はてなキーワード: 創作物とは
夫のことはとても尊敬しているし愛しているのだけど、興奮に満ちたセックスというのとは無縁であった。別にそんなものはなくても全然オッケーなので別に問題でもなかった。
ふと今ハマってるアプリで読める少女漫画の影響で、大嫌い!最低野郎!あ……でもドキドキしちゃう……この気持ちは何……?みたいな感情を夫にも向けてみたくなった。私はセーラームーンになりきっていた幼稚園児だった頃から、創作物の影響をすぐに受けてしまう性格だ。
するとどうだろう、セックスがたまらなく良い。今までセックスとはコミュニケーションだったが、麻薬のような快感を得られる行為に完全に変わった。依存性ありすぎて怖い。今もすでにセックスしたいしすでに依存始まってる感じする。ヤバイ。
そういうわけで今夜も夫のことを最低野郎で大嫌い!と思いながらセックスするとおもう。なんで興奮するのか分からないけど興奮してしまうのよね……
あたし男だけど、エロに自己投影してるか?というと必ずしもしてないの。することもあるかもだけど、基本的には第三者視点で楽しむわけね。(これはエロも非エロも同じ)
で、BLも含んだ『女性向けエロ』だけど、むしろ女性の方がエロに直接欲望を投影してないというか…。
もちろん「グヘヘ、たまりませんなぁ」なオヤジ的感性を持つ女性の存在も否定できないけど、男と女ではエロ創作物に対するスタンスというか、求めるものが全然違う気がするのね。
極端なこと言うと、男は『抜ける』エロを求めがちだけど、女は物語の流れとして必然性や情緒性を重視するんじゃないかしら?
そういう意味ではあたしはエロに欲望は投影するけど(性的嗜好に合ったものを求めるって意味ね)、自分の視点では見ないって感じかしら。(自己投影ってそういう意味じゃない?だったらごめんなさいね)
ま、これはあくまで傾向の話だから、当てはまらない人も結構いると思うんだけど。
あたしは男だから、女がエロに何を求めているか本当には分からないかもしれないけど、想像は出来るわ。
左派リベの日頃の振る舞いをよく見てみろ
どこそこまで譲ってもらえればそこで立ち止まるような節度のある連中に見えるか?
別姓を認めたら次は「夫婦別姓家庭が50%にも届かない日本は女性が抑圧されている」みたいなことを言い始める
夫婦別姓の家庭を「素晴らしい、先進的、これが正しい」と言いながら夫婦同姓の家庭に対して「古くて遅れた奥さんが抑圧される家庭」「別姓も認められない男に結婚する資格はない」のような風説を流すだろうし
創作物に出現する夫婦同性家庭も片っ端から「悪しき男社会による女性従属の強化」みたいなことを言って焼き払おうとするだろう
別姓を認めれば終わりじゃない
よく創作物の敵グループとかにある設定だけどこんなんで組織うまくいくの?
現実にある階級のない組織でうまくいってるのってValve Corporationとか聞いたことあるけど
あれは全員がくそ有能で、自主的で尊敬しあいながら相互評価制度があって金銭を獲得するというわかりやすい目的があって成り立ってる気がする
いや、利益追求目的の組織が階級がないのにうまくいってるのもスゲーと思うが。
宗教やイデオロギー、共助を目的とするコミュニティはやっぱりボス猿のようなカリスマ性がある人間がいて、フリーライダーを排除するか役割を与えるかなどする仕組みが必須なのかなぁ。
その靴下が、とても汚かった
最初、そういう柄なのかと思ったのと同時に女性の体をジロジロ見てはいけないなと思ったのだが
思わず二度見するぐらい汚れていた
履き古しただけなのか、洗っていないのかはわからないが、とにかく汚かった
そうとわかった瞬間、私は彼女に踏んでいただきたい気持ちでいっぱいになってしまった
私はマゾではないが、自分より立場が上の女性に踏まれたい衝動があるのだ
それはそのような創作物で発散していたが、初めて現実で踏んでいただきたい女性だと思った
彼女は年下で仕事について私が教えることもあるが、会社間の関係においては私よりも上の立場にあるとも言える
そんな彼女の汚い靴下を見てしまい、私は踏んでいただけないかと思ってしまったのだ
けれどもそれはもう心のシャッターを切り心のアルバムに保存してしまった
消さなければならない
20代の若い女性が何かしらの事情で汚い靴下を履いていたことを職場の歳上の人間に覚えられていることは間違いなく不快だ
しかし
なんて素敵なおみ足なのだろうか
ああ
私の肉慾も、あの足のうねりにまかれたい。あの靴にうたれて、くゞりたいと思つた。私は足をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思つた。私は肉慾の小ささが悲しかつた。
創作物、ずっと応援してきたもの、にわかファンごときにわかられたくないし、自分が一番の理解者でありたいみたいな気持ち。
これが、良いのか悪いのか。
なんかわかったような。
たとえ作者が犯罪を犯していても、作品そのものに罪はないし。作者がいけ好かなくても、作品だけは良かったりはしばしばある。作者が気に入らんからと、作品まで毛嫌いするのはアホのやることなんだと。
それが正しいと思ってたし、結論、それが正しいと思う。
でも、その理論を信仰するのであれば、創る側に立った時も同じことを唱えなければならないと気がついた。
たとえば僕の作品愛しさに、作者である僕に嫌なことを言ってくる人がいる。続きみたいから早くかけよ、別の物を創るな、俺の欲しいもんを創れと。そういう人にはそもそも僕の作品を理解できる素質ないとか思ってた。僕がそういうことを言われるのが嫌で、だから人にもそういう言葉はかけない。それゆえにどうしても、そういった行動は作品内でも間違った行動であるという価値観で評価されてしまう。
そういう、僕が間違ってると思うことを平気でやるような人間に、僕の価値観をベースに創られた作品など、僕の世界など理解出来るはずないのだ。善悪の考え方が違うし。
って思ってたけど。
それはつまり、僕のことを理解できてなければ僕の作品を理解することはできないということにほかならないじゃん。
言ってること真逆じゃんな。
あーこれだわ、と思った。僕が創作物を公開するのに、足りてなかった心がまえ。
創作物に対する解釈の正しさ、というのは個人の中にしか存在し得なくて、それが「正しい」という価値観も、その人の中でしか通用しないこと。
Aさんには目の前の絵の中の鳥が赤に見えて、Bさんには青に見える。それを描いたCさんは、緑で塗ったと言っている。
この中で、誰が正しいのか。
創作物は、僕が僕ではない誰かにそれを見せた瞬間、その誰かの主観というフィルターを通して解釈される。例えそれがどんな解釈であろうと、その誰かにとってはその解釈が一番正しい。
僕が、極力作者本人を知ることを避け、不純物の混入を防ぎながら他人の作品を自分の主観フィルターで濾すように、僕の作品を見る人にはみな等しく僕の作品を解釈する権利をもっているし、それがこの世で唯一正しい作品の解釈、と信じる権利も持っている。
もちろん、そのフィルターの性能によって作品は悪に見えたり善に見えたりする。でも仕方ない。僕が持ってるフィルターと同じものは、この世のどこを探しても存在しない。
僕が「正しい解釈」を発表したところで、その正しい解釈すら他人のフィルターを通してから他人に入っていくわけで、それはもはやまったくの別物であり。
「正しい解釈」として何かを発表することが不可能である以上、正しい解釈というものはこの世に存在することができないものであることになる。僕以外のだれにも、観測不能なのだから。
だからこそ、どこまで作者ことを知り、作品をどう解釈するかは自由。作者もまた、作品を発表した時、その作品はもはや作者の手を離れて、見る者一人一人の中で展開され、その人の回路で理解される、その人の中でもう一つの作品ができてしまうようなものだと考えた方がよいのだと思う。
自分の作品なのだから自分の解釈が正しくて、文句をつけてくる人は理解できてなくて、褒めてくれる人は理解できている、みたいな考え方は、創作をする上でメンタルを守っていくためには正しいけど、向き合い方としては正しくないのだと気づいた。
心がまえ、間違ってたなって話。
フェミニズムという言葉が注目され始めた時、私はフェミニズムにすごく共感した。
その頃はネットのアングラな要素がそのままSNSに来たせいか、女叩きは当たり前、気に入らない女は女性器呼ばわり、綺麗な女はやらせてくれとリプ、非処女は中古、育児も家事も母親がやって当たり前、イクメンて言葉がやっと出来たくらい。
それが当たり前だった、それに疑問を持たない人も多く、いわゆる名誉男性というのもかなり多かった。私は聞き分けのいい女ですよ、女叩きもしますよ、レイプされるような危機感のない女が悪いなんて言ってる女もいた。
私はそれまで、名誉男性寄りだったと思う。
女は家事をするものだし、男を立ててなんぼだし、痴漢されたことを話す女をモテる自慢くらいに思うほど、女性差別をしていた。
でも、それらを見て、私の考えが間違っていたことや、私の生き方はもっと自由でいいことを知り始めた。
当時は、今なら真っ当な主張も「男だって云々」「自意識過剰」「女様」なんてリプがついて、炎上していた。
それにくらべると、今は男性もフェミニズムに理解を示してくれてる人が増えてると感じる。真っ当な意見にトンチンカンなリプをしてる人を、諌めてくれる男性も多いからだ。
ここで私が辛かったのは、私にフェミニズムに目覚めさせてくれた人が、そういった発言をし始めたことだ。男は去勢、性犯罪者予備軍、女が辛いのは全て男のせい。
少なくとも私は、私が過去に女性差別をしていたことを、男性のせいと思ったことは無い。社会の男尊女卑による刷り込みといわれても、それに疑問を持たず内心バカにしてたのは私の意思だからだ。
でも、彼女は過去にした自分の過失を、全て男性、男性社会のせいにしていた。
女性差別をしていたことも、実際に人に嫌味を言っていたことも、自分の言葉遣いや仕事、勉強、上手くいかないことはすべて、それらを社会に刷り込んだ男性のせいで、女性は何も悪くないと。
でもその人は性被害にもあったことがあったし、少し考えが歪むのも多少理解出来た。
男性への差別はフェミニストとしてしてはならない。それはミサンドリスト、私たちが憎んでる差別を男性にしてることになると話し合あった。でも、無駄だった。
次第にそう言う人がどんどん増えていったから、彼女が多数派になるともう私の言葉は響かない。
ポリコレも大事、フェミニズムも大事、でもジョークや創作物、その人の価値観を全て否定することは違うと思う。
場所をわきまえ、人や関係性を選び、創作物と現実の区別をつけ、マナーを守ることが出来れば、いいんじゃないだろうか?
自分が男性に傷つけられたからと言って、それを免罪符のようにして男性を攻撃するのはいいんだろうか?
女が所謂「女らしさ」を求めるのを悪とし、男性に洗脳されているというのは正しいのだろうか?
自分の価値観を信じて疑わず、正義で人を追い詰めていいんだろうか?
女性差別を無くすためのフェミニストが、男性を差別していいんだろうか?
それならミサンドリストだとはっきり言ってしまった方がよっぽどマシだ。
でも、私は少数派になってしまった。ここで私なりのフェミニズムを唱えても、「ちんよし」「名誉男性」なんて言われるのが目に見えてる。
でも、私はフェミニストだ。
今でも男尊女卑は根付いてるし、女性の自由や地位はまだまだ問題があると思う。
男性社会は男性にとって有利なこともあるが、不利なこと、勝手に期待されたり求められることが多数ある。
男女、いや、それ以外の性別の人全てが生きやすくなるように思うことは、間違っているのか?
私は、間違ってないと思いたい。
推しキャラがぜんぜん出番が無いのに一応メインキャラクターなのに尋常じゃないヘイトを喰らっている
7、8 にはバッチリ該当しているので登場シーンがたくさんあればヘイトを喰らう可能性は十分にある
けれど、本編は何十時間もあるが 出番は3分未満で総セリフ数が10個前後 なのである
好かれはせずともヘイトを喰らうほど通常は意識をしようがないのである
じゃあなぜヘイトを喰らっているかというと人気キャラとの切り離せない関わりを持つキャラなのである
切り離せないキャラなため、夢妄想したり・自分が好きなキャラと掛け合わせて腐妄想する際に存在が邪魔 なのである
ア、アホかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー😭
お前(夢・腐女子)の妄想世界ではコイツは最初からいないことにすればええやんけ????????
なんでお邪魔キャラをそんなに意識してるん????もうそれひょっとして恋かもよ???????
そんなわけで、ネタ扱いされるわ(キャラにまったく関係ない文章が出てくる)、(創作物中でキャラが物理的に)殴られる・刻まれる、
厄介扱い(いわゆる嫌われ・厳しめ)されるわが、創作・壁打ちツイートで日常なのである
別にバイオレンス・不条理ギャグ作品じゃ無いのにだ(そもそもそんなpunkなキャラゲーは無い)
何度だって繰り返すが 出番は3分未満で総セリフ数が10個前後 しかない
頼むからモブい二次元キャラをライバル視して同担拒否をかますのやめていただけませんか?夢女子と腐女子さん
彼は非実在青少年であり二次元キャラです、あなたの妄想世界に招き入れなければ彼は入ってきようがありません
マジで頼むでほんまに
ぶっちゃけこれがどういった経緯で書かれたのかは本人のお気持ちのことなので他人にはわからないが、どうも艦これ界隈において多数の二次設定が乱立してはそれが公式に逆輸入され初期のキャラ付けが崩壊することを嘆いたものであると推察されている。
確かに艦これ界隈においては「空母は大食い(特に赤城)」「◯◯はママ(複数いる)」などのファン設定が共有されていき、それが公式へと逆輸入されていっている。これはアニメにおいて赤城が大食いカレーを食べているシーンを思い出せば瞬時に理解していただけるだろう。
そもそも創作物の制作サイドは二次創作の設定を拾って取り入れたがる場合と、初期のイメージを守ろうとする場合のどちらかに分岐していく運命にある。
気をつけたいのは、「ファンにとってのそのキャラクター」を作中で描こうとした結果のファンサービスであって、公式逆輸入を繰り返す運営が単に悪ノリをしてるわけでも、初期設定を貫く運営が二次創作におけるキャラ改変を嫌っているということでもないことだ。あくまで作品とファンが相互に幸せになる形を模索した結果にすぎず、好みの問題、not for meの類となりそこに絶対正義はない。
とはいえ個々人の感情においては「俺が不快だからな許せねえ」が絶対正義となるのも事実であり、内心の自由が保証されている国でそこに踏み込んで平地に均せということに正義はない。
事件はアニメ「ポケットモンスター サンアンドムーン」第13話「アローラパンケーキ大レース!」において起こる。
なんとそこにはしょんぼりした垂れ目で情けない顔をしたあのカイロスがいるではないか!
カイロスは昔から「レアだけどパっとしない」「クワガタというよりアリジゴク」「ストライクは強くなったぞ」「ライバルのヘラクロスは普通に強いぞ」とネタにされ続け、メガシンカによりようやく日の目を見たときでさえ「対抗馬だったヘラクロスへの殺意が具現化した姿」と言われてしまうほどのネタキャラぶりである。
そんな姿と強気な吊り目のギャップが魅力のカイロスが何故か垂れ目にされるウサミちゃんの画像のインパクトはなかなかのものがあり、あのウサミちゃんの画像がポケモンアニメ事件より前にバズった際には多くの界隈で「なんで突然カイロス?」「これはカイロスなのか?」「流石にキャライメージが変わりすぎだろ」「カイロスは繊細じゃないよ~」「カイロスはそんなんじゃないよ~」と言われまくっていた。
元々ネタ扱いしていいポケモンという立ち位置が強かったカイロスにコレが起きてしまったせいで、カイロスのキャライメージに「そんなんじゃないよ~」は強く埋め込まれることになった。
強気な顔つきと攻撃的なメガシンカ初代やGOにおけるレアリティなどの要素から一転直下して「そんなんじゃないよ~」と言い出す姿はネタキャラとしては最高に美味しいためある意味セーフというのが多数の意見だが、一部には「カイロスは実はカッコイイ」「クワガタやぞ?」「漢の相方」といった価値観のファンもおり、そういった「強いカイロス」のマニアにとっては強い逆風が吹くことになってしまった。
この事件における最もインパクトが強いところは、公式逆輸入を最悪と謳ってる本人が公式に逆輸入されるネタを提供し、キャラクターイメージを変化(まあカイロスは元々ネタキャラだからセーフみたいなのは今は置いといて)させてしまったことである。なぜ適当な動物キャラにしなかったのか。どうしてカイロスだったのか。どうしてあんな描き方をしたのか。作者の無配慮が産んだ悲劇にして現代インターネットの喜劇である。
我々が「カイロスはそんなんじゃないよ~」から学ぶべきことは、自分が誰かの無配慮に怒るとき、自分の怒りに意識を向けすぎると、今度は自分が誰かにとっての無配慮になってしまうから気をつけねばならないということだ。ここまで読んでくれた皆さんは是非そんなんカイロスを他山の石として持ち帰って欲しい。
一次創作二次創作含めて描いた絵は今までツイッターとピクシブでしか公開してなかったのだけどついに個人サイト建てた。
サイト建てて数ヶ月経った。思った通り人が全然来ない。良かった。本当に良かった。
自分は絵とマンガは情動が溢れた時に描くだけ描いて、せっかく描いたし他人の見えるとこ置いとくかってノリで投稿してただけなので。自分では道端の小石みたいに特に価値もなく見向きもされないものと思って出したものが、他人の目に留まって良さげな反応返されるとビビってしまう。
情けない話、ピクシブでブクマやいいねの数が増えてるの見たりツイッターのふぁぼりつ数が増えるの見るとビクビクしてたんだ。
身内以外に反応をもらうというと「私なんかの絵が見られてる!?」ってすごくびっくりして恐れ多くなって萎縮してしまう性分なことに加えて、(特に二次創作でちょっとでも拡散されると)「私の間違ってるかもしれない好き勝手な読解と解釈に基づくお話が人目に晒されている!これが公式様およびファンの誰かの地雷でご気分を害してたらどうしよう!ごめんなさい!ああああ!」って思って耐えられなくなってたので……
元々そんなにフォロワー数もない弱小絵描きなのだけど、個人サイトの掲載物はツイッターやピクシブと比べて輪をかけて見られない。アクセス数だけで見るならツイッター>>>>>>>Pixiv>>(超えられない壁)>>個人サイトって感じがする。
そりゃそうだ。たくさんの魅力的なコンテンツがあふれるSNSって広場からわざわざ足を運んで何処ぞの誰かのホームページに訪れなければいけないんだから。
他人の訪れなさも実感できたことだし、今までよりは気楽にやれるかもしれない。
「界隈を盛り上げるため、コンテンツの存続につなげるため、SNSではどんどん名前出してこう!」みたいなご意見もたまにツイッターで見るけど、自分にはそれはできないや。ごめんね。コンテンツへの好意を表明したことで生じるファンコミュニティでの人間関係の維持疲れちゃった。なんか「ずっと好きでい続けなきゃいけない」「夢中になってる姿晒さなきゃいけない」って思い込みやすくて疲れちゃうのだな。
もうずっと前にツイッターでかつてのフォロワーさんに言われた「〇〇のこと好きじゃなくなったんですか?」って言われたショックから未だに立ち直れてない。いや、思い返せる範囲では今まで好きになったものを好きじゃなくなったことはないし、ツイッターで呟く頻度が減ったってだけで好意の減衰を疑われてると思うと、疑われないためには「こんなに好きです!」ってポーズをずっと取ってなきゃいけないのかなって思えてきてしんどくて。
まあ、そう言う諸々の理由で、創作物を掲載する場所がSNS以外に欲しかったから個人サイト建てたんだしな。
ツイッターとピクシブの更新がいつ再開されるかはわかりません。気分が向いたら戻るかも。
好きに楽しむぞー!