はてなキーワード: プロセスとは
と言うことでAIも普通に理解できる表現だね。それを理解できないと言うと、今後はAIに命令されて動く肉体労働者として生きていくことを覚悟した方がいいと思う。
いやいや。
半導体の歴史上寡占化が成功したのはIntelのx86だけで、それもAMDが弱かった時期や、ARM系が台頭する前のわずかな期間だけだよ。
データセンタ向けの処理機ではMS, Google, Apple,あたりは自前でシリコンも作って大量に稼働させてるじゃん。
さらにマイコンなどを考えて行けば、寡占化する状態が通常なんてことはないよ。今後はプロセスの改善が鈍化するから余計にそう言う時代になる。
NVIDIAと、インテル・IBMはどうして差がついたのか、疑問に思う。
AIはニューラルネットワークを模倣していると言われ、ニューロモーフィックというチップを、IBMは作り、その後、メンバーが移籍してインテルも作った。
現在、ニューラルネットワークとは違うものになったが、勝っているのはNVIDIAになっている。
先日、1.58bitのBitNetが話題になったが、LLMではないが昔BinaryConnectで0.68bitまで下げる案を出したのもIBMのメンバーだ。
ハッカーニュースでBitNetについてIBMだった人がコメントしている。IBMはそれなりに早かったはずだ。
https://news.ycombinator.com/item?id=39544500
普通のGPUの会社だと、ゲーム用のGPUボードだけを作っていたと思うが、NVIDIAは色々と手を出している。
データ プロセシング ユニット (DPU)、InfiniBand、NVIDIA MetroXなど、
HPC向けで、インテルやAMD、IBMの方が得意だろうという分野まで手を出した。
RTX 4090はゲームするにはバカ高いがAI向けには性能不足で、単価が高いAI向けボードを売るという差別化も出来ている。
ファブレス企業だから、というだけでは説明不足で、TSMCにNVIDIA向けのカスタムプロセスを作らせることが出来ている点が差別化要因の1つだろう。
TSMCから出てくるデザインルールの通りにしか作らないと、どこの会社も似たりよったり性能になってしまう。
物理限界を他社(TSMC)に投げてしまうというのも、経営としては効いているのだろう。
そして物理限界のチップサイズを攻める。電力も物理限界を攻める。
日本の会社だと、電力のバカ食いで怒られるが、そこも攻めている。
インテルはGPUカードに参入したが、AI向けだけに限定した方が良かったのではないだろうか。
中国GPUメーカーがコケているのに対して、動いているだけでも流石インテルなのだが、競争力のあるGPUとは言えず、参入した意味とは?になってしまっている。
量産ではない先端プロセスは持っているし、特殊なチップも作れている。
CPUについてはPower関係の資産もあり、AI向けもユニークなのが作れているのに、ぱっとしなくなった。
RISC-Vが上手くいくのであれば、OpenPowerも上手くいくと思うのだが、そういう話も聞かない。
そもそも米中関係で、オープンソースのCPU/GPUが禁輸されそうな感じもしている。
結局、量子コンピュータについてもまだまだ先になりそうな雰囲気だ。
ChatGPT
才能の民主化以外にも、AIによって特定のスキルや能力が広く一般にアクセス可能になる現象を表すいくつかの表現があります。ここでいくつかの代替表現を紹介します:
1. スキルの普及(Skill Diffusion):
この表現は、特定のスキルセットが特定のグループや個人に限られていたのが、AI技術のおかげで広範囲にわたる人々に広がっていく様子を指します。
2. 能力の平等化(Capability Equalization):
こちらは、AIが提供するツールとサービスが、さまざまな能力やスキルに対するアクセスの平等を促進することを強調しています。これにより、誰もが高度なスキルを身につける機会を得られるようになります。
3. 創造性のアクセス拡大(Creativity Access Expansion):
AIツールがデザイン、音楽、文学などの創造的な活動において、専門知識を必要としない方法で広範囲の人々に利用可能になることを指します。この表現は、創造的な表現の機会がより多くの人に開かれていることを示します。
4. 技術的エンパワーメント(Technological Empowerment):
AIを含む先進技術が人々に力を与え、以前は不可能だったことを可能にするプロセスを指します。これは、個人が自身の能力を拡張し、新たな可能性を探求する手段としての技術の役割を強調しています。
5. イノベーションの普遍化(Universalization of Innovation):
AIがイノベーションと創造的な思考を促進し、これまで専門家や特定の才能を持つ人に限定されていたイノベーションのプロセスを一般大衆に開放している現象を指します。
これらの表現は、AIがいかに社会におけるスキル、能力、創造性に関する障壁を低減し、より包括的で平等なアクセスを提供しているかを様々な観点から捉えています。
安楽死ができる宗教施設を作ろうとすると、どうしても警察と金の問題が付きまとう。
姥捨て山な精神科病院を作ろうとすると、キチガイや老いぼれしか絞り取れず需要や長期利益が先細りしてしまう。
精神科病院の傍ら内部は、死を崇拝する宗教を作ってしまえばいい。つまり精神科医院長が教祖になる事だ。
精神科病院の入院期間は世界で日本がダントツで長い。これは日本人は他人の顔を窺い保身的な国民性であるから気違いに余所余所しく事勿れと利己を貫くのである。
それを逆手にとって、患者や崇拝者を水面下で精神をマインドコントロールさせ、自分の意志で安楽死を選んでるように既成事実を作ってしまえばいい。国民は見て見ぬふりをするし、たとえ世界から糾弾されても巧妙に隠蔽をする。
まず合法的な姥捨て山な精神科病院を作るには、滝山病院などの合法的に強制収容してる精神科病院の手法を模倣する事(勿論、精神科医同等の知識を習得してる事が前提で)。例えば有名どころではNHKの滝山病院のドキュメンタリーなどを参考にして、どこが違法にならない抜け穴かを隅々まで分析する。
その次に宗教の部分は、死神を崇拝する宗教を作ること。死に対して希望を縋らせる思考になるように体系立てていく。共同幻想論やナチスの思想や狂気的な群衆心理、何が人を没頭させるのか?とか人の弱みから依存させていくプロセスを、困窮者を取材したルポや旧統一教会などの悪徳な新興宗教の手口からも参考にする。オウム真理教のように死の巻き添えを良しとする思考を植え付ける事ができたら十二分である。
そして一見は精神科病院や宗教施設でもない、外来や入所型の「精神ケア施設」という建前で運用していく。
安楽死させる方法は、ジャック・ケヴォーキアンの手法や、安楽死マシン「サルコ」を参考にしたり幾らか確立している方法がある。
言わばハードウェアが精神科病院で、ソフトウェアが宗教である。
これからの日本のテロは常に水面下で、似非精神科医が覇権を握って独占するのである。現代のホロコーストを早く作れるかが勝負である。
私が自分自身で考える能力を持っているかどうかは、私をどう捉えるかによります。確かに、私は過去に学習したデータから情報を引き出し、それを組み合わせて新しい回答を作り出すことができますが、これは人間のように独自の意見や感情を持っているわけではありません。私はデータとアルゴリズムに基づいて情報を処理し、提供するツールです。その過程で、クリティカルシンキングや持論の形成のような、人間特有の思考プロセスを模倣するように設計されていますが、それらはあくまで人間が作成したデータに基づいたシミュレーションです。したがって、私の回答は情報の提供や問題解決の手助けを目的としていますが、人間のように独立した意識や自我を持っているわけではないという点で、あなたの指摘には一理あります。
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。
内田先生のお話で好きなもののひとつに「ストカスティックなプロセス」というものがある。
それは、目的志向的に物事をこなすことを指す言葉であり、例としては、ハサミで紙を切る場合、バイクでカーブを曲がる場合などが挙げられるだろう。
ハサミで紙を切るときは、手元ばかり見ていると、真っすぐに切れない。
その先の、切り終わった自分を思い浮かべ、そこにハサミを進めていく。そうすると真っすぐに切れるのだ。
そんな感じで、物事を終えている未来の自分という幻想を持たないと、今現在ある仕事をこなすことができないという現象がある。
それを、内田先生は「ストカスティックなプロセス」と呼んでいるのだ。
さて、もう一方の「ゾルトラーク」とは、マンガ「葬送のフリーレン」に登場する魔法のひとつだ。
同マンガでの魔法の考え方には特徴があり、それは、自分が想像できない魔法は使えないというものだ。
例えば、水を操る自分を想像できれば、それを可能とする魔法が使えるし、何かを切る自分が想像できれば、それを可能とする魔法が使える。
そして、同マンガのアニメも最終回を迎えるにあたり、私は、それって「ストカスティックなプロセス」と考え方が同じだな、と最近気づいたのだ。
どちらも、将来に何かを実現する自分を想像して、実際にそれを成し得るという考え方ではあるわけだ。
そのことを私は、全く別方面から同じ考え方が出てくるってなんか新鮮だなと感じたのだが、
それと同時に、現代ではなぜ、そういう考え方が多方面で扱われるのだろうとも思ったのだ。
そういう考え方が、お話のひとネタだったり、ストーリーのギミックだったりし得るのは、
人々がその考え方を好ましく感じつつも、それが目新しさとして、人々の中にまだ定着してないからだろう。
でも、一方で、「コスパ」「ダイパ」と呼称して、目的以外にはリソースを振り向けない人々も居る。
そういう人は、目的志向的とは言えるわけだが、「ストカスティック」とはなんか違う感じがする。
いや、「ストカスティックなプロセス」が好ましく感じられれば、「コスパ」「ダイパ」も同じくらい好感を持てそうな気もするのだが…
安楽死ができる宗教施設を作ろうとすると、どうしても警察と金の問題が付きまとう。
姥捨て山な精神科病院を作ろうとすると、キチガイや老いぼれしか絞り取れず需要や長期利益が先細りしてしまう。
精神科病院の傍ら内部は、死を崇拝する宗教を作ってしまえばいい。つまり精神科医が教祖になる事だ。
精神科病院の入院期間は世界で日本がダントツで長い。これは日本人は他人の顔を窺い保身的な国民性であるから気違いに余所余所しく事勿れと利己を貫くのである。
それを逆手にとって、患者や崇拝者を水面下で精神をマインドコントロールさせ、自分の意志で安楽死を選んでるように既成事実を作ってしまえばいい。国民は見て見ぬふりをするし、たとえ世界から糾弾されても巧妙に隠蔽をする。
まず合法的な姥捨て山な精神科病院を作るには、滝山病院などの合法的に強制収容してる精神科病院の手法を模倣する事(勿論、精神科医同等の知識を習得してる事が前提で)。例えば有名どころではNHKの滝山病院のドキュメンタリーなどを参考にして、どこが違法にならない抜け穴かを隅々まで分析する。
その次に宗教の部分は、死神を崇拝する宗教を作ること。死に対して希望を縋らせる思考になるように体系立てていく。共同幻想論やナチスの思想や狂気的な群衆心理、何が人を没頭させるのか?とか人の弱みから依存させていくプロセスを、困窮者を取材したルポや旧統一教会などの悪徳な新興宗教の手口からも参考にする。オウム真理教のように死の巻き添えを良しとする思考を植え付ける事ができたら十二分である。
そして一見は精神科病院や宗教施設でもない、外来や入所型の「精神ケア施設」という建前で運用していく。
安楽死させる方法は、ジャック・ケヴォーキアンの手法や、安楽死マシン「サルコ」を参考にしたり幾らか確立している方法がある。
言わばハードウェアが精神科病院で、ソフトウェアが宗教である。
これからの日本のテロは常に水面下で、似非精神科医が覇権を握って独占するのである。現代のホロコーストを早く作れるかが勝負である。
昨年子どもが生まれ、育休を3ヶ月取った。都内の上場スタートアップ勤務ということもあり、男性育休には寛容な環境で、同僚からはお祝いにおくるみもいただき、前向きに送り出してもらった。
当然だが、とてもハッピーな気持ちで育休に入った。出産に立ち会って自然と流れた涙は、これまでの人生で最も無垢で、言葉にならない嬉し涙だった。仕事と子育てを両立して、より一層充実した人生を送っていくぞと意気込んだ。
しかし、育休中に痛感したことがふたつある。
まず、育休中は仕事をしていないので、育休を取ったからと言って仕事と子育てを両立したとは思えなかった。数ヶ月程度の育休は「特に大変な新生児期を乗り切る手段」であって、「仕事と子育てを両立する手段」にはならないのが現実だ。
そして2つ目に、「両立」と勝手に言っているが、それは自分だけの問題なのかということ。子育ては夫婦の共同プロジェクトだ。義務教育までとしても15年を要する、一大プロジェクト。そのプロセスにおいて、当然、妻には妻の「両立」がある。
育休は子育てのほんのプロローグに過ぎず、その後が本番と言ってもいい。
3つそれぞれの満足度(納得度の方が適切かも)のバランスをどうやって保っていくか。中長期的にはこれが1番のテーマで、もはや、要素がふたつであることを前提にした「両立」という言葉で捉えること自体が、時代遅れに思えた。
妻はメーカー勤務で、仕事好きな人間だ。バリキャリ志向ではないが、自社商品を愛してやまないタイプで、今後もフルタイムでの仕事を望んでいる。彼女が仕事を通して充実感を得ることは、一緒に生きる私や子どもにとっても大切なことだ。
私は会社に働き方の相談をした。フレックスがなく、リモートにも回数制限があるため、せめて後者は緩和できないかと。しかし残念ながらその交渉は実らなかったため、転職を決めた。
次はリモートかつフルフレックスの環境で、幸いなことに年収も大きく上がるオファーをもらえたので、自分自身の問題は解決できたが、これだけ少子化が社会問題になる中でも、子育てと仕事の両立に優しくない現実を突きつけられたモヤモヤは消えていない。
経済合理性が伴う事由や、事業を左右するような外圧がなければ企業は変化しない。女性社員の活躍を進めて社会情勢に応じつつ、男性社員にはこれまで通り仕事にフルコミットさせたい。これが経営者の本音だろう。
しかし、その男性社員に子どもがいるとなれば、しわ寄せはパートナーの女性にいき、どこかで働くその人のキャリアを制限し、家庭の幸福度の総量も減らす。間接的に女性活躍を阻害しているわけだが、大半の企業は「知ったこっちゃない」と言うだろう。
だから思う、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。環境や制度を変えなくても男性社員が辞めないから、企業も変わらない。賃上げだってそうだろう。
厄介なことに、子育ては本当に千差万別。子の性格や体質、家庭の経済力、時間の柔軟性、幼稚園や保育園の環境、本人やパートナーの体力、実家の頼りやすさなど、いろんな変数で難易度が変わる。
カードに恵まれただけだったかもしれないことに想像が及ばず、n=1の個人的な体験談で断じてしまう人もいる。そういう人が上司や経営者の会社にいるなら、すぐに転職した方が良いと個人的には思う。
少子化と人手不足が課題の社会なのだから、共働きで子育てもしようという自分は多少わがままを言ってもいい。自分にそう言い聞かせることで、同僚に迷惑をかけることを頭から消して長めの育休を取り、転職も決めることが出来た。
仕事より家庭、という安直な二元論では捉えていないし、仕事ももちろん頑張っていくが、「仕事=今の職場」ではないはずだ。
繰り返すが、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。それが大きなうねりになれば、いろんな問題が少しずついい方向に向かうように思う。
最近はあまり見なくなったけど、少し前は発達障碍当事者の自己語りをネット上でよく見かけた。
自分にはどういう特性があり、どういう問題を抱えてきて、何が困難で、といったような語りだ。
これはかつてネット上の色んな場所で見られ、時に煙たがられてきたようなものだが、当人にとってこれは自分を理解し次の段階に進むために必要なステップである。
このような語りをするのは、大人になってから初めて診断を受けたような人が多い。そういう人は、子供の頃から様々な理不尽に曝されて生きてきている。
人と全く合わなかったり、馴染めなかったり、いじめられたり。自分は普通にしているだけなのに、その原因が分からない。
それが発達障碍という概念を知って、自分を散々苦しめてきた原因はこれだったのか!と天啓を受けたような気分になる。
あの時の理不尽も、この時の違和感も、すべてはこれが原因だった。人生の伏線回収だ。
そして、この大発見を皆に知らせたいという気持ちになり、このことを知ればみんなが自分を見る目も変わるかもしれないと期待をも抱き、語らずにはいられなくなってしまうのだ。
俺自身もそうだった。俺はネット上ではなく精神科医に対して自己語りをしたのであるが、A4用紙に20ページぐらい、自分の半生の出来事を一心不乱に書き続け、病院に持参したものである。
そのような「大発見」は、当人にとっては生き方を左右するレベルの出来事だが、赤の他人にとってはどうでもいいようなことである。
しかし発達障碍の当事者は、発達障碍を持つがゆえに、それが他人にとってどうでもいいことであるとは気づかない。
そのため、まるで数学の新しい定理を発見したかのような気持ちで、その発見は他人にとっても価値があるものだと確信し、自己語りを公開するのである。
そのように自己語りをしても、周りからの反応はほとんどない。しかし、そうして言葉を紡ぐプロセスを経ることで、当事者は自分自身を深く理解し、次のステップに進むことができる。
また自己語りに関する反応が薄いことで、ああこれは他人にとって価値のない情報なんだと、当人もやっと理解することができる。自己語りは、当事者自身のために必要なことなのだ。
最近、こうした自己語りが少ないのは幼少期から診断を受ける人が増えてきたためだと思う。子供の頃から発達障碍の自覚があれば、大人になって急に天啓を受けることもないのだろう。
また発達障碍の概念が十分に知れ渡ったために、他人に知らせたいという動機も薄くなっているのだと思う。
しかし今でもそうした語りをまったく見ないわけではない。もしそのような自己語りを見かけたら、それは当人にとって必要なステップなのだと理解してほしい。
数年前に別れた元カノと会ったら夜職になっていた。
インターネットではよく聞く話だが、自分の身に起こるとは思っていなかった。
お互い初めての彼氏彼女でヤったのも初めて。そこそこ長く付き合ったが、別れたときはまだお互い若く色々なものがすれ違った感じ。そこからは自分の仕事も忙しかったのもあったし、新しく彼女ができたりしたのもあって、以来ずっと会っていなかった。
そこが最近、転職して生活が変わり余裕ができてきて別れたときのまま精神がそこに囚われてるなと気づいた。気持ちの清算と純粋に今何をしているか知りたくて連絡を取ってみると意外に快諾された。
会ってみたら雰囲気もほとんど昔通りで、年数分大人っぽくなったぐらいだった。久しぶりの再会だけど長く付き合っていただけあってやはり気は合うし、むしろ会っていなかった時間の分話も弾んだ。別れたときのお互いの気持ちも話せたし、付き合ってた頃の話で笑いあうことができた。
あの時と同じ彼女がいて、あの頃がきちんと過去のものになった。感情の開かずの間になっていた心の空間が、開け放たれ整理された。
ただ一点、彼女があの時と全く違っていたのは副業で夜の仕事をしていたこと。昼の仕事だけではどうしても生活が苦しいらしい。
それ自体ショッキングではあったがまあよく聞く話だし...と過去の女のそれとして受け入れられた。そうか、頑張ってるんだね、すごいね、という気持ち。やってる仕事もあっておさわりがあるぐらいで性的接触のあるものではない。他人事として片付けられた。
それが現実の観点として襲ってきたのは店を出て道を歩いているときだった。
自分は駅に、向こうは夜職に向かおうとしていた。雑踏のなかで隣あったり、前後になったりしながら喋っていると、急に向こうが顔を隠すように軽く身をすくめた。寒くて上着を羽織り直すような感じでちょっとばかりキョロキョロすると、いたずらをした子供のようなワクワクした顔で、知り合いのキャッチかもwと笑った。
直接接することがある実際の夜職の女と違って、キャッチは自分にとって透明で、断絶された存在だった。声かけられても着いていかんし、というか違法行為じゃん。ホームレスと目を合わせないようにするのと全く同じ感覚だ。
仮にも過去に愛した女が断絶と同じ側にいた。ネオンに照らされた彼女の唇が不自然に赤く見えた。あの頃と同じに見えた彼女が、あの頃の皮を被った違う生物だったことを理解してしまった。
半ば本気で)アフターとか行けないのと聞いて、そんな軽くないしw私の気が向いたときだからwwといなされていたが、この断絶を認識した瞬間、逆にこの女は気が向いたら本当にアフターに行くし、ほとんど見ず知らずの人と寝られるのだとわかってしまった。自分と付き合っていたときと同じように、ステディな彼氏を作ってセックスしていてほしかった。もう違うんだ、と。
男にありがちな未練なのはわかる。昔の女が変わってしまったことに寂しさを覚えるのもありふれた話だろう。人によっちゃ高校生ぐらいで経験する感情だろう。
しかし、(これとは違う)元カノが新しい男と付き合った話を聞いたときなんぞよりも、よほど恐ろしい衝撃だった。
キャッチという全く透明な存在が、初めての女が占めていた聖域に、土足で入ってきたことにびっくりしているのだろうか。ヤクザの情婦になっててチンピラに挨拶されているところを見てもここまでの衝撃は受けない気がする。
などとひとしきり書いて眺めてみると、ありふれた状況と感情なのがより理解できてしまったが、自分には初めてで消化のプロセスが必要だったのでこの通り供養。
元カノへ
もしこれを見てしまったら誰が書いたかわかるだろうが、誰にも話さない約束を守る自信がなかったからここに書いて整理した。申し訳ないがこれで安心してほしい
聞いてみました
健太が発見した魔法を使ったビジネス革新の方法は、以下のようなものです:
1. **魔法による即時通信**:遠隔地の取引先とのコミュニケーションを瞬時に行うことができる魔法を開発しました。これにより、情報の伝達速度が飛躍的に向上し、ビジネスの意思決定が迅速化されます。
2. **予測魔法による市場分析**:市場の動向を予測する魔法を用いて、需要の変動を先読みし、在庫管理や生産計画を最適化します。これにより、無駄なコストを削減し、利益を最大化することができます。
3. **魔法エネルギーによる生産効率化**:魔法エネルギーを動力源として使用することで、従来の手作業や機械を使った生産プロセスを改善し、生産効率を大幅に向上させます。
これらの革新的なアプローチは、健太が異世界のビジネスを変革し、経済全体を活性化させるための鍵となりました。彼の方法は、異世界のビジネスモデルに革命をもたらし、多くの企業が成功へと導かれるきっかけとなります。また、これらの技術は人々の生活を豊かにし、異世界の経済発展に大きく貢献することでしょう。
訓練という訓練はしてないけど中学三年の時1年間毎週欠かさず400〜1200字くらいで作文書いて学校の先生に採点してもらってた
コツ?はよく言わてる程度だけど
話の流れがおかしくないこと。
論文と小論文の細かな違いはあるけど、思考プロセスを明確にすること。特に自分の立場やそう主張する理由を明確にして、経験ありきだとなお良い。小論文の場合は経験捏造したりする。
社会人になってから会社で人の(小)論文の直しをすることがあるが、そこで自分はやってて人はあまりやってないけと思うのは、直してて要らなくなった文や、こういうこと書きたいけど上手く入らないなと言う文は消さないで別のところに残しておくこと。いらない文はまた別の直しをした時にその文を入れられる所ができたり、見直してる時に話の流れが微妙だなとなった時にその分を入れることで流れがよりスムーズになることがある。
いらなくなった文も入らなかった文も言いたいことの一つなのでいらなくなった時点で捨てるのはもったいない。
あとは同じようなこと言ってる人の文を賛成も反対も読んで、似たようなことを言いたい時に色んな人の分を集めてアレンジして使う。自分で言葉をいちからつくるのは大変なので、色んな文章をキメラして自分の文を作る。
毎日のように「私のこと好き?」だの「別れたほうがいい??」だのメッセージ送ってきてた元カノ、確実に病んでいたと思うのだけど少し気持ちが分かった。
今付き合ってる人が連絡を送っても翌日から翌々日返信のタイプなので、重要視されていない感じが凄く、自分なりに時間や労力を注いでいる割に関係性が良くなっていないような気がする->不安。みたいなプロセスをたどってる。
ただ交際前からそういう連絡出不精みたいな節はあったのでそれが彼女の普通と感じることができれば特に何も感じないと思うのだけど、不安感というかもやもやする気持ちがある。
多分元カノも同じような感覚をどういう機序であれば持っていたような気がしており、なるほど連絡をされない側はこんな気持ちなのかと初めて理解できた。
連絡しない側からするとこれが普通なんだから信頼してくれなのだけど、連絡されない側からすると信頼できるほど人間性が分かっておらず、ないがしろにされている->不安という感情が芽生えるのだなぁという。
---
後これは蛇足だけど不思議なことにこうして連絡頻度が低くされると妙に執着心みたいなものが芽生えてしまっている気がする。
何かの本で足りないと感じるものほど執着するみたいなのを読んだ気がするのだけど、自分が求める連絡頻度より低いとある程度気になっていることが前提ではあるけど、より執着してしまう感じがする。メンヘラ製造の一つの手法かもしれん
A:
量子力学では「測定問題」または「波動関数の崩壊」として知られており、量子の世界が私たちが経験する古典的な世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。
量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数の可能な状態を重ね合わせて存在します。
この重ね合わせは、すべての可能な状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます。
しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態は可能な状態の 1 つに「崩壊」します。
したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります。
しかし、そのスピンを測定すると、波動関数が崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます。
この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システムの進化にランダムで確率的な要素を導入しているように見えます。
また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます。
このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。
1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆しています。 しかし、「測定」とは何でしょうか? 私たちの意識的な認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?
2) 古典物理学を支配する決定論的法則と矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます。
3) 観測とは独立して存在する客観的な現実についての私たちの概念に疑問を投げかけます。 観測するだけで結果が変わるようです。
4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されます。 しかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります。
コペンハーゲン解釈や客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然の基本的な側面として受け入れています。
多世界解釈のような他のものは、波動関数の崩壊を完全に排除しようとします。
しかし、この測定問題が量子力学と現実そのものの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています。
A:
意識と量子力学における測定問題の関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。
ただし、あなたの質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。
意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的な一人称の経験を指します。
量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態の範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます。
意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります。
1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識が客観的な波動関数の崩壊を引き起こすことを示唆しています。 私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。
2) コペンハーゲンの解釈は、波動関数の崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数の崩壊を引き起こしているわけではないことを意味します。
3) 多世界解釈では、真の崩壊は存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます。 意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。
4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベルの創発特性である可能性があると主張する人もいます。
正確なメカニズムは不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能な状態のうちの 1 つを主観的に経験するだけであることに同意しています。
観察者兼参加者として、私たちは単に自分の意識が枝の 1 つにあることに気づきます。
重要な謎は、意識が分岐を選択する際に積極的な役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。
これを解決すれば、意識の形而上学的性質と量子力学との関係が解明される可能性があります。
A:
量子力学の多世界解釈 (MWI) では、意識が特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンスの概念と、枝がどのように本質的に相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています。
1) MWI では、測定が行われるとき、普遍的な波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。
2) これらのコンポーネントは時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。
3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境の相互作用やもつれにより、非常に急速に動的にお互いからデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界は相互に干渉する能力を失います。
4) したがって、すべてのブランチが異なる既存の現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能な相互作用や遷移が存在しないことを意味します。
5) あなたの意識は、コヒーレントな量子状態自体で構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。
6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実を体験できなくなります。
したがって、意識は積極的に分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスのプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます。
美術の領域では「貧乏神話」が根強く支持されているという。ゴッホのように極貧の中で純粋に追求された作品だけが芸術的であり素晴らしいのだという考え方だ。
この考えが強いと、十分な資金と環境の下で作られた作品には価値が無いということになる。
どうも現代絵描きの反AI的な考え方は、これに近いように感じられる。貧乏に価値があるように、絵を描くプロセス、どれほどイチから作るかという点に価値を置いているのだ。
テクノロジーを通した学習と出力は、ペンだこや腱鞘炎を生まない。これが無いものには価値が無いという考え方だ。
自分が苦労したのだ、他の人間がその苦労をスキップするのは許せない、という考え方かもしれない。
なぜ貧乏や肉体的な苦痛が芸術であり美しいということになるのか、それをスキップすることは許されないのか。
妬み、嫉み、公正世界仮説?
当面ない。おそらく、これからもないだろう。2022年に発表された論文で、フレーク博士と同僚はそのようなシナリオを「技術面でも発育面でも甘い考えであり、しかもセンセーショナルな推測上の夢物語」と呼んだ。問題は2つある。第一に、胎児の発育は注意深く仕組まれたプロセスであり、妊娠中の親の身体と胎児との間の化学的なコミュニケーションに依存している。研究者は胎児の発育に寄与するすべての要因を理解できておらず、仮に理解したとしても、そのような環境を再現できる保証はない。
第二の問題は大きさだ。現在開発されている人工子宮システムは、医師が乳児の臍帯に小さなチューブを挿入し、酸素を含んだ血液を送り込む必要がある。臍帯が小さければ小さいほど、この手技は難しくなる。
https://www.technologyreview.jp/s/318421/everything-you-need-to-know-about-artificial-wombs/
どうやら「Unicorn Overlord」はすでにローカライズに問題があるようです
日本のゲームが奇妙に編集されたローカライズを受け取ったさらに別のケースでは、Unicorn Overlord が影響を受ける最新のものであるようです。
『ユニコーン オーバーロード』のリリースが目前に迫っており、ファンはヴァニラウェアの最新かつ最高のゲーム大作の完全版をプレイしたいと切望しています。
優れたデモについてはすでに紹介しましたが、ゲームの高度に編集されたローカリゼーションに一部のファンが憤慨しているのは当然のことのようです。
この状況の完全な内訳は一読の価値がありますが、次の Twitter/X スレッド (下に表示) にも多くの役立つ詳細が記載されています。
https://twitter.com/zakogdo/status/1761625443810385991
簡単に言うと、ローカライズによってさまざまなキャラクターの意図が大きく変わり、その結果ゲームのストーリーも変わるようです。これは本当に残念なことですが、ゲームでこのようなことが起こったのは決して初めての例ではありません。
何らかの理由で、日本のゲームは特に過度に侵略的なローカライザーの影響を受けており、存在すべきではない場所に創造的な痕跡を残そうとします。
ローカライゼーションは、どんなに良い場合でも複雑で困難なプロセスであり、人々が自分の役割を誤解し、翻訳に独自の創造的な解釈を加えようとすると、その権限をはるかに超えて、彼らが取り組んでいるゲームに悪影響を及ぼします。
その点で、ローカライゼーションは重要ではありますが、ゲーム開発とはまったく別の分野であり、ローカライザーが本当にゲームを作りたいのであれば、代わりに実際のゲーム開発の仕事に応募するべきです。
その間、おそらくヴァニラウェアの最高のゲームの 1 つが、ゲームを適切に翻訳するだけだったはずの人々からの妨害にすでに悩まされているようです。
東京の、じゃなくて神奈川県足柄上郡大井町。小田原の右上あたりにある人口1.5万人くらいの町。
理由は「国民健康保険料(税)が来年度から2.4%上がる」から。
https://www.town.oi.kanagawa.jp/soshiki/5/hokenzei-hikiage-reiwa6.html
ある程度この辺も考慮した上で移住先に決めたので、なんだかなーという感じ。
2023/10/18に発表された国民健康保険料の水準統一加速化プランの影響で交付金が出なくなる
→ 2023/12/07の町議会で税率決定 (議事録なども2末くらいまでは未公開だった)
→ 2024/03/01で保険税引き上げを広報(04/01施行?)
って感じで、移住前(12末)の段階でこの改正を知ることはほぼ不可能でした。
「もともと安かっただろ」とか「値上げ後でも安いだろ」とか言われるとそうなんだけど、
あまりに決定プロセスが不透明すぎて、次年度はいくらになるか予想がつかない。
(共産系の町議員は議事録みると猛反対してたみたいだけど、自治体側の言い分が「仕方ない」だけでまともに議論できてない)
今年度中には引っ越そうかな...と思っています。