はてなキーワード: 長期間とは
・米またはもち米
3合(米ともち米を混ぜて使ってもよい)
・裏山で拾った栗
剥くのに飽きるまで(250g)
・庭先に落ちてた銀杏
適量(沢山食べると死ぬ)
・白だし
100ml(塩分量0.8%になるように加減)
1:栗を剥く
栗を鬼皮、渋皮の順に剥いて水につけてあく抜きをする
2:米をとぐ
米を気のすむまでといで水に浸す
3:銀杏を剥く
殻を適当な道具で割って中身を出したら乾煎りして薄皮を剥がす
4:炊く
米を水に浸して30分~1時間経ったら白だしを入れて水加減を目盛りの位置に合わせる
秋になると家の周りで栗と銀杏が沢山採れるので作ってみました。
栗は冷蔵庫のチルド室のような凍る直前の温度で置いておくと甘くなるし虫も死んで長期間保存できるのでお勧めです。
銀杏は食べ過ぎると中毒を起こす事があります。大人の場合は馬鹿みたいに大量に食べなければ殆ど中毒になる事は無いですが、小さな子供は5~6粒でも中毒になる事があるので気を付けて下さい。
苛めと言う過酷な環境が長期間あったからこそ、自分は今こうして
大きな果実を得ているのかもしれない。
もし、恵まれて何不自由のない環境であったならば、今の磨かれた私はなかった。わたしはいま、苛めにも感謝しなくてはならないのだと悟った。
かといって、私は人を苛めるような小さい人間にはならないけれど。
院進学すればいい、院卒なら将来安泰、とは思わない方がいい。
明確に、こういう仕事がしたい、という意思がない限り院進学はおすすめしない。
大学院生になったところで、学部1年や2年の頃のように遊んではいられない。
年に一度は中間発表として研究成果を示さなければならないし、学会発表に出なければならない。
そして、今の就活システムではM1の夏から準備(インターンとか)が始まる。
また、明確な将来の目標がない人(どの業種に行きたいか決まらない人)は特に進学をおすすめしない。
大学院生は、一点特化した技能とそれをサポートする万遍ない知識が必要とされている。
一点特化だけでは駄目だ。
もし自分のやりたい業種が大卒レベルの技能でも良かった場合、なぜ大学院に行ったのかを考えなければならない。
大学院に行き、専門的知識を特化させ、その上で就きたい業種がある、という明確な目標のある人が大学院に行くべきである。
適当にしか人生を考えたことのない人間が、遊ぶ時間欲しさや就活から逃げるため、優良な大企業に就職するために院に行くべきではない。
それに、そのような院生に、追加で2年間の研究はつらいと思う。
大学3年生よ、今一度将来についてよく考えてほしい。
流れ:
1. 国立研究開発法人国立がん研究センター:受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍あり,肺がんリスク評価を「ほぼ確実」から「確実」へと評価.日本人の非喫煙者を対象とした受動喫煙と肺がんとの関連について、科学的根拠に基づく評価を示し、受動喫煙の防止を努力目標から明確な目標として提示.
2. JT: それを認めず,「迷惑」や「気配り、思いやり」の問題で解決しようとする.
上記とは別に,元々の公式見解(喫煙と健康に関するJTの考え方)も酷すぎる.
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html :喫煙と健康(喫煙と健康に関するJTの考え方)]
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/index.html: JTが目指す社会]
吸う人も吸わない人もここちよい世の中へ。
たばこの吸われる方、吸われない方が
吸わない人で,ニコチン・タールの混ざった煙を吸わされて心地よく思う人は全くいません.
煙を完全にシャットアウトするような分煙か禁止することを強く望みます.
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/vision/index.html: JTのビジョン]
世の中には、さまざまな暮らしがある。さまざまな人がいる。
そのひとりひとりに、それぞれの思いや感情がある。
たばこについても同じように、いろいろな考えがあると思います。
それを認識したうえで、たばこを吸う大人には、それぞれにたばこを愛用する理由があります。
一方、たばこを吸わない人にとっては、たばこの煙が迷惑になることがあります。たばこを吸う大人は、つねにマナーを守ることに心がけるべきです。
だから、私たちJTは、吸う人、吸わない人が共存できる世の中をめざし、さまざまな活動にいま取り組んでいます。
私たちは「分煙環境の整備」を進めています。それぞれの場所に合うさまざまなやり方で、吸う人も吸わない人も心地よく過ごせる環境を増やしたいと考えているからです。
私たちは「マナーの啓発活動」も進めています。たばこを愛用する人は、周りを思いやることが、何より大切であると考えているからです。
さまざまである、ということ。
それを認め合い、尊重しあえる未来の社会を想像しながら、私たちJTはこれからも、いろいろな活動を真摯につづけていきたいと思います。
マナーの問題で片付けようとするのは,もともとの企業体質のようでこの文章からひしひしと伝わってきます.
健康上のリスクを認識したうえで,迷惑・マナー・心がけの問題にするのはやはり間違っているのではないでしょうか?
他人の健康上のリスクより愛用する理由が勝る場合などあるのでしょうか?
「大人」云々よりも社会で生活する人間として間違ってませんか?
また,今回のがんセンターの報告で,あなた方のいう未来へひとつ進んだわけですが,なぜ認めようとしないのでしょうか.
あなた方のいうビジョンや尊重・共存に背く行為ではないでしょうか>
引用:https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html : 喫煙と健康]
厚生労働省は、「21世紀における国民健康づくり運動」において、たばこは、肺がん、心筋梗塞等の虚血性心疾患、肺気腫等の慢性閉塞性肺疾患など多くの疾病や、低出生体重児、流・早産など妊娠に関連した異常の危険因子 ※1であるとしています。
※1:
危険因子(リスクファクター)という用語は様々に使われていますが、定義としては以下のようなものがあります。
「”リスクファクター(risk factor)”という言葉は、病気の発生リスクを高めるが、単独では、病気を引き起こすのには不十分な要因を意味する言葉として一般的に用いられています。」(木原雅子・木原正博訳『WHOの基礎疫学』、三煌社 )
「科学的知見に基づいて、意味のある健康関連状況との関連が知られている個人の行動や生活様式の特徴、環境曝露、先天性や遺伝的特性などである。」 (日本疫学会訳『疫学辞典 第5版』、財団法人日本公衆衛生協会)
「病気の発生あるいは他の特定結果の蓋然性を増加させる属性ないしは曝露」(日本疫学会編集『疫学 基礎から学ぶために』、南江堂)
私たちも、喫煙は特定の疾病(妊娠に関連した異常を含む)のリスクを高めると認識しています。また、喫煙とそれらの疾病との関連を具体的に解明するため、今後の更なる研究が必要と考えています。※2
※2:
わが国における男女別の肺がん死亡率と喫煙者率の推移をみると、最近50年間で男性喫煙者率は明らかに低下し、女性喫煙者率はほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女ともに1950年から1995年ごろにかけて顕著に増加し、以降減少傾向に転じているという事実がみられます。喫煙の影響が現れるには20-30年のタイムラグをみる必要があるとの意見がありますが、タイムラグを考慮しても肺がん死亡率の動向を喫煙者率のみで説明することは困難です。
困難であることの理由の一つとして、男女間における喫煙者率と死亡率の関係に違いがあります。喫煙者率は男性では顕著に低下、女性ではほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女で同じ傾向を示しているという事実がみられます。
男女別の喫煙者率と肺がん死亡率推移(グラフ2 軸間隔をいじっているので比較不可能)
また、罹患でみた場合、肺がん罹患率は男女ともに増加しており、タイムラグを考慮しても罹患率の動向は喫煙者率の推移と一致しません。
日本における喫煙者率と肺がん罹患率の推移(グラフ3 データ数が少なくて役に立たない)
さらに、世界各国を男女別に比較すると、喫煙者率と肺がんによる死亡率との間には必ずしも相関関係がありません。
各国の喫煙者率と肺がん死亡率の関係(グラフ4 2009年の喫煙者率と1年前の肺がん死亡率での散布図,過去を見ても意味がない)
喫煙が多くの疾病の危険因子であるとの厚生労働省の見解は、主として喫煙者の集団と非喫煙者の集団の間での疾病発生率等を比較する統計に基づいた研究(疫学研究)によるものです。疫学研究は、喫煙者集団において特定の疾病のリスクが非喫煙者集団より高いことをほぼ一貫して示しています。※3
※3:
喫煙が健康に及ぼす影響に関する厚生労働省の見解および関係情報については、厚生労働省ホームページ中の「たばこと健康に関する情報ページ」別窓で開くをご参照下さい。
疫学研究は、疾病とその要因との関連性を探るにあたり有用な学問です。しかしながら、がん等、喫煙と関連があるとされる諸疾病の発生には、住環境(大気汚染等)、食生活、運動量、ストレス、遺伝的要因等様々な要因が影響しており、喫煙以外の全ての要因を同じにした集団を比較することは困難です。また、疫学研究は喫煙者と非喫煙者の集団同士を比較するものであり、個々の喫煙者について疾病のリスクを明らかにするものではありません。
喫煙の人体への影響を解明するために、疫学研究のほか、動物実験等が行われています。動物実験において、たばこのタールをマウスの皮膚に塗布する実験では、皮膚腫瘍の発生が確認されていますが、たばこ煙のみを吸入させる方法により、腫瘍を発生させることは困難です。※4
※4:
喫煙の健康への影響については今後更なる研究が必要であるものの、私たちは、喫煙が特定の疾病のリスクファクターであると考えています。喫煙するかしないかは、喫煙の健康への影響・リスクに関する情報に基づいて、個々の成人の方が決めるべきものです。
まるで,警察の麻薬撲滅ビデオに出てくる麻薬を勧めてくる悪い大人そのものである.
疫学研究において,特定の疾病のリスクが非喫煙者集団より高いことを示されているのに対し,
全ての要因を同じにした集団を比較することは困難という反論はナンセンスであり,
様々な条件で喫煙が疾病のリスクになっていると結論付けるのが妥当だろう.
肺腫瘍が発生したとの報告もあるのに,ほとんど起きないから大丈夫のような文言も謎.
せめて,リスクは最大で見積もれよ.そんなに人を殺したいのか.
無事に保育園落ちた。
育休延長させてもらいます。
これでまだ子どもとべったり一緒にいられる!
働かなくてもお金がもらえる!
育休手当万歳!
ひと昔前だったら、産後まもなく仕事復帰しないといけなかったけど、
育休手当がもらえるおかげで働かずして貯蓄ができて、とても助かっています。
児童手当だって、今の制度のままいけば中学卒業までに約200万円もらえる。
子育て中の女性がみんな、働きたいから保育園増やせ!日本死ね!と思っていると思ったら大間違い。
ただそれだけ。
って声を大にして訴えているのは、一部のキャリア女性だけであって、
育休延長期間が終わっても保育園に入れなかったら、今の会社は辞めざるを得ないけど仕方ない。
もしそうなったら辞めて夫や親に子どもを預けられる日だけパートでもしようと思う。
夫が激務だったり育児に協力的じゃなかったり、預かってくれる親がいなかったり、今の会社を辞めたくなかったり辞められなかったり、人それぞれ事情はあるだろうけど、
働きたいのも働きたくないのも働けるのも働けないのも預かってくれる家族がいるのもいないのも今の会社を辞められないのもぜんぶ自分の都合。
児童手当も上げなくて良いよ。
保育園なんか減らしたって良いよ。
一つだけ言わせてもらうと、
男が稼げる世の中にしてください。
金があれば子供産むって人がたくさんいるんだから取り敢えず男の給料上げてください。
女性が活躍できる社会を…って言うけど、男性の育児参加を…って言うけど、
そんなに女を扱き使わないでください。
男性の育休なんてとんでもない。
男は働いてお金を稼いできてください。
誰も養っていない人はお金なんて要らないでしょう。
そのぶん扶養控除額を増やすとか、結婚して家庭を持つと収入が増えるように、家庭を持つ男への支援制度をもっともっと作ってください。
働く女性応援!とかそんなの要らないから、女性が働かなくても良いように働く男性を応援してやってください。
保育園受かったら、我が子を他人に預けて毎日長時間働かなければならない、それがあと何年続くんだろう。
幼い我が子を他人に預けてひたすら働いて、落ち着いた頃には、我が子は何歳になっているだろう?
子どもと過ごせる限られた時間を奪われてまで自分のキャリアを守ることが幸せだとは思えない。
豊かな社会なんじゃないだろうか?
先日、職場で普段はあまり仕事しない人と組むことになった。(仮にAさんとする)
Aさんは、かなり細かいところまでこだわりを持って仕事をする。
仕事だし、それは当たり前のことなのだが、時にそれがAさん自身を追いつめたり周囲をうんざりさせたりしていた。
先日の作業で私がやるのは簡単な作業のはずだったが、とある事態が発生したために簡単ではなくなったのだ。
作業するのに必要なデータが届かず、代案でやることに決まったときに、ああこれダメだと直感したのだ。
この感覚は初めてではなかった。
私が配属されたときに、Aさんが担当していた仕事を引き継ぐことになり、指示をもらいつつ必死に進めていたのだが、
Aさんは、なんと途中で体調不良ということで長期間の休みに入ってしまったのだ。
その時点でまだ全体の3分の1しか引き継がれていない状態で、半ばパニックに陥りながら作業をしたのだ。
その時と違ってAさんはいるというのに、なぜか同じ感覚になった。
なんかややこしいことになりそう、と。
結果として、予感は当たった。
Aさんの指示と、作業内容がかみ合わない箇所がいくつも出てくる。
提出の段階になって、最初に言っとくべきだろうというようなことを言ってくる。
私はAさんの顔を見ることができなかった。なぜか?
疲れ切っていたからだ。まあ、カチンと来ていたのもあるけど。
今回の件について話をしたいらしいが、どう答えたものか。
正直、もう、私が全面的に悪かったでいいから、話とかしたくないんだが。
私も、初めての人と組むときがあるからAさんの大変さはわかる。
でも、なんかAさんとは仕事したくない。
福岡のスマートホステルというところでIoTが無駄だと思えるほど導入されている
その内容としては、
・カギを開けるのはスマホ
・壁掛けモニターでリラックス動画を流してる・スマホで選択可能
・おやすみモードにポチっとするだけで、照明が暗くなってドアの鍵がロックされて、アロマとリラクゼーションBGMが流れて、エアコンが美肌モードになる
今判明している問題点としては、wifiの接続が不安定になることがあって部屋に入れなくなる場合があるってのがあるらしい
その後IoTのベンチャー起業がインタビューに答えてて、来年にかけて爆発的にIoTは流行るだろうって言ってた
んで小さいデータ量をちいさな電池消費量で長期間(5年!)通信できるような基盤が紹介されてた
そうなんだよね
会社の社員旅行で長距離移動した翌日、案の定長期間他人といた緊張と疲労で3重にかけた大音量目覚ましを全スルーしてしまい、15時間睡眠を経て午後に目が覚めた上に、起きたら39度の熱が出てて会社に連絡して休んだ。
当然休みの連絡は○時までにしろと怒られたので、すみません気を付けますとは言ったけど、一度も目が覚めなかったので割とどうしようもない。
ってかいつもそんな調子だから今回は結構気を配ってなるべく旅行先でも部屋でじっとして体力を温存したり、帰宅後もすぐ就寝したりしてもコレだったんだよなあ。
かといって行事参加しませんって言ったらそれはそれで会社の一体感がどうとか言われて怒られたりした挙句、「わかったな?」って言って勝手に出席に変更されたりするし。
普段から土曜に半日外出したら日曜はまるまる寝込んでるような人間を飛行機の距離の旅行に駆り出すのホント勘弁してほしい。楽しいけどまったく休まってない。
1)ラットによる実験では、ラットをラーメン内に入れると87%の確率で溺死する。
2)カップラーメンを食べた人が将来200年以内に死亡する確率はほぼ100%。
3)凶悪犯がカップラーメンを購入する確率は、同じ犯罪者がアフガニスタン国債を購入する確率よりはるかに高い。
4)カップラーメンを気管に入れると咳嗽反射が起こり、最悪の場合窒息により死に至る。
5)カップラーメンを食べながら自動車を運転した場合、重大な人身事故が発生するおそれがある。
6)健康な成年男子にカップラーメン1個のみを与えて長期間監禁した実験では、被験者の99%が50日以内に死亡した。
7)電化製品をカップラーメン内に入れると、破損するおそれがある。
どうすればいいのか分かりません。自分は本当に愚かだと思います。我ながら情けなさ過ぎて、誰にも相談できません。
私は若手俳優のオタクです。「推し」ている俳優さんがいます。今回ここで書きたいのは、私がこの「推し」を俳優としてではなく一人の人間として本気で好きになってしまったことについてです。今こうして「一人の人間として本気で好き」と書いているだけでも、推しへの申し訳なさと自己嫌悪に押し潰されそうです。
私の推しはとても誠実で真面目で、素敵な人です。たぶん…。彼を盲目的に好きでいる私には、そう見えます。それは彼の「売り」であり、「外面」であることも承知しているつもりです。それでも、私にとっての彼はその外面が全てです。私は彼のブログやインタビュー記事を何度も読み、彼の出ている舞台やイベントに何度も足を運び、彼という人間を分かったつもりになりました。プライベートの姿なんか一度も見たことがないのに、勝手に彼のプライベートまで細かく想像してにやけています。それだけならまだよかったのですが、ここから私は次のステージへ転がり落ちました。
前述したように、私は彼がどんな人間なのか少しだけ分かった気になりました。彼のことを知れば知るほど、彼の趣味や感性、物事への考え方に共感するようになりました。そしてそれは、「私は彼のことを誰よりも心から理解できるのではないか」という考えにつながりました。「私こそ彼にふさわしい」と言い換えることもできるかもしれません。全くおめでたい思考回路です。しかし、この記事を書いている今も私はそれを信じているのです。
さて、何度も舞台やイベントに足を運び、おそらく彼に認知されたであろう辺りから私はおかしくなりました。この「認知」というのも怪しいものです。彼が舞台上から私をじっと見てくれたとか、ファンサをくれたとか、その程度のことです。もしかしたら私の思い込みでしかないのかもしれません。しかし、長期間彼だけを追い続け、せっせと舞台やイベントに通った身としては「さすがに覚えられたかな」と思ってしまうのです。上で書いた通り、私は自分こそが彼にふさわしいと考えていますから、ファンサをもらっただけで舞い上がってしまいます。彼も私のことを好きでいてくれるのではないかと思ってしまうわけです。その瞬間は本当に幸せです。できることならずっとこの妄想に浸っていたい。いや、できることなら、この妄想が現実になってほしい。いつかどこかで奇跡が起こって、私と彼が結ばれることはないだろうか。そこまで考えてしまいます。
私は少なくともはじめは、彼のことを純粋に応援していました。彼の演技力にただ感動し、舞台の上の彼をもっと見ていたいと思ったのがすべての始まりでした。今でもその時の気持ちは忘れていません。しかし、もう彼のことをそんな純粋な気持ちで応援することはできなくなってしまいました。申し訳なさばかりが募ります。彼の演技や仕事への姿勢が好きなはずなのに、もし彼に彼女がいたら、もし誰かと結婚してしまったら、考えるだけで目の前が真っ暗になります。彼の周りに女性の影がちらつき始めたら、もう私は彼を推せないだろうと思います。それどころか、大きく傷つくだろうと思います。
毎日のように俳優の彼女がバレていく現状を見ていると、私は一体何をやっているんだろうと馬鹿らしくなってきます。私の推しがそうならないという保証はどこにもありません。そして、そんなことより何よりも、俳優のガチ恋なんてばかばかしいことをやっている場合ではないのです。私が俳優と付き合うなんて、天と地がひっくり返ってもありえないことです。…と、分かっているのに、やめられません。推しのことが好きで好きでたまりません。周りにいる男なんかみんなゴミです。ああ、推しと付き合いたい。
そりゃ消費者庁がリリース(http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20160623_2.html)出すぐらいだわ。
ちなみに消費者庁のpdf資料末尾にはご丁寧にも施術方法がイラスト付きで解説されていて、これはこれで想像しただけで痛そうで怖い。
かく言う私も真性包茎でね。文章だけでも、我が子に向けられる刃を想像し恐怖に恐れ戦いてしまった。
不潔、女性受けが悪い、病気、あたりが定番。シンプルだが、異口同音といっても良いほどに共通している。
煽るために適当な作ったとしか思えないアンケート調査(母数不明)ネタもあった。
http://www.openbsd-wiki.org/category61/entry116.html
・どちらかといえば理由にならない 45.3%
・理由にならない 30%
・どちらかといえば理由になる 13.9%
・理由になる 3.6%
また、『包茎は分かれる理由になるか』というアンケートでは「理由になる」「どちらかといえば理由になる」という女性が約15%いました。包茎は分かれる理由にはならないが、付き合いたくないという女性が多いようですね。
75%の女性が理由にならないと言ってるのに、「付き合いたくないという女性が多い」ってどこから読み取ったんだ。
・治療を受けて欲しい 144人
・理解する 129人
『彼氏が包茎だと知った時治療を受けてほしいか』というアンケートでは多くの女性が「治療を受けてほしい」と答えています。彼氏のことを本当に心配している女性が多いのですね。
何故、129人の女性が理解すると回答してるのはスルーなのか。
包茎矯正器具というものがあるらしく、一日最低30分皮を延ばすことで一ヶ月だか数ヶ月だかで治療可能という。メリットは手術よりも安い(1万円程度)、手術のような失敗リスクがない、誰にも知られず治療できる、デメリットはそもそも人間の皮膚がそんな簡単に伸びるのかよという根本的な信頼性に乏しいこと。無論そこはわかってるらしく、長期間かけなければならないという予防線はしっかりと張っている。
対して手術での治療を提案するクリニック系は、(当然だが)手術以外の治療手段は無いことをアピールする。それに加えて保険診療を選ばせないため「泌尿器科医は普段、包茎手術をしないので慣れていない」「真性包茎の治療にはなるが、美的観点は全く考慮されない」「値段だけで選ぶと後悔する」と、何処の馬の骨とも知れないクリニックの医者なのに専門医だからさも安心だと言わんばかりだ。お前らが煽って産業にしたんだろうが。実に恐ろしい。
人類の進化という点で見れば、本当に皮が不要なのであればとうの昔に退化し、なくなっているはずである。むしろ我々は生物が本来持ちうる防衛本能をより進化させた、いわば新人類にあたる存在と考えるのが妥当である。この進化の過程及び理由については今後の課題としたい。
昨今の若者はテレビや新聞といったマスメディアを信用することから離れているように感じる
たとえ嘘の情報であったとしても何も考えず大多数の人は信用していたはずである
それを信用できないとはなんとも嘆かわしいことであるか
このままではいずれ世の中がまとまらず不安定な情勢になるではないか!
ブログやTwitter、Facebookなどのソーシャルメディアによって
少数ではあると思うが
少しずつでもこのような自体が明るみに広がってくれば
ますます新聞やテレビといったマスメディアの信用が堕ちてしまう
昔であれば人経由で少しは広がっていたことかもしれないが
それも長期間に渡って消えずにだ!
これもそれも一般の人間が誰でも気軽に情報を発信できるようになった
減少していく一途を辿る事になると思われるので
私は10年くらい精神科に通ってて4人くらいの精神科医に診てもらったけれど、過去のトラウマみたいなことにすら触れられたことないよ。
最初はとにかく今どんな症状が出ているのかを長期間にわたって訊かれる。長期間っていうのは1週間ごとに病院に通って1、2ヶ月くらい同じようなこと聞かれ続けて、その上でお薬の処方。
だから精神科にかかってもすぐには楽にならないので、ドクターショッピングは控えた方がいいとは思う。
思うけれど、その個人情報だけ訊いてその他はナシっていうお医者さんは変だと思う。
次の診察でも症状について何も訊かれなかったら、違う病院を考えてみては?
どちらも先延ばし。
いきなりなんや?ああ、ただのヤク中か、とお思いでしょう。
そうある意味ヤク中なのかもしれません。
でも、ヤク中も悪くはないものですよ。
ということを言いたくなったので、だらだら書いていきます。
5年くらいになります。
と思ってました。もう精神異常者の仲間入り、
と思ったわけです。
には失礼ですが、いわゆる普通の人ではない
そう思ったわけです。
でも最近、薬が効いていることもあり、
それでよいではないかと。
「あっち側」「こっち側」なんてどうでもよい
ではないかと。
少なくとも私は今そう思っています。
してみました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パニック障害
脳が誤作動を起こし何でもないことでも、
とんでもない恐怖感が湧いてきて、日常生活が
まともに送れなくなる病気です。
例えば、電車に乗れなくなる。
人混みが恐怖となるのです。
エレベーターに乗ることができなくなる。
閉鎖空間が恐怖となるのです。
その他普通のことができなくなり、
最終的には家から出ることができなくなりました。
働いてます。
これってどういうことか?!
これはようは、
カラダにもやさしそうです。
少なくとも「抗うつ剤を飲む」ことによる
「あっち側の人間」になることは避けることが
できます。
が多いです。
そうそうできることではないのです。
ではどうするか?
抗うつ剤を飲むのです。
いるそのストレスを先送りできるのです。
そうして日々、楽しく過ごすのです。
これってものすごいことです。
「あっち側」「こっち側」なんて悩んでいるだけ
薬なので、先送りにしている分、カラダのどこかに
負荷はかかっていると思います。
だったらどんどん先送りすればよいのです。
先送り。
もう1000兆円になったんでしたっけ?
こうしているうちにもどんどん赤字が膨らんでいる
と聞きます。
今がよければよいのか?
どうにかしないといけないと思います。
でも、先送りしたらいいと今は思います。
あるかもしれないから。
予測できたでしょうか。
誰もできていませんでした。
どうにもならないと今は思っているようなことでも、
世の中実はそういう風にできてるんです。
なので、先送りって決して悪い方法じゃない
と思う今日この頃なのです。
相模原市の事件を受けて、様々な意見が出ていて、いろいろと考えさせられています。
とくに「重度の障害を持つ方に対するケアワーカーの陰性感情」についての議論には、様々な方向から風が吹き荒れているようにも感じました。
そこで私は、今回の事件を受けて「感情労働」とケアワーカーのメンタルヘルスについて、少し整理してみようと思いました。
(様々な論点があると思います。犯人の病理などについては僕には分かりかねる部分が多すぎるので言及は避けます)
感情労働(Emotional Labour)とは 1983 年アメリカの社会学者A.R.ホックシールドにより提唱された概念です。[1]
感情労働は――肉体労働や頭脳労働と同様にーーその「感情」が賃金と引き替えに売られるのです。
言い換えれば、感情労働を行う労働者は「上手にその感情を管理し、それを提供し、自らの感情と引き換えに雇用者から賃金を得ている」とも言えるでしょう。
この感情労働を行う労働者としてホックシールドは,客室乗務員、さらに教師や看護師なども例として取り上げていました。
さて、私自身も経験がありますが、重度の障害を持つ方に対し、長期間の日常生活ケアを行っていると「穴を掘っては埋める」作業を毎日しているような気持ちになることがあります。
そんなときに患者(あるいは利用者の場合もありますが、ここでは患者と統一して表記します)に対して陰性感情がムクムクと湧いてきます。
これは、患者自身が強烈なストレスや混乱の中にいて、言い様のない攻撃性を援助者に向けていることとも関連します。
患者が抱えるストレスや混乱と同じような感情を看護者は感じてしまうのです。
「なんで、言うことを聞かないんだ!」「どうして、噛みつくの!」「何度言ったらわかるの!」と心のなかで大きな声で叫んだことは数えきれないほどです。
ケアする人とされる人の間にはーーもちろん、その関係に限ったことではありませんがーー「感情の対称性」があります。
(逆に考えれば、「自分自身の感情から患者の感じていることを推察することができる」ともいえます。)
こうした無意識プロセスを理解をすることは自身の感情をコントロールするために役に立ちます。
しかしながら、このことに一人で気がつくことは、かなり困難であると私は考えます。
感情労働の概念や、感情の対称性について、ストレスマネジメントについての十分な教育や、あるいはスーパーバイザーを交えたデブリーフィングセッションを行っていく必要があると思うのです。でも、現実には、そうしたことはケアワーカーの間では殆ど行われていません。
積み重ねられた陰性感情は、罪悪感や攻撃性、無力感に変化していきます。学習された無力感は自尊感情の低下や自己効力感の低下も引き起こします。
そして、それらはある日、まるで波が引くようにものすごい力で『反転』することがあるのです。
また、前述までと矛盾するようですが、近年の研究では「感情労働は一概にメンタルヘルスに対して悪影響となるものではなく、顧客やスタッフとの相互関係から職場にとって良い影響も与えうる」ともいわれるようになってきています。その肯定的な側面として達成感の向上や患者とのつながり感覚を強めること、職務満足感を高めることなどが述べられているのです。
「よくコントロールされること」「よいものとして認知されるようにすること」が大切なのだと私は思うのです。
介護労働者の待遇改善などの労働衛生管理については各所で述べられている通りだと私も思います。
しかし、ケアワーカーのメンタルヘルスに関しては金銭面だけでは解決できないものもあると私は考えているのです。
私は、今回の事件そのものや犯人に対して、ある種の憎らしさや強烈な嫌悪感を感じています。
当然、許されることではありません。
ただ、私は同時に、どうして今回のような凶行に至ったのかにとても興味があるのです。
自分自身が、同僚が、家族が、被害者・加害者にならないようにするために。
社会としてどうしていくべきか。
ケアワーカーのメンタルヘルスに関してはどう捉えたらよいのか。
わたしたちがコントロールできることとコントロール出来ないことはなにか。
リエゾンなどに携わる専門職が率先し、十分な議論を行い、実施可能な具体策を挙げていけるといいなあと僕は思ったり考えたりしています。
武井麻子先生は『感情と看護』[2]の中で、Winnicottを引用しています。(P.263)
「ウィニコットは、無慈悲にも自分を怒らせる赤ん坊をケアする母親について、このようなことをいっています。
母親は赤ん坊を憎むことを、それをどうこうすることなく容認できなければならない。母親は赤ん坊に対して憎しみを表現することはできない。[中略]母親に関して最も注目すべきことは、自分の赤ん坊によって大いに傷つけられながら、子どもに報復しないで大いに憎むことができる能力、そして後日にあるかもしれない報酬を待つ彼女の能力である。
同じようなことが看護師にもいえるのではないでしょうか。自分を傷つける者(それは患者であるかもしれませんし、そうでないかもしれません)を憎むことを看護師は容認しなければならないのです。」
<参考文献>
[1] A. R. Hochschild, 室伏亜希と石川准, 管理される心―感情が商品になるとき. 2000.
[2] 武井麻子, 感情と看護―人とのかかわりを職業とすることの意味 (シリーズ ケアをひらく). 2001.
[3] パム・スミス, 武井麻子と前田泰樹, 感情労働としての看護. 2000.
[4]Huynh, T., Alderson, M., Thompson, M. (2008)Emotional labour underlying caring: An evolutionary concept analysis. Journal of Advanced Nursing, 64(2), pp.195-208
知り合いに「あー彼女欲しい、女っていいよなー恋活婚活すれば男選び放題だもんな。いや俺実際にモテないわけじゃないんだけど、出会いがなくて」って年中言ってる30半ば派遣の男がいるんだけども。
毎回毎回嫌味かのようにお前は男選び放題とか言ってきていい加減腹が立つので匿名ダイアリーって愚痴ってやろうと言う典型的な性格の悪さを全面的に押し出していこうと思う。匿名だしね(免罪符)
彼の言い方を間に受けるとわたしがあたかもビッチかのように皆さん思われると思うんですが、特に美人なわけでもなくデートより家で寝てる方が好きっていう干物女タイプです。女子力も低い。ただ全力でそれを隠してニコニコするのは得意です。長期間は無理だけど。簡単な自己紹介終わり。
まず今のネット社会で「出会いがない」は言い訳だと思うんです。「出会う気がない」か「理想の出会いがない」とかそこらへんだと思うんですよね。実際、社会人で普通に生活してて出会いがほいほい転がってるひとの方が少なくないですか。わたしの会社は9割以上が女性なので出会いがあるかないかで言ったら普通にないです。
彼はネットからの出会いを否定してるタイプではないので、とりあえず今流行りの婚活アプリを紹介してあげました。実際マッチングしてもすぐ連絡が途絶えちゃうみたいですが。
派遣ってこと隠してアプリ使ってるんだから、派遣だから彼女ができないわけじゃないよね?
ってことです。
お前はどの立場から物を言ってんだよってぐらい上から言いますが、彼は顔面偏差値はそこまで低くないと思います。わたしのしょうもない相談にも乗ってくれます。優しいです。今更ながら暴露しますが過去口説かれてました。過去ね。
じゃあそんなひとと何で付き合わなかったの?って言われると、彼が派遣だからとか年上だからとかではなく。建前と本音を本当に見分けられないひとだから、かな。素直といえば素直なんだろうけどね。
この断り方を三回したとしても遠回しの行きたくないに気づいてくれなかったり。
落ち込んでる時に「え、何。お前はネガティブなこととか言わないタイプでしょ」って言われた時は辛かったなあ。辛くても辛くないよって言うひとってこの世の中結構いると思うんだよなあ。まあ言ってないことを察しろっていうのも自分勝手なのかもしれないけどね。
もしあの時「辛くないなんて嘘でしょ、無理してるでしょ、お前は頑張ってるよ」って思ってなくても言ってくれるひとが居たら。その人がすっごい遊び人でわたしがたくさんいる女の子の一人にしか過ぎなかったしにしても、そう言ってくれるひとの方を選ぶと思う。だから男のひとはぜひこの作戦で女の子を口説くといいと思う(趣旨がズレてる)
ぐっだぐだ書いてしまったけど言いたいことは、
相手の本音に1mmも気づかないくせに、気付こうともしないくせに、自分に彼女がいないのを男で派遣で出会いがないせいにしてんじゃねえよ!!!
ってことです。
思うところあって増田を書きたいと思う。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314
子供のころ、なぜ自分のお母さんだけがずっと布団に寝ているのかいつも不思議に思っていた。
友達のお母さんはハキハキしていて元気そうに笑っているのに、どうしてうちのお母さんは寝てばかりいるのか。
うちのお母さんは夕飯の用意もできないほど弱っていたので近所の家におかずをもらいに行くのが日常だった。
近所の人は案外優しくて良くしてくれた。
当時の母は弱り切って、いわゆる炊いたコメが食べられなくなっていた。
だから食パンを牛乳に浸して柔らかくなったものをちぎって、すするようにして食べていた。
母がいわゆる普通の御飯を食べられるようになったのはしばらく経ってからだった。
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我が家は子供が3人で、全員が発達障害に産まれてしまった。おそらくだが父親も発達障害の可能性が高い(たぶんアスペ)
上に兄がいて、下に双子が産まれてしまった。簡単に書くと兄が自閉症、妹(双子)がアスペ&ADHDという組み合わせだ。
母に言わせると兄が大変に手のかかる子供で、尋常でなくつらかったらしい。
兄は2歳くらいのときに自閉症と診断された。母はものすごくショックだったようだ。
母が言うには、兄はまずアイコンタクトというものが通用しない。母が困った顔をしていてもまったく目に入らない。
とにかくこちらの気持ちが通じないのだ。自分の子供のはずなのに、昆虫かなにかを相手にしているような感覚になる。幼児なのに、である。
兄は極端に神経が繊細で、少しでも気にそぐわないことがあると暴れたりかんしゃくを起こしたりする。当然ながら寝ない。ちょっとでも物音がすれば起きる。
母側からはコンタクトが通用しないのに、兄は極度な甘えたがりで母と一瞬でも体が離れると泣いて暴れる。
そんなことの繰り返しだったが、下にまた子供が出来てしまった。
双子育児はただでさえしんどいのに、この双子はまた発達障害だった。
(※注 当時はまだ診断基準がなく、増田自身の発達障害がわかったのは30すぎてからです)
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今でもくっきり記憶に残っているのだが、物心ついた時、母は家におらず入院していた。
母が言うには、とにかく子供の世話に追いまくられ、父は仕事が忙しくて育児を手伝ってくれることは皆無、
親戚や実母なども事情が重なって手伝いに来られず、気づいたら骨と皮ばかりに体が痩せていたという。
トイレへ行くのも床をずるずると這って行ったが、それすら無理になったときほとんど本能的に電話に手がいって救急車を呼んだという。
(母が言うには、本当に体がダメになったら尿はほとんど出ないらしい。)
最後に自分で測った記憶があるのが34キロ、病院で測ったところ32キロだったそうだ。(母の身長は155センチ)
母は子供を産むまではフルタイムで仕事をしていたので、すごく体が弱いというわけでもない。
ただ以前あった増田のように編集者レベルでタフかというとそうとも言いがたい。
いわゆる核家族だったが手伝いにきてくれる人が残念なくらいいなかったのだ。
当時は今のように自閉症児に対する工夫などの情報がほとんどない。ネットもない。
その後、母は極端に病弱な体になり、基本的には家で寝ていた。
兄をみる余裕がなくなった母は、まだ幼かった兄を母の実家にあずけた。
半年ほどして母が様子を見に行ったところ、祖父と祖母はげっそりと痩せていた。
とくに祖母は気疲れがひどく、10キロ以上痩せてしまっていた。
兄の相手をすることや兄の要求を聞くことがとんでもなく大変だったらしい。
困り果てた祖母は、兄を霊能者のところへ連れて行ったことがあるらしい。
すると、兄は親戚中の悪いところをすべて引き継いで産まれてきてしまったのだと言われたそうだ。
だから親戚の他の子には悪いものはいかない、なぜなら兄がすべて悪いものを引き受けてくれたからだと。
娘の存在は、母にとってはやすらぎとなり、母は兄よりも娘といることを好んだ。
兄は私が覚えているかぎりでは幾度となく親戚の家に預けられていた。言い方は悪いが兄は「たらい回し」にされていた。
長期間預けるとトラブルを起こしたり、その家の人が寝込んでしまったりするので、半年くらいで親戚のあいだをぐるぐると移動していた。
今でもよく覚えているのだが、兄が家にいないと母はとても嬉しそうにしていて、花を飾ったり凝った料理を作ったりしていた。
料理に対して「わぁ〜!」と反応すると本当に喜んでいた。
これ、これなのよ、私の望んだ家族の姿って!これなのよ!というような。その瞬間だけはまさに母の夢が開花していた。
兄がいないと父も穏やかな表情になって、母もそのことを嬉しがっていた。
私たちは、まるで兄がもともとからいない家族であるかのように食卓を囲んでいた。
兄がひどく育てづらい子供だったことで母は疲れきっていた。
だから、兄が家からいなくなると、気持ちが晴れ晴れして小康を取り戻すのだった。
下の子たちもADHDがあるため、忘れ物も怪我もひどいし学校に呼び出されたりそれはそれで面倒だったが「気持ちが通う」という点で、母のしんどさは桁違いに違ったらしい。
自分の記憶では、兄は4〜10歳くらいまで、ときどき家にいたがときどきいなくなっていた。母の実家、父の実家、親戚の家…あちこちに預けられていたと思う。
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その後も兄関係でゴタゴタがいろいろありましたが、いま40歳目前になる兄が社会適応できることはありませんでしたとだけ書いておく。
そしてそういう子供が一定数産まれてしまうこの世の不条理というかなんというか。いや、社会のほうが未熟なのかな。私にはわからないですけれども。。
読んでいただいてありがとうございました。