創作上のキャラは自我をもたないので、作者がそう動かして(アニメ化/実写化で一部改変されて、演じ手の演技が加わって)そのキャラになっているわけで、不快な要素はそもそも誰かが表現したものでしかないんだから、
アンチになって叩く対象はそのキャラじゃなくて、嫌いな要素を生み出した誰かにならないのか、
というか各(メイン)キャラは物語の構成要素をちょっとずつ背負わされていて、
物語の歪みか、そのアンチが嫌いな要素を特定のキャラ(仮に△△とする)がたまたま背負わされてしまっただけじゃないかと、
ありとあらゆる創作物において思う。
作者が作る物語全体の中で、
・成長する/しない過程
・意外性
(↑適当に書いたが他にもたくさんあるだろう)
こんな要素をメインキャラにちょっとずつ配分されて、友情/恋愛/師弟/敵対関係と人数やキャラの能力、掛け合いがバランスよく収まるように設定して配置されてるのが創作なわけで。
このバランスを欠いていて△△だけ出番が多いのは△△が出たがってるからじゃなく作者の責任。
意外性のためだけにキャラが犠牲になったように見えるのもそうさせた作者の力量不足であって、そのキャラを意味もなく殺した△△のせいじゃない。
△△が無能なのは作者がバカか、作中で否定されるべき行動だから、
△△の台詞/主義主張が受け入れられない場合、作中で否定されるために言わされた主義主張なら否定されるまで嫌いでいい。
到底受け入れられない△△の価値観が作中で肯定されて嫌なら、それは作者と合わないのであって、△△のせいで物語が崩壊したわけではない。
△△の行動言動が痛くて見ていられなかったりテンションが苦手なのも、場面を明るくするためかキャラ全体を見たときのバランスの都合、あるいはキャラ同士の掛け合いのしやすさからそうなってるだけで、△△がうざいわけじゃない。
外見、キャラデザが受け付けないのは、そう描いた作者、アニメの作画班、俳優のルックス、メイクのせい。
(アンチの中で歪んだものの見方になってる可能性はいったん置いておく)
ただ、なんとなく△△が苦手と思ったときに作者がどうこうまで踏み込まないのは当然だし、この程度だとアンチ化しないので理解できないとは思わないが。
嫌いな要素を作った作者が嫌いなんだが、作品全体は好きだから作者を嫌いとは言えず、(↑に書いたことなんか分かりきった上で)