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はてなキーワード: 創作物とは

2021-02-07

anond:20210207000040

この増田しか見ていないが、削除された3行が、荒木氏の創作物としての価値を高める3行だったのかという点が気になる。

 

皮肉めいたジョークで締められて、「面白くない」という全体的読んでいて気持ちのよくない批評の読後感が爽やかになったんだろうか。

「こんな作品を俺に読ませるな。川上にでも読ませとけ」といった、荒木氏の品位を下げるだけのような一言だったんだろうか。

2021-02-06

逃げ上手の若君の許嫁はなぜ不細工だったか

http://blog.livedoor.jp/kudan9-culture/archives/27926645.html

 

ネウロ暗殺教室も読んだことはないが、逃げ上手の若君を見る限り松井優征は書き割り(類型タイプ漫画家だなあという気はする。

書き割りを極端にすると例示されている嫌煙家のようなキャラクタ誕生する。こう書くと書き割りが悪いことのように聞こえるかもしれないが、それはひとつ表現手法であり上下巧拙もない、と思う。

書き割りは類型であるがゆえに読者に「つかませやすい」し、その上にキャラ固有の内面や奥行きを見せることで魅力を上乗せさせることもできる。これだけ創作物が溢れかえっている世の中で新しい作品を読者に読ませることは容易ではない。キャラに限らず世界観や設定も書き割りにすることで「摩擦係数」を減らして脱落する読者を減らそうとするのはひとつ戦略と言っていい(松井優征作品世界観や設定が書き割りだと言っているわけではない。むしろその点がユニーク作家だと思う)。

 

で、こっからが本題なのだが。

主人公の許嫁が明らかに周囲の人物に劣った外見に描かれることで悪し様に表現されていました。権力者結婚して金持ちになってやるという明け透けな逞しさに私はむしろ好感を持ちましたが、作者は違ったようです。しかし、どうせ第1話死ぬならいい人として描いておいて、主人公が見舞われた悲劇を強調してもよさそうなものですが。

これは明確な読み誤りであると思う。

1話で描かれたのは敵によって主人公日常が壊され旅立ちを余儀なくされるという貴種流離譚の第1幕だ。この日常において主人公の周りにいたのはどんな人達だろうか。普通に読んだ人なら父、兄、許嫁がぱっと浮かんだであろう(諏訪頼重キャラクタ類型でいう助言者。ゆえに日常の外から来る)。なぜか。それぞれ違うキャラクタからである

 

父…ボケてるのかな? というぐらいに愚将

兄…将としては平凡だが弟の才能を素直に評価できる優しさの持ち主

許嫁…容姿よろしくないがそのぶん見る目がある。奇貨居くべしなタイプ商家の娘だったら大成した

 

それぞれ数ページからコマしか出番がないが、これらのキャラクタがすとんと入ってくる。そしてそんな「主人公の周囲にいる色々な人が高氏の反乱によって根こそぎ殺された」とつなげることによって主人公の絶体絶命感(と諏訪頼重という一筋の光明)が強調されている。これが父、兄、許嫁が全員「いい人」程度の描かれ方だったらのぺっとして印象に残らず絶体絶命感も出なかったであろう。

この辺は鬼滅あたりと比較すると分かりやすい。

鬼滅も逃げ上手の若君同様、物語類型としては貴種流離譚であり「行って帰ってくる物語である。炭治郎にとっての日常とは家族との慎ましくも温かな暮らしに他ならず、それを失ったことで寒い雪山を往くハメになる。この場合家族は平凡で優しいことが求められる。極めて愚かな人物が混ざっていたり、逞しいタイプがいたりすると印象がそっちに引っ張られて悲惨さや悲しみが強調されない。慎ましやかな生活感もでない。

逆に北条時行が失ったのは鎌倉幕府である。その巨大さを腑落ちさせるためには色んな層の人間必要で、そのためにピックアップされたのがあの3人(父=幕府トップ、兄=家族、許嫁=重臣(の娘だが層としては重臣))ということなのだ。

ちなみに許嫁の容姿よろしくないのは他の二者との差別化もあるだろうが、明け透けに言ってしまえば生き汚さを出すためだろう。あんなに生命力が強そうなタイプがあっさりと死ぬことによって絶体絶命感が強調されている(こう書けば伝わると思って書いているが、もし分からないなら薄幸の美人という言葉を補助線にしてくれ)。

 

作品のあらゆる要素は作家胸三寸なのであり、そのようにしているのには相応の理由がある。好き嫌いを語る分には構わないだろうが正しい正しくないの観点から論じるのであれば作者に寄り添ってそれによって何を描こうとしているのかつぶさに観ることは最低限必要な態度であろう。

2021-02-03

anond:20210203231258

売れる売れないはその人の力量次第だけどな。

一次創作二次創作も同じ創作物でだからこそ著作権が同等に認められてんだろ

2021-02-02

anond:20210202214114

自伝以外読まないほうがいいんじゃない

創作物って作者の経験書くものじゃないってのもわからないの?

ナルトの作者は孤児忍者じゃない!おかしい!」って言いたいのかな

よく創作物で親が死んだとかあるじゃん

漫画しろゲームしろ

例えば村全部焼かれたところから始まる某ゲームたってあるし、冒険や戦いの理由が親死んだからスタートするやつ。

親を殺されたにし病死たにしろ、本当にリアル経験してきた人たちにとってみれば、飽和状態と化してるゲーム漫画を全く受けつけなくなってしまう、あるいはかなりの漫画ゲームが楽しめないのでは、と思ってるんだけどどうなの?

自分普通に親生きてる。そんな生まれながらの悲しい過去とかない。でも中には本当にそういう経験をしてきた人だっている。

その人たちにとってみれば、例えば主人公のその境遇の辛さに似合わない性格をしているとか、本当におまえ両親死んでんのか?みたいな奴もいるわけじゃん。

やっぱそういうのって読む前に確認したりするんかな。

こいつは親死んでるか否か、みたいな。

最初から親が死んだという事実稀有な事例だからと言って、漫画ゲームポンポン出されてる、しかもただの想像力だけで書いたやつが。

これ本当はどう思ってるんだろう。

私だったら相当嫌悪する。

孤児院まれとか。

なんもわかってねーくせに設定作りたいだけで書くなって。どうせこれ書いてる作者は孤児院まれじゃねーんだろって。

2021-02-01

anond:20210131185208

これ研究者オタクに置き換えても成立しちゃうから、まあネット上でやり返してるつもりなんだろうなとは思う。

>・オタク人格が気に食わない

>・オタク思想が気に食わない

>・オタクTwitter上の発言が酷い

>としても、そうした属人的事情創作物まりアニメマンガとは分けて考えるべきだ。仮にオタク人格破綻者が多かったとしても、オタク文化自体問題ではない。

お互いに自重し合うのが平和への道なんやな。

anond:20210201032643

あくまで一個人体感として。

自分の感受を他人に反映させることはできるし相手言葉の裏も経験則知識で測れる。だから一対一なら言っちゃいけないこと、やっちゃいけないことはわかるけれど、人数が増えると処理する内容が増え、さら視野が狭いので言語化されることのない"場の空気"が読めない。だから処理落ちしたり、言動タイミングを図れずトラブルを招いたりする。この"場の空気"も、実体験や創作物からインプットを増やすことでパターンに分けてある程度読めるようにはなるけれど、やはり典型通りにはいかず柔軟で素早い処理が求められるので難しい。

2021-01-31

創作上のキャラアンチになる意味がわからない

創作上のキャラ自我をもたないので、作者がそう動かして(アニメ化/実写化で一部改変されて、演じ手の演技が加わって)そのキャラになっているわけで、不快な要素はそもそも誰かが表現したものしかないんだから

アンチになって叩く対象はそのキャラじゃなくて、嫌いな要素を生み出した誰かにならないのか、

というか各(メイン)キャラ物語構成要素をちょっとずつ背負わされていて、

物語の歪みか、そのアンチが嫌いな要素を特定キャラ(仮に△△とする)がたまたま背負わされてしまっただけじゃないかと、

ありとあらゆる創作物において思う。

作者が作る物語全体の中で、

・成長する/しない過程

感情を揺さぶられる展開

対立する主義主張

・意外性

(↑適当に書いたが他にもたくさんあるだろう)

こんな要素をメインキャラにちょっとずつ配分されて、友情/恋愛/師弟/敵対関係と人数やキャラ能力、掛け合いがバランスよく収まるように設定して配置されてるのが創作なわけで。

このバランスを欠いていて△△だけ出番が多いのは△△が出たがってるからじゃなく作者の責任

意外性のためだけにキャラ犠牲になったように見えるのもそうさせた作者の力量不足であって、そのキャラ意味もなく殺した△△のせいじゃない。

△△が無能なのは作者がバカか、作中で否定されるべき行動だから

△△の台詞/主義主張が受け入れられない場合、作中で否定されるために言わされた主義主張なら否定されるまで嫌いでいい。

到底受け入れられない△△の価値観が作中で肯定されて嫌なら、それは作者と合わないのであって、△△のせいで物語崩壊したわけではない。

△△の行動言動が痛くて見ていられなかったりテンションが苦手なのも、場面を明るくするためかキャラ全体を見たときバランスの都合、あるいはキャラ同士の掛け合いのしやすからそうなってるだけで、△△がうざいわけじゃない。

外見、キャラデザが受け付けないのは、そう描いた作者、アニメ作画班、俳優ルックスメイクのせい。

(アンチの中で歪んだもの見方になってる可能はいったん置いておく)

ただ、なんとなく△△が苦手と思ったときに作者がどうこうまで踏み込まないのは当然だし、この程度だとアンチ化しないので理解できないとは思わないが。

嫌いな要素を作った作者が嫌いなんだが、作品全体は好きだから作者を嫌いとは言えず、(↑に書いたことなんか分かりきった上で)

簡単のために、△△を叩いている人もいるのだろうと理解はしている。

が、そこに自覚的でなさそうなアンチも多く、彼らのことがやっぱり理解できない。

感想をもらえないのが辛いか二次創作をやめるという同人女感情に触れて。

先日負の感情スパイスの混じったとある二次創作作家さんのツイートに触れて、同人女20選手の私が個人的に感じたあれやこれやを書いてみる。

二次創作をやっていて、常に誰かから感想がほしい気持ち。わっっっかる。死ぬほどわかりますその気持ち

感想なんて貰えなくても、自分自分の描(書)きたいものをかくんだ」と言い切れたならどれだけ格好いいかと思うけれど、残念ながら自分はそんなストイック同人女にはなれない。いいね一つでもつけば嬉しいし、マシュマロが来れば飛び跳ねて喜んでしまう。

描(書)いたものに対してリアクションが返ってくる喜び、ファン同士の共鳴感がもたらす多幸感ってちょっと他では味わえない。

こればっかりは、創作に手を染めた人間しか味わえない特権だなって思う。

ただ感想が来ないことに落ち込んで、推しを十分に楽しめない域に達してしまったのなら、「感想を欲しがる自分」をもっと俯瞰的に見た方がいい気がする。

自分はまず、誰から、どんな感想が欲しいのか。

一人でも多くの人からたくさんの感想シャワーのように浴びたいのか。

同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいのか。

はたまた「同人女感情」のように、自分の追いかけてる特定作家さんを、自分作品で振り向かせてみたいのか。

不特定多数からとにかくより多くの感想が欲しいなら、まずその自分の渇望を満たしてくれるジャンルから選びから始めた方がいい。

ファンの総人口が多い流行ジャンルで描(書)き続ければ、絶対いいねは付きやすいし、感想をもらえる機会も増える。

人気のない山奥で自分の描いた絵を展示して、誰も観てくれないと嘆いても仕方がない。

多くの人に観て欲しければ、街中で個展を開くしかない。

感想が欲しければ、マシュマロなどの窓口を設置して、感想が欲しいと明確に伝え続けることも大事だ。

ただ、街中には当然人が多い分、自分より素晴らしい個展を開いている作家大勢いる。

その人の個展はいつも大盛況なのに、どうして自分のところは人が来ないのか。どうして感想がもらえないのか。

そんな理由は考えるまでもない。単純に、その人の作品自分より素晴らしいからだ。技量か、作風か、作品を通して伝わる人間性か、自分にはない何某かの魅力が、人気の作家さんのもとにはあるからだ。

たくさんの人から愛されている作家さんやその作品に、羨望を抱く気持ちは悪いものじゃないと思う。嫉妬と憧れは、きっと自分創作物を磨くときのいい研磨剤になる。

けれど、その羨望をうまく飲み干せないのなら、他の人の作品を見るのはやめた方がいい。

まあでも見たいよね。だってきっと同じ界隈に住んでいるからには、自分の読みたいものを人気の作家さんは書いているから。

同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいなら、単純な話、自分が界隈の作家さんに感想を送っているかどうかを考えた方がいい。

自分が他の作家さんの作品を楽しんだ後、きちんと感想を送っているかRTしているか?していないのに、自分の元には感想がこないと嘆きはしていないか

お歳暮お中元も貰ったら送り返すのが普通だ。

ある程度関係性を築いていたら、儀礼的ではあっても感想は貰える。

自分は引っ込み思案でフォロイーさんに感想を送れない、でもフォロイーさんから感想は欲しい。その場合は、フォロイーさんたちが感想を思わず送らずにいられないくらいに、圧倒的に魅力的な作品を描(書)くしかない。

あなたが神作家になれば、きっと感想勝手についてくる。もしかしたら憧れる作家さんだって自分作品を読んでくれるかもしれない。

簡単に神作家になれたら苦労はしない!ときっと思うだろう。じゃあ神作家と呼ばれる作家さんたちは、どうして苦労していないと思うのか。

四六時中どうしたら魅力的なものが描(書)けるかを考えて、手を動かして、いろんなインプットを重ねた結果、神作家は神作家になったんじゃないのか。

自分より年若い人が自分より絵が上手いことが、文章が上手いことがショック???生きてる時間なんて何の参考にもならない。問題はその時間をどんな割り振りでどう使ったかじゃないのか。

自分がそこそこ勉強してそこそこの大学に通っていたとして、がむしゃらに勉強して東大に入った人間を妬んでどうする。

作家の筆が自分の3倍早いなら、それは神作家がそれだけ作品のために手を動かしてきた証拠だ。

自分だって毎日練習をしてる?それは本当に効果的な練習か?自分の描(書)きやすものばかりかいて、同じところをグルグル回ってはいいか自分の苦手な構図、話を克服するための分析をした上で創作を重ねているか推しの魅力をさら二次創作で搾りとってやろうという気概がそこにあるのか?

仕事があるから育児があるから学生みたいに二次創作時間をかけられない?じゃあ限られた時間で何を描(書)くかを吟味しているのか?

どうして学生なら時間があると無条件に言い切れるのか?社会人より忙しい学生だって山ほどいる。

他人の見えない部分に勝手なラベルをつけて羨むことほど虚しいことはない。

まあたまに本当に努力知らずの神に愛された天才存在するけど、それはもう仕方がない。神の子は同じ土俵に立たせる存在じゃなく、ただ崇めておくべき存在から

私は二次創作活動徹頭徹尾自分のために行うべきだと思ってる。

別に感想をもらう」ことが主目的でも構わない。

ただ本当に幸せ二次創作活動っていうのは、単純に推しが好きで、推しの魅力を形にして吐きださずにはいられない状態でやる活動のことをいうと思う。

周りの目なんて一切気にせずに、バーサーカーモードで勢いだけで描(書)いたものって、何故か脂がのってて美味しい。

自分純粋狂気を、あとからかに楽しんでもらえて一緒に狂えたら最高だなって思う。

それが本来同人女のあるべき姿だろうと思うし、周りから評価推しへの愛になってしまったなら、単純に狂気の火力不足。薪を絶やすな。狂気を燃やせ。

AVたことない俺にセックス勉強になるAV教えてくれ

大体タイトルの通りだけど、AVを今まで一度も見たことがない童貞の俺に、セックスの参考になりそうなAVを教えてほしい。

AVを今まで見たことがないといっても、その手のものを一切見たことがないという意味では全くなくて、普段エロゲエロCGエロ漫画・エロ小説エロ音声を使ってる。

まりセックス」を二次元妄想しかたことがなくて、三次元リアルな「セックス」を見たことが一度もない(体験したこともない)。

なんで今までAVたことがない俺が突然現実セックス勉強したいと思ったかというと、こんな三十歳童貞の俺に最近彼女ができたからだ。

まだそういうことはしたことがないが、いつかはすることもあるだろう。

ただ俺は現実セックスについて何一つ知らないので、このままだとまごついて何も分からず気まずくなること必至だ。

なのでセックスのことを勉強したいんだけど、文章だけだとどうしてもイメージ限界がある。

勉強するならやっぱり動画、つまりAVを見たほうがいいと思っている。

ただどうもAVも、二次元と同じく「リアルでない」セックスを描いたものも多いと聞いたことがある。

AVを見たことがない俺が闇雲にAVを見たって、そういった作品と真に勉強になるAV区別はつかない

なので、AVソムリエの皆さんに、リアルセックス勉強になるオススメAVを教えてほしい。

AV以外でもいい勉強方法があればそれでもいい。ただ風俗NGで。

一応補足すると、俺は決してセックスが上手くなりたいわけではない。

ただ標準的セックスがどのようなもので、創作物におけるそれとどのように違うのかが分かればいい。

以下、俺がセックスについて「分からない」「知りたい」と思っているポイントを列挙する

セックス基本的な流れ

俺が普段見ている作品だと大体、フェラチオ(省略可)⇒挿入、という流れだ。

ただ現実だと、ちゃん女性前戯しないと、挿入時に痛くてかなわんと聞いたことがある。

あとフェラチオ現実女性はしてくれないとも聞いたことがあるので、現実における標準的セックスの流れは多分こんな感じだろう

まずここまでの認識があってるかも分からないけど、あってたとしても具体的なことは何も分かってない。

そもそも愛撫って色々あるみたいだけど、どういう流れで進めるのか? どのタイミングで挿入するのか? コンドームはいつつけるのか?

前戯と本番の時間配分は? 5分対10分? 30分対30分? 1時間10分?

愛撫のやり方

俺が知っていることを列挙すると、

ただ、「触る」「舐める」ということは概念的に知っている程度で、具体的な触り方・舐め方は全く分からない。

闇雲に耳をべろべろしたって気持ち悪いだけだろう。

もうちょっと具体的なやり方が知りたいけど、俺が普段見る作品静止画なので、(愛撫のシーンがあっても)触り方も舐め方もさっぱり分からん

これについては三次元動画での学習が一番だと思っている。

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あとはそもそも二次元でばかり抜いている俺が三次元で勃つのかという疑問もあるが、まあそこらへんもAVで確かめてみる予定。

こればっかりはどうしようもないので、最悪の場合妄想で補完する。

この点についても俺と同じような境遇経験者の方とかいればアドバイスとか欲しい。

2021-01-30

クオリアの違いを表現した作品が見たい

たとえばここにパンティーがあって、

ある人は「綿100%、普通に洗って大丈夫

ある人は「定価500円ぐらいの安物。勝負下着には出来ない」

ある人は「デュフフ……初音ミクと同じ柄なんだお」

ある人は「無印良品、いやしまむらか……」

ある人は「服をちゃんしまわない人類ゴミだと教えたはずだろう」

とそれぞれによって物の見え方が違うわけだが、どうも多くの創作物はそれをセリフ範囲まででしか表現できてねえ感じがするんだよなあ。

地の文目線の高さや分解能がどの人物フォーカスしてる場合だろうと同じっていうかさ。

人によって世の中の見え方って全然違って、それこそ宗教家にとっては自分のとこの御神体は神々しいしけど他の宗教のものに関してはそういう感情別に抱かないわけじゃん。

そういった違いをちゃん表現してる作品が読みたいんだが中々引き当てられねえ。

オムニバス形式になってて、キャラクターごとに世界を視るレンズを換えていってる作品、もちろん名作。

この条件でなんか知らん?

教えたがりでしょ君等。

2021-01-26

『うっせえわ』への批判が増えてきた

筆者は20代半ば、いつになったら名実共に大人になれるかと思案したりはするものの、まかり間違っても子供を名乗れるような歳ではない。

うっせぇわ/Ado https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w

Adoの勢いは止まることなく、17歳最後の日である10月23日メジャーデビュー曲「うっせぇわ」を発表。楽曲を手がけたのは、Adoカバーしていた「邪魔」、「馬鹿」などでも知られる、2020年最も躍進したボーカロイドプロデューサー・syudou。Adoハイテンションかつナイフのように尖りまくったボーカリゼーションによって、毒っ気ある低音から耳を突き刺すハイトーンまで歌声自在に使い分け、鬼気迫る迫力で圧巻の歌唱を聴かせてくれた。意外にもチェッカーズPsysalia Psysalis Psyche彷彿とさせる隠れキャラのようなフレーズを忍ばせる言葉遊びの妙。ど頭から内に秘めた思いを叫ぶ〈正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる〉というパンチラインが頭から離れない。強烈なインパクトを持ったこ楽曲は、YouTubeにて2000万回再生突破した(12月24日時点)。

__Ado歌い手としてヒット連発 「うっせぇわ」「レディメイド」…ボカロ音楽J-POP架け橋となるか より引用

(https://www.google.com/amp/s/realsound.jp/2020/12/post-680013.html/amp)

私のオタクTLでは、昨年から各所で流行していたこの曲。

今月半ばくらいまでは、『うっせえわ』、Ado共に賞賛する声の方が目立っていた記憶がある。ファン彼女の曲を好意的に思う層の目にしか留まっていなかった、というのも大きいと思う。

それが、ここ数日でガラリと様変わりした。

ツイッター検索サジェストは「うっせえわ 共感性羞恥」「Ado 嫌い」など否定的もので埋め尽くされ、YouTubeMVコメント欄でも批判、中には中傷に近い発言散見されるようになった。

きっかけは、先日のミュージックステーションへの電話出演だったのではないか。私はそう睨んでいる。

上司母親も、「子供大人になったことがないけど、大人子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」「子供大人を敵視していればいいから楽だよな」と散々な言いようだった。どちらも60近い年齢だ。

常識を押しつけてくる敵__大人を詰って罵って、憂さ晴らしするための歌が、一般の人々に、大人の耳に届いてしまったのだ。ああもハッキリと色濃い悪意を向けられては、大人もいい気はしないのだろう。

そりゃあ、創作物に大して抱く思いは自由だ。頭に浮かぶ感想まではどうしたって妨げられない。

でも別に、18歳の作者の見える場所で、痛い曲とか出来損ないの歌とか言わなくてもよくない???

創作されたものに対して、聞き手がどんな感想を持つの自由だ。第一メジャーデビューした彼女プロミュージシャンなのだから否定的意見も飛んでくるだろうし、必要なら受け止めなければならない。

それでも、作品批判するときには最低限の敬意を持たなければならないと私は思う。作者への敬意を欠いた非難は、もう誹謗中傷となんら変わらないのではないか

とはいえ、私も社会人になって数年経つから、『うっせぇわ』に共感できるとは言い難い。というよりもこの歳になって、『うっせぇわ』に感涙している人間がいたらちょっと驚く。

元々優等生でなかったのもあるが、自分より年上の大人に敵意はそこまでない。というか深い怒りや悲しみという感情自体エネルギー溢れる子供だけのものなような気もする。25を越えると怒ったり悲しんだりする余裕も体力もない。もちろん元気な25歳も30歳もいるのだろうご、少なくとも私は、あなたが思うより健康ではない。

上司の空いたグラスに酒を注ぐのも、焼き鳥を串から外すのも別にどうでもいい。それで人間関係が円滑に回るようになるのなら、ヒステリック拒否するほどのことでもない。

たぶん、大人になったからだ。子供ときは許せなかったのかもしれないが、記憶はだいぶ薄れてしまった。前述したように、私の親世代には「子供大人になったことがないけど、大人子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」語る者もいるのだが、忘れているから分からない、子供気持ちもきっとあるのだろう。

ここからは余談かつ個人的意見にはなるが、『うっせぇわ』の語り手(歌い手主人公?)は中高生でもよかったような気もする。あの語り手は恐らく社会人だと思うのだが、社会人として見たときに少し子供っぽいきらいはある。自分大人に分類されるだろうに、(歳の離れた人間を指しているであろうとはいえ)同じ大人にああまでヘイトを向けているというのは少し幼い、もしくは不自然であるかもしれない。

あの語り手の無敵感も、自分天才豪語する自信も、中高生特有のものに見える。私もかつては自分特別存在だと思っていたが、今では黒歴史だ。凡庸大人自分万歳

秘密基地子供たちが隠れてヒソヒソやっていた大人悪口。突然、外に出て大人の目に触れたから、こんなに燃えしまったのではないか

それがどうした。見て見ぬふりしてやろうぜ。私たち大人だろ。

生意気にも歯向かってくる子供がムカつくのは、容易に想像できる。子供は「大人は分かってない」と喚くが、むしろ子供こそ大人を分かっていない部分もあるだろう。経験していないから。

しかし、『うっせぇわ』は語り手こそ社会人で描かれているか違和感があるけれど、子供の子供による子供のための曲だ。大人MV中傷コメントをしていく必要はない。

こんな記事投稿したら、年上の大人には叩かれ、子供たちからは分かったような顔をするなと言われてしまうのかな。

結論中傷に近い批判をしたいなら検索避けするか2chですべきではないでしょうか。

2021-01-24

戦場のピアニストっていう映画で、ポーランド人主人公ドイツ兵の前でショパン演奏して事なきを得るんだけど、

欧米人って創作物ナショナリティを込めたりしないんだとなんか感心してしまった

韓国人日本兵の前で韓国音楽奏で始めたら多分銃殺されるよね

村上春樹

たまに村上春樹を読むと、読む度に「村上春樹の影響が見えてしまうのはもう仕方ない諦めよう」ってなる。およそほとんどの創作物の下敷になってしまっていて、逃げることはもはや不可能領域に達している。

アフターダークスプートニクの恋人世界の終わりとハードボイルドワンダーランドからの影響は凄いものがある。テクニカルな部分で直接的間接的にこれらに影響を受けていない物語創作物はないとすら言えてしまう。

はてなコメントを読んで界隈の神を他カプに移動させた腐女子の話

これは私なりの勝利宣言二次創作とか界隈とかに勝ち負けを持ち込むのは良くないと思うけど、攻撃性のある人を追い込んだっていう記録。あー疲れたお疲れ様、私。

美談じゃないし冷静になると醜い話だな、ほんと。

https://anond.hatelabo.jp/20210108173452

これが前提の話。証明方法ないけどこれの書き手です。(はてなは↑の愚痴投稿するために登録たから私が知らないだけで証明方法あるかもしれないけど……)

元増田に続きあるって書いてきた。教えてくださった方ありがとうございます

要約すると推しカプの神がクソほど性格悪くて地雷シチュだったりを晒しあげて叩いてたという話です。(そんでもって私も叩かれてた)

ジャンルに戻ってAB(性格の悪い神の居るカプ)は全部消そうと思ってたんだけど数日後に↑の日記にどんなコメ来てるかなってログインしてみたら「地雷AB投稿しまくって追いやって欲しい(意訳)」っていうのが来てて、「それだ」と心の中の攻撃性の高い自分が頷いてしまって、その日からABを投稿しまくった。

いや撤退するとか言ったじゃんと非難されそうだけど、私AB好きだし!?あんな神に支配されてるのもやばいじゃん!? AB界隈皆さん縮こまってて神の機嫌を損ねないようにしてるし。きっしょ。

というわけでその日から神の地雷シチュのみを延々と量産し本当に支部検索結果を埋め尽くす勢いで投稿し続けた。

するとまず1人、神の相互だったけれど恐れずに神が地雷宣言してるもの投稿した方がいた。1度も話したことないけど、同志だと思った。

(神は案の定別垢で「ありえない どうして 相互なのに フォロバしなきゃ良かった」と荒れ狂ってた)

更にAB内で人気のある絵師さんが二人も神の地雷シチュ投稿した。やっぱり、やっちゃいけない投稿しちゃいけないっていう固定観念?みたいなものがあったんだと思う。

神は案の定荒れ狂い更に隔離垢を作っていた。(隔離垢といっても鍵垢じゃない、どうしても全世界晒す形で地雷地雷と喚きたいらしい)

私は神の絵が好きなのでROM垢で隔離垢をフォローした。だから、どれくらい荒れてるか見れたんだけど本当に凄いレベルで荒れててよく二次界隈で生きてるなと思った。

神の地雷、この世の8割の創作地雷になるんじゃないか?ってレベルなんだよね。だって公式で着たこと無い服着てるイラスト地雷です……etc みたいな感じだもん。特定されそうだから詳しい例はあんまり出せない。神の機嫌を窺ってる人は猫耳メイド服禁止ってわけ、もう笑っちゃうよね。

公式絶対主義とかパロが苦手とか諸々、そういう人がいるってことは分かるけど、そんなこと言い出したらこの世の二次創作終わる。しかも神はシチュエーションだけじゃなくて文字書きに対しては「この文体苦手」とか普通に言うしね。思っても普通言わないでしょ。

神が固定ファンを囲い出した段階で「もしかしてイケるのでは……?」と私はニヤついた。神の非相互の私だけじゃなくて神の相互の人が何人も投稿し出した、神に反抗する形で。

神が裏で悪口言うのも怖がらずに。

しばらくすると私宛に長文のマシュマロとか、直リプ感想とかも来るようになって、え~!となった。

普通に嬉しいし、本ジャンルフォローしてくれた方には申し訳ないけどABに集中しよう!とABを更に投稿し続けた。

もちろん本ジャンルの人に見放されるのも嫌なので本ジャンルのカプも投稿し続けたけど。私のフォロワーは500人前後だったんだけどAB連投で一切減ることも無く(ありがたいね)、更には「気になったのでABのジャンルに手を出しました」とか「ABに来てくださったんですね!元々ファンでした」とか言ってくれる人も増えて嬉しかった。

神は荒れ狂う垢ではブロ解を繰り返され、リムられたらブチ切れリム主を探してブロックを続けていた。

そういうところがブロ解されたりリムられたりする理由だと思うんだけどなぁ。

私は取り憑かれたようにわざと神の地雷を踏み続け、TLが地雷だらけになった神のメンタルが尽きたらしい。

先日神はこんな投稿をした。

神「AB界隈最近しんどくてCD(同ジャンルの別カプ)読んだらすごく萌えた、CD描こう」

やった!と叫びそうになった。こんなに性格悪くてどうすると自嘲したけど、神がABから居なくなるかもしれないと喜んだ。AB界隈、神が性格悪すぎて神に同調する人(つーか囲い)も多くて愚痴垢とかで死ぬほど叩かれてたんだよね。態度悪かったし当たり前か、他人創作ディスを表で堂々とする人が界隈の主導権握ってんだもんね。

クリーンなAB界隈をこれで手に入れられるかもと私はABの生産を続けた。神より上のペースで、神よりも多くのシチュエーションで、死ぬほど神を意識してるなぁと思いながらも筆を止めずに生産を続けた。

なんなら仕事中にもABのネタ出しをしていたせいで上司から今日あなた仕事には生産性が何一つない」と怒られたほどだ。ABの生産精神を使いすぎて日常生活ほとんど疎かになっていた。

反応の数は増え、ABのフォロワーさんも増え、頂くマロも多くなってきた。嬉しかった。特定されたくなくて、言ってなかったけれど私は絵も文字五分五分くらいの割合投稿する人間だ。どちらもそんなに上手くないけど、本ジャンルはいいね数は絵、感想の数は文字の方が多かった気がしたので文字シフトすることにした。そんな狡いことを考えるくらい、ABファンの心を掴みたかった。

同時期に神はCD投稿を増やし、CDの人を囲いはじめた。

そろそろ本格的にジャンルがバレる気もするけど、CDあんまりファンのいないカプで神!みたいな絵師さんや文字書きさんもいないようだったから格好の引越し場所だったらしく、神は「AB界隈より居心地が良い……」みたいなことをほざきだした。

前カプディスする人だったんだなぁ、せっかく増やしたABフォロワーから嫌われてどうするんだよと思いつつROM垢で神のCDツイをいいねしまくった。

頼むからCDに行ってくれ。(CDの人には申し訳ないと思うが)

二次創作くらいのびのびやらせてくれ。

全ての発端とも言うべきの素晴らしいABを投稿していた文字書き様も私に反応してくれた。嬉しかった、貴方が神から地雷だって言われて作品を消したこときっかけで今私はこうしてABに狂ってます運命の巡り合わせだなぁと思いながらその人がAB投稿を再開したのを泣いて喜んだ。

そうして神はAB界隈を貶め、CDを上げる人に変身をした。


あーーー!ありがとうはてな!毒マロ送ろうと毒マロ入力して送信しようとしたところで躊躇して発散するために投稿したんだけど、コメント読んでから人生変わったかも!

諦める前に何か行動した方がいいんだね、学んだ。ありがとうございました!!!

こーゆーの、非暴力っていうんだっけ。ガンジーのやつ。

私はなんにも攻撃してない、地雷を沢山置いたけど非相互だし、嫌ならブロックすればいいだけ。

神のCDを褒め称えるマロを口調を変えて何個も送ったけど、直接したことはそれくらい。

まあさ、神、思い出した頃にAB投稿してよ。私あなたの絵は大好きなんだ。

もう神を意識して創作するのめんどいし神は界隈から抜けたので本ジャンルに戻ろうと思う。

じゃあね、神。CDでお幸せに!


追記CD別にきじゃない、というかDC派なので神が完全にCDに移り住んだ段階で神のアカウント全然見てなかったんだけど、この投稿をしたので今どうなってるかなと覗いたら案の定地雷CD叩き界隈粛清を行っていて、ちょっと良心が傷んだ。二度と帰ってきて欲しくないけどね。

それと神のCDめちゃくちゃ可愛くてCD派になりそうになった。やっぱり創作物はド好みなんだよな~、AB時代マロ送ってたし今でも支部は全部ブクマしてるし……

ABの人たち、今すごい盛り上がってて色んな話で楽しめてて嬉しい。神が私の創作感想寄越さないやつ何様?みたいな雰囲気を作ったせいで濃厚な感想を送り合う風潮があるから、みんな創作モチベ高いし。(ここだけは神の与えた恩恵かもしれない)

AB界隈、神が私の作品晒しても同調して叩きに来ない人の集まりなのは知ってたから、性格悪い人いなくなって本当に良かった。

ほんとね、良かったなぁ。最後は神の地雷とか考えずに好きなAB描いて書いて、本ジャンル戻ろう。

小さいジャンルのABで注目浴びるよりも、大手ジャンルの島中サークルモーセの海割り奇跡を起こす自分の方が好きなんだよね。

さら追記

ABの人たち、みんな神と非相互の鍵の裏垢持ってて(一部の人と繋がった)そこで神の悪口言ってて笑った

表ではあんなに媚び売ってたのに?みんな大変だね。

女の書いたBLは読めない

腐女子だけど女の書いたBLは読めないというこじらせ方をしてしまい、ほとんどのBLが読めない

作品から作者が垣間見える瞬間というのが創作物にはあると思うが、私は男と男の恋愛物語において、女性作者による女性性が見えてしまう瞬間がたまらなく嫌だ

しかし、自らの作品から女性性を消すという作業プロでも困難なことであり、何の制約もない同人作家作品であれば言うまでもない。

かくして女性作家BLが読めなくなり、つまり99%くらいのBLが読めなくなった。悲しい。

2021-01-18

anond:20201126044548

女性が生きやす社会を作るための思想というのは女尊男卑を目指しているのであって、だからフェミニズムというのは危険思想だよね。ゆえにアンチフェミが多いんだ。女のエロはいいけど男のエロダメとか完全に女尊男卑だよね。

女だけの街を作って男にインフラ押し付けるみたいな思想でしょ、フェミニズムって

男性が生きやす社会を作るために女をレイプしても無罪にすべきとかい思想あったら叩かれて当然でしょ。

あと創作物男性性犯罪に直結するかのような書き方は悪意があるよね。エビデンスあるの?お前がエビデンスか?

宇崎のポスターがどう性犯罪に結びつくの?単にヒステリー起こしてぎゃおってるのを後から理由つけてるだけじゃん。それも苦しくなってゴールポスト動かしまくり

実際に巨乳女性はどうしたらいいの?女はブルカでも着てろよ

なぜ私は聖地巡礼をするのか(の話をかくはずだったが)

聖地巡礼とは中世ヨーロッパ封建社会においてキリスト教徒あいだで流行した、キリスト教聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である

転じて、現代においてはアニメ映画などの熱心なファンが、創作物キャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。

私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組ロケで訪れたり雑誌メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。

大塚天祖神社バッティングセンター千歳船橋喫茶店ぱおーん、五反田デニーズ……

思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。

それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。

聖地巡礼には楽しさがある。

思えば私は日本史世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画ロケ地を訪れることもある。

(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)

今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代マゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。

そう、私はフランシス・ドレーク足跡を辿りたいのである

乃木坂メンバーが参詣した神社自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分バットを振るいたいのだ。

そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである

この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。

バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティング最中乃木坂のことは忘れて純粋ボールバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。

しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。

私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。

この違いは何に由来するのか。

まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼動機に深く関わっている。

私は何も藤田ニコル西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡自分足跡を重ねたいとは思わない。

フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)

では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。

これは極めて重要着眼点である

恐らくは、その人物との関係性および距離感聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ

想像するに乃木坂メンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地巡礼したいという衝動はなくなるだろう。

同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ

友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。

ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。

「手の届かない特別存在を思うこと」が聖地巡礼の肝なのだ

そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。

その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。

私は宮崎駿監督映画が大好きで、監督ハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。

フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周ロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。

しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼラン足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。

(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)

「手の届かない「聖なる存在である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。

ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂メンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。

一年彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアル追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為限定するべきだったかもしれない)

聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ち自分も受けたいかというと難しい。

例えばメンバーの誰かが過去イジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。

しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。

キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいねはい。))

体験総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。

心地よい感情が動きがあればよい。

郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。

いや、違うな。

上に述べたエモさは体験のものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。

例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為のもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋巡礼っぽい)

先例のイジメのように行為自体許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。

追体験行為包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼追体験包含する」よりも「巡礼追体験が付随する(ことがある)」が正しい)

距離重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理距離感である

遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。

「ここまで来た」という感覚聖地巡礼には必要である

私は電車移動含めて一時間もあれば十分であるしかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。

遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂メンバーが訪れた場所比較として、私の現在地から大塚バッティングセンターパリ街角にあるカフェとの物理距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。

これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂メンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェ目的渡仏する気にはならない。

いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為のもの乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋巡礼価値は何によって決まるのか。))

これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行のものに少なから体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。

でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフ聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。

眠いし目も疲れたので「過去自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。

おやすみなさい。

2021-01-17

宗教活動意識高い系活動は似てる

父方、母方ともに祖父の代からとある新興宗教信者で、もちろん両親ともに熱心な活動家ではないにせよそれなりに信心深い人だった。

自分も広布に走る人材として期待して生まれてきたのだろうけれども、小学校低学年からインターネットに触れてしまい、インターネット上では悪い評判が多かったこともあってそれ以降その宗教に対してはあまりに信じない方向で見方が固まってしまった。

そんな中で座談会とか本部幹部会同時中継とかに連れていかれるものから、友人に信仰のことを話したとか、何人を入会させたとか、選挙になったら聖戦と叫んで知人に特定政党への投票を呼び掛けるとか、そういう人を巻き込むとか感化させるような活動に対するアレルギーみたいなものができてしまったように思う。

彼らの中では信仰を深め、宗教活動を行うことで功徳が得られ、人生好転すると本気で考えて活動しているけれども、そのモチベーション自分はいまだに理解できない。

映画チケット台本のセットを手売りしようとして挫折した人が最近話題になっていて、少しその人の記事や同じように手売りしている人の記事を読んだけれども、全く理解できなかった。

その人に限らず、ほかの某オンラインサロンメンバー記事も見てみたけれども、活動が似てると思った。

創作物を広めるとかはそのまんまだから言うまでもないとして、メンバーの中で若手が集まって、周囲を巻き込んで何かを成し遂げようとするみたいな意識高い系の(傍迷惑な)動きはうちの宗教でも見た光景

直接利益自分につながるわけではなさそうな活動になんでそんなに本気になれるのか、やっぱり全く理解できないし、近寄りたくないというのが本音

でも、もしかしたらそういう風に本気になれる人の方が本来器用に生きられるのかもしれない。方向が間違っているだけで。

2021-01-16

anond:20210116135023

うんだから、それにたいしてこういう話ってことね

自分としては両方とも筋が通った話かと思うが、マネタイズしないのが悪い(だから私が儲けても作者に還元しなくてもよい)という言い分のVtuberが時々見られたので処刑しておいた。

さて、フリーゲームはなぜフリーなのか。これはモノづくりをしたことがある(それをフリーで公開したことがある)人でないとわからいかもしれないが、ぶっちゃけ反応が欲しいのである

ある人は手紙で、ある人は会話で、ある人はSNSコミュニケーションをとる。その形がたまたまゲームなりの創作物の人もいるのだ。

かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのに、それをすべてVtuber横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。

この時増田が欲しいのはもちろん反応である。「せめて実況者は投げ銭をしてくれ」は、反応が得られないならせめて収益の一部でも…という妥協なのだろうと推察する。


https://anond.hatelabo.jp/20210115235905

anond:20210116094413

二次創作を完全に認めないって公式発言してる作品ならアウトでしょ

二次創作だろうが創作物には著作権があるから無断転載はアウトだよこれは判決出てるし

人が嫌がることをしてはいけませんって幼稚園で習わなかった?

anond:20210116031556

自分創作物自由に使ってほしいと思う人にとって、自分創作物を使うことを変な形に規制するひとは「迷惑」になる。

でもそれって逆も言えるのでは?とは思うけどな

実際に捕まえろとは言わなくても、それぐらいの恨み的なものがあって不自然ではないと思うが。

2021-01-15

anond:20210114153728

これに関していろいろな意見を見たが、大まかに2つに分けられると思う。

マネタイズしないのが悪い

他人創作物タダ乗りするな

自分としては両方とも筋が通った話かと思うが、マネタイズしないのが悪い(だから私が儲けても作者に還元しなくてもよい)という言い分のVtuberが時々見られたので処刑しておいた。

さて、フリーゲームはなぜフリーなのか。これはモノづくりをしたことがある(それをフリーで公開したことがある)人でないとわからいかもしれないが、ぶっちゃけ反応が欲しいのである

ある人は手紙で、ある人は会話で、ある人はSNSコミュニケーションをとる。その形がたまたまゲームなりの創作物の人もいるのだ。

かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのに、それをすべてVtuber横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。

この時増田が欲しいのはもちろん反応である。「せめて実況者は投げ銭をしてくれ」は、反応が得られないならせめて収益の一部でも…という妥協なのだろうと推察する。

もちろん、インターネット黎明期のような牧歌的時代は終わった。新参者は「規約に書いていなければ何をしてもよい」ぐらいの狼藉をやってのける。作者は新参者教育してやるぐらいの勢いで細かく規約を作るのが次世代の流れかもしれない。

そして新人実況者、Vtuber諸君フリーゲームがなぜフリーなのかをよく考えておいてほしい。そして、著作権ぐらいは守れよ…最低限な…

クレジット表記絶対やれよ…

お願いだからな…

やっぱり腐女子って他人創作物の美味しいとこだけ食べてるんだなあ

BLのために作られたキャラが嫌って…

少年漫画ヒロインのこと好きな男のことをBLする加害性には無頓着なんだな

セクシャリティを軽視してるのは腐女子だよなあ

フェミニスト腐女子兼任してる人も多いけど、どうして自分たちの加害性だけは棚に上げられるのか

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