。
出身地のほうがよほど影響が大きいのでは?
出身地の開示を強要し、またいちいちそれを確認するコスト>出身地を知る利益
さて、通名については、わざわざ特別なルールを用意して外国人のみ同一性の隠蔽を可能にしている。これの日本・日本人にとってのメリットは何?
そんな曖昧なものを制度化することはできない。それに、制度化はされていないが、これらは普通に現場での判定においては十分考慮に加えられているよ。
奇抜な格好をしている人間や挙動不審な人物に対する評価は何かそれを覆すものがない限り厳しくなるし、入国管理や治安維持機関による検査も厳しくなる。
最初に言っとくと、オレは山本太郎とか渡邉美樹とかが参議院議員になるのは間違ってると思うし、
自民党に投票して渡邉美樹を落とせないことは制度がオカシイと思ってるし、
でもなんか、公職選挙法違反の可能性ってニュースにブコメがついてる「きっちり取り締まれよ」とか「当然取り締まるんだろうな」みたいなのは、叩き方が間違ってる気がする。
例えば、街頭演説は20時まで、選挙活動曜ビラは新聞折込その他選挙事務所・演説会・街頭演説の場でしか配れないの合わせ技で、駅前で22時過ぎてビラ配ってたから公職選挙法違反だ、だから当選取り消せ!みたいなのは、なんか違う気がする。
正直さ、それってそんなに重大なことなのか?
いや、法律は法律、どんなに世の中と合ってなくてもルールを守るのは重要で、しかも参議院議員になろうとする奴がルールを調べてきっちり守れないのはどうかしてるというのは判る。
オレも正直、立法府の構成員が法律守れないとかどんなギャクだよ、フザケンナとは思う。
でも、それとは別に今回の「公選法違反だから取り締まれ」っていうのは、叩きたいからルール探して、見つけて大喜びみたいな、なんか違う感じがしてる。
オレは、2chに「小女子を焼く」みたいな書き込みをして逮捕されるのは、間違ってると思う。
迂闊な行動で重大な刑罰を与えるのが良くないって話じゃなくて、なんか釣り合ってない気がしている。
例えば、蒲焼盗んで追っかけてきた従業員車で振り切って逃げたオバサン捕まったけど、アレはしっかり強盗で実刑で良いと思う。
強盗致傷(事後強盗?)を軽く扱えば、治安維持に悪影響があると思ってるから。
でも、馬鹿な学生が馬鹿な書込して人生狂う、みたいなのは、やっぱ間違ってる気がする。
前科持ちの高卒無職が犯罪者予備軍とは言わないけど、警官にすげえ怒られた大卒中小企業リーマンとは、世の中への貢献度合いが違うんじゃないかと思うから。
それと同じように、公職選挙法違反でも、厳しい違反と軽微な違反ってのはやっぱあるんじゃないのか。
もちろん立場として、立法府に籍をおくなら聖人君子とまでは言わんでも現状いかなる法律違反もすべきでないというのなら判る。
たとえ赤信号を無視しても当然辞職すべきだという意見の人が居ても良いと思ってる。(本来はそれぐらいの気概で臨んで欲しいとオレも思ってる)
でも、今のブコメのやつは、揚げ足取りに見えて、正直逆効果なんじゃないのかな、とも思う。
漠然と「なんか重箱の隅をつつくように叩いてる気持ちの悪いのがネットに居る、ということは、つまり正義だ!」とか言わせないようにしたい。
うまくいえないけど。
まあ、たぶん公選法違反で捕まるのはいつものようにポスター破った奴とか票を金で買ったとかハガキ集めて別人が投票して回ったとか、そんなのになるとは思うけど。後はみんな警告だろ。
手足がなかったり体の一部が畸形だったり火傷をしていたり障害の内容は様々。
大抵歌を歌ったり音楽を演奏したり芸をしたりして注目を引いている。
芸達者であるほどあるいは障害の程度が大きいほど憐みを呼び施しを多く得られる。
田舎でまじめに働くより都会で乞食をやった方がもうかるので、都会に出て乞食をする。
わざと子供に傷害を負わせる親もいる。
親が傷害を負わせなくてもやくざに売り払われた結果不具者にさせられて乞食にさせられる子供もいる。
健常者で一応は職(それに準じる社会的役割)を持っている人たちに「自分が今持っている幸せ」に気づかせ
「優越感」を抱かせ「自負心」を回復させ、「生きる希望」を持たせるという役割だ。
人は他人との比較の中で幸不幸を自覚することが多く、とかく今自分が得ている幸せのありがたみには鈍感になりがちだ。
それぞれが悩みや不満を抱えている。
給料が少ない、生活が苦しい、容姿が悪い、恋人ができない、子供ができない、友達がいない、学歴がない・・・・
悩みを抱えていると幸せそうにしている人たちが恨めしく思えて来る。
手足がなかったり知能が遅れていたり、半身不随だったり目が見えなかったり。
健常者であっても能力がなく見世物になって他人に施しを乞うことしか生計を得る手段がない。
そんな人間と比べれば自分は五体満足で健康だし一応職があって自分で収入を得ているし、まだ恵まれている。まだ人として勝っている。
この人たちよりは恵まれた立場、人として勝っている立場を得ているのだから、やけになってそれをみすみす手放すのはもったいない。
健康でよかった。職にありつけていてよかった。今日を生きよう。
乞食は「社会の鎮静剤」であり、彼らが受ける施しは、大衆の日々のフラストレーションが社会に向けて噴出する前にそれを優越感と蔑みに転化させた功労に対する報酬なのだ。
「誰でもよかった」系の無差別大量殺人のうち、乞食が中国並みに日常的に見られるという条件下だったならば、発生しなかったものも相当数あると思う。
治安維持に貢献する。
弱者であることを盾に権利を主張する人たちは中国の街中で障害をアピールして芸をして物乞いする人たちと本質的に差はない。
彼らのような存在を苦々しく思うと言う人も多いが、実際は社会で必要とされている存在であり、
一種の職業として認めたらよい。
2つの現象が混じっているので、分けて考える。一つは大幅な円安が経済に与える影響であり、もう一つはその大幅な円安が短期間で急激に起きる場合の影響である。
後者の、急激に為替が動けばその急激な変化自体が経済に悪影響を与えるのは当然であり、それは避けられない。でも、現在の債務程度ならまだまだ、速度は緩やかな円安・国債金利上昇に抑えられる。
そこで前者の円安の影響を考える。緩やかだけど、そのかわり何年も続けて円安になり、最終的には大幅な円安が進行した場合は問題か?というと、大した問題はない(困る人も得する人もでるが、日本全体トータルで考えれば問題はない)。
輸入は日本円を使ってはほとんど行なっておらず(ドルで支払う)、また今は日本円を使っている輸入企業であってもドルを使って支払うようにすることは出来る。相手国企業も、円のようなマイナー通貨よりは基軸通貨ドルの方を好むだろう。
そうなると、問題なのはどうやってドルを獲得するか。そして、基本的にドルは輸出によって稼ぐことになる。為替市場でドルを調達できるじゃないか、と思うかも知れないし、個別企業単位ではその通りだが、海外の銀行や企業は円を持っていても
あまり使い道がないので、受け取った円を別の銀行や企業に渡してドルに変えようとする。結局、円を受け取って意味がある日本の銀行や企業に円が帰ってくるまでそれは続くので、国全体で見れば為替市場でドルを調達することは長期的には難しい。
結局、為替市場というのは輸出企業が稼いだ円を、輸入企業に渡すときの価格付けをしているだけで、為替市場からドルが好きなだけ湧き出てくるものではない。
さて、輸入のために必要なドルは輸出によって稼ぐことになるが、円安になったらその輸出が困難になって得られるドルの量は減るか?というと、一般的にノー。円安になれば輸出は増えるので外貨を獲得しやすい。つまりは輸入もしやすい。
つまり、円安によって輸入がストップすることはなく、石油、食料品などが一気に枯渇することもなく、経済が破壊されることもない。
失業率は政府の手に負えない状況になり、飢饉・暴動などが多発する。
上述の部分が間違っているので、当然ながらそこから導いた部分のような部分も起きない間違いとなる。
「人生の目的」 について思いを巡らせてみました。人生の目的ってなんでしょう? あるいは生き甲斐とは?という命題でもいいかもしれません。以下、思考ゲームみたいなもので役には立ちませんのであしからず。
さて。「人生」の目的ってなんだろうと考えたとき、僕はいったん「人」 を横によけて「生」について考えます。生命にとっての生きることの目的です。
哺乳類も鳥もゾウリムシでもウイルスでも、生物全般に当てはめられる「生きることの目的」とはなんでしょうか。その答えを探すと、「種が存在し続けること」 ではないかと思います。言い換えれば、種が絶滅しないことです。最初は「種の繁栄」が目的かと思いましたが、必ずしもそうとは限らないようです。人間以外の生物を見ると、無闇に生存圏を拡大したりはしませんし、繁殖に対して自ら規制をかけて間引きする生物もいます。そこから考えると、生物というのは過度な種の繁栄・拡大は望んでおらず、あくまで絶滅しないように継続して存続し続けられることを目的にしているのではないかと思います。
存続の基盤は「個」ではなく、「種」だと思います。個体が死を避ける仕組みは生物の本能に組み込まれていますが(例えば痛覚は死を防ぐための機能)、種の存続はしばしば個体の生存より優先度の高い本能として存在しているようです。自ら海に飛び込んで生産調整するレミングや、巣を守るために命をかけて戦う(針を刺すと死んでしまう)ハチとか。
ここまでをまとめると 、「生の目的とは種を存続させること」ということになります。では、人の生の目的とはなんでしょうか?
順当にいけば「人という種を存続させること」になるのかもしれません。では、人類を存続させるとは、具体的にどんなことでしょうか。例えば、食糧を生産することは種の存続にとって有効な行為ですし、子供を産み育てることも重要なことです。一人一人が「自分の人生の目的」を考えたとき、今挙げたような食糧生産や育児に目的や意義、あるいは生き甲斐を感じるのはごく自然なことなのだと思います。
しかし、人生の目的はこれだけにとどまらないでしょう。人類が存続するという観点に合致する行為はほかにもたくさんあると思います。例えば、人類は自らの存続のために環境を変えていく技術を身につけましたが、その点でいけば、土地を人類が住みやすいように開拓する、建物を作る、環境開発の研究をする、といったことも人類の存続に役立つことだといえます。また、人間社会を運営する政治活動も、治安維持も、存続のためには重要なことです。あらゆる技術、文明の進化を支えるのも人類の存続性を高めることにつながります。さらにいえば、娯楽を提供したり音楽や絵画を作ることも、「今の人類が人類らしく存続する」という点で大切なことではないでしょうか。
こうして考えると、おおむねほとんどの仕事が、人生の目的になり得ると思います。具体的な行為はいろいろあれど、人類への貢献こそが人生の意味だといってもいいのではないでしょうか?
遠回りしてきましたがそろそろ結論です。「貢献」、これが僕の考える人生の目的です。仕事の話をしましたが、仕事をまっとうすることだけが「貢献」ではありません。もっとミニマムなことをいえば、誰かに貢献する行為のすべてが、まわりまわって人類の存続に役立つのだと思います。誰かを楽しませる、誰かに役立つ情報を提供する、小さな親切をする、こうしたことが相手の存続性を高め、みんながみんなに貢献することで、人類は存続性を高めていくのだと思っています。
「誰かに貢献することが、人生においての目的」、いろいろとこねくり回したわりに結論はごく当たり前です。
しかし、思考の末にたどり着いたことで、この結論は僕にとっては極めて整合性の高い「人生の目的」になっています。つまりは、しっくりきます。
なるべく誰かに貢献できる人生を送りたいな。と、そう思っている僕です。