はてなキーワード: 近藤誠とは
オリパラは国家的セレモニーで、普通そういうのはそつのない人選をするものだがかなり「挑発的な人選」をしてしかもその自覚が無い。こんな事会社勤めでやったら会社に居られるだろうか?能無し扱いされて人事の申し送りが延々と付くレベルの失態だろう。
でも社会一般ではバカ、ガキ扱いされるそんな能無し人事が政治とかTVとか社会の上の方では常態化していてその結果こんな見えてる地雷を踏む案件がしたんじゃなかろうか?
例えば西村博之がTVに出て若者に人気だったり、ネットデマにのせられて個人のデマを流布し訴えられたデビィ・スカルノがTVを追放されなかったり、パンデミック初期にコロナはインフル以下と世論を誘導したかと思えば自説の過ちを糊塗する為にPCRデマを流布して延々と防疫妨害を続けた医者がTVに出るようになったり、TVによく出ていた反がん治療論者が反ワクチンで荒稼ぎしていたり、パチンコやアムウェイのCMが流れていたり。
西村博之は揚げ足ばかりだが言う事はそんなにおかしくはない。揚げ足ばかりだけど寧ろ常識的な立場で人を揶揄論破するのがウケるのは判る。
でも脱税と民事裁判逃れの為に財産飛ばしと収入隠しをしている人物をTVに出すというのは本来かなりの冒険である。
昭和だったらヤクザに刺されたり、ボリビアの奥地で顔面を剥がされ指の指紋が全て切り取られ歯が全て抜かれ全身を焼くか熱湯が隈なく掛けられ体毛分布が判らない状態で見つかった遺体が西村さんと判明しましたというニュースが流れるようなレベルだ。
更に「2chを奪われた事実」というのは社会的には無い。合法的に事業譲渡してそう世間に発表しているのだ。
フィリピン在住の米国人極右と共謀して法的に事業譲渡するが実態は西村が配下の人間経由で管理権を掌握し続け利益もそのまま得る。
比極右ジム・ワトキンスもサーバ管理費に上乗せした利益を得る。サイト運営により発生する民事争訟は比極右持ちになるが、対米中韓の国際訴訟を扱える弁護士は多くとも対フィリピンではぐっと減るからリスクは減る。減ると言っても比極右方にはある事には変わりないが西村の方はゼロになる。
ところがクレジット情報が洩れる事件があって決済が停止してしまった。比極右方には経費が掛かっているがエサは無しだ。ふざけんな、となる。
そこで法的な契約通り、社会の体面通りに手下どもの管理権を剥奪した。広告出稿なども手を廻して西村方を干して自分らが主体となる契約にし直した。
そもそもこんなスキームにしたら刑事事件だって比極右の方に行く。更に児童ポルノなんかの放置があれば比極右は米国領に再入国すら出来なくなる。しかもサイト管理は西村の手下達がやるのにそいつらは法的な矢面に出ない。警察も欺むこうとするスキームだ。国税局もだ。舐めたもんである。
つまり悪人達が片割れにエサやらずに仲間割れしただけであって、刑事ドラマなら「仲間割れか検視室に放り込んでおけ」と死体を足蹴にするシーンでしかない。
こんな状況なのに西村は「2chを騙し取られた」と言い出したのだ。騙したのはおめえで世間と当局を騙そうとしたんだろ。法的に譲渡したけど実際はしてないという密約をしたんだろ。盃かわすだけでエサもやらないから密約の方だけ切られたんだろ。「のっとり」されても外部の社会的、法的にはなん~~にも権利関係が変わってないだろ。
こういう下剋上でもなく仲間に裏切られた悪人というのはその不幸に対する憐憫が発生しえないので単純にお笑いの対象である。
ところがこんな人間をTVに出してしまう。そして揚げ足や論破が面白いので人気が出てしまう。そして事情を知らない若者が慕ってしまう。あのさ、論破されてる人たちより間抜けでみっともない事してるんだから。ちゃんとTVもその辺の経緯を説明しろよ。ショーンkみたいな状態やんか。
「2ch創始者」みたいな肩書をテロップで出すのはやめて「共謀脱税執行財産隠蔽給餌放棄其儘法実行実権取上慌叫2ch漏所有皆笑 の西村さん」と書くべきだろう。この騒動の背景を説明せずにTVに出していい人間ではない。
政治の世界はもう非常識人事が常態化していて感覚がマヒしている。
例えばその中心人物の安倍さんは悪人ではない。彼が起こした事件で彼自身が利益を得た事は余り無い(さくらを見る会で招いた有権者を総務省の人間に接待させたという事はあるが)。
腰巾着にたかられて「良きに計らえ」と下命した事が事件化してる。逆に言うと立場が上がるに従い良きに計らえの効果が絶大になってくる事を理解しないままに社会の上に行っているのだ。
自殺者が出た責任は感じていても、組織で犠牲になり易い場所で自殺者が出るという事は得心出来ていないのではないか?経験が無いのではないか?
この人は兎に角イノセントでその辺のイノセントさが腰巾着達にたかられた原因だろうし、その結果が事件になっている。フリーターの店員が友達タダで飲食させてるみたいな騒動ばかりだった。
シリアの難民問題が猖獗を極めていた時にプーチンが国連総会だかでシリア支援の声明を出し、直後に安倍さんが「ウラジーミル!」と親しげに挨拶していたのが彼のイノセントさを特に表していたと思う。この声明は米、NATOへの対立を明確化する覚悟を示したものだった。
社会の上の方では裁量が大きくなるが責任を自覚せず使ってはいけない、それが身に付いてない者は上に行かせない、という経験律を得ていないようなのだ。
とび職で喩えると、上から足場材を落とされたら下の者は死ぬから最初は足場の上には立たせない。「上の人間が手を滑らせたら自分は死ぬ」という事を理解してから上の作業を任される。
社会の殆どでそういう構造になっていて、例えば就職活動なんかは過剰にストイックで過去のSNSでの不行跡なども許されない。
なのに国家セレモニーでパラリンピックにピンポイントの不行跡の尻ぬぐいもしてない人間を任命してしまうのだ。社会の下の方の宮勤めならあり得ない事が上の方では悠々と起きる。
これは異常な事で職場がそんな事になったら事故や倒産は目の前だ。なのに国レベル、マスコミレベルになるとそんなクソ人事しか無い。
会社で経営者の消費を経費計上する時、経理の人間は家族的付き合いで抱き込んでおく。ぶっちゃけ抱き込まずに経費計上させても密告はリスクがあるのでバレないときはバレない。だがそんな事をしたら経理がユルユルになりどこで抜かれているか見分けが付かなくなる。西村博之を出すTVなどはそういう悪事をする時の覚悟も知らないような感じである。
小山田を据えた決定をした者も同じだろうと思う。上の方は実にイノセントだ。自分が乗る飛行機や電車が事故を起こさないのはどういう社会構造に立脚していると思っているんだろうか?
因みに反がん治療論者で反ワクチン商売っていうのは近藤誠の事。
近藤の影響力が大きくなったのはTVに出たせいであり、始めに出した番組は「たけしのTVタックル」である。財産隠しで脱税、民事裁判逃れしてた西村を最初に出したのもTVタックル。ここはオウムの浅原も出していて中沢新一などより大衆層への浸潤に影響力を持っている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/84256
jamira13 根本的になんで自分が何十年とやってる専門家より知識があるなんて思えるんだろう?
2021/06/27
えっマジ?
あらゆる政策とか、
「何十年とやってる専門家」に反論したりなんなら上から目線で説教したりしまくってますよね????
あいつは御用学者だから、あいつはネトウヨだから、あいつは狂ってるから、
結構色んな専門家や学者に対してその主張どころか背景たる知識も専門性もはては人格までも否定して、
「自分の方が優れている」「自分の方が正しく考えられている」という趣旨のブコメしまくってますよね?
jamira13 根本的になんで自分が何十年とやってる専門家より知識があるなんて思えるんだろう?
2021/06/27
ねえ、これ書いた人と☆付けた人、
その肩の上の帽子掛けちょっとでも動かしてみてからやってんの?
それ書いたり☆付けたりする前にちょっとでも色んな事例に当てはめて検討してみた?
極端な例で言えば近藤誠も内海聡も「何十年とやってる専門家」なんですが、それはどうすんの?
お前等は「何十年のキャリアがあって自分より知識がある専門家」であるところの近藤誠や内海誠の意見に従い反論しませんってことでいい?
すげー反論してるしなんなら上から目線でバカにしてる様子をちょくちょく見た気がするけどな。
たとえば中国とか北朝鮮の歴史学者は当局の方針に合わない学説や発見なんか絶対発表できてないけど、それはどうすんの?
戦前のドイツが盛り上がってた頃は「ドイツ人はアーリア血統のウンタラカンタラ」っていう説を「何十年とやってる専門家」が言ってたんじゃねえの?
専制国家じゃなくても世の中の風潮や価値観がバイアスになって特定の主張や説が過小評価されたり黙らされたりなんてこたーざらにあるじゃん。
星の観察データは誰でも取れたのに長らく天動説が主流だったのはなんで?
思い込みや当時の社会の価値観がバイアスになってたからでしょ。
何十年もやってる先輩や何百年も決まってきた相場を疑ったやつがいたからでしょ。
ナチスがどうだこうだの話してんでもねえぞ。
お前等の脳味噌の快適性の話だよ。
俺はホメオパシーを信じてないけど、お前等のバカ丸出しの判定基準なら信じてもいいことになっちゃうな。
だって「何十年とやってるホメオパシーの専門家」はいるわけじゃん。
一方で俺らはその専門家ほどホメオパシーについて知ってるわけじゃない。
jamira式の理屈なら、専門家の方が「効果はある」と言っておられるんだからホメオパシーの効果を信じるべきってことになる。
でも信じねえだろ?
あいつらを簡単に一掃出来ないのは精神病的な問題だけじゃない。
「何十年とやってる専門家が言ってることだから正しい」と言い切れないのは確かだからなんだよ。
ちっちゃい可能性の話まですれば、いま陰謀論やキチガイと言われてる奴が後世で正しかったと言われるかもしれない。
トランプが光の使徒でありオバマやクリントンは謎の島で誘拐されてきた子供とセックスしながら生き血を啜る悪魔崇拝主義者かもしれない。
(あれは設定のぶっ飛びぶりとディテールの細かさが確かに面白いのが不味い。面白いから読んじゃった奴が相当いると思う。)
我々は結局無数の不確かさから出来る範囲の情報収集をしたうえで自分の頭を回転させてどれか選ぶしかないわけじゃん。
そこの点を切り取って言えば俺達もトランプ信者も変わんねえよ。
その時々出来る範囲でデータを集める、自分の利害や好みを抑えて考える、というていどのことしか言えない。
人間が特に間違いやすい時ってのはデータが足りない時か自我が強まった時だから。
で、お前等の「何十年とやってる専門家より~」はここまで見たように1ミリも論理的じゃねえのよ。
お前等はまさに陰謀論の奴等と同レベルで、陰謀論の奴等が批判対象にしてるレベルの人種。
定説に逆らうとはけしからん、近代の価値観にいたずらなバックラッシュしてる低能な陰謀論者けしからんという好みが先にあって、
その自我と感情に導かれて「「何十年とやってる専門家より~」という論理的に成り立たない言い回しを口走ってんの。
これまるっきり、誰のことも見下せない最低レベルのアレだろ?
民主党やリベラルが気に入らねえ、アメリカの伝統的価値観に無考えな攻撃を加えてる間抜けな進歩主義者けしからんという好みが先にあって、
その自我と感情に導かれてはちゃめちゃな陰謀論楽しんでトランプ崇拝したQアノンとどう違うの。
つまりお前等も陰謀論者も根本的に頭使うのが大っ嫌いなんだよ。
感情のままにものごとを見たい。自分のグループを愛したいグループじゃない奴をバカにしたい。
お前等が陰謀論じゃない側につけてるのは本当にたまたまのことで、まるっきり偶然の幸運だよね。
izumiya1948 専門家の中でも内海・近藤・武田のように逆張りやってるようなのはおかしいと分かるだろが。 増田
2021/06/27
それを考えてみたことがねーならお前は陰謀論君とどう違うんですかと言っている。
「分かるだろが」じゃねーんだよてめえがわかってねえんだから。
duedio 知識の問題じゃなくて信頼できるかどうかみてるんじゃないの。
2021/06/27
ボクチャンは「しんらいできるかどうか」を何によって判断してるんでちゅかー?
っていうことを聞いてる話でちゅよー?
言われてることも理解出来ねえのに返答っぽい音を出すな
cartman0 ホメオパシーが支持されてると思ってる時点で話にならんな
2021/06/27
な?これだよ
もうこいつが何言ってんのかもわかんねえ
俺は支持してねえ、はてな民も支持してねえってベースで話を進めたつもりだけどな
こいつなどはもう問題文をどう読解してんのかすらわかんねえ
どうしたらいいのか教えてほしいこういう奴の対処って
会話にならない
年齢 | 棋士 |
---|---|
50 | 佐藤康光 |
49 | 羽生善治・丸山忠久・郷田真隆 |
48 | 深浦康市 |
47 | 木村一基 |
46 | 三浦弘行 |
45 | |
44 | 久保利明 |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | |
39 | |
38 | |
37 | |
36 | 渡辺明 |
35 | |
34 | |
33 | 広瀬章人 |
32 | 佐藤天彦 |
31 | 糸谷哲郎・稲葉陽 |
30 | 豊島将之 |
29 | |
28 | 菅井竜也 |
27 | 永瀬拓矢・斎藤慎太郎・大橋貴洸 |
26 | 千田翔太 |
25 | 佐々木大地・佐々木勇気 |
24 | |
23 | |
22 | |
21 | |
20 | |
19 | |
18 | |
17 | 藤井聡太 |
現在の四強。
タイトル戦もほぼこの四人で回している。
藤井は既に大山康晴・中原誠・羽生善治といった「時代の支配者」の系譜に連なることが確定している感がある。
30代後半から40代前半にかけてが大きく空白になっているあたり、羽生世代による長きに渡る支配の爪痕がうかがえる。
羽生世代に対して孤軍奮闘していた渡辺を筆頭に、現在キャリアのピークを迎えた脂の乗った棋士たち。
天彦・広瀬・糸谷らは「平成のチャイルドブランド」と呼ばれた世代(もともと「チャイルドブランド」と呼ばれたのは羽生世代である)。
これまでは羽生世代に押さえ込まれ、ようやく自分たちの出番だと思ったら下から藤井が登場。
次代を担うであろう若手グループ。といってもほとんど20代後半である。
いまのところ永瀬が頭一つ抜けた感があるが、今後はまだ分からない。
20代前半の有力棋士を挙げるなら増田康宏・近藤誠也・本田奎といったあたりだが、現時点で藤井に対抗できている感じはしない。
1.手術しなくても治る癌がある。→これはホント。この場合、手術してもしなくても大抵治る。
2.手術しないと治らない癌がある。→これもホント。この場合、手術しないと大変なことになる。
3.手術しても治らない癌がある。→これもホント。この場合、確かに無理な手術は無駄に患者の寿命を縮める可能性がある。でもそういう手術は最近減っている。
4.手術すると治らない癌がある。→これはウソ。手術したからといって治らなくなるという癌は無い。
一般の人にとって1.はすごく衝撃的なことなのかもしれない(専門の人にとっては普通のことだけも)。そこで1.だけにクローズアップして「がんは切らなくても治る」とか「がんは手術するな」とバズらせたのが近藤誠氏の巧さだ。彼の本と和田秀樹の本には見習うべきところが沢山ある。
なかなか難しいね。
勝手な想像をさせてもらえば、お父さんの心の奥底に「できれば手術したくない」という気持ちが元々あったんではないだろうか。
だとしたら、近藤誠のダメっぷりを説いてもそこは本丸じゃなくて、手術したくない理由を何とかしてあげないといけない。
まあ普通に考えて怖いし嫌だよね。でもお父さんが思ってるよりは成功率も高いかもしれないし辛くないかもしれない。
(高齢の方は医療に対するイメージが、30年くらい前のものだったりすることもよくあるからね)
お父さんの知り合いや上司、世話になった親せきなどで、癌の手術を受けて助かったという人を見つけて、話してもらったりしたらどうかな。
科学的根拠が全く見えない言葉とともに、通院や投薬の無意味さを主張する。これがこの漫画の正体といっても過言ではない。
第2話において、うつ病の治療を始めたが効果が見えず、薬が増えていくことに恐怖を覚えたこと、そしてドクターショッピングに至ったことが描かれている。
精神医療に失望し始めたころに「薬では『うつ』は治らない。なぜなら…」という本に出会い、そこから「アファメーション」に傾倒する。
まず「アファメーション」が何なのかをググってみるといい。大半の人が目を覚ますだろう。
このアファメーションは一部で有名な苫米地英人が日本に持ち込んだものである。詐欺的な自己啓発集団が商品化しているケースがあまりにも多い。
ドクターショッピングの対象が自己啓発ショッピングに切り替わっただけと考えてほぼ間違いないだろう。同じ罠にはまる精神疾患患者はそう珍しくないからである。
田中圭一はもちろん医療の専門家ではない。それゆえに精神病理について全く無頓着である。
脳の器質的な疾患であるとか、そういったことを無視してメンタルヘルスを語っている。
その結果
という非科学的なセリフが登場するのである。いうまでもなく、これらはうつ病の発生原因や回復要因としてまったく因果関係が判明していない。
メンタルヘルスの回復の補助としてある程度役に立つかもしれないが、あくまで治療のメインは投薬治療である。
ストレスで胃に空いた穴は、ストレスを解消するだけではふさがらない。精神疾患もそれと同じだ。
つまりこの漫画は一見精神病患者の心に寄り添うように見えて、言っていることはマイルドな根性論なのだ。
「自分をキライになったからうつになった。自分を好きになればうつは治る」
うつ病というのは自分の気の持ちようで治る病気なんだ、という、多くの精神科の医師が解きたくてたまらない誤解をますます深めているのだ。
うつ病患者をはじめとした精神病患者は、長患いの結果、病院や医師に対する信頼を完全に失っている。
そんな折に「薬ではうつは治らない」「アファメーションで治る」と書かれた本を手にしたらどうなるだろうか。
すべてに絶望した末期がん患者が「抗がん剤ではがんは治らない」「手術も抗がん剤も無しでがんは治る」と書かれた本を手にした時と同じことになるのではないだろうか。
最後に。著者も含め、世の中の精神病患者はあまりにも「薬を飲み続ける」ということをネガティブにとらえすぎていないだろうか?
「一生薬漬けの体になってしまった」と嘆く人がいるが、よく考えてほしい。
健康な人間でも食べ物を食べ、水を飲み、空気を吸わなければあっという間に干からびて死ぬ。
薬がないと生きられない人間と、健康な人間には大して差は無い。
生まれてから一生薬を飲まなければいけない人。自分で自分に注射を打たなければいけない人。
自分の意志では歩くことができず、たくさんのチューブにつながれた人…
「生きている人間」のうち、彼らが占める割合はあまりにも大きい。
「一生薬漬けの体になった」と人目もはばからず嘆き、薬を飲まない人生こそを至上とする精神病患者は、彼らの生き方を否定している可能性に気付かないのだろうか?
菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。
現在では一山いくらのネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。
しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学対非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。
というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。
2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。
これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。
この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。
また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいかに評価すべきかということについて学んでいった。
よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。
ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。
ニセ科学批判の対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。
証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である。
科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である。
しかしながら個人が霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論(宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判のスタンスだ。
営利企業や大学教授や特定の肩書のない個人的なブログ、政党や国そのものである場合もある。
彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益(金銭)・社会的利益(名誉)・思想的利益(党派性)・倫理的利益(善意の施し)である。
どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。
例えば近藤誠や武田邦彦の動機は金と売名だし、安倍晋三や下村博文や共和党の言動は党派性の発露であり、有象無象のブログが代替医療で他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。
ニセ科学批判は党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠の言葉であるが、定義上これは正しい。
また、個々人のレベルで見ればその批判対象の選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動を総体として捉えればそれは働かない。
組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能だからである。
運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身の党派性を表明しているに過ぎない。
例えばid:finalventにはニセ科学批判が左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタからは当局におもねった保守的な運動であると批判されている。
ニセ科学は大きくデマという概念に内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学的手続きの有無を利用している場合それをニセ科学と呼称すると言い換えても良い。
ここからニセ科学批判の方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。
ニセ科学と人文科学や社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判がニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分だからというだけである。
ニセ科学批判の参加者が自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。
そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである。
「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学的事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人が党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」
そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠の言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。
さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初のテーマに関して結論を出さなければならない。
でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。
よく考えたら私は菊池誠の親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文の執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。
でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。
どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。
・7年ぶりくらいに菊池先生の名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。
・菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災とそれから1年以上後。
・2009年から現在に至るまで菊池誠はネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置はid:hazumaにちょっと似てる。
・2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。
・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。
・どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造に求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから、専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫の専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEAはSTSである。
・STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。
・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。
・ブクマにニセ科学批判ってもっと前からあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構前からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語はwebだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。
以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。
はてなブックマーク - ピロリ菌と重粒子線の話 - 大場大のブログ "セカンドオピニオン"
この著者である「大場大」という人物について調べたところ、ネット上では悪評がいっぱい並んでいる。
http://bit.ly/2iLLbSJ (Google 検索)
ここから具体的にページを取ると、下記。
http://ameblo.jp/karasawa-hotaka/entry-12125483753.html
http://ameblo.jp/karasawa-hotaka/entry-12182264846.html
批判があるからといって、それを鵜呑みにする必要はないのだが、どうもあまり芳しからぬ状況のようだ。がんもどきの近藤誠医師とは、因縁の関係にあるようだが、端から素人が見ると、「二人とも対消滅してほしい」という感じに見える。
はてなには、医学系のニセ科学クラスタがあるのだから、集合知で、うまく判定してほしい。医学の門外漢にとっては、はてなの集合知の解説がほしい。
「母親に結構な金が注ぎ込まれてる」(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626 )を書いた元増田です。
まずは予想をはるかに超えて、多くの方から温かいコメントをいただいたことに感謝したい。
こんなにブコメがつくとは思わなかったし、ついたとしても、もう少し甲論乙駁するブコメになるかとおもっていた。
「お金のことなど気にすることはない」という趣旨のコメントを多くいただいた。
本当にありがたいし、そういうコメントに対してこんな返し方をするのも失礼なのかもしれないが、
本心を言えば、多分、そういう言葉をくださる優しい方々が心配するほどには気にしていない。
ただ、やっぱり現実に「60万円」という金額を見ると驚かざるを得ないのは事実だし、
どちらかというと気にしているのは「俺らが後期高齢者になっても、これが続けられるのか?」ということなのだと思う。
その解決方法が、少子化対策なのか一億総活躍社会なのか、はたまた移民の受け入れなのか、難しいことはよく分からないが。
「きちんとQOLが保たれているから、ちゃんとしたお金の使われ方だ」「寝たきりに金を注ぎ込むのとは違う」という趣旨のコメントも散見された。
それはそうなのだが、ただ、では、どこで線を引くのかと言われると、それはそれで難しいのではないかと思う。
一度線を引いたら、その線の位置がだんだんずらされていくのではないか? という危惧もあるし。
母はガンの罹患前、「あたしは別にそんなに長生きしたいとも思わない。元気なうちにポックリいきたい」という趣旨のことをよく言っていたが、
逆にガンと戦い始めてから生への執着が強まったように見える。
多分「長生きなんてしなくていい」というのは健康が当たり前な人の贅沢なのであって、
実際、死を意識し始めると、すこしでもそのタイミングを先に延ばしたいと思うのが本能なのではないか?と、最近考えている。
「いつ死んでもかまわない」といっている人に、「じゃあ、あした死んでもらいますね」というと、大多数は「え? ちょ、ちょっと、もう一日待ってくれ」と言い出すのではないか。
で、「もう1日」が毎日続くのだろう。
自分の書いた増田がリツイートされて回ってくるというのも、初めて経験した。
そのなかで @natorom さんが「はてな匿名ダイアリー。抗がん剤加療中のstage 4の母親の話。医療費がメインのエントリーだけど、
現在の抗がん剤治療のリアル(副作用がないわけではないけど普通に生活は可能)が描かれている」
と、拙文を紹介してくださっていたので、この辺のことも触れておく。
母が抗がん剤治療を受けている、というと、患者のことなど考えない医者にやたらめったら薬を打たれ、
副作用でのた打ち回って悲惨きわまる闘病生活を送っているに違いないと勝手に思い込んで慰めてくれる人が、少なからずいる。
はっきりいって迷惑だ。
確かに、副作用がないわけではなく、特に新しい抗がん剤に切り替わった直後などは、食欲も落ち、夜中も何度もトイレにたって、
一日中ほとんど寝たきりになっていることもあるし、母がレディースアデランスの愛用者になっているのも事実だ。
初めての薬を投与して、一週間後の最初の検診までの期間は、当人も家族も緊張はする。
どの程度の副作用がでてくるのか、医者だって正確なところはわからないし。
薬を変えてはみたが、どうやら医者が当初想定したほど腫瘍マーカーが下がらなかったらしい、という局面にも遭遇した。
だからといって、その他の期間は、時に温泉旅行に出かける程度に回復するわけだし、勝手なイメージで同情されても困る。
そういう人に限って「自分が想像しているような、苦しそうな闘病生活」を送っているわけではない母をみると
今度は、「あら~、大変かと思ったら元気そうじゃない! よかったよかった! もうすっかり良くなられたのかしら!」などと、トンチンカンを言う。
「アタシだって、病気と闘っているのに・・・」という母の愚痴を聞くのは、こういう人とあった後だ。
確かに、今ほど抗がん剤が進歩する前は、いろいろと悲惨な状況もあったのかもしれないし、病状によっては、かなり大変な副作用を併発することもあるのかもしれない。
だが、別にがん患者がすべて、あなたの想像するような悲劇の中で生きているわけでもないし、だからといって病気の大変さがないというわけでもない。
おそらく大半の現場の医療関係者は、真摯に最善の治療法を(保険でまかなえる範囲で)考えているし、
製薬会社だって、別に人の命を食い物にして儲けることだけ考えているわけでもあるまい。
とりあえず、何十年前の知識で、抗がん剤批判を繰り広げて金儲けするのはやめろ、近藤誠。
(実際、母親世代には、まだまだ近藤誠信者と思しき人がいる。そういう人との付き合いは、なんとしても切るのが吉だ)
早期発見できた人は違うのかもしれないが、「ステージⅣで発見」という状況だと、「基本的に治ることはない」というのが、周りの人間にとっても難しいところだ。
(当人はもっと大変なのだろうが、自分は当人ではないので、本当のところは分からない)
普通の病気のように「頑張って、治しましょうね」という励まし方はあり得ない。
いかに上手に付き合っていくか、いかに現状を維持していけるか、というスタンスで付き合えないと、患者と家族双方にストレスがたまることになろう。
しかも「いつまで続くか分からない」「いつ悪い方向に進むかわからない」という不安を抱えながら、である。
この辺、バランスを取れなくなった人が、「奇跡の治療法!」とかに走るのだろう。
奇跡はめったに起きないから奇跡なのであって、その奇跡が自分には起こると考えてしまうのは「逃げ」だと思うけれど。
先日、とある観光名所にいったとき、「健康」とか「長寿」とか「家庭円満」などと書かれた名産品が売られていた。
ちょっと考えた上で「長寿」のヤツを、母の土産に買って帰った。本当の意味で「健康」を回復することがない人に、「健康」を祈願するグッズを渡しても白々しいからだ。
ちょっと迷ったが、母に「『健康』ってやつもあったんだけどさ、まあ、いまさら『健康』ってのは無理だから、『長寿』にしたよ」と言ってみた。
母は、「そうねえ、もうちょっと早く『健康』のヤツがほしかったけど仕方ないわよねえ」といって笑っていた。
ああ、この人は強いな、と思った。
60万超の治療費にたいして1万5000円という負担に関して。
これは、母が後期高齢者で、かつ、健康保険の仕組みにおいては、もっとも収入の少ないカテゴリに分類されているので、この金額になる。
もし、母がもっと若かったり、年金以外に収入があったり、夫(自分の父)が生きていて収入があったりしたら、もっと請求されている。
つまり、母は医療費の世界において「相対的貧困者」とされているおかげで、この程度の負担で済んでいるということだ。
ここで「でも、温泉旅行いったり、映画見に行ったりしてるんでしょ? もうちょっと払えるんじゃないの」とか
「息子、治療費全然だしてないのかよ。親子なんだから出させろよ」とか非難されたらと思うと、ぞっとする。
だが、どうやら世間は、子供の貧困に対しては、似たようなことを平気で言うようだ。
ぶっちゃけていえば、あと長くても10年は持たない老女よりも、この先何10年もこの国を支えていく若者のほうが、
ROIは確実に大きいと思うのだが、なぜこうなるのかは、考察に値すると思う。
今回ぼくが感想文を書くのに選んだのは、小学舘ビックコミックスぺリオールで大好評連載中の天国ニョーボ第1巻絶賛発売中です。
この作品の内容は大きく2つに分かれており、亡くなったニョーボが霊界から量子トンネルを抜けて出てダンナと主観的に邂逅を果たすパートと、闘病時の経過を描写するパートとがある。以下は後者について。
作者の須賀原洋行は近藤誠信者だったが、ニョーボに癌がみつかってしまい、どうにか治療の道を模索し始めた。
ただ近藤誠に植え付けられた標準医療に対する不信が根底にあるので、自分で集めた情報を元に治療方針を考えていく。
当然情報源は○○で癌は治るみたいな糞本だったり、ネットに投棄されている新しい治療法に関する断片的な糞記事だったりするので、そのことごとくを主治医に却下されてしまう。
最終的には標準医療に基づく治療計画を承服はしたのだが、実はまったく納得出来ていないのだった。
作者にはニョーボを亡くした今も、他にニョーボを助ける道はあったのではないか、ニョーボがもっと楽に過ごせる選択肢があったのではないかと、当時の経過に対する疑念が残っていると思いました。
それと亡くした事実を受け入れられない否認とが合わさって、直視しがたい痛々しさと歪みを作品にもたらしており、ぼく達の心を揺り動かしているんだと思いました。
あるいは、これは作者がニョーボの喪失を受け入れ昇華するための、イニシエーションなのかもしれないと思いました。
また、この作品は近藤誠さんの多大な貢献があって成り立っており、その近藤誠さんをここまで押し上げた出版社や書店は本当に社会の役に立っているんだなあと思いました。とくに小学舘は、近藤誠さんを漫画化したり、かびんのつまの夫に仕事を回しているので、すごく偉いなあと思いました。小学舘は青年漫画界の女王様だ。
ぼくにはとてもできない。
書店は良質な本と消費者とを結びつけるためにいろいろやってるんですみたいな書店員ブログって結構あるじゃないですか。
そういうのを素直に読むと、書店員さんはすごいな僕も書店で本を買わなきゃ今すぐスマホなんて叩き壊してamazonの倉庫に火をつけろってなっちゃう。
でも実際書店に行くと近藤誠特集してたり武田先生の著書が平積みになってたりするから全然素直に読めない。
これらを良質な書籍であると考えて目に付くように陳列しているなら、早めに廃業した方がいいとは思うんだけど、多分売れるから並べてるわけでしょ。
で、一方では売れるかどうかはわからないけどこれは良い本だと思ったからプッシュしようっていうのもあるわけじゃないですか。
この二つって書店員の中では区別してやってるんだろうけど、それ教えてくれないとわからないよね。
「この本は医学書の体裁をとっているように見えるがその実内容はデタラメであり、真に受けると心身に悪影響を及ぼすこと甚だしいけれどすごく売れてます。月間2位。」みたいなポップ作ってくれないと本が安心して買えない。
確かに、病気の治療と患者の心理的ケアが車の両輪のごとく発展するのが一番だ。
けれども、現実には治療法の確立に注力するのが先で、どうしてもケアが後発するという順序になる以上、ないものねだりであることも理解できる。
一方で、なまじ癌が治せない時代を生きてきた、例えば自分の親とかが、同年代である近藤氏の言説に乗ってしまったら・・・とか想像すると他人事じゃ済まないんだよね。
「息子として、何も手を打たないまま死なれるのは嫌だ」とか泣いて頼むのか?なんて考えるとウヘァってなる。
それにしても近藤氏だけど、
氏の言説は、言うなれば19世紀の医療水準から全く進歩していないホメオパシーなどと、大して変わらないということか。
医者は間違いなく社会の上位数%には確実に入るレベルで頭良いはずなのに、氏に限っては過去の現場経験に囚われ過ぎているのかも。