はてなキーワード: アンドレア・ピルロとは
だからですね。外的な評価として絶対的に得意であるということと、内的な比較において相対的に得意であるということをごっちゃにされてませんかね。
例えば日本代表の常連の遠藤保仁はパスを出すのが得意な選手だが、それがイタリア代表のアンドレア・ピルロぐらいに上手いかと言うと、おそらくそうではない。ただ、例えば彼はマンマークや対人守備はJリーグでも怪しいぐらいに苦手だったり、ドリブルで持ち上がるというプレイはあまりしない中で、彼の中ではパスは得意なプレーなんだ。
レベルを変えて、高校サッカーで一昨年から俺が注目してる京都橘の中野克哉という選手がいて、彼はドリブルが非常に得意なんだけど、それが例えば日本代表に選ばれた斉藤学や世界的に有名なドリブラーのリオネル・メッシほど上手いかと言われると、決してそうではない。でも、中野くん個人で見た場合、彼はドリブルは得意なプレーなんだ。
もっと分かり易く、お前が大好きな俺の体育の成績が2だとか4だとか。体育の成績が平常3の人間でも、手を使う球技は苦手で、道具を使う球技はそれに比べればやりやすく感じ、それによって成績が上下する。それを指して、個人の中での比較の問題として、得意不得意があると言っている。
それが、平常5を取るような奴でも、競技に関して何となく「野球は得意だがサッカーは苦手だ」とか「剣道は得意だがテニスは苦手だ」とか、個人の内的な比較として、個々人のレベルに関わらず得手不得手は存在しているんだ、と言っている。
お前は常に絶対的な尺度で測って、何か一つの競技に長けた人間は万能にある程度何でもこなせる、と言っている。それは、一定のレベルではそうだろう。確かに日本代表に選ばれるようなサッカー選手で、100mに20秒もかかるような奴がいるとは思わない。
ただ、俺はある程度の運動神経があって仮に万能に何でもこなせたとしても、個人の中には比較の問題として得手不得手が存在する、と言っている。
遠藤保仁はパス出しが非常に上手い選手で、戦術(誤字のため訂正)先述の通りパスは非常に得意な選手だが、マンマークは非常に苦手としていて、ギリシャ戦でも後半たしか5回あったコーナーキックで3回は選手のマークを遂行できていなかった。遠藤は日本でも一流の選手だが、個人の内的な比較として、パス出しは得意でマークは苦手である、と言える。そのマークが苦手な遠藤でも、高校選手権に一人放り込んだらコーナーキックのマークはちゃんとやってのけるだろう。だが、遠藤個人の中で見た場合、やはりマークは苦手だと言わざるを得ない。
中野克也は高校レベルではかなり有力なドリブラーだし、彼のプレーの中ではドリブルが一番得意だということが出来る。しかし、これをいきなりドイツやスペインの1部リーグに放り込んで通用するほど得意と言えるとは考えていない。
他人の技術との比較や成績や世間の評価のような外的な基準ではなく、個人の行為の中における内的な基準として、得意不得意は常に存在し、そこには球を使うか使わないかや球の使い方のような要因が想定されても良いだろう、と言っている。