はてなキーワード: 意不とは
なんかラブライブについてこんなに熱く語れるなんてちょっと嬉しいなぁ~
あ、まず先に謝るのがラブライブ以外のコンテンツで声優さんたちが頑張ってないみたいに受け取られたならごめんねってこと。
アイマスだけでなくWUGでもアイカツでも、担当する声優さんたちは相当頑張っていると思うよ。俺ら一般市民なんかとは比べ物にならないくらいにね。
だけどライブライブの担当声優さんたちが違うのは、業界としては珍しくいろいろな分野から人材が集められたってことなんだって思うんだ。
んで、そこにいた人たちが他のメンバーに負ける部分をよしとしなかったってこと。
俺も内情知ってるわけじゃないから想像でしかないけど、歌がうまいけどダンスが下手な人と、ダンスが下手だけと歌がうまい人がいたとしたら、普通は勝手に自分の得意なところと苦手なところでいい加減に諦めつけて「まあ自分が苦手な分野はここまででいいかな」って感じになるじゃん?
でも少なくとも3rdくらいまでのμ'sのライブではそういう「苦手だから」ってのを言い訳にしないで、上手い人に少しでも近づこうっていう気持ちだけでそれぞれが頑張ってきたっていうのが伝わるんだよね。
だから結果的にライブでのパフォーマンスでやっぱり上手い人と下手な人の差ができちゃったとしてもどっか許せるというか、そこから愛が深まるというか。
そういう感覚自体がおそらく声優が表舞台に立つっていうイベント方式においては初めてのことだったんじゃないかと思う。
アイマスを悪く言うつもりは全くないのだけど、声優畑出身者だけでユニットを組んでしまうとどうしても「ダンスは下手でもしょうがない」みたいな得意不得意の分野が同じ人だけになってしまうのでそのあたりが「声優イベント」という枠組みから抜けることができない内輪受け的なクオリティになってしまうのは仕方がないことだと思う。
そんじゃμ'sと同じコンセプトであらかじめ違うジャンルから集めたユニットならどうかって話になるんだけど、それは既にμ'sである程度「努力をしても追いつけない壁がある」みたいな認識を世間的に持ってもらえているという甘えがある分、本当に「ダンスがうまいけど演技が下手」「演技ができるけど歌が下手」みたいな人が本気でユニット全体のレベルを高めようという意識につながっていかないんじゃないかなって気がするわけ。
頑張ってないとは言わないけどね、先にμ'sの成功があると「このくらいの下手さは許容されるはず」みたいな気持ちは絶対に出てくるわけよ。
長くなったけど、ラブライブとμ'sが商業的に成功したのはお仕着せのマニュアルじゃなくて、それまでなかった方法をあえてとった戦略と、それをあえて受け入れて最大のベストを尽くしたキャストさんの精神力にあると思うわけ。
ラブライブの声優を担当した9人全員は、本当に運命的に集まったとしか言いようがないくらいに相乗効果のある人達だったと思っているよ。
元増田、安心しろ、お前は馬鹿だとみんな思っている。理解されている。
理解してもらえないと思っていることが、お前のコミュニケーション能力の低さを露呈している。
お前の頭のよさは、テストの点数だけがいいだけの、表面的なものだ。
面倒なことでも地道に積み上げるだけの馬鹿だ。
注意不足のミスを最低限にできる緻密さを持っているだけの馬鹿だ。
悩みを打ち明ける友人を持っているだけの馬鹿だ
友人はお前のいいところ生かせといっている。そんなこともわからん、馬鹿なやつだお前は。
職場に共用のPCがあって、そのマウスポインタの移動速度がやたら速く設定されてるものがありまして。
マウスでドロップダウンリストから適当な項目を選ぶって手順があるんだけど、これがまあ思った位置をクリックできない。
大概ここをクリックしたいと思ったところのすぐ上か下かの項目を選んでしまう。1項目あたりの幅は3mmぐらいかなあ。
これって"手を動かす"部分が苦手なんだろうか。それとも"手を動かすよう脳から指示を送る"部分が苦手なんだろうか。
クリックすべきポイントがどこかっていうのを視認することはできてると思う。ので、上記2つのどっちかが苦手なのかなーと考えている。
あ、でも"手をどのぐらい動かせばマウスポインタがどこに動くか判断する"っていうのも苦手な気がするな。
以前TPSのゲームをちょこっとやったときもAIMが苦手だった。上手くなかった部分はAIMだけじゃないけど。
そのときはなんかこう、狙う場所はここってわかってるけど手が思う通りに動かないって印象があった。
>クソリス(たまたま相手からすぐに狙い撃ちされるような箇所に出現してしまう現象)があるのでわりとまぐれ当たりもあるCallOfDutyよりもある意味ガチです。
スプラトゥーンでのリスポーン地点は互いのスタート地点に固定であり、かつそこには不可視バリアが張ってあるので、リスキルされることは絶対にない。
そしてスーパージャンプと呼ばれる、一般のFPSで「分隊リスポーン」と呼ばれるようなスプラトゥーン独自の復活方法は、その実プレイヤーが味方の位置を指定してそこに大ジャンプするだけのただのショートカットであり、プレイヤーはスーパージャンプを行う前に味方周りの状況をよく考えなければならない(しかもリスポーン直後でなくてもいつでも使える)。
特段ギア(俗に言われる「スキル」)が付いていなければ敵の位置は分からないが、手元のゲームパッドでインクの塗られている様子を伺えば、その付近に敵がいるのかどうかはだいたい把握できる。
また、スーパージャンプ後には着地地点にマーカが設置され、敵味方ともにそこに誰が飛んでくるのかが丸わかりの状態になる。
以上のルールを踏まえると、いわゆる「クソリスからのリスキル」というのは『リスポーン直後、ろくにマップを見ずに敵味方混戦模様の最前線にスーパージャンプした結果、マーカを指標に相手から置きエイムされて、着地直後に蜂の巣にされる』という完全にプレイヤーの注意不足が招く結果であり、“たまたま相手からすぐに狙い撃ちされる”という訳ではないことを修正しておきたい。
大学やめました。あと東京から大阪へ。 退学届だ。 https://twitter.com/yudai214/status/512846285561294848/photo/1 気持ち悪い文章書こーって思っただけですので、暇ならどうぞ。 私は自分の世界の中で生きていて、多くの人とは生きてきた世界が違って生きてる世界が違って生きていく世界が違うと思う。 コミュニケーションは相手の認識を信頼できないと双方向にはならなくて、私は他人の認識が信頼できないし、 自分は無口で考え事だけが多かったと思うので、人間は認識が全てだと思ってて、認識は複雑だった。 ちなみにその認識の構造は、再帰的な構造になってることが多いように思える。 また、人間はとにかく表現が下手であると思う。親も表現が下手だし、子供も表現が下手だし、私も表現が下手。 言葉での理解と、体が理解しているかは別の話。 体で理解するのと言葉で理解するのも違うはず。 体が動くか、動かないかというのは、あるはず。積み重ねである。 すべての行動には理由があって、なんで言えないのかは疑問をぶつけたい方。 自分は人間だけど、相手が人間なのかどうかが分からないからだと思う。 物事は存在している形で存在している。 言葉は写真のようなもので、薄っぺらい一時的なものだ。 人間は環境の生き物。 表現のためだけに環境という言葉で表現したけども、目に見えるものの話ではない。 同じ環境に違う個体を投入しても違う反応が得られるであろうが、 その個体をどの環境に投入するかによっても異なる反応は得ることはできるはずで、そちらの方。 すべての人間は人間らしい行動をするはずだと信じることでしかこの世に人間としては存在できない。 (この調子だと永遠に終わらないのでこういうのここまで) 昔の私は無鉄砲さがあって、それで迷惑をかけた人もいると思っているし、 今の私はできなくなったことが増えて、できなくなったことで迷惑をかけた人もいると思う。ごめんね。 (また何か言いたいことがある方はyudai214◆gmail.comまでどうぞ) 人は評価を求める生き物。 評価する能力のない人からの評価ではだめ。自分が評価していない人からの評価ではだめ。 評価している人から評価されたい。評価していない人からの評価はどうでもいい 自分の心がどう感じるのか、どう感じるのかに嘘をついても仕方がないと思っていることをあらかじめ前置きしておくけれども、 自分が評価している人ってなかなか難しくて。そしてもちろんのことながらどうにかしたいと人間は望むものであると。 他人にはできるけど自分にはできないこともとても多いし、自分にはできるけど他人にはできないこともとても多いのだ。 すべての人にそういうのがあると思うけど、とりわけ私は得意不得意の極端さが半端ではなかった 人間は環境の生き物で、別にゲームの大会で優勝したところで環境がよかったからでしかなくて、私である必要も特になく。 (ゲームは都合の良い展開を相手がどう認識するのかを自分が認識してそれを楽しむ。) 私という個体は反応するように反応すると思うので、てきとうな環境に放り込まれればいいんじゃないかと他人事のように思っているので興味のある人は大阪にいたりするので声かけてもらえればわたしとってもうれしいなとかいうお話でした。 (最近は毎日のやる気が全くない生活に陥ってしまっていたので、なんらかの刺激がもらえればうれしい) (これ書いてる現在は大阪にいまして、今日は東京にいって段ボールに荷物つめたりします。全く寝れなかったので書いてました。)
どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。
一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて。
私が書いた他の増田も参考になれば。
http://anond.hatelabo.jp/20120313173731
http://anond.hatelabo.jp/20140616194130
http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
http://anond.hatelabo.jp/20140618130300
http://anond.hatelabo.jp/20140626042403
http://anond.hatelabo.jp/20140906043308
http://anond.hatelabo.jp/20140910180334
http://anond.hatelabo.jp/20140913202540
http://anond.hatelabo.jp/20140914131816
朗報。退学なう。 旧帝医学部に合格するレベルからすると、東工大は勉強しなくても合格できるでしょうというレベルです。 分かる人には当たり前の話であり、また表現したところで誰も幸せにならないこの話をしたかったためだけに、自分の人生を犠牲にしてしまう決断をし続けていました。 テストの問題とは、問題製作者と自分とのコミュニケーションです。 中学受験では、算数と物理化学に関して、私には解けない問題はありませんでした。 また私は言葉に対する思いと価値観が他人とは大きく異なっており、 国語に関しては気持ちが悪くて、まったくできませんでした。 私は灘中には受験すらできませんでした。 理由は、彼らとの環境の差が大きいからだと思っていました。 あと私は呼吸が苦手であり、健康面でのハンデも大きかったです。 中学受験の環境は優れていて、中学でも高校でもマネすればいいじゃん、と思っていました。 家の近所にあった、大阪のトップ中学に進学しました。 私は中学時代は親の虐待を受けており、家で勉強したことはありませんでした。 試験本番のテスト中には問題製作者とのコミュニケーションをします。 そのコミュニケーションが唯一の勉強時間でした。 算数と物理化学に関しては、中学受験での環境が神だった貯金が大きかったです。 大阪のトップ校程度では、周り人の算数と理科のセンスは全く高くありませんでした。 中学に内部進学を拒否されたので、他の高校を受験しました。 大阪のトップ中高よりもレベルの高い兵庫で2位の高校に合格してしまいました。 伝説度のレベルでいえば、中学ビリから甲陽の方が、高校ビリから東工大よりも高いと思います。 現役時代は鉄緑行ってて、周りは京医か阪医志望とかだったけど自分だけ阪大受験(センター47%) 浪人時代は四谷学院いってたけど、能力別科目別の入学テストで英語0点で一番下のクラスに入ったら信じられなかった世の中の底辺を見て信じられなかった。 理由のなかった行動など存在しないと信じて、そう言えるためだけに生きてた小学生時代 他人に対して何か思う時、他人の生まれた環境がかわいそうで不幸だったんだね、という価値観がたぶん根っこにあったんだと思う。 人間、言葉では聞かされていても全然体は理解していない。 生まれたときは自分の環境しか知らないから、親がセンスの悪いところに目が行ってて、言葉に対する価値観の違いがあったけど、社会の中では親のセンスはめちゃくちゃ上位だったことは理解した。 親も他人に比べれば気が利く人で仕事が出来る人。自分も心の中では気が利く人。でも両方とも表現が下手くそ。コミュニケーションが下手くそ。 母親も自分の親に対する価値観の違い、夫に対する価値観の違い、義理の親に対する価値観の違いがあって、私の知る祖父は温厚だけど母親にとっては違うし、母親自身も親になって親への気持ちが変化したとか言ってて、とりあえずそういう話が聞けたのは良かった 自分が中学時代に抱えた心の深い闇、母親は私を守ってやれなくてごめんねと後悔しており。母親自体は客観的に見ればすごくセンスの良い方である。それはわかる。けれどももっと理想をもとめてしまったんだなとはおもう。 いろんな言葉に対して小学生の時からぐるぐる考えてしまっていていろいろあるけど、認識が全て 自分の価値観は環境から生まれたものだし、また私の評価なんかご勝手にどうぞでいいし、いいんだけど 真面目に評価する気のない人から評価されることに思うこと思う人達と思うこと思わない人達。 存在するものそのものを評価する気のない人から評価されるために生きているわけではない 人を評価する気ないと宣言した人の方が評価される時代 人間は人間を評価する気が全くない、みたいな文化が受け入れられない。受け入れたら人間であることを放棄したようにしか思えない人生だった。 某大会はまけたのだけど、今までの私の高い高い勝率が失われたわけでもないし、人を評価する能力のない不特定多数からのどうでもいい評価を集めても何も満たされなくて、評価している人(仮想の人間を信じる)から評価されればそれで満足する世界に生きてたので、別に。 小学生の時から、他人の言葉が大嫌い。 人間を人間だと信じることしかできないけども、一方で他人の言葉は全てがネタであり 認識が全てであり、全ての人間が認識が全てであるという認識を持っているとだけ信じていた。 心を閉ざした状態で、仮にもっといい中学に入り、もっといい高校に入り、もっといい大学に入り、もっといい会社に入ったとしても、それは幸せではなくて 環境は大事であり、いい大学の方が確率的にはいい環境かもしれないけどね。 でももっと根本的な家庭環境が最悪であった。 心を閉ざしていたから、ともだちはいない。 認められる価値観の違いもあるけど、認められない価値観の違いもあるはずで 望んでるものを望んでるのであり、その上で表現があって。 自分はただ人間を人間だと信じることを望んでおり、表現していて 他人も何かを望んでの表現だと思っていて。 はじめてネットにふれたのはブログで、その次はSNSとしてのモバゲーだった 世界のどこかに自分と同じような人がいないかなって思ってた。 いい大学を卒業したとして、いい環境で育ってきたんだねと思われるのは絶対に嫌だし耐えられない。 生きてて恥ずかしくないのかなって思われるかもしれないけど、自分も他人に対して何十年も思ってたことなのでお互いさまだと思う。 自分にできることを他人はできなくて、他人にできることが自分にはできなくて、その得意不得意も価値観に影響してると思う。自分が主張したいのは、全てを網羅した次元での価値観の違いは認められないでしょ、というところなのだけど。 言いたいことが何も言えないのが生きてる意味を感じないしつらい。 過去が存在しない人との間に未来などないでしょ。過去が存在しない人との間に未来などないでしょ。しか言うことがない。過去が存在しない人にモテても未来がないでしょ 人間が人間を人間と感じて生きた結果、過去の存在する今がありまして。 過去が存在しない人には今も存在しないし未来も存在しないし過去も存在しない。論外。 魅力を感じる人が少なくて、魅力を感じる人が現れるといいね、と思うけど。 人間を人間だと信じないと絶望しかないけど、人間を人間だと信じても絶望しかない気がする。 中学受験以降、環境が地獄で勉強したことがない。表現が下手なので経験者にしかわかってもらえないと思うけど許して。 高校までは卒業という形で追い出されたけども、大学では卒業という形では追い出されなかった。 勉強したことがないので東工大にしか入れなかったけど、勉強したことがないから東工大すら卒業できない、と言いたいことが言えて満足してる自分がいます。 退学までの決断が遅いことに関してはいろいろあるけど、中学高校ではできなかった、他人とのコミュニケーションの練習をずっとしていたと思う。 中学高校で体験すべきような体験を大学で取り戻したかったのだ。 自分の環境は、経済的には恵まれていたけどもそれだけだし、 むしろ経済的に恵まれていたからこそ他では劣悪な環境になりえたのだとも思う。 すべての人には理由がある。過去がある。 自分は尊敬しているのは自分だけで、誰も尊敬できないのだ。 全ての人に対して魅力を見せる時間的余裕などないわけで、自分の周りの人もその人の可能な範囲での魅力はあるであろう。 当たり前の認識。当たり前の認識を信じるしかない。 人間として生きたことがあるのであれば分かるであろうとしか言いたくないこの気持ち 誰かにとっては魅力的でも誰かにとっては魅力的ではないというのは当たり前に発生する。 その上で、私と私の周りには魅力的関係が一切発生しないだけ。 みんな表現が下手なんだ。 自分の欲求。 表現がしたい。思いが伝わる人を探したい。 呼吸がだるい。体のだるさを表現するための語彙がわからない。病院いきたい。 東工大の退学、卒業よりも難しいのでめでたい。祝われたい。 自分の人生に興味なかったのに急に関心を持てとか言われてもできない。 他人から見て扱いに困る状態で突き進んでる自覚しかないけどやめれない ネット上なので評価されてしまう言葉は、小学生から見ると、大人は過去が存在しない残念な生き物なのかなという感じで、レベルが低いですよね。 小学生の段階で、人間であることを放棄しなかった人は、きめ細かい論理をふつうは持つわけです。 相手の認識を信じるしかない小学生。 小学生の段階では表現する場所がなくて、過去が存在しない大人には通じません。 高校生時代に書きためたノートとかあるのだけど、すべて電子化したい。 時給払うから手伝ってほしい。 語彙力がないので認識という言葉を多用してしまうのどうにかしたい 快適な生活を維持したい欲求が罪深い 経済的には恵まれていると思うけど、自分の状態や意識を表現する機会と能力のなさは深刻。 ネット上であれば喧嘩している最中であっても、拒絶するつもりが微塵もなかったりするので、結局表現の問題なのだなって思う。 存在するものを否定する気はないという意識 正しいものなんてなにもないのだ、というのは人間を人間だと感じる感覚を否定する行為なので避けたかったのだ 言葉を使うのが下手くそなので求めているものはそうじゃないんだってよくなる。 気が狂うほどの理想に真剣に悩んでて、話相手がほしかったね。 雑な表現になるが、死ぬ気でやれば卒業だってできるであろうが 絶対にそうしたくはない気持ちが強かった。 他人から見れば価値のないものに拘っているかもしれないけれど。 中退することができて、自由な気持ち。 人間を信頼できる前提であれば、責任ある自由な仕事をしたい。 生きてきて感じてきたものに誇りと自信がある。 言葉ゆえの混同が嫌い。 言葉の奥に存在するものの存在を信じている。 人間の前提となるレベルから価値観が全く合わない。 君は私を全く評価していないし私も君を全く評価していないという構図を理解してほしいなということをまず伝えなければいけないな、って思う。 人間からの評価は求めているけど、人間ではない人からの評価は求めていないよ。それだけ。 祖父母は母親の本当の姿を知らないと母親は言う。 私と親の関係も同じで、全く知らないと思えるものが思える量だけ存在してる。 子供が親をどう評価するのかは親に強制されるものではない。お互いに全く伝わらないと思っていると思うが、私は不満を捨てる気は一切ない。許せない価値観の違いは許せない。それだけなのに。 こんな親は嫌だ、ただそれだけなのに。 親と会話が成り立つ家庭に生まれたかった、と思ってはいけないのか?という気持ち。 親は仕事ができるし、無言でなんでもこなしてしまう。 私も無言でこなしてしまうことはこなしてしまう。 そして両者ともにコミュニケーションが下手くそ、本当に下手くそ。 人間はコミュニケーションが本当に下手くそ。 人間と人間の間にある言葉は、信じたいように解釈したり、都合の良いように解釈したり、またそれらの逆だったりする。 その気持ち悪さを認識した上で、葛藤を認識した上で、言葉を使う。信じるしかないから。 お互いがお互いの主張があって 求めているのはその俯瞰的な認識なのであり、そこの信頼関係が安心できないよねという話。 相手の認識をどこまで信用していいのかどうかという感じ。 人間を評価して人間に評価されたくて、人間であることを放棄した人の存在は信じたくないし信じることはできないそれだけ。 もしも自分が自分に投資するんだったら間違いなく病院につれていく 親が自分ではない自分を見ているつもりになって勝手に幸せを感じるのは不快だという気持ち。 感じるものに自信と誇りと責任を持っている。 認識が全てだと信じるしかなかったけど、認識にも期待できないのだったならば、なにも残るものがないや。 本当の欲求を表現することができなくて、子供は表現方法を知らないんじゃないかなって思ったりする 自分は自己主張を全くしない子供だったのだけど、心の中にはいろんな欲求はあって、今でも残ってて 表現するのってほんとに難しい 言わないのではなく言えない。そしてその未来だって存在する。簡単なことだ。 何が問題なのかって、小学生の私にとって、周りの多くは人間であることを放棄した人達だったのだ。 当然、人間であることを放棄した人達になんかなりたくない。 ただ人間を人間と信じることしかできなかっただけだ。 現実的には他人が許されるなら許されるであろうというような認識は発生すると思う、と認識している。 尊敬する人は自分。言えるもんなら言ってみろよ。そう言えるために生きたのでそうとしか言えない。 他人の場合は自己の存在否定だから言えないでしょ。 表現が下手って皮肉たっぷりだったりするけど、伝わるわけがないから自己満足の世界 なにもするきになれない→やばい(げーむでもいいからしよう)→げーむすらめんどくさいからもういいや(いまここ) 人間を人間と信じるっていうのは、他人の不可解な全ての行動に対して理由があるはずだと解釈することなのだけど、そんな心の強さがあるのは自分だけだったみたいな感じ 拒否反応を期待してるところがあるので別に構わないのだけど、世界は不幸だなってだけ思う 生まれ変わっても他人には絶対になりたくない、自分がいい、としか思えない。自分の誇れる唯一の自尊心? 言葉に対して潔癖なところがあって、死にたいって表現だって理解できない気持ちがあって、なんだけど現状は死にたい気持ちの純度が高いなぁ程度の。別に環境が勝手に変われば勝手に生きると思うし、好きに使ってくれよって感じ 感謝とかそういう言葉も嫌いなのだけど、そんなの体が勝手に誠意尽くすはずだし、人間なめすぎだろって感じで、体ではなくて言葉だけで思考してる人への見下しが激しい。きっと過去が存在しないんだって思うしかない 過去が存在しない人かわいそう。それでも私は人間を人間と信じることでしかこの世に自分としては存在できない。この話難しいかな
・私のスペック。 兵庫の私立高校出身で東京の国立の大学生。現在大阪の実家に帰省中。 特にお金が必要なわけではなく、社会経験的な意味合いが強い。 アルバイト経験の自覚はあんまりないけれど、 大学のTA、学内調査での学生スタッフ、大学生協内での単発バイト、センター試験の廊下要員 という大学内での経験はあります。 ・9/8 http://shotworks.yahoo.co.jp/sw/detail/R000038231 このページを親に見せられて、19時までに着くように出かける。 しかし登録会とかいうのは終わっていた。 梅田は懐かしいなぁとだけ思いながら帰る。 時間90分、交通費560円 ・9/9 http://www.nextlevel2008.com/?page=page26 18時の会に参加する。参加者は20名程度で満席。 http://i.gyazo.com/fa717abcca9b398b9119822d0d083043.png まず登録システムのご案内という紙が配られて、ちんたらした説明を受ける。 説明後に一人だけ不満だったようで帰った。 私も疑問点があって、交通費に関する概念。これはつまり、日雇い労働者は全員梅田に住んでいる扱いということなのかなと。こういうもんなの??? 給与受け取りに関する交通費は出ないので実質的には2カ月後に給与受け取り??? メール送信によって、自分の連絡先等の情報を送る作業をする。 なおおそらくこの時にエントリーシート(A4サイズ3枚で2枚は誓約書で1枚は情報記入)も配られるはずだと思うが、担当者のミスで配られず、全員ぽかーんとしている時間が結構あり エントリーシートをチェックする次の担当者が、登録システムの説明をしていた担当者に怒りを露わにしていた。 エントリーシートは個人情報の他には、パソコンが使えるか、運転免許の有無の欄があったり また得意不得意に関しても一言だけ書く欄があったので、得意:頭脳労働、不得意:肉体労働 と書きました。 書き終わったら列に並んで、確認してもらう。 テニスやってました、とか書いた人は、錦織の話題などを話していた。 確認後、明日が暇である人は別の受付で仕事の案内を受ける。 私のエントリーシートに関しては一切の会話もなくOKを貰い、明日は暇であると答える。 そう答えるためにわざわざこんなところに来たわけですからねと自分に言い聞かせます。 (あとエントリーシート提出する前に写真とっとけばよかったなとか思ったりしました) そして、体力はないので肉体労働以外で、と答えてリストを出される。 以下はその時のリストではないが、リストのイメージは以下の通り 【淀川区/8:00-17:00】運搬・手元作業 【JR天王寺駅/8:30-17:00】運搬・手元作業 【地下鉄八尾南駅/8:30-17:30】運搬・手元・片付け作業 【地下鉄 心斎橋駅/6:00-9:00】搬出作業 【JR 住道駅/8:00-17:00】手元作業 【JR 久宝寺駅/8:00-17:00】工場内作業 【JR加島駅/8:20-12:00】搬出作業 【JR住吉駅(神戸)/9:00-17:00】搬入出・手元作業 【阪急川西能勢口駅/10:00-15:00】搬入手元 【泉北高速深井駅/9:00-12:00】搬出作業 【JR鷹取駅/9:00-16:00】搬出作業 【地下鉄 喜連瓜破駅/9:00-17:00】仕分け作業 【阪急塚口駅/9:00-16:00】大工さんの手元・補助作業 【地下鉄 新森古市駅/9:30-17:30】着ぐるみスタッフ 【南海二色浜駅/9:30-17:30】着ぐるみスタッフ 【南海湊駅/11:00-15:30】自動販売機の設置補助 【地下鉄門真南駅/13:00-17:00】搬入・整理作業 【JR大阪駅/20:30-24:00】店舗什器の搬入作業 【JR大和小泉駅/21:00-30:00】店舗の陳列棚の分解補助 そしてその時の私の印象としては、このリスト見せられてどれがいい?って言われてもさっぱり分かんないな、という。 とりあえず担当者が他の人の相手をしている間に慣れてないスマフォでググりまくる。 そして選んだのは以下。 【労働通知書】 明日9月10日のお仕事の詳細です。 時給820円+B作業手当 人数:1 業者名:※※※ 業者担当者:※※※ 業者担当者TEL:※※※ 現場住所:地下鉄 ※※※駅 時間:09:00~12:00 スタッフ集合場所:地下鉄 ※※※駅 スタッフ集合時刻:08:25 業者集合場所:地下鉄 ※※※駅 業者集合時刻:08:25 作業内容:配送助手 持ち物:軍手 カッター 服装等:作業しやすい服装(ジーパン・ジャージ・スウェット NG) 注意事項:駅に到着しましたら業者担当者に電話して合流して下さい。※解散は ※※※になります。 _________________________ 当該労働条件は業務がある日ごとに当社とあなたが雇用契約を結ぶ、 「日雇い」「日々雇用」などと呼ばれる雇用形態により定められた内容です。 あなたには雇用保険、健康保険、厚生年金保険の適用はなく、 労働基準法第20条(解雇の予告)なども適用されません。 14回目の就業までは、労働基準法第21条第1項第4号の試の使用期間としま す(見習い回数とは別のものです)。 1日8時間を越える就業が最大15時間あることがあり、 当該就業の月あたりの上限時間は80時間です。 その他の事項については、登録時の労働条件説明書類の定めによります。 上記内容にて労働条件を通知します。 株式会社ネクストレベル Tel:06-6371-6203 大阪府大阪市北区芝田1-10-10 芝田グランドビル 12F 通信欄:扶養控除申告書を未提出の方は、提出してください。 そして家に帰ります。 時間3時間、交通費560円 あとコンビニで軍手を購入しました。350円。 これ安いやつの方がよかったと思う。手袋の中で皮膚が引っかかって痛い感じする。 ・9/10 起床メールとかも送る。 出発メールを送ったら返事がコレ 相手「すみません、出発少しお待ちください ご自宅の最寄駅はどちらでしょうか?」 私の内心(書いただろ?なんで把握してないの?馬鹿なの?) 相手「申し訳ありません (実家の近所)のお仕事がキャンセルとなってしまいました (聞いたことのない地名)でのお仕事が午前中までであるのですが 入って頂けませんか?」 私「仕事内容は何でしょうか。」(は??????????????????しかも少しお待ちくださいって書くよりも前にそれって分かってたの????そしてそれ他の日雇い労働者が欠席したってことだよね) 相手「荷降ろしになります こちらが詳細となります どうしても、人が足りませんのでお願い出来ませんか? 【労働通知書】 お疲れ様です、ネクストレベルです。 本日9月10日(水)のお仕事の詳細です。 時給820円+B作業手当 確認が出来ましたらご返信下さい。 人数:2 業者名:※※※※ 業者担当者:※※※※ 業者担当者TEL:※※※※ 現場住所:門真市※※※※ 時間:08:00~11:00 スタッフ集合場所:京阪 ※※※※ スタッフ集合時刻:07:30 業者集合場所:現地住所 業者集合時刻:07:45 作業内容:荷降ろし 持ち物:軍手 カッター 服装等:作業しやすい服装(ジャージ・スウェット・短パン・派手な服装 NG)長袖 注意事項:駅到着後、スタッフ同士合流し現地へ向い担当者様に連絡し合流して 下さい」 私「時間は到着後から12時くらいまでと解釈していいのでしょうか」 相手「到着から終わりは遅くても12時には終わります!お願い出来ますか?」 私「では行ってみます。」 相手「有難うございますどのくらいに駅に着きそうでしょうか?」 私「9:00くらいだと思います。到着した後はどうすればよいのでしょうか」 相手「現地へ直接向かって下さい! 現地付近にて担当者様に連絡し合流をお願いします 駅に着きましたら、事務所にメールで結構ですので 御連絡をおねがいします」 私、駅についてメール+電話(通話料の発生である) 相手「駅にてタクシーで現地へ向って下さい!!」 さて知らない駅に来たのであるが、出口から降りて、交通量の多いところでタクシーを探す、が空車のタクシーが全然見つからない。 何度か電話でやりとりをした後に、駅の反対側の出口にはタクシー乗り場があるよって言われる。 こんな駅にもタクシー乗り場があるのかというのと、出口に関する運のなさだった。 相手「終了時間なのですが 他の作業から人でを回されているらしく 遅れ気味の様ですので 残業が少し入ると思います 申し訳ありませんが 対応可能な時間までで大丈夫ですので 出来るだけ対応して頂けますか? 宜しくお願いします。」 10時前に代打の日雇い労働者が2人到着。もともとは8時に2名だったはずで、業者担当者は派遣会社(っていうの?)に対して不機嫌 作業内容は、コンテナの中の大量の段ボールの荷降ろし 段ボールには番号のあるシールが貼ってあり、同じ番号のものをパレットの上にきれいに積み上げ直して、業者さんはフォークリストでパレットを倉庫内に移動する、をずっとくりかえす。 それが終わったらコンテナの中を箒で掃除した。 そして倉庫の中でも段ボールを少し運んだりした。 12時からは業者さんたちがお昼休みに入るので、それで終わり。 段ボールは重かったので肉体労働だと思った。 もう一人の男の子に、こういう仕事ってよくしますかって聞いたら、疲れるからあんまりしないって言ってた。 ジムとかいって良質な環境でお金払って運動するか、狭く奥深いコンテナの中という環境でお金貰って運動するかって感じだと思う。 時間5時間、交通費1020円+760円+通話料(普段は毎月0円) そんな感じ。 現在の出費、3250円。回収可能、490×2+760+900×2=3540円 回収にかかるお金560円 時給マイナス27円くらいかしら。 いちいちとりにいくのめんどくさいなって思ってるのでまだまだ自分の人生に無関心だなって思う。
えーと、だから、足のない人はイチローみたいに野球は出来ないと自分で学び、
その部分は周りの目から見ても明らかな部分だから最初は大人が教えてくれるけど。
野球が下手だったり勉強に得意不得意がある場合なんかは誰も教えてくれないこともあるけど、
どこかで自分の道を見つけていくわけで。
発達障害って、それ自体定義が曖昧で現状タダのバカと同じなわけで、
それを助けろ、なんて言われても、は?としか周りは思わない。
足が不自由な人がいたら助けるけど、それは助ける側に余裕があるときで、助ける側が自分を犠牲にしてまではしないしする必要はない。
あくまで健常者側が余裕があるからその分で助けてあげよう、と。
そうすることで自分がそういうことになった場合の保険にもなるし、
余計な負荷がかかってると感じるまでで無い範囲でなら行っても良い、と、皆がしているのでそうなってる。
一方で、ただの我侭で意味不明なやつを助けなきゃいけない、なんてのは無理。
俺はバカだから宿題やっておいて、って言われてやってあげるのか?
俺はバカだからわすれものしても仕方ない、と言われて許すのか?
教育ってなんだ?社会に適用出来ないのを「病気」として許したらすべての教育自体が意味なくなる。
そしてただただカオスになるだけなんだが?
だからですね。外的な評価として絶対的に得意であるということと、内的な比較において相対的に得意であるということをごっちゃにされてませんかね。
例えば日本代表の常連の遠藤保仁はパスを出すのが得意な選手だが、それがイタリア代表のアンドレア・ピルロぐらいに上手いかと言うと、おそらくそうではない。ただ、例えば彼はマンマークや対人守備はJリーグでも怪しいぐらいに苦手だったり、ドリブルで持ち上がるというプレイはあまりしない中で、彼の中ではパスは得意なプレーなんだ。
レベルを変えて、高校サッカーで一昨年から俺が注目してる京都橘の中野克哉という選手がいて、彼はドリブルが非常に得意なんだけど、それが例えば日本代表に選ばれた斉藤学や世界的に有名なドリブラーのリオネル・メッシほど上手いかと言われると、決してそうではない。でも、中野くん個人で見た場合、彼はドリブルは得意なプレーなんだ。
もっと分かり易く、お前が大好きな俺の体育の成績が2だとか4だとか。体育の成績が平常3の人間でも、手を使う球技は苦手で、道具を使う球技はそれに比べればやりやすく感じ、それによって成績が上下する。それを指して、個人の中での比較の問題として、得意不得意があると言っている。
それが、平常5を取るような奴でも、競技に関して何となく「野球は得意だがサッカーは苦手だ」とか「剣道は得意だがテニスは苦手だ」とか、個人の内的な比較として、個々人のレベルに関わらず得手不得手は存在しているんだ、と言っている。
お前は常に絶対的な尺度で測って、何か一つの競技に長けた人間は万能にある程度何でもこなせる、と言っている。それは、一定のレベルではそうだろう。確かに日本代表に選ばれるようなサッカー選手で、100mに20秒もかかるような奴がいるとは思わない。
ただ、俺はある程度の運動神経があって仮に万能に何でもこなせたとしても、個人の中には比較の問題として得手不得手が存在する、と言っている。
遠藤保仁はパス出しが非常に上手い選手で、戦術(誤字のため訂正)先述の通りパスは非常に得意な選手だが、マンマークは非常に苦手としていて、ギリシャ戦でも後半たしか5回あったコーナーキックで3回は選手のマークを遂行できていなかった。遠藤は日本でも一流の選手だが、個人の内的な比較として、パス出しは得意でマークは苦手である、と言える。そのマークが苦手な遠藤でも、高校選手権に一人放り込んだらコーナーキックのマークはちゃんとやってのけるだろう。だが、遠藤個人の中で見た場合、やはりマークは苦手だと言わざるを得ない。
中野克也は高校レベルではかなり有力なドリブラーだし、彼のプレーの中ではドリブルが一番得意だということが出来る。しかし、これをいきなりドイツやスペインの1部リーグに放り込んで通用するほど得意と言えるとは考えていない。
他人の技術との比較や成績や世間の評価のような外的な基準ではなく、個人の行為の中における内的な基準として、得意不得意は常に存在し、そこには球を使うか使わないかや球の使い方のような要因が想定されても良いだろう、と言っている。
今、絶対的な話はしてないよね。文脈読めてる?
ここでの主題は、個人の中でスポーツの得手不得手が存在するかどうか。その得手不得手が「存在し得ない」と仰ったので、球技を例に挙げて、手で直接球を使うかどうかで個人の中に得手不得手が存在する具体例を示した。
今、世間的に得意と言えるか不得意と言えるかは議論してない。あくまで個人の中で得意不得意、得手不得手が存在する、という話をしている。
こんな文脈も理解できないなんて人としての価値を疑うけど、そもそもこの文章も理解できないから話をそらすな、などと喚き散らされるのでしょうね。本当に人としての価値を疑ってしまいます。
大学生の間に私は成長したのだろうか。 生まれたときから世界には完璧という概念が存在しており 人間が人間であることを放棄しない限り、人間は成長することはないと思っていたので 成長という表現を聞いたときは不快感がずっと存在しておりました。 私の頭の中は、相対評価ではなくて絶対評価であっても、小学生のときがピークでして それから10年以上、ずっと退化するのに耐え抜くだけの時間を過ごしました。 中学受験塾という環境で過ごして、中学受験をしました。 入学した学校は、とある物差しでは関西で5番目くらいの学校 希学園の偏差値表で、灘が63、東大寺が61、甲陽が59、洛南(併願)が58、大阪星光が55 (当時は西大和は52、今はもう少し大きな数字だと思います)(女子は神戸女学院が54) 星光の入試配点は国語120数学120理科80社会80の(傾斜)配点で、合格最低点は7割 7割というのは高い方(6割が平均的)で、得意不得意が日本一レベルだった私には無駄な難関でしかない。 母数のレベルが低いテストによる合否判定は、得意不得意が異常な私は生涯を通して最高でもE判定しか出ないシステムであり 私は当時からその仕組みが理解できたけど、まわりにいた無能たちはそれすらも理解できなくて話が通じることはありませんでした。 そしてその成績の私には、言及するには心理的抵抗が大きかったのですが、灘や甲陽の配点は国語200算数200理科100で合格最低は6割 私の心の奥底には、星光よりも灘の方が簡単ではないのか(妥協して甲陽)と思ったこともあったのですが 灘も甲陽も兵庫県で、非常に残念なことに星光は家の近所にあるという環境の違いもあったりしまして。 当時の私のテストの答案はいつも同じでして 算数は冒頭から順番にすべて正解、一番最後の問題は時間切れ。テストは毎週ありましたが、計算ミスもしないのですべてがその結果になります。 社会も冒頭から比較的には正解率が高かったのですが、正解に自信が持てないので非常に時間がかかり、100点中後半50点ほどは常に白紙での提出でした。 理科は物理と化学は算数に同じ。生物と地学は興味がなかったので社会と同じ。 国語は文章問題2題が多くて、いつも片方しか読む時間がありませんでした。そして常にクラスで最下位。塾全体の公開テストでも下から数人目。 公開テストは600人ほど受けていて、上から10位までは名前が公開されます。(科目ごと+3科目合計+4科目合計) 当時4科目合計で名前が載ってた人は、国際科学オリンピックでメダルをとっていたり、当然のように東大医学部に行ったことまでは把握しています。 そして名前が載るのは「S1クラス」という能力別クラスでの1番目のクラスばかりになるのですが、 算数で時間が足りたことがあって、そのときに「H1」という平均以下のクラス所属で私の名前が載ったことがあります。 すごくどうでもいいですが、能力別クラスでは定期的にクラス替えが行われるのですが、私の成績が算数はクラストップ、国語はクラスビリで安定していて 「H1」という所属クラスってふつうは変動するのですが、なぜか入塾時から小6の途中まですべてH1のままで動くことがありませんでした。 小5までは谷町九丁目教室ではS1からS5とH1からH3、小6からはS0からS8とH1からH6でした。つまりH1っていうのは偏差値では50以下です。 なので志望校として決定されるのは星光になるわけですね。また星光合格者の中では、私が一番下のクラス所属でした。 自分の記憶力が残念なので想定外に長くなりました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 さて、小6の3月から2年間にもなる長期間、虐待の日々がはじまりました。 その結果、定期テストの前に、勉強するということもしたことがありません。 中3の時の、通知表の成績は、高校への内部進学の基準になります。 全科目の平均が60点が条件で、テストの点数そのままが通知表の点数になる科目もありますが、 平常点を用意したり、救済措置を用意して下駄を大量に用意すう教師もいます。 学年人数は200人で、毎年学校を追い出されるのは10人とか。他の学校よりも多いと思います。 中学受験での話を想定外に長く書いたので、少しここは省略します。 日本語を話してくれない教師への反発もあって、中3での通知表成績はビリから2番目の人(50よりは上)よりも10点くらい下です。 T野(体罰数学教師)の数学で、一番はじめて満点を達成したのは、M君ではなくて私だったりします。 名前が汚いからという減点は毎回受けていましたが。 英語のS水(中1中2での担任)も相当無能でゴミだったし、 国語の学年主任(中3での担任)もゴミだった。愛のかけらなどどこにもなかった。 テストのために勉強する、という行為はしたことがなかったですが、テストの最中は中学受験時代での私の哲学をただただ耐え抜く日々でした。 そして、私の中には中学受験での自己評価をもとにした学力観というものがありまして 勉強したと言えるような時間は、授業中に教師が答える前に自分の脳内で答える予習的学習と テスト時間中における、問題作成者との、問題を通したコミュニケーション、その2つだけ。 私は私自身の美しい過去を尊敬しており、またそう言えるためだけに命をかけております。 信じるかどうかは好きにすればいいと思いますが、勉強したと言えるような時間は上記以外には特にないまま 高校入試を受験するみたいでした。(受け身) 甲陽の高校入試の配点は英語200数学200国語200理科150で、合格最低点は脅威の5割。 西大和の高校入試の配点は忘れました5科目で、合格最低点は7割。 西大和の高校入試の数学はレベルが高くても小6レベル以下の問題でびっくりしました。(過去問とかも知らない)計算用紙にポエムを書きました。(計算用紙も提出です) そういえば、テストの最中にはテストに向かい続けるという呪縛を本当に無駄に守り耐えてきたのですが さすがにあれなので、問題用紙に脳内ポエムを絞り出す習慣が発生していました。 私の問題用紙に書かれた脳内ポエムの絞り出し、見たことある人いるでしょうか。 その一部は高校時代にやっていたブログに模写投稿されていたりします。 といいますか、私は言葉から行動に移すような経験が一切ないと思います。 国語という科目が全くわからなくて、表現能力は障害者でしかないのです。 表現というものに、全く価値を感じる機会が今までずっとなかったのです。 (相手の意思とは関係ない)教えてくれる人間が自分視点の環境には存在しなかったってことです。 この世に信頼できる人間が1人もいなかった。 そうすれば、こうなります。 存在する存在空間の、表面結果が表現されるだけで、それだけでしょ。 伝えたいと本気で思える人間が私の前に現れることがなかった。 脱線しましたけど、西大和は不合格になりました。人生初の不合格です。計算用紙になんだこの数学はアホかやるきあんのか、って書いたのが相手を激怒させたのかもしれません。 入試の科目で満点とれてるのは西大和の数学が人生初だと思う。(大学入試では同志社物理とセンター物理が満点。センター物理って小学生でもry) (大学入試数学は私は全く訓練がされてないので、同志社レベルでさえ時間足りないです) そして、甲陽おちた場合、出願は2校しかしていないので、いく高校がないです。 けど合格してた。勉強して合格したわけではないので、何も感じなかった。 自分の人生は他人事で、どうでもよかった。 人は過去を美化するという表現を見かけることがあります。 この表現の意図はこうです。 そんなわけがない、人間をなめるな。しかしすべてを説明するのは一生かけてもできない膨大さ。情報を努力して絞り、本質的な情報を簡略に表現する意図がある。 人間が人間であるための努力だ。 そして過去が存在しない人たちからの言及をそらし、内心ほくそ笑むための表現です。 人間であることを放棄した人が、人間を舐めるな。 人間は、人間を人間だと信じている人たちだけで暮らせばいいです。(そう信じることしかできないんです。) 脱線の方が長くなってしまいました。ごめんなさい。 高校。高3で人生で初めて、通知表に0がつきました。 英語の定期テストで選択問題が初めて0問で、(授業でやった)東大京大等の英訳和訳問題のみだったのです。がんばったけど0点でした。 けど留年とかされても高校にとって迷惑になるので、卒業という形で平和に追い出されました。 中学では宿題をだす教師はいて、平常点が存在しました。 高校では宿題をだす教師はおらず、自分で勉強する人たちが自分の意志で医学部とかにいってた。 東工大の大学入試の配点は理数系が68パーセントで、合格最低点は忘れました。(ふつうの東大生であれば英語国語0点にしても東工大には合格する程度の合格最低点です) ちなみに早稲田理工は理数系67パーセントで慶応理工は70パーセントです センター試験本番は現役時が47パーセントで、物理に関しても波長って何?λってなんてよむの?らむだってなに?って思いながら知恵とセンスを絞って問題に正解してました。 浪人した時は、波長とはなにか、λがらむだってよむんだって知りました。 一切の本も読まずに、微分とか極限の解釈でただ単に考え事をしていたら、テイラー展開って表現されているものが発見されました。 数学は自分で問題をつくって遊ぶことしかしてなくて、浪人時代の1月も2月も一回も過去問とかやらずに 自分で問題つくっては遊んでました。 (1)30!の一の位は0である。ここから始めて十の位百の位と順に左に見ていく。最初に0でない数字が現れるまでに連続していくつの0が並ぶか。 (2)(1)において最初に現れる0でない数字を求めよ。 (3)ここで「n!は10^kの倍数である」これをみたす自然数kのうち最大のものをpとしてf(n)=10^pとする。このとき以下の数の一の位の数字を求めよ。 (イ)100!÷f(100) (ロ)100000!÷f(100000) (4)100兆の階乗を10進法で表示したとき右から数えて25兆番目にある数字は偶数であるか奇数であるか調べよ。 問題を読んでほしいためこのようにしてみた →方法論は省略して 100兆(10進法)=101101400兆(5進法) 100兆!÷10^(25兆-2)≡2^(25兆-2)×4!1!1!1!1!≡6 …□6が4の倍数なので□は奇数です 普通の電卓を使用して 2の常用対数の小数第10位の値を求めよ。 とかに関しては、あるごりずむとかいうやつっぽい。 AA>Bと同値はA>√BまたはA<-√BまたはB<0(A実数)または-√(-B)<Ai<√(-B)である。ではAA<Bは? とかに関してはすうがくっぽい。 大学に入ってからも痛感しますが、勉強したことがないので、勉強のやりかたが全くわからない。 環境というものは目には見えない力なのです。 クソみたいな社会に適合してたまるか、という環境も世の中には存在します。 社会に適合化された言葉を使ってしまうのは屈辱でもあります。 なにが世界を破綻させているのか。それは現実主義者の存在です。 「数学に対する価値観は、誤答を解答として提出したのであれば死刑にすべき」 の意図している意識が共通認識となれば、世界は平和になるのではないかと思います。 共通認識と共通認識における努力さえあれば、別に死刑にする必要はないです。 いつかきっと、人類が私の意図を理解することができればいいなって。 おなかがすきましたね。 http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
プログラミング言語はあくまで言語だから、英語に得意不得意があるように適正はあるよ。
単なるコミュニケーションの一種、特に命令に特化した言語だと考えると、ランダムな数列を並び替えろ、をひとつひとつ分解して日本語でかければそれを機械語に翻訳するだけだ。
これを機械語に訳すんだ。
和英翻訳と違うのは上のような手続きを自分で分解しなきゃいかんことで、このへんでつまづくことも多いんじゃないかな。
例え適正がないと感じても、芸術家以外の仕事をする場合には、何をどうしたい、何がどういう状況だ、ということを伝えることは大事だよ。
機械語翻訳はできなくても、おおまかにどうしたいのか、どうすればいいのか、を考える力は養っておいたほうがいい。と、老婆心を出してみる。
人脈業?
「みんなと一緒に考える仕事だよっ」って明るく話してくれる。まるでちきりんみたい。
「結局何やってんの?」
「ああ、変える係?」
「でもないけれど。でも結果を出していかないと次のクライアントは見つからないから、営業が半分かなあ」
「俺にもできる」
「めっちゃ向いてると思うよ?すごく考えるでしょ。でも手に職があるからいいじゃん」
「ふーん」
ちきりん見てると、
「短期間で勉強して、理解した感じになって、それを応用していく能力がある集団?」
というような気にもなるのだけれど、
別の親戚を見ていると、なんかブローカーというか、
みたいな商売もしているし。
「あそこは長くやるところじゃないから」
ああ、そういう事やってたんだなーって推測するだけ。
「世間知らずな医者からどうやって吸い取るか」しか考えてない連中のように思うから、
きっと同じコンサルタントと名乗って欲しくないだろうと思われてるとは思う。
なかなか抜け目のない人達だというのはわかる。
彼らは僕の知識を無料で吸い取りたいだけだというのは当然わかるので
それでもそれを別の企業に持っていけば金にはなるらしい。
自分は自分で彼らのミスから相手企業の素性を推測したりするのは楽しくないわけではないから会うんだけど。
コンサルにも得意不得意はありそうで、例えば彼らは医療系の論文を読んでも心底理解するのは難しいみたい。
だから「ソースはこれだから読めばいいじゃん」とわざと言ってみたりする。
医療系の論文ってのは背景の何十という論文、著者の力関係、政府との関わり、お金の流れを想像しながら10年後を予想するのが楽しいんだけど。
まあいいや、書いていたらどうでもよくなってきた。
*ちきりん出すの良くない
コンサルのお仕事がこの20年ずっとわからず、自分の知ってるコンサルは例えば東南アジアの資源系コンサルなどという職で、ODAがらみの案件をスムーズに行うような、ちょっと裏仕事もしますよみたいな事を想像しておりました。絶対に教えてはくれませんが。年収は億をかるく超えるような暮らしぶりではあります。ほぼ単独で仕事をします。そういう「謎」な存在だったコンサルという職業を、ちきりんは少しわかりやすくしてくれている存在、のように思います。数学わかるくせに、数学者ほどはわかんねーからと、数学出来ないふりをしたりするのも、ああいう職業の方の特徴的な振る舞いのように思います。
*幹部をそそのかすイメージ
野村総研でとんでもない破廉恥な事案が今回明るみになりましたが、そういう印象を持たれてもやむ無し、のような気はします。
例えばしかし、「この◯◯のマーケティングを行うにあたって妙案は?」という時に、例えば一般向けの商品ではないような場合広告代理店に頼んでもしょうがないわけで、そこでコンサルタントに事案が回ってくる、というような事が自分の周りには多い。自分が持っている彼らの印象といえば、「目標に到達すべく結果を出してくる」というものですが、この資料を普通の子に揃えろよ、と言っても無理な分量の資料を持っては来ます。自分はむしろコンサルタントに利用される立場にいます。専門分野がありますので。むしろ自分と会社とを直結してくれたほうが成果は出ると思うけれど、その仲介でお金をとってるんだよな、という気はします。
それはもうひどいものです。LinkdInで自分を探して頼ってくれたほうがはるかにましです。もちろん無料でなんでも教えてあげます。
医院に言ったらどこの検査会社か、どこの電子カルテか、院外薬局はチェーン店か、これだけ見ればその医者が一流かどうかはすぐわかります。
彼らの思いつきが時にすごく良い結果を出すことがあると思います。自分の知り合いの成功しているコンサルタントはまさにこれです。
素人が首を突っ込むことが、イノベーションを起こす、という宗教ですね。これはうまく行っています。
*以上「もしも僕が医者になってたら」という妄想でした おしまい
*コンサルの仕事は、ある業界のアタリマエをそのほかの業界に適用する仕事だって、瀧本が言ってた。
はい、彼らは例えば同業者に同じことを教えるのと同等のスピードで理解した雰囲気になります。すごいスピードで理解しないと業界と業界とを結びつけることは困難でしょう。
「ハブ」と考えると良いかもしれません。今日はそういう女の子に会ってきます。
*「経営陣の判断のexcuse」に利用するモノ
私も読んだことはあります。失敗した場合はそうなりますね。失敗の時の言い訳を聞いてみたい気はします。
追記:女の子と会ってきた。業界の先鋭に可愛がられる才能があって、違う業界同士を結びつけるような役割を果たしている人物。会社に就職して、というような枠にはまる子ではないと思うが。リクルートエグゼクティブエージェントがほしがりそうな人物ではあった。
自分自身はちきりんの登場でなんとなく自分の周囲の人々(各方面での優秀なコンサルタントが多い)の雰囲気がまとめて理解できた気がする。
「優秀でないふりをする」「かといって飲み込みははやい」「決断力がある」「人脈を作る」「ノウハウを持っている」「良く考える」
一方、良くない印象を持ってらっしゃる方も多そうだ。コメントでご指摘のあったように、だめなコンサルタントをのさばらせているのはだめな経営者なのだろう。医療系がだめだというのはすなわち(ry
過去、主婦の参加が多かった時代もあったが、今はフェミニストも賛同している女性側も独身になってしまっている。
どうしても独女向けの主張になる。 で、そういった彼女たちの主張からは
『男女でそれぞれ得意不得意、向き不向きはあるけど仲良くやってこうよ』みたいなカップルはこぼれてしまう。
専業主婦志向の女性はいるのに、そういったモデルに憎しみを燃やしていこうとする。糾弾をやめられない。
今回の人工知能学会誌の件もそう。
結婚しないでも楽しくやってける、という彼女たちのスタイルはそれはそれでありだし、否定はしないんだけど、ただ彼女たちは他人へのヘイトが強すぎる。
元増田です。
なんか異常に伸びてる……
たくさんのブコメやらtwitterやらありがとうございます。
キモいのは自覚していたので増田が最適と思ったんですが、しね、キモくて死ぬ、とかぼそりと言われると何とも言えないですね。
できるだけ大げさに感傷的に書いてみたんですが、読み返してもやり過ぎた感は否めません。ポエム……何やってんだ俺……
「元カノの結婚を知ってモヤモヤしてるんだが、もしかして俺が結婚したとき、相手も何か思っていたのか?」であったことを忘れてました。
それがいつのまにか、自分のモヤモヤを掘り下げた文章になっていた、という始末。
なのに、男女一般のことのように書いてしまったのは、注意不足と能力不足です。
一般論を語っているつもりはありませんでした。
ブコメを読むに、僕の結婚を知っても、元カノはモヤモヤなんかしなかったんでしょうね。それは答えが出た気がします。
今カノ、というか奥さんについては今回はスルーです。
元カノの結婚にモヤモヤしてたり、過去の恋愛を思い出すだけで、奥さんにひどいことしているになるなら、それはちょっと怖いです。
比較するほど対象がいないんでしょ?という指摘もありましたが、どどどど童貞ちゃうわ!
これまでつきあった人の中で、最も影響を受けた女性であったので、今回のモヤモヤに繋がったんだと思っています。
もっとポエムっぽく、自虐っぽく、それでいて自己愛にあふれた増田を繰り出して、皆さんに楽しんでいただけるよう修行しますね。
あと、キモイキモイ言った奴は、奇しくも同じ日にブクマを集めた以下のサービスの日本語版をローンチして自爆するように。
■元カレの評判をみんなで共有! 女性専用の男性格付けアプリ「Lulu」が怖すぎる
http://wotopi.jp/archives/1024
さて、クリスマスに向けて「秒速5センチメートル」でも観るか。
解散。
ググったらだいたいまとめサイトにひっかかるけど、そこでの論調が、
↓
お前の操作ミスだろor近代化改修のときに確認しないお前が悪い
ってのがあっていつももやもやする。
システム上の問題があるって言ってるだけなのに、プレイヤーが悪いっていってるから。
ロックしてるやつは近代化改修リストに出てこないっていう信頼のもとでぽんぽん合成したっていうことの何が責められるべきなんだよ。
何も責められるべきところはないだろ。
ロックが勝手に外れるなんてプレイヤーの予想外の動作なんだから。
それをプレイヤーの注意不足に置き換えて問題提起した人間を叩くのはおかしいだろ。
かんこれの運営の対応とかがいいから擁護したくなってアンチを叩きたいのはわかるけど、アンチとかじゃなくて貴重な問題提起を叩くのまではどうかしてる。