はてなキーワード: デイリーランキングとは
うまく描けるわけでも、魅力的に描けるわけでもない。
話題の二次創作ものを描けば、ピクシブのデイリーランキングには入る。
(ランキングやRT数が絵の魅力を表しているわけではないし、ランキングに入っていないから駄目というわけではない。だけど、分かりやすいひとつの指針であることは間違いないだろう)
その程度の、絵を描くことができるが、魅力的な絵を描くことができない画力しか持っていない。
なまじ創作できてしまう、というのはすごくすごくすごく面倒くさい。
例えば、作曲家を目指すど!と意気込み、DTMを起動してみたが、自分が作りたい音がドなのかソなのか、レなのか分からない。ならと適当に良いフレーズを打ち込んでみる。
適当に良さそうなのを選んだので流れできくと全然よくない。だめだ。つくれない。
自分には才能がないのだ、と言い訳もできるし、そも、そのレベルで諦めるなら本気で曲を作りたくないわけじゃないんだろう。
自分の絵のどこが悪いのか、どこのレベルが足りないのか、ストーリーのどこが悪いのか分かってしまう。
今日や明日の自分が描けなかったとしても、1年後の自分は描くことができるかもしれない。ちゃんと練習すれば。
もしかしたら、もっと今より絵を描く時間を増やしたら、もしかしたら、ひょっとしたら、万が一、運が良かったとしたら、プロになって食っていけるんじゃないかと。
今のイラストレーターの現状を知って新卒切符を捨てるのはバカだ、と就職をした。全然違う職種に。
結論からいうと、大学時代より絵を描いている時間が長くなった上で海外のファンが増えた。
大学時代は無限と思えた時間が、就職してはじめて「時間は本当の本当に有限で、ソシャゲなんてやっている場合じゃねえ! オラ、絵を描きたいんだ!」と、気づいた。本当にバカだと思う。
退社して家についたら、即パソコンを起動して絵を描く。
5~6時間ほど描いて寝る。その所為で睡眠時間が削られてフラフラしながら出社する。昼休みに寝て、夜遅くまで絵を描く。
どうやら自分はコマを割れるらしいと気づいたので漫画も描き始めた。
よくわからないが背景もそれなりに描けるようでびっくりした。8時間の勤務だというのに、一ヶ月に70Pも完成原稿仕上げている自分がいた。バカか?
貴重な1週間の夏休みは、寝る時間と風呂・トイレ以外の時間をすべて漫画を描くことにあてた。
こんな生活を続けていれば、いずれ破綻することは分かっていた。
確かに3月の自分に比べて自分の画力は成長した。ファンも増えた。
でも、自分はしがないインターネットお絵かきマンだ。神絵師じゃない。
二次創作の薄い本は50冊捌ける。オリジナルのゲームも100本以上売ることができる。
絵は描ける。でも、魅力的な絵は描けない。
でももっと練習すれば、本気で魅力的な絵を描こうと思えば、自分をもっと売っていけば……。
プロを目指すか、今の仕事を続けるか、0と1しかない視野は狭いことは分かってる。
自分でも分かっているが、一度絵を描き始めると6時間以上ノンストップで描いてしまう。毎日2時間程度で我慢できるなら、とっくにしている。
だから、どうにかしないといけない。
どうすればいいのか分からない……。
オタク&研究者の端くれとしてほんと辟易してたんだけど,これ,やっぱ、一部のオタクが馬鹿すぎて害悪だなあという結論にしかならんわ.
作者さんたちがひどくショックを受けたのはわかる.仮に著作権法を理解してたとしてもあれは不意打ちだもんな,そりゃ身構えるよな,と思う.
でもそれは,「晒された」わけでもないのに過剰反応して騒いでた一部のオタクの免罪符にはならんわ.
男女問わず,わかってるオタクはちゃんとわかってた.まあ,引用は自由だから法的な問題はないよね,っていう正論を言ってた人は大勢いた.あるいは,正しい知識を提供されて冷静になった人もたくさんいた.でも,オタクの中には,著作権法をろくずっぽ理解せず二次創作をしてる・楽しんでる連中が一定数いることが白日の下に曝されてしまった.
素人だから詳しくなくても仕方ない,って擁護もたくさん見かけた.まあ,これが安保法制とか大店法とか銃砲刀剣類所持等取締法とかの話ならそうかもしれないし,八百屋のおっちゃんや惣菜売り場のおばちゃんが著作権法に詳しくないのは別に問題じゃない.もしくは,著作権法でもすっごいマニアックな箇所の話なら,まだわかる.
でも,ふだんから二次創作を楽しんでる人たちが,著作権法のイロハのイを知らなかったのは,やっぱりありえないと思う.
しかもそれで,じゃあお前らがやってる二次創作はどうなの? って言われたら,親告罪だから黙認されてればオッケーだの規約で認められてるだの二次創作にも著作権は発生するだのスラスラよどみなく喋るわけじゃん.なんだよわかってんじゃねーか.その通りだよ現状の著作権法の枠組みではお前らの言ってることは正しいよ.じゃあ同じように現在の著作権法で認められてる無断引用も受け入れろよ,って話になると何故か怒り出すんだよな.馬鹿じゃねーの,って思うわ.
(念のために言うと,私は二次創作に関してはパロディを合法化する規定を導入するなどして完全にホワイトにすべきだという立場.赤松先生たちが勝ち取った運用上の妥協では生ぬるく,絶対に二次創作が摘発されないよう著作権法に書いておくべきだと思っている)
論文っていう他人の著作物を,著作権法も知らないくせに違法だ違法だと吊し上げたり,引用を規制すべきだとか噴き上がるの,ふつうに表現規制なんだけど,表現規制反対だの言ってる人たちがこんなアホな理屈にコロッと騙されてるのほんと衝撃だったわ.お前ら何のために闘ってたんだ?
で,自分らは「無断引用」してるなんて露とも思わず,件の論文や解説記事の内容を引っ張ってきてあーだこーだと議論してたりする.なんだよ,無断で引用してもいいってちゃんと知ってんじゃん.じゃあ遠慮なく無断で引用していいよな?
私は,この問題が起きた当初は,やっぱりオタク界隈のマナーみたいなのを尊重すべきだよな……と思っていた.「私の作品を研究に使うな」というのは,法的には禁止できないけどお願いする分には自由だと思うし,研究者側もそれを尊重したほうがいいと思ったからだ.
でも,オタク界隈の「マナー」なるものが,著作権法も知らずに組み立てられた裁判では敗北必至の俺ルールだとわかった今となっては,そんな必要はないと思う.
なんで法律をろくずっぽ知らずに勝手に決めた俺ルールを尊重してさしあげる義理があるの?
そっちの方がよっぽどオタクを馬鹿にしてない?
ていうか,支部で二次創作やってた者としては,自分の書いた小説は世界中に公開したつもりでいたし,「これを書いたのはおれなんだ! もっと読んでくれ!」って思っていたから,pixivでランキング上位に載っている小説を「公開されていない」と主張する連中の方が信じられんわ.
なんなの? 創作なめてんの?
挙げ句の果てには「でも法的には村上春樹といっしょだからなぁ……」という主張に対して「商業小説と一緒にするな!」なんて言い出すトントンチキもいる始末.
はぁ? 二次創作を馬鹿にしてるのか?
確かにジャンクも多いけど,本当に面白い二次創作小説は十分に商業小説と渡り合えるだけの力を持ってる.なんでよりにもよってオタクが,二次創作を貶めるようなことを言い出すんだ?
オタクの二次創作は書店に並んでる純文学とは違うんだ同列に扱うべきじゃないとか,なんだよオタク差別かよ.同等に,対等に扱えと求めていくべきでは? 流通とかの面で一般書と同列に扱われないのは仕方ない面もあるけれど,せめて批評や研究には同等に開かれているべきでは? 我々はアパルトヘイトではなく同権を求めるべきでは?
文化が萎縮する?
公的に発表したもんを合法的に引用されて萎縮するような文化なら萎縮すりゃいいんだよ.
批判に耐えられないっつってクジラックス先生が筆を折ったらどう思う? LOが自主廃刊したらどう思う? 最終的には逃げるのかよヘタレだな,って思うだろ? それと一緒だよ.法規制で萎縮することには表現の自由の観点から反対すべきだけど,表現の自由というフィールドに出ていくことに耐えられないっていう文化にはそもそも土俵に上がる資格がねえんだよ.pixivやコミケなんぞに色気を出さずおとなしく仲間内で回し読みしてやがれ.そうすりゃ引用なんてされないだろうよ.
研究してくれなんて頼んでない? 誰もお前に公開してくれなんて頼んでねーよ.公開した=引用も研究も批評も感想もどうぞご自由に,って意味なんだよ.
結論としては,オタクの品位を落とす一部の馬鹿のことなんて,研究者諸兄は無視してよろしい.どんどん公表されたオタクの創作を無断で引用して自由に研究してくれ.それは著作権法で,研究者に限らず全ての創作者に保証された権利なんだから.頭の弱い繊細チンピラにビビって自分の権利を手放すこたぁない.なにせ相手は,プライベートな日記でも何でもない,小説なんだから.万人に読まれることを自ら欲しているんだから.
(作者? 公開された時点で作者なんざとっくに死んでんだよ)
オタク側も,気に食わん研究をされたら,著作権法で認められた引用を武器にして表現の自由というフィールドで殴り合えばいい.研究者の論文を好き勝手に無断で引用して,興味深い発表ありがとうございました私はこの分野は門外漢なのですがお前の研究はここがなってねえんだよ研究なめんなよ,と手斧を投げればいい.その指摘が正しければ研究者は納得するだろうし,間違っていれば改めはしないだろう.それだけの話.
enemyoffreedom ずいぶん遅刻した上に雑な駆けつけ擁護だ。研究倫理とかセンシティブなビッグデータの取り扱いとか難所が多い分野なので院の1年が手を出すべき領域でなかったというだけ。まぁ本人というより指導教官のポカ
すまんな.問題発生直後はもうちょっとオタク寄りの立場で色々書いてたんだけど,未だに馬鹿な理屈でゴネてる連中が一定数いるのを見て考えが変わったんや.
この期に及んで大学はだんまりなのか責任をどう思ってるみたいなこと言ってる奴もいるんだよ? もうね,アホかと.馬鹿かと.未だに,著作権法をめぐる裁判の中で確立された「公表」とは何ぞやという法的認識を「研究者の内輪の認識」だと思っている奴がいるんだぜ? ちょっと調べりゃすぐわかることなのに.ダンス教室の生徒は「公衆」で300人に配られた卒業文集は「公表」っていう判例があるのに,pixivが公表にならないわけねーだろと.いや個々の判例なんて知らないのは仕方ないけど騒がれてからだいぶ経つのにその辺をちっとも調べずに騒いでるのありえなくないです? そんな馬鹿はもう著作権法で殴ってわからせるしかない.
研究倫理? 作者の意志で公開された小説の研究に際して何の問題があるっていうの? 夏目漱石全集を片っ端から調査するのとどう違うの? 村上春樹作品からセックス場面だけを抽出することになんか倫理的な問題があるの? ONE PIECE全巻を分析することの何が悪いの? 私たちの文化はそれらの作品と何か違うところがあるの? 同じでしょ? 等しく,文学あるいは漫画として尊重されるべき存在でしょ? 私たちの文化は主流派文化と伍していくことのできる存在だし,主流派文化と対等であるべき存在だし,実際に著作権法はなんの区別もしていない.なんでそこで線を引こうとするの?
そういう態度の方がよっぽどオタクの権利向上に反しているので,受け入れられない.
あ,研究の質はまた別ね.そこは容赦なく表現の自由というフィールドでブッ叩かれるべき.最初からそういう話ならなんも言わなかったよ.下手な論文が酷評されるのは下手な小説が貶されるのと同じだからね.でも下手な論文を発表する自由まで奪われるべきじゃないし(だって,私の書いた下手なSSを発表しても,中身はともかく「発表したことそのもの」に対する文句なんて誰も言ってこなかったし,それが当たり前でしょう? だったら論文もそうあるべきだよ.少なくとも,医学や社会学や文化人類学みたいな分野とは違って,完全にブッキッシュな研究である場合には),そこを同胞であるはずのオタクが制限しようとするなら私は表現の自由を掲げて闘うよっていうだけの話.
bronson69 大筋同意なんだけれど、「範囲を限定して公開された情報」と「無限定に公開された情報」の取扱いが同じでいいのだろうか、ってのは引き続き気になっている。
件の論文で扱われていたのは,住所氏名電話番号病歴逮捕歴政治思想とかの「個人情報」ではなく「著作物」だということを考えれば,同じでいいと思う.前者は,たとえば電話帳や連絡網に記載されていたのを無制限にバラ撒くべきじゃないけど,後者はまた別だよね.だってそれは「他人に読んでほしくて公開する」ものなのだから.
そもそも,「メールアドレスを登録してR-18表示設定にしないと読めないpixivのR-18小説」って,「本屋でお金を払ってシュリンクを破らないと読めないジャンプの漫画」「Amazonプライム会員にならないと見れない映画」「日本ではまだ翻訳されていないのでイギリスから取り寄せないと読めないハリー・ポッターの最新刊」「レンタルビデオ店に足を運んで黒いのれんをくぐらないと借りられないエロビデオ」「空襲で焼けてしまって全国で数えるほどしか残っていない戦前の作家の作品」とかと比べて,そんなに公開範囲限定されてるか? って思うけど.pixivの小説デイリーランキング上位って普通に閲覧者が万の単位でいるわけで,普通に全世界にバラ撒いてるのと同じじゃね?(ちな,件の論文が発表された学会の会員は5000人.人文系のマニアックな専門書だと,初版の発行部数3桁はざら.「ぞうさつ」ってどこの国の言葉?)
asterpleo 異性愛ものとBLの内部ルールの違いや現在の周りからの扱いとかもろもろ絡んでるんですけどね。あと研究に使うならもうちょい無作為に、研究対象増やさないと。/そしてツッパという言葉を初めて聞いた。
女性が性的な創作をするときに向けられる好奇の目とかウェブ上の腐女子叩きとかは明らかに女性差別の一環なので,男オタクもそれとはちゃんと向き合うべきだと思うけれども,そもそも同じ公表された著作物なんだからルールの違いもクソもないよね,って話.私は女性が伸び伸びと性的な要素も含む創作をできる社会を望むけれど,堂々とやる以上は自由に引用され批評され得るっていう言論の自由の大原則の前では男も女も関係ないと思うので.
ていうか女性創作者に嫌がらせする人がいたとして,それは嫌がらせする人が悪いんであって引用した人が悪いのではないと思うんですが.ネット上での嫌がらせに対する法的措置を厳しくしようみたいな話なら私は賛同しますよ.
「全ツッパ」はもともとは麻雀用語なので,麻雀に縁がないとわかりづらかったかも.原義はこちらです>http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/k8-2.html.
TakamoriTarou 解析の為の複製は引用ではなく、私的範囲でもなく、情報解析の為の複製にもあたらないので微妙とか、公開の範囲は実はネットのID認証等を加味した裁判例ないとか、著作権方面でも言い切れるような話じゃないけども
まだその論点で粘るの? 勘弁してくれない? 47条の7ちゃんと読んだ? ていうかそれを言うなら,元論文は人手で分類したってちゃんと書いてるよね? 分析にあたって複製したなんてどこにも書いてなくない? 「pixivを見ながら手で数えました」って言われたらどうすんの? まさかそれも違法だとでもいうつもり?
公開の範囲? じゃあHulu会員限定で公開されてる商業映画やドラマは公表されてないのかよ!
こういう無理筋な批判がいつまで経ってもなくならないなら,やっぱり全ツッパしかないわ.馬鹿には原理原則論で対抗するほかないよね,っていう主張を補強してくれてありがとさん.話の通じない人たちの独自ルールなんて鼻で笑って粛々と法律に則って引用し研究し批評し感想を言ったりするべき.
Re-birth 著作権の話では内って流れになってたのに今更なにいってんの。同人側の当事者側がヒートしてたのは確かに無理筋で擁護しにくいけどだからって叩いてたら焦土やで
合法的な引用をされて焦土になる文化って何なの? 何でそんな脆弱な文化に遠慮して著作権法で認められた自由を制限しなくちゃいけないの?
それに,私たちの文化はもっと強いはずだと,一人のオタクとしては信じてるけどね.
newwaytodie 村の奇祭を調べる時に村人に嫌われる真似してどーするって話じゃないの?
奇祭の一部始終をニコ動にアップしておきながら「うp主に嫌われたらどうする?」と言われても,その,なんだ,困る.見られて困る祭りならワールドワイドウェブにアップしないほうがいいよね.
「それを言っちゃったら解決策が見当たらない」という趣旨の意見があるけど,解決してるじゃん.「誰にでも好きに二次創作を書く自由があり,それを公表する自由がある」「誰にでも公表された著作物を好きに引用して批評・研究・絶讃・オススメ・酷評する自由がある」「気に食わない引用をされたら誰にでも言論という武器を駆使してバトる自由がある」「自由に疲れたら作品を引っ込めてもいい.誰も止めない」ってこの上なくシンプルな解決じゃない? 余計な俺ルールを付け足そうとするからややこしくなるんでしょ.
私は風通しの良い世界が好きだし,オタク界隈がそうなってほしいと思ってるよ.
換気扇をちょびっと回したら嫌気性生物が急に死滅しはじめただけやで.風通しはどう考えても良くなってるでしょ.なお最初から窓は開け放してあった模様.窓開けっぱの部屋に住み着く嫌気性生物さんサイドにも問題がある.
「研究対象に逃げられてもいいのか?」って言う人もいるけど,ちゃんとpixivのランキング見てるのかしら.ふっつーにBL二次エロがうpられまくってますが.一部の人が非公開にしても別の人が公開で書き続けてるじゃん.全員が隠れようとしているわけじゃなく,気にしてない人もいるってことでしょ.
あと,文学研究者だとか人類学者ならそりゃ研究対象に逃げられたら困るだろうけど,今回みたいな「文章フィルタリング技術の研究」って,特定のサンプルに逃げられてなんか困ることあるの? 別のサンプル使えばよくね?
逃げられて困るという研究者は配慮すればいい.無断でじゃんじゃん引用していい,と言っているのであって,配慮してはいけない,とは言っていない.ただ他人に配慮すべきと強要することはできないよねって話.それはお前の都合だろっていう.
日本国の国法たる著作権法によって,あらゆる創作者に保証された引用の自由が,なんで自文化中心主義になるの?
「BL二次創作は商業とは違う!」だの言ってる方がよっぽど自文化は特殊だって幻想に染まってない? 私から見ればそれは普遍的な創作の一部で,特殊なものでもおかしなものでもないと思うんだけど,これってエスノセントリズム?
いや著作権法に従わず独立するっていうんならその意気やよしだけど,だったら著作権法で認められた権利も捨て去ってもらわないとねぇ.自分たちもウェブ上の記事や論文を引用してあれこれ言うことをしない,二次創作同人誌を違法アップロードされても文句を言わない,作者騙りされても口を出さない,っていうなら,なるほどこれは著作権法とは無縁に生きていく意志のある共同体なんだな,と思うしそこまでの覚悟があるなら尊重してやるかという気にもなるけれど,現実は違うっしょ? 他人には著作権法で保証された権利を認めたくないのに自分たちは権利を行使したいってのは通らんよ.
今回の分野がどうだったか知らないけど云々を書いた人です。反応してくれてありがとう。AI分野の増田さん(http://anond.hatelabo.jp/20170526133709)もありがとう。
人工知能も文学もどちらも専門ではない工学世界の片隅にいた人間としての考えでは、「個別のテキストが問題になっている」んじゃないかと感じたんだよね。
なんでかって、非公開になっている「論文」に出ている結果で『ID○にはクラス1が●パーセント含まれる』を出すための分類をしているから。「AIによるフィルタ処理」がまだ「手作業」の状態だし。分野外の人間としては、「入力→処理→出力」の精度を上げるっていうより「精度を上げる前の段階としてやってみました」というものだと受け取りました。砕いていうと「精度を上げる前の段階として、こういうデータ(今回はpixivの小説)を手作業で分類してやってみました」。非公開になったものに対してわかりにくい話でごめん。
その上で、「pixivの○月○日から×月×日にかけての小説デイリーランキングR-18上位20作」と個別の作品URLと、どちらが元に当たるかと言ったら作品URLじゃないかなと。また「個別のテキストが問題になっている」という前提で、デイリーランキングが遡れるから元テキストが追跡できるとするならば、作品URLを示すこととどう違うのかがわからないのです。作品が消える可能性よりも、デイリーランキングが消える可能性の方が高いのでは。
ただランキングにしてほしいという同人屋の心情はすごくよくわかる。またこういう騒ぎになってしまうと追跡しようにも作品の方が消えてしまうことはありえるし実際消えてしまったわけだけど、そこまで考えて「ランキング」を出所とするならばもっと他にも考えることあっただろうと。
あと、別の増田さん(http://anond.hatelabo.jp/20170526193328)がやってたような手法でデータ(今回の場合「小説」)を収集してきていたのなら、それはそれでなるほどなと思っていたと思う。データの収集方法としてもこういう形の方がいろいろ言われずに済んだのかなぁなんて。
結論:場合による
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)
「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから。
たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語も容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。
文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフの研究では、英語版とロシア語版を照らし合わせて登場人物の名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。
それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。
現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは、
という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手の二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。
しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法を研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかね。ふつうそういう研究なら、「○○新聞のデータベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivのデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリングを情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……
「pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。
一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。
しかし、ここで問題になってくるのは
ということだ。
それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivのアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。
※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトにアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者(創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します。
たとえそれが個人的な談話であっても、社会学や文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学や文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。
だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学や文化人類学の研究なら普通は発言者をボカす。社会運動の指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。
仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会は激おこだった)。
これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞の投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄に実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。
ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。
インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者を特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象が著名人であるとかなら別だけど(twitterで右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。
それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者が特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。
=何が言いたいかというと、確かにあの論文は研究倫理に反するけど、それは同人小説を研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。
何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表のプロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会の判断とかで弾こうぜ。
あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。
社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。
http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758
マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?
いちおう言っておくと、
ってこれ全部別の話だからね。
正直、腐女子が研究者や研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子を面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。
研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。
文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。
これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。
いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会の研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。
こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。
ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。
お医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。
こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。
でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスをポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。
医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん。
カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。
会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?
少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!
(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌に掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)
研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。
二次創作が研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。
前例はあります。
今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象を研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道の聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究はもっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬の分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。
まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。
あとこれ言うと揚げ足取りになっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします。明治文学研究とかルール違反の百貨店や~。
これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。
「何の話かな?この人スカトロ好きなのかな?」
まず私が話していることは、「Change The World」。
つまりこの世の、具体的に言うと世論を変えようということです。
誰かが嫌な目に遭わないとそれをなんとかしようという気持ちは生まれないのです。
では、なんとかしないといけないこととは例えば何でしょう?
私はコンビニおでんが好きなのですが、あれは普通フタを閉められずに置いてあります。
閉まってると思ったら今温めてるところだったりします。
「あそこのコンビニは閉まってるよ」などの意見ももちろんあると思いますが、全体の割合で言ったらやっぱり開けっぱなしの事ばかりなのです。
衛生面で問題があったという話は聞いたことがありませんし、私も「しょうがないなぁ」と思いながら買っていきます。
もうお分かりですね。
小便袋です。
小便袋こそ、この悪習を亡き者にする打開策、その1つなのです。
ある日のこと、男の人が小さなビニールの子袋に小便を溜めたものを持って入店し、店員が見てないところでおもむろに
とぷん
うわぁ。おでんは汚れました。
でも1度や2度ではバレないでしょう。
とぷんとぷんとぷんとぷん
この事は徐々にバレてテレビで取り上げられるほど大騒ぎになり、ある日警察の努力の甲斐あり犯人は捕まります。
犯人は自己破産をしないといけないくらいの慰謝料に押し潰され、社会的に最悪な意味で有名人となってしまい、残りの人生なかなか生きづらくなるでしょう。
頑張って生き抜いてほしいですね。
でも彼の行いは決して無駄ではないのです。
日本だけではありません。海外でもちょっとしたおもしろワールドニュースとして取り上げられます。
「ワーオ!AVの見過ぎでスカトロを共有かい?いつものジャパンだね!HAHAHA!」などと言われ、redditのデイリーランキングで8位くらいは取れるでしょう。
その大騒ぎを受けてコンビニ各社はこの事件以後、全てのフタを閉めるよう対策を取るでしょう。
目的意識を持って異物を入れようとする輩がいたとしてもある程度は足切りできるでしょう。
本物の人にはかないませんが、それでも有効な策です。
どうです?
結果としてコンビニからフタ開けっ放しのおでんはなくなりました。
小便おでんを食べた被害者は一生の心の傷を負い、犯人は後の人生に大きな打撃を受けました。
これが犠牲なのです。
この犠牲が世間の「なんとかしようという気持ち」を生んだのです。
その気持ちに押されてコンビニ各社は対応せざるを得なかったのです。
どうです?
あなたはスカトロを期待してこのページを開いたのかもしれませんが、とんでもない知見を得られましたね。
もちろんこれは世論を変える方法のただの1つに過ぎず、しかもおすすめできる方法ではありません。
とは言えこれを見てあなたがビニール袋を買いに100円ショップへ走ったとしてもあなた以外の誰の責任でもありません。
そう思うと心が楽ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20150704181823#tb
を読んで自分のかつての廃人っぷりがよみがえってきたので書く。
県内で1番の進学校にいたものの、いまだに続いて驚きの某MMOにどハマりする。
総合レベルランキングに回復役のプリーストながら50位以内に入る。
無謀にも難関大学志望だったので、当然落ちる。
落ちた際に、装備をリスクのある強化を繰り返し、壊して、
【大学時代 前期:】
自分で言うのもなんだが、遊戯王でかなり強くなり世界大会で優勝した。
コナミの本社にも呼ばれて表彰される予定だったが、ジャンプに掲載される
可能性があるとのことで、大学デビューを果たしていた自分はゲームおたく
属性を隠すために断った。
世界大会は決勝戦で、相手が将棋で言う投了をした前代未聞の事件が起きたので
やってた人は知ってると思う。
遊戯王は、家のPCが新バージョンに対応できなくなったため辞めた。
【大学時代 後期:】
MMOをやりこんだため、ちまちまとレベル上げをするゲームが好きだったのだが、
FPSに手を出す。
暇な学部だったこともあり、1日平均4時間、夏休み1ヶ月1度も家に出ないまま
プレイし続けることもあった。(実家暮らしだったため衣食住には困らなかった
旬ジャンルの勢いもあって、投稿した二次小説がPixivの「小説デイリーランキング」に何度かお邪魔している。
Pixivは「評価」が可視化されやすく、ブクマされた数も評価回数も総合点も一目でわかる仕組みですよね。
この評価の可視化の仕組みもタグも、ものすごく良し悪しだと思う。
何度かランキングに入っていると、作品を投稿してからの1時間から2時間程度で、
「これは明日のランキングに入るな」とか、逆に「今回はランキング外か」とかが漠然とわかってくる。
相対的なものだから当然その日によって多少の変動はあるだろうけど、
個人の経験則から行くと、Pixivのランキングの集計時間である0:00~24:00の間に、
ブクマ数100前後、評価数50回(総合点50くらい)いけばランキングに滑り込めてる気がする。
(参照:ランキング (らんきんぐ)とは【ピクシブ百科事典】)
というのを、把握している時点で「なんだかなぁ…」と自分では思うわけです。
そりゃ書いたものが「評価」されるのは嬉しいし、多くの人に読んでもらいたいとか、
タグやコメントが付けられたら嬉しい!と思うのはごく当たり前だと思うわけです。
思うんですが、それが行き過ぎて読み手の評価ばかりを気にし始めるとドツボなんですよね。
「自分が書きたいもの」を書いていたはずが、「書きたいもの」ではなく「評価されるもの」を書き始めたりする。
「このジャンルならこういう作風のを書けば評価されるだろう」と、無意識に探し始めている。
自分でも心底めんどくせぇなって思うんですが、自分はそれに気付くと、
妙な自己嫌悪に陥って、すごく嫌になるというか妙に疲れてくるというか。
そして一度ランキングに入ると、次も入らなきゃという妙な強迫観念に駆られて以下無限ループ。
Pixivで「○○ちゃんねる」風の作品が叩かれる一因には、
「私の小説が評価されないのに、なんであんな文章でも何でもないのが評価されるんだよ」
という書き手の負の感情が少なからずあるんじゃないかなと思っています。私が思ってるだけかもですが。
なにがめんどくさいって、趣味で息抜きに書いたはずの作品のPixivでの評価に一喜一憂している自分が心底めんどくさい。
ならPixivに投稿すんのやめろよって言われたら正論過ぎて反論の余地もないんですが、
オンラインのみで活動してると体感的にPixivが一番わかりやすく手っ取り早く「評価」が得られる場所だとも思うわけです。
読んでもらって評価されることで「自己顕示欲」と「承認欲求」が満たされるというか。
ステマ騒動から一年。いやー時が経つのはいつも早いなとしみじみする増田でございます。
さて皆さまは去年の年明け、何をしてらしたでしょう?わたしは2chが楽しくてしょうがありませんでした。
そこで今回はニュー速民移住の運びにスポットをあててエントリ書いてきます。
あれから一年たってあえてこのトピックを顧みてみる必要があるのかは、、、…思考停止といきましょう。HAHAHAHA!!
はい、無性に書きたいんです。書かせてください。あの時のことをもう一度ねちっこく掘り返したいんですよ。
◆食べログ騒動で話題になった「ステマ」ってどういう意味?:PC Online
◆ 2ch「ステマ」戦争 人気板が住民大移動で一気に縮小、その背景の事情と心情 (1/4) - ITmedia ニュース
◆ 「ステマ騒動」の矛先はゲハブログへ:ゲハブログ最大手「はちま起稿」が謝罪文を掲載、管理人交代へ (1/3) - ねとらぼ
◆今回のニュー速騒動のまとめ : 【移転しました】旧ロブ速 (ロブ速)
◆2012年、2ちゃんねると2ちゃんねるまとめサイトの間で何が起こっていたのか(前編) - 空気を読まない中杜カズサ
◇【ステルスマーケティングのプラットフォーム化とフレーマーの定住】
煽り調教を受ける日々が続き、煽り煽られ合う快感に溺れる者が出てきながらもN速民の間には鬱憤が積もっていく。
~
◇【ステマ騒動ここに起こる】
シャフトや食べログの不祥事を皮切りに、利潤主義的コピペブログやステルスマーケティング業者の問題が表面化し始める。ゲートキーパー事件やブログ連合祭り以来、住民の中で燻ぶっていた不満に火が付く。
◇【ステマ三段呪文が板内に渦巻き始める】
シャフト炎上をきっかけに、N速フレーマーと業者がここぞとばかりに躍動する。
◇【恰好の餌場を得たネットイナゴの襲来により、一方的なステマ連呼に拍車が掛かる】
連呼する者が大量発生したことにより、相変異を起こした一部のN速民が、ステマ連呼の群れに入り行動を共にするようになる。
◇【ステラおばさんの集団によってもたらされる持続的な蝗害に戦略的な爆撃が重なった結果、遂にニュース速報板は機能が麻痺した状態が続くようになる】
N速焦土作戦の手法は連呼から第二次自治戦争で見られたような爆撃兵器を使ったものへ移行する。
~
とあることから板運営の人間がグルだったという疑惑が浮上する。N速民陣営だと認識していた自治側にまで弄ばれていたことに、一部の家畜が発狂する。この事態に端を発した形で決起した住民により移動運動が起こされる。
◇【『1/09 N速ステマした』】
1月9日正子に住民の大半が移民によって成り立っている嫌儲板に移住を決行する。一方で、残留組のN速民も多く見られる。
大移動決行後も、立つ鳥跡を濁さず精神で、焼け野原と化したN速内をローラーがけ部隊による草刈り作業が続けられる。
ところで今現在はどうなってるの?と。要はここですよね。
廃れたまま板枯れしてしまったのか、はたまた焼き畑農業みたいに復活しているのか。
さて結果やいかに!!
ニュー速豊作祭りじゃぁあああああ!!!豊作わっしょぉい!!♪ヽ(^^ヽ)♪ニュー速よっこぉいっ!!♪(/_ _ )/♪
はい、ということで結局は元の活気あるニュー速に戻ったとさ。めでたしめでたし、、…なのかな?
何事も無かったようにもみえるし、一連の騒動が収束しているとも言い難い。
実際のところは分断で冷戦状態といったところでしょうか。
ただ一年前の騒動の時に板全体で運動を起こしたこと、そしてそれからの出来事。
これは明確な意思表示になったし、業界に対しての問題提起にもつながった。
そういえば検索トレンドのデイリーランキングに顔出ししてたし、あと年末の流行語候補なんかにもあがってたね。
ステマ騒動から一年。いやー時が経つのはいつも早いなとしみじみする増田でございます。
さて皆さまは去年の年明け、何をしてらしたでしょう?わたしは2chが楽しくてしょうがありませんでした。
そこで今回はニュー速民移住の運びにスポットをあててエントリ書いてきます。
あれから一年たってあえてこのトピックを顧みてみる必要があるのかは、、、…思考停止といきましょう。HAHAHAHA!!
はい、無性に書きたいんです。書かせてください。あの時のことをもう一度ねちっこく掘り返したいんですよ。
◆食べログ騒動で話題になった「ステマ」ってどういう意味?:PC Online
◆ 2ch「ステマ」戦争 人気板が住民大移動で一気に縮小、その背景の事情と心情 (1/4) - ITmedia ニュース
◆ 「ステマ騒動」の矛先はゲハブログへ:ゲハブログ最大手「はちま起稿」が謝罪文を掲載、管理人交代へ (1/3) - ねとらぼ
◆今回のニュー速騒動のまとめ : 【移転しました】旧ロブ速 (ロブ速)
◆2012年、2ちゃんねると2ちゃんねるまとめサイトの間で何が起こっていたのか(前編) - 空気を読まない中杜カズサ
◇【ステルスマーケティングのプラットフォーム化とフレーマーの定住】
煽り調教を受ける日々が続き、煽り煽られ合う快感に溺れる者が出てきながらもN速民の間には鬱憤が積もっていく。
~
◇【ステマ騒動ここに起こる】
シャフトや食べログの不祥事を皮切りに、利潤主義的コピペブログやステルスマーケティング業者の問題が表面化し始める。ゲートキーパー事件やブログ連合祭り以来、住民の中で燻ぶっていた不満に火が付く。
◇【ステマ三段呪文が板内に渦巻き始める】
シャフト炎上をきっかけに、N速フレーマーと業者がここぞとばかりに躍動する。
◇【恰好の餌場を得たネットイナゴの襲来により、一方的なステマ連呼に拍車が掛かる】
連呼する者が大量発生したことにより、相変異を起こした一部のN速民が、ステマ連呼の群れに入り行動を共にするようになる。
◇【ステラおばさんの集団によってもたらされる持続的な蝗害に戦略的な爆撃が重なった結果、遂にニュース速報板は機能が麻痺した状態が続くようになる】
N速焦土作戦の手法は連呼から第二次自治戦争で見られたような爆撃兵器を使ったものへ移行する。
~
とあることから板運営の人間がグルだったという疑惑が浮上する。N速民陣営だと認識していた自治側にまで弄ばれていたことに、一部の家畜が発狂する。この事態に端を発した形で決起した住民により移動運動が起こされる。
◇【『1/09 N速ステマした』】
1月9日正子に住民の大半が移民によって成り立っている嫌儲板に移住を決行する。一方で、残留組のN速民も多く見られる。
大移動決行後も、立つ鳥跡を濁さず精神で、焼け野原と化したN速内をローラーがけ部隊による草刈り作業が続けられる。
ところで今現在はどうなってるの?と。要はここですよね。
廃れたまま板枯れしてしまったのか、はたまた焼き畑農業みたいに復活しているのか。
さて結果やいかに!!
ニュー速豊作祭りじゃぁあああああ!!!豊作わっしょぉい!!♪ヽ(^^ヽ)♪ニュー速よっこぉいっ!!♪(/_ _ )/♪
はい、ということで結局は元の活気あるニュー速に戻ったとさ。めでたしめでたし、、…なのかな?
何事も無かったようにもみえるし、一連の騒動が収束しているとも言い難い。
実際のところは分断で冷戦状態といったところでしょうか。
ただ一年前の騒動の時に板全体で運動を起こしたこと、そしてそれからの出来事。
これは明確な意思表示になったし、業界に対しての問題提起にもつながった。
そういえば検索トレンドのデイリーランキングに顔出ししてたし、あと年末の流行語候補なんかにもあがってたね。
http://alfalfalfa.com/archives/4768100.html
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こんな感じでいろいろ話題になってるみたいなので
JPG、テキスト、ワード、PDFなど形式はダウンロード時に選択可能
(ベクターなんかのソフト販売みたいにダウンロードパスでダウンロードとか楽)
支払い方法はコンビニ、PayPal、キャッシュカード、ケータイ払いとか種類多め
ダウンロードサイトはタグ付け機能、レビュー機能、デイリーランキング、マンスリーランキング、販売数カウンターなど
大雑把な評価システム付き、
(口座番号入力すれば誰でも販売可能、通報された場合サイト管理者が判断し販売停止措置?)
他人の作品を売りに出されたらどうするのかとか、問題は多そうだけど
あれば利用したい。
とか、
アート主体(そして、およそ全ての創作者)の個性は、感性、発想、技術の三要素に分解される。感性とは「何を創造するか」、すなわち創作のテーマを決定する意志である。発想とは「創造すると決定した『何か』をどのように想像するか」を決定する思考である。技術とは「どのように創造するか」を遂行する能力である。優れたアート(そして、およそ全ての創作物)は、上述した三要素のいずれかひとつ以上が優れているアート主体によって生み出されると言っていいだろう。
例えば、ここで紹介されているアートを、先ほど挙げたのとは逆順になるが、技術、発想、感性の面から見て行こう。技術については、作品の精巧な彫刻を見れば疑う余地は無いだろう。作者はこれをナイフとピンセットと外科器具によって製作しているというから驚きだ。発想も面白い。石を使う代わりに本を使って彫刻を行ったことだけでなく、例えば医学書から人体解剖図を彫り出すなど、本の内容を作品に生かす点が粋だ。
そして、最後に感性である。これは眼前にある作品から推測するしかない。だが、私は、作者の感性は「引き算と足し算のアート」にあると推測してよいと考える。本来、彫刻というものは引き算のアートである。そこに何らかの足し算(この例であれば、彫刻する対象自身の特性や、イラスト的なワンポイント)を加えることにより新たな価値を生み出そうという意志が、作者のアートには潜んでいる。重要なのは、その意志の良し悪しではなく、その意志がブレずに確固として存在することである。作者の一連の作品を見れば、その一貫性から、意志の確固たる存在は明らかであろう。
▼
では、黒瀬陽平の、いわゆる「KASANE」アートの技術、発想、感性を見てみよう。まず、技術は陳腐であると言わざるを得ない。なぜなら、他者が容易に解析・理解・模倣することができるからである。既に黒瀬の技術と同等のウェブサービスが公開されていることからも、技術の模倣可能性は疑いようがない(せめて「KASANE」るだけでなく、元画像を切り刻んだり回転させるなどの技術があれば、模倣不可能になったかもしれないのだが)。次いで発想だが、これも独自性は皆無である。画像を「KASANE」ること、すなわち差の絶対値などのモードによって画像群を統合することは、Photoshopなどの画像編集ソフトウェアに機能としてあらかじめ用意されているからである。
さて、最後に感性だ。これはやはり推測するしかない。ここで我々が立ち返るべきは「カオス*ラウンジ宣言」であろう。この宣言には「アーキテクチャによる工学的な介入」という言葉がある。これは「ウェブサービスの作りが人間の思考を規定する」と解釈するべきだろう。ここで言う「ウェブサービスの作り」とは、例えばGoogleであれば「PageRankに代表される種々のアルゴリズムによるウェブページのランキング」、またpixivであれば「デイリーランキングなどの公開ランキング」である。そして宣言にある「アーキテクチャによる工学的介入の結果」というのは、Googleであれば「検索エンジン最適化によって検索結果の上位に順位付けられたウェブページ群」、pixivであれば「ランキング上位を狙った流行ジャンルのイラスト群」と読み替えるべきだろう。こう読み替えれば、宣言の「人間の内面は、アーキテクチャによる工学的な介入によって蒸発する」という言葉は「人間は自身が作りたいものではなく、ウェブサービスが規定する『上位』に位置付けられる可能性が高いものを作るようになる」と解釈できる。これはスパムブログや「ジャンルゴロ」の存在を鑑みるに、決して的外れな解釈ではないだろう。
また、カオス*ラウンジ宣言には。「彼ら(註:カオス*ラウンジから生まれたアーティスト)は、アーキテクチャによる工学的介入の結果に対し、さらに人為的に介入を試みるのである。彼らは、アーキテクチャによって、自動的に吐き出される演算結果を収集する。そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算を開始するのだ。」ともある。「工学的」と「人為的」という言葉の差は介入主体がプログラムであるか人であるかの違いを表していると読むのが自然だろう。また、文章構成から二・三文目は一文目の詳説となっているため、「演算」は単に「介入」の言い換えだろう。
ここから必然的に推測されるカオス*ラウンジの、そしてその代表者たる黒瀬の感性は「自らのアート活動(=人為的な介入)によって、各種ウェブサービスの「上位」コンテンツ(=工学的介入の結果)を規定する」ことだと言える。誤解を恐れずに平たく言えば「ウェブサービスのルールを変更する」ということである。これは、例えばGoogleに対してはランキングアルゴリズムの自発的な変更を促すこと、また、pixivに対しては流行ジャンルを変化させること、あるいは創出することを意味している。これだけ見れば、実に壮大な感性である。
では、その感性は、その意志は、黒瀬の「KASANE」アート作品に宿っているか。私はおそらくNOだと考える。なぜなら、彼の作品によってGoogleのランキングアルゴリズムあるいはpixivにおける流行ジャンルが変わったという話を耳にしないからだ。彼の感性が作品に確固として宿っていれば、種々のウェブサービスが彼の意志を汲み取り、動いてしかるべきだろう。ただ、この点においては私の観測範囲が狭いことも考えられる。また、彼のアートを理論的に解析しきれていないことも、私は否定しない。もし、この文章を読んでいるあなたが彼を擁護したいのであれば、ぜひそのようなウェブサービスの動向、あるいは彼のアートに対する理論的な解説を示して欲しい。
▼
もし、黒瀬自身あるいは他の誰かが黒瀬の感性を示すことができなければ、彼はアート主体としての存在価値を問われる。あるアート主体がアート主体として存在する価値は、その主体の個性=再現不可能性によると言っても過言ではない。あるアート主体にしか生み出せない作品があるからこそ、そのアート主体は他のアート主体と明確に区別されて存在することができるのだ。既に黒瀬の技術の模倣不可能性と発想の独自性は否定されている。その上で感性の不在まで示されてしまった場合、もはや彼のアート主体としての存在価値は皆無である。すぐに、彼と同じ技術と発想を持ち、しかし彼とは異なる感性を持ったアート主体たちが、彼に取って代わるだろう。もし「黒瀬は最初から『KASANE』の流布を意図していた」というような言葉で彼を「擁護」する者がいるのであれば、彼のためにもやめておいたほうがいい。「KASANE」に関する彼自身の発想と技術が否定された今、その言葉は彼のアート主体としての再現可能性をわざわざ示す言葉に他ならないのだから。
お金がない。
私ちゃんはお金もってないから明日を買うことができないね、って無神経か意図的にかあの子は言う。
他の子は当たりまえのようにみんな買えるのにねって。
ううんそれはちょっと違う、
「当たり前のように」明日をむかえている子はそもそも、
明日を、お金をだして、買って、ようやくむかえているという認識すらないんだよ。
だけど明日って大変なことなんだよって声を大にしてつぶやきたい。
私はなかなか明日を買うことができない、だからこそ身に沁みてよく知っている。
明日になるとかさかさだった左のまぶたの皮膚がなめらかに戻っている。
明日になるとこくまろじゃなくてとろけるカレーで作ったカレーすらおいしくなる。
明日になるとおなかがすいて、温めた白い食卓ロールはとってもおいしい。
あたりまえじゃないんだよ。
たった一晩でたくさんのひとがめいめいにうろうろ動いたりとまったりするんだよ。
また今日も、あとちょっとお金が足りなくって買うことができない。
だからもう24時間、私はきょうを過ごす。いま10月1日を4周半したところ。
あと819円、小銭を数えては待ち焦がれる。
はやく明日にならないかなあ。
ほんの些細な愚痴だ。
私の投稿する絵の多くは、総合点が3ケタで、一番評価がいいものでもなんとか総合点4ケタといった具合だ。
けれど私は今まで総合点やブクマの数などの、評価の比較基準になる『数』をさほど気にしたことはなかった。「一人でちまちまやってるくらいなら不特定多数の人と自分の描く『好き』を共有できたらいいな」程度の気持ちで投稿し始めていたから、たまに観覧数が多い作品があると「同士がこんなに!!!」と、モニタの前で一人こっそりほくそ笑む程度だった。
でも、今日ほど自分の作品に対する評価を悔しいと思ったことはない。
盗作、なんてのは言い過ぎなのかもしれない。
ただの私の自意識過剰で、ありふれた構図を二人して描いていただけなのかもしれない。
そもそも二次創作の時点で盗作なんざ主張できる立場じゃないのも解っている。
でもサムネを見たときに思わず自分の絵かと思うほど似ている絵を、私は盗作だと思わずにはいられなかった。
見るんじゃなかったと思った。
悔しかったのだ。
その絵がデイリーランキングの上位にあったことに対してではなく、「この程度の絵をパクったところで大丈夫だろう。バレないだろう。」とその絵師の中でGOサインが出た事に対してだ。
だって、そのジャンルが好きな人なら誰もが知っているような有名な絵師の絵を、誰が盗作するだろう。
バレることが解っているのにわざわざ盗作する人なんていない。
もっと自分の絵が上手だったら。
たくさんの人に評価されていたら。
もしもそうなら、そもそも盗作の対象になんてならなかったんだろうな、と思う。
それが悔しくて悲しくてたまらない。自分はこの程度か、と思い知らされた気分だ。
「一人でちまちまやってるくらいなら不特定多数の人と自分の描く『好き』を共有できたらいいな」と思っていたのは確か。
実際、私の絵を好きだと言ってマイピク申請してくれた人と交流を持つようにもなったから、当初の目的は達成できている。
でも、今はそれだけじゃないと自分で気が付いた。
もっと、もっと、と、どこかで火が付いているのが解る。
悔しい。
悔しい。悔しい。悔しい。
今は被害妄想に凝り固まってしまっているから、もうこうとしか思えない。
もう少し経って冷静になれたら、この闘争心だけ掬いあげて創作に向かいたいと思います。
きっと上手くなってやる。
元増田です。
かなり納得できる意見かもしれません。
しかし一つだけ言いたいのは、私としても、現段階の創作を作家さんたちが続けていくことに、異論はないということなのです。
門外漢としての自覚は、それなりにあるつもりなのです。
いや、でも、ぶっちゃけ、これはないぜ、という作品が、まあpixivのデイリーランキングの上位に上がっているのを見てですね。
まあちょっと考えろよ、と思った次第でして。
いやしかし、どうも私が見る分には、いや根拠はないのですが、門外漢がそこそこに文句を言ったところで、良い方向に修正していけるような力が、あの世界に芽生えているような気も同時にいたしました。
何と言うかそこそこ文句言われても大丈夫なような図太さを感じたのです。その作品の、ある意味大胆な表現。それと、若さに。
能などとは違って、こう言った漫画の文化は若い人たちが次々に新しいものを提案していっているように思えます。
そして、その若さは図太さと同時に柔軟さを供えているような気がしたのです。
それで、ちょっと示唆を投げかけてみる気になったのです。
こんばんは、しがないニコ厨です。
さてさて、EXIT TRANCE PRESENTS CODE SPEED アニメトランスBESTという商品が市場デイリーランキングで、
7/22(日) 5位
7/23(月) 3位
7/24(火) 1位
7/25(水) 1位
と推移していました。昨日からランキングが自動化されましたね。
このアルバム、なぜ売れたかっていうとレビューにもあるように"組曲『ニコニコ動画』"を真似たのかと見紛うほど、
曲目リストが被っているかららしいですね。 あれだけ中毒性のあるものだとCDで欲しくなりますもんね!
ぼくは、昨日はてブ経由でニコニコ動画で行われているオープンソース現象 組曲『ニコニコ動画』
を読んで、そこから見事にハマり、だいたいの動画を視聴しました。
歌ってみた系、素材系、元曲系などなど、ほとんどの動画で上記の商品が市場の上位に上がっていました。
まあ実際に売れているので、当たり前と言えば当たり前か。
でも、左上に来るのを4回くらい連続で見たときは、さすがに違和感を感じました。