はてなキーワード: 共生とは
専門家同士、例えば医学者と経済学者が共生するとは限らないってのが頭痛い話でね
共生するとは限らないから政府は様々な要素の目標値を設定し、医学者と経済学者はその目標値を目指すアプローチをいろいろ考えてくれるわけですよ
コロナ禍という異常情勢下では目標値は低く設定されがちであることは何となく想像付くだろうけど、低く設定されるってことは通常情勢下にはない犠牲が伴うってことでね
そりゃあ各業界、各人員は自分が犠牲になりたくないから必死になって目標値を設定する政府へ色々とアプローチするわけです
それは擦り寄りだったり逆に脅しだったり色々と政府は受けるわけで、そんな中で設定される目標値が果たして妥当なのか?って話なわけです
「こういうやつ」の元増田だけど、まずワクチンは効かなくなるから毎年必要って書いてるしワクチン打ってもインフルエンザはそれでも毎年1000万人感染してるって書いてるんだが、これをどう読めば「ワクチン万能論」だと解釈できるのかちょっと理解不明です。もし他の人と一緒に括ってるだけならそれは不毛なのでやめてね。
> こいつらの考えってコロナとは共生できるとか、withコロナとか、バランスの良い考え方ができる自分が正しいとか、早く元の生活に戻ろうみたいな考えが根っこにあるから
これって至極当たり前の話だと思ってるんだけどそういう考えを持ってないのか?自分が死ぬまで&自分の次の世代やその次も一生この生活で良いというのはすごい考え方。
たぶんきみはそれで良いのかもしれないけど、人類の歴史はより良い生活水準になるように努力し進歩していく積み重ねだよ。きみが子供の頃に予防接種を打って結核にならずに他の子供たちと学校で遊べたのも、外を出歩いて病気になったら国民皆保険のおかげで激安で簡単に医者にいけるのも、全て先人が必死にそうやって努力したからあるもの。
そこまでの視野を持ってない状態で「俺はこれぐらいの生活で我慢できる、他のみんなもこのクソみたいな生活で我慢しろ」というのは勝手だけどそれならそもそもこんなところでそれっぽい議論なんかしてないで自分だけの小さな世界の中で生きてればいいじゃん。
昔話をすると GAE 時代を含むのだけど、Google Cloud が AWS や Azure より使い勝手がイマイチだと思うのは、Google の作る API というかサービスが「お前ら、こういうのが欲しいのだろ?」的な雰囲気が鼻につくというか、「いやぁ、別に...」というすっとぼけたモノを持ってくるからイラつくのだよ。確かに GKE や
Pub/Sub はすごいけどさ、一芥のエンジニア的には Oracle 的なサブマリン特許みたいなライセンス形態で金をぼったくられるのにうんざりしているから、使いたくないんじゃよ。それに時代は Docker Compose で、疎結合なシステム開発をする時代においてコンテナに載せれないサービスを使うのは避けたいしね。AWS とは違って、OSS との共生を図っているのは理解できるけど、顧客が欲しているのは AWS のように OSS を運営しないで済む PaaS のようなサービスだったからね、世の中うまく行かないよね。(本当はさくらクラウドを応援したいけど)
なんかね、パラリンピックは障害者のスポーツ大会って思われてるのが気になるんだよ。
なんか知らんが、良いイメージ。
そんな大会に、小山田圭吾みたいな障害者をいじめてた奴が音楽提供するのはけしからん、みたいになってる。
でもさ、パラリンピックって、ほぼ身体障害者のスポーツ大会だよ。
あと、聴覚障害者の参加枠もないんだよ。
これって差別じゃない?
詳しく書くと、パラリンピックの知的障害者の参加枠は、22競技中3競技しかない。
でも陸上だって、さっき数えたら167種目中8種目しか種目がなかった(ちょっと誤差があったらすまん)。
あとは身体障害者の種目だよ。
そもそもパラリンピックは強いものに価値を見出す大会だからさ。
障害者の中で弱肉強食やってるんだから、共生や多様性とは程遠いんだよ。
パラリンピックが小山田圭吾を採用したのは、こういう経緯があると思う。
パラリンピックは知的障害者の参加は少なく、聴覚や精神障害者の参加はない。
母親が所謂「萌え」系アニメに強い嫌悪感を抱いていることはうすぼんやりと気付いていたが、自分が学生の頃にそれが確信に変わった。
ある冬の事、NHKのニュースで鷲宮神社が取り上げられたことがあった。若者に人気のアニメ「らき☆すた」の舞台の一つとして、大勢のファンが参拝しているという話だった。
オタクの聖地巡礼スポットだっただけに、境内に飾られていた絵馬はイラスト付きで推し(当時の言葉で言えば嫁)への愛を訴えるものが多くあった。
その映像が流れたのはほんの数秒だった。しかしたったそれだけで、お茶の間が凍り付いた。冷気の発信源はまぎれもなく母だった。
その時に、母にも地雷があることを知った。
幼いころからジブリやディズニーを見せられて育ち、食事中のアニメ鑑賞なども割と寛容だった母だっただけに、あの凍り付きっぷりは印象的だった。
その数年後も、初音ミクがライブを成功したというニュースを観て大量の冷気を放っていた。ミクちゃんのライブ成功の報道に内心喜んでいた私には結構ショックだった。
冷気は重い圧の様にのしかかって、初音ミクの話題を出すことを避けさせた。
そのせいか、十数年の月日が経ち、一人暮らしをするようになった今になってもアニメを観ていると母に品定めをされているような気持ちになってしまう。
このアニメは母に受け入れられるアニメなのか、そうでないのか。そんな目でアニメを観てしまう時がある。
今期もメイドラゴンSの作画のクオリティや演出などにテンション爆上がりしながらも、脳内の母に散々言い訳をしている自分がいた。
いや、違うんだお母さん。イルルの体型は精神的な幼さに反してドラゴンとしての実力を十分に持っているというアンバランスさを表した姿であって決して原作者のフェチだからという理由だけでは語れないものがあって……
そんなことを頭で反芻していると、アニメを一話観ただけでもドッと疲れてしまう。
ここまで散々脳内の母に言い訳をしてきた私でも、母に理解を求めているわけではない。理解よりも共生を望んでいたんだと思う。
仮に母の嗜好にそぐわない作品が紹介されても、それが好きな人達もいるよね、と話せる間柄でありたかった。
母の冷気のように噴射する圧は私にはとても居心地が悪く、何よりそれが無性に寂しかった。圧で沈黙させるのではなく、対話で互いの落としどころを見つけたかった。
メイドラSの終盤のシーンを思い返しながら、何故だかそんなことを思った。
母親が所謂「萌え」系アニメに強い嫌悪感を抱いていることはうすぼんやりと気付いていたが、自分が学生の頃にそれが確信に変わった。
ある冬の事、NHKのニュースで鷲宮神社が取り上げられたことがあった。若者に人気のアニメ「らき☆すた」の舞台の一つとして、大勢のファンが参拝しているという話だった。
オタクの聖地巡礼スポットだっただけに、境内に飾られていた絵馬はイラスト付きで推し(当時の言葉で言えば嫁)への愛を訴えるものが多くあった。
その映像が流れたのはほんの数秒だった。しかしたったそれだけで、お茶の間が凍り付いた。冷気の発信源はまぎれもなく母だった。
その時に、母にも地雷があることを知った。
幼いころからジブリやディズニーを見せられて育ち、食事中のアニメ鑑賞なども割と寛容だった母だっただけに、あの凍り付きっぷりは印象的だった。
その数年後も、初音ミクがライブを成功したというニュースを観て大量の冷気を放っていた。ミクちゃんのライブ成功の報道に内心喜んでいた私には結構ショックだった。
冷気は重い圧の様にのしかかって、初音ミクの話題を出すことを避けさせた。
そのせいか、十数年の月日が経ち、一人暮らしをするようになった今になってもアニメを観ていると母に品定めをされているような気持ちになってしまう。
このアニメは母に受け入れられるアニメなのか、そうでないのか。そんな目でアニメを観てしまう時がある。
今期もメイドラゴンSの作画のクオリティや演出などにテンション爆上がりしながらも、脳内の母に散々言い訳をしている自分がいた。
いや、違うんだお母さん。イルルの体型は精神的な幼さに反してドラゴンとしての実力を十分に持っているというアンバランスさを表した姿であって決して原作者のフェチだからという理由だけでは語れないものがあって……
そんなことを頭で反芻していると、アニメを一話観ただけでもドッと疲れてしまう。
ここまで散々脳内の母に言い訳をしてきた私でも、母に理解を求めているわけではない。理解よりも共生を望んでいたんだと思う。
仮に母の嗜好にそぐわない作品が紹介されても、それが好きな人達もいるよね、と話せる間柄でありたかった。
母の冷気のように噴射する圧は私にはとても居心地が悪く、何よりそれが無性に寂しかった。圧で沈黙させるのではなく、対話で互いの落としどころを見つけたかった。
メイドラSの終盤のシーンを思い返しながら、何故だかそんなことを思った。
日本だと特に東京は色濃いのだと思うけど、個人の選択の自由が認められやすくなってる。それは良いことだなあと思って生きている。
・結婚しない/する
・同性婚/異性婚
・子をもうけない/もうける
なので、これら↑は個人に選択の自由があるべきだと考える派(もっと言えば夫婦別姓、事実婚についても制度ともに容認されるべき)。
そのなかで「子をもうけない/もうける」について、あくまで自身の知人やソーシャルメディア(というかTwitter)で見聞きする範囲での話ではあるけど、子を持たないことについて過剰にというか、その価値観を他者にも認めさせようとしすぎてない?と感じさせる発言が多い。
というか、子を持たない選択ってそんなに威張ることなの?と思わされることがしばしば。
色んな生き方ができるようになったからこそ、結婚しても子を持たずにダブルインカムで人生を謳歌するとか(別にダブルじゃなくてもいいし)、そもそも結婚せずにその時々にいい人とパートナーになって暮らすのもありだと思う。
自分は子どもがほしくて今の世帯構成に至ってるので、理想とする生き方は人それぞれあるなと思う。
けどその背景として、社会(国とか)の単位で子どもが生まれて育つことで、労働力や税収、社会保障制度が将来的に担保されて、それがあるから子を持たない選択がしやすくなってることを理解してないんじゃないか。
産みたくても産めない、というケースもあるので、その複雑な感情を隠すために強く振る舞うのは分からないでもないが、そうじゃない人も総じて子を持たないことに対して偉そうだなと感じることがしばしばあるので、もうちょいみんな視野が広いといいと思う。
共生というと大袈裟だけど、互いを成り立たせないと将来的に今より生きづらい社会になってしまうんじゃないか。価値観に多様性がないのもつらいし、社会としての労働力や財源がないのもつらい。
(ヒトじゃなく)人間は、一人で生きてるようで、究極的には一人では生きられないので。