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はてなキーワード: 演者とは

2024-02-05

日本ドラマ構造って結局、

推しを見るためのコンテンツなんだよね。

視聴者が見たい推し俳優アイドルタレント第一でそこにストーリーがついてるのはオマケ

個別にがんばってる制作者がいるのは分かる。

たまにがんばってるドラマもある。

でも全体的な構造としてはそのようになってる。

から手っ取り早く数字が最低保証される漫画原作がいる。

脚本家はそれを視聴者が見たい推し中心に書き換えなきゃいけない。

それが健全か不健全かは分からない。

無名演者だったら誰が見るのだろうとも思うし。

ただその構造自殺者を出したことは確か。

2024-02-04

原作を改変することが問題本質では無いのに、タイトルにはなぜか「原作改変」の文字が入るのはなぜなのか。

端的に言えば、コミュニケーション問題である

原作者脚本家監督演出家)、演者俳優or声優)、スポンサー版権元が納得いくように適切なコミュニケーション必要だったのにそれを怠ったことが問題なのに。

コミュニケーションに手を抜くのなら、有無を言わせぬくらいの札束で殴る必要があるだろうに。

それなのに、やたらと「原作改変」がどーのこーのという記事が目につく。

媒体や想定する利用者視聴者、読者)によって適切な表現手法は変わるし、そもそも正解もない。いか関係者ステークホルダーの納得が得られるかが課題なのだ

2024-02-01

anond:20240131200952

しろ途中で降板させられた脚本家のほうが日テレから軽くみられていたといえるんじゃないか

しろ逆。評判を下げかねなかったところを「クレジットから替える」事で回避できたんだよ

本来は、押し問答して時間もなくてガッタガタでもできる限り注文に沿った脚本脚本家の名の下に出すべきだった

それをしなかったおかげで脚本家責任原作者に丸投げして自身被害者に徹することができたし、わかりやす降板されられる事で自己イメージを守る説明ができていた

当然、本人も日テレ側に軽く見られたという認識がないからこそ演者との楽しそうなツーショットと共にそれができたわけ

2024-01-31

anond:20240131014050

ずっと大事に育ててきた我が子を散々レイプされ、救い出そうとした結果とどめを自分で刺したのであれば、そりゃ自殺もすると思うんだよね。


プロジェクトは往々にして悪い時に右往左往した結果、全てが悪い方に向くことで、最も悪い結果になる。日テレ原作レイプすると決めたら最後まで徹底的にやればまだこうはならなかったろうな。


推測でしかないが、プロデューサーの二枚舌が招いたことでしょう。で、終盤の脚本に関して、例えば小学館激おこでもう2度とお前らに原作提供しないぞとか言えば、プロデューサーも折れるでしょう。けれど経緯については保身もあってか脚本家には伝えず、脚本家は脚本家の保身もあってかあのインスタが投稿されると。

作者としては全部私が悪いのかと、一ヶ月間自問自答を繰り返し、事実関係を整理してブログを公開したはいいけど、意図が伝わることなく方々が大炎上。多分だけど、ちゃん先生コアなファンだけに届き、大変だったんですね、いつか完結したら改めて映像化されるのを楽しみにしてます、みたいなコメントで埋め尽くされたら違うことになっただろう。

結果は拡散されて、ファンでもなくネット暇人もの格好のネタにされたわけだ。伝えたい意図が全く伝わらないなら、自分脚本担当しても

監督にも演者にも、もちろん視聴者にも伝わらない、自分が全て悪いということを再認識することになったんだろう。全然違うのにな。


最初から脚本家も日テレも眼中になく、ただただ我が子を大事にしたかっただけなんじゃないかな。

だって燃やしてる人たちは、誰が悪いって話しかしてないじゃない。作品について誰も興味ないじゃない。そういうのは敏感に感じとるもんよ。


という個人の感想です

anond:20240131093933

すくなくとも、ドラマ演者スタッフにはある程度の信認はあったようだけどな。じゃないとドラマは撮れない。

2024-01-30

anond:20240130153027

もっともらしいこと言ってるけど視聴者のために作ってるって発想に囚われてるのがまだまだピュアさが残ってる感じがしていいね

そのコンテンツの"エンドユーザー"は演者なんやでw

実写化原作ファンのためではないということ

その昔、かぐや様は告らせたい実写化の際に赤坂アカ先生が以下のようにコメントしたのは有名だが


漫画実写化は、漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層に向けて『かぐや様』を届けてくれる漫画家としては滅茶苦茶有り難く、かゆい所に手が届く文化です」と、実写化についての考えを吐露しました。そして、原作ファンに「かぐや様がより遠くの人へ届く様に、後押しする感じで応援して欲しいと願っております



実写化するのは原作ファンの為ではないという表題もっとオタク認識するべきだと思う。

じゃあ誰のためかと言うと原作ファン以外の人のために作られているのだ。それは俳優女優ファンだったり、お茶の間テレビを見る層や、ミーハーな人のため。他の売上を立たせるために作られている

原作ファンの為の作品作りなら実写化しない方向でグッズやイベントなどのメディア展開したほうが確実にファン満足度は高いわけだし。生身の人間二次元人間表現するって言ったって限界がある。

よく実写化の中でも称賛される事がある2.5次元舞台だって熱狂的なファンは多くいるが、テニミュなどの有名な舞台でもテニスボールは直接打たれてる訳ではない。

キャラクターだって出番や台詞の少ないキャラ演者オリジナル解釈だけで生きる事になるし、それがある程度許容される事も少なくない。そもそも2.5次元舞台ですら原作を見たことがない人も多く入っていることは知られるべき。

今回のセクシー田中さんドラマを見てた者からすると確かにラストの終わり方は不完全燃焼だったように見える。

原作から入ってる人ならふわっとした終わりで漫画に期待が出来るラストだったと思うが、ドラマしか見ていない層の方が多い地上波で描かれた人間関係の結論もなく(恋愛的な要素抜きにしても)、スッキリはせず続編を期待する人も多かったように思える。

ドラマとしての完成度なら脚本家の思うように書き切った方が良かったのではないか?と視聴者が思うのも見てみればわかると思う。

実写やアニメ原作二次創作という捉え方もあるくらい、限られた枠の中で普段触れて来なかった層にアプローチするにはある程度のストーリーの改編やキャラ解釈の変え方があっても致し方ないものだ。

その改編にもし原作者が怒りを露にするならそもそも実写化なんてさせるべきではなかったと思う。現実的にある程度の事は許容せざるを得ないのだから

実写化に限らずアニメだって声優イメージと違う事や、アニメ雑誌で描かれた製作会社の一枚絵に原作者がこのキャラはこんなポーズしないと激怒アニメ円盤化しなかったジャンプ作品もあったが、あまりにも思い入れの強い原作者は実写化や他のメディアミックスはしない方がいいし、原作ファン実写化なんて見ない方が幸せだと思う。

実写化原作好きな人のためではないというのは繰り返し書いておく

芦原先生に思いを寄せすぎてしにそう

どうしてだろうという思いをずっとしている。

私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。


一番最初出会ったのは「砂時計」という作品だった。

本屋さんでなんの気なしに手に取ったこから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。

読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。

でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。

多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム

幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。

主人公記憶追随たかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。

幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。

砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。

帰りに主人公母親に買ってもらった同じサイズ砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。

大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。

そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。


それから以降の作品pieceBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。

正直めちゃくちゃ泣いた。

自分感情ドンピシャだった。

これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしま漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事作品だった。

女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。

それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。

正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングイメージが違ったからだ。

キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)

それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。

知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。

から本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。

芦原先生アカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。

知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。

でもその時もこうなるとは思わなかった。

思うわけないじゃないか

そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。

私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。

それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。


火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。

そして私が芦原先生自死を知ったのもSNSだった。

本当にやるせない。やるせないでしかない。

もちろん誰かを責めるつもりはない。

SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。

先生最後ツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。

本当にたらればを考えてしまう。

ドラマ化の話がなかったら。

テレビ局最初約束を守ってくれたら。

作者ではなく出版社が戦っていれば。

最後に選ぶのが自死でなければ。

どうしてどうして。

どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。

同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、

SNSを開いていてもそれがどんどんレコメンドされてくる。

同じ気持ち(と言っていいかからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。

特定の誰かを責めたり正義を振りかざすのはよくないと思う。

よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。

特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。

人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。

放つ言葉責任を持って仕事をするのはメディア仕事範囲に含まれないのだろうか。

(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。

問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)


どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。

何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。

ああこれから先、芦原先生作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、

セクシー田中さんが未完で終わってしまたこと」「先生が死んでしまたこと」を思い出してしまうんだなぁ。

島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。

先生どうして死んでしまったのですか。

残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ち必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。

先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。

天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。

私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたか世界であることを願います

そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます

一読者の私でしたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます

どうか、上から見るこの世界がもう少しやさしくなりますように。

2024-01-29

ストリップ劇場って演者のあそこのにおいとか感じられるの?

それとも観客のところまでは臭い届かない?

anond:20240129131535

演者と一緒に写真を撮りながら、放送されたものは本意ではない、と先に表に出したのは脚本家のほうだよね?

2024-01-28

anond:20240127215828

それがライブだろ!という気持ちしかない

客と演者喧嘩して台無しになったり演者の機嫌損ねてここまではやりますけどみたいな流れになったり

逆にテンションが合わさり過ぎて3回くらいアンコールがあったり

バンドとしてもう終わってんのかな?

そういうのも見るのもまたライブだろうなって思う

anond:20240126163229

まり議論が整理されていない気がする

増田オリジン相対派=国籍絶対派のように書いているが、本来はそうではない。

オリジンとは無関係国籍演者に役を与えることができるという考え方もありうるし、それはそれで整合性がある。

例を挙げると

A. 日本人役を日本以外にオリジンを持つ日本国籍ではない(例えばアメリカ国籍の)人間が演じる

B. 日本人役を日本以外にオリジンを持つ日本国籍人間が演じる

C. 日本人役を日本オリジンを持つ日本国籍ではない(例えばアメリカ国籍の)人間が演じる

D. 日本人役を日本オリジンを持つ日本国籍人間が演じる

オリジン至上主義ならAとBは許されない。CとDは許される

国籍至上主義ならAとCは許されない。BとDは許される

このように両者は直交する概念であり、相反する概念ではない。

2024-01-26

「え?あぁ、そう。」をビビバスが歌う意味を考えた

書くとこないからここに書いとこ圧倒的チラ裏

2024年に「え?あぁ、そう。」であつくなるなんて思わなかったな

実装発表された直後は、えぇ……?みたいな。困惑。みたいな。

いい曲だし、そのうちはいるだろうなと思っていたけど、はいるならバチャシンオンリーかなと思ってました

で、バチャシンオンリー選択肢としてある中で、なぜビビバスが歌うのか?を考えてみた

考えてみたら、この曲って捉えようによっては「最高のライブ伝説イベントをつくろうとしている状況」にどんぴしゃなんだなって

いいライブを届けようとする演者側と、いいライブを求めている観客側の気持ちのぶつかりあいとか、物理的にも精神的にもあつくてともすればどうにかなってしまうのでは?状態ライブハウスの熱気とかそういうのに通じるものがあると感じました(自分自身年間にまあまあな本数ライブ行くので割と実感を伴っての気持ちです)

仲間や街の人と真正からぶつかりながら、伝説の夜を超えてその先を目指すビビバスにはぴったりすぎるよ

この曲でフロアがんがん沸かしていくビビバスみえますので、もはや当初の困惑はなくただただ実装が楽しみです

(これで全然どえっっっな方向できたらひっくりかえっちゃうね笑)

2024-01-24

anond:20240124160901

劇場や、番組観覧に行くと

演者から「前から何番目の赤い服の子頼む」ってスタッフへ。


スタッフ女子に「OOがお話ししたいので来ていただけますか」

ホテルへの流れだぞ

2024-01-23

anond:20240123155814

おー、それは考えたこともなかった

コメントつけたこともないし、ただ演者の話が楽しいから聞いていただけだったわ

そう思うとコメントつけて楽しんでいる人たち同士とは、リアル独演会親和性いかもしれないな

スポーツでもテレビでみるより現地観戦したいし、落語独演会聴きに行きたい派なもので、そういう意識しかなかったわ

もしマイク回ってきたら初めて推しコンタクトとることになるわ

というか増田推しコメント拾うこともほぼないし、何ならライブ配信より10分ほどの編集動画アップの方が面白い人だからな…

ファン層もあるし、合うライバー合わないライバーはいそうだな、確かに

2024-01-22

プリキュアライブがあったらしい

20周年だからめちゃくちゃ盛大な奴

大勢プリキュアたちと声優歌手ステージを大盛り上がりさせ最高のライブだったとXにじゃんじゃん流れてくる

ステージ演者たちのファンサービスも凄く「女の子を見つけると全力で手を振り返してくれた」らしい

  

アラフォーおじさんは行かなくて良かったと胸を撫でおろし

2024-01-20

コロナ禍と加齢でライブが楽しくなくなった

コロナ禍になる前は、月2~4回くらい大きめのライブに行っていた。

でも、コロナ禍になりライブの生配信が盛んになってきた辺りで、「配信でいいな」と思うようになってしまった。

もちろん生の歌声とか、会場の雰囲気とか、現地にしかないものはあるんだろうけど、

ここ数年はライブに行ってもどこか冷静になってしまって、我を忘れて声を上げたりすることに抵抗が出てきている。

それに、自分はあまり背が高くなく目も悪いため、ちゃん演者が肉眼で見えることなんてほとんどなかったし、同じアーティストが好きな友人もいなかったため、基本は一人参戦だった。

そして配信に慣れてしまった結果、

から出なくてよい、混雑や周りを気にせずリラックスできる、ばっちり顔も見える方が、現地に居ることよりメリットとして上回ることに気が付いた。

今ではもう、なぜあの頃あれほど積極的ライブに参加していたのかわからない。

自分が年を取った(まだギリギリアラサーだが)だけなんだろうか。昔の気持ちが全く思い出せない。

世の人々は、何を求めてライブに行くのだろう。

2024-01-18

anond:20240117160019

ラジオって演者は楽しそうだよな。

基本的自分目当てのファンばっかだろうから内輪ネタとかで盛り上がれるし、姿映らないかリラックスして喋れるし。

自分有名人だったら大した実入りがなくても一服の清涼剤としてラジオやりたいわ。

演者がやらかすと3Dモデル全部お蔵入りってすごくない?悪い意味

2024-01-17

anond:20240117073843

ホロを運営してるカバー上場しとるから未発表だけど新グループの立ち上げが決まってるとか、人気演者卒業が決まってるみたいな、内部では当然事前共有しとくべき事案でもこれが漏れたらインサイダーにもなりうる。

かといってこれを演者が信用できないから発表まで共有しないってなると運営演者の間の溝になるし、それを視聴者が知ったら運営会社への不信感につながる。

徹底的に再教育やろね。

2024-01-16

anond:20240116073712

ショー・マストゴーオン意味は、

どんな状況になってもショーは行われなくてはいけないって意味であってるよね?

主役が睡眠薬一家心中未遂しようが、

準主役が飛び降り自殺しようが、

脇役が舞台装置で胴体を真っ二つにされる事故が起きようが、

代役を立てたり、演目を変更してでも、ショーは行われなくてはいけない。

その覚悟関係者は持つべきだ。

なぜなら、ショーというのは、その裏で働く人達チケットを売る人から駐車場の整理係まで多くの人が関わっていて、

その仕事に彼らの生活が懸かっているので、演者の都合であっさり中止するなんてもってのほか

という考えに基づいている。

と思ってたけど違うん?

2024-01-15

結局自分にとってキモい奴を叩きたいだけ

https://twitter.com/s96shiho/status/1746494283274916040

>私が芸能界に居た時、主演の俳優さんから食事に誘われたら断わってました。翌日の撮影や数年後にスタジオで会うと無視されました。主演の俳優さんが無視するならと他の演者スタッフさんから無視される…という連鎖が起こるのは確かにある。


女優さんの告発ツイート

これについて、

「どこのどいつだ!特定して業界にいられないようにしてやれ!」「もし今でもドラマ出演しているなら降板させるべき!」「過去作も見られないようにするべき!」

「これだから俳優は!」「俳優なんてしょせん河原乞食」「俳優は薬物使用などの騒動を起こす人が多く不快なのでドラマは見なくなりました」

そもそもドラマなんてくだらないもの放送しなくてもいい!」「俳優なんてこんなものだ、他の俳優だって同じことをやっているに違いない」

とはならずに

「わあっ!子どもの頃に好きだった女優さんだ!Twitterをやっていらっしゃったんですね!こんにちは!(キラキラ絵文字)」「俳優じゃなくてもこういったことはあります!」といった反応ばかりで

男性俳優全体を叩く流れにならないのは結局ルッキズムだなと思う

自分の知ってる大好きなイケメンがいなくなるのは困るから

2024-01-02

anond:20240102225340

でもエンタメ演者として金稼ぐってそういうことだろ

2023-12-31

松本人志の性加害報道

Smart Flashによれば「所属事務所である吉本興業は、報道を全面否定しており、松本本人は自身のX(旧Twitter)にて《いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ~》と投稿。“効いてない”アピールを繰り広げている。」だそうだ。

吉本興業の中心にいる人物自分反論しないということは事実なのか?

お笑い界の重鎮、その一言ニュースになるほどの影響を及ぼす存在スキャンダルに、テレビラジオプロデューサーディレクターはまったく演者に触れさせない。忖度。でも、スポンサーリスクマネジメントで離れていく。

そういえば松本人自ら面白いことをしなくなったなぁ。年老いた?

2023-12-30

オモコロデイリーポータルZどこで差がついたのか

ごめん、タイトルは少し大袈裟

同時期にオモコロ運営するバーグハンバーグバーグはでかめきれいなオフィス移転してて、

DPZ事実上編集部解散&林さんの一人会社になって青空オフィスやってるってことで収益性にどうして差がついたのだろうかっていう考察

自分オモコロ好きでよく見てるからその観点からね。

DPZは好きなライターが書いてる時にたまに読む感じです。

(好きなライター=トルーさん、地主さん、岡田悠さん、古賀及子さん、JUNERAYさん、スズキナオさん、よざひかるさん)

まずオモコロが大きく路線変更したのは、前社長ファウンダーのシモダテツヤ氏が退任して、長嶋社長(イケてるやばい男)と永田副社長(永田世界一)になってから

それまでたまに記事広告自主企画Web広告がある程度だったのが、YouTubeチャンネルラジオでの露出ファンクラブリアルイベントの大規模開催と立て続けに露出を増やす施策をやっていてそのほとんどが当たっている。

YouTubeチャンネルに関しては、最初期はフォーマットが定まらずに記事動画を同時に出してたり、出演者がたびたび変わっていたりしたが、出演者編集部員(原宿永田)+有名ライター(加藤ARuFa恐山)体制になってからイッパシのYouTuber感が出てきて、大手YouTuberには登録者数は劣るものの毎週3本動画を出す体制でどれもが数十万再生されている。

普通登録者数の数10%ほどの再生数がでないのだけど、50%以上叩き出してるのはYouTubeの界隈を知ってる人からするとおかし数字だ。

あと毎日更新されるラジオ番組もある。ARuFaとダ•ヴィンチ•恐山がやってる匿名ラジオが有名だけどそれ以外にもライターそれぞれで毎日何かしらのラジオ番組が更新されるようになっている。

このYouTubeチャンネルラジオ番組(これもYouTubeでやってるからややこしいな)から派生して、ファングッズなどの物販にきちんと繋げている。

オモコロストアという媒体では四半期に一度くらいのペースで新たなグッズが作られて販売されている。

あと同じくらいのペースでオンラインイベント有料配信があったりする。きちんと会場を借りて演者もそれに向けて調整して、ちゃんイベントとして見れるものを2時間くらいやる。そして、そのDVD販売されている。

あとはファンコミュニティ。ほかほかおにぎりクラブっていう有料コミュニティがあってそれに入ると記事が読めるのはもちろん、会員同士のDiscord状態される。

正直、会員同士のノリがきついこともあるけれど、出た動画感想記事感想とかを眺めるという二次的な娯楽も用意されている。

自社のライタータレント化していく一方で、きちんとコンテンツマネタイズしているという感じがする。

あ、もう一つあった。もともとのウェブメディアとしてもオモコロ杯というのを毎年開催していて新規ウェブライター登竜門的なのをつくってる。ここで今や有名ホラー作家になった雨穴も生まれたし、YouTubeなどで獲得したファンweb記事に繋げるっていうことに寄与しているとも思う。

DPZにははげます会(ファンクラブ)とかプープーテレビ(YouTube)とかもやってたけど、いまいち本気でマネタイズするぞ!感がないようにみえるんだよな。

それはそれでスタンスとしてありなんだけど、

お金がなくて続けられませんじゃあ本当に本末転倒なので、

はげます会以外のお金動線つくって、少しでも長く続けられるよう寄与できるようにして欲しいなと思ってます

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