「人生の目的」 について思いを巡らせてみました。人生の目的ってなんでしょう? あるいは生き甲斐とは?という命題でもいいかもしれません。以下、思考ゲームみたいなもので役には立ちませんのであしからず。
さて。「人生」の目的ってなんだろうと考えたとき、僕はいったん「人」 を横によけて「生」について考えます。生命にとっての生きることの目的です。
哺乳類も鳥もゾウリムシでもウイルスでも、生物全般に当てはめられる「生きることの目的」とはなんでしょうか。その答えを探すと、「種が存在し続けること」 ではないかと思います。言い換えれば、種が絶滅しないことです。最初は「種の繁栄」が目的かと思いましたが、必ずしもそうとは限らないようです。人間以外の生物を見ると、無闇に生存圏を拡大したりはしませんし、繁殖に対して自ら規制をかけて間引きする生物もいます。そこから考えると、生物というのは過度な種の繁栄・拡大は望んでおらず、あくまで絶滅しないように継続して存続し続けられることを目的にしているのではないかと思います。
存続の基盤は「個」ではなく、「種」だと思います。個体が死を避ける仕組みは生物の本能に組み込まれていますが(例えば痛覚は死を防ぐための機能)、種の存続はしばしば個体の生存より優先度の高い本能として存在しているようです。自ら海に飛び込んで生産調整するレミングや、巣を守るために命をかけて戦う(針を刺すと死んでしまう)ハチとか。
ここまでをまとめると 、「生の目的とは種を存続させること」ということになります。では、人の生の目的とはなんでしょうか?
順当にいけば「人という種を存続させること」になるのかもしれません。では、人類を存続させるとは、具体的にどんなことでしょうか。例えば、食糧を生産することは種の存続にとって有効な行為ですし、子供を産み育てることも重要なことです。一人一人が「自分の人生の目的」を考えたとき、今挙げたような食糧生産や育児に目的や意義、あるいは生き甲斐を感じるのはごく自然なことなのだと思います。
しかし、人生の目的はこれだけにとどまらないでしょう。人類が存続するという観点に合致する行為はほかにもたくさんあると思います。例えば、人類は自らの存続のために環境を変えていく技術を身につけましたが、その点でいけば、土地を人類が住みやすいように開拓する、建物を作る、環境開発の研究をする、といったことも人類の存続に役立つことだといえます。また、人間社会を運営する政治活動も、治安維持も、存続のためには重要なことです。あらゆる技術、文明の進化を支えるのも人類の存続性を高めることにつながります。さらにいえば、娯楽を提供したり音楽や絵画を作ることも、「今の人類が人類らしく存続する」という点で大切なことではないでしょうか。
こうして考えると、おおむねほとんどの仕事が、人生の目的になり得ると思います。具体的な行為はいろいろあれど、人類への貢献こそが人生の意味だといってもいいのではないでしょうか?
遠回りしてきましたがそろそろ結論です。「貢献」、これが僕の考える人生の目的です。仕事の話をしましたが、仕事をまっとうすることだけが「貢献」ではありません。もっとミニマムなことをいえば、誰かに貢献する行為のすべてが、まわりまわって人類の存続に役立つのだと思います。誰かを楽しませる、誰かに役立つ情報を提供する、小さな親切をする、こうしたことが相手の存続性を高め、みんながみんなに貢献することで、人類は存続性を高めていくのだと思っています。
「誰かに貢献することが、人生においての目的」、いろいろとこねくり回したわりに結論はごく当たり前です。
しかし、思考の末にたどり着いたことで、この結論は僕にとっては極めて整合性の高い「人生の目的」になっています。つまりは、しっくりきます。
なるべく誰かに貢献できる人生を送りたいな。と、そう思っている僕です。
有象無象が必死なのかわからん。