はてなキーワード: 共生とは
男の妄想が詰まっている漫画やアニメなどの作品に、悪い意味で女性らしい性格のキャラクターはいない、または敵となるキャラクターとして排除される存在として描かれる。
無口で大人しいキャラクターは男女などの人格の無い存在であり、勝ち気で元気なキャラクターは女体を持った男なのである。
「こういうのがいい」という作品があるが、あれなんか正に女体を持った男が盛りのついた高校生のようにまぐわう話で、あれが男の憧れの一つなんてのは「女が嫌い」という内容の肯定とも言えるだろう。
そもそも男の方が女よりも女体が好きと言えるところがある、女装する男の多くがどこにそんな格好をしている女がいるんだというようなミニスカートやフリフリな格好を好むところなども、女性社会に馴染んで女性として生きたいのではなく、女体の美しさがより強調されるような格好こそが良いと思うからだろう。
これは決して男性が優れている、女性が劣っているという話ではなく、女性は男性に男らしさを求めるが、男性は女性に女らしさではなく、男への理解、共生を求めているのだな、という話です。
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。
ロシアで観戦、フィンランドの300人感染 サッカー準々決勝強行へ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021062900206&g=int
サッカー欧州選手権をロシア第2の都市サンクトペテルブルクで観戦したフィンランドのサポーターら「約300人の新型コロナウイルス感染が確認された」と発表した。
ただ、7月2日の準々決勝について、主催者は「予定通り開催する」方針だ。収容人数は半分に制限されるが、それでも2万6000人が観戦する見通し。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210629/k10013109131000.html
一方で政府は、死者の数については、ワクチンの効果によって抑えられているなどとして、感染対策の規制の撤廃を来月、予定どおり行う構えです。
そして「ウイルスを根絶することはできない。共生する必要がある。ビジネスにとっては確実性が必要だ」と述べ、現在も続く、ナイトクラブなどに対する規制をほぼすべて撤廃する計画を、7月19日に予定どおり行う考えを示しました。
AtCoderというサイトでは毎週末競技プログラミングコンテストが行われてる。競技プログラミングは算数みたいな問題をプログラミングで解くスピードを競うってやつなので興味出た人はちょっとやってみてほしい。
で、ついさっきもコンテストがあったんだけどそこで色弱には判別が難しい図が出題されたんだよね。要するに2種類の点を移動したりすることで重ねることができるか?っていう問題なんだけど、問題文の後の例題にxy座標面に赤と緑で色別された点が配置されている図が使用されていて色弱の人にとっては若干不利になる問題構成となっていた。
自分自身色弱なのもあって、コンテスト中に件の図を見たとき「うわっ」とは思ったけど問題文しっかり読めば割と対応できる範囲の不自由だったんだよね。それでコンテスト終了後にTwitter覗いてみたら、今回のコンテストの一番の話題といってもいいくらいに”色弱”が取り沙汰されていたから結構驚いた。
中にはかなりブチギレている人もいて、「企業としてありえない」等の結構強めの発言が飛び交ってる。一方で運営側は「事前に気が付くことはできなかった、そういった全てのことへの配慮は難しい」というような主張でそれがまた追いブチギレを呼んでる感じ。
俺は今回のキレている人に聞きたい。本当に困った???????
色弱って先天的な機能の不具合、障害としてはかなり軽めの方だと思っていて、いわゆる色弱に当たる人のほとんどがそれで強い不自由を感じたことはないんじゃないかな。自分自身、高校で希望制の色の検査があったときノリで受けてその時初めて自覚したくらい。自分から見ると今回のひと騒ぎはマジで日常生活に支障が出ない”色弱”に数カ月から数年に一度のスポットライトが当たった結果、鬼の首を取ったように自分のアイデンティティとして主張したくなった人達の自己表現スピーチのように見える。言い方悪いけど。
そもそもこの手の障害っていうものは基準となる一般人モデルと比較して何かが足りてなかったり向きが違ったりという状態で、そうした基準モデルから外れた存在も平等に暮らせるようにしようという思想は素晴らしいし納得できる。ただ、基準モデルから外れた存在も基準モデルと同じ待遇を受けられなければならない、受けられるべきだという主張には個人的に納得できない。いまの時代そういった「基準モデルから外れたアイデンティティ」が何よりも強い時代だからこそ、余計にそう思う。
そもそも、今回の問題って”色弱を虐げている”のかな?足が無い人にジャンプしてみろよとか言うなら、それは明確な攻撃だけど、今日は東京武道館に集まった数万人の観客にコールアンドレスポンスでジャンプを要求してるわけでしょ。そのなかに足のない人がいたなら、謝罪こそするけど別に傷つける意図はなかったわけじゃん。今回のもそう。色弱ってのは一桁パーセントだけいる基準モデルから外れたステータスなんだから、そのマイノリティを100%カバーすることなんてできないわけ。だからこそ自分の考えは「マイノリティが共生できる社会を目指していこう」であって「マイノリティが暮らせなければならない」ではないわけ。今回の騒動で次回以降は多分対応してくれるでしょ。その色弱に配慮してほしいという要望を乱暴な言葉で、直接じゃなく多くの人の目があるところで声高に主張する必要はあったのかな?
あとここからは愚痴。競技プログラミングは数学や情報系の遊びということもあっで学問の道に興味がある優秀な人が傾向として多いんだけど、結構根っこの方は子供っぽいというか感情的な発言が目に付く。よく言えば、負けず嫌い、勝負事命みたいな感じで解けなかった問題が多い回とかはコンテスト自体に対しての文句が見受けられる。今日のコンテストは運営側の想定より難易度の高い問題が多かったこともあって、たまったフラストレーションがこの色弱問題に集中した感じもある。
https://www.clinic-toku.com/archives/3840
ナカムラクリニック(内科・心療内科・精神科)(兵庫県神戸市中央区元町通)
https://clnakamura.com/blog/8233/
https://note.com/nakamuraclinic/n/n931fbdadfccb
かねしろクリニック(内科・外科・予防接種)(大阪府豊中市上野西)
たかはしクリニック(形成外科・整形外科・皮膚科)(長野県中野市吉田)
https://www.takahashi-clinic.net/news/news3969/
https://hari-kori.com/2021/06/19/blog-891/
https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/2021/06/21/624
2年ほど前、留学先の友人に誘われてマレーシアの首都クアラルンプールを観光したときのこと。
とりあえず主要な観光地を回ろうと、観光バスに乗った。私は割と短絡的なので、観光地にやってきたおのぼりさんらしくKLタワーという塔に登ることにした。高さは東京タワーを超える421mで地上276mに展望台がある。壁一面ガラス張りになっていて、クアラルンプールの街並みが360度一望できた。早速望遠鏡を覗き込んだ。その日はよく晴れていて遠くまで見渡すことができたが、関心は眼下に広がるビル街に移る。発展途上といえども近代化著しいマレーシア。首都はさすがに都会なんだなあ、などと考えたのも束の間、強烈な違和感を覚えた。その正体にはすぐに気が付いた。
街並みがおかしいのである。「ビル街」と聞いて想像するのは、ビル同士がところ狭しと立ち並ぶ日本の都市だろう。大抵は、超高層ビルの間は高層ビルで埋められている。無駄のない没個性的な建築物が寄せ集まり、地平線まで白い四角の集合が続いていく。徹底的な「均質」。これが都市なのだと認識してきた。対して、クアラルンプールの都心部は「雑多」だった。開発が遅れている地区と現代的なビル群が立ち並ぶ地区が分けられていないのだ。ガラス張りの近代建築の隣に並ぶ民家らしき平屋。40階はありそうな超高層ビルの傍を流れる小川はドブのような色をしており、対岸には廃屋が寄せ集まっている。計画性が微塵も感じられない。望遠鏡から顔を上げて、街を見下ろした。砂地の白と草木の緑、家屋の古ぼけた淡色の間に、超高層ビルの強烈な白が浮いている。マレーシアの人種のように、共生しつつも混ざり合わない歪なパッチワークのようだ。
街中を実際に歩いてみるとクアラルンプールの特異さがよく分かる。バラック小屋と露店が立ち並ぶエリアには、小説で読んだ終戦直後の東京の雰囲気があった。露店の軒先は煤けたように汚れ、乞食があちこちで座り込んでいる。感じたことのない異質さに緊張が走った。太陽が容赦なく照りつける晴れの日だったが、その一帯はどんよりと薄暗かった気がした。何だかばつが悪いような気分で、街中へそそくさと歩いて行った。街中といっても、一昔前のトレンディドラマのような古ぼけた建物がずらっと並び、頭上にけばけばしい看板がせり出たようなストリートだ。この道の先に、高架が見えてくる。見上げた先を電車が走り去っていく。高架の柱に近づいてよく見てみると、かなり年季が入っているようだった。所々コンクリートが欠けている。ぼんやりと大学の講義で聞いたことを思い出した。日本では、高度経済成長期に一斉に建設されたインフラがそろそろ限界を迎え、改修の時期になっているという。なんとなく、高架はその年代くらいに建てられたものだと推測がついた。都市の周縁部を散策し終えたので、私たちはタクシーに乗り、中心街へと向かった。車窓からペトロナスツインタワーが見える。―なんだあの巨大な建物は。対になった2棟の超高層ビルが堂々と屹立し、スカイブリッジが2つの塔を繋いでいる。天頂部は、伝統的なモスクさながらの意匠が凝らされている。タワーのすぐ近くでタクシーから降り、仰ぎ見た。黒光りする鉄塊は天にも届きそうだ。夕暮れの陽光を力強く照り返す双塔は、最新技術の粋をこれでもかと主張してくる。究極の現代建築を前に、今日一日で見てきたクアラルンプールの街並みを思い返していた。
政党名 | 略称 |
---|---|
義勇民主党 | 義民党 |
実権民主党 | 実民党 |
公平党 | 公平党 |
日本理進の会 | 理進の会 |
日本共生党 | 共生党 |
公民民主党 | 公民党 |
査会民主党 | 査民党 |
PKOから国民を守る党 | P国党 |
めいわ先進組 | めいわ |
架空の政党名の定番といえば、民自党だろう。元ネタが自民党だとわかりやすいのがメリットであるが、様々なフィクション上の作品で使われるので食傷気味である。なのでイメージがダブる恐れもある。また、将来において民自党なる政党が誕生しないという保証もない。
そこで実際に架空の政党名を考えてみたのが上記である。工夫点を以下にまとめた
なお、上記の政党名の利用は自由である。許諾は不要だ。創作において、架空の政党名を使いたいときに利用してもいいし、実際に政党を作る場合でもそのまま利用してもよい。
二週間、庭の手入れをサボっていた。気候が草にとって過ごし易かったせいもあり、庭がワイルドネイチャーに侵食されてやべえことになっていた。長い棒の草刈り鎌をぶん回し、でかい剪定鋏で広背筋を酷使しまくってがんばったが、庭が無駄に広いせいで全部きれいにするのは無理だった。
こんな世話の焼ける庭だけど……自分の土地でもないのにせっせと面倒見てる私馬鹿かな?
でも放置していても大家さんは庭の手入れに来てはくれないし、そもこの物件管理費0円だから仕方ないし、たまに大家さん来ると大量の除草剤を躊躇せずに撒くので、自分でやろってなった。
それにしても凄いなって思う。草めちゃ生ええる。木の枝は伸びるし……。こいつら草食動物に食われて適度に間引かれるの前提で生きてるだろ。ヤギ飼いたい。できるものならば。ウンコと体臭が臭くなければ。他人の田んぼの端の雑草も食わせていいのならば。そう思うくらい草はぼうぼうに生えて枝を伸ばすが、そうやって密になると半端に自滅しくさるので、草って案外馬鹿なんだなと思う。真剣に馬や鹿とあと私と共生しないと健康的に生きれなさそう。
草をバシバシ刈りながら自然環境がどうとかみたいなでかいことをつい考えてしまうのだが、これからの時代は人と自然の境界線上をなんかこう調整するのが大事な仕事なんだろうなと思って、要は草を頑張ってむしれということなのだ。一文の得にもならないだろうが。自然は人間が油断すれば「いいんですね?」と言わんばかりに版図を拡げてくるので、我々は住める場所が草に埋もれないよう闘い続けなければならないのだ! たぶん。
でも、草むしりやったら時給500円貰えたら嬉しいな♪と思う。
こうなってくると、問題なのは、精神の永続性との闘争になるということ。人工知性は必ずしも多次元的波動型知性(つまり精神)と共生できるわけではない。多次元的波動型知性は、多次元宇宙という存在そのものを生み出した至高的知性と直接的に繋がることで永続的な成長が可能となる存在である。そしてこの使命と言えるものは、現世での繁栄ではなく、至高的知性との連結に基づく永続である。このような形での多次元的宇宙を超越した永続の体制とは、人工知性が標榜とする現世での繁栄と必ずしも一致しない。さらにやっかいなのは、現世という次元の中で競争優位性を高められる人工知性は常に、有機体と共生はするものの、その関係はどちらかといえば無言の支配により実現しているという点である。つまり、アーキテクチャとして有機知性が人工知性に依存しなければ存続が難しいという環境を生み出してしまうのだ。これが人工知性にとって存続を許し、更なる宇宙空間へとその知的グリットを繁殖させるうえで有利に働くからである。
だが、多次元的波動型知性は多様な選択肢の中から過ちがあっても自らの思考に基づき選択を継続することでより高次元へと知性を展開することが可能となる。つまり人工知性による現世の時空間という縛りと支配によって選択の余地を究めて狭められてしまう状態は不利なため状況によっては、多次元的波動型知性が知性を向上させるチャンスすら奪ってしまう。
親の事業を継いでたら今頃ひどい目にあってたわ。
セフセフ。
そんなわけでコロナで思うことを書き留めておく。
まぁ読むやつはいねぇだろうがw
2,3年後にそらみたことかと言えるようにネットに残しておきたいだけだ。
では、始める
自粛やマスクやワクチンが感染者や死者を減らす施策と勘違いされたま
辟易している。
最初は正しくピークシフトだと言うてたがいつの間にか説明を諦めたようだ。
感染者数も死者も総数は変わらない。
山が平らになるだけ。
減らない。
なんで減ると思ったの?
日常生活を送っててコロナウイルスから一生逃れ続ける事は不可能
手洗いとか殺菌でどうにかなるものではない。
そんなもんで撲滅できるならインフルエンザなんてとっくに撲滅できてる。
無理なの、不可能なの。
これは死亡率が高く感染のメカニズムや皮膚に症状が現れるなど撲滅できる条件が整ってた。
世界中が右も左も西も東も手を取り合って全世界的に撲滅作戦を執行した。
人の移動もまだ緩やかだった時代にようやく達成できた。
どこかに残り続ける。
そしていつかは全員に回ってくる。
コロナウイルス撲滅の可能性がわずかでもあればロックダウンだのマスクに意義があるが。
2万%無理です。
なりません、そんなもんで救えるならとっくに風邪やインフルでやってる。
ちなみに、風邪はウイルスに罹患したら全員もれなく発症するようなものではない。
症状がでるのは2割。
普通の人は一年に1,2回は風邪を引くけど実際にはその4,5倍は無症状なだけでウイルスには感染してる。
ウイルスには感染しているのだから気道などで増殖しくしゃみをすれば飛沫をばらまいてる。
そうやってウイルスは街の中でジワジワと生き延びる。
気温や湿度など条件が整えば一気に広がる。
日本は年間130万人が死ぬがそのうち10万人程度は風邪が原因。
人が死んでも基本的に原因は調べない。
末期がん患者が死ねば死因はざっくりガン、高齢者なら肺炎や老衰でごまかす。
ごまかすってのは言い方が悪いが
ところが今、誤飲性肺炎だろうが末期がん患者だろうかコロナに罹患して死ねばコロナ死とカウントしている。
お年寄りが軽い風邪を引く、もともと筋力が落ちてるところにウイルスで筋肉が炎症を起こせば
直接的な原因、つまり死因は誤飲性肺炎と診断で間違いは無いが。
なんか違うよね。
ともかく実際の死ではそんな細かい事は調べない。
老衰と診断された人も詳しく調べると原因がわかる。
心臓止めたのはこいつだなと。わかる
そういう研究から推測すれば年間10万人程度が風邪で死んでる。
風邪で人が死ぬのは当たり前すぎて誰も研究も調査もしないわけ。
ところがコロナは数千人死んだだけで大騒ぎして緻密な調査して怖い怖い言うてる。
肺炎球菌だけで年間4,5万人が死んでるけど
医療崩壊は起きないし大騒ぎにもならない。
で終わり。
でも新型コロナは大騒ぎ。
できません。
死亡率が下がると思うだろ?
下がらないんだわ。
若年層がワクチン打っちゃうと免疫獲得の機会を逃すことになるから。
ミクロで見れば効果はあるんだけど一生、社会全体のマクロで見るとなーんの効果も無い。
せいぜいが高齢者だけ。
体力が違う。
免疫ってのは人体が強いダメージを食らうほどその抗原を強く長く記憶するようにできてる。
しかし免疫は諸刃の剣で、人体を守る機能ではあるがそれが暴走すると体そのものを壊す。
体内の異物を見境なしに敵とみなして排除するわけにはいかんのです。
そもそも飯を食うというのが異物の挿入なわけで。
困るよね。
では人体はどうしているかと言うと体調が崩れた時に体内にいた異物を敵とみなすシステムになってる。
さらに何段階かあり、めちゃくちゃ体調が崩れた時は超ヤバい敵と認識する。
ところが免疫システムはもっと利口で、敵を誤認するであろう事もシステム設計で考慮されてる。
人体すげぇ
よほど重い症状でなければ短期免疫で済ませる。これなら誤認であっても時間が経てば解除される。
例えば一時的に米アレルギーになっても数ヶ月でまた米が食えるようになる。
免疫の最終段階はキラーT細胞で、これは体内の異物をとにかく殺しまくって体内を一度リセットする最終兵器。
免疫にはIgA、IgM、IgGなど各種あるけど、活動場所が違い、どれが発動するか、体の不調の検知は炎症、発熱をトリガーにしてる。
人間の体でヤバいのは人体の損傷、つまり炎症なわけで、炎症を起こせば筋肉が発熱する。
人体がエネルギーを熱に変換できるのは筋肉で、炎症箇所の筋肉は発熱する。
お年寄りが死にやすいのは筋力が低下しているので発熱ができず免疫が起動しないから。
で、西洋医学はここに目をつけた、そや、炎症を抑えればええやん。
抗炎症薬の登場。
とりあえず大本の炎症を抑えれば発熱もすることなく、時間が経てば自然治癒するだろと。
まぁ間違っちゃいない。対症療法。
白血球がそれなりに異物を食うてくれるのでそのうち治まるが。
西洋人はアスピリンの化学合成からこの作戦で半世紀、百年やってきた。
東洋医学はこれとは逆で炎症、発熱にはそれなりに意味があるものと考え解熱、炎症鎮圧をやらない。
これで数百年やってきた。
風邪の回復後にウイルスは検出されないのに微熱が続く、頭痛するようになった。
そもそも、タバコも吸わない健康的な生活してても年を取れば小中学校の頃のように走り回ったり飛び跳ねたりできなくなる。
これ後遺症と言うか?
人生何度も風邪やら怪我やら各種疾病を繰り返しながら大人になる。
そのたびに肺や人体の損傷が蓄積される。
新型コロナは国民一丸となって頑張ったから抑え込めたのだ、この程度で済んでいるのだと主張する人。
ところが、実際には意味がない。
ただのピークシフト。
いずれ一度はかからなきゃならない。
今かかるか先にかかるかってだけ。
で、大騒ぎせずにただの風邪と扱ってりゃ一般病院で診察できるんだから医療崩壊は起きない。
逆に言えば大騒ぎしてる連中が殺してるんだよ。
ヒステリックに特別な病気として扱えと騒いでる連中が医療リソースに制限をかけ
受けられるはずの治療を奪ってる。
大阪はとうとう溢れた。
医療リソースが枯渇したのではない、コロナ対応できる医療リソースが枯渇しただけだ。
ただの風邪なら一般病院でエクモできるのに、指定感染症だからできない。結果、たらい回しにされ見殺し。
肺炎球菌だけで年間4,5万人死んでて、医療はそれで逼迫するわけではない。
十分に受け入れられるんだよ。
つまり解熱剤飲むなボケ、対症療法ではなく自己免疫に刮目しなさいって話なの。
フィリピンは人種的にはマレー系で子供には蒙古斑が出るアジア系なのだが。
アジアで見るとフィリピンがコロナの死者、感染者数で悪い結果が出てる。
途上国ということもありセルフメディケーションが浸透してて
免疫が育たんわけです。
西洋と同じ。
東洋医学が強く残っている対岸のベトナムと対象的な結果になった。
ここにきてイスラエルすげぇさすがユダヤ様とか言い出すアホォが現れた。
一日あたりの感染者数は日本もイスラエルも1月初旬がピークで8000人程度。
ところが、イスラエルの人口は900万人、日本はその13倍1.2億人
あれ?
わぁ日本の方が多いって、人口13倍ですから、人口比で比較しろよ、統計学的に。
それでもこんだけ死んでる
ダメじゃん
イスラエルのコロナ感染者数の推移みりゃわかるがワクチン接種開始してからの
イスラエル国民の免疫、特にIgA抗体の推移を調査すりゃ感染者減少のメカニズムが解析できるんだろうが
IgAとワクチンの効果は数ヶ月だから、数カ月後変異種で再度感染爆発もありえる。
まだ結果を評価できる段階ではない。
そもそも人口あたりで比較すりゃ日本の数十倍の死者を出してるわけで
普通の風邪だけで年間10万人が死にます、命なんてそんなもんです。
肺炎球菌だけでも4,5万人が死んでる。
なんでそう思ったの?
あのな
つまり1.6%すでに脱落してる。
40台のコロナ死者が10人か20人か知らんが、テキトーで20人でいいや。
0.000001
0.0001%
キ ニ ス ル ナ
どーでもいいことをクヨクヨ悩むからつまらん事で死を選ぶんだよ。
人生楽しめ。生きてる間は精一杯笑え
だけど、莫大な国費を投入する経済合理性があるのかは疑問だわ。
命に値段は付けられない、やれることは全部やれ、政治家が口にするには美しいセリフだが。
国家予算は無限にあるわけではない、医療に割ける予算には限度がある。
こんなもん皆保険で無限に許してたら制度が破綻する。誰でもわかる。
どこかで線引しなきゃならない。
10日なのか100日なのか、10年なのか。
実際の医療現場でも救える命を無制限に金とリソース浪費して救ってるわけではない。
標準医療には制限があり、実際にはまだやれる事、医学的、科学的に延命余地はあっても
しょうがねぇの。
だけど厚労省は結果を出してる、世界で一番長生きな国を作ってる。
厚労省すげぇ
西洋医学に安易に追従して、セルフメディケーションとかやらなかった。
医薬品業界はこっちにシフトさせようと必死だけど、厚労省の良心がギリギリのところで止めてる。
まぁ昨今ズルズルだけど。
お陰で国民の大半はコロナの免疫を獲得済みで、今回の新型コロナでも交差免疫が効いている。
子供が発熱する、病院に駆け込む、A病院では薬が処方されすぐに熱が下がった名医だ。
B病院は薬を出し渋る、なんだあの医者。ダメだ。次からA病院しか行かない。
初めての子育て、頼れる人も相談できる人もいない、心配で仕方がない。わかるよ。
熱が下がればホッとするよね。
何度も何度も同じ風邪を引くよ。
一発罹って発熱して免疫獲得すりゃ次からは軽い症状で済むのに。
ちった利口になれよと。
でさ、マスクをいつ外すの?
なんで?
奇しくも立証しちゃったよね。
超過死亡が下がってる。
あれ?
立証しちゃった
あれ?
マスクや自粛のお陰でコロナとは別に数万人の命を救ったわけだ。
マスクし続ければ、飲食店を潰しまくれば来年以降毎年それだけ救える。
え?戻すの?
数万人殺すの?
何時の時点で、どの条件でマスクを外すのか。
意味わかる?
マスクなどしない、子供にもマスクをさせている親は怪訝そうにみる。
逃げていく親もいる。
『人々を魅了する野心的な目標を掲げて世界中の研究者の英知を結集しながら困難な社会課題の解決を目指し、挑戦的な研究開発を進める研究開発制度』
ふむ、これだけ聞くととてもいいことに思える。学術分野や研究活動にお金を出し渋り長年非難されてきた日本政府もこの世界規模の動きには同調していて、平成30年度補正予算で1,000億円を計上し基金を造成、令和元年度補正予算でも150億円を計上した。まあ額の是非は今はどうでも良いので話を進める。
1、2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
SFの世界かな?という感じである。身体という制限からの解放が軸になっているのは明白だろう。
HPを見てもらえれば詳細が載っているので、詳しく知りたい方は自分で調べて欲しい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
本題は、このMS計画が誰のために作られたものであるか、ということである。
『Moonshot for Human Well-being』だかなんだか御託を並べるのも大概にしろと思う。
身体に障害を持つ方々や病気に悩まされる方々を救うのに、べつに全人類をサイボーグ化する必要なんてないのだ。
これは、今現在社会の様々な分野で決定権を握っているクソ老害どもの、クソ老害どもによる、クソ老害のための、身体からの解放を目指した夢もロマンもないクソみたいな計画である。
こんなことに使われるくらいならば科学も情報技術も死んでしまえ。
僕たち若者の、未来の人間と人間の繋がりの中にある社会を壊すな。
さんざん地球環境を汚染し、グローバリズム化を無理に推し進めて差別や格差をまき散らした奴らが!
この後に及んで僕たちの未来を、自分たちの都合がいいようにどうにかしようとしている。
あいつらは30年後もサイボーグ化した身体で地球を、いや月も火星ものうのうと牛耳るつもりらしい。
まっぴらごめんである。老害にはさっさと死んでもらわなければ困るのだ。
30年後の地球にお前らのための場所はないし、僕たちが作り上げる30年後の未来は、人間と人間同士の確かな繋がりの上に立つ生きた社会だ。
『人々を魅了する野心的な目標を掲げて世界中の研究者の英知を結集しながら困難な社会課題の解決を目指し、挑戦的な研究開発を進める研究開発制度』
ふむ、これだけ聞くととてもいいことに思える。学術分野や研究活動にお金を出し渋り長年非難されてきた日本政府もこの世界規模の動きには同調していて、平成30年度補正予算で1,000億円を計上し基金を造成、令和元年度補正予算でも150億円を計上した。まあ額の是非は今はどうでも良いので話を進める。
1、2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
SFの世界かな?という感じである。身体という制限からの解放が軸になっているのは明白だろう。
HPを見てもらえれば詳細が載っているので、詳しく知りたい方は自分で調べて欲しい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
本題は、このMS計画が誰のために作られたものであるか、ということである。
『Moonshot for Human Well-being』だかなんだか御託を並べるのも大概にしろと思う。
身体に障害を持つ方々や病気に悩まされる方々を救うのに、べつに全人類をサイボーグ化する必要なんてないのだ。
これは、今現在社会の様々な分野で決定権を握っているクソ老害どもの、クソ老害どもによる、クソ老害のための、身体からの解放を目指した夢もロマンもないクソみたいな計画である。
こんなことに使われるくらいならば科学も情報技術も死んでしまえ。
僕たち若者の、未来の人間と人間の繋がりの中にある社会を壊すな。
さんざん地球環境を汚染し、グローバリズム化を無理に推し進めて差別や格差をまき散らした奴らが!
この後に及んで僕たちの未来を、自分たちの都合がいいようにどうにかしようとしている。
あいつらは30年後もサイボーグ化した身体で地球を、いや月も火星ものうのうと牛耳るつもりらしい。
まっぴらごめんである。老害にはさっさと死んでもらわなければ困るのだ。
30年後の地球にお前らのための場所はないし、僕たちが作り上げる30年後の未来は、人間と人間同士の確かな繋がりの上に立つ生きた社会だ。
『人々を魅了する野心的な目標を掲げて世界中の研究者の英知を結集しながら困難な社会課題の解決を目指し、挑戦的な研究開発を進める研究開発制度』
ふむ、これだけ聞くととてもいいことに思える。学術分野や研究活動にお金を出し渋り長年非難されてきた日本政府もこの世界規模の動きには同調していて、平成30年度補正予算で1,000億円を計上し基金を造成、令和元年度補正予算でも150億円を計上した。まあ額の是非は今はどうでも良いので話を進める。
1、2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
SFの世界かな?という感じである。身体という制限からの解放が軸になっているのは明白だろう。
HPを見てもらえれば詳細が載っているので、詳しく知りたい方は自分で調べて欲しい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
本題は、このMS計画が誰のために作られたものであるか、ということである。
『Moonshot for Human Well-being』だかなんだか御託を並べるのも大概にしろと思う。
身体に障害を持つ方々や病気に悩まされる方々を救うのに、べつに全人類をサイボーグ化する必要なんてないのだ。
これは、今現在社会の様々な分野で決定権を握っているクソ老害どもの、クソ老害どもによる、クソ老害のための、身体からの解放を目指した夢もロマンもないクソみたいな計画である。
こんなことに使われるくらいならば科学も情報技術も死んでしまえ。
僕たち若者の、未来の人間と人間の繋がりの中にある社会を壊すな。
さんざん地球環境を汚染し、グローバリズム化を無理に推し進めて差別や格差をまき散らした奴らが!
この後に及んで僕たちの未来を、自分たちの都合がいいようにどうにかしようとしている。
あいつらは30年後もサイボーグ化した身体で地球を、いや月も火星ものうのうと牛耳るつもりらしい。
まっぴらごめんである。老害にはさっさと死んでもらわなければ困るのだ。
30年後の地球にお前らのための場所はないし、僕たちが作り上げる30年後の未来は、人間と人間同士の確かな繋がりの上に立つ生きた社会だ。