はてなキーワード: 2次方程式とは
東大理科Iなら研究者として生存競争の参加資格を得るくらいはできるだろうけど、まともなポジションを得て成果を出し続けるような、食っていける研究者になれるのはその中でも一握り。上位大学の数学科博士でもたいていは自分はその一握りにはなれないと痛感して研究者の道を諦める。
これはそう。ただし数学的思考やひらめきのスキルと暗記スキルがあって受験数学は両方が必要。2次方程式は得意だけど数学全般は苦手という人は前者だけがアンバランスに高いことが多い。
2次方程式までどうしても辿り着くのが難しい人
IQテストで測れるような知能が平均より劣る人はどうしてもいる。あとは、なんの役に立つのか分かりづらい抽象的概念を扱うのを面白いと思うかどうか、というのがすごく重要で、これはひとつの才能だと思う。
勉強に関して才能だの環境だののお話が多いけど、自分もそれが重要なのは否定しない、本当に否定しないが、
じゃあ何処まで到達出来る事に才能や環境が重要になってくるのか話してる人はあまり見かけない気がする。
(借金が無い・親に邪魔されない等の金銭的・家庭環境の重要さは何処までも必要だけど
別にそれって金持ちが有利って話とは違って、はてなにいる奴の殆どは努力の方が重要になる話だよね)
たとえば数学とか何処までも才能が重要かって言われたら将棋と違ってそんな事ないし、
数学の研究者になるような人はみんなフィールズ賞とか取れるチャンスはある。
ぶっちゃけ研究内容の選び方や運によるもんがデカくて才能とか環境等は微妙である。
個人的には遡って東大の理科I類に入れるような奴は皆がんばれば数学の研究者になれるし
いや更に遡って数学の2次方程式を解ける程度の実力あるなら、そこから大学受験の数学までは努力と参考書次第と思う。
ただ2次方程式までどうしても辿り着くのが難しい人がいるのは確かだろうし
「カジマ」
しかし呼ばれたのは、その視線を突き抜けた先、俺の真後ろの席にいたクラスメートの名前だった。
「お前がやってみろ」
「えー、自分っすか?」
目が合ったというのに、明らかに俺を当てるのを避けた。
何らかの力が働いたってことだ。
再現の失敗に落胆こそしたが、結果として大きな成果を得られた。
ここに来て明確な謎が、ようやっと目の前に浮かび上がったんだ。
「はあ……カジマ、もう書かなくていい。前途ある若者の手を、無駄にチョークで汚したくない」
「えー、まだ書ききってないっすよ」
「そもそも2次方程式で、その問題は解けない。更に言うと計算も間違ってる」
前回と同じように行動したにも関わらず、全く異なる結果。
これは何らかの要素、或いは条件に過不足があるからだろう。
まずは不確定要素となりやすい外的要因の精査だ。
「ちょっと、よろしいですか。先ほどの授業について質問があるのですが」
「ほう、質問しなければ分からないような教え方をした覚えはないが、君の向上心を尊重して貴重なハーフタイムを割いてあげよう」
「ありがとうございます。では先ほどの問題をカジマに答えさせたのは何故ですか。直前で俺と目が合ったのに」
シマウマ先生は怪訝な表情をすると、これ見よがしに大きい溜め息を吐いてみせた。
「教師人生20余年、生徒が私にしてきた質問の中でも五指に入るナンセンスさだな。大した意図も目的もなく人にモノを尋ねるのは無知無学以前の問題だ」
よほど俺の質問が期待はずれだったらしく、彼は嫌味たっぷりの説教を披露する。
「ちなみに1位は『バナナはおやつに入りますか』だ。おやつに入らなかったら遠足で1房もってくるのか? それ全部、食べきれるのか?」
こんなことを喋ってるくらいなら、さっさと答えた方が手っ取り早いだろうに。
まあ、彼の反応も分からなくはない。
科目に関する補足説明を求めてくるかと思えば、直接的には関係のない質問をしてきたのだから。
俺が教師の仕事を邪魔する、大人をおちょくるしか能がない不健康優良児に見えたのだろう。
否が応でも答えてもらわねばならない。
「先生、どー、どー」
捲くし立てるシマウマ先生の顔前に、俺は勢いよく手を突き出し、彼の言葉を無理やり静止した。
「な、なんだそれは」
「落ち着いてください。あなたにとってクダらないことも、誰かにとっては意外と重要だったりするんです。俺の向上心を本気で尊重するつもりがあるのなら、皮肉じゃなく回答に言葉を尽くしてくれませんか」
俺がそう言うと、彼はバツが悪そうに「ふん」と鼻を鳴らし、渋々と理由を説明し始めた。
学問はフィクションだ。それなのに、無加工なまま偉そうな顔をして現実に居座り続ける「歴史」というものが大嫌いだ。
だって、2次方程式の解が、実数で2個存在するとか存在しないとか心の底からどうでもいい。
虚数と重複度を適切に定義したフィクションの中では、常に解が2個存在するのだから。
つまり、歴史は現実のイベントに引っ張られてしまう。そのイベントの繋がり方は、論理的でも公正でも、ましてや最良でもないのだ。
フィクションであれば、その繋がりを必要な形に変形して、その結果を想像することができる。そこから教訓とすべき事項がわかる。
それなのに、単なる偶然の産物でしかない「歴史」から学ぼうとする奴らは、むしろ、オッカムの剃刀で斬り捨てたいその人名や年号の情報量の多さに比して、与えられる教訓の少なさに不満を言うべきだ。
そういった、こなれてないという点で、歴史はまさに「雑」学であり、学ぶにはコスパが悪すぎる。歴史を学ぶと言わず、歴史を趣味としています、とこれからは正しく呼称すべきだろう。
以下、センスという言葉は字義通りの意味、つまりテクニカルな要素に先立つ感覚的な要素の意味で用いる。
これは考えてみれば当然だ。
たとえば力学の質量や速度などの概念は理論的に定義されるから存在するわけではなく、それに対応するものは感覚や認識として存在しており、理論はそれを上手く反映したモデルなのだ。
いくら数式の変形が得意でも、速度という概念が日常的な感覚として理解できていなけれは、力学を理解することは不可能だろう。
もちろん、知識によって補強されるセンスもある。たとえば電磁気学の概念の多くは、力学の概念のアナロジーであるから、力学を正しく理解していることが、ここでいうセンスに該当する。
なお、センスというのはプラスアルファの特別な才能ではなく、必要条件に過ぎない。
彼らは、自分が理解できないことを話し手の説明のせいにしたがるが、ほとんどの場合、彼らのセンスが無いのである。
普通の人に何かを系統立てて説明する場合、以下のような手順を踏めば、よほど前提知識が足りていない場合を除いて、おおよそ通じる。
2番目と3番目は入れ替えても構わない。これは演繹的に考えるか、帰納的に考えるかの違いであり、どちらか一方が優れているというものではない。
およそどんな分野にも、異常にセンスのない
奴は存在して、奴らは、どんなに言葉を変えて説明しようが、具体例を示そうが、たとえ話をしようが、絶対に理解しない。
何せ、センスの無い奴は上の工程のどの箇所も、特に(1)すら理解していないからだ。奴らはたとえば、「2次方程式を解くのは1次方程式を解くよりも難しく、別の方法が必要になる」というところからまず理解していない。こういう奴らに平方完成とか教えても無意味である。
教育にナイーブな幻想を抱いている奴は、適切に教えれば誰でも理解できると思っている。特に、分からない原因を突き止めて改善すれば分かるようになると思い込んでいる。たとえば、微分法で接線の方程式が分からないのは、2点を通る直線の方程式の立て方が分からないからだ、とか。
もちろん、これは原理的には正しいのだろうが、ほとんど現実的ではない。おそらく、小学校低学年まで遡らないと、そういう原因を解消することは不可能だろう。
センスの問題を感じる奴の多くに欠けていると思うのが、言語的なセンスだ。
たとえば、プログラミングを教えていると、「ソースコード」や「オブジェクト」という言葉の意味が分からなかったとか、フィードバックしてくる奴が結構いる。もちろん、一部はやる気が無くてそういうことを書いているのだろうが、数が多いので実際にそういう奴はいるのだろう。
普通の人はそんな感想は抱かない。その話の中でそれらの語が何を指しているのかは明らかであるし、そもそも「それらの語の厳密な定義を知らなくても内容は理解できる」ということは分かるからだ。
まあ、使ったとしてもせいぜい2次方程式くらいだろう。
だったら要らないんじゃないか。
よくありそうな反論は、大学で理系に進む人には必要というものだ。
しかし、そういう人は数学や物理なんか学校で習わずとも自分で勉強しているだろう。
コンピュータやプログラミングが好きな人は、別に誰に教わらずとも自分でどんどん進んだことを勉強するのと同じだ。また、そういう人でなければ、少なくともプロの技術者としては役に立たないだろう。
これに関する反論は、学校で教えているから、それをきっかけに興味を持つ人が出てくる、というものだ。
まず、数学をきちんと教えられる教師なんてほとんどいない。小学校で掛け算の順序問題みたいなくだらないことをやっているようだが、中学校以上でも似たようなものだろう。そこまでひどくないにしても、現在の数学教師で数学の最先端の研究あるいは工学や物理への応用などを理解して教えている人はほとんどいない。
これがまさに小学校へのプログラミング教育の導入に、多くの現役エンジニアが反対した理由だ。実用的な技術を伴ってプログラミングを教えられる教員なんていないし、プログラミングの本質と関係のない用語の暗記や穴埋め問題のテストで、生徒はむしろプログラミングが嫌いになることが容易に想像できるからだ。数学もこれと同じじゃないだろうか。
そして、そもそも学校の授業がきっかけ数学に興味を持って、将来数学に関係した専門職につく生徒なんて、日本全国で数えても誤差の範囲だろうと言うことだ。
これは、これだけプログラミングが流行っていて、プログラミングスクールなどがあっても、実際にプログラミングを身につける人がほとんどいないことからも分かる。数学はプログラミングなんかよりもずっと難しい。
また、高校数学と専門家が使う数学は、本質的に異なる。高校数学や入試問題は、言ってしまえば限られた知識でたまたま上手く解ける問題を集めただけであり、それができたからと言って数学の能力があると言えるわけでもない。
高校数学の問題が良くできたところで、それは専門家にとってはよく知られた理論の特別な場合に過ぎなかったり、あるいはただ上手い解き方が存在するだけで専門的な数学とは何の関係も無かったりする。
要するに、高校数学をきっかけに数学に興味を持ってもらうには、高校数学の水準に留まらず、自分でどんどん勉強してもらう必要があるが、そういう人は現実的にほとんどいない。自称数学好きの人でさえ、多くは入試問題マニアになるのが関の山である。
そもそも、小学校レベルの読み書きそろばんはともかく、それより上のレベルの教育なんて、上流階級のごく一部の国民にだけ開かれていればいいのではないか。その他の連中に教育を提供しても、どうせ卒業したら忘れる。そういうものに税金を使うのは無駄である。
大学教授とかキャリア官僚とかの学歴を見れば、ほとんどが有名私立進学校出身である。つまり、田舎の下流国民が教育の機会を与えていただいても、勉強して社会に貢献するなんてことはほとんど無いのだ。無駄な投資である。やめるべきだ。
たとえば、数学がまともにできる人で、(a + b)(c + d)の展開公式を覚えている人はいないだろう。分配法則を知っていれば計算できるからだ。そして、多項式に対して分配法則が成り立つことは(もちろん厳密に証明することはできるが)自然な感覚であり、これも覚える必要はない。
こんな自明な例に限らず、数学で何かを覚えることが、遠回りであり、本末転倒であることを説明する。
また、読解力の低い奴のために補足しておくが、「覚えなくていい」というのは「勉強しなくていい」ということではない。まあ、こういう勘違いをする奴らはこの一文自体読めないから無駄なんだが、少なくとも俺が「ここに書いてあるだろボケ」と言うための根拠にはなる。
無い。
「定義や公理は他の事実から導かれないので覚える必要がある」という意見があるが、間違いだ。
それは単に論理的に導かれないというだけであって、考えている問題に対してそのように概念を定義すべき理由は存在するからだ。
たとえば、複素数は実数係数の2次方程式の解として生じるからi^2=-1と導入するのは自然であるし、三角形は2角と1辺の長さが決まれば決定されるから三角比の定義は自然なものである。
そもそも、どのような経緯でそのような概念が導入されるのか理解することは、別に数学に限らず重要である。
無い。
数学の公式はすべて論理的に導出できるのだから、覚える必要はない。特に、高校数学程度の定理・公式などに大して証明が難しいものは無いのだから、瞬時に正しく導けなければいけない。
また、大抵の公式は、その意味が理解できていればいくつかの具体例で試せば分かる。たとえば、三角関数の加法定理は、cos(π/2+θ)とsin(π/2+θ)さえ分かれば求められる。
無い。
用語などはどうでもいい。
たとえば、平方完成という名前を知らなくても、二次方程式の解の公式の導出や、二次関数の極値問題が解ければ全く問題ない。
無い。
集合Kが2つの二項演算+: K×K→K、*: K×K→Kを持ち、以下の性質を満たすとき、Kは体であるという。
K, Lを体とする。K⊂Lとなるとき、LをKの拡大体という。L/Kが拡大であるともいう。もちろん、これはLの部分群Kによる剰余群のことではない。
C/Rや、C/Qは体の拡大の例である。K(X)/K(X^2)なども体の拡大の例である。
L/Kを体の拡大とする。任意のa∈Lに対して、K係数の多項式f(X)が存在して、f(a)=0となるとき、LをKの代数拡大体、またはL/Kは代数拡大であるという。
そのような多項式が存在しない元が存在するとき、LはKの超越拡大体、またはL/Kは超越拡大であるという。
なぜならば、任意のz∈Cはz = x + yi (x, y∈R)と表わせ、z* = x - yiとおくと、zは二次方程式
X^2 -(z + z*)X + zz* = 0
の解だから。
Kを体とする。K上の任意の多項式F(X)に対して、Fの根を全て含む体Lが存在する。言い換えれば、FはLで
と一次の積に分解する。このようなLのうち最小のものが存在し、Fの(最小)分解体という。Fの分解体はKの代数拡大体である。
LをFの分解体とする。Lの部分環Vを
K[X1, ..., Xn]→L (f(X1, ..., Xn)→f(a1, ..., an))
の像とすると、VはK上のベクトル空間である。各aiはn次多項式の根であるから、aiのn次以上の式はn-1次以下の式に等しくなる。従って、VはK上高々n^2次元の有限次元のベクトル空間である。
Vは整域であるから、0でない元による掛け算は、VからVへの単射線形写像である。したがって、線形写像の階数と核の次元に関する定理から、この写像は全射である。よって、Vの0でない任意の元には逆元が存在する。つまり、Vは体である。
Lは、Kと各aiを含む最小の体であり、V⊂Lなので、L=Vである。
さて、Lの元でK上のいかなる多項式の根にならないものが存在したとし、それをαとおくと、無限個の元1, α, α^2, ...は、K上一次独立となる。これはVが有限次元であることに矛盾する。□
L/Kを代数拡大とする。LはK上のベクトル空間となる。その次元をL/Kの拡大次数といい、[L : K]で表す。[L : K]が有限のとき、L/Kは有限拡大といい、無限大のとき無限次代数拡大という(上の証明でみたとおり、超越拡大は必ず無限次拡大である)。
M/K、L/Mがともに有限拡大ならば、L/Kも有限拡大であり、[L : K] = [L : M] [M : K]。
α∈Lとする。K上の多項式fでf(α)=0をみたすもののうち、次数が最小のものが定数倍を除いて存在し、それをαの最小多項式という。
[K(α) : K]は、αの最小多項式の次数に等しい。なぜならば、その次数をnとするとαのn次以上の式はすべてn-1次以下の式になるため、[K(α) : K]≦n。1, α, ..., α^(n-1)が一次従属だとすると、n-1次以下の多項式でαを根に持つものが存在することになるので、[K(α) : K]≧n。よって、[K(α) : K]=n。
Lの自己同型σでKの元を固定するもの、つまり任意のa∈Kに対してσ(a)=aとなるもの全体のなす群をAut(L/K)と書く。
任意の有限拡大L/Kに対して、#Aut(L/K) ≦ [L : K]。
L/Kを有限拡大とする。#Aut(L/K) = [L : K]が成り立つとき、L/KをGalois拡大という。L/KがGalois拡大のとき、Aut(L/K)をGal(L/K)と書き、L/KのGalois群という。
L/Kを有限拡大、[L : K] = 2とする。#Aut(L/K) ≦ [L : K] = 2なので、Aut(L/K)に恒等写像以外の元が存在することを示せばよい。
[L : K] = 2なので、α∈L\Kが存在して、1, α, α^2は一次従属。したがって、α^2 - aα + b = 0となるa, b∈Kが存在する。解と係数の関係から、α, a - α∈Lは、2次方程式X^2 - aX + b = 0の異なる2解。
α∉Kより、K⊕KαはK上2次元のベクトル空間で、K⊕Kα⊂LなのでL=K⊕Kα。
σ: L→Lをσ(1)=1, σ(α)=a-αとなるK線形写像とすれば、σは全単射であり、Kの元を固定する体の準同型でもあるので、σ∈Aut(L/K)。□
C/RはGalois拡大。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lに対して、αのK上の最小多項式が、Lで1次式の積に分解するとき、L/Kを正規拡大という。
L=K(α)とすると、L/Kが正規拡大であるのは、αの最小多項式がLで一次の積に分解するときである。
K(α)/Kが正規拡大で、さらにαの最小多項式が重根を持たなければ、αを他の根に写す写像がAut(K(α)/K)の元になるから、Aut(K(α)/K) = αの最小多項式の次数 = [K(α) : K]となり、K(α)/KはGalois拡大になる。
nを自然数として、ζ_n = exp(2πi/n)とする。ζ_nの最小多項式は、Π[0 < m < n, gcd(m, n)=1](X - (ζ_n)^m)であり、Q(ζ_n)/QはGalois拡大である。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lの最小多項式が重根を持たないとき、L/Kは分離拡大という。
体Kに対して、1を1に写すことで一意的に定まる環準同型f: Z→Kがある。fの像は整域だから、fの核はZの素イデアルである。fの核が(0)のとき、Kの標数は0であるといい、fの核が(p)であるとき、fの標数はpであるという。
F_2 = Z/2Zとする。F_2係数の有理関数体F_2(X)/F_2(X^2)は分離拡大ではない。
実際、XのF_2(X^2)上の最小多項式は、T^2 - X^2 = (T - X)(T + X) = (T - X)^2となり、重根を持つ。
L/KをGalois拡大、Gal(L/K)をGalois群とする。
K⊂M⊂Lとなる体Mを、L/Kの中間体という。
部分群H⊂Gal(L/K)に対して、L^H := {a∈L| 任意のσ∈Hに対してσ(a)=a}は、L/Kの中間体になる。
逆に、中間体K⊂M⊂Lに対して、Aut(L/M)はGal(L/K)の部分群になる。
次のGalois理論の基本定理は、L/Kの中間体がGalois群で決定されることを述べている。
L/KをGalois拡大とする。L/Kの中間体と、Gal(L/K)の部分群の間には、以下で与えられる1対1対応がある。
- H'⊂H⊂Gal(L/K)ならば、K⊂L^H⊂L^H'⊂L
- K⊂M⊂M'⊂Lならば、Aut(L/M')⊂Aut(L/M)⊂Gal(L/K)
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、#Aut(L/M)=[L : M]。つまり、L/MはGalois拡大
- 部分群H⊂Gal(L/K)に対して、#H = [L : L^H]、#Gal(L/K)/H = [L^H : K]
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、M/Kが正規拡大(L/Kは分離的なのでM/Kも分離的であり、従ってGalois拡大)であることと、Gal(L/M)がGal(L/K)の正規部分群であることが同値であり、Gal(L/K)/Gal(L/M)〜Gal(M/K)。同型はσ∈Gal(L/K)のMへの制限で与えられる。
K=Q, L=Q(√2, √3)とすると、Gal(L/K)はσ√2→-√2とする写像σと、√3→-√3とする写像τで生成される位数4の群Z/2Z×Z/2Zである。
この部分群は{id}, {id, σ}, {id, τ}, {id, στ}, {id, σ, τ, στ}の5種類があり、それぞれ中間体L, Q(√2), Q(√3), Q(√6), Kに対応する。
②数学は出来る
③英語は出来る
④どちらもできない
http://anond.hatelabo.jp/20110220183706
さて、この4つの分類は、確かに高校卒業時点で大学進学するときの基準となるだろう。
そもそもなんでこの場合の4のような人に、大学へ進学することができるのか?
義務教育は、何をしていたんだと言いたい。
義務教育では、小学校で言えば、1年生はひらがな、カタカナ、そしておよそ80文字の漢字を習う。
算数なら、足し算、引き算だろう。
2年生になれば、倍の160文字の漢字を習うことになっている。
このようなものは、3年生以上から中学卒業まで、全科目で基準があるはずで、それができる人が中学校を卒業するはずだ。
例えば、中学校を卒業した時点で、都道府県がそれぞれ立てた県立高校の県内共通入試が60パー正答できる学力がつくはずではないのか?
全くできないものは、九九や分数からわからないし、できるものは漢字検定3級かそれ以上を持っていたりする。
そしてもし、中学卒業時点で、2次方程式の解の公式が適切に使えたり、漢字検定でいえば3級相当の文字を適切に読める(音読できるだけでいい)など、主要5科目において一定レベルが満たされないと卒業できないようになるなら。
俺の親父はドケチだった.
とにかくドケチだった.
口を開けば「カネがない」とグチった.
貧乏だった.
食う物と言えばパンの耳,着るものと言えばボロ雑巾みたいな古着だった.
ガキだった俺は友達が持っているスーファミが羨ましくて親父にせがんだ.
帰ってきたのはゲンコツだった.
そんなカネねえ,と.
ドケチなクソ親父め.
でも俺はあきらめなかった.
キャラクターをテレビの中で自由に動かせるのに,熱中していた.
根負けしたのか,なんとかしてやると言い出した.
俺は興奮で眠れぬ夜を過ごした.
どうやら友人から譲ってもらったらしい.
なんだか嫌な予感がしながら電源を入れたら,文字しか出てこねぇし,なにすりゃいいのか分からないし,
まさに「コレジャナイ~」と泣きながら手足をバタバタさせてダダをコネたい気持ちになった.
やっぱりクソ親父はクソ親父だった.
曰く,
「これさえあればゲームを作れるらしい.そんなに欲しいなら自分で作れ」
始めはとっつきにくかったが,やってみると面白かった.
「ゲームを自分で作れる」という魅力的な言葉に酔っていたのかもしれない.
これでいつか俺も,F-ZEROを作ってやるぞと,本気で思っていた.
ゴミ捨て場から拾ってきた古いベーマガを読みながら,小さなゲームを作っては楽しんでいた.
始めてジャンケンができるプログラムを作った時の感動は忘れられない.
グラフィカルなゲームは作れなかったが,友達も一緒になって楽しんでくれた.
だが中学2年に上がるころ,長年連れ添った俺の愛機が突然動かなくなった.
ついに寿命が尽きたのだ.
俺はこの世の終わりのように感じた.
まるで愛犬に死なれたような気持ちだった.
しばらく学校も休んだ.
今思えば前の持ち主から数えて10年近く,よく動き続けたものだと感心する.
ドケチな親父は,当然だが新しいPCを買ってくれるわけはなかった.
帰ってきた言葉は
「そんなに欲しいなら自分で作れ」
新聞配達で稼いだ金で少しずつパーツを買い集めた.
始めて自作PCが立ち上がった時は感動した.
親父に本を買ってくれと言ったら,始めは渋っていたが,ボロボロの技術書を何冊か古本屋から調達してくれた.
ヴォルトのアルゴリズムとデータ構造と,クヌースのThe Art of Computer Programmingもあった.
難しすぎたし技術的なところが足りないから,遠くの図書館までわざわざ出かけて技術書を借りてきては読みふけった.
学校の授業中にも読んでいた.
プログラミングの技術はもちろん,画像処理のための数学の道具についても勉強した.
同級生が2次方程式や因数分解をやっている横で,三角関数や行列計算をしていた.
特にアフィン変換には感動させられた.
こんな風に言うと,さぞ数学の成績がよかったのだろうと思うのかもしれないが,テストの点はそこそこだった.
コードを書くのに必要な概念として知っているだけで,証明問題は苦手だった.
それと,古典や社会の時間は全部すっぽかしてノートにコード書いてたから散々だった.
高校に入ったあたりでX windowシステムを使ったグラフィカルなゲームを作れるようになった.
出てきた敵を撃つだけの簡単なインベーダーゲームに始まり,オセロ,ブロック崩し,ウィザードリィみたいな迷宮探索ゲーム,思いつく物何でも作った.
友達の家にもPCがあるところが多くて,Windowsに移植して簡単なネットワーク型対戦ゲームなんかを作ったりもした.
ここまで本格的にゲームプログラミングをやっていると,さすがにジャンクパーツを集めただけのPCでは性能に不満が出ることが多くなってきた.
ビルドの待ち時間が長くていらいらしたり,友達の家で動くゲームが自分のPCで動かなかったりした.
「自分で稼いで買え」
親父はどこから取ってきたのか,俺でもこなせる程度の仕事を持ってきた.
始めはパソコン教室のバイトだったり,ゲームのデバッグだったり,まともなバイトだったのが,
ある日学校から帰ってくると,何に使うのかは知らないが,明日までにこういうコードを書けと言われて徹夜でプログラミングしたりするようになった.
プロの書いたらしいコードを読んで書き直す作業は,かなりの勉強になった.
給料は親父から手渡しで貰ったが,今まで見た事もないような額になった.
その金で新しいマザーボードとPentium IIと32MBメモリを何枚かと,自分の開発環境用にWindowsPCを作った.
こんな感じで高校には通っていたものの,勉強らしい勉強はほとんどしないで過ごした.
それでも,手に職はあるわけだし,しばらくは同人ゲームでも作って過ごそうと思っていた.
だけど親父は反対で,大学ぐらい入れと言い出した.
それでもやる気のなかった俺に,
一体何が起こった,このクソ親父,脳の病気にでもかかったかと本気で疑った.
どうやら正気で言っているらしいと分かると,俺も必死に勉強を始めた.
そうは言っても,中学時代から受験を意識した勉強なんてさっぱりしてこなかった俺には,何をどうしていいのか分からない.
しかも,やっぱり親父はドケチで,塾や予備校なんていく金は無い.
しかたがないから高校時代の友達で,頭のいい大学に行ったやつにお世話になることになった.
厚かましくも,キャンパスにまでついていったりしていたから,新入生として入って行くと顔見知りに驚かれた.
親父は約束通りPower Macintosh G3を買ってくれた.
だが,俺の親父はドケチだった.
「せっかくいいパソコン買ってやったんだから,そいつで学費ぐらい稼げ」
さすがにそいつは無いだろうと思った.
自分で遊ぶ分くらいは当然稼ぐつもりだったが,学費丸ごととは.
いくら国立大学とは言え4年分の学費となると200万ほどになる.
しかも教科書代やもろもろを考えると300万円は無いと厳しい.
300万円稼ぐために俺ができることと言えば,やはりゲームを作るぐらいだった.
志望動機を聞かれて,
「ゲームを作って300万円ほど稼ぐためです」
と言ったら爆笑された.
金が必要な理由を言ったら,一瞬でお通夜みたいな空気になったけれど.
先輩が相談に乗ってくれて,成績優秀なら学費は免除になったり半額になったりすることを教えてくれた.
それならなんとかできそうな金額だった.
プログラミングをしているだけなのに,「お勉強」として扱われるなんて.
今まで何気なく使ってきた道具に,こんなに深い基礎理論があるなんて,知らなかった.
講義が終わったらサークル棟に入り浸って,入学祝いのMacintoshで朝までゲームを作ったりしていた.
学費を稼ぐためのゲームだが,やはりエロゲを作ろうということになった.
ただし,そのためには絵師が必要だということで,先輩が漫画研究会から絵師をスカウトしてきた.
一目惚れした.
こんなちっこくてクリクリして可愛い女の子が,こんなドエロい絵を描くなんて!
俺の頭はすっかり茹だって,も~だめだ~という感じになった.
それから,なんやかんやあって,結果的に彼女は俺の嫁になった.
詳細は伏せるが,なかなかにこっ恥ずかしい青春を送った.
今まで○とか■とか,ちょっとしたドット絵でしかなかったキャラクターに命が吹き込まれるようだった.
先輩たちが,売上金を快く俺にカンパしてくれたおかげでもある.
満ち足りた大学生活だった.
スーファミはもう時代遅れになったが,自分の作ったゲームが本当に発売されて,ゲーム機の中で動いているのを見た時は嬉しくて泣いた.
娘が生まれた時と,どっちがと思うくらい泣いた.
さて,俺のドケチな親父だが,娘が生まれてほどなくして死んだ.
あんなにドケチに金を惜しんでいたのに,財産も何も残さず死んだ.
遺書を読んだら,葬儀は簡素に親族だけで行うように,とあった.
親戚付き合いらしい親戚も居ないし,どうせ誰も来ないだろうと思っていたが,
葬式当日には呼んでもないのに大勢の参列があって,なんだこれは,人違いかなにかかと思った.
なんでも,親父の運営するNPO法人の従業員だとか,親父の寄付金で建てた養護施設の代表さんだとか,
親父とは無縁の世界の住人だとばかり思っていた,立派な善人ばかりだった.
家に居ないことの多い親父が外で何をしているかなんて興味なかったし,どうせ競馬かなんかで稼いでるんだろうと思っていた.
葬儀が終わって,ちょっとした額になった香典の山を眺めていると,
「さあ自由に使っていいカネだぞ.お前はそれで何をするんだ?」
そんな声が聞こえてくるようだった.
なんだかむかついたので,その金は今まで通った学校にプログラミング関係の本を寄付するのに使うことにした.
一銭も残さずに,全部.
それでもなんだか負けた気分だったから,ボーナスをつぎ込んで,倍額にして寄付してやった.
ドケチなクソ親父を,見返してやった.
最高の気分だった.
それが6年ほど前の話だ.
ところで最近,小学校に上がった娘が,アニメに出てくるようなフリフリなドレスを着て学校に行きたいと言い出した.
もうそんなお年ごろになったのか.
子供には不自由させたくないと思っていたが,調べてみると我が子の眼鏡にかなう服は,日常的に着る服にしては,ちょっと高い.
悩ましい問題だ.
さて,どうやって安上がりにすませようか.
俺の感覚だと、東大の入試問題を、それなりに時間掛ければ8割くらいは解けるってのが上から1%かなあ、というイメージだな…。
あなたの周りがすごすぎるけど、
東大入学者の中でもいくら時間かけても8割も取れる人は1%とは言わないけど、10%も居ないんじゃないか、と思う。
そもそもあれ、時間無くて出来ない、なんて人は殆ど居ないから、あまり時間かけても意味が無い。
(それこそ、8割超えるくらい取るには全部をちゃんと解くから時間も結構大変かもしれないけど。)
東大生が全体の0.2%程度なので(雑多に見積もって同じ歳に(3千/(1億/80))~0.2%)で、例え東大生の10%が出来たとしても0.02%とか。
そのレベルの人が東大以上に沢山居る学校は殆ど無いから、いくら集めても1%にはならないだろうと。
(数学8割取れるなら他が殆ど駄目でも東大入れる確率結構あるし、それだけ出来るなら理科系も物理なんかは結構出来るだろうし、全体的に他も多少は出来るだろうから結構余裕で東大くらい入れる)
で、2次方程式の方は、ある程度歳行った人で正確に暗記してる人なんて1%どころか殆ど居ないんじゃないかと思う。(数学の先生とかしてない限り)
数学やら物理やってるひとでさえ、常に解の公式なんて使わないし、使わなければ忘れる。ただ、それらの人は導出はすぐ出来るけど。
ただ、高校生付近だとその時点で覚えてる人は数10%は居ると思うから日本全体だとよくわからないよね。
50代とかに聞けば1%なんてとてもじゃないけど居ないと思うけど。
それなら「圧倒的多数」になるのかも。
俺なんか「この2次方程式を解いてみて」ってなったらダメだしね。
小学5~6年のレベルで止まってる。
数に弱過ぎるせいもあるだろうけど。