はてなキーワード: 自由自在とは
元々左右固定(挿入されるキャラと挿入するキャラ、要はセックスにおけるタチとネコの役割をキャラごとに固定するタイプ)の腐女子だった。
それが彼氏が出来て、自分もある意味左右固定のセックスをするようになってくると、嗜好に変化がもたらされた。
どんどんリバが好きになるのだ。リバとは、AとBというキャラをカップリングする時に、ある日はA×B、ある日はB×Aと、タチとネコを自由自在に交代するタイプのBLだ。
私はBLに対して、どこまでもフィクションを求めたいのだと思う。左右固定セックスがリアルになってしまって以降は、リバが私の中での「BLエロのユニークバリュー」なのだ。
ちなみに男女でもリバは出来るかもと思い、ペニスバンドプレイを彼氏に申し出たことはあるが、彼氏の猛烈な抵抗にあい実現には至らなかった。そもそもペニバンには感覚がないし、男女のリバとBLのリバは同列に語れないなと思う。
一人カラオケが好きで万人受けしなさそうな曲をある程度綺麗に歌えるようになるまで練習する…ということをもう10年以上続けている。
このフレーズはどういう風な発声で歌おうか?とか、ブレスの位置がどうだとか、ファルセットの部分もうちょっと息がもれる感じにしたほうがいいんじゃないか?とかそんなことばかり考えている。
おかげさまで3オクターブ半の声域とそれなりに豊かな声量、自由自在なビブラートにヘッドボイス、ファルセット、チェスト、ウィスパーなんでもござれな状態になったが、
くそぼっち陰キャのくせに変に歌唱がこなれていることが却って悪目立ちするので宴会場のような場所で歌うことがより一層嫌になってしまった。
それでもやっぱりうまく歌えたときの達成感を誰かと共有したいと思ったり、他者からの客観的な反応を聞いてみたいと思うこともある。
いや一人でずっと過ごしてきてだんだんと閉塞感を抱くようになっていて、それを打破する手立てとして外に向けて何かしたいのかもしれない。
ということでカラオケで歌っている様子をYouTubeにアップロードしようとしたが、Contents IDで弾かれ一般閲覧不可になってしまった。
そりゃそうだろと思われるかもしれないが、これは僕にとって予想外だった。
YouTubeは弾き語り等のカバー動画であれば難なく公開される可能性が高い。YouTubeとJASRACは包括契約を結んでいるため、YouTubeで公開する範疇ならば好きに楽曲の二次利用ができるのだ。
バズが楽曲のヒットに起因しがちな現代では、本家の音源をそのままアップロードするといった著作隣接権に接触する事例であっても、広告収入を著作権所有者に与える措置で動画の公開が容認されるケースも多い。
カラオケを撮って出ししたようなラフな動画は散見されるので、どうにかそのような形でContents IDもスルーできるのではと期待していた。しかしアーティストのコピーであるカラオケ音源とそれに付随する映像を、さらに流用してネットに公開するという事例は権利関係が複雑すぎるらしい。調べるとDAMやJOY SOUNDはこういった動画を見つけ次第YouTubeに削除申請を出しているようだ。
実のところ僕の動画で通告があったContents IDはカラオケ映像に使われていたアニメ本編の映像でDAMは関係ないのだが、それをDAM内の別の映像に差し替えてなんとか公開できたとしてもいずれ削除されてもおかしくない。
なら楽器を演奏するなりインストを用意するなりしてDAWでミックスすればいいじゃないかという話になるのだろうが、いわゆる歌い手として扱われてしまうのは不本意なのだ。
僕は友達に聞かせる延長の様な感覚で自分と似たようなヒトカラ好きに気楽に聞いてもらいたい。ネットでちょっと有名なアイドル的な何かを目指しているわけではない。
ギターは弾けるし耳コピや作曲もちょびちょびやってはいるので、いっそ弾き語りや編曲を考えてオリジナルトラックを作ろうかとも思うがそれだと純粋にカバーになってしまう。
どこの馬の骨ともわからない限界YouTuberが歌手気取りでオーディエンスより一段高いところから聞かせるという風を吹かすのは見ていてまったく面白くない。
そういうのは藤井風みたいな奴じゃないと成り立たないのだ。
素人の歌唱動画なんて片意地貼ってないゆるーいカラオケの様子だからこそ醸し出されるかくし芸的な様相があって辛うじて視聴に耐えるのだ。
同じ歌の上手い素人でも、文化祭の記録映像と路上ミュージシャンの野次馬撮影とテレビのカラオケ大会なら印象はまるで違う。お膳立てされていればいるほど人は斜に構えてみてしまう。
僕がやっていることなんてキーの高いアニソンに挑戦してみるとかそんなことなので、わざわざそこに勝負をかけたいだなんてガチな気持ちはさらさらない。
ただそこそこ上手く歌えてそれが嬉しくてその気持ちを誰かと共有できたらいいなと思っているだけ。
うだうだしてしまっているが、歌唱動画をアップロードしようと思い至ったきっかけである星野ディスコを参考にして
インスト音源に自分のボーカルを重ねるスタイルでとりあえずやってみようと思う。画像はなんかチワワとか可愛いフリー素材に歌詞のっけとけばいいだろもう。
当然犯罪にすべきだ!という人の主張は
・強盗が刃物をちらつかせて金を奪っていったときに「抵抗したんですか?ないなら合意ですよね」と言われるのはおかしいのと同じ
・暴行や脅迫行為がなくとも、「拒否したら何をされるか分からない」という恐怖で従っているだけ
これらは理解できるし、ここに反対する人はそういないのでは、と思っている。
一方で反対or慎重派の主張は
・同意を取ったと第三者にどう証明するのか、後で同意していないと言われたら犯罪者になる
・仮に同意書を書いたり録音しても、脅されて同意したと言われたらアウト
に尽きる。
すべき派の多くは女性だと思う。
そしてナチュラルに、自分は一方的な被害者で、加害者になることはない、と思っているんだろう。
でも相手が「その場では良いと言ったけど本当はしたくなかった」
「断ったら何されるか分からないと思って言えなかった」
と言い出す可能性は男女共にある。そうなったときに怖くはないのかな。
すべき派は、「ちゃんと聞けよ、意思疎通しろよ!」って言うんだけど
でも「その場では良いって言ったけど怖かったから」が成立してしまうんでしょう?
もちろん、本当に恐怖で従わされた場合は罰されて欲しいと思うけど…。
B子から積極的にA君に話しかけて仲良くなり、ついにA君から告白!
ハッピーエンドかと思いきや…途端にB子はA君への興味を失った。好かれたら終わり、なタイプだった。
いきなり「A君がストーカーで怖い…」と周囲の複数の男子に相談し始め、B子を守る!と親衛隊のような男子が群がった。
A君はストーカーとして迫害を受け学校に来なくなり、B子は親衛隊の中の一人と付き合い始める。
その後も、彼氏がストーカーなの、と男子に相談→相談相手と付き合う、を繰り返す典型的な相談女をやっていた。
こういう女性が多いか少ないかは分からないけど(学校に1人,2人はいるんじゃなかろうか)、
自由自在に泣けるし、自分の中でも記憶が書き換わっているんじゃないかと思うくらい真実にしてしまっていた。
性犯罪に縁遠い地味非モテ男性ほどこういう女性への恐怖心は大きいだろうし、慎重になるのは当然だと思う。
こういう身体のアイデンティティ問題は攻殻機動隊みたいな義体ができたら全て解決するから技術開発に全振りすればいんじゃね?という立場になって久しい。
性別を変えるのはもちろん、人種も、マッチョマンになるのもロリ美少女になるのも犬になるのも多脚戦車になるのも自由自在の世界を目指そう。
まずリングコンの押し引きの強度を出来るだけ下げます。特に引きの強度を下げるとかなりやりやすくなる種目が多い印象です。押しの微調整が必要な種目(ろくろ、クライミング、ツイストバッティング)では普段の強度に戻して行います。
1.モグラたたき(Perfect)
残念ながらこれは練習あるのみです。
2.パラシュート(Perfect)
頭の上ではなく、サゲテプッシュのようにリングコンを持って行うと画面がよく見えるので比較的簡単になります。トレイニー(主人公)の影をよく見て、コインの真ん中に来たら手を緩めましょう。
脚をワイドスクワットのように広げて行うと微調整が行いやすいです。またコインは判定がかなり大きいので、爆弾に当たらないことを最優先にしましょう。
練習すれば簡単にSランク取れます。ひたすらエイムと腕(物理)を鍛えるのみ。
5. ろくろ回し(98点)
見本の形厳選をしましょう。同じ形をひたすらやり続ければ段々と点数が上がっていくはずです。
ももではなく手でリングコンを押しましょう。タイミングがとりやすいです。
絶対に立ち止まらず、どこにコインが来るかを何回も繰り返して覚えましょう。基本的には覚えゲーです。
8.クライミング(Perfect)
リングコン振り抜きは思ったより速く繰り返せます。上級の最初の直線で爆弾にぶつからずに最速で上がれる速度を練習しましょう。YouTubeで動画を見るのがかなりおすすめです。
かなり難しいです。これもサゲテプッシュのようにリングコンを持って行うと「ちゃんと緩めて!」となりにくいです。またクライミングと同じく速度が物を言いますので、これも動画を見て速さを確認したほうがいいです。
サゲテプッシュのように持てば楽勝です。
タウンミッションでSランクを要求されます。リングコンを左右に振ったあと正面に戻さなくてもいい、というのがこのゲーム最大のポイントです。ディスクは左右交互に来るので、スワイショウのようにしていれば大丈夫です。ただし上級の一番最後のロボだけは直前のディスクと同じ方向から来ますので一旦正面に戻しましょう。また緑のラインにディスクが来たときに振ると丁度いいタイミングになります。
基本的には何度もやって自由自在に前後移動出来るようになるしかありません。その場に留まれる足踏みの速度を練習しましょう。また初級に限りちょっとしたテクニックが使えます。床をよく見るとラインが引いてあることがわかると思います。
①左から3番目のレーンにコインが来た場合、奥から1番目のラインを先頭のコインが踏んだときから全力で足踏みするとちょうど3つ連続で取れます。
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。
さーさーのはーさーらさら~
やたらお店でもうプッシュしてたわ。
きっと今週はカルピス週間なのね。
結局誰だってもう物心ついてからはカルピスなんて飲まないのよ問題。
たったほんの数年前の話だというのに。
でもさ
今日雨よ!雨!
見事に雨ね。
これでフードコートと呼べるのかしら?
もうお店が無いから、
笹の葉飾ってあってみんなで短冊書いてねコーナーがあって、
私はフードコートに美味しいお店が入りますように!って皮肉にもうそう短冊に書いたわ。
前入居してたインドカレー屋さん、
辛さも自由自在!
超スパイシーなインドカレーをよくテイクアウトしていたものよ。
タンドリーチキンも美味しくて、
あのインド窯で焼く本気のやつだからそれはそれは美味しかったのよね。
惜しまれるわー。
でその店主のマスター曰く、
やっと2年の契約が終わった!って言っててテナント料めちゃ高かったともボヤいてたわ。
私はよく分からないけど、
さぞ高かったのね。
お店閉店間際のときに、
次新しいお店やるなら教えてね!って連絡先メモして渡したのに、
国に帰っちゃったのかなー。
あのシェフの作るのは美味しくて好きだったのになぁ。
もうあの味が食べれないと思うとちょっと寂しいけど、
それも短冊にお願いして、
書いてみました!
キラーン!
あ!今流れ星が流れた!
って今昼ですけどね。
もう叶わない願いかも知れないけど、
たぶん気のせいよ。
うふふ。
目玉焼きベーコンレタストマトサンドが最近なくってちょっと寂しいわ。
明日あるといいな!
これも短冊にお願いして書いてこよりで笹に結んでおこう!
この時期手抜き簡単つくれる
まあ騙されたと思ってやってみてよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
このコロナ渦の中やっとお外に出られるわね!って思って遠くに行きたい県境の越境を目指しているところです。
でもこの時期は、
まったくもって
お出かけも出来ないのよね。
週末ゆっくり出掛けたいわって思いつつ、
やることも一杯なので、
私の所はというと、
まあぜんぜん1人部署なので気楽なもんだけど、
微妙にずっと出続けているという現状でもあるわ。
おかげでもう片付けるところがありません!って言うぐらい片付いちゃったし、
今度またいつ掛かってくんだよ!って心配をよそに過ごさなくちゃいけないのも、
税務署を気にしながら生きるって言うのもなんだか窮屈じゃない。
あのさ、
痛いの痛いの墾田永年私財法!!!
ってググっても0件を叩き出すようなことを趣味にしているところもあるわね。
この世の中ありふれた言葉の渦なのに、
検索ワードが0件って言うことを誇らしげに検索したことを披露する場もなく、
あれ何の話しだったっけ?と
話しのメインストリート4丁目に戻しつつ、
そうそうイライラのための頭の中で領域を支配されたくないって感じの話をしていたのよね。
だからそう考えると、
私たちが1日を過ごしている間にアフリカでは24時間も過ぎてしまうと言う
とんちでも何でも無いそんなカラクリには騙されない人になって欲しいわ。
そう考えると、
すーっと頭の中のイライラがシャワーのお湯と共に流れて行くおまじないみたいなようなものね。
それでね、
恐る恐るジップロックの袋を開けてみたら、
ほどよく塩味が付いた鶏ハムに華麗にも転身させることが出来たから、
人類が食料保存の1つとして歩んできた塩と共にその偉大さを感じつつ。
塩で保存食作る技術って侮れねーな!って美味しく仕上がった鶏ハムに舌鼓を打ちながら
ガンダムのホワイトベースのコックさんが塩が足りない!ってブチ切れて怒る理由が分かった気がするわ。
やっぱり塩は偉大なのねって
伯方の塩!って言う節で
どう考えてもその塩の偉大さはスゴいということしか無い塩対応なのよ。
うふふ。
定番のサンドイッチだけどたまに気が付いたら新発売!のシールが貼ってあるから、
いつだって新発売のことを私たちは忘れないんだから!って思ったわ。
大人になってから作るカルピスの濃さの自由自在さは大人ね!って唯一感じるところの無二ね。
濃いめで作ってみる憧れ。
一手間かけると良いことがある!って私はそれを信じているわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!おー!
同じような思い出があります。
1996-1998年頃だと思うのですが
その時の対バンで"bump and grind"というめっちゃうまいメタル系のバンドが出てきて度肝を抜かれました。
ギタリストはsteve vaiと同じ7弦ギターを自由自在に操りベロベロ弾きまくっていました。ドラムとベースが圧倒的にタイトで、ボーカルの高音の伸びがものすごく、
お客さんの興奮具合も先輩のバンドの時とは大違いで、お姉ちゃん達とかものすごい盛り上がり様でした。
私の場合、対バンのバンド名なんて大体はすぐ忘れちゃうもんですが、この時ばかりはそのバンドの名前を必死に覚えようとしました。
やがてライブが終わるのですが、なんとこれからCDを販売すると聞いて絶対買ってやると意気込みました。ところが、列に並んだ私よりもだいぶ前でCDは売り切れてしまいました。
普通、バンドはライブが終わるとCDを配布販売するだけではなく、必ず次のライブのスケジュールを告知します。ここで次のライブのスケジュールをがっちり押さえればよかったのですが、私は詰めが甘く、こんなに人気のあるバンドなら次のライブぐらい後で調べられるだろうと思って、そのままライブハウスを後にしてしまいました。
その後は、いくら調べてもそのバンドの情報を見つけることは一切できませんでした。メンバーの名前とか基本的な情報すらも見つけることができませんでした。
(当時はインターネットが始まって間もない時代なので、情報源はぴあという雑誌や、ライブハウスの中の壁とかに貼ってある紙、チラシがメインでした)
その後も5年ぐらい毎にこのことを思い出し、ネットで検索することもあるのですがやはり見つかりません。
あれは一体なんだったんだろうか
とはいえ、漠然とした音楽の感動とかあこがれみたいなものを一瞬で抱くことができた、私の人生の中ではとても重要な出来事でした。
テレワークで在宅勤務が多くなった。環境を整えていて、そういえばHHKBが昨年末に新しいの出たんだなと購入者のブログ記事やYoutube動画を漁っているのだが、昔とずいぶん変わったなと思うのだ。
本業プログラマでもなさそうな、それなりにフォロワーがいる中堅Youtuberやアフィリエイト記事を書いているブロガーが買ってレビューして絶賛している。自分の金で誰が何を買おうとどう思おうと自由だけど、動画編集やブログ記事執筆でUS配列やキー省略の利点なんてあるんだろか。「カーソルはFnを押しながらで不便なのですがなんとか慣れます」とか「USキー配列はすっきりしていてかっこいいからです」とか言っているのだ。
EXCELを多用するようなときは、修飾キー+カーソル/HOME/END/PAGEUP/PAGEDOWNを駆使するので60%キーは効率が落ちるし、周りのWindowsサーバやらPCがJIS配列だらけでRDPなりVNCなりで繋いでトラブルシュートや設定作業するような現場なら自分だけUS配列だとパニックになるだろう。SnippingTool/スケッチ登場以前のWindowsでPrintScreenなしとか考えたくもない。
自分は仕事がプログラミングメインになってはじめてHHKBいいなあと思ったので、猫も杓子もHHKBみたいな風潮に違和感を覚えてしまう。異動や転職でエンドユーザーサポートなんかが多くなったらすぐに普通のJISテンキーレスか、フルキーボードに戻すと思うし。
・記号を多用するから()[]{}が隣り合っていて、;と: , 'と" がSHIFTで切り替わるUS配列が便利だ、とか、
・viやemacsキーバインドのエディタ使うからカーソル移動はhjkl / pnfb 他のショートカットで自由自在なのでカーソルキー要らない、とか
10年くらい前は記事をたどってもガチで使ってる人の記事ばかりで参考になったけど、最近は評判がいい→アクセス数が稼げる→使ってコンテンツにしよう、という思考の順序がおかしい手合が多くてげんなりする。こういう連中にのせられた人が買ってメーカーを支えることになるから、これもまあアリなのかな。それともこういう記事や動画見て買ってつかえねーってアンチになる人が増えたりするのかな。
そんな時にはExcelで予測してみようぜ。(基本的な機能しか使っていないので、たぶん他の表計算ソフトでもできるはず)
ことを確認してみようぜ。
コロナウイルスに関するデータは、いろんな所から入手できる。WHOのサイトとかからがいいんだろうけど、Wikipediaなどにも転載されているのでそっちから持ってくるのがお手軽よ。
他人に発表する時にはきちんと一時ソースからにした方がいいけど、自分が疑問に思ったときにやる分にはどこからでもいいかと思う。
今回の場合は、今までの推移から、将来を予測する形になるので、例えば
と言う形で入れればいいよ。
この場合
で死者数の推移のグラフができるよ。
これでとりあえずどのように推移しているかのグラフを書くことができた。
これを感染者数にしてみよう。
一つのグラフに描画することもできるけど、値のオーダーがだいぶ違うので別のグラフに書いたほうがわかりやすいと思う。
グラフの中の曲線を右クリックして「近似曲線の追加」を選択する。
すると、通常は破線(点線)で近似曲線が追加される。
(新しいExcelの人は、グラフをクリックしたときに出てくる右側の「+」マークのボタンを使ってもいいよ)
この近似曲線を使って未来を予想するよ。
ただこのままだと直線近似のままになっているので、ぱっとみ会ってないように見えると思う。また、どれぐらいあっているかも分からないので、設定を変えてみよう。
ここから、種類を選べるので切り替えてみよう。
それぞれクリックして、いま選択している情報にたいして最も良さそうな近似曲線を選んでみよう。
また、その下に「予想」と言う欄があるので、そこに「前方補外」に100と入れると、近似曲線を今から100日後まで伸ばすことができる。
これで未来を予想する線がかけたよ。
その下にある「グラフに数式を表示する」と「グラフにR-2乗値を表示する」もONにしてみると、グラフ上に数字が表示されるよ。
数式は、この近似曲線を描くために使われる式で、これをExcelの式に置き換えて入れると、具体的なXの値の時の数字を計算することができるものになってるよ。
例えば、セル「E1」に「170」と入れて、この数式の「x」を「E1」に置き換えた式をセル「F1」に入れると、F1に170日の時の数字が出てくるよ。
また、R二乗値というのは、その近似曲線がどれだけあっているかを示しています。
ただし、未来を予測するときは、このR二乗値があっていればいいというもんでもなく…。
で、ここまで自分の手でやった人は気付くと思うんだけど、この近似曲線にどれを使うかによって無茶苦茶予測値に振れが出ます。
たとえば、指数近似にするとあと60日ぐらいで地球人類全員が感染し、そのうち10億人が死ぬと言う結果に。マジか。
一方で、線形近似にすると、100日後でも感染者数は数十万にとどまり、死者数は1万を超える程度、と言う結果になる。おいさっきと全然ちがうじゃねえか。
その中間ぐらいだと、累乗近似だが、100日後に感染者数は1000万人近くになり、死者は13万人を越える、と言う結論に。ビジュアル的にはこれが一番妥当なような気はするけど根拠ない。
それから、多項式をつかってグラフへのフィット度を上げた場合、最近ヨーロッパで本気になって検査を始めたことで急激に伸びた部分とかを拾っちゃって、値が極端になる、とかそういうことも確認できるよ。
分かりません。
結局グラフの姿を目で確認して考える、というのが一番オーソドックスなやり方。数学的にはいろいろと議論があるらしいけど…。
評価するときには、グラフを指数表示するか、普通の表示のまま見るかでどのグラフがあっているようにみえるか、と言うのもだいぶ見栄えが違ってくるので気をつけて。
ただ、どれが在ってるのかわかんないにしても、他人が出してきた数字やグラフをただ鵜呑みにするのではなく、自分でExcelでもなんでもにぶち込んでみれば、
と言うメリットがある。
数字が問題になっているとき、大抵の式はそんなに難しい事はないのでぜひやってみてほしい。Excelは結構優秀なので計算の中身をあんまり知らなくてもいけるよ。
また、このネタを覚えると、プレゼンするときに自分に最も都合のよい将来予測を作ると言うこともわりと自由自在にできるので、上司を丸め込んだり、客をだまくらかしたりもできるのでべんr…………悪用厳禁!!!。
もちろん、これは何か大きな異変がなくて、このまま状況が推移する場合の予想だ、ってことも分かると思う。そこから先は感染モデルなどを取り入れた、もっと高度な予想が必要になると思うけど、自分で推測するにはこの程度でも役に立つよ。
先日一部界隈で話題になった「全くスクリーニングされてないランダムな集団に検査を実施するとどんな結果になるか?」と言うのもExcelで簡単に計算できるのでやってみて。
また、一部の反発に「もっと検査精度はよいと想定するべきだ」とかあったけど、その数字がどれだけ大事なのか?とかも分かるよ。