はてなキーワード: 実際的とは
anond:20200609071250 はそのように書くべきだ。
何故なら、彼が(彼女が?)「子供を性的にみる内心の自由はない」と主張するための根拠として示される以下の事柄は、「子供を性的にみる」かどうかに拘わらず、すべての内心の自由に該当する事柄だからだ。
憲法19条で保障されている内心の自由は、国家が内心に干渉することを禁じる規定で、私人間では適用されない(三菱樹脂事件最高裁判決)
従って、「内心の自由は私人間では適用されない」事が或る内心の自由(子供を性的にみる内心の自由)が無い事の根拠になるならば、
「内心の自由は私人間では適用されない」事はこの世のありとあらゆる内心の自由が無い事の根拠にならなければならない。
これがいくら可笑しな主張に見えても、論理的に考えればそうなる。
では何故そうなるのか?選択肢は2つ。「直観と反していても「あらゆる内心の自由は無い」は真である」か、「前提が偽である(背理法)」か、どちらかだ。
その後の文は数値は出るものの結局は抽象論に終始していて余り意味が無い(ついでに言えば、増田に付いたブコメも同様)、そもそもあなた達は、具体的にどうしたいのだろうか?
児童性愛者であることが判明した人物は直ちに強制的な”治療”と”隔離”を受ける社会へと現在の社会を変えたいのか(「子供を性的にみる内心の自由はない」という強い表現が有意味である為には、その位しなければ成り立たない=そこまでしないなら「子供を性的にみる内心の自由はない」を成立させられない、と思うのだが)
あるいは児童型のラブドールの製造を規制したいのか、それとも児童性愛者に罵声を浴びせても正義である社会にしたいのか、イラストや虚構も含めて児童の性を思わせる表現(直接的でない場合も含めて)を規制したいのだろうか?
なんというか、具体的に何をやるのかを伏せて、「子供を性的にみる内心の自由はない」などと曖昧な事を主張して印象を上へ下へ動かしてみたところで、実際的には何も言っている事には成らないのではないかと思うのだが、どうなのだろう?
皮肉としては、筋を通せばどうよ? でいいんだが、実際的にはそうもいかないと思うんだよな。
やっぱ辞職を求めたり総理の任命責任を追及したりを、パフォーマンス目的でしてきたのが間違っていたんだよ。
お前さんの言うような問題があったから、枝野は高井たかしを速攻で党から除名したけど、それじゃ済んでないのは明白だし。じゃあっていうんで本当に筋を通して、今度は本当に自分たちが自分たちの求めてきた通りのことをしたら、例えば枝野が責任を取って自粛したら、組織が衰退ひいては瓦解するのが目に見えている。
だからそれはさすがにできんだろ。できないことを求めていたし、それがブーメランしている訳だよ。
二度と不埒な人間がでないように引き締める、とか、そんなんじゃ済まないと思うんだよね。
saebou先生の献血ポスター問題についてを読んだが、当初はよく分からなかった。
なお、私はこれについて日赤のデザインが理念に合致しないので問題があるという話をしており、これを見て性的好奇心や劣等感をかき立てられた人が献血しかねないとか、この漫画を広告に使うべきでないとかいうような話は一切、していません。
てっきり件の広告ポスターが献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性があるために批判しているのだろうと考えていたが、その点は論点ではないらしい。しかし、献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性が見いだせないならば、あのポスターに一体何の問題があるというのか。ブログを最後まで読んでも、よく分からなかった。
しばらく考えていたが、以下の氏のツイートが目に入った。
高い倫理性は安全を保証するための理念としてあるわけですよね?それだけでは安全が保証できないとして、全体としての理念の一貫性のために広告などに高い倫理性を期待していけない理由はありますか?
そして以下のように解釈すれば意味が通るのではないか、という結論に至った。
1. 一般論として、日赤は種々の倫理規定に合致した広告をすべきである(そしてそれは現に実践されていると思う)。
2. そして倫理規定に反した広告をした場合、その広告が実際的な悪影響を及ぼす懸念がなかったとしても、日赤は非難されるべきだろう。例えば、問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターを作ったとしたら、たとえそれが実際的な悪影響を及ぼす見込みがないとしても、日赤は厳しく非難されるだろう。
3. saebou氏のブログ記事によって、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることが論証されたと仮定する。
以上のように考えると、saebou氏が憤る理由が理解できる。問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターが非難されるべきなのと同様に、件のアニメ広告ポスターも厳しく非難されるべきである、と。
問題は、saebou氏のブログ記事は、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることを論証したといえるのか、ということである。氏の論証は以下の通り。
なぜこの広告が日赤の理念に反していると考えたかというと、この広告内では性的好奇心や劣等感に訴えて人に献血をさせることがまるで面白いことでもあるかのように描かれているからです。
さらに問題があるのが台詞です。宇崎ちゃんが、注射が怖いから献血しないのではないかと劣等感を煽っていますが、これは自発性を尊重する倫理的理念からして、本来は「これはやってはいけません」という例になるような状況であるはずです。
saebou氏は上記の指摘を以て、件のアニメ広告ポスターがストレートに倫理規定に反したことを論証した、と自己評価しているようである。しかしこの文章ではせいぜい、件の広告ポスターの表現や言動を敷衍すると日赤の理念に合致してないと解釈できる余地もあることを、論証したに過ぎないように思われる。
saebou先生の献血ポスター問題についてを読んだが、当初はよく分からなかった。
なお、私はこれについて日赤のデザインが理念に合致しないので問題があるという話をしており、これを見て性的好奇心や劣等感をかき立てられた人が献血しかねないとか、この漫画を広告に使うべきでないとかいうような話は一切、していません。
てっきり件の広告ポスターが献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性があるために批判しているのだろうと考えていたが、その点は論点ではないらしい。しかし、献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性が見いだせないならば、あのポスターに一体何の問題があるというのか。ブログを最後まで読んでも、よく分からなかった。
しばらく考えていたが、以下の氏のツイートが目に入った。
高い倫理性は安全を保証するための理念としてあるわけですよね?それだけでは安全が保証できないとして、全体としての理念の一貫性のために広告などに高い倫理性を期待していけない理由はありますか?
そして以下のように解釈すれば意味が通るのではないか、という結論に至った。
1. 一般論として、日赤は種々の倫理規定に合致した広告をすべきである(そしてそれは現に実践されていると思う)。
2. そして倫理規定に反した広告をした場合、その広告が実際的な悪影響を及ぼす懸念がなかったとしても、日赤は非難されるべきだろう。例えば、問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターを作ったとしたら、たとえそれが実際的な悪影響を及ぼす見込みがないとしても、日赤は厳しく非難されるだろう。
3. saebou氏のブログ記事によって、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることが論証されたと仮定する。
以上のように考えると、saebou氏が憤る理由が理解できる。問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターが非難されるべきなのと同様に、件のアニメ広告ポスターも厳しく非難されるべきである、と。
問題は、saebou氏のブログ記事は、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることを論証したといえるのか、ということである。氏の論証は以下の通り。
なぜこの広告が日赤の理念に反していると考えたかというと、この広告内では性的好奇心や劣等感に訴えて人に献血をさせることがまるで面白いことでもあるかのように描かれているからです。
さらに問題があるのが台詞です。宇崎ちゃんが、注射が怖いから献血しないのではないかと劣等感を煽っていますが、これは自発性を尊重する倫理的理念からして、本来は「これはやってはいけません」という例になるような状況であるはずです。
saebou氏は上記の指摘を以て、件のアニメ広告ポスターがストレートに倫理規定に反したことを論証した、と自己評価しているようである。しかしこの文章ではせいぜい、件の広告ポスターの表現や言動を敷衍すると日赤の理念に合致してないと解釈できる余地もあることを、論証したに過ぎないように思われる。
こういう悩みってたくさん見るけど、結局相手にナメられてるかどうかなんじゃないかと思う。
ナメられないように常に周りに攻撃的なのは論外だけど、角が立たないようにナメられる態度をとってるせいで損してる人が多いと思う。
反撃することによって受けるダメージってのは少なくないけど、反撃しないことによって付け入られ続けるダメージの総量のほうが多いことって関係が近ければ近いほどある。
知らん人に足踏まれた程度で暴れるのは割りに合わないしアホだと思うけど、付き合いが長くなる相手なら、反撃してナメた態度とかこちらに譲歩を要求することがリスクだと覚えさせたほうが良いと思う。
周りに変だとか大人の対応しろって言われたって、暴れたことで発生する実際的な不利益なんてたいしてない。
ナメた態度取ってくるやつにだけ反撃する分には何も問題無いと思う。
saebou先生の献血ポスター問題についてを読んだが、当初はよく分からなかった。
なお、私はこれについて日赤のデザインが理念に合致しないので問題があるという話をしており、これを見て性的好奇心や劣等感をかき立てられた人が献血しかねないとか、この漫画を広告に使うべきでないとかいうような話は一切、していません。
てっきり件の広告ポスターが献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性があるために批判しているのだろうと考えていたが、その点は論点ではないらしい。しかし、献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性が見いだせないならば、あのポスターに一体何の問題があるというのか。ブログを最後まで読んでも、よく分からなかった。
しばらく考えていたが、以下の氏のツイートが目に入った。
高い倫理性は安全を保証するための理念としてあるわけですよね?それだけでは安全が保証できないとして、全体としての理念の一貫性のために広告などに高い倫理性を期待していけない理由はありますか?
そして以下のように解釈すれば意味が通るのではないか、という結論に至った。
1. 一般論として、日赤は種々の倫理規定に合致した広告をすべきである(そしてそれは現に実践されていると思う)。
2. そして倫理規定に反した広告をした場合、その広告が実際的な悪影響を及ぼす懸念がなかったとしても、日赤は非難されるべきだろう。例えば、問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターを作ったとしたら、たとえそれが実際的な悪影響を及ぼす見込みがないとしても、日赤は厳しく非難されるだろう。
3. saebou氏のブログ記事によって、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることが論証されたと仮定する。
以上のように考えると、saebou氏が憤る理由が理解できる。問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターが非難されるべきなのと同様に、件のアニメ広告ポスターも厳しく非難されるべきである、と。
問題は、saebou氏のブログ記事は、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることを論証したといえるのか、ということである。氏の論証は以下の通り。
なぜこの広告が日赤の理念に反していると考えたかというと、この広告内では性的好奇心や劣等感に訴えて人に献血をさせることがまるで面白いことでもあるかのように描かれているからです。
さらに問題があるのが台詞です。宇崎ちゃんが、注射が怖いから献血しないのではないかと劣等感を煽っていますが、これは自発性を尊重する倫理的理念からして、本来は「これはやってはいけません」という例になるような状況であるはずです。
saebou氏は上記の指摘を以て、件のアニメ広告ポスターがストレートに倫理規定に反したことを論証した、と自己評価しているようである。しかしこの文章ではせいぜい、件の広告ポスターの表現や言動を敷衍すると日赤の理念に合致してないと解釈できる余地もあることを、論証したに過ぎないように思われる。
何年も言い続けているのに改善しないこの状況、
運営側に対応を求める意見をよく見かけますが、それを待っても仕方ないと思うので、
具体的・実際的に「どうしたら解決(は無理でも、今よりは改善)するか?」を妄想してみた
運営に対応を任せきりにするのではなく、参加者が知恵を出し合って一歩でも前進できればいいと思うので
気が向いたら読んでみてください
まず大前提として、
「朝4時半(と仮にします)以降に待機場所に到着した人を最初に入場させる」
「かつ、コミケが社会的に問題にならず、継続的に運営しつづける」ということを目指します。
コミケ準備会の権限の及ぶ限りの敷地を、4時半までは一般参加者が立ち入れないように封鎖する。
↓
「封鎖」を具体的にどうするか?
→簡単に超えらる柵を設置したところで、現状でもルールを破る人たちは余裕で無視して超えてきそう。そうなると現状と同じで、物理的に千人単位及の人を無理やり移動させる合法手段が準備会側にはない。もし怪我をさせたりしたらすぐにニュースに取り上げられてコミケの存続が危うくなる。
→無理に登って転落して怪我したり、さいあく死人が出たら…「コミケ来場者が負傷・死亡」というニュースが出ると、何もわかってないニュースの見出しを鵜呑みにするマスの批判を浴びて今後の開催が不可能に。
→結局その壁の外側の「コミケ準備会の権限の及ばない公道・施設」で数千人の野宿者が出る。周辺施設に迷惑がかかり、結局「コミケのせいで近隣に迷惑が」と問題になりやはり今後の開催が不可能に。
↓
結局どれだけ封鎖区域を拡大しても、その「封鎖された地区に一番近い、封鎖されてない地区」で徹夜するだけなので、
封鎖を拡大すればするほど公共の場所に迷惑がかかり問題になる。スタッフの配備についても同様。
だからこそ現状では、近隣に迷惑がかからない、コミケ準備会の権限の及ぶ敷地内で大人しく並ばせることになってしまっている。
警察などの機関の協力についても、千人単位を誘導できる規模での出動は「イベントの不手際に対して何人の警察を使うんだ、税金が」とマスコミが騒ぐのは目に見えているので同様。
徹夜組よりも、始発組が早く入れるように。
↓
どうやって?
→ルールを破って徹夜しに来た人が従ってついてくるわけがない。1回目は騙せても2回目以降は不可。動こうとしない人間を動かす手立てがないのは前述の通り。
B) 徹夜組に整理券を配布、始発組が入場した後に入場させる。
→整理券を受け取るわけがないし、さっさとその場を離れて始発組の列に紛れて入場できてしまう。それ以前に、徹夜組を容認・待遇してしまっているのは根本的に間違い。
C) 4時半になったら徹夜組の周囲に柵を設置。徹夜組が柵から出られないようにして、その後ろに到着した始発組を最前列とする。
→容易に超えられる柵だったら、徹夜組は無理にでも柵を越えて始発組の列に混ざるはず。
超えられないほどの柵を作った場合、野外でトイレにも行かせない・倒れても救護しないで柵の中に人を監禁する行為は問題があり、人権侵害で訴えられても準備会は勝てない。もし仮に1回目はこれが効いたとしても、2回目以降は徹夜組は柵を設置するタイミングで逃げ出すので諸刃の剣。
根本的に、準備会は「イベントのルールを破った一般人」に対して人権侵害レベル・刑事起訴しうるレベルの強硬手段を取るのはさすがにマズイ、というのが問題のベースにあるので、その点をクリアできない。
D) GPS記録機能付きのリストバンドをつくって有料で事前販売。午前中はリストバンド購入者のみ入場可能に。
入り口でGPS記録を読み取り、4時半以前に待機列にいた記録のある人は改札ではじく。
システム構築・機器の大量設置でかなりコストはかかるが、1日5万人分を1000円で販売すれば4日で2億円。2億あればシステム構築・製造・リストバンド流通をまかなえるのでは? なんなら2000円でも売れると思う。
→GPS読み取りで時間がかかるので今以上に入場のスムーズさは欠けると思うが「正午までにさばける数」だけリストバンドを販売すればいいいので来場者数の目処は確実に立つ。さいあく、当日システムエラーで読み取りが機能しない場合はノーチェックでもいい(現状よりは徹夜組・リストバンド非購入者を抑制できるはず)。
→5万個限定のリストバンドを巡って、転売屋が湧きリストバンドの転売価格が高騰するという別の問題が起こる。
これはあらゆるチケット販売で起きていることなのでこれを防ぐ方法はないのが現状だと思うが、善意でキャンセルする人の譲渡手段は運営側で準備するなど…? もしこれがまたいらぬニュースのタネになって社会問題化すると、コミケ存続が危うくなる。
どこまでいっても「運営側は一般人の抵抗にあった場合、強硬手段に出れない」壁は残る。
もう少し参加者同士で指摘し合うことで徹夜組の絶対数を減らせないか?
方法③ 運営側が「徹夜組の個人を周知する」ことで、人の目に晒す
↓
A) 4時半前に強盗犯に投げるようなカラーボールを発射、徹夜組の服に色をつけ、会場内で「こいつ徹夜組だな」と全員に分かるようにして全員で冷遇する。
→ 運営による一般人への器物破損な上に、着替えられたら終わり。
B) 4時半前に待機列にいる人を顔がわかるように正面から撮影、ツイッターの準備会アカウントで晒す。
→ 肖像権を訴えられたら負ける、来場者のプライバシーを最も配慮すべき準備会がこれをやるのは大問題、コミケに関係のないマスの人間にまで見られてしまうと準備会に不利な形でニュースに取り上げられそう、あと顔隠されたら終わり。
B’) 準備会が撮影するのは問題だけど、一般参加者が撮影して晒せば?
→ 「参加者の顔を写さない」というルール違反を準備会は黙認できない。これで初心者が「参加者の顔を撮ってもいい」と勘違いしたら問題が広がる。
↓
そもそも「晒す」行為が人権侵害に限りなく近くなってしまい、晒した側が悪になってしまう。
準備会は「公式」「運営」「代表」という立場上、社会的に問題になるような行動には出られないし、
準備会がリスクを犯せばコミケを待ち望んでいる全員が悲しむ結果に繋がりうる。
徹夜組の駆逐は有志組織で対応し、あくまでも外向きには「一般参加者同士が互いのマナー向上のために注意しあっている」状態に。
A) 「入場できなくてもいいから、徹夜組を駆逐したい」という有志が始発で来場し、
徹夜組を取り囲んでスクラムを組み「人の壁」で徹夜組をその場から動けなくする。
準備会が列を誘導してもその一帯はてこでも動かないので、「スタッフの言うことを聞かない一団」としてまるごと無視されて、
その後ろに並んだ始発組が先に誘導される。
「徹夜組をなくしたい」という気持ちの人が集えば集うほど強固な壁になり、
彼らが始発組に「行け、お前ら…! 徹夜組はここで食い止める…!」と踏ん張り
「ありがとう…! 明日は俺が壁になるからな…!」という参加者同士の熱いドラマ、
そして準備会も「有志のみなさん、申し訳ない…!俺たちが徹夜組に手を出せないばかりに…!」
「馬鹿野郎、お前らのためじゃねえよ…俺たちは、俺たちのコミケのためにやってんだ…
それより、俺たちが間違って始発組を閉じ込めちまわないように、準備会は目を光らせてくれよ」
っていう本を誰か書いて欲しい。
みたいな皮肉を言いたいわけじゃない。
どういうことかっていうと、SNS禁止にして密室感を出してしまったせいで何が正しい情報なのかわからなくなってしまった。
当たり前だけど、例の表現に反発する人はこのルール守らないからいくらでも映像が出回る。
でも反論する側の人はルールを守って映像を取らないから反対意見が弱くなってしまう。
名古屋でやってるんじゃ、ほかの地域の人はそう簡単に直接見に行けるもんじゃないし。
これはどう考えてもいい手段じゃないと思う。
まぁ以前からネット上では左派は100%負けると公言してたからそういう風にした気持ちもわかるんだけどさ。
俺はシスヘテロの30代男で、彼女なしの独身。過去に数カ月だけ付き合った人が二人いる。男友人はある程度いる。女友だちも数人いる。ただ、ほとんどが大学時代からの友人で、社会人になってから広がった交友関係はほとんどない。会社で友人は作らない。友だちが沢山いるとは言わないけれど、決して少なくはないだろう。
俺の友だちの定義は「サシで会える相手」だ。複数人で会って話せる相手も人によってはサシで全く話せなくなることも多い。そういう人には心の距離を持ってしまっていると感じる。
オタクの繋がりだからかはわからんが、男友だちの多くは独身だ。でも女友だちはこの年になると彼氏がいるか結婚してる。半分は子どもができた。旦那さんとも友だちか先輩かだったりするおかげで子どもがいてもサシで(というか赤ちゃん連れて)お茶するくらいはたまにしてるけど、流石に会う頻度は昔に比べると減ってくる。相手は仕事に育児とてんやわんやで、プライベートも減っていると聞く。あと地方に戻るとかで物理的に会えなくなる相手も増える。旦那さんが全く親しくないひとの場合は流石に気軽には呼び出せない。どうしたって「気軽に会う」回数は減る。
そうなると「会いやすい」友だちは自然と男に偏ることになる。飲みニケーションという言葉があるが、帰りに数時間酒を飲むだけならできなくはない。それにしたって既婚者や同棲相手のいる人は誘うのに少しは躊躇はしてしまう。独身相手なら急に呼び出すことのハードルは低い。交友関係の中で唯一、当日に雑に呼び出せる友人がいる。平日午後にお互いLINEで「酒」「19時以降新宿か中野」「ルミネ7階」の会話だけで飲みの算段がつく。端的に親友だと思っているが、それでもやつと会うのは半年に一度くらいだ。それくらいの距離感がちょうどいい。心理的距離感と「何度でも頻繁に会いたい」という感情は必ずしも一致しない。ただこれも、どちらかが結婚したり彼女ができたりするときっと失われる距離感なのだろうと考えている。
どうしたってライルスタイルの変化は人生に伴うし、それにあわせて友人との実際的なつながりは、消えはしないが薄れていく。なぜなら俺たちは友人だけど家族じゃないからだ。こころがつながってるとかそんな話はしていない。ここにあるのは「家族を持ってる人」と「家族を持ってない人」、「男性」と「女性」の間にある交友関係の勾配だ。人生と同じで人間関係は年を取るとどんどん選択肢が狭まるように感じてしまう。
そのことに俺自身それほどの不満はないし、正直彼女がほしいとか結婚したいとかもあまりない。問題は俺がよくても周りが勝手に変わっていくことで、普通に生きているだけで世界がどんどん閉じていくように感じている。少なくとも「恋愛関係を含まない女友だち」は少しずつ損なわれている。女友だちとの関係は他の交友関係で代替可能ではあるけれど、決して同じものではない。男性同士・女性同士・男女間・友人関係・恋愛関係・家族……すべてが異なる性質のものだと俺は思っている。失われたから別のもので埋め合わせればいいという問題ではない。
「あてがって」もらう必要はない。新しい関係性が本当にほしくなったら新しい場所に飛び込んで交友関係を開拓する。ただ、昔は好き勝手生きてりゃ自然とできた友だちが、今では「開拓する努力」が必要になったのかとため息混じりに思うことがある。それだって東京に住んでる以上はるかにハードルは低い。
ここまで書いてて思うのは、俺は人間関係の面でどう考えたって恵まれているということだ。東京でぼちぼちの生活ができてて、日々はそれなりに充足してて、友人もそれなりにいる。彼女がいたこともあれば女友達もいる。俺は自分が社交的な人間とは思わないのだが、多分社交的に分類されるんだろう。それでもふとした瞬間、それこそこの文章を書いてる深夜なんかに漠然と将来の人間関係に不安を抱く。そして、俺よりもはるかに「恵まれず」、はるかに不安を抱いてる人が世界には山ほどいるだろうことに愕然とする。
「女をあてがえ」という言葉は間違った欲望と感じるものの同時に悲鳴にしか聞こえない。「助けてくれ」という心の叫びだ。それを聞くとひどく悲しい気持ちになる。なぜなら男である俺がどこまで同情していようと、彼らを助けることはできないからだ……そこでなぜ「友だちをあてがえ」でも「家族をあてがえ」でもなく「女をあてがえ」と言われやすいか、という問題は考えてほしいけど。
個人としての人権が尊重されればされるほど、ある種の交友関係を得られない人に「あなたの考え方を変えなさい」か「あなたが自分で見つけなさい」と言わざるを得なくなる、人間関係の自己責任論が強まってしまうという矛盾をどう解決すればいいか、俺は知らない。
また詭弁だなあ。
「カラスは黒い」だってアルビノのカラスを一匹探しだしてくれば「間違い」ってことになっちゃう。
「あらゆる」を追加しだした時点で
実際的な議論から逃走して現実とは無関係な論理的な話に逃げ込んだというサインでしょ。
たとえば「男は女より筋力がある」という言説があったら
これは傾向の話であって「あらゆる」のような究極論理の話ではないから
君が試みたのはこれと同じインチキだよ。
このように論理立ててどんなインチキかと指摘できない人を相手にするときなら
話をうやむやにして引き分けにするぐらいの効果を発揮することもあるのかもしれないけど、
(足の遅いケニア人を1人連れてきても傾向は否定できないというのは先ほど触れたとおり)
消費税増税延期をめぐって信を問う可能性なんて話を萩生田氏が発言するなどしている( https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041800634&g=pol / https://www.ytv.co.jp/press/politics/32768.html )。そんなところで再び思うのだけれど、仮に野党が勝つことで政権が入れ替わることに期待するにしてもしないにしても、これはあくまで先の民主党政権のときに指摘されていた、日本の官僚機構に根付く問題や与党と政権の関係に基づく問題というのはそのままになっている中での話だということだ。
どんな政治的な立場の人にとっても、その部分に手をつけない現政権には、将来の国家運営資する期待を持ちようがないはずである。
つまりごく挟視野的な期待で「自分は賭けに勝てる」と信じているものたち以外にとっては、この問題に手がつかないまま早数年を経た現政権への実際的・長期的な魅力はないまま、しかし現政権はその立場を維持しつづけているのが現状だろうということだ。
そんな中で、現政権の「お友達」的な姿勢は、もともとの官僚機構の問題や与党と政権との関係の問題を避けようとする中で(当然だが、管理機構と政権関係や政権と与党との関係についての問題は現政権にとっても問題であるわけだから、彼らなりに何らかの対策を講じているのだ)公文書問題などさらに別の懸念点問題点を生むばかりだ。彼らはこの問題に関しての革新的な方法論を示すどころか、日本の政治機構への負の遺産を積み上げる大活躍を繰り返しているばかりである。
これは言い切っても間違いではないと思うのだが、現政権には、たとえ第何次との数字を重ねたところで、官僚機構や与党と政権との問題を改善する力も意思もない。つまり、現政権自身がチートによる「勝ち抜き」を信じる存在そのものであり、将来に通じる政策に取り組もうとしてしかしまだ果たせないなどという「美しい」存在では決して、ない。チート思考である以上、現在のルールへの自負や敬意があるわけではない。彼らにとってのルールや構造というのは、ただ単に「勝ち」に関する、自身が信じる合理性の材料であるというだけの話だ。
しかし(この点がこの文章における嘆きの中心なのだが)現政権・現与党がこの問題に手をつけなければ、問題は先延ばしになって他からそこにコミットするルートも方法もない。私自身、民主党による政権交代とその失敗から数年を経てやっと言い切ることができるようになったのだが、しかしこれが現状であるようなのだ。
つまり、現政権にとって代わろうとする勢力があったとして、彼らはまず最初に失敗を約束されているということだ。構造的に政権交代を果たしたとしても、その同じ構造によって、失敗を運命付けられているのだ。
制度的には、ついには国民の不利益として司法権に訴えるという方法が考えられるものの、一票の格差問題についての弱腰さを思えば、司法もまた現状では、限界を訴える存在のひとつなのかもしれない。つまり今のところ、ここに大した期待は持てない。
そのような構造と現状の前で、選挙によって可能になる最大の現与党への働きかけというのは、現政権にお灸を据えるといったごく可愛げのあること以外に何も無さそうなのである。これは同時に、野党による前向きな政権交代に期待したところで、この負の構造を引き継ぐことになるその新与党の仕事自体には、そもそも構造的に期待できるものはないという話だ。
この点は、現与党もこの社会のマスメディア論壇も、民主党政権の失敗や民主党政権への大きな落胆を彼らのパーソナリティに押し付けることで自身の立場を得ており、よって、ほぼ意図的に、これが私たちが共有する構造上の問題であるとか継続した論点であるというふうには扱われていないと言えそうである。
このことは、現与党に任せたい仕事に関してより良い質を期待する層にとっても、まったく同じく、大きな問題である。しかし、実際にはその是正を促す方法がないままになっているのだ。
ではその限界を分かった上で、仮に近い将来政権交代が起こり、今ある限界のままその政権が失敗に終わるとして、そのことを私たちの社会が予定された正しい敗北としてポジティブに受け止めるようなことは可能か? といえば、これはまず無理であるとも感じている。選挙で負けた現与党以上に、その新政権への参画者たちは傷つくことになるだろう。
その後の無法を思えば、現政権の敗北に期待するのがそら恐ろしくなるという意見があるとしても、私はそれを責めづらく感じる。
天皇陛下の野党論 http://diamond.jp/articles/-/13434
イケノブ http://agora-web.jp/archives/1668593.html
いまの政権と民主党政権の、官僚制をめぐる「意外な共通点」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57386
民主主義の良さとは間違っても、やり直しがきくこと https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yoshida-toru
われわれとしては、解散を堂々と受けて立つ用意がある(福山) https://twitter.com/fuku_tetsu/status/1118781710437474305?s=21
「トランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?」(anond:20190110110456)のブコメもメタブも差別主義者多すぎてやばい。
これ、書き方は悪いかもしんないけど気持ちはわかる。相手が強いから怖いっていうのはちょっと違くて、例えば女湯に小学生男児が入ってきたら嫌なんですよ。男の子は何歳まで?とか話題になったりしたことあるよね。
トランス女性は男性じゃなくて女性なんですが。なんで男の子の話が出てくるの?(もちろん身体的に男の子であってもシス男性とは限らないのだが)
「差別を無くすにはLGBT以外の人間は犯罪被害に遭っても仕方ない。我慢しろ」とか言ってるホームラン馬鹿がいて笑った 女は黙ってレイプされてろってか? どっちが差別主義者なんだか
当たり前だけどLGBTの人も性被害に遭うし、もっと言えばトランス女性はシス女性よりも性被害に遭いやすいという統計があるんだよねえ。トランス女性を女性専用スペースから追い出そうとする人は「トランス女性は黙ってレイプされてろ」と思ってるってことでいいの?
あと犯罪被害に遭った人が訴えるとか反撃するとかを否定してる人どこにもいなくない? 犯罪を犯していないトランス女性を排除するのはおかしいって主張してるだけで。この2つの区別がつかないならそりゃもうご立派な差別主義者ですわな。
恐怖云々は置いといて、身体的特徴で分けるべきと思う派。(ただし身体的特徴で分けてしまうと半陰陽の人は救われないんだけれども。)現在のシステムに内心の性別を適合させるのは、運用が難しすぎる。
身体的特徴で分けたら「おっぱいついててちんこがないけど性自認が男性で男の格好をしている」人が堂々と女子トイレを使うようになるわけだけど、「ちんこついてておっぱいがないけど性自認が女性で女の格好をしている」人が女子トイレに入ってくるよりそっちの方が安全だという感覚がまるで理解できない。
この話題痴漢や専用車両のあれこれと一緒でそもそもの問題は変質者なのに結局全部女性側に被せられてるのが見ててもやもやするわ 黒人置換えで女性を白人側に置くのまで同じ(T女性をどっちと言いたいわけではない
対立軸は「女性と男性」ではなく「シス女性とトランス女性」やで。シス女性はトランス女性との対比では間違いなく白人やで。
トランス女性でレズビアンのレイパーとかいるかもしれないしな。全ての人が全てを受け入れるのは無理だし、この不安はあって当然だと思う。
シス女性でレズビアンのレイパーとかもいるかもしれないし、もっと言えばヘテロセクシュアルのシス女性でも他人に加害しないとは限らないので、シス女性にも不安を感じた方がよいのでは?
中国人が犯罪を犯したら「中国人恐い」と言いつつ日本人が犯した犯罪では「日本人恐い」と言わない人みたいな。犯罪者と自分たちを同一視されないっていうのがマジョリティの特権なんだよね。
高校の男子トイレの前に何故か良くいる下級生がいて僕がトイレに入ると後からついてきて隣から股間を凝視してくるということが何度かあって怖かったのを思い出した。そういうのは我慢しないと差別になるんだろうか。
迷惑行為をする個人を警戒するのと迷惑行為を「するかもしれない」とある集団をくくって排除するのは全然違う話だと思うんですが差別主義者にはこんな簡単なことがわからないんですかね。
「日本人うざい。死ね」みたいなこと言ってる韓国人のAさんがいたとして「このAさんという個人はクズだな」と思うのは正当だけど「韓国人はクズだな」と思ったら差別だしそれを口に出したらヘイトスピーチでしょ。
脊髄反射で善人面する輩が多いな。若い女性が「性自認は男です」と男湯に入ってこられたら俺は嫌だけど。公衆施設で身体的特徴と性自認のどちらを優先すべきかは、ポリコレ棒で一発殴って解決するほど簡単じゃない。
性自認が男ならその人は若い男性だろ。胸がふくらんでてちんこがついてなかったとしても。
こういうこと言う人って、結局トランス女性/男性を「女/男じゃない」って思ってるんでしょ? だったら性自認を尊重するフリなんてやめてそう言えばいいのに。自分は差別主義者です、って。
なんで批判されてるのか。女湯に男体が入ってきたら発狂するわ。ただでさえ少なくない女は男体に痴漢されまくって常時厳重警戒態勢なのに。女湯の時間削ってLGBT専用の時間に充てるってんなら賛成するよ。
数十年前の南アフリカとかアメリカ南部とかに行ったら喜々として人種隔離を支持してそう。そもそもLGBTの意味わかってなさそうなのもウケる(Gがなんの略だと思ってるんだろ)
難しいなあ。とりあえず肉体が女性ならいいんじゃない?女湯にちんこはまずい(同時に男湯にまんこはまずい)でいいと思う。性欲の満足感以外でそこまでして銭湯利用したい気持ちもわからない
あったかいお湯に浸かってリラックスしたい、っていうごくごく普通の願望がトランスジェンダーを主語にした途端に「下心がないならなんでわざわざ銭湯に行きたいの?」って言われちゃうの、典型的な差別主義だよね。トランスジェンダーが湯浴み好きでなにかおかしいのか。
いつものフェミ叩きが男性恐怖症の意見とフェミの意見をごっちゃにして嬉々とフェミ叩きしてる。本当は誰も感染していなかったハンセン病とは違い実際の風呂場トイレで性犯罪被害にあった人が多数泣き寝入りしている
それ、悪いのは性犯罪者じゃん。性犯罪を犯していないトランス女性が排除されてよい理由はどこにあるの?
これってはてなーには男性が多いから、男のことが怖い女性は結構多いということが理解されてないのだと思う。あと女湯とか女トイレに見た目が男の人が入ってくるのは普通に恐怖だよ。
twitterだと女性の体に生まれた女性がボーイッシュな格好で女子トイレに入ったら警備員呼ばれた事案みたいなのがちらほら報告されてるわけだけど、その女性は髪を伸ばしてスカートを穿くべきだったのかな? 女性解放運動の精神はどこにいっちゃったんだろう。
実際的にこういうケースがあるんだよな… トランスジェンダーの受刑者女性刑務所で性暴行:カレン・ホワイトのケース https://1ovely.com/transgender/ /嬉々としてフェミ叩き女叩きしたいだけのブコメやトラバの嵐だ
はいはいカレン・ホワイト。twitterで「私は女子トイレでシス女性に加害されたことがある」という証言が出てきてるんだけど、カレン・ホワイトがいたからトランス女性を排除するのに妥当性があるというならシス女性の加害者がいた以上シス女性も女子トイレから排除すべきですね?
zyzy なら「かつて殺人した者への恐怖で次も殺すかは分からない殺人者を拉致監禁する差別を正当化するな」で刑法が要らないし、家に鍵かけるのもアウトだし、国境がある事自体外国人への差別なので国自体を無くさないとな
個人と属性の区別がついてないの典型的な差別主義者の思考でやばいし、犯した罪に対する刑罰と防犯と称して罪を犯していない人を排除することとの区別がつかないのもやばい。頼むから人権とか差別とかについて学んでくださいと言うしか。
type-100 「工事済みでないと女湯には入っちゃ駄目」ぐらいは仕方ないと思うけどね。それ超えて属性と個人を混同してたり、開き直って我が儘を言う連中は流石にね。
風呂場の外で女性として生活している未オペのトランス女性に風呂場だけ男性側使えっていうのも理不尽だよなって思います。仮に女性の友達に対してカミングアウトしていて、一緒にお風呂に入れる仲だとして、未オペってだけで「はいじゃあ友達と別れて男性側行ってください」ってのはあまりに酷でしょう。
まあ、だから多くのトランスジェンダーの男女は「オペするまで公衆浴場自体に入らない」(anond:20190111030811)って選択をするんでしょうね。それは実生活を円滑に回すための我慢なのだろうけれど、そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけで。
mumero "そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけ"<これ違うと思う。一部を尊重するために大部に我慢を強いるだけの構図でなく、お互いが納得するようなあり方を一緒に模索するのが大事だと思う。
一部を尊重って、別に特別扱いしろとは言ってないんだけどね。「トランス女性は女性なんだから女湯に入る権利はある」って言ってるだけ(もちろんトランス男性も男性である以上男湯に入る権利がある)。
少数派が多数派と対等に扱われることで多数派が不満を感じるのだとしたら、その不満は差別なので我慢してくださいとしか言えない。差別感情を我慢することは市民として当然の嗜みでしょう?
rirukarinka 女湯に関しては「女に対して生殖可能な体」を置くのがまずいとして、性自認の証明としてのオペと、オペ済みであれば区別しないことが許容ラインなのでは/不本意な生殖をされる恐怖をトランス女性は持ってるのかな…
生殖が可能だろうが不可能だろうが性暴力は脅威だろうと思うんだが、想像力ないにもほどがあるでしょ。性犯罪者は月経の有無を確認した上で女性を襲ってるわけ? 何度も書くけど、トランス女性だって性暴力に遭うんだよ。生理の来ていない幼女が被害に遭うように。子宮を摘出した女性が被害に遭うように。彼女たちは望まぬ妊娠の危険がないから恐怖感を一段低く見積もるべきだとでもいうの?
RIP-1202 全裸でくつろいでる時にチンコついてる人に襲われたら妊娠させられるリスクある。チンコ付きがなしに襲われても妊娠はない。その1点。見た目ガチムチおっさんでもチンコなかったら別に怖くはない。
「妊娠のリスク」を基準に女性を分けるのなら、いっそのこと「妊娠できる人専用」とでもすればどうか。未オペのトランスジェンダー女性のみならず初潮前の女児とか閉経した老婆とか卵巣を摘出した若い女性とかが排除されるかもしれないが、「妊娠可能性の有無」がそんなに重大な問題ならその線に沿って分けるのがいちばん「合理的」だろう。
妊娠できなくても襲われれば痛いし苦しい? そうだね、知らなかったかもしれないけど、トランス女性も襲われれば痛いし苦しいんだよ。なんで自分たちが女湯でトランス女性に襲われる心配はするのに、トランス女性が男湯で男性に襲われることは心配しないの?
sysjojo 男体のトランス女性とフリをする男の見分けがつかんのが怖い、ってのが大きいと思ってたけど。 理解したからといって納得できるかは別とは思うけど。 知ってる人ならまだしも銭湯はリラックスできなくなりそうだねぇ
それ、「ゲイが同じ銭湯で入浴していたらケツを掘られるかもしれない! 怖くて入浴できない!」っていうのとどう違うんですかね。まあ、その差別感情を表に出さないなら別に構いませんが。
zire この話題、女性の分断を目論む一部の扇動者がとことん悪用しそう。商売目的の人、ストレス発散目的の人などにおもちゃにされ何一つ良い結果を生み出さず終わりそう。よくあるパターンとはいえ非常に不愉快。
女性を分断しているのは「トランス女性は女湯に入るな!」「トランス女性は『女』ではない!」と主張する一部のシス女性と一部のシス男性なんだよね。
tamtam3 生物的特徴のオスメス判定で良くない?と思う…精神が100%オスメス、きっちり別れてる人間なんて居らず大半はどっちつかず。となれば精神的オスメス判定は、オス成分○%メス成分○%の存在が無限に存在しかねない…
生物学上のオスメス判定にもグラデーションがあるんだけど。半陰陽とか知らない?
aquatofana 「シス女性とトランス女性の対比」はその通りだけど、トランス女性の権利を守った結果シス女性の権利が侵害された場合、今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる。だから両方を配慮せなならんのでは。
トランス女性が女子トイレや女湯を使ったとしても(というか、現に使っているんですが)、シス女性が女子トイレや女湯を使う権利は何一つ損なわれません。黒人が白人と同じ施設を使っても白人の権利が何一つ脅かされないのと一緒ですね。不愉快? ああ、それが差別感情ってやつですわ。今後のために覚えておくといいですよ。
「今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる」って、いや既に差別はあるんですが。シスジェンダーとトランスジェンダーのあいだにね。まさかトランスジェンダーは差別されてないとでも思ってたんです?
vkara 男体への恐怖じゃなくて、トランスを自称して加害を目論む男が入ってくる隙ができることへの恐怖。だからと言ってトランスまで追い出そうとは思わないけど対策は必要。
これほんと不思議なんだけど、なんで「トランス女性を自称してシスヘテ男が入ってくる隙ができる」ことを心配する人たちは、「トランス男性を自称してシスヘテ男が入ってくる」ことを警戒しないの?
仮に「生物学的な性に従ってトイレや風呂を使うべきだ」とするじゃん。トランス女性が男子便所使うようになったとするじゃん。
そうすると、必然的に女子トイレや女湯の脱衣所にトランス男性が入ってくることになるよね?
シスヘテ男の性犯罪者が「トランス女性のフリ」をしようと思ったら、女装とか色々としないといけない。でも、「トランス男性のフリ」なら準備は何も要らないんだよ。「心は男なんですけどトイレは生まれた性別の方使わなきゃいけないんで」って嘘をつけばそれで済む。どっちの世界が男の犯罪者にとって都合が良いかは明白でしょう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Buck_Angel#/media/File:Buckangel_cowboy.JPG
https://en.wikipedia.org/wiki/Chaz_Bono#/media/File:Chaz_Bono_by_Gage_Skidmore.jpg
こういう人たちが、生まれつきちんこがないというだけの理由で堂々と女子トイレや女湯に入るのは怖くないの? トランス女性を怖がる人たちの「怖い」の基準がわからん。
smoothtooth 手術前のトランス男性で、男湯に入りたい人は少ないだろう。危険だし不快な目に合う可能性が高いから。手術前のトランス女性も同じなら、それは「差別する女」以前に「加害する男」の問題では。なぜ女だけの話に?
自分のことを女性だと思っている人が男湯に入りたがらないって、当たり前では。女だから女湯を使いたい以上の理由が必要だろうか。
go_kuma 例え言ってることが正しいとしても、言い方がな。攻撃的な物言いは反感を買うだけで聞く耳を持たれない。もっと優しく諭して欲しい。反感を煽るのが目的なら話は別だけど。
銭湯や温泉の女湯には女性だけじゃなくて女子児童や未成年の子供たちもたくさん入浴してるんだよね。
未成年のトランスジェンダーのことはどうでもいいの? 彼ら彼女らは手術できる年齢に達していないから手術しようと思ってもできないんだけど。「お前は『本当の女』ではない、だから女性用施設を使ってはいけない」と言われるトランスジェンダー児童の心の傷はどうでもいいの?
だいたい、低年齢のトランス女性も女子児童だろうが。そうやって都合よく「女性」「女子」からトランスジェンダー女性を排除するなよ差別主義者、って話なんだけどね。
例えば、Youtubeで他人を「ガキ」とか煽るやつは、年齢とか人生経験の薄さがコンプレックスなんだろうなーとか。低能云々は、能力に関してコンプレックスあるんだろうなーとか。
挙げた例はテンプレなんで当てはまらない事も多いと思うが、人には他人と自分を同一視するバイアスがあるので、他人がどう見えるかは結構そいつの本質を如実に現してると思うのね。
「お前は〇〇だ!」って顔の見えない奴に言ったって、そいつがどういう人間なのかなんてネット越しにわかるわけがない。つまり、空想上の姿を相手に重ねてるに過ぎないわけで。実際的外れな事言われること多いしな。
目に見えない相手にどんな虚像を重ねるかなんて、コンプレックスが体現されてて然るべきなんだよ。
そう考えると、ネット上で見えない相手に攻撃してる奴って自分のコンプレックスをめちゃくちゃ周りに晒してる無防備な奴ばっかなわけで、「理論武装が趣味」みたいな感じの割に脇が甘いよなー・・・と思う。
話しにならないよ。
企業と金持ちは溜め込む存在だとしたところで、溜め込んだお金(つまりは資産)に課税すればいいだけの話であって、儲ける行為(所得)や支払う行為(消費)に課税するのは逆効果でしか無い。なぜなら、課税されない行為は「溜め込んで使わないこと」だって誘導でしか無いから。
そちらが言ってるのは「溜め込みなさい」って言う誘導でしか無いんだよ。「株式に課税しても意味はない」のひとことで、意味の無さを回避できると思ってるのがちゃんちゃらおかしい。資産に課税は出来るんだよ、固定資産税も贈与税も相続税も実際的な意味では資産課税だ。インフレは最も有用な資産課税のひとつの形態でもある(だからインフレが重要なんだ)。
どんなに言い訳しようとしても、資産をスルーして利益に課税しようとする、それしか課税の方向はないって誘導するのは、資産家のポジショントークにすぎない。