はてなキーワード: 大吉とは
35歳まで処女だったがギリシャ人とワンナイトラブでセックスをした。
ちんこをまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。
物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。
だから興味はあったがセックスには相手が必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。
ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性がオナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。
浪人生活中のお昼休み、地下のフードコートで高校時代のクラスメイトで同じ予備校に通っていた女子が自分は性欲がないからオナニーもほとんどしないんだと言っていた。
なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。
机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。
そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的に気持ち良い感覚を私は知らなかった。
性的なイラストや映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的な気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。
オナニー=ちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。
男性のオナニー描写は成人向けでない漫画や小説や映画に描かれているが女性の描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。
3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲であると意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。
多分自分はとろい。
男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。
なのでそもそも男性とセックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。
そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃんと自分は発情してセックスしようとしていた。
つまりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。
性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。
そのギリシャ人は陸上の選手で大会出場のために来日していた男性だった。
大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。
セックスする前のただのファンと選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。
痩せている色白の小柄な星野源や華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求が自分に沸き起こった事が嬉しかった。
今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通の人間になれたと思えたことだった。
世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性はお金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通の人間であり皆セックスの話をするのだ。
私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。
お互いに意識しあって4ヶ月くらい。
ライントークは最初の頃のにたどり着けないくらいのボリュームになった。
初詣では凶のおみくじに笑い転げて大吉を引くまで神社や寺を回って引き続けた。護摩札に願い事を書きあったとき、君はなんて書いたんだろう。
お互い春には運勢が拓ける、恋愛運は友達から恋に発展すると書いてあった大吉のおみくじ。
だけど、春が来る前に君は再び心の均衡を失ってしまった。
それをなんとかしようと僕は頑張ったつもりだけど、逆効果だったみたいだ。
君は心を闇に閉ざし、外に目を向けられなくなってしまった。
当たり前だけど、今は何を見ても君を思い出すし、何かを見たり感じたりしたら、君に話したくて仕方がない。
でも、もう僕から君に連絡はしない。
新しい春に、僕らは新しい人生に踏み出さなくちゃいけない。君の新しい人生のために闇を払うためにぼくは君の前から消えてあげる。
その時こそ、ぼくは君に本当のぼくの気持ちを伝えたいと思う。
君のことを妹のように思ったことなんて一度もない。
手のかかる部下だなんて思ったことは一度もない。
君が好きだ。君のことを愛している。
ある界隈では口にした瞬間にその場の全員から石もて追われ二度とその界隈の住人とは見做されなくなる恐ろしいワードである。うっかり口にしようものなら村八分確定であり、女性同性愛者を意味するスラングを気軽に口にするポリコレ意識のあまり高くない人たちからもぶっ叩かれる究極のポリティカルインコレクトネスである。だが、以前うっかりこの言葉を使ってしまいフォロワーさんから非難の大合唱を浴びた人間として、少々自己弁護を口にしてみたくもなる。
私たちが見たいのは関係性である。しかし関係性が好きならBLだろうが百合だろうが区別なく摂取すればいいのに何故百合ばかりを求めるのか、と言われればそれはイケメンの男の子よりも可愛い女の子が好きだからである。いやイケメンの男の子も嫌いではないし同性としてこいつ性的魅力にあふれてんなとは思うが性的対象ではないのである。これは逆側もそうではないのか。BLを嗜まれるお姉さま方のけっこうな割合はヘテロセクシュアルであろう。関係性を楽しむとき、そこには当然に性的視線が介在している。
そしてその関係性には強弱がある。あるのである。一部の妄想力や発想力の逞しい方々は公式で何も会話していないキャラ同士の絡みを公式設定であるかのように信じて邁進することができるらしいのだが、公式から理由も分らずに押付けられたカップリングを大人しく受取って、理由も分らずに消費して行くのが、我々凡夫のさだめだ。とにかく、公式で「あっこれはガチで女の子にしか興味ありませんわ。そして両思いですわ」というキャラやカップリングもいれば(あーなたのうーたにーわたーしのーハーモニーかさーねてー♪)、「友達でも通用するし、男とくっついても違和感がないけど、でも××ちゃんと○○ちゃんが仲良くしてるのはいいなぁ……」という根拠薄弱なカップリングもあるのである。あるったらある。強いカップリングと弱いカップリングはありまぁす! 電磁カップリングとか重カップリングとかがあるのかどうかは知らない。
その弱々しい関係性の芽を大輪の百合の花に育てきるのが一流の同人作家だったりオタクだったりするわけだが、我々貧困な想像力しか持たぬ凡夫は惑うのである。あれ? この子とこの男友達って、いい感じじゃね……? などとヘテロフィルターがかかってしまうのである。大吉山で白ワンピ着て楽器吹いてイチャイチャしてたと思ったら普通に原作で男と付き合っていたりするのであり、では公式で否定されたから百合ではないのかと言われるとでもやっぱりこのふたりの関係性とか姉との繋がりとか眼鏡の先輩との絡みとかも恋愛感情に発展させていきたいよぉ! と二次創作がマルチバースであるのをいいことに色々な世界線をアラカルトでつまみ食いしたくなるのだ。凡夫は往々にして雑食になる。EMTEMTと言って天使と男が性交する薄いブックを購入することと天使とお姉ちゃんが百合百合する同人誌に手を伸ばすこととのあいだに特に矛盾はないのである。
この傾向に、最近の若い者がハマっている「そしゃげえ」というものが拍車をかける。これらのゲームではキャラクタはプレイヤーに向かって話かけてくる。そしてそうプログラムされているから当然なのであるが、彼女たちは同じゲームの女性キャラと仲良くするのと同時に、まるでプレイヤーに好意的であるかのような振る舞いを見せるのである。likeの範疇に留まっていればいいのだがどう見てもloveにしか見えない場合もあるし妄想力を働かせるとloveに聞こえてきたりもするし、一方では他のキャラとイチャコラしていたりするのだ。もー体触るのやめてよー。つまるところそこに現出するのは、「○○ちゃんが男とくっついていても女とくっついていてもどちらも公式設定として通用してしまいそうな世界」なのである。
そして頭の悪いオタクはマルチバースを統一するのが大好きである。某アイドルアニメにおいて赤髪ツンデレな医者のご令嬢のカップリング相手は小柄ツインテにっこにっこにーな上級生もしくは猫語尾の体育会系アホの子と相場が決まっているのだが、「あれ……? にこまき前提のりんまき、いいのでは……?」などと閃いてしまうのであり、これはりんまきに失恋モチーフの同人漫画が多いことからも容易に察せられる宇宙の真理なのである。秘めた恋心を自覚したときには既にふたりがにっこにっこにー(隠語)していたので恋を自覚するのと同時に失恋を味わい部屋でひとりで泣くCV飯田里穂のキャラはいて、それは間違いないこの世の真実なのだが、ともかくそういう風にマルチバースを統一したがるオタクの眼の前に「自分(プレイヤー)を好いている××」「別の○○ちゃんとイチャついている××」の2つの道筋が示されたらどうなるだろうか。加えて○○ちゃんの方も私に好意的な態度を取ってくれているのだ。
そう、「混ざりたい」のである。ようやくこの表題に辿りつけた。別々の世界線のままにしておくのもそれはそれで良いし、現に私は提督LOVE合同誌もBig Northな薄い本も持っているので、別々のままにしておいてもよいのだが、混ぜたくなるのである(はいここダブルミーニングです。テストに出ます)。自分と○○ちゃんの双方に好意を持っている××でいいじゃないか、という解釈を見つけ出してしまうのである。
「そういうのは『ハーレム』でいいじゃん」と言われるかもしれないが、ハーレムはそこに集められた女性同士の関係が良好であることを保証しない。極端な話どこぞの王侯貴族が作るハーレムなら同じハーレムの一員と一度も口を利かずに終わることもありうるだろう。そういうのも悪くはない、いやこれは欺瞞なのではっきり言うとある種の夢ではあるのだが、そういうのが見たければ素直にハーレムものを読みに行く。私はジェンガ艦橋を持つ姉妹がお互いに愛し合いながら私にもその愛情の一端を向けてくれる世界を妄想しているのである。私と彼女との関係だけが重要なのではなく、彼女ともうひとりとの関係性も尊いと思っているのであり、そのふたつの関係性をひとつの世界で縒り合わせようとした時に貧弱な発想と乏しい語彙を絞り出した結果として出力されるのが、忌み語として名高いかの5文字なのである。
この呪われし文字列は今や百合好きのあいだでの共通の敵となっており、普段はカップリング論争を繰り広げる諸氏もこの言葉が発せられた瞬間に一致団結するという驚異的な接着力なのでDIYに役立ちそうな語なのだが、発する側としてもそれなりに理屈があって言っているのである。しかし、ここまで摩擦を生む語である以上、「百合」とは棲み分けた方がいいという意見にも一理あろう。この5文字を聞いた瞬間に親を殺されたかのごとく怒り狂う人びとも、別にこのような関係性への志向を理解できないわけではなく、単にそれを「百合」と名指されたくないだけなのであろうから、共存はできるだろう。ただ私の中でそれらは連続的なもので、簡単に切り離したりできないんだよ、ということは伝えておきたかった。
当たり前であるが、上で述べた理屈は現実の女性同性愛者あるいは両性愛者のカップルに向けて「俺も混ぜろよ」と発言することを肯定するものではない。あくまで紙とJPEGで表示される女性のことを言っている(もちろんこの言明は、現実に女性2人男性1人で構成される愛のあり方を否定するものでもない)。また、そのような消費態度が現実の同性愛者に対して搾取的である、と言われるかもしれないし、実際に女性同性愛者の表象を簒奪しているという議論も成り立たないわけではないかもしれないが、バイセクシュアルやポリガミーのことを考えれば、男が混ざろうとするのはおかしいというのも別種の抑圧に与することになりはしないかという危惧はある(シスヘテロ男性が言っても説得力がないと言われたらまったくその通りであり、反論できない)。
あと、“男性向け”百合と“女性向け”百合を分けようっていうのは、私はあまり賛同しない。薔薇とBLは棲み分けているというが、近年腐男子という存在がそれなりに登場するようになっており、その中には男性同性愛者も一定数いると聞く。彼らにとって薔薇/BLという壁は窮屈なものなのではないか。というか百合好き男性の界隈で好評を博す作品にはプラトニックな作品が多く(私も好きだ。新米姉妹の部屋の居間に置かれた時計になりたい……)、女性の百合好きに好まれる作品とどのくらい違いがあるかというと、正直あまり違いがあるようには見えない。だったら無理に分ける必要もないように思う。“男性向け”百合と“女性向け”百合とのあいだに強固な壁はなく、なんとはなしのグラデーションの中で共存しているのだから、あえて「こちら」と「そちら」に分ける意味もあるまい。性描写の有無はR-18シール貼ればいいわけで。というか性描写で区切ろうとすると「百合とレズは違う!」とか言い出して「清らかな女の子同士の百合」と「レズ」を切断してレズビアン差別に加担する百合好きが出てくるというお排泄物みたいな現状があるからそこで区切るのは害が大きい。腐女子の“学級会”はよく揶揄されるけど、ほんと百合界隈もたまにはちゃんと“学級会”する必要があるんじゃないかと思うよ。
なんの話かというと、型月厨のお前らロード・エルメロイII世の事件簿読めよ、イスカンダル大好きなウェイバーちゃんマジ尊すぎんぞ、という話でした。というかあの作品はグレイちゃんが師匠に向ける思いも尊すぎてミステリ部分はガバガバだけど人間関係部分は尊さの塊なんや……
murishinai 「混ざりたい」だと、すでに成立してるカップル双方の思いを無視して割り込む感じがあるので良くない。この増田はポリアモリー的な物を目指してあるのであるから、もっと別の表現を探して使うべきだ。
なるほど「混ざりたい」への違和感の原因はそこだったのか! と目ウロコ。確かに日本語の語感としてはそうですね。
jet-ninjin 女性向けの夢にあたる概念は男性向けでは何て言うのかな。オリキャラ女主はよく見るが男性向けでオリキャラ男主ニーズあるのかな…。
というか、女性向けと違って男性向けでは所謂「夢」がデフォルトなので特別な名前がついてないという事情があるような(デフォルト、というのは実際の頒布数に占める割合ということではなく、「男性向け同人誌」と言ってパッと思い浮かぶのが百合じゃなくて女性キャラと男性がイチャコラしてる本、みたいな、イメージの問題です)。男性向けのえっちな本の多数派は百合ではなく(もちろん百合もありますが)女性キャラと男性(もちろん既存キャラである場合も多いですけど――キョン!AVを撮るわよ!――モブおじさんとか整備員とか用務員とかの所謂「竿役」はオリキャラのことが多いんじゃないかなと)がえっちなことをする本であったりするわけで、男性向けでの「俺の嫁」は文字通りの「俺の嫁」なのです。
seachel 長くてよく分からんけど夢女子と腐女子兼ねてる子は女にもよくいるので、自分自身すらマルチバースと捉えたらいいのでは? Aカプを愛でる増田、Bカプを愛する増田、夢男子の増田…みたいな切り替え方式。
この切り替えというのが難物というのはあるかもしれないですね。私にとってそれは全部連続性を持ったただひとつの私で、はぁこのカプ尊い同居してる部屋の目覚まし時計になりたい……という私と○○ちゃんとイチャラブしたい私というのはあくまでグラデーションの両端でしかなく、その真ん中を厳密に切り分けるのはなかなか難しいのですが、切り分けていかないとムラハチを食らうしこんなこと言ってる私も鶴賀学園の主将と副将に混ざりたいとか言われたらイラッとするので(ザ・自己中の極み)、場の空気を読んで穏便に使い分けて生きていきたいなと思いました。
ブコメ以外は受け付けません。
※追記 13:47
sny22015 押されて泣いた?
まんじゅうは好きです。
「好きにしていいよ♡」と言われたので本番代はタダです。
オレ、二次元には興味ないんだ。
srgy 臭股間?
無臭股間
kre オナクラってなに?
夢の国です。
オレ、映画には興味ないんだ。
白浜とか行ってみたいな。
オレ、ア○ナルはまだ未開発なんだ。興味はあるけど。
ごめん、オレには理解できなかった。
オレのために泣いてくれるなんて嬉しいな。
kisiritooru ホマミキサー?
ダンスは昔やってましたよ。
nakoton ねばねばして痒そう
オレ、我慢汁多い方なんだよ。。。
争い事はオレ嫌いなんだ。
onigashira_3 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️
🤢🤢🤢
※追記 15:32
そろそろ休憩行ってきますね。
※追記 17:38
続き書きますね。
それは言っちゃダメですよ。。。
masumizarumasumizaru オナラクラブ……それは放屁の芳しさを楽しむ大人の集会!本番とはつまり漏らしたということ。増田も大人になったな
ありがとう。オレは一皮剥けたよ。
ごめん。オレ、ゲイじゃないんだ。
水分多めにすれば大丈夫だよ。
roirrawedoc こういうのをそのまま真に受ける知性の低いお客様が殺到して本番強要して事件になる。風俗では良く知られた現象。
crosscrowcrosscrow オーナーズクラブで本番とは日本語でおk。私もスーパーカー乗り回したい人生やった…。
オレ、車には興味ないんだ。。。
オレ、アニメにも興味ないんだ。。。
オクラは大好きですよ。
tsutsumi154 オマルクラブで快便
下ネタやめてください!
Lifehackerさんに怒られますよ?
ニューオータニ行ってみたいっす。
ホテルだよ。
bienbienbienbien なんでID2回繰り返してるの?繰り返してるの?
どういう意味っすか?
そういや過去にオナホ買ったことあるけど1回使って虚しくなってすぐ捨てたこと思い出した。
onigashira_3 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️ 🙏🙇♂️
💩💩💩
そろそろ会社出るのでまたお返事書きまーす。
21:06
箱なんてオレ書いたかな。。。?ちゃんと読んでね♡
いい会社です。
broccomini オクラのつぶつぶがいいんだろうか?それともネバネバ?
どっちもかな?
ごめん、何も考えてなかった。
norikki オレも逝くからおせーて
できるやつはどこ行ってもできるよ。
できないやつはどこ行ってもできない。
ありがとう。久しぶりに人に優しくされた気がし・タ・ヨ。。。
kitayama 痛いところない?腫れてない?
shikiarai 本番はいつ以来?
1ヶ月ぶりくらいかな。
wktk_msum *は?
*はまだ未経験デス。。。
「ども」
「ラブラドール・レトリーバーですか(^-^)」
「わあかわいい(^-^)あははくすぐったいよぉ(^-^)何ちゃんっていうんですか(^-^)」
「大吉」
「縁起がいい」
「わあ、くすぐったい、え、いや、あはははは(^-^)」
「こら、大吉。すみません、こいつすぐスカートの中に入りたがってしまう癖があって」
「いえいえ、いいんですよ(^-^)きゃはは(^-^)くすぐったい(^-^)」
「ひゃう。きゃははは。だ、大吉くん、だめだって。あ、ベロが、あ、いあ、ああん」
「ベロですって?ベロがどうしたんです?」
「ああ、ペロペロ。くすぐったいですう。はう。はぁはぁ。いや、あああん。あんっ。ああ、そこは、そこはだめだよ大吉くん」
「そこってなんです?そこってどこなんです?こら大吉やめろ。コノヤロ。コノヤロ」
「はあはあ。い、いいんですよ。大吉くんは遊んでるだけなん、ひゃう、ああ、はあはあ、いやん。あっあっ」
「大吉、いい加減にしろ。その人から離れろ。コノヤロ。コノヤロ」
「いや、ああ、もうだめ。ああ、ああんっ。ああ、ああ、ああーっ」
「大丈夫ですか?何があったんです?ベロがどうかしてそこがどうにかなって、え?え?」
「い、いえ、大丈夫です。少しくらっとしただけです(^-^)」
なぜジャルジャルが勝てなかったのか、ずっと考えていてようやく答えがわかりました。今さらでしつこいですけど。シュールだったとか、感心させてしまったとか、じゃないんですよ。
https://gyao.yahoo.co.jp/player/11153/v00019/v0000000000000001448/?auto=1&rep=2
見てビックリした、というか逆に腑に落ちたんですけど、「面白いかはともかくとにかく練習量はすごい」みたいな評価ありましたよね。あれ完全に的外れで、実はあの漫才は半分アドリブらしいですね。(9:30あたり〜)
要するに本当にあのゲームをあの場で半分ガチでやってるそうです。もちろんオチとか大事なところは仕込んであるんでしょうけど。
本当に凄すぎる。でもそうなんやろな、とすごく納得します。そういう奴らなんですよね、彼らは。で、これが敗因とも関係しているわけです。
ジャルジャルの漫才に何が足りないか、というと、ツッコミです。もっというとツッコミの深さ、というべきかもしれません。
どういうことかというと、この漫才の面白さのキモは二人のアホさなんですよ。こいつらどんだけしょうもないことやってんねん、ほんまにアホやな、と見ている側が心の中でツッコんで、初めて本当の面白さが湧き上がる仕組みの漫才なんです。
だから、初めにそれを共有できない人は大して面白さを感じられないわけです。
で、そこで必要なのがツッコミなんです。確かに形の上では、後藤がツッコミをしています。しかし、このツッコミは福徳のしょうもない遊びに乗っかった上でのツッコミになっています。こういう遊びを面白いと思う、というところはすでに二人で共有されてしまっている。そこに対するツッコミは省かれています。多少は最初にあるんですが足りない。まあ、足りないのは「わからない人にとっては」ということで私を含めて、多くの人はそこに共感できているわけで、だからその後のやり取りが全部めちゃくちゃ面白い、と感じられるわけです。しかし、わからない人には誘導してあげる必要がある。それが漫才におけるツッコミの役割です。
他の漫才で一番近い面白さの種類の漫才はおそらく笑い飯でしょう。笑い飯の漫才も一つ一つのボケがどうこう以前に、この二人がアホすぎて面白いわけです。ボケを競い合う、ということも含めて、ボケの種類も全てくだらなくてしょうもなくてアホすぎる。うまい、とかではない。そこが面白い。しかし、笑い飯の漫才にはほとんど必ず一個一個しっかりとしたツッコミが入ります。ボケた後、きちんとツッコンでから、変われ、とボケが交代する。この間のツッコミで一旦、普通の感覚に戻してくれる。だから次のボケでまたしっかり笑えるんですね。
一方、ジャルジャルの場合は、ほとんどツッコミがない。あるとしても、アホな二人のやり取り上でのツッコミで、普通の感覚にまで届いていない。もちろん、ついていけない人にとって、という意味です。ついていける人はツッコミは不要だし無い方が面白い。そう考えると、この場合、漫才というよりはコントに近いとも言えるかもしれません。アホな二人の漫才のようなやり取り、というコント。そう考えると「面白いと思えない」ということは「コントの設定についていけなかった」と言い換えることもできるでしょう。そういう人にはシュールに見えたのかもしれません。
しかし、じゃあ、これは漫才ではないのか、シュールなコントなのか、というとそれも全く違うわけです。上に書いたように、これは練りに練られたネタではなく半分アドリブなんです。つまり、これはコントというより、素の二人が単に人前で喋っている、という形に近い。言ってしまえば、本来の漫才、面白い二人が人前でただ面白いことを話す、という漫才そのものとも言えます。では、何が距離感を感じさせるか、というと、この二人の元々のアホさ、なんですね。この二人はおそらく、学生の頃からこんなことばっかりやってたんでしょう。面白いことを思いついた。で、二人でやって二人で面白がっている。ほとんど他のお笑いの影響を受けることなく、ただただ自分たちの面白いことだけをやっていた。いくつかのインタビューを見てもおそらくそうなんだと思います。そういう非常に独特な出自を持つ芸人なんですね。そのような芸人が、自分たちが面白いと思うことを、あまり説明無しで人に見せる。そうすると、普通の人はついていけない。アホすぎるから。なんでそんなことをやりたいと思うのかわからない。これって、多分実際に学校とかでもそういう状況ありますよね。要するにそういうことがMー1の舞台で起こってしまったのだろう、というのが結論です。それは審査員も含めて。特に関西人以外には、文化的に理解しがたいものがあるんじゃないか、というのは大吉先生のラジオでの解説なんかを聞くと思ってしまいます。
しかし、松本には大いに受けた。インタビューを見ていると、ジャルジャルは近年の芸人の中ではダウンタウンの影響をほとんど受けていない稀有な芸人です。それが、逆にダウンタウンに評価される、というのは不思議でもあり、むしろ当然とも言えます。そもそもダウンタウンの笑いって身内の面白さを強引に世間に広めた、というものでもあり、根っこの感覚はほとんど同じものがあるのではないか、と想像します。
だからと言って、ジャルジャルはどうしたらよかったのか、というと難しいですが、もう少し受け入れられる層を広げるとしたら、後藤が初めは福徳の発想についていけない、なんでそんなことせないかん、という部分をもう少し多くして、徐々に面白さを感じ取っていって最終的に一緒になってハマっていく、という構造をとってあげれば、かなり多くの人を巻き込めた可能性はあると思います。あるいは、もう一人、傍観者としての軽めのツッコミがあっても良いのかもしれません。お前ら一体何してんねん、という程度の。そうなると、構成として近いのはネプチューンかもしれません。ホリケンと泰造が好き勝手やっているのを離れてツッコム名倉。最終的には名倉も一緒に巻き込まれてしまう、というようなネタが多かった気がします。そうなるとわかりやすいと言えばわかりやすいですけど、ジャルジャルの良さは半減してしまう気もします。
THE MANZAIのネタもそんな感じでしたよね。お互い自己紹介で張り合うというアホさの上に、どんどんアホさが積み上がる形式の。
2年前のネタは笑い飯形式でわかりやすかった。ので、一位通過でしたね。2本目も同じパターンだったのでインパクトが少なくて負けてしまいましたけど。正直、あれがジャルジャルの漫才の完成形だったと思います。程よいシュールさを漫才形式に作り上げる、という。それを一度捨てて、新たにより本来の漫才に近い形で自分たちのセンスをぶちまけるネタを作り上げた。本当に凄すぎる。しかし、残念ながら受け入れられなかった。一体どうしたら良いんでしょうかね。
まあ、もう勝たなくても自分たちの好きなことを思う存分やってくれるだけで良い気もします。どうせ世間には受け入れられないんですよ、こういう人たちは、と変な共感をしてしまいます。
憲政史に残る激動の2週間だったと思う。
新党ができたと思ったら、また、新党、勢いも日毎に変化している。
ところがなかなか・・・読みながら、政治家たちの顔が思い浮かぶことも多々あり
(↓立候補者数の多い順↓)
頼れる大木のような人
苦難に遭っても着実に発展し、晩年は安泰です。それまで積み上げてきた実績が実を結び大きな成果が表れます。
誠実で人情味があり、他人から信頼されます。晩年には地位と名声を手にするでしょう。
女性は特に吉運で、才媛・良妻賢母となる画数です。家庭運、子供運、健康運に恵まれ豊かな晩年を送るでしょう。
36画 凶
『苦労 波乱 面倒見がいい』
波乱に富み、平穏には人生を送れません。鋭い先見性と直感力があり、
社会的な成功を手に入れることもありますが、詰めが甘く失脚してしまいます。
家庭的には恵まれず、孤独な晩年でしょう。女性は晩婚の傾向があります。
義理人情に厚く、人の世話をよく焼き、損と分かっていても一肌脱がずにはいられません。
29画 特殊画
『厳格 才能 完全主義』
人並み以上の才能と感性
金運、財運、健康運に恵まれ、努力を惜しまなければ、豊かな晩年が約束されます。
才能におごらないことが大切です。
ただし、女性の場合、パートナーによっては不運をもたらされたり別離があるなど凶数となります。
思い立ったことを独断で次から次へと行動に移していき、周囲との調和が望めません。
他人をあまり批判しすぎると援助者を失います。特に女性は自分の非を認められず、
ヒステリックになりやすいので注意が必要です。男女とも寛容になれば運が開けるでしょう。
41画 吉
『温和 安定 実り』
温厚な人柄が成功を呼ぶ
若い頃から活躍出来ますが、30代以降に脚光を浴び、成功していくでしょう。
人脈を広げるほど活躍が期待出来ます。晩年も豊で安定しています。
賢明で判断力にもすぐれています。また、人望もあるので、人の協力を得ることが出来ます。
ただし、頑固な性格で、人の意見や貴重なアドバイスを聞き入れずチャンスを不意にすることも。
ひとりよがりには注意を。
22画 凶
破産や思いがけない病気、事故などに遭いやすく、年をとってからの運が下降します。
多くを望みすぎると幸せになれません。
見栄っ張りなところがあり、ハッタリをきかせるのが得意ですがうまくいきません。
あれこれ手を出さずに的を絞ることが大切です。
犯罪に巻き込まれる暗示もあり、対人関係には十分に気をつけましょう。
43画 吉凶混合
『浪費 非現実的』
能力を活かしにくい運気
強情で少々偏屈気味な性格のため人の忠告は聞く耳を持たず、自分本位です。
さらに計画性に乏しく、他力本願なところがあり、希望が叶いにくい運勢です。
忍耐力を養い、見栄を貼らず、自分の身の丈にあった計画をたてましょう。
また、周囲の助けを期待せず、なにごとも自力でやり遂げましょう。
(↓参考↓)
26画 凶
『波瀾万丈 衝突 不安定』
持ち前の個性や才能をうまく活かせれば、成功を手にすることが出来ますが、一生を通じて幸運と不運が極端に現れます。
家庭・仕事・財・健康運の全ての面で浮き沈みが激しく、家庭運ははかない暗示があります。
子供のことで悩まされたり、夫婦間にトラブルが発生し孤独と辛労を味わいます。
非凡な発想で事業を成功させる人もいますが、ワンマンで冷酷な面が周囲に受け入れられず全てを台無しに。
波乱傾向です。傲慢(ごうまん)になったり、周囲と衝突したりで人が離れていくかもしれません。
20画 凶
『社交下手 薄幸 別離』
度重なる不運で厭世的(えんせいてき)
幸せを得がたいために世捨て人のように生きる人も。精神世界に没頭するでしょう。
努力家で働き者ですが、空回りが多く、実を結びません。
お人好しで、騙されやすく、成功しても次につないで行くのが下手なタイプです。
ギャンブルなどで借金を作り夫婦別離、一家離散など物事が円満に運べない恐れがあります。
気持ちが落ち込むと、身近な人をも避けるように。
定期的に聞く話なのですが、私にはいまいちよく分かりません。
そもそも理解や納得や反論をする以前に、前提の共有が足りていない気がするのです。
お時間がおありでしたらお答えください。
ここまで読んだ時間返せと言われても、私は神様じゃないから無理ですサーセン
たとえばここに「大吉1% 中吉10% 吉39% 末吉39% 凶10% 大凶1%」のクジがあったとして、どこから上が運が良かったとなるのでしょうか?
凶より下を引かなければラッキーと考えるか、中吉より上を引けなきゃラッキーとはいえないと考えるかであまりに大きな開きがあると思うのですが?
その中でも、自分が特に生まれたかった国を教えてください。どういう基準で生まれたらラッキーと言える国を決めているかの指標になります。
また、そこで生まれたら日本に生まれるよりちょっとだけラッキーかなぐらいの国も教えてくれると助かります。日本をどのぐらいの位置と捉えているかが分かります。
夏になり、もうすぐ8月になろうとしている。多くの商業施設が沢山の来場客を見込み、また期待に胸を膨らませるのはゲーム業界も同じである。携帯端末の普及により、顧客(となりうる人たち)が増加し、今まででは考えられないスピードで新たなゲームたちが生まれ、その速度と同じくらい飽きが生まれ、開発企業、ゲーマー共に「新しい」ゲームを求めている。
ここに寄稿するのは初めてだが、この状況は書くべきだろう。いいや、書かなくてはならない。DMMについて。
「擬人化された女の子たちと戦うゲームは?」と、聞かれれば、まず最初に思いつくのは「艦隊これくしょん」であろう。2015年にサービスが開始されたこのゲーム、旧帝国海軍艦船を擬人化し、その彼女たちと一緒に自身は「提督」として、海に乗り出し戦うものである。サービス開始後物凄い勢いで人気が上がり、現在では多くのプラットフォーム、媒体を通して発展した結果となった。特に戦艦や軍事に興味がなく、なんとなく始めたと言う人も、その可愛さやゲーム性から、軍事や歴史が好きになったと言う人たちも多い。
擬人化を通してその先にあるものをプレイヤーに見せた功績は、高く評価するべきだろう。
しかしこれと同時に、DMM含め多くの開発側は知ってしまった。擬人化の力を。
では今、彼らが次に女の子にしようとしているもの、それは何だろうか。神社である。
神社と言えば日本には馴染み深く、その神々の歴史は建国まで遡る。初詣や七五三も神道のイベントであり、仏教と共に日本人の生活に根付いている。
そんな神社神道をターゲットにした"例の"ゲームサービス発表は、今年3月に行われた。
「社(やしろ)にほへと」と称されたそのゲーム、ゲームの内容としては、日本中の神社の建物(この建物であると言う点が重要。)を女の子にして、よくわからないものたちと戦う、と言う設定だ。
筆者も公表がされたその日に、事前登録を済ませ、正式サービス開始を楽しみにしていたが、正直そのとき思った感想が「そう来たか。」である。
艦これの前例の様に、上手く行けばもっと多くの人たちに神道に興味を持って貰える、今回は実際に存在している場所なので、ファンたちが聖地巡礼として実際に多くの神社を参拝してくれるかも知れない。そう個人的には期待していた。他の事前登録者たちも、今までにない宗教を対象にしたゲームである事に様々思いつつ、運営の次の出方を待っていた。
しかし、私たちは突然、何の説明もなく、運営に待ったをかけれる事になった。
事前登録を済ませた待機者たちには、「事前登録おみくじ」が引けるようになっており、それぞれには初期メンバーの女の子が割り振られており、一日一回ランダムで大吉から凶までのおみくじが引けた。最初暫くはまだ安定して引けていたが、4月25日から、今まで行われていたおみくじが全てストップする。
Twitter公式アカウントによると、「不具合」が、発生したようである。筆者はそのような企業システムに詳しくないので、勿論最初は「ああ、いろいろスタートアップっで忙しくなって、改善の為に一度止めたのだな。」と、思った。プレイヤーも始まったばかりの企画のそのような自体の発生には慣れているので、特に大きく騒ぐ事なく復旧を待っていた。しかし、不思議、いつまで経っても治らない。そろそろプレイヤーも不安になってくる。
この当たりで、匿名掲示板等である噂がささやかれ始める。それは、「神社側の許可を取っていなかった。」と言うものである。
有り得ない。そんな馬鹿な。そうかも知れない。様々な意見が飛び交う中、公式からは何の追加情報もない。そして、筆者も思うようになった。本当にそうかも知れない、と。
最初の匿名掲示板の、このゲームのスレッドが立ってから、今現在までも書き込みは続いている。はっきり言って事実だと断言できる答えはない。しかしながら、運営は何かを隠している…。大型アップデートのサプライズにしては不自然過ぎる。
無許可説浮上については、全くの事実と証明する事はできないので、その疑念があくまでも仮説として話を進めていく。
もし企業側、開発が、本当に神社本庁及び初期メンバー対象の神社に何の許可、趣旨の伝達、商業的利用の許可を取っていなかったとしたら、これは大変な事である。将来的に初期に約束した通り正式サービスに移行できなかったとしても、その神社をキャラクタとして使うのだから、ひと言あって当然だ。事前登録した人たちも、そのゲームの将来性に期待して柱の一本になったのだから、開発続行が危うくなりそうな事態が起これば、Twitterなり公式サイトなりで事情を説明するのが当たり前である。新着ゲーム一覧から消したりYouTubeの公式PVを非公開にしたり、そう言うみみっちい事は素早くやったのに、するべき事はしない。それでいてTwitterアカウントは残したままと言う謎である。
擬人化の手法は、受け手に取ってはとてもわかりやすい。なにせ自分と同じ人間のひとりになるのだから、会話もできるし、感情移入もし易い。又、擬人化の対象も限定しない。石ころもできるし、車からビル、太陽系外惑星もできる。しかしながら、ひとつ絵を書いて名前をつければ、「かわいい。」の原理の前にもう何も考えなくて良い。そして、今回のこの事件は、森羅万象美少女化主義の事故だと考える。事態の進展は全くわからないが、最早ここまできて正式サービス開始したら、間違いなくDMMは神の民間企業である。彼らの前に吸収されない物事はない。
ポンと結論を書く終わり方にはできなかったが、皆様には筆者と共に、事の成り行きを見ていて欲しい。行き止まりまで行かないと、自分が袋小路を進んでいた事すらわからない場合もあるから。
自分の名前の字画を調べると、どのサイトでも「大吉」と出るので、
「へー、ちゃんと考えてつけてくれてたんだなー」って感心したけど、
下の兄弟2人は吉とか凶なので、
これは自分たちと両親の関係が良好なので好意的に解釈できてるわけで
たとえ自分が凶であったとしても
自分、子どもはいないしそもそも結婚もしてないけど、ペンネームが漢字で姓名あったので、そのときに姓名判断サイトを見た。
そのとき、自分のペンネームは「大凶とはいわないもののあんまり良くない運勢」だった。なのでわかった当時は、字を変えようかなと思った。ただ結局変える機会を逃し、そのままにして18年ほど。
そして今、「字画も良くないらしいし、今までと別の分野で活動するならペンネームも変えるか」と思い、久しぶりに姓名判断サイトを開いて名前を考える。その前に試しに自分のペンネームを入れてみたら…。なんと大吉。仕組んだくらい全ての箇所が大吉。18年前のあの迷いは何だったのかと。
――と、それを見て思ったのは、この手のものを信じすぎてもしょうがないな ということ。いくらそこで練りに練って名前を考えても、意味がない。字画の考え方もどうせ時期によって変わる。
ペンネームの場合はそれを見て自己暗示的に行動が左右されることもあるかもしれないが、赤ちゃんの名前なら本人が意識する頃にはどうせ姓名判断の考え方なんて変わってる。そんなのより響きが良く、本人が自信を持って名乗れる名前にした方が良いと思う。
どうしても気になるというのなら、とりあえず「最悪の運勢は避ける」程度でいいのではと思う。運勢が悪い名前だと思っていると、親の気が滅入ってしまうので。