はてなキーワード: 基準とは
Xでは、コミュニティノートという、投稿に背景情報を付加できる仕組みが運用されています。特に、デマや陰謀論に対してコミュニティノートが付与されているのはよく見かけられます。
ノートは、コミュニティノートの参加者として登録した人が匿名で(正確にはコードネーム制で)ノートを書いたり、他の人が書いたノートを評価する仕組みがあります。
コミュニティノートに参加してノートを書くための敷居はそんなに高くないので、的外れなノートやイタズラが書かれることもあります。
そのようなノートは評価者から低評価を受けるため一般ユーザーに表示されることは滅多にありません。ノートが適切に評価されるように、コミュニティノートは「追加の背景情報が必要ない理由を説明するノート」を書く機能があります。これは、要するにノートに対する反論です。不適切なノートに対しては誰かが反論を書いておくことで、通りすがりの評価者がノートを正しく評価するのを手助けします。
ノートは、根拠となるURLを示すことが推奨されています。反論においてはよくあるのは、
「~~のような指摘はコミュニティノートの目的ではありません。コミュニティノートではなく返信や引用で指摘してください。コミュニティノートのルールを再確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction 」
のようなものです。定番なのは、パクツイ(無断転載)に対して「無断転載です」というコミュニティノートが付くと、「無断転載の指摘はコミュニティノートの目的ではありません」という反論が付きます。
この記事で言いたいのは「いや、コミュニティノートのルールにそんなこと明記されていないよ」ということです。
コミュニティノートは反論も含めて文字数制限が厳しいので、主張をこの記事にまとめました。これを書いた人はこの記事を適宜引用して利用しますが、もちろん、他の人も自由に引用したりリンクしたりできます。
コミュニティノートの根幹は「さまざまな視点を持つ十分な数の評価者が“役に立った”と評価したら、そのノートは表示される」ということだけです。
コミュニティノートのドキュメントは、どのような観点で評価すべきかということに重きを置いており、評価者によって意見が分かれることが大前提となっています。
評価者の意見によらず、「こんなノートを表示すべき」「こんなノートは表示しないべき」という具体的なことは、コミュニティノートの公式ドキュメントにはほとんど書かれていません。
ですから、コミュニティノートのドキュメントのURLを出しながら、「コミュニティノートのルール」を根拠にノートへ反論するのはごく一部の例外を除けば間違っています。書いていないことを書いてあるかのように見せかけて引用するのは悪質な印象操作であり、適切な評価を妨げてしまいます。
ノートへの反論は、あくまで自分の言葉で、コミュニティノートのドキュメントに頼らずに行うべきです。ノートが表示されるかどうかを決めるのは、ルールではなく、評価者の意見です。
ここからは、上記の主張を補強するために、コミュニティノートをどう評価すべきかについて、コミュニティノートの公式ドキュメントに実際には何が書いてあるのか説明します。
意外なほど、どんなノートを評価すべきかについては明記が避けられています。書かれているのはあくまでコミュニティノートの「目的」であって、その目的をもとに個々のノートを評価するのは評価者の仕事です。
ただし、ドキュメントを全部読むと分かりますが、一部例外的に、不適切なノートについても言及があります。そのようなノートに対する反論を書く時だけは、ルールのURLを根拠としてもよいでしょう。(この記事最後のまとめを参照してください。)
コミュニティノートは、誤解を招く可能性があるポストに、Xユーザーが協力して役に立つノートを追加できるようにすることで、より正確な情報を入手できるようにすることを目指しています。
ノートの中身に言及されました。評価者は「役に立つノート」かどうかを評価することが求められています。
また、「誤解を招く」という用語が登場しました。この用語はXのインターフェース上などでも使われており、コミュニティノートの対象として「誤解を招く可能性があるポスト」が想定されていることが分かります。
ただし、注意しなければならないのは、「誤解を招く」かどうかの判断もまたノートの評価者に委ねられるということです。どのようなポストが誤解を招くとみなされるべきか、コミュニティノートのドキュメントには明記されていません。
「陰謀論は誤解を招く」、「無断転載は誤解を招かない」のような区分けはコミュニティーノートのドキュメントに一切書かれていません。個々のケースに応じてそれを判断するのも評価者の仕事のうちです。
つまり、「この投稿は誤解を招いていないのでコミュニティノートは不要です。コミュニティノートのルールを再確認してください」のような反論は不十分です。反論は、他の評価者が「これは誤解を招いていない」と納得してもらうのが目的であり、コミュニティノートのドキュメントはその根拠になりません。
Xがノートの作成や評価を行ったり、ノートに介入したりすることはありません(Xルールに違反している場合を除きます)。Xでは、表示されるノートをユーザーの意見によって決めることは、正確な情報を入手するのに役立つ背景情報を追加するための公平で効果的な方法であると考えています。
Xがノートの評価を行うことはないと書かれています。もちろん、評価という実作業とルール整備とは別のものですが、ここでも「表示されるノートをユーザーの意見によって決める」ことが強調されています。
「○○のようなポストに対してはノートは不要」といった基準をXの側で用意していないことを示す記述です。どんな内容の投稿であっても、評価者がノートが必要と判断したのであれば、ノートが表示される可能性があります。
Xでは現在、人々がさまざまな視点から役に立ち、参考になると考える背景情報を、コミュニティノートが確実に提供できるようになることに焦点を合わせています。
コミュニティノートは、さまざまな視点からユーザーに有益で役に立つ背景情報を提供するために作られており、Xのその他のポリシーやルールを補完することを目的としています。
コミュニティノートの目的はさまざまな箇所で繰り返し説明されています。
コミュニティノートの理念を説明するページであり、特にノートの評価にあたって参考になるページです。
コミュニティノートは、ポストを読んだユーザーが、常により優れた情報を把握できるように、有益な背景情報を提供することを目指しています。ノートは、取るに足らない内容を気軽に投稿したり、個人的意見や侮蔑的な内容を投稿したりする場所ではありません。ポストについてや、それが誤解を招くかもしれない理由について、自分とは反対の意見を持つ人々も含め、誰もがより深く理解できるように、明確で根拠に基づいたノートを作成しましょう。
この箇所は、珍しく不適切なノート内容に言及されています。「取るに足らない内容」は結局評価者に委ねられるのでさて置いて、「個人的意見や侮蔑的な内容」についてはノートとして適切ではありません。このようなノートに対する反論としてなら、コミュニティノートの理念を引用することができます。
「個人的意見」の逆は、「客観的事実」です。そのため、客観的事実をもとに指摘しているのであれば、そんな指摘はコミュニティノートでしなくていいと思ったとしても、コミュニティノートの理念を引用できません。自分の言葉で反論すべきです。
コミュニティノートは、異なる視点を持つ可能性のある人々も含め、あらゆる人々がポストで議論されている問題について、より深く理解できるようにすることを目的としています。あなたの意見に同意しない可能性のある人々にも、有益性と敬意を感じ取ってもらえそうな投稿を心がけてください。ヘイト表現、中傷的表現、扇動的表現は避けてください。
ここでも、「ヘイト表現、中傷的表現、扇動的表現」がノートにふさわしくない内容として言及されています。このようなノートに対する反論としても理念を引用することができます(ただし、ヘイト表現などはXルールにそもそも違反するため、ノートに反論するよりもノートを報告してしまうほうが適切かもしれません)。
対象のポストが誤解を招く可能性があり、追加された背景情報が事実の理解に役立つとノートで主張する場合、そのノートが十分な数の協力者により「役に立った」と評価されると、対象のポストに表示されます。
コミュニティノートは、Xで誤解を招く可能性のある情報に遭遇したユーザーに、役に立つ背景情報を提示することを目指しています。
役に立つノートと役に立たないノートの特徴が列挙されています。また、例も掲載されています。
役に立つノートの特徴は「品質の高い資料を引用している」などで、役に立たないノートの特徴は「出典が含まれていないか、信頼できない」「情報が正しくない」などです。
一見すると、どのようなノートが必要・不要なのか明確に書かれているようですが、注意すべきことがあります。
これらの特徴は、評価UIのチェックボックスの内容そのままです。つまり、これらはノートの評価基準であり、逆に言えば評価基準でしかないということです。実際にノートの表示・非表示に繋がるのは、これらの基準に従った個々の評価者の評価です。
ですから、やはりノートの反論に根拠として使えるページではありません。例えば、こんな反論は反論になっていません。
「このノートには誤った情報が含まれています。情報が正しくないノートを書かないでください。コミュニティノートのガイドをご確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples 」
ここでコミュニティノートのガイドのURLを根拠にされても、意味がありません。その評価基準はもうUIに書いてあるので分かっています。それよりも、なぜ情報が正しくないのか、そちらを反論に載せるべきです。
これは極端な例でしたが、このようにコミュニティノートのガイドのURLを使って反論しても、評価基準を説明しただけで中身のない反論となってしまいます。
反論ノートに求められているのはさらにその先で、「評価基準に照らして、なぜそのノートを低評価すべきなのか」をきちんと説明することです。
コミュニティノートのガイドの全てのページを見ても、どのようなノートが適切か、適切でないかの具体的な説明は限られています。理念のページで以下の内容が不適切とされている以外は、すべて目的の説明や評価制度の説明です。
よって、コミュニティノートに対して、以上の内容に当てはまらない反論を行いたい場合は、「コミュニティノートのガイドをご確認ください」のようにコミュニティノートのガイドを根拠とした反論はできません(したとしても、中身のない反論になってしまい意味がありません)。
そうではなく、なぜそのノートが役に立たないのか、ルールに頼らずに説明する必要があります。
この記事に対する反論がされることもあるようなので、コメントします。
当たらない反論です。この記事は「誰が書いたかに関係なく、内容を読めば分かる記事」です。
この記事を使う人は、「この記事があるという事実」を根拠に使うのではなく「この記事に書かれている内容」を根拠に使います。
そのため、誰が書いたか分からないことは反論になりません。この記事に対して反論するのであれば、この記事の中身に反論する必要があります。
映画は現地のドラマを日本向けに再構成されたやつなので違和感ある箇所は色々と編集されてるのかなとは思うけどそれにしても映像演出も含めて原作アニメの完全コピーになっていたのはたまげたなあ。
めちゃめちゃ感動したのは初めてボルテスで出撃するときにお母さんが司令室の小上がりを指差すシーンここが原作のトミノ演出完全コピーでダメだった。
それでもアニメとだいぶ違う箇所はあったので気になったから思えてる分だけ書き出しておくよ(特に2話)。
2話の冒頭でお母さんがお父さんの墓参りのシーンは完全カット。
戦闘になってしまってお母さんが急ぎ駆け足で基地に戻るシーンは何故か護衛付きの車で帰ってる。
その間司令官はどうやってかベースから基地に移動(バリアどう抜けたんだ…)そのあと何故かテレワーク(なにこれ…)。
お母さんはバリヤーが貼ってあるので入れないけど原作だとバリヤーがちょっと割れてそこから救出にいったはずだけど最後までバリヤーは壊れないので謎のまま。
原作では救出後すぐに病院に移動して服を着たまま緊急手術だったけど医務室に変更されていた。
原作では手術中にバリヤーが完全破壊されて病院(基地内にある)の天井が崩れてスタッフ全滅するも母親は何故か無事(手術中なのに)。
その後ボルテスのピンチを救うため戦闘機で出撃するシーンで原作だと基地の前の滑走路のエレベーターから戦闘機がせり上がってくる演出だったのにこれもタラップをのぼっ普通に離陸しててがっくし…というか戦闘機がJ-20っぽいのはなぜなぜなーぜ(自主規制)。
他はまあまあ原作どおりなのでお母さんに関わる部分ばかりだいぶ歴史改変がめだった気がする(司令室になぜかクリスベクターもった兵隊がわさわさいるのも意味不明だったが…)。
今の基準だと超展開シナリオとか言われちゃうんだろうけどアニメの原作準拠なんだからSNSの超展開シナリオ警察の活躍が楽しみだなあ。
ナチスが出てきたからといって卍を使うなという論説には断じて反対する
ナチスやロシアのせいで、本来一般的かつ豊かな用法があり得る「卍」や「Z」に変な意味合いが付与されてるのも迷惑な話で、むしろその変な色を払拭するために全然違う文脈でガンガン使っていきたいものです。
和ゲー等日本製品がアメリカに向けて文化的な側面のローカライズが多く施されるのに、日本へはアメリカ製品がそのまま来るみたいなのマジで嫌。たかが一国に一方的な忖度を強いられてないか。
なんでアメリカ基準で考えなきゃいけないんだ 金を落としてくれる層が意外と多いのかね
こんなん「知らね~~~」つって使い続けるのが正解よ。みんなが遠慮してると本当に相手の物になっちまうんだから。ロシア軍のZも最初に気を使っただけで、もう誰も気にしてない。ロシア軍はZの私物化に失敗した。
ここは日本だ /英語圏とアメリカを混同するな /文脈でわかるだろ
アメリカの事情になんでもかんでも忖度しすぎるなよ。別マガもヤンマガも昔からあるだろう
「MAGA」という四文字を一地方の一ムーブメントに献上する必要はないし、自由に使えばいいと思う。アメリカ人にこそ世界の広さを教えてやるべき。
国内の雑誌メディアに「MAGA」の語を使うのはかなりよくあることなので、トランプ陣営と結びつくイメージはほとんどの人が感じないのではないかと思う。
ここら辺のコメントを見てるとANYCOLORという会社が若干勘違いされていると感じたので補足する
例えばにじさんじENで「NETTAI TOKYO URANAI YOCHIEN」みたいなユニットを作った時に
略称を「NETOUYO」にするのに諸手を挙げて賛成する人はあんまいないでしょ
わざわざにじさんじが「NETOUYO」の意味を塗り替えていこうなんて無駄な労力に感じるよね
そういう話なんだ
何故ANYCOLORが日本で勘違いされるような名称を使わない事とアメリカで使わない事が同じになるかと言うと
例えばにじさんじのJP勢は登録者数100万人超えが7人いるけどENだって2人もいる
逆にJPのChroNoiRもアメリカ向けにライブ配信をやっていた
ANYCOLOR MAGAZINEで今後EN勢の特集をしたり
それくらいANYCOLORは英語圏での会社でもあるから英語圏の活動を日本の活動と同じように考えた方がいいと思う
まぁ日本の活動と同じって思った上でNETOUYOもANYMAGAもどっちもやっちゃうのもアリかもしれない
残念ながら、高市さんがGPZ400Fに乗り換えなかったという具体的な理由は、公の場で発表された情報や、信頼できる情報源による裏付けのある情報が見当たりません。
考えられる理由としては、以下のようなことが挙げられますが、あくまでも推測の範囲です。
車両の選定基準: 高市さんが車両を選ぶ際に、GPZ400F以外の車両が、自身の利用目的により適していると判断された可能性があります。例えば、通勤用であれば燃費や取り回しの良さ、長距離ツーリングであれば積載量や快適性などが重視されるでしょう。
個人的な理由: 健康状態、ライフスタイルの変化、経済的な理由など、個人的な事情により、バイクの乗り換えを検討しなかった、あるいは別の車両を選んだ可能性も考えられます。
情報公開の有無: 高市さんの私生活に関する情報は、全てが公にされているわけではありません。バイクの乗り換えに関する情報は、プライベートな範囲として公開されていない可能性もあります。
周りの変化を見て思ったことがあるので書く。
俺は今年で21になる大学生なのだが、恋愛の基準が「好き」から「性欲を求める恋愛」に大きく変わった肌感がある。
それこそ高校生の頃は「可愛い」とか「一緒にいて楽しい」とか、もちろん「ヤリたい」も中には含まれていたけれどあくまでもヤッているの母体数が少なくて天の上の話だった。
それが大学生になると大きく変わり、性交渉の機会が目に見えて多くなった。
友達と会えば「ヤった・ヤらない」の話になり、彼女と過ごした夜の経験談もよく耳にする様になった。
サークルや授業などの人間関係も男女問わず「この人とは体を許せるか」がボーダーラインとして引かれ、そうでないものは炙れているような感覚に陥る時がある。
そんな「恋愛が性欲中心の日常」に様変わりしたことで、そのことに苦しんでいる人も増えた印象だ。
具体的には女だったら「体を許し過ぎたことの弊害」、男だったら「性交渉のプレッシャー」になる。
性欲がどこかに潜み続ける日常を送っていると、恋愛と性欲の狭間がなくなっていく感覚がする。
これは特に高校は真面目だったけど大学に入りのまれてしまったやつに多いんじゃないかと思う。
恋愛と性欲を履き違えて、体を許し続ければ誰かに愛してもらえると勘違いしてしまった女。
周りが絶えず性の話をするからそのプレッシャーから本来の優しさを失ってしまった男。
そんな奴らがぽつりぽつりと現れては、ごちゃ混ぜにキャンパスライフを送っている。
特に一番悲惨だと思ったのが、それまで親しかった友達が性欲と恋愛を混同して短期間の交際を繰り返していたことだった。
もうあいつには「〇〇さんが好き」なのか、「ヤらせてくれないから嫌い」なのか、多分区別がついていない。
それこそ興味本位な性のペースや居心地の良さを含めて運命だというのかも知れないが、1人を大切に出来ないのに性欲だけを優先させようとする姿は本来の恋愛とかけ離れたものがあるんじゃないかと思ったりする。
この性欲至上主義な恋愛が終わりを迎える時は来るのか、とても不安になる瞬間がある。
「誰かを愛すること」って体だけじゃない良さがあると高校の時は思っていたのだが、これから生きていく社会では違うのだろうか。
ともかく誰とでも触れ合えてしまう「10代後半~20代前半の恋愛」は闇であり、きっと若気の至りとはこの間の期間を指すのだと納得した。
遊んでおくのか、はたまた寡黙に真摯に生きるのか。
単にこの絵はダメだと言うだけなら、そいつは何にでもケチをつける2ch脳なのかもしれない。この文章は下手で読み辛いと言うだけでも、読んでる側がアホなだけなのか区別がつかない。言及の対象が本当に程度の低いものなのかもしれない。程度って何だよって話だけど。
その辺も含めて、理由を並べない事には妥当性をもっともらしく明かせない。
専門家だから、プロだから、という権威で片付ける人も沢山いるけど。
なんで飛ぶかは知らない。でも現に飛んでる。それは多分理屈がある程度以上正しいことを何よりも示す。
じゃあ絵の出来が良いとかメシが美味いとかは何を見たらええねんっていう。
自然法則を明かすことと価値判断の妥当性の違い。妥当性なんてあるのかって話だけど。
こういう基準があって、それを満たせば程度を良いとする。基準がなければ始まらない。でもそもそもその基準自体が自明ではない。
まあ自分がどう思うかどうかが大事なんだろうとは思うけど。帰納的に「まあこういうのが良しとされるんだろうな」という感覚もあるけど、それだと基準の軸が多すぎていまいち明白にならない。
そんなもん無いとは思いつつ、真・善・美なるものの存在に期待しちゃう。それを求めて見極める能力の存在にも。じゃなきゃ年末の某格付け番組みたいなものも存在しないだろうし。
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。
以下は、ブラジルによるX(旧Twitter)禁止に対する反応を肯定派、否定派、その他の意見に分けた要約です。
.......................はてぶのブックマーク..............................
ある記事がセクハラに該当する理由を説明したら、同じように消された
そのことを愚痴ったら、セクハラ関係は敏感だから、そんな事するなよと突っ込まれて、この突っ込みにいいねが30近くついた
なぜ、セクハラの基準を具体的に書いたら、運営や他の人誰かの気に障るのか教えてくれないか?
相方曰く、セクハラの具体的ライン(内容的にはスパダリ意外話しかけることができない内容だとしても)を明らかにすることで、セクハラのアウトなラインを責めるやつが出てくるからダメみたいなことを言われたんだが、腑に落ちねえ
つか、それで処罰するなら、利用規約の禁止事項に「セクハラや暴言を誘発する行為―ーラインを明らかにすることなど」と書いておいてくれよ
この意見は、AI技術に対する反対意見の根拠に対し、現実的な反論を示そうとしていますが、いくつかの問題点や矛盾点が含まれています。
妥当な点:
著作権の問題が強化されたとしても、AIは法的に許可されたデータのみを使用して学習を続けられるという点は妥当です。多くのデータはパブリックドメインにあり、著作権の許諾を必要としない情報も膨大に存在するため、AI開発自体が止まることはないでしょう。
2. ② 追加学習しなくても真似できる:
AIは特定の作風やスタイルを再現する能力を持っており、許諾がなくても似た表現を作り出すことが可能であるという指摘も妥当です。AIが学習したデータベース内に似たスタイルが含まれている場合、追加学習なしでそれに近い結果を生成できる可能性はあります。
AIの導入が特定の職種に限定されることはなく、技術の進展により、クリエイティブな職業以外の分野にもAIが浸透するという点も現実的な見解です。AIの影響は幅広い職種に及び、クリエイティブ職だけを保護することは不平等感を生む可能性があります。
1. データの提供者に対する経済的インセンティブの過小評価:
「お金になるならと売る人が大量に出る」とされていますが、データ提供者に対して十分な経済的インセンティブが与えられない場合、データ提供が十分に行われるかは不確かです。高品質なデータの収集はAIの精度に大きく影響するため、単に「手間賃程度」で済むという考えは軽率かもしれません。
AIが類似した絵柄や作品を再現することが可能であるとしても、その際に著作権や倫理的な問題が浮上することは避けられません。特定の作風やアーティストの権利を無視してもAIが模倣可能であるという見解は、今後の法整備や社会的な反発を軽視しています。現実には、多くのクリエイターが自身の作品が無断で利用されることに対し反対しています。
3. ③の「特定の職業だけ守るのは不公平」という論点の曖昧さ:
AIの影響が広範囲に及ぶことは事実ですが、「クリエイティブな仕事だけ守る意味の説明責任」とする点はやや極端です。実際には、クリエイティブ分野でのAI利用は特に著作権や創作性に関わる問題が多く、これらの分野が特別な扱いを求める理由が存在します。全ての職業に対して同じ基準を適用することが合理的でないケースもあるため、こうした議論にはもう少し慎重な検討が必要です。
まとめ:
この意見は、AI技術の発展とその影響を認識し、反AIの主張に対する反論として一定の妥当性を持っていますが、倫理的問題やインセンティブの不十分さ、特定の職業の保護に関する議論の浅さが問題です。より包括的な視点からAIの進展と影響を捉えることが必要です。
そこでブス女なりに気づいた事を話したいと思う
1 とにかく素を出す
当たり前だが取り繕うと続かない
そりゃ多少見た目は綺麗にはしていくが
見た目で刺さるような人間ではない事は痛いほどわかっているので、個性で売るしかない、というか自分の個性が刺さる人を見つけるしかない
意外と何気なくした話で盛り上がったりするぜ!
盛り上がらなければ縁がなかっただけ、諦めよう
2 話は(つまらなくても)楽しそうに聞こう
全てにおいて自信がない私だが、喜怒哀楽と感情表現と笑顔だけには定評がある(気がする)
盛り上がるかどうかは、楽しそうに話を聞けるかにかかっているといっても過言ではない
とりあえず最初は楽しそうにしとこう!相手も緊張している場合が大半なんだから初っ端から面白い話なんてできるわけないのだ
175cmいや180cmがいいとほざいていた私だが
外見も性格も「嫌じゃない」が一番だと思う
私の中での決め手は「気になる所がない」こと
あとは「素を出して相手が受け入れてくれるか」
この2つが長く一緒にいられるかの基準だと思う
よく見られたくて取り繕って疲れて重くなって
学生時代70キロで彼氏が出来ないことで友達まで失い街中を歩くカップルは目で殺してた私でもなんとか大丈夫だったのでこの世は全員大丈夫絶対
・地方都市の40代独身無職精神障害者。手帳はもらえても障害年金は今の基準&自治体だと難しいっぽい。ていうか手続きが煩雑で引きこもりにはできるかできないかの確認すら無理。
・数少ない人生の楽しみは二次エロでシコること。マジメちゃんなせいで酒とタバコとギャンブルは苦手だからね~。だがそれもいつまで性欲が持つか。ロリとスカが好き。あと半ば惰性だがゲームアニメ。ペットは飼えない。
・わかりやすい政治的な望みは、簡単な手続きで十分な精神障害年金がもらえることだが、そういうことを直接訴える政党はいない。ふわっとした手厚い福祉を掲げられても、だいたい障碍者雇用(しかもパラリンピックみたいに身体障害中心)だの、社会復帰だの、俺は基準外のよくわからん仕組みだのに回される。
・最近一番怒ってるのはエロに対して世間がやたら厳しくなってること。特にロリ系。絵ならいいだろ。クレカ会社に対して誰か戦えよ。また、欲望充足を最優先とした広義のポルノ……たとえば暴力、俺スゲー、感動ポルノや皮肉表現にも、妙に倫理のカセをハメようとしてくる世間の流れもダメだ。クレカ会社以外にも、そういう正しさみたいなのを押し付けてくるやつらと国内国外問わず戦ってくれねえか。ゾーニングも極力すべきでない。
・一番ストレスなのは親が年食って頭の回転が遅くなり、かつ感情を抑えらず、しかもそれに開き直ってワガママになり、体調の悪い家族を墓参りに付き合わせたり、最近ネトウヨ的な動画を見出してること(俺みたいなクソを年金で養ってくれている恩と申し訳なさはドデカいがそれはそれとしてストレスがすごい)。
・最近国内でげんなりしてるのは統一教会と自民党その他政治家の繋がり。国外でげんなりしてるのはイスラエルとそれに対する欧米政府の支持が、会話が通じなそうな異様な強硬さがあって怖いこと。俺は反宗教だ。ボートマッチングサイトは公明党を一番に推してくるのをやめろ。親戚は神社のお守りとか送ってくるのをやめろ。天皇のカレンダーとか買ってくるのをやめろ。
・経済政策には意見はなし。大学で少し学んだが、何を主張する学派も説得力ある説明してるし、俺じゃ判断できねえやと思った。増税も減税も賭け。良い財政悪い財政は、俺の知識では結果論でしか言えない。
・少子化対策については諦め。非婚化・少子化の根本は、金のなさ以上に「十年二十年かけてじわじわ幸せや生きがいが得られる期待」と、「今後五年色々なものを犠牲にしなければならないし相当大変な不安」を天秤にかけて、前者を選ぶ方が減ったというせいだと思うし、これは価値観というよりイマ・コノ時の自分を犠牲にするのはダメという道徳観の変化だと思うので、道徳を前世紀まで戻す必要があると思うがこんなこと言うと叩かれるだけなので諦めてる。童貞の俺が偉そうに言える分野でもないし。短期的に直接利益があるものでもないし。
・あふれるほどのパンとサーカスをくれ。俺は社会へのフリーライダーだし寄生虫だしそこから抜け出す気もないが、それでもパンとサーカスはたくさんくれ。大谷やらアイドルやらは好きな人にはいいサーカスだろうが俺は興味ない。
・教えてほしいのは俺に近い考え方の政党というより、俺に都合のいい世界に近づけてくれそうな政党。考え方が俺に近くても、発言力がない政党なら意味が薄い(皆無ではないが即効性がなさすぎ)ので。ただ何議席くらいから国政に影響を与えられるか知らないので、その辺の線引きははてな識者に頼む。
https://ff14net.2chblog.jp/archives/61882227.html
でいわれるように「女性の見抜き方」がなぜアウトになったのか。
「ハラスメント行為」は、他者に深く精神的苦痛を与える言動を指します。基本的に「サービスアカウントの一時利用停止」以上のペナルティが科される、非常に重い禁止行為です。
これは、チャット(クイックチャット、マクロ、エモートなども含みます)、マーカー、コメント、名称など、すべての表現できる箇所において禁止されています。キャラクター名に関しては、姓名にまたがってハラスメントに該当するフレーズが形成されていたり、反対から読むと意味が成立するようになっていたりする場合などもハラスメント行為とみなされます。また、集団における行為の場合、関与した全員がペナルティの対象となります。
ファイナルファンタジーXIVで、ハラスメント行為と判断するガイドラインは以下のとおりです。
・その他、他者に深く精神的苦痛を与えると一般的に見なされている行為
https://support.jp.square-enix.com/faqarticle.php?kid=68216&id=5381&la=0&ret=rule
と書いてあり、厚生労働省の環境型ハラスメントの定義にはこう書いてある。
労働者の意に反する性的な言動により労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなどその労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることです。
一般的には意に反する身体的接触によって強い精神的苦痛を被る場合には、一回でも就業環境を害することとなり得ます。
継続性または繰り返しが要件となるものであっても、「明確に抗議しているにもかかわらず放置された状態」または「心身に重大な影響を受けていることが明らかな場合」には、就業環境が害されていると判断し得るものです。
また、男女の認識の違いにより生じている面があることを考慮すると、被害を受けた労働者が女性である場合には「平均的な女性労働者の感じ方」を基準とし、
被害を受けた労働者が男性である場合には「平均的な男性労働者の感じ方」を基準とすることが適当です。
https://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/dl/120120_05.pdf
これをゲーム内に当てはめると
プレイヤーの意に反する性的な言動によりプレイヤーの環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなどそのプレイヤーがゲームする上で看過できない程度の支障が生じることです。
となる。
「女性の見抜き方」の記事で言及されているのは女性であり、女性が被害者の場合、女性の基準で判断するとなる。
女性は一般的にスパダリでない男性からのデートの誘いをセクハラと判断しやすく、出会い厨と呼ばれる人は一般的に弱者男性が多いとされている。
https://note.com/beatangel/n/n037e20cb8ef2
そして人間は客観的に自己の判断や感覚を内省出来ない。具体的には「ある行為がセクシャルハラスメントか否か?は行為自体ではなく相手の属性に大きくバインドされる」という事を認識出来ないのだ。
2009年にニュージャージー州において女子大学生128人が、架空の男性プロフィールを説明されオンラインデート上でメッセージのやり取りをしたところ、「オンラインハラスメント」に対する女性の耐性の最も強力な予測因子は、架空男性の魅力と社会的地位であったという。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19030980
勿論オンラインだけでなく現実空間においても、このような「女性が男性の言動にハラスメントを感じるか否かの最も強力な予測因子は男性の属性である」傾向は示唆されている。アメリカにおいて平均年齢28.11歳の女性1277人に対して「見知らぬ人からの望まない性的注意を受けた事があるか?」「見知らぬ人からキャットコールや凝視された経験はあるか?」とのアンケートに加え、それが起きた時の相手の肉体的魅力・人種・年齢、場所、時刻等の17のコンテキストを提示した。そのうえで女性がこうした経験を心的外傷を伴うハラスメントとするか、楽しい体験とするか判断する主な要因は「肉体的魅力」「年齢」「人種」である事が判明した。
また別の研究では女性は医学生やロックスター等の職業的地位の高い男性による嫌がらせを想像したときの動揺が最も少なく、清掃員や建設労働者等といった職業的地位の低い男性による嫌がらせを想像した時に最も動揺する事が示唆されている。(David Buss & Jennifer Semmelroth 1994)
これらの研究をまとめて換言すれば「弱者男性は存在自体がハラスメントである」ということになるだろう。
https://note.com/beatangel/n/n357d72ea787d
所謂「非モテ男性」が彼女を作る方法又はセックスを獲得する方法はあらかた答えが出揃ってしまった。それは雑にまとめれば
・とにかく試行回数を稼げ
の3原則が基本となっているだろう。
したがって、当該記事は弱者男性によるデートの誘いを誘発しやすく、女性のゲームプレイを妨害するものとなるので、環境型ハラスメントに該当する。
むろん、ルールの妥当性自体を問う道もあるが、このようなことを言えば、反省されていないと判断され、さらに苛烈な処罰を受けることになる。
ジャニー喜多川氏による少年たちへの性加害問題を受けて、NHKが元ジャニーズタレントの起用を再開するにあたり、社会がこれを受け入れるためには、いくつかの重要な対応が求められるでしょう。以下に、そのポイントを示します。
1. 透明性の確保
• NHKは、元ジャニーズタレントの起用に関して透明性を確保するために、なぜその判断をしたのか、そしてそのプロセスがどのように進められたのかを明確に説明する必要があります。視聴者や社会に対して、単なる利害関係や人気による決定ではなく、公正で透明な基準に基づくことを示すことが重要です。
• NHKが被害者に対して敬意を払い、その声に耳を傾ける姿勢を持つことが重要です。被害者の立場に寄り添い、再起用の過程で彼らを傷つけないような配慮を行うことが求められます。また、被害者への支援活動に積極的に関与し、その姿勢を明確に示すことも効果的です。
• ジャニーズ事務所における問題を受けて、NHKとしても自らの内部でのハラスメントや不祥事防止策を強化する姿勢を示すことが大切です。再発防止に向けた具体的な取り組みや対策を講じ、その内容を公表することで、社会からの信頼回復を図ることが求められます。
• NHKは、公的放送局としての社会的責任と倫理観に基づいた行動が求められます。単なる視聴率や経済的利益を優先するのではなく、公共放送としての使命を果たすため、社会的な倫理や道徳観に基づいて判断を下すことが期待されます。
• 視聴者や社会の声に耳を傾け、その意見を反映させる仕組みを持つことが重要です。例えば、オープンな対話の場を設け、視聴者からの意見やフィードバックを積極的に受け入れ、対応を改善していく姿勢を示すことが信頼回復に繋がるでしょう。
• ジャニーズ事務所との関係性を見直し、適切な距離を保つことが重要です。特定の企業やタレント事務所に過度に依存しない、独立した立場を維持することが、NHKの信頼性を高めることにつながります。
これらの対応を誠実に行うことで、NHKは元ジャニーズタレントの起用再開に対する社会の理解を得やすくなり、信頼を回復することができるでしょう。社会的な課題に対して真摯に取り組む姿勢が求められる場面であり、これを怠るとさらなる批判を招く可能性もあるため、慎重かつ積極的な対応が必要です。
酷いと他人も削りたくなる人いるよな
それって教育なの?それとも自分と同じようにしたいの?みたいなさ
やってる本人も教育か人格攻撃なのかどっちかわからなかったりするし、教育の基準は時代でどんどんズレてきてるから難しいんだけどさ
とりあえずありがとうございます!っつって後で自分で言われたこと濾して共感出来るとこだけ入れてたら、相手の考えを察して行動する思考が身についたんだよね
さらに最近だと察した上に、自分の都合も上手に噛ませることも出来るようになって、けっこう楽になってきたんだ
すごい辛い時期もあったし、言われたことは許してねえけど、今楽になれたのはそういう辛酸を舐めてきたからと思ってもやっぱり許せねえもんだ
未だに殺意湧く
的な言葉を、みんなの「好き」を尊重しようね、という美徳程度にしか思ってない人って割といるのかもしれない。
個人の好みは大切にしたっていいんじゃない?イイものに対して屁理屈こねてケチさえつけなきゃな。みたいな、寛容に見せかけた傲慢さすらをも漂わせながら言う人間もインターネットで見た。
物事が理詰めで相対化されていった果ての虚無感に対して、タブー意識的なものでもあるんですかね。
これだけしか言わないのなら、鰹節からとった出汁をありがたがってウマイウマイ言ってる奴はバカ舌。と真逆にしたって全く問題なく成立するし。
何を基準にするにせよ、どれも自明ではないですよね。それはコンテクストによって形成されるものでも変わりはないですよね。結局感覚的な要素に頼らざるを得ないよね。っていう。
この程度の話題ならもう既にだいぶ相対化されつつある気はするけど。
え?元増田に既に書いてあるけど読んでなかった?
どういう基準で自分が投票するのかではなくて、自民党も野党も支持してない場合、どう選ぶのかを聞いてる
そんな難しいか?
確かに「物欲がない」とか「興味がない」と感じることはあるかもしれんけど、それって別に悪いことやない。みんながみんな、ショッピングで同じように楽しむ必要なんかないんやから。
まず、増田が感じてる「つまらない」っていう気持ちは、他の人と自分を比べてるから出てきてるんやと思う。
彼女がショッピングを楽しんでるのは、彼女のペースやし、あんたが興味あることが少ないと感じるのはあんたのペースや。それが個性やし、無理に同じように感じる必要なんかあらへん。
でもな、もし「もっと楽しみたいな」って思うんやったら、少し視点を変えてみたらどうやろ?
例えば、増田が言うてた「便利」なものに対する興味、これも立派な興味やん!
ほんで、そこからちょっとずつ広げてみるんや。たとえば、便利なものがどうして便利なのか考えたり、そのアイテムが他にどんな生活の質を上げてくれるか想像してみるとか。
あと、「この服を着たら嬉しくなるかも」っていう感覚がないって言うてたけど、これも無理に感じようとせんでええねん。
ただ「着心地がええ」とか「動きやすい」とか、それで十分やん!もし何かを買うときに「これが自分を少しでも楽にしてくれるか?」って基準で考えてみると、もっとショッピングが楽になるかもしれへんで。
ほんでな、ショッピングそのものを楽しむってよりも、彼女みたいに「寄り道」してみるのもええかもな。
何も買わんくてもええから、ただ「この店、どんなもん置いとるんやろ?」って感じでブラブラする。
お金使わんでも、自分が「へぇ」って思えるもんを探してみるだけでも、視野が広がるかもしれんしな。
ほんまの楽しみ方は、増田がどんなことに興味を持てるか、少しずつ探っていくことや。