はてなキーワード: 物見とは
コンドームのPI値は3%、つまりコンドームを使っている女性のうち3%は1年以内に妊娠するので
20歳くらいでセックスし始めたとして、10年セックス相手が途切れなければ30歳までに3割が妊娠する計算。
40歳までには6割か。過半数超えるな。
海外から来たデータなので、レス大国日本だともっと少なくなりそうだけど。
しかし
これ、「コンドームは意図的に破損しなければ破損する可能性は少ない」と考えてるって事だよね?
何故コンドームをそこまで信頼しているのか謎だ。
実物見た事ないとか?あんな薄っぺらいゴムなのに、壊れるなんて有り得ないと考えている奴の認識が謎だ。
破損しなくても外れたとかよくある話だよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/president.jp/articles/-/13600
恐らく階段を想定しているんだろうという前提で。
http://b.hatena.ne.jp/aureliano/20141006#bookmark-230985653
ぼくも絶対に助けませんね。助けようとして何度か断られたからです。逆に聞きたい、なぜ断るのか。断られるともう二度と助けようという気にはならないですね。ちなみに外国人の女の人は断らないです。
子供が居ない人にとっては意外かもしれないけど、子供を抱っこしながら畳んだベビーカーと荷物を持って階段上り下りってのは
妊娠中とかヘルニア持ちとかではない健康な(つまり、大多数の)母親にとっては簡単なこと。
勿論誰かに持って貰った方がより楽には違いないけど、そもそも自分の荷物を赤の他人に持たせるというのに抵抗があるのに
それを押してまで赤の他人に持って貰いたいと思うほどの事じゃない。
と言うと「お前みたいなのが断るから本当に困ってる母親への手助けが減るんだ!必要無いと思っていても断るな!」と言う人が出て来そうだけど、
それでもし壊されたり荷物持ち逃げされたりしたら困るのはこっちなのでそこまで強制されたくはない。
何故簡単かと言うと、大多数の母親は軽量型ベビーカーを使いつつエルゴを持っているから。
ベビーカーには軽量を売りにしたものが多数あり、日本メーカーだと主力商品となっている。
大体5kg以下・中には3kg以下というものもあり、この手の物は女性でも楽に運べる。
元々頻繁に持ち運ぶ事を前提として作られているので、片手で楽に畳めて畳むと高さも減りコンパクトになるのも特長。日本の技術凄いね。
上で「外国人は断らない」とあるけど、恐らく外国製のベビーカーはそういう機能を売りにしてない、重くて畳めず持ち運べない物が多いから。
(外国人でも日本製の軽量型を使っている人も見るけど。観光客ではない日本定住者ならそっちを選ぶ人もいるんだろう)
日本人でも外国製重量型を好む人もいて、階段で自力で運べず他人に頼むのはそういう人も多いだろうけど
「ベビーカー」は必需品だけど、「重くて畳めない持ち運べないベビーカー」は都心部じゃ別に必需品じゃないしね。
エルゴってのは今や街で見ない日はないくらい大人気の抱っこ紐で、登山用リュックの構造を応用し肩ベルトの他に腰ベルトが付いているのが特長。
子供の体重を肩と腰に分散するので見た目よりずっと負担が少ない。
私は運動なんぞ体育以降ろくにしていないインドアヲタBBAだけど、それでも10kgくらいなら余裕。
エルゴがあまりに売れすぎたため、今では別メーカーの抱っこ紐も似た構造のものが多く、腰ベルトの無い古い型の抱っこ紐は殆ど見かけない。
荷物だって重いものを持ち歩かなければならない場面は殆どない。
いくらでかいママバッグ持ち歩いているとはいえ、中身のうち重いのは調乳用の水筒(これも母乳だから持ってないと言う人も多い)くらいで
おむつや子供の衣類なんかは嵩張るだけで大して重くはないし、ママバッグ自体も(これもベビーカーと同じく)軽量を売りにしたものが多数出ている。
買い物にしても今時は殆どのものが通販やネットスーパーで買える。実物見て買いたい場合も実店舗で確かめた後にネットでポチりゃ済む。
少し遅い夏休みを取って、妻と一人娘の三人で、海外旅行に行ってきた。
昔から旅が好きで、何度もバックパック背負って歩いたタイに10日ほど。
1歳児の航空券はタダなので、そのぶん少し奮発してビジネスクラスにする。乗り継ぎ便だけどね。
小さい子供を蒸し暑い都会のバンコクを連れ回したら疲れてしまいそうなので、北部のチェンマイへ直行。
最近、やっと「ぞうさん」って言えるようになった娘を象に乗せてやり、大好きなバナナを象さんと一緒に食べさせてやりたい。
ホテルでツアーを申し込む。昔はピックアップトラックの荷台に乗って回ったけれど、事故も怖いしちゃんとしたバスツアーを選んだ。
そのツアーではエレファントキャンプに向かい、象の芸やスポーツを鑑賞した後、娘大興奮のエレファントトレッキング。
次に向かったのは、首長族の村。首に金属の輪をはめて伸ばしている人たちだ。
娘はビックリした顔で後ずさり、それでもニコニコ笑いかけてくれる首長族の女性に興味津々で、妻にだっこされ、首輪を触ったりしていた。
僕はガイドに「このあたりには首長族の人がたくさん住んでいるの?」とたずねた。
「いや、彼らはタイの人間じゃないよ。山の向こうのミャンマーだよ」とガイドは答えた。
彼らはカレン族というミャンマーの少数民族で、迫害を受けて難民になったり、食うに困って国境を越えた出稼ぎをしたり、でタイにいるのだという。
この村にいるカレン族は、半年単位で数家族ずつが交代して出稼ぎにきているのであり、パスポートは回収され、この村の外には出られないのだそうだ。
「あと、家族の女だけが来ることになるから、家族は半年離ればなれだ」
「なんで?」
そこには、確かに女性しかいない。まだ10代半ばくらいの女の子もいる。
無邪気な娘を見ていると、自分の娘がこうなったら…と、自然に考えてしまう。
ここは1歳の幼児を飛行機に乗せて物見遊山に来るような観光客にとっての『人間動物園』なのだ。
ひょっとしなくても、今日払った1万円のツアー代が、彼女らひとりの月給くらいかもしれない。
せめて、偏見なんて持ちようがない歳で初めて彼女らを見て、きゃっきゃと愛想を振りまいている娘が、大人になったらきちんと理解してくれるといい。
貧乏って言うのが悪いってのは分かるけど、中学生がその本質を理解できるとも思えない。
言い返せたならそれでいいじゃないか。
言っていいことと悪いことの区別は年取れば段々分かってくる。今はイジメを何とかするべき。
とにかく言い返せ。罵詈雑言を浴びせろ。罵詈雑言の意味が分からなかったらググれ。
ただ気をつけてほしいのは、オタクと言われたことと、貧乏で頭が悪いことは何も結びつかん。
言ってることが的外れだ。
的外れなことを言っても相手の心には響かない。
じゃあどうするか、自分がオタクじゃないと思ってるんならキレろ。「俺はオタクじゃねー!」って。
自分がオタクだと思うなら開き直れ。「俺はオタクだ!文句あるか!」
そして気にするな。イジメっこはその心の隙をついてくる。
最後に、貧乏という言葉は極力使わん方がいいが、相手が理屈の通じないバカだった場合は容赦なく使え。
言っていいのか悪いのか?言われた相手はどう思うか?それでも自分を守ることが優先されるなら使う。
しかし、これは最後の切り札でもある。よく考えてから使うんだぞ。
知り合ったのは、取引先との合コンでした。幹事役だった取引先の幹部から「今度来る子は、うちのエースだよっ」って言われて、またまたーとか思いながら物見遊山のつもりで行ったら、一人だけおとなしそうな、だけど如才なく話を盛り上げてくれる人がいて、それがそのエースくんでした。有名国立大学を卒業し、人事・企画系のお仕事メインで、同期のトップを切って絶賛出世コース真っ最中。年齢は30代前半。お話しても、とっても頭の回転が速いのが私でもわかります。嫌味なところが全然なくって、これはたくさんの女の子に好感もたれるよねーって思いました。
当時は大学の同級生の彼氏もいたし、腐っても慶應、そこそこ稼いでますし。
実は幹事役だったその取引先の幹部とも不適切な関係を2年くらい続けてましたし。
さらに実は会社の上司とも入社以来ずっと不適切な関係を5年くらい続けてましたし。
なので、まあ今後お仕事をするにあたって良い人脈を作れたわー、ダーリンありがとってその幹事役の幹部にお礼を言ったりしてたのですが、なぜかそのエースくんから頻繁にメールをもらうようになり、半年くらいさしでご飯を食べる間柄を続けたら、ある日、「付き合ってほしい」って言われて愕然。さすがに上司や取引先の幹部との話は伏せてたけど、過去の恋愛話も少ししちゃってたし、彼氏がいるってことも言ってたので「知ってのとおり、彼氏がいるから…」って言ったら、「同時進行で良いから、選んでほしい」って。きゃー。
ところが「お付き合いしている」状態になっても、手を握るだけで、一向にそれ以上進みません。そんなある週末の日、自宅マンションの近くで二人で飲んで、強烈に酔ってうちまで送ってもらって、お水とか飲んで醒ましているうちにすごく体が接触してしまいました。
むらっときた私がベッドの上に覆いかぶさるようにキスをしたら、彼ががまんできないふうにむしゃぶるようにキスを返してきて、それが歯がガチガチ当たる超下手糞キス。
それでも、ここがチャンスと思って恥ずかしそうに顔をそむけたら、ぶるぶる震える手で服を脱がそうとしてきたけど、ボタンがちぎれそうなくらい焦っているので、これは相当経験ないよねって思ってこっちからは一切積極的に攻めず「ね、ゆっくり、優しくして」って言ったらようやく落ち着いて少しずつ服を脱がせてきます。
ブラジャーの外し方も知らなくて、取れてないのに胸とか乳首を揉もうとするから痛かったです。それでもようやく二人とも下着になって「恥ずかしいから暗くして」って柄にもなくぶってみたら真っ暗にしやがった。
見えねーだろそれじゃ。
案の定、手が関係ないところを動き回って下着も取れないので、脱がされたふりをして自分で脱いであげました。
愛撫も痛い痛い。乳首と陰部だけ触ってんじゃねー。胸をぐりぐり揉むな。乳首とか噛むな。いざ行為になっても入れる場所がわからないらしくすごく戸惑ってます。そもそもゴム持ってないし。デートの時くらい一つくらい持ってくるもんじゃないのか。こういう相手にゴムとか出すと何か誤解されても嫌なので、「最後は外に出してね」ってお願いしました。本当は不倫相手のおじさんたちのためにピルを飲んでいるんで大丈夫なんですがね。いつまでも入れられないので、こちらが腰を動かしてあげて、彼の努力で入ったようにしてあげました。
そしたら、30分くらい一生懸命腰を振るのですが、緊張しているのか日頃のハードな自慰のせいで刺激が足らないのか、中折れしやがったのです。もちろん私は日頃の行為のようには声をあげません。時折ちょっと気持ちは良かったのですが、いつものようにはしたなく情念を解放して「ああん、もっとください」とか言って背中をつかんだりはせず、理知的に「んんん」と言って顔をそむけるくらいです。どうせ真っ暗だから何も見えなかったと思うけど。
で、中折れしてしょげてる彼から聞いたら、やっぱり童貞だったそうです。
「はじめてだったから気持ちよくなかったかな、ごめんね、ごめんね」って一生懸命謝る彼がとっても可愛くって、「ううん、すごく嬉しかった。私こそ気持ちよくさせてあげられなくってごめんね。私なんかが**さんの初めての女性になってごめんなさい。もっと素敵な女性がよかったよね?」って言ったらがばーって抱きしめてきて、「そんなことない。一生大事にするからね。責任はとるからね。」って。うひゃ。
翌朝、彼が目覚める前にかるく化粧して添い寝してたら、起きた彼が照れながら迫ってくるので、恥ずかしげに応じてめでたく彼は人生初いき。ただし先走りを中で出したので減点1。
で、そのあと、なんで童貞だったか聞いたら、セックスしたら責任とって結婚しろと強く母親から教育されていたようです。母親からってところが強烈に引っかかったのですが、東京からかなり遠い地方中核都市にお住まいなのでまあいいかと。それと、頭が悪かったり、男性経験がむやみに豊富だったりといった、うかつな女性とそういう関係をもって、結婚を迫られるのが嫌だったと。自分にふさわしい女性とでないとそういう関係を持ちたくないと。東大の同級生の子とかと付き合えばよかったのにって言ったら、自分より頭がいい子は嫌なんだと。明らかに要は伝統的な男性上位婚思想の奴隷なわけですが、なぜか共働きはOKなんだと。
それにしても30過ぎまで童貞を引っ張るのはどうよと。男性経験豊富って何人くらい?って聞いたら、3人まではOKだとか。セーフ。彼には、学生時代の彼氏の話と、直近の彼氏の話しかしてないです。本当は会社の上司とか彼の会社の幹部とか、妻子持ちだけで5人くらいと付き合ってたんだけどね。えっちのときに恥ずかしそうにしているのを見て、私のことを、真面目な子なんだって再確認したそうです。ふぅん。
婚約して、彼の家のノートブックとか触るようになって、2chの書き込み履歴とかはてなブックマークとかみたら、もろミソジニーでした。
最近は元彼のことを執拗に聞いてきますが、答えたらとても不機嫌になります。だったら聞いてくるなよ。
私の過去がばれませんように。
さすがに大きなもの見た覚えはあるよ。というか、最近友達と見に行って、友だちがそう言ったんだよね。
大きい物見た時に「自分はちっぽけだなあ」とは思うよ。宇宙と自分の対比図みたいなの脳内で思い浮かべて(その時見たのは宇宙じゃなかったけど)、ドット以下になった自分を想像する。飲み込まれそうな気分になる。
でもその自分が抱えている悩みまでちっぽけだと否定することはない、悩みを感じるのは自分なんだから自分との対比で考えた方がいい、とそう言いたかったんだけどね。
悩みへのアドバイスで「〇〇に比べたらマシだよ」とかいうのもあるけどさ、ああいう比べる系の慰めって「〇〇に比べたらマシだから、そんなふうに悩むのは甘えだ」って相手を否定するだけなんだよ。現時点で悩んで苦しんでいることを認めてあげていない。上を見たらきりがないし、下を見てもきりがない。悩みって比べるものじゃない、人と比べた大小じゃなくて自分が今苦しんでるか苦しんでないかが一番大切な評価点(と思う)。
タイトル、ナントカ生放送を意識した結果、まるで数日前とかに初参加したかのような響きになってしまいましたが、何年間でのできごとです。(・∀・)
幼い頃から郊外に住んでいる自分は、ホームレスなんて全然身近な存在ではなく、
ダンボールで寝てる人、ビニールシートのおうちは、たまに親に連れられ都市部に出てきたときにだけ目にしていました。
親に見ちゃだめと言われて手を引かれるため、すました顔で通り過ぎるようにはしていましたが、心の中では興味津々、見ちゃだめなんて言われたらもうより関心が…
そして小学6年生になった私はある日、駅ビルでオムそばを買ったのですが(唐突)
それが思ったより口に合わなかったため半分くらいを残して駅のゴミ箱に捨てたということがありました。
すると…しばらくして知らないおばさんがゴミ箱を物色し始め、私のオムそばやその他の食べ物のゴミを持ち去ったのでした…
自分のきたない食べ残しを持って行かれた…それはそれは子供ながらにショックな出来事でした。
そんな物を食べないと暮らしていけない人がいるということへの実感も湧きましたが、正直、自分の食べ残しを人に食べられるという生理的な嫌悪感が大きかったです。
その感情を払拭するため、小学生の私が行ったことは、路上で寝ている人に、コンビニおにぎりを配るという妄想でした。小学生らしい意味不明さです。
それはもちろん妄想に留まり、私の第一次ホームレスへの関心期は終了したのですが、時を経て人生のモラトリアムに突入したとき、たまたまボランティア募集のビラに巡り合い、珍しい物見たさもあって
炊き出しに参加してみようと思い立ったのでした。
・NPO法人主催、週1で公園にて実施。(公園使用の許可は得ている。)
・200人前後の人が食べに来る。9割8分が男性で年配者が多い。(小学生の経済力ではコンビニおにぎりを行き渡らせるのは無理だったと改めて感じた。)
・若者は目立つため、列に並びにくいかも知れない。
・配るのはカレーライスと福神漬け。容器は使い捨てではない給食風のお皿。
・調理組と配膳組に分かれている。お昼に調理組が作ったカレーを、夜に配膳組が搬出して公園で盛る。(私はいつも後者。)
・食品に対しての衛生管理は頑張っている。三角巾、マスクに手袋の装備と消毒液が必ず準備されている。
・ホームレスがホームレスに見えない。ぼろぼろでロン毛の異臭を放つホームレスらしきホームレスというのはほんのひと握りで、小奇麗な服装をしているし、ひどい臭いもしない。
・主催者が「憲法第9条を守ろう」って背中に書いてあるジャンパーを着ている。(なんかいるよねそういう人たち。うん、たしかに憲法9条は大事だね。)
・ただのNPO法人の運営かと思ったらキリスト教の関係者がやっていた。キリスト教のNPO法人だった。しかし、聖職者と信仰者がボランティアをしている事実だけで、現場に宗教色は一切なし。
・ボランティアも残ったカレーが食べれる。炊き出しが終わったあとにボランティアのみんなで食べた。(ホームレスと同じ食器だったから本当はいやだtt…)
・立つ鳥跡を濁さず。公園を借り続けるためにも、現場のゴミ拾いには徹底している。
・てんやわんや。場所を借りる時間が定まっているのか、単に現場の人がせっかちなのか、準備から片付けまでがとても慌ただしい。(理由は今も不明。)
・行き当たりばったり。主催者による事前説明やミーティングなどの、本来組織が機能する上で執り行われるべきやりとりがされない。目が合った人同士などでの軽い自己紹介などはあれど、
全体的な挨拶などもないために誰がどういう立場でボランティアに参加しているのか判断できない。その日に何か変更がある場合は、配膳開始直前などの慌ただしい中で伝達され、
初心者は、わからない点どころか行う作業の一から十までを経験者に聞かなければならない。
不便だと思うのですが、何らかの意図があるのでしょうか。(問いかけ)
・並ぶのはホームレスだけじゃない。無料で洗濯や入浴できる施設や理容サービスが存在していて、これが小奇麗なホームレスのたち真相だが、列の中には普通に家のある生活保護や年金受給者も多い。
その結果、受給日前の月末にかけて列が長くなり、配膳数は1.2~1.5倍になる。
なぜ彼らはその取り分で生活できないかは謎である。アルコールやギャンブルに使い果たしてしまうのも一つの理由でしょうが、慎ましく生活していても足りていないのでしょうか。わかりません。
また、高齢者にとっての病院みたいに一つの社交場として実際そんなに困ってないのに遊びに来ている人もいるかと思われます。(笑)
・並ぶ人の中には、身体的、知的、精神的に問題ある人が多い。声をかけてもうまく意思疎通ができない人が多い。
・識字率が100%ではない。掲示物や配布されるお便りなどの全文がひらがな表記だったり全ての漢字にルビが打ってあったりする。
・空気的に身の上話は聞きにくい。彼らが今に至った経緯は貧困問題を理解する上で貴重な情報ですが現場が明るい雰囲気のために深刻な事情に踏み込むのは難しい。
・年配ゆえに少食な人がいる。わざわざ並んでたったそれだけでいいの、、、ってなる。
・ご飯をもらう側の人がボランティアを手伝ってくれる(笑)。多分本人が勝手にやってるんだけど並ぶ人の中にご飯を食べる傍ら車の荷物を運び出したりなど積極的に働かれる方がいます。
食器洗って返すまでが炊き出しで、食べ終わったお皿は公園の水道で汚れを落としてから返却します。カレー配りに専念していると、こういった周りの状況をすぐに知ることができませんでした。
・後始末の方法が汚い。
残飯処理や公園内の清掃時などに、若干ですが素手で汚物に触れなければならないタイミングがあります。触ったあとに手を消毒できるのであれば良いのですが、そのような環境は用意されていません。
いつもその作業を行っている方は気にしないのか効率を求めて割り切っているのかわかりませんが、私は基本違う作業に徹します。
・食品に対しての衛生管理は頑張っている。その2。一度でも外に運び出した食器類は、未使用でも全て洗う。
・年間の予算は約400万円。
・一番近くの路上生活者は並ばない。長く参加している間にだんだん常連さんなどの顔を覚えていくわけですが、なんとその中に、その公園周辺の路上に住まう方々の姿がないことに気づきました。スッテーン。
おうちを訪問してお話を聞くと、彼らは何らかの形で収入を得ており、「炊き出しや福祉のお世話にはならない」という強い自立心が養われているようでした。
中には安定した収入も貯金もあるにもかかわらず路上で生活している方も…。……。なぜ炊き出しを必要としない人ばかりがそこに集結しているのかはわかりませんが、いつも列に並ぶ人々は
みんな遠方からやって来ていたのでした。
・主催者がコミュ障…。主催者は、組織を束ねることができていることが驚きの器の持ち主。おそらくある一つの思想の下に人が集まってことが運ばれている。
・大半のボランティアが郊外出身。やはり同じ界隈に住んでいる都市部の人間は彼らの存在にうんざりしている模様。
・主催者が「脱原発」も掲げている。最初に憲法9条という言葉を見たときにいろいろ気づくべきでした。
・炊き出しに直接関係ないイベント…。主催者からフェミニズム的な会合へ半強制的に参加を求められる。ターゲットにされています。私が社会人ではないため、暇だと思われてるんでしょうか。
・無償の労働に対して直接感謝や労いの言葉は貰えない。例えば幼稚園、病院なんかへのボランティアではそこにいる方々から何かお言葉が頂けたりするが、
この現場ではそれがほとんどないと言える。周りの大人もみんなボランティアの括りで参加しているため、みんなが同じ立場であるからでしょうか。
並ぶ人たちにはそんな気配りはないし(笑)、もしかしたらお金をもらってやっていると思われているかもしれない。
そのためやり甲斐はその場では見つからないかもしれない。震災被災地でのボランティアも一部はそんな感じみたいですね。
「気持ち」というささやかな見返りすら求められない究極のボランティアである。
・カレーをもとめて数…里。食べ物を求めてすごく遠くから来たという方がいらっしゃいました。ずっと歩いていたため、真冬にもかかわらず全く寒さを感じないと言っていた。
・育たない自立心。「ただボタンを押すだけ」のような単純な操作をお願いされることがあり、たとえ押し方やどのボタンを押せばいいかを伝えても学習しようとしない。
彼らの場合、決して能力がないわけではないと思われるが…これが炊き出しには並ばない意識高い(笑)ホームレスとの違いでもあるのかなと思ったりする。
最終的にこの組織への参加によって私が学んだこと、それは、
共〇的思想の本質でしたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
はい、まず日本での炊き出しというシステムが主に人権第一の共〇主義の思想から成り立っていることがわかりました!
何せ、こういった主義主張の下に生きている人々との出会いは初めてで、彼らもそれを強く表に出すわけではないので気づくのにとても時間がかかりました。
そして、調べてみると私の住んでいる地域では他にも様々な団体が炊き出しを行っているのですが、ほとんどの団体が、キリスト教系およびそっち系のいずれか、または両者でした。
全国的にも、そのようですね。本当に無知でした。炊き出しというものが、そういった思想に基づいているとは…。
気づいたときにはもう、この現場に思い入れを抱いてしまっていたのでそれは割り切ることにしました。
それに、自分の中のいろんな考えを刺激してくれた良いものであったとも思います。それがどんなものであったかは割愛します。
私はこれからも資本主義の残酷な点を見直しつつも、天皇陛下を敬うし、今の日本に期待したいものです。
以上、笑えない冗談でした。
そもそも、炊き出しですが、お腹が空いて死にそうな時に駆け込んだり、無職の間に炊き出しで食いつないその期間に新しい道に歩み始めてもらったりなど
短期的な支援として行っているものとしていますが、もう何十年も来ているという人が多かったりで、なんなのよってなります。ヽ(・∀・)ノ
でも彼ら、精神的、身体的、知的な問題、年の取りすぎなんかにより、社会復帰が絶望的という事情があったりで、生活保護受けていたり、福祉の世話になりたくないプライドがあったり、
単純に外が好きだったり、いろいろな人がいますがいますがそんな人たちみんなひっくるめて、彼らはこの世がこういう世であるために発生した社会不適合者であると考えることもできます。
(※思想的にではなく、社会学的に基づいた考えです( ;∀;))
あと人間にはどんなに努力しても元々素質がなければ困難なことがあると思いますが、彼らの場合、この世を渡り歩くための素質を持たない、もしくは失ったのだと見ることもできます。
そのような目線でいくと、彼らにとって炊き出しは、死ぬまで面倒をみてやろうというターミナルケアとしての機能も果たしていると言えます。
私が炊き出しに参加することに対して、「炊き出しの存在が路上生活者を生んでいるのでは?」と直球を飛ばされることもあります。
たしかに炊き出しの存在は、「働かなきゃごはんが食べれない」という人間の労働へのモチベーションが生まれる流れを遮っているかもしれません。
それに、収入のある人が炊き出しに頼ることで本来食費に充てるべきお金が遊興費に回されるなんていう現状もあるでしょう。
厚労省のホームレスの数は調査は今のところ減少傾向に見られます。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027ptf.html(目視調査のため数字は不確実)
そして、現在の炊き出し来場者が200人前後と記しましたが、過去は今の2倍以上が通常であったとのことから、炊き出し来場者も同様に減少しているように伺えます。
やむを得ず路上生活する人々への支援という当初の目的の需要が減る中で、炊き出しというものが、一人歩きしてしまってる面があることは否めないと思います、、、
しかし私個人としては、食事は誰もが必要とすることであり、古代だったらそのへんの植物生物で食いつなげたろうけど現代人はそんなの食べれる免疫持ってない
っていうか今はそんな時代でもないし、ということで、
お腹が空いた時に誰でも無料でご飯が食べれるサービスがあっても良いんじゃないでしょうか
というシンプルな結論に落ち着きたいです。
死ねるようであれば死んで良いのですよ
それを下手に「死んでしまうのは良くない」「親からもらった命、どうしてそのような事が言えるのだ」などと言ってしまうからややこしくなるのだ
君ね、何の謂れでそんな事を言っているのかを自覚しているのかね
君達は常々「人に貴賎はないのである」「人が人の価値を決めるんなどおこがましいのである」と言うではないか
であれば同じ道理で、君達に命の使い方をヤンヤヤンヤと言われたくはないのである
私はね、態々君達の道理に従っているのだからね、口惜しかったら弁護士でも政治家でも持ってくると良い
まあそれは良いのだ、君たちと議論をするために話すのではない
君がまっとうな人間を目指すのであればね、「死にたいのです」と言われたら「ああ、そうですか」とすげなく言ってやることです
冷たいだとか人間味に欠けるとかは言わせておけばいいのです
死がさも神聖で犯すべからずという顔をしているから、そこに挑んでみたくなるのである
死ぬ事がちょっと小用を足しに行く程度の事と並列であれば、陳腐で誰もそれを望んだりしないでしょうよ
しかし、人は堕落するし、父なる神もその教えも変わるのです、変わらない者はない
そして、我々は常に盲いている
「三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず」とエラい坊主も言っていたではないですか
掃除をしていたら、iPhoneの機種変でいらなくなってたAndroid携帯が見つかった。
試しにWiFi環境に繋いでみたら、ものすごい勢いでアップデートが始まったので暫く放置していた。
暫く経った頃、端末を再度眺めてみるとノーティフィケーションにずらりと並んだアプリ。
その中に、かつて電車の中でよく遊んでいたMinecraftPEがあった。
なんで、やめたんだっけ。通学時間にあんなにはまったのにな、なんて考えながらも
サバイバルモードを立ち上げてみる。背景は真っ黒だったはずなのに、なんかおしゃれになってる。
元々遊んでたのは0.30までだったから今の0.71からみたずいぶん前だ。
以前遊んでいたワールドがなぜかなかったので適当に作成してサバイバルモードで立ち上げて遊んでみた。
しばらくしてワールドは夜に変わる。
今、Steveの耳には三種類の音しか聞こえてこない。
1. 動物たちの鳴き声
2. ゾンビの唸り声
3. 私、Steveの恐怖を噛み殺す歯ぎしり
Steveは今、露天掘りにした1×1×3の穴の下にいる。
作れたのは木のつるはしまでだった。
石炭を掘り当てることができず、ただ無駄にたまった土塊がアイテム欄を埋めている。
長い夜の間、ゾンビの声に怯え続けたSteveの魂は
MinecraftPEのWikiを彷徨い歩いた。そして目当ての情報へ。
PocketInvEditorというアプリ。
土くれを松明に、アイテム個数を255に変えてみた。
二回、三回と繰り返し踊ってみる。
そしてブロックを一つだけ掘り、松明を授けると
その光に、Steveは捕われていた孤独を思い出すことになる。
かつて、Steveはマインクラフトがクラフターの一人だった。
ニコニコ動画にアップされているような
コツコツと積み上げられた職人芸には叶わなかったけど、
立体文字を作ったり、自分の部屋を再現したり、色々楽しんでいた。
狂い始めたのは、バージョンアップにより
彼は熱中した。掘って掘って掘りまくった。
だが、そのうち物足りなくなってきた。
十分な松明を置けなくなったため、
背後を襲われることが増えたことと、樹木の伐採のし過ぎで
木が足りなくなってきたことだった。
環境ファイルをバイナリエディタで直接書き換えればいける方法を知る。
確かにそれっぽいのがあった。
これを書き換えれば。
これ以降、SteveはHEXファイルを呪文のように日がな唱えるようになる。
アイテム欄だけではなく、フィールドの切り替えをも簡単にできる事にSteveはすぐに気づく。
クリエイティブモードで培った財産を今こそサバイバルモードに変える時だった。
すぐにすり減ってしまう石のつるはしは当時未公開だったダイアのつるはしに変え、
紙切れのように石層を掘り砕いていった。
せこいことをしてコツコツ増やしていた本棚はFFに変えるだけで欄が255に変わったので
部屋の床全てを埋めてもまだ余裕があった。
美しく等配列に並ぶことで果たしていた装飾という役割も同時に共に消し去ってしまった。
埋められるスペースというスペースに松明を突き立てたことで。
時々、ゾンビが落ちていく姿を眺める事ができた。
海の上に落ちたのでは死なないから、わざわざ石畳を敷き詰めて、
落下死させるようになっている。
クリエイティブモードとサバイバルモードを簡単に行き来できるからだった。
1×1マスのガラスの囲いから救いの手を差し伸べる何重にも折り重なったゾンビたち。
TTで思いつくほとんどのことをやりつくし、眠れぬ夜にゾンビに怯えることもない今
ただただ、囲われたゾンビを眺める事がSteveの日課だった。
ゾンビーフはまだこのバージョンにはなかったから、生き倒れていく緑色をずっと見ていた。
いつもの朝を迎えると彼は手持ちのアイテムのほぼ全てのIDを2Eに書き換え、
牛や豚を追い込むのに苦労した。
空を仰げば青さのみが広がる海中神殿。対照的に、溶岩を誤って置いて
紐なしバンジージャンプをした。
全てに置いていった。
残っていた石ブロックを十個一列に新たに積み上げるとその上に立ち、
赤色のブロックを横付けして、ワールドをサバイバルモードに変更する
どこまでも連なっていくのが見えた。
かぼちゃにも似たそのブロックの側には大きく「TNT」の文字。
v0.30ではまだクラフトすることが出来ないはずの爆弾だった。
ほんとにいいのか?
Steveは自問自答する。
もうこんな世界に用はない。
そしてブロックを長押しした。
その最後を彼は見届けることはなかった。
そのまま即死した。
Android携帯の画面はSteveが最後に見た世界をそのままに
そして、携帯を再起動し、MinecraftPEを立ち上げると
全てが終わっていることに気づく。
かつて、一番最初の一歩を踏み出したここは美しい平原だったはずだが、
TNTにより抉られた醜い谷間へと姿を変貌させていた。
性急にことを進めすぎたんだと思う。
地道に石を彫っていかなくてもヘックス値をFFに書き換えるだけで255になるアイテム欄に、
こつこつやっていた楽しさもゆっくり何を作ろうかと考えていた期待も忘れてしまって、
飽きが来てしまった。
遊びだけを奪っていったはずの全能感が倦怠に変わると、
Minecraftを遊ぶ全ての動機に牙を剥いてしまったのだ。
何なんだろうな、この気持ちは。不条理が今ここにある。
v0.71になってIFは変わったけど、一度醒めた気持ちが再燃する事はなく、
全てを与えられたSteveを俺は見放した。うまく使う事ができなかった。
限られた選択しか常にない環境なら、なおさら、どうであったろう。
なんか疲れた。もう疲れた。
俺はこの部屋のSteveだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130509003912
ニコニコ超会議は参加したことないけど、コミティアで思いっきり似たようなの経験した。
知人は兼業漫画家でコミティアに出して長いのだけど、売り子として参加させてもらったことがある。
売り子としてコミティアに来て思ったのが、
ことだった。
一日で200部だから割と頻繁に人が来てた。
二人で回していたんだけど、色んな局面で苦い思いをした。
ブースに一人残された時。
タイミングを見計らったように
画材を何ペンで書いてる?みたいなことをお客さんは聞いてくる。
すみません、作者は今席を外しておりまして……と
逐一言うのが辛かった。
逆に席を立って物見遊山を決め込もうと思った時。
いいなぁと思った作家と話せる共通点がないのが辛い(´・_・`)
ただ黙って見本紙をめくって去って……二、三回やって
ただの消費者として創りもしないのに
作者の前にいることに耐えられなくなったんだと思う。
お客さんと友人は始めて、しかもそのお客さんも作り手らしい、
話終わった後で同人誌交換してるし。
自分が見たことのない顔でしたよ、ええ。
ブースの常連さんなのか、周りも知り合いだらけで
そんな次第で、全然楽しめなかったよ。
人が足りてないというので二回参加したけど、
それ以上は無理だった。
ただコンテンツを消費するためだけに参加すると、
作者と対面したときにその人をよく知らない限りは何も言えないもの。
ただ、作り手なら話は別なのだろう。
買ってきた同人誌を広げた後、楽しそうに
作者と会話した内容、作品の構成で見習いたいところ、
好きなところなど話す友達が眩しい。
作れない俺はあの場所で作り手と何を語れるっていうんだ。
どうもお疲れ様です。
スーツなんて作業着、コードに服装は関係ない、と普段は無知を誇って言ってても、給料を出す側の論理で着とかないといけない状況もあります。小作人は辛い。
で適当に買うわけですが、この時期なら都内デパート各店の紳士服セールがありますね。
この紳士服セールへ行く時に、勝手のわかっていないギークあるいはモヒカンさんでも、1つだけやっとくといいことがあります。
それは、売り場のおばちゃんを無視すること。
彼女らはただのパートで、商品知識も客の体型を見分ける眼も持っていません。
ツーパンツだノータックだイタリー製だ、とどうでもいいことしか言って来ません。
出したハンガーをかけっぱなしにしたりして、客が自分でスーツをみることを想定した動きをしません。
デパートで働いているくせにコンビニ店員より気が利かない、ただの木偶の坊です。
特にO田急と京Oはひどいです。
売り場のおばちゃんに聞かないで値段の割に良いスーツを見分ける方法?
そんなの教えたら私が掘り出し物見つけるのが大変になるじゃないですか。
あ、すみません一点忘れてました。
ちょっと前にタイに旅行した。純粋な一人旅。夜の遊びは一切ない。
寺とかを見て回ってて、写真を撮ろうとしたら学生服着た可愛い女の子が満面の笑みでピースしてくれてたので
写真を取らせて貰って、その後おまけにツーショットで横にぴったりくっついて写ってくれた。(遠足か何かで来てたその子の友達に撮ってもらった)
あの女の子の笑顔、ときめいたホントに。ヤバかった。クラっと来た。多分俺の顔真っ赤になってた。
彼女いない歴年齢の童貞の俺が久しぶりに「自分の性別は男なんだ」って意識した。
エロ本とか見て興奮して抜く類の動物的な「性」とは違って、なんというか心理的な。キュンと。
自慰なんて義務的にやっちゃってるし、エロい物見れば勃つけど胸キュンなんてめったにないじゃん。
「やりたい」って思うんじゃなくて、本当、なんだろこの感じ。抱きしめられれば、それかまあチューくらいできれば死んでもいい。
昨日、駒場祭に行った
素人東大生の素人屋台など食べたくない、その屋台に費やすエネルギーを、
学園祭コンテンツに振り向けて欲しい、と思うのは、自分だけか?
★行きは井の頭線が激混みなのを予想し、小田急代々木八幡から歩いて駒場裏口まで行ったが、
小田急はガラガラだし、代々木八幡から東大まで歩くような酔狂な親子連れは
自分たちだけだった。
井の頭通りと山手通りの交差点(富ヶ谷交差点でしたっけ?)も、以前は歩道橋だけで歩行者用横断歩道もなく、
強制的に階段上り下り強いられ、バリアフリーじゃなかったのだが、
昨日行ったいつのまにかエレベーターが歩道橋に完備され、バリアフリーになっていた。
山手通りも(首都高工事が終わって)歩道も広くなって歩きやすくなったし、
なぜこの「代々木八幡/代々木公園~東大駒場」の裏ルートが世間に認知されないのか、よくワカラン。
「井の頭線は大変混み合います、代々木八幡、代々木公園からの迂回をお願いします」と
★しかし東大駒場の裏口って、殆ど掲示もないような裏口なので、「知る人ぞ知る」状態。
関係者でなければ、代々木八幡から歩いてきても、迷ってしまう・・・
ひょっとして、東大生の中でも、裏口の存在知らない人が、いたりして。
★帰りは井の頭線で渋谷経由で帰ったが、渋谷寄り車両は激混みなのはわかっていたから、
池ノ下寄り改札まで少し歩いて、そこから乗車した。
ホームの放送は、必死になって
「渋谷寄りだと乗り切れない場合があります、吉祥寺寄りに行ってください・・」と言っていた。
★駒場祭の日くらいは、井の頭線の急行を駒場東大前に臨時停車させても、バチ当たらない気がする。
★駒場祭は、一般素人は「1号館」を周回するだけでも、結構楽しめますな。
一般人が見てもわかりやすい展示は、結構1号館に集中している気がする。
個人的にはセミナーの類を聴講したいのだが、いかんせん子連れでは・・
★ところで、学生会館、生協はいつのまにか建て替えられましたな。
1号館や900番教室のような、レトロな建物(戦前?)は、「残そう」という
動きになりますが、旧学生会館のような、恐らく昭和の30~40年代辺りに
建てられた建物は、単なる「老朽化した建物」と見なされ、さっさと取り壊される。
1号館や900番教室もさることながら、学生会館とか生協とも、結構思い出になってるのでは?
むやみに取り壊すのは、「現役学生とOBの、場の共有」がなされなくて、
あまり感心しないのだが。
★屋台で「何もつけないパントースト、50円」を売る「やる気ない屋台」が評判になってたそうだ。
これって、一種の「ネタ消費」だと思う。
以前原宿の「ニコニコ本社」の付属カフェに物見遊山で行ったことあるが、ここでは
「食欲を減退させる、ブルーカレー」なんてのがメニューにある。
なぜこういうのがメニューであるか、と言えば、
「ブルーカレーを食べる姿を、ニコニコ動画で全世界配信」したいという、
ネタ消費はどこでも成立するシロモノじゃなく、トーストの件では
良くも悪くも注目される「駒場祭」だから、ネタ消費マーケティングが成立するのだろう。
★ケータイツイッターで「駒場祭」をチェックしながら回ったので、
展示を見ながら、当時にツイートチェックする、という不思議なライブ感覚を味わった・・
★誰かのツイートで「駒場祭、誰かアーチスト来てるの?」というのがあった。
・・・芸能人を呼んで集客するような、「どこにでもある学園祭」は、他大学に任せておけばいい、と思う。
駒場祭は「中身で勝負」してくれ。
★「クレープ屋の理三女子が可愛い」というツイートも横行していたような・・・
これって、インカレサークル(東大の主に男子と、他大学の主に女子)で、実際は他大学女子、というオチだったりして。
そもそも、東大男子って、あまり東大女子を相手にしない気がする。