はてなキーワード: 規則とは
共産党に失望した三十代オタクだけど、今回の水着撮影会中止騒動で「流石にダメだろ……」としか言えなくなったので、共産党に入れないを超えて共産党は議会から追い出すべきだと思うようになった。もちろん民主的な手段で。
同意を得た上での未成年の水着姿の撮影自体は現状ではまったくの合法なのだから(そうでなかったら旅行先での家族写真や友達と海に行ったときの記念写真すらも撮れなくなる)、たとえばガッツリ違法行為である未成年との淫行などと違って「行為が判明したので即座に許可取り消し」のような処分が許容されるとは思えない。「今月から禁止になったから、きちんと年齢確認やってね」とか、「今回は許可出したからやっていいけど、今後は貸さないから」のようなもっと穏健な手段はいくらでもあった。
(未成年の水着姿の撮影はキモいかキモくないかでいえばキモいし、無理強いのようなことがあってはならないが、たとえば性行為と違ってそれ自体が身体的な健康を害する行為ではない。だってただの写真撮影であり、隠すべき部位も隠れているんだから。である以上、性行為と同列の厳しい規制を行うことが適切とも思えない。ピアス穴を開けたりするのと同程度の自己決定権が未成年にも認められていいんじゃないだろうか。まあ俺はピアス開けたことないけど……)
(というかこの手の話は、10歳と17歳を「未成年」と一括りに論じているのがおかしい。小学生のピアスは児童虐待が疑われるので校則で禁止するのも妥当性があるかもしれないが、高校2年生がピアスをつけるのは、小遣いやバイト代の範囲で勝手にしろ、体育の授業や工業高校の実習では危ないから外せ、程度の介入で構わないと思う。セックスのような重大事項ならともかく、たかだか水着での写真撮影程度のことにピアス以上の重みを与えるのは賛同しない。というかほんと、そこまで言うなら子役の禁止も主張しろよ、と言いたくなる案件が多すぎる。まあはてなーの多くは子役も禁止すべきと考えているのかもしれないが……)
そもそも、主催団体が「県の許可条件に反した写真は弊社ではない」って言ってるんだけど、そのへんちゃんと確認したんすか? 条件守ってるところまで一律で排除されるのはどう考えてもおかしい。ある音楽団体が県営ホールで狼藉を行ったから、二度と県営ホールは音楽家には貸しません、というのが乱暴な話なのは誰だってわかると思うんだけど、どうして撮影会は排除してオッケーということになるのか。ホワイトリスト制で貸し出すこともできただろう。民営ならともかく、公営なんだからそこは偏見で対処しちゃいけない領域でしょうよ。
(「タトゥー入れてるやつはろくなやつじゃないから入居を断る」といったような偏見に基づく対応ができるのは民間の大家だけで、公営住宅はそんな差別をすべきではない、っていうのと同じ話。もちろん本来は民間でもタトゥーの有無で差別されるべきではないんだけど……公衆浴場のタトゥー禁止、ふつうに人権問題でしょ)
とにかく規則の後出しが最悪。一度は許可を出したものを、直前になって撤回させるよう働きかけるとか、行政のあり方としてそれでいいのかという話だよ。「今回のことは仕方ないが、二度と許可しないように」みたいな穏健な働きかけじゃダメだったのか? 弁当を注文されてたご飯屋さんも困ってるじゃん。市井の小さな飯屋の仕入れを台無しにするのが共産党の正義なのか? 俺はそういう市井の人々のささやかな暮らしを守ってくれそうだから共産党に入れてたのに、撮影会を中止させて、主催者や出演者や飯屋の商売を邪魔して、カメコをガッカリさせる、それが共産党の目指す社会なのか?
ゾーニングだの公共の場だのといった言い訳が出てきていることがもう本当にここまで来たかという感じ。ゾーニングされてるよな? 最近の日本では6月前半からプール開きするのか? 気候変動の影響ってやつか? プールが営業してない時期に開かれる撮影会なんて完璧にゾーニングできてるだろ。水遊びに来た親子連れがそれを目にする可能性はゼロに等しい。ゾーニングされた県営公園は公共の場だから挑発的な催しはけしからん、と言うなら、入場券を買わないと入れない愛知芸術文化センターで挑発的な展示をすることも許されないだろ。バカなのか? あいちトリエンナーレが河村たかしみたいなクソ野郎に弾圧されたときには俺は津田大介を応援したけど、今回の件では、津田大介は「少なくない人が顔をしかめるようなイベントが「堂々と」開催されていたら、そりゃその範囲を狭めましょうって動きは必然的に出てくる」とか言ってるんだよな。卑劣な裏切り行為だろ。俺は表現の自由戦士だからこんな連中の展示も制限されるべきじゃないって言い続けるけど、そこまで自由主義にコミットしてないふつうのオタクがこいつらの展示に敵対的になるのは責められんよ。あなた……『覚悟して表現を弾圧しにきた人』……ですよね。人の表現を「弾圧」しようとするって事は、逆に「弾圧」されるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね……
でもって、やっぱりこれは共産党が議員を送り込んで権力を持っているからこういうことになるんだろうな、と。とにかく、市井の人々のふつうの暮らしを守ってくれる共産党は死んだんだと思うしかない。歪んだイデオロギーに染まって俺たちお前たちの自由な暮らしに制約をかけようとしてくるのが共産党だ、と認識しないといけない。俺はこれまで他人の支持政党に口出ししてこなかった。俺の友人には自民党支持者や公明党支持者もいるし、そいつらと政治の話もしたりするが、お互いに意見を述べつつも説得や勧誘はしてこなかった。だが共産党は別だ。もしも友人に共産党支持者がいたら友情の許す範囲で共産党に入れるべきではないと説得しようと思う。やるやる詐欺で十年も棚晒しの憲法改正なんかよりも、今目の前にある弾圧の方がよっぽど危機なのだから。
選挙権を得てからこのかた、自民党(+維新)にだけは入れたことがなかった。ずっと民主党(解党後は立憲民主党)や共産党、たまにれいわに入れてきた。なぜなら自民党への拒否感が強かったからだ。けど気づけば、自民党への拒否感を共産党への拒否感が強く上回ってしまっている。憲法改正やるやる詐欺で、圧倒的多数を握っていながら発議の気配すら見せない自民党と、現在進行形で色んなことにクレームを入れて潰そうとする共産党。温泉むすめ、戸定梨香、月曜日のたわわ、そして撮影会。どちらがより差し迫った危険かなんて、少し考えればわかることだ。俺がずっと入れてきた一票がこんな連中に権力を与えていたなんて。EU離脱で後悔してるイギリスのブレグジット派の気持ちがよくわかったわ。俺のこれまでの投票は間違っていたんだ。ようやく気づいた。
加えて。近年の国際情勢に対する態度がありえなさすぎるというのもある。ロシア・ウクライナ戦争での岸田文雄の外交は日本外交の枠内ではパーフェクトだった。安倍晋三や菅義偉といった無能どもが外交をかき回すのを見た後だと、岸田のウクライナを支持するという一貫した姿勢は敬意に値するものだと思えるし、戦後日本の平和主義の体現だとも思った。だが、侵略戦争と防衛戦争とを「反戦」の名の下に一緒くたにし即時停戦を求める連中には心底呆れ返る。戦争への反省ってのは侵略戦争への反省ってことなんだよ、知らなかったのか? 大日本帝国の侵略と大日本帝国に対する中国人民の抵抗は、同じ「戦争」でも倫理的にまったく別物だろう。だが彼らにはこんな簡単なことがわからないらしい。
(沖縄の左翼に関しては、正直同情する。沖縄人は防衛という名目で自国軍から集団自決を強いられたのだから、防衛戦争にすらアレルギーを起こすのは当たり前だろう。少なくとも沖縄戦に関しては、日本軍がさっさと降伏していればあれだけ多くの沖縄人が死に沖縄の文化や歴史が壊され沖縄の土地が奪われることはなかったのだから……)
これまでは、共産党の国際情勢への認識がおかしくても許していた。地方議会でなら外交も防衛も関係ない。地域住民の暮らしを守ってくれていれば、ふつうの民衆の自由や権利を擁護してくれるなら、多少外交安保への認識がおかしくたって許せる。だからずっと共産党に入れてきた。自分の生活を良くするために。だけど彼らが自分たちの自由を奪おうとするなら、もう彼らに入れる必要なんて何一つなくなる。それどころか打倒すべき対象だろう。
とにかく選挙で共産党を地方議会から追い出さなければいけない。モリカケサクラみたいな疑獄の追及用に国会に数議席ある程度で十分だろう。自分にできることはなるべくやってみる。共産党には入れない。知人が共産党支持者だったら可能な限り説得する。地元で共産党やフェミニズム関係の催しがあるなら、行政にクレームを入れられる材料を探す(もちろん本来はそういうのも自由であるべきなんだけど、流石にそろそろしっぺ返し戦略を適用しても許されるでしょ……)。そうやって彼らに対抗していかないと。こんな連中に議席や権力を与えてはいけないのだから。
公共施設で過激なポーズのグラビア撮影や女子中学生の水着の撮影してた事を法律に違反してないから良い、そんな事言ったら家族写真も取れなくなるで通すのは無理だって。。こんなチキンレースは止めようよ。。
直ちに法律に違反してはいない、のだから、ここまで直前になっての中止要請は正当化しづらいだろう、というのはいい? 今後は年齢に関する新しい規則を厳格に適用しますよ、というのであればともかく、去年未成年を出してたから、今年作った規則に違反です! なんていうのはおかしいよね? これが「未成年との性行為」であれば問答無用でお取り潰しに遭うのも仕方ないけど、それほどの悪行ではないでしょう。「今月から新しい規則で未成年NGにするから年齢確認ちゃんとやれよ」程度の話ならここまで言わないよ。
っていうか、「過激なポーズ」って何? どういうポーズが過激なの? 俺はグラビアとか見ないからまったくわからん。健全なポーズ is 何? 何が過激で何が健全かを誰が判定するのか? 公共施設で過激なポーズはよくない、なるほど確かに、では公共施設で過激なアートを展示するのもいけませんね、と言われたらどう返すのか? 「過激なのはけしからんですなぁ」ってのは保守派のオッサンの決め台詞だろう。未成年云々の話には、未成年がまだ判断能力が未熟であることを考えると首肯できる点もあるが(たとえば「ドラマや映画で18歳未満の役者を使ってはいけない」という主張をする人が撮影会を叩くのは理解できる)、なんら具体性のない「過激なポーズ」はまったくの理解不能。「ならぬことはならぬものです」ってやつですか?
感覚的にはまったくの別物だけど、法的に禁止できるか? っていうと、いや厳しいでしょ、って話になるやつなので。友達の水着写真を撮ることや子役が出演する映画や子供の出るスポーツ大会(典型的には甲子園など。池江璃花子が日本代表入りしたのは15歳、宇野昌磨が世界ジュニアで優勝したのは17歳のときだっけ?)の中継はよくて、撮影会はダメ、というのは、感覚としては納得がいくけど理屈で考え出すと根拠がわからない(映画もスポーツ大会も撮影会もダメ、という立場は理解できる。子供には十分な判断能力がないから全部禁止、は、賛成反対は別として納得がいく見解)。
子供の判断能力を考えるなら、17歳のグラビアより、10歳の子役の方がよっぽど強制性高くて悪質でしょ、という判断になると思う。17歳でも未成年は未成年だ! グラビア撮影なんて認められん! という立場もあり得るけど、そうすると、たとえば16歳の高校球児は無理やりやらされてるんじゃないんですか、みたいな話になってくる。まあでも最近は、高校球児が投げたいと言っていても無理やり休ませるべきだ、という話になりつつあるようなので、未成年アイドルが脱ぎたいと言っていても無理やり止めるべきだ、という話になるのもわからなくはないけれど。
えっ!? 撮影者の性的興奮が基準なの!? そうすると、たとえばノンケの友人に頼まれて女子の水着姿を撮影しにきたゲイはセーフで、イケメン球児に興奮する女子アナや女子カメラマンは甲子園の中継や取材から外されるべきなの!? そんな馬鹿な! もっと真面目に考えてください。
こと規制の後出しやら突然の一律中止を決定したのは施設や行政という理解なのだが?共産党がアレコレ言っても規約や法に従って粛々と対応すべきだったと思うけどな。イレギュラーな対応した背景は気になる。
こういう見解には一理あると思っていて、とにかく役所側が何でもかんでもクレームに屈するのは、真っ当なクレームを入れようとする一部の人を萎縮させ、クレーマーを勢いづかせるだけなので、基本的には役所の側ももっとスルースキルを鍛えるべきという話はよくわかる。「自分のクレームですぐに変わったりはしない」と思えば少しはクレームを言いやすくもなるだろう。ただやっぱり、地方議会の議員さんは地方政府から見れば権力者でしょう、普通に……。
ところで、都議会自民党が都教育委員会に圧力をかけた結果、障害児向けの性教育が大幅に縮小されたとしたら、それは都議会自民党じゃなくて都教育委員会の責任ってことでいいですか? 自民党はクレームを言っただけで、屈する行政が悪いんですもんね? 俺のようなリベラル派は、んなもん自民党が悪いに決まってんだろ、って思っちゃうけれども。
完全に無料で、私的な時間を費やして書いていて、当然一銭の得にもならない。安倍晋三をこき下ろす増田も無償で書いたし、東京五輪への反対も無償で書いたし、それと同様に、これも無償で書いたということ。勝手に期待して勝手に失望しただけです。まあ所詮は根無し草の無名のリベラル派ですので。
吉良よし子に投票したり自民党支持者の友人の前で共産党への投票を公言したりしててもこんなふうに嘘認定されるんっすね~~~~~~。
まあ、国政や首長選では立憲やれいわに入れたりもしてたから、忠実な支持者ってわけじゃないけど、地方議会選挙はマジで欠かさず共産党に入れてたのに党からも支持者からもこの仕打ちよ。
こういうタイプの支持者がいるんだって知らなかった? 共産党に投票する人はみ~~~んな同じ考え方の人だとでも思ってました? 熱心に活動する人たちだけが票田だって思ってましたか? 違うんだよなぁ! 俺みたいに「外交と安保はゴミカスだけど福祉の充実や雇用の安定では頼りになるから比例と地方議会は共産党に入れとくか」って思って入れてた人もいたんですよ! そういう人からの支持は要らないみたいなんで、もう入れませんけどね!
入国はアリとしても、念のために交通機関での移動時の不規則なトラブルを想定して、電車とかの専用車両は作れないのかな?
全く犯罪と無縁の方は一緒くたに分けちゃってゴメンナサイだけど。
しばらく前、妻が鬱症状で休職した。
幸い、養うべき子供はいないし、私の収入でも生活維持はどうにかなるので、そこは不幸中の幸い。
ただ、私一人では、妻の症状をどうにかすることはできない。
いつもニコニコ笑って「いいよいいよ」と言い、家事をするので精一杯だ。
維持しかできない。
専門医にかかってはいるが、助言もあまり刺さっていないようで、
鬱症状を緩和したいなら、あれこれと「やったほうがいいこと」はたくさんある。
でも、そもそも本人が『緩和したい』気にならない。
これは他人ではどうにもならない。
そんな時、ティアキンが発売された。
前作のブレワイも楽しく二人で遊んだので、もちろん予約で買った。
でも、今度の崩れ方は「楽しいから睡眠時間を削る」という類のやつだった。
連日、2、3週間ほど寝食を除いて、ずっと遊んでいた。
(アクションが苦手な)妻ができるのは収集と探索だけで、難しいバトルは私が担当した。
素晴らしかった。
周り道をたくさんして(200時間ぐらい)、ついにラスボスを倒す日がきた。
二人で「これでゼルダも終わってしまったか」と感慨にふけりながら、
攻略サイトを解禁して見てみると、我々のゲーム達成率は6割ぐらいだった。
まだまだやることがある。
ラスボスを倒して数日後、妻が「社会復帰したい。手伝って」と言って規則正しい生活を始めた。
どういう心境の変化があったのか分からない。
聞いてないし、聞く気もない。
話せる日がくればいい。
でも、きっとゼルダが彼女に良い効果をもたらしたのだと思ってる。
本当に良かった。
駄々をこねるコログを律儀にウルトラハンドで運ぶ妻を見ながら、二人分のご飯を作れることを幸せに感じている。
作ってくれた方、売ってくれた方、みんなに感謝したい。
産まないって言ってる人って、当たり前に「自分は子供が産める身体」前提で話している気がするけど「産めない身体」かもしれないからね。
今は4人に1人は不妊治療に通ってるっていうデータも出てるし、自分は健康でも夫が男性不妊かもしれない。
規則正しく生理が来てても安心じゃないよ。それでも中々妊娠しないって人たくさんいる。
妊娠自体はするけど、赤ちゃんが育たなくて流産を繰り返しちゃう不育症もあるしね。
20代の子供がいない人にわざわざ不妊治療の話をする人も少ないだろうから、身近に感じにくいだろうけど。
すんなり結婚→妊娠って進んでいるように見えても、実は不妊治療してましたって夫婦めっちゃ多いよ。
ブライダルチェックで問題ないってなっても、不妊は原因がわからないものも多いから
実際に自分が産める身体かどうかは言うたら出産してみるまでわからないんだって。
私も子供はいいかなぁ、今が楽しいしやりたいことがまだまだあるからって思ってたけど
それは「自分が産める身体だ」って前提があったから。自分は産めるけど、産まないことを「選んでる」側だと思ってたから。
人間として、生物して基本の生殖ができないかもしれないって思ったらゾッとしたよ。
言い方悪いけど「出来損ないの身体かも」って思ったときの絶望感。
みんなが当たり前のようにできていることが、自分にはできないかもしれない恐怖。
みんなが持っているのに、どれだけ欲しくても頑張ってもお金をかけても、手に入れられないという恐怖。
文字通りゾッとして、急に怖くなった。
不規則に出される大きめの音ってつらいよね。
うちのマンションは住宅地の中にある。隣は広い駐車場のあるコンビニで、一年ほど前は夜、若者が駐車場の隅(照明などの関係でマンション側の隅)で談笑している声がたまに聞こえていた。窓を開ける季節なら来たことがすぐにわかる。いつも同じグループなのかはわからない。
話し声そのものはそう気にならない。内容がわからない程度の音量でボソボソ聞こえるだけだから。
ただときどき笑い声や大きめの声を聞かされるのがつらかった。大きい音を前触れなく出すからドキッとするし、次にいつあの大きい音にさらされるのかと警戒するようになる。
急に大きい音を聞かされるとアドレナリンが出るのは、携帯電話の緊急地震速報で体験している人も多いだろう。笑い声や大きい声は一瞬だが、体が警戒モードになるのは変わらない。
そしてそのうちに、小さい話し声が聞こえてくるだけであの不快な音をいつ聞かされるのかと緊張するようになってきた。
しかし幸いそこまでで、彼らは寒くなったら来なくなり、暖かくなって窓を開ける時期になっても若者たちは戻ってこなかった。誰かが通報していたのかもしれない。
とはいえポリスが制服でコンビニに行くことで万引きなどの抑止力に!って風潮も最近あるから、社会全体がそういうの許容するようになっていけばいいんだがなあ
さっくりまとめんたんで他の人もどうぞ
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり
↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
勧められたから第一期見たけど、ガキのケンカを利用して大人がMSをオモチャ代わりに渡して決闘ごっこしてるだけやん。
なんか「気に食わない!決闘だ!」ばかりでストーリーというか何がしたいのかわからん。
MSはお人形感覚で自由に持ち込むわ、これはガンダムじゃないとかなんとかどうでもいいわってなるわ、
持ち込みMSの維持費とかハンガーってどうなってんのかも不明瞭だわ、
決闘のクセにMSの性能で優劣付いてるわ、修理は勝手にやってくれるし・・・。
全員デミトレーナーでええやん。カスタムしたけりゃデミトレーナー買い取って規則内でやってね位の感覚で。
キャラやメカデザは良いのに・・・。ラストで平手のシーンは話題になったけどだから?って感じだし・・・・。
面白くてあっというまに見たというよりは、つまらなくて勝手に時間が流れた感じするわ。
通りで2期以降も基本キャラとか戦闘のカッコよさ位しか話題にならんわけだ。
ガンプラの出来は良かった。
「テンプライアンス(Tempura Compliance)」とは、
テンプライアンスの目的は、天ぷらを一貫して高品質で安全な状態で提供することです。以下に、テンプライアンスの一般的な要素を示します:
1. 揚げ油の管理: テンプライアンスに基づく天ぷら店では、揚げ油の管理が重要です。揚げ油は適切な温度で維持され、定期的に交換されます。使用済みの揚げ油は適切に処理され、安全な方法で廃棄されます。
2. 食材の品質管理: テンプライアンスでは、天ぷらに使用する食材の品質管理が求められます。新鮮で高品質な食材を選び、衛生的な環境で保管・調理されます。食材の衛生面に配慮し、十分な下ごしらえが行われます。
3. 衛生基準の順守: テンプライアンスに基づく天ぷら店では、衛生基準に従うことが重要です。調理場や調理器具の清潔さを保ち、従業員は手洗いや衛生管理の実施に努めます。また、食材の取り扱いや提供時の衛生対策も徹底されます。
4. 提供の美学: テンプライアンスの一環として、天ぷらの提供には美的な要素も重視されます。天ぷらは適切な温度で提供され、見た目にも魅力的であり、食べやすい形状やテクスチャーが守られます。
これらのテンプライアンスの要素を遵守することで、天ぷら店は安全で品質の高い天ぷらを提供し、お客様の満足度を高めることができます。
「ロミオとジュリエット」のヌードシーンは児童ポルノとみなされない、裁判官の規則
「ロミオとジュリエット」俳優のオリビア・ハッセーとレナード・ホワイティング、撮影中に性的虐待を受けたと主張
判事は木曜日、フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の俳優らが起こした訴訟を棄却した。
現在72歳の俳優オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングは当初、1968年の映画のヌードシーンは児童ポルノであり、二人は撮影中に性的虐待を受けたと主張していた。
上級裁判所のアリソン・マッケンジー判事は、15歳でジュリエットを演じたハッシーと16歳でロミオを演じたホワイティングが起こした訴訟の棄却を求める被告パラマウント・ピクチャーズの申し立てを支持する判決を下した。
判事は、映画のシーンは合衆国憲法修正第1条の保護下にあるとの判決を下し、ハッシーとホワイティングは「法律上、この映画が性的示唆に富むとみなされる可能性があることを示すいかなる権限も出していない」と説明した。決定的に違法だ。」
「ロミオとジュリエット」監督の息子、スターから5億ドルのヌード訴訟を破棄:「ポルノとは程遠い」
「ロミオとジュリエット」の俳優らは、当初ゼフィレッリからヌード撮影はせず、代わりに肌色の服を着ると言われたと主張した。しかし、そのシーンを撮影する段になると、監督は2人のティーンエイジャーをヌードにしなければ「そうしないと映画は失敗する」と主張したと言われている。
この映画とそのテーマソングは当時大ヒットし、ホワイティングの裸のお尻とハッシーの裸の胸を少しだけ見せたヌードシーンにもかかわらず、この映画はシェイクスピアの悲劇を学ぶ何世代にもわたる高校生の間で流された。
ソロモン・グレーセン弁護士は声明で、「弱い立場にある人々を危害から守り、現行法の執行を確実にするために、映画業界における未成年者の搾取と性的対象化に立ち向かい、法的に対処する必要があると強く信じている」と述べた。
ピッポ・ゼフィレッリ監督は「撮影から55年が経った今日、本質的にこの映画のおかげで悪名が広まった2人の年配の俳優が目を覚まし、長年不安と感情的不快感を引き起こす虐待を受けていたと告白したと聞くのは恥ずかしいことだ」と語った。ガーディアン紙が声明で述べた。
ジャニーズたたきもそう。
ぶっちゃけ社内ルールなんて最低限の規則さえ決まってればそこまで影響ないと思ってたけど、違ったわ
フォルダの命名規則が統一されてないから同じジャンルでもあっちこっちにあって死ぬほど探すし、過去の資料もフォーマットがバラバラだから単純に比較できないし、っていうかID,Passとかエクセル、メモ帳、スプレッドシート、サイボウズ、よくわからん自社開発アプリのどれでもいいから統一せえや!そこから担当に聞かなきゃ始まらないってしんどいわ
こういう会社に限って色んなツール使いたがるのも何なんだろうなあ…
実際、これ5年もやってるのにマニュアルもないんですか…?ばっかりやんけ
今までいた会社って最低限は「できる子」だったんだなあ