はてなキーワード: 弾き語りとは
だから英語が苦手と言われている日本人も中国人も、何言ってんのかわかんねーよとよく言われる東南アジアの国々の人も、訛りまくった英語を世界中の国際港で使ってます
そこで話題に出てくる「国際商船共通網」こと日本語で言うところの「国際(船舶)VHF」ですが、国際VHFの国際的な運用ルールに「チャンネル16(156.800MHz)を常に聴取しておかなければならない」ってのがあるんですね
まぁつまり軍人だろうが民間人だろうが船乗りならばチャンネル16で汚っく訛りまくった英語をいつも聴いているわけですよ
そんなんだから1回目の呼び出しじゃ気付かないことは確かにあるんです
でも2回目でたいてい誰かを呼び出しているのは気付くので、もしかしてウチかな?なんて思って「Now call me? I'm Vessel Name is HOGEHOGE MARU. H O G E H O G E M A R U. Over.」とか文法メッチャクチャで返答したりするんです
それが正解なら相手は「Yes HogeHoge Maru.Change to channel 13. Channel One Three Over.」とかアッチもテキトーな英語で返してくるんですね
3回目の呼び出しなんて相手はまず間違いなくAIS(船舶自動識別装置)で船のナンバープレートみたいなIMO番号ってのを調べたりして「IMO NUMBER! ONE! TWO! THREE! FOUR! SHIP COLOR WHITE! JAPANESE SHIP! HOW DO YOU READ!?YOUR OK!!?????」みたいにブチキレて通信してきます
ここまで来ると最寄り港のコーストガードも反応せざる得なくなり、入港時にコーストガードから叱られるハメになる
まぁ流石に訓練された軍人さんはブチキレて通信したりしないでしょうけど、こういう汚っく訛りまくった英語の怒声すら毎日聴いてるわけですよ
それが普通なのに「相手の英語が下手すぎてわからなかった」なんてのは海の世界じゃまず間違いなくあり得ないわけで意図的に無視したとしか思えないです
もっと言ってしまえば日本海は国際VHFの無法海域とすら言われており、夜間航行時とか海外の船乗りがよくわからんギターの弾き語りをチャンネル16に載せて放送したり、流行りのポップスやダンスミュージックすら流れてくることがあります
ていうか韓国沿岸では韓国地元漁師が街宣車の如く韓国音楽を大音量で流しながら操業しているなんてのは日常茶飯事で、国際VHFどころか船外からクッソうるさいノイズが入ってくるのに、そんな環境に慣れた韓国海軍が英語聴き取れないとかノイズがどうのとかあり得ないわけですよ
彼氏から2カ月半ぶりに連絡が来た。俺からこういうの勝手なのわかってるけど、嫌じゃなかったらラインしない?いや勝手も何も私はずっとお前から連絡が来るのを待ってたんですよ。最初の頃はラインの通知が鳴るたびに彼からじゃないかと思って緊張していたのに、なんとも思わなくなったのはいつからだろう。
元気?うん。そっちは少しくらい落ち着いた?いや、正直前よりしんどい。つらくってこうやってラインしちゃって情けない。愚痴とかは言わないから、たわいもない話がしたい。いやこれからのふたりの話するんじゃないんかい。思ったより5億倍くらい勝手だった。それでも連絡が来たことが嬉しかったから、どうでもいい話に付き合った。本当に心の底からどうでもいい話だった。元気そうでよかった、と彼が言って会話が終わりそうになる。私は私でこの2カ月間クソしんどかった。だから余計なことを言ってしまった。大変だと思うけど、他の女に甘えたりするのだけはやめてほしい。うんわかったと一言いってくれればそれでよかった。想像どおりの返信は来なかった。ごめん今そういうのに答えられないくらい本当にしんどい。俺からフったのにつらいからってラインしてほんとにごめん。ごめん。いやちょっと待て私フラれてないけど。距離を置いているだけで関係を解消したつもりは更々ない。だからこうして毎日来ない連絡を待ち続けて苦しんでいたというのに。お前の中ではフったことになっているのか?確かめる勇気はないので、距離おいてても私はあなたの彼女ですし落ち着くの待ってるから、と伝える。俺のことなんか待たなくていい。俺を忘れて幸せになってほしい。そう、彼は中二病だ。病むと笑っていいのかなんなのかわからない発言が飛び出す(過去一番きつかったのは「一緒に堕ちよう」)。勝手に返信いらないからとかつけて会話を終わらせようとしてくる。ふざけんな。待ってるから、さっさと辛いとこ抜け出してネックレス取り返しに来てください。返信不要とつけて送る。
あのとき、彼はネックレスを箱ごと私に預けた。付き合って1年のときに私が彼にあげたネックレス。めっちゃ欲しいけどたけえ〜とずっと言っていたブランド物のネックレス。彼はとても大切にしてくれていて、婚約指輪みたいな気分だったんだろう。最初私は受け取らなかったが、別れ際もう一度私に渡してきた。持っててほしい。ちゃんとしたら、それ取りにいくから。ごめん。そう言われたら受け取るしかなかった。取りに来てくれるんじゃなかったの。
ラインを終えてしばらくの間つらかったが、だんだん冷静になってきた。私は私の存在が彼にとってのストレスになってしまうならばと思って距離を置くことを承諾した。しかし私が近くにいてもいなくてもつらいならば話は別じゃないか。私を追いやったのはただの八つ当たりではないか。しかもつらくなったときに私に連絡してくるということはやっぱり私を求めているのではないか。自分から距離を置くと言いだした手前やっぱりつらいから側にいてほしいとは言えない。そうして彼は苦しみ、私も苦しむ。無意味じゃないか。ここは私の方からアプローチをかけるべきなのではないか。もういいから、全部支えてあげるから。そう言って抱きしめてあげたらいいのではないか。思い立ったら早かった。このとき行動に出る前にカレンダーを見ていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。バチバチに生理前だった。生理前に重要な行動を起こしてはいけない。閉経前の女の鉄則。
彼は大抵家に鍵をかけない。研究に没頭しているならば休日でも研究室にいる可能性が高いだろう。不在だったらどうせ溜まっているであろう洗濯物をやっつけたり部屋の掃除をしたり作り置きの料理でも仕込んでいこう。この前見つけたやきそば弁当たらこバター味も持っていったら喜ぶかな。スマホと、充電器と、ツタヤでまとめ借りした漫画と、ギターのピック。引越しのごたごたで何故か私のアコギが彼の家にあり彼のベースが私の家にある。おかげさまでエレキギターの生音で弾き語りをする日々が続いていた。私はワクワクしていた。片道1時間半と1,000円ちょっとの交通費をかけて彼の家に向かう。乗り換えを間違えて余計にお金がかかってしまったけどそんなことはどうでもいい。早く彼の家に行きたかった。彼のありがとうという言葉が聞きたかった。
電気はついていないが在宅だったら驚かせてしまうので一応チャイムを鳴らす。応答はない。ではおじゃまします、とドアを開けようとすると鍵がかかっている。まじか。ようやく鍵をかけることを覚えたのかと感動しながら近くのスーパーのイートインに向かう。仕方ないので彼と連絡を取る。今大学?家まで来てるから会って話そう。帰る時間わかったら教えて。学園アリスを読みながら待つ。棗かわいい。彼から返信が来た。静岡にいるらしい。まじかよじゃあ帰るわと思ったら彼からめっちゃ電話が来る。何回切っても来る。私は電話が嫌いだ。何も伝わらないから。あまりにもしつこいので出る。今静岡だから、と言う。それは知ってますだから帰ります直接会って話がしたいのでまた来ますと言って終わらせようとした。俺戻る気ないから。いや急になんの話だ。まだなんもいってねーだろうが。電話で話す気ないので。また来ます。勝手に来んなよ。あーーーーわかりました突然押しかけてすみませんでした研究がんばってくださいバイバイと言って電話を切った。その後も電話がかかってきていたようだが学アリを読んでいたので気づかなかった。文字でのやりとりに移行する。話があるなら電話で少し聞くから。少しってなんやねん。電話で話す気ないのでと口頭で伝えたことをもう一度打ち込んで送る。別に会わないって言ってるわけじゃないじゃん、なんの話かモヤモヤするの嫌だ。人のことを2カ月以上モヤモヤさせたやつの台詞とは思えねえな。伝わらないことを承知で伝えた。あなたが辛そうだから支えてあげようと思って来ただけです。会えなかったら家事だけして帰ろうと思ってました。こうやって文字で言っても電話で言っても伝わらないから会って話がしたかった。彼は、しばらく不在にするから鍵かけた。ありがとう。心配かけてごめん。この間俺がラインしたのが悪かった。と言った。
戻る気ないとか、勝手に来んなよとか、完全に元カノに対する発言だな。今カノに対してこういうことは普通言わねえな。勝手に来んなよが一番きつい。こないだまで半同棲してたのにな。イートインでめっちゃ泣いた。こないだの俺からフったのに発言もあるし本当に彼の中では終わったことになっているのではないだろうか。もうどうして泣いているのかよくわからない。学アリは泣かすのがうまい。やきそば弁当たらこバター味がカバンの中で揺れてガサガサ言う。こんだけお金と時間かけて私なにやってんだろ。家事をしてたら彼が帰って来て、当たり前のようにおかえりって言う私に驚いて、つらいなら私が支えてあげる、と言ったら彼は泣きながら私を抱きしめる。ハッピーエンド。とか書いて増田で祝われようなんて甘すぎた。世の中そう上手くはできていなかった。私は主人公ではないのだと思い知らされる。
乗り換え駅のホームで彼にラインを送る。ひとつだけはっきりさせておきたいんだけど、私のこともう好きじゃない?好きだけど今は一緒にいられないだけ?送信したのは20時半。7時間経った今も既読はつかない。そろそろ限界かもしれない。
おばさんの話でつまんないかもしれないけど。
そこでけっこうお客様に食事のお誘いを受けることがあって本当はダメなんだけど課長が目をつぶってくれる雰囲気で暗黙の了解でお誘いを受けていた。
ある経理のおじさんはとてもグルメな方で一人では行きにくい店だからと鉄板焼き金沢料理ロシア料理すき焼き銀座のカウンターのお寿司屋さん帝国ホテルの最上階のビュッフェなどなどいろいろ高いものをごちそうしてくれた。
もうひとりの経理のおじさんは音楽が好きで銀座のピアノ弾き語りのバーやシャンソンバー。あとはドイツ料理屋さんのビール祭り生演奏でみんなで踊るとか。
銀座はハシゴして遅くなることが多かったからタクシー代もらって帰るのが恒例だった。
ある社長さんは窓口3人を別荘に招待してくれて一泊二日でおもてなしいただいたり。
思えば携帯電話もメールもなかった時代に待ち合わせとか取り付けるのも一苦労だし会えるかどうか賭けだしよく一度もトラブルにならずに会えていたなと思うよ。
まぁサラッと読むと体の関係は?とか思われるんだろうけどどの方もとても紳士でそんな気配もなかった。
その団体には私が生まれる前から両親は勿論親戚一同のほとんどが所属していたので、私は生まれた時点でその団体へ所属することが確定していました。
宇宙の持つ莫大な気(チャクラ)、輪廻転生、死後の世界、他の宗教がダメな理由、自分の生まれた理由、何故人は不幸になるのか、何故団員を増やさなければならないのか、どうしたら人は幸せになるのか。
端的に言うと、「団体に入って、勉強して、実践していけば幸せになれる」ということを物心ついた頃からずっと教わってきました。
子どもの頃の私は「こうして勉強して、この話を世の中に広めて団員が増えれば、沢山の人が幸せになって、この世から不幸がなくなる」と信じて疑いませんでした。
問題は、私はまだ子どもで非常に人見知りで喋るのが苦手な為、どうしても赤の他人にそのような話を広めて勧誘することが難しいということでした。
小学校1年生の時、学校が同じでよく遊ぶ友達に頑張って話をしましたが、その子から親御さんに話が行き、私の母親へ電話がかかって来たようでした。「もう二度とそんな話をさせないで」とのことでした。
でも母親は「××ちゃんにはもう話をしないでね。でも【私】ちゃんは良いことをしているんだから、大丈夫。こんなこともある」と、慰めてくれました。
私はその後も他の友達に頑張って話をしていきました。友達には理解してもらえませんでしたが、親に報告する度に褒められて嬉しかったのを覚えています。
子どもの頃から歌うこととピアノを弾くことが大好きで、よく母親の聞く曲の歌手のモノマネをしながら弾き語りをしていました。
ある日、いつものように歌っていると、父親が「【私】ちゃんは歌もピアノも上手いから歌手になれるぞ」と言いました。
ついで母親が「そうよ!団体の話を歌にして広めたら良いわ!」と満面の笑みで言いました。
両親はいつも色んなことを教えてくれて何でも知っていたので、私はそれを名案なんだと思いました。
その日から団体の教えを基に歌を作ることが私のライフワークになりました。
「死にたいと絶望していた時、あなたに出会えて私は生まれ変わった」
「こんな奇跡が起きるなんて」
というような恋の歌にしました。
作曲は最初こそ楽しかったのですが、中学生の頃、ある日母親に「今の部分、不協和音でおかしい」と言われました。
その時は色んなことに挑戦していて、「不協和音を効果として敢えて入れたらどうなるか」という実験でした。
でも音楽経験のある母親は私が反論する前に「それは正しくないからもっとこうしなさい」と言いながらピアノを弾きました。
とても綺麗な音でした。
私の中で積み上げてきた母への信頼が崩れ去った瞬間でした。
「何でそんなことがあんたに分かるんだ」
「あんたに私の何がわかるんだ」
「これは私の曲なのに」
それまで何でも素直に受け止めていた私に初めて母親に対する反抗心が芽生えました。
それからは母親の前ではピアノを弾くことも歌うこともやめました。
市のコンクールに応募した時も、音楽事務所にデモテープを送り付けた時も、どんな曲を作っても母親には一切教えませんでした。
それまで感じないように努めていた反動なのか、ありとあらゆる負の感情が自分の中でどんどんどんどん育っていきました。
負の感情を抱くことは団体の教えに背く行為で、私はそれを子どもの頃からとにかく重いことと受け止めていました。
そして、団体の教えに背いてしまった自分は本当にダメな人間なんだクズなんだと酷く落ち込みました。
団体の創設者へ懺悔の手紙を何枚も何枚も書きました。(事あるごとに創設者へ手紙を書くことはその団体では当たり前なのです。)
しかし書いた手紙は必ず両親に添削してもらい、了承を得てからでないと出せないことになっていたので、出さずにそのまま曲にしました。
今でもこの時作った曲を歌うと悔しくて涙が出ます。
そんな体験があっても、友達に団体の勧誘をすることはやめませんでした。
と言われました。
ついに言われてしまいました。
薄々気付いてはいました。
両親や親戚の人達の多くは大人になって、大変な思いをしてからその団体に出会い、入団し、救われました。
しかし、私は生まれた時からその団体に所属しているも同然で、大変な思いをしたことが無いのです。
「救われた」という経験が無いのです。
もっとはっきり言ってしまえばそれまで生きてきた中で一度だって「幸せだ」と感じたことなんて無いのです。
「あなたに出会えて幸せ」なんて歌詞を書くのに、そんな体験したことが無いのです。
沢山曲を作ってきたのに、全部親や親戚から聞いた物語で、私の物語なんて一つも無かった。
吟遊詩人を目指してる訳じゃないのに。
私は歌手を目指してるのに。
あぁそっか、お父さんが歌手になれるって褒めてくれて嬉しかったから。
お母さんが団体のことを歌にして世の中に広めたら良いって言うから。
私は本当に歌手になりたいの?
そう言えば最近お父さん家に居ないな。
お母さんも不機嫌なこと多いし。
「幸せって何だろう…?」
気付いたら私は彼の前でボロボロ泣いていました。
彼は「俺が幸せにしてやるから心配すんな」とか言ってたけど、その一言で一気に冷めて翌週には別れました。
その頃から精神的に不安定になって、学校も行ったり行かなかったりしました。
音楽の先生と仲が良かったので、音楽室の隣の準備室へはよく遊びに行ってピアノを弾かせてもらいました。
作曲は自分で何も生み出せないって気付いてしまってからは嫌になってしまってやめました。今でも流行りの曲を耳コピして弾き語りする程度。
結局そのまま何となく音楽関連の学科がある大学にAO入試で受かったから入ったものの、勉強もせず音楽ばっかりやっていたので、普通の勉強が分からず中退。
その後父親が団体を脱退したのがきっかけで、両親は離婚しました。
母親と暮らすのが苦痛だったので、2年くらいアルバイトで資金を貯めて一人暮らしを始めました。
団体は全国に支部があって、引っ越した際に自分の家から一番近い支部に住所を登録しに行かないといけないのですが、それを母から聞かされておらず知らなかった私は支部ではなく本部から呼び出されてお叱りを受けました。確か懺悔の手紙を10枚くらい書いて提出してようやく家に帰ることが出来ました。
そもそも何で引っ越したことが団体にバレたのか今考えると不思議なんですが、当時は団体に隠し事をしても気(チャクラ)で何でもお見通しなんだと信じていました。普通に考えて多分母親か親戚が通報したんでしょうね。母親は私の一人暮らしに反対して親戚にも相談していたようなので。
一人暮らしをするようになると、団体の運営費として毎月お金を納めねばならず、これが地味にキツかった。支部に5000円、本部に5000円、更に総本部に5000円の合計1万5000円。
納金した日には有難いお話を2〜3時間聞かされる。子供の頃なら熱心に聞いたと思うけど、内容のほとんどが「勧誘して団員増やそう。世界を幸せに!」だったので毎回とても眠かったです。
他にも行事とか諸々でお金がガンガンなくなりました。壺とかは買わされていません。
家族割みたいな特典があるらしく、未婚だったので「団員と結婚する」もしくは「恋人を勧誘して入団させる」この二択をよくオススメされました。
母親に対して反抗心はありましたが、団体には反抗する気がないというより反抗しても無駄だと思っていたので、お金の余裕が無くなって来た私は「早く結婚して割引してもらわなきゃ」としか考えられず、焦っていました。
特にやりたい事もなかったので、時給の良い配膳の派遣に登録して朝・昼・晩と3箇所の現場を回り、移動時間も含めて6:00〜23:30働きっ放しで15連勤等は当たり前。
(多い時は手取り30万、閑散期は9万円程でした)
団体への納金以外にも家賃・光熱費・食費・保険料・市民税等で毎月使えるお金は2万くらいでした。
恐ろしいのは「団体への納金さえなければ」という考えに至らなかったことです。
彼氏が出来ては勧誘し、断られれば即座に別れて次の彼氏を作り、また勧誘し、、、その繰り返しでした。
「勧誘する為に俺に近付いたのか」
「例え死ぬほど好きでも、私は団員とじゃないと結婚できないんだから、先に話して無理ならすぐ別れた方が良い」と本気で思っていました。
そんな時、久々に大学時代の音楽仲間の男性からご飯に誘われました。大学時代と言っても彼は5つ年上の大学外部の人間で、当時から既に社会人でした。
彼には異性というより、初めから父性を求めていたように思います。
色んな話をしました。
音楽仲間なのに、私は主に仕事の愚痴ばかり言ってしまいましたが、彼は終始穏やかに話を聞いてくれました。
とても心が安定した心地良い時間でした。
その後も何度か誘われ、正式に結婚を前提にお付き合いすることになりました。
彼と一緒に過ごすことが本当に楽しくて、初めて恋人と離れたくないと思ったのです。
そして、彼の家に転がり込むような形で同棲がスタートしました。
彼は本当に私との将来を真剣に考えてくれているのに、私は彼に団体の話をして、勧誘に失敗したら、また彼と別れなきゃいけないんだろうか?…と、不安になる日も増えました。
意を決して彼に団体の話をしました。ただし、あくまでも勧誘ではなく、自分がそういう団体に所属しているため、色んな面で出来ないこと(例えば葬式に参列しない、国歌を歌わない等)があるという告白をしました。
彼は「【私】さんがどんな宗教に入っていても気にしないよ。俺ももし入りたくなったら入るし。ただその団体のせいで誰かが傷付くなら、全力で止めるけどね」と真剣に答えてくれました。
止められることは無いしもしかしたら入団してくれるかもしれないと思い、ひとまずホッとしました。
同棲生活の中で、彼の物の考え方を更によく知るようになり、自分の中にある団体や母親から教わった「常識」が段々とおかしいことに気付き始めました。
→彼は私が作ったご飯を食べたり、私とハグした時に「幸せだ」と言う。
「あらゆる宗教的行事は気(チャクラ)的に問題があるため不参加するべき」という価値観。
→ただ他の宗教に流れてほしくないだけでは?
最後に、「どんなに生活が苦しくなっても団体に納金するのは団員の義務」という価値観。
「俺が人生楽しむために働いて稼いでる金なんだから【私】さんとのデート代は俺が出す」と言われて、ハッとしました。
団体に納金することしか頭に無くて、「人生を楽しむために働く」という発想自体が出来なかったんです。
彼と生活していく上で今まで大事にしてきた考え方が自分発信の考え方じゃなくて、
アホみたいに思えて、
最後に受付の女性から「皆さん絶対に後悔して戻って来るんですよ」と言われたけど知らん。
母親や親戚は「いつか目を覚まして戻って来るだろう」と思っているようで、憐れみの目で見てくるので気まずいのですが、特に被害はありません。
あと、クリスマスパーティーとか初詣とか参加出来るのが嬉しい。
彼とは結婚して、彼の扶養に入る為に今は派遣の仕事は辞めて、もう少し体力的に負担の少ないバイトをしています。
それは彼が音楽関係で仕事をしていて、羨ましいと思う自分がいることです。
「そういう人は沢山居る」って言われてしまうかもしれないけど、私の場合はただただ「団体のために」って思っていた期間が長くて、若かったのにすごいもったいない考え方をしていたと思います。
ああいう特殊な団体の中に居ても、考え方1つでめちゃくちゃ幸せに生きれたんだろうなと思います。現に幸せそうな人は見たことあるし。
子どもができたら少しは変わるかなとも思ったんですが、自分も母親と同じように子どもに無意識に何か押し付けてしまいそうで怖い。
団体の教えとかなかなか忘れられなくて混乱することもあるけど、宇宙の真理とか私には大き過ぎて毎日のことで手が一杯だからもう真剣に考えられなくて、混乱も浅い段階で落ち着きます。
昔は「宇宙の気の乱れで世界が滅びる」とか言われたら毎日怯えていたりもしましたが、今は「(本当でも嘘でも)どっちでもいっか」って思える。
仮に次の瞬間突然死して団体の言う地獄行きになったとしても幸せなんじゃないかな。
何が言いたかったのかと言うと、私みたいに子どもの頃からそういう類の宗教団体(もしくはそれっぽいもの)に所属している人は
と、思うってことです。
身バレも防ぎたくてわざとなんですけど、文体とかバラついてしまってすみません。
バレたら団体に殺されるとかは無いと思うんですが、入団者が減るなら殺されるのもアリかなと思います。嫌だけど。
長々と読んで下さってありがとうございました!
12/4 オワリカラ ラブリー開発ツアー(@名古屋ell.size)に行ってきたんだが、最高すきてヤバかったので感想覚書の殴り書き。
本来ならこういうのはライブ後に友人と盛り上がるべきなんだろうけど、あいにく私は友達が少ない。
そして普段ならTwitterで好き勝手に感想言いまくってるけど、今回のこのツアーこのワンマンに関しては是非なにも情報なしで行ってほしいのでネタバレしたくない。TLにいるオワリカラファンのフォロワーさんはだいたい関西の人なので、マジで明日ほんとに楽しみにしててほしい。
そんなら黙っとけよって感じなんですけど興奮が抑えられなくて、誰かに話したくて仕方ないので、ネットの海に放出することにした。
そして私は常々、オワリカラはいつでも今が一番かっこいいバンドだと思ってきた。
ライブを観るたびに「オワリカラはなんてかっこいいんだ!」「前回よりも今回の方がめちゃくちゃ良い!」と思い続けてきた。
要するにこの感動は初めてオワリカラを見てハイになっているわけではなく、それなりに長い間見てきたがゆえの興奮かもしれない。
今までもオワリカラは最高だったけど、今回のラブリー開発ツアーは、本当に開発されてしまう…誘惑されちゃう…………。
うろ覚えだからいろいろ間違ってるかもしれないけど、逆に覚えていること=印象に残ったこと、ということで。
もう一度書くけれど、この先大阪や東京のワンマンに行く予定のある人は、できれば読まないでほしい。
セトリも演出も何も知らない状態で行って、あの衝撃を生身で浴びてくれ…………お願いします………。
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不思議に思っているところに、すたすたと歩いてくるDr.カワノケンタ。そのままドラムの前に腰掛け、何の挨拶もなしに、リズムを刻み始める。
そして続いてKey.カメダタク、Ba.ツダフミヒコも順番に登場。持ち場に着くと静かにセッションに加わる。
最初の曲なんだったか忘れてしまった…………けど、砂場だった?かな?
とにかく音が大きくて、でも心地よくて、足元がふわっとしてどこかに連れていかれるような感覚。
照明も色のない真っ白な光で、ふわふわしてた。
中央にタカハシヒョウリ。そしてそれを囲むように下手からカワノ、カメダ、ツダ。
私はカメダさんの手元を見るのが好きだったのでちょっと残念だったが、新しい立ち位置だとカワノさんがよく見えて楽しい。
あと、以前の立ち位置はなんだかんだタカハシヒョウリに視線を奪われてしまっていた(たぶんフロントマンとして正しい)が、新しい立ち位置だとヒョウリさんを見ながら自然に他のメンバーも視界に入る気がする。
そんなことを考えながら1曲目終了。
これ…これ、私知ってる……けど、嘘でしょ!?
が、が、が、ガイガンーーーーーー!!?!!?!?!!!????
いつもはラストにぐっちゃぐちゃになりながらやるのが定番のガイガンが、2曲目!?
一気に上がる体温。頭で考えるより先に身体が動く。
全力で拳を突き上げながらヤバいマジここでガイガン!?マジ!?!?ってめちゃめちゃ混乱した。と、同時に興奮した。
いや私、強制ぶち上げエモーショナルを初っぱなに持ってくるの大好きで…9mmのDiscommunicationとか、テナーのROCKSTEADYとか、そういうので序盤にいきなりギア上げてくるセトリが好きで………
ちょっと前のオワリカラのライブだと1曲目か2曲目あたりにロールシャッハが来て、それがまるでラストの曲のようなぶち上がり方で最初からクライマックスだぜ!みたいなそのスタートも大大大好きだったんですけど、まさかガイガンがくるとは…いやほんとにやっばい最高…
ほんとにセトリがいきなり予想外すぎて、次に何が来るか全くわからない。
ツアータイトルにもなっているラブリーは、結構序盤にやったはず…。
いやもう!超ラブリーでした♡♡♡♡
オワリカラはピンクの照明が世界一似合うバンドなんじゃないだろうか…。名古屋ell.sizeはElectric.Lady.Land系列だけあってハコのキャパに比べて照明が多くて綺麗なので、真っピンクだけじゃなく、青ベースに浮かび上がるようにピンクで照らされたメンバー…みたいな景色もすごくすごくラブリーだった。
そういえばイントロのカワノさん、なんかさりげなくすごいテクニックな気がする…私ドラムのこと全然わかんないけど、カワノさんすごいなと漠然と感じた…。
あとタカハシヒョウリの吐息の「いぇあ」はライブで聞く価値ある…………………。
そして今夜の一番テンションが上がったかもしれないサバビアンパンクロックパーーーーティーーーーー!!!!!!!!!!!!
初めて手にしたオワリカラの音源が「Q&A」で、サバビアンパンクロックパーティーとくに好きなんですよ……嬉しかった……………久しぶりに聞いた…………………オワリカラのライブに行き始めた頃のこと思い出しました………ありがとう…。
そして突然ハケ始めるメンバー。
取り残されるタカハシヒョウリ。
ヒョウリさんの弾き語り、タイミング合わなくて観たことなかったから嬉しかった~。
いやー、いいなぁ……………いい……………ハイソックスは生だとより情熱的で変態じみててラブリーでした。
あと私みなとみらいのやつも好きだったのでまたどこかでやってください…………。
そこからはアコギとキーボードによる、light my tokyo……………これもすごくすごく良かった…………しあわせでした…………………………ヒョウリさんの声はなんて艶があってのびのびと響くんだ………
最後の響きの余韻が溶けて消えるまでじっと聞いていたい…………
あと今回全体的に曲の繋ぎが素敵だと思ったはずなんですけど、どの曲からどの曲へ繋いだのかすら覚えてないですポンコツすぎる………
わりと激しい曲のあとにbaby please wake me upとかMUSIC SLIDERとかやってて、それがすごく良かった……ような…………とにかく緩急が最高だったんですよ……………………目を輝かせて息を切らしながら上りきった先に絶景が広がっていて風が頬を撫でる………みたいな…………そういう緩急が…………最高だったんです………。
そんなこんなでライブは終盤。
ロールシャッハのイントロに合わせてジャケット脱ぐタカハシヒョウリ………………黒シャツにサスペンダー!
黒シャツに…さ!す!ぺ!ん!だー!!!!えっ、何それヤバい!!!!!!!!!!!!
今日のヒョウリさんの衣装は光沢のあるシルバーのジャケットに黒いシャツ、細いネクタイ、黒い細身のパンツだったんですけど、ジャケット脱いだら白のサスペンダー!反則ーーーーー!!!!!!!
そういえば今日はツダ神の衣装も素肌に謎のキラキラポンチョだった…脇の露出……………。カメダさんはハットにシャツに古着っぽいベスト、カワノさんは黒いTシャツ。この見た目の統一感のなさもオワリカラの魅力かもしれない。
と、そんな話はおいといて、ロールシャッハがやばかった。踊るロールシャッハで踊ろう!!!!
からの壁男!!!!!!やばい!やばいやばい!!!!!壁男!!?!これも嘘でしょ!?めっちゃ嬉しい!!!!!!!!!!
からのーーー!!!!誘惑されちゃーーーーう!!!!!!!!!
ロールシャッハ始まりでぶっ壊れてたあれがラストにきてて、壁男でめちゃめちゃにされ、さらに新曲の誘惑されちゃうが完全にやばい位置にきててやばい………
正直、序盤にガイガン持ってきちゃってラストどうやって終わるの?とか思ってたんですよ………完全に杞憂でした………………ガイガン壁男誘惑されちゃうヤバい………………………………新しいオワリカラが見えました………。
でもガイガンのぐちゃぐちゃからの飛び乗り合戦も大好きなので、完全になくなるのは寂しいからそれもやってほしい我儘。
やっぱり記憶がぐちゃぐちゃです。
セッションが異様な盛り上がりとともに着地した…と思った途端にベルトコンベアー!
この曲も、不思議と癖になる…………聞けば聞くほど気持ちいいソング………そういえばやってなかったな…と回らない頭で考えながら流れに身を任せる………。
照明の綺麗な会場での世界灯は最高です。
以上!
めちゃくちゃすぎてレポにもなってないけど、この興奮をこのまま残しておきたかった!
本当にオワリカラは最高だし、今日ライブハウスに来なかった60億人の人類に自慢したい!私、オワリカラのライブ行ったんだよ!!!!!超楽しかった!!!!!!!!!!
2時間あっという間すぎて、めちゃくちゃ満足なのに物足りない…。
聞きたい曲もまだまだたくさんあるし、今日をもっかい最初から味わいたい…。
朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZのボーカルとして知られている。現在は俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。
今期のNHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男は茨城の片田舎でマッシュルームヘアーでバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。
だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男が上京し過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。
***
時は2005年、中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZのアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。
北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?
それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生のときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。
当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドをラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオとカセットテープのプレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。
中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。
友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。
***
「カラオケで銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」
と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。
その時は正直
「は?」
と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から「銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。
肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。
自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手に銀杏BOYZの話をしていただき、ライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき、朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。
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そんな折、先々月の銀杏BOYZのライブ「東京のロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアーは実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。
わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。
でももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちでライブを楽しむことができると信じていた。
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峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュとダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ。対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和な西海岸か熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。
峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団の様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。
峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活で無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ちが10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。
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思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち、自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ちが擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。
峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己のコントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。
峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山のシャレオツなカフェで静かにギターの弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。
客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったときに銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手に肯定された気持ちを手放したくないのだ。
もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dのホログラムが投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去そのものであり、みじめで変えようがない過去の自分そのものでもあった。
だから皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的で個人的な存在だった。
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そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちではいられなかった。
でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近は映画に舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたしが過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。
そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生のわたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。
宗男はイギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴がビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものにしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である。
わたしが勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたしが勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。
「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロの俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。
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そんなこんなで銀杏BOYZの武道館公演のチケットも当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。
最初にほっちゃん似の女子アナがラブライブ!見たこと話しててほえーってなった
なんかエロ同人であへってるイメージしかなかったから普通にしてるっつーか毅然としてるのがやけに違和感あっておかしな気持ちになった
こっちが原作のはずなのに
穂乃果ちゃんはなんかけいおんの唯っぽいなあそういえばNHKランキングでけいおん入ってたっけーとか思った
ラブライブ見たことないけど好きな腹黒キャラにこにーも出てきて、なんかエヴァのアスカっぽいキャラしてんなと思った
音楽室でピアノ弾き語りしてた子、マイヒメに似たデザインの子がいた気がした
テンプレだけど下手に邪道にしようとかしたりしてないからすごく見やすかった
同時に録画した3話と8話も見てみる予定
当時一番好きだったバンドがユーストリームで弾き語り配信をするというので観ていた。
そのバンドはインディーズ時代には期待のギターロックバンドとして注目されていた。
本当にかっこよくて、中学生のころに地元のライブハウスにきた彼らを観にいった日のことは未だに鮮明に覚えてる。
しまいには大衆ウケのいいJPOPに路線変更したけどそれでも売れず。
それでも自分はどうしてもそのバンドのことが好きでずっと聴き続けていた。
そんな状態だったけども、その日50人くらいはその配信をみていたと思う。
メンバーは視聴者からリクエストされた曲を歌っていて、コアなファンの自分はとても興奮しながら観てた。
メンバーのほかに見知らぬ30代のいかにもクリエイター風の眼鏡男がうつっていて
誰だろうと思っていたら、一度ミュージックビデオの監督として一緒に仕事をした人らしく
それから時々飲みに行ったりする仲とのことだった。
休日の夜ってこともあってメンバーも眼鏡男もお酒をたくさん飲んでて楽しい雰囲気で、配信開始から1時間くらい経った頃。
どんな会話の中でか忘れたけど、眼鏡男が「けどお前ら終わったバンドじゃん」って笑いながらメンバーに向かって言った。
「えっ?」と思った。メンバーも同じ気持ちだったのか、ボーカルが「今なんて言いました?」って軽く聞き返してた。
そしたら眼鏡男はまた悪気なさそうに「え?終わったバンド!」って答えてた。ありえない発言だと思った。
そこで眼鏡男が話題を変えたのでそこでこの話は終わったんですよ。メンバーもそんなに気にしてない様子だった。
けど自分は怒りに震えていた。好きなバンドのことを「終わったバンド」って言われたら普通怒る。
本当はコメント欄で「お前今なんて言った?」ってブチ切れたかった。けど場を壊したくなくて我慢した。
今でもこのバンドの曲を聴くたびにこの日の眼鏡男のことを思い出すし、あの時ちゃんとコメント欄でブチ切れておけばよかったと思う。