はてなキーワード: 何だかとは
妻は自分の考えがしっかりある人間なんだけど、その価値観を絶対だと思い込んでる節があり、私がその価値観に沿わない言動があったときに、「そう考えるのが常識。 それが普通、だからあなたの考えはおかしい」といって不機嫌になるか怒ってしまう。
たとえばこだわりの強いところでは「夫婦の営みは1回。夜だけ。毎週したり、昼間にするのはおかしい」とかから、ニュースに対する反応で「あの不祥事であの罰則は過去の似たようなケースと比べると思い気がする」というと「あなたは罪を軽くみている。その不祥事を肯定しているのと一緒だ」と責められたりする。一事が万事、このような感じなので最近はどうしても顔色を窺ってしまって発言を萎縮してしまっている自分がいる。
考え方には多様性があっていいと思うし、価値観は人それぞれだと私は思っている。もともと違う環境で育った2人が夫婦として暮らしていく以上、価値観の相違はあってしかるべきだし、必要に応じ対話をし相手の価値観も知りながら自分の考えも再構築していければいいのになと。一方で、この私の考え自体、多様性を善
とする自分の考えを妻に強要しているようで自分でも何が何だかわからなくなってきてしまった。
もう少し妻が柔軟性をもった考え方になって貰えるといいんだけど、やはり難しいのだろうか?そういう人と割り切っていくしかないのか。取り留めないですがアドバイス頂けると嬉しい。みんなどうしてるの?
今は子供がいないので極端な話自分がそれを受け入れればいいだけなのだけど、将来子育てとなったときにこのままではまずいのではないかという点も悩んでいる。教育方針に関する相違がでたときに対話を出来る余地があるのかとか、そもそも「かくあるべし」という心理が強いと妻が子育てで鬱になってしまったりすんでないかとかも悩みがつきない。
俺の考えが甘いんだってことはわかってるけど。
自分だけで稼ぐのは難しいから制作会社の業務委託とかでもやってる。
そのうちの一箇所は俺が独立した頃からの付き合いで、すごく良くしてもらっている。
と思ってた。
ただ、ページ制作といってもLPみたいなでっかいページでも費用は一緒。
それから、客とのやりとりも俺なんだけど、これがすっげー大変。
毎日電話かかってくるしメールも頻繁にくるし、打ち合わせに呼ばれることもしばしば。
そのせいで他の仕事が進まなくなって来たりして、焦ってた。
月額固定でやってるんだけど、とても採算が合わなくなって、向こうの社長に直訴。
そうしたら
「そういった部分も能力。見積もり金額から溢れないように自分の裁量でやるべき」
と、暗に俺の能力を責められる形に。
打ち合わせに呼ばれても行かなくていいのか?
で、同業の知り合いに言ったら「いいように使われてるんだよ」って言われた。
「お前は人がよくて、気が弱くて、言われたらハイハイってなるから
安くこき使える外注先なんだよ」ってね。
俺はすっげー信頼してたから、今回のことでものすごい不信感が生まれてしまった。
これ以上払いたくないからこういう言い方をしたということがわかったから。
せめて感謝の言葉と、「自分のところは利益が薄くてこれ以上あまり出せない」
とか言ってくれれば気持ちも違ったのに。
何だかな。
潮時、フェイドアウトするべきなのかな。
前回までのあらすじ:
偶然にも去年「使用済みのバスタオルが臭い」と同居の母に言われた増田は、希釈した塩素系消毒液にその都度タオルを浸すことで夏を乗り切ったが、今年もまた同じクレームが来たのだった
主要人物紹介:
・増田
両親と3人暮らしのパラサイトシングル(就活&資格取得の勉強中だけど進んでない)
母が言う、自分が使用したバスタオルのニオイがわからない(嗅いでも何も感じない)
服とかについた、自分の汗のニオイはわかるので、ぶっちゃけ濡れ衣or母の感覚過敏を疑っている
・増田母
60代・体臭なし
増田の使用済みバスタオルが臭いと主張するが、服は臭くないと言う
・増田父
ニオイに鈍感なので今回の記事にはあまり関係ないが、仕事でメンタルやられて退職を決意した増田に「お前の就活は絶対にうまくいかないし、お前はこの先堕落していくだけに決まっている」と言った前科あり
1.ねっとりと春が来た
時期は4月後半頃だったと思う。増田母が「またタオルが臭くなってきたよ」と言ってきた。ついでに
「こんなこと、他人はわざわざ忠告してくれない。親しか言わないから、あんたのために言ってるのよ」
というダメ押しまで、去年と一言一句同じである。だが去年もそうであったように、増田には母の主張するそのニオイとやらがわからぬ。しかし、己の自己肯定感を下げる言葉に対しては、人一倍敏感であった。まして、ニオイとなれば今後の就活にも影響しうる要素である。これからの季節、発汗必至のスーツ姿で満員電車に揺られ、会場に入る前に毎回腋のニオイを確認するような就活は嫌すぎるし、何よりお祈りメールが届く度に「やっぱり汗臭かったのが悪いのかな」と自分を責めるような就活は嫌すぎる。タオルは家の外に出ないからいいとして、現在使用しているデオドラントその他を使ってもなお、人を不快にするような体臭があるのなら、手を打たなければならない。
増田は新しいデオドラントと石鹸を求めて、密林の奥地へと旅立った。
幸い、密林で入手したアイテムは体質に合っていたらしく、増田母からは「もう臭くない」というお墨付きを得ることができた。だが、おわかりいただけるだろうか……「(増田が使った)タオルが臭い」というのは、あくまで増田母の一方的な主張なのである。増田自身にも、同居の増田父にも感じられない、たった1人だけの主張。しかし、そこのお前! 3人家族中1人の意見に含まれる発言力は、家の空気の約3割だぜ! まして、体臭のない『女親』からそうでない『娘』に対して放たれるその主張は、さながら「お前は女じゃない、私の娘じゃない」と言われているに等しく感じられた。まして増田はメンタルやられてからの失職中であり、家の中でも外でも、何の生産性もない存在である。もうやめて! 増田の自己肯定感はとっくにゼロよ!
とはいえ、これは去年の夏にも通過した道。増田はできるだけ冷静に「臭いと言われると、正論であったとしても傷つく」旨を、増田母に伝えた。しかし、あくまで「あんたのためを思って言っている」というスタンスを崩さない増田母。
「においの問題なんて、親が言わなかったら、誰も言わないのよ? 誰にも指摘されないまま、嫌われてもいいの?」
それ去年も聞いたよママン。
それではと、切り口を変える増田。
「じゃあ、もし今のデオドラントと石鹸が効かないくらい臭くなったら、ワキガの手術受けるわ」
これなら賛成する……かと思いきや、何故か渋い顔をする増田母。
「でも、実際臭いんでしょ? なら、仕方ないじゃない。周りにも迷惑かけるし」
すると、ここで何故か突然キレる増田母。
「じゃあ、言わなければよかったの!? あんたのためを思って言ったのに!」
正直、首がもげるほど頷きたかった。あなたさえ余計なことを言わなければ、私は自己肯定感をマイナスに突っ込ませず、せめてゼロのままでいられたんだよ、お母さん。
しかし、それができないのがパラサイトシングルの悲しさ。あと、増田母は追い詰められるとガチ泣きするので、正直めんどくさい。
「じゃあ、せめて柔軟剤を抗菌防臭のものに換えてほしい。お金も出すから」
「柔軟剤なんて、どれ選んでも同じよ! それに、今の買い置きがまだ残ってるのに!」
「わかった、じゃあ次に買う柔軟剤からでいいよ。実際に効き目があるかどうかはともかく、ニオイが出ないようにベストを尽くしたいから。お願い」
「だから、今は臭くないって言ってるでしょ!」
というわけで結局、増田母の怒りは収まらず、会話は何だかうやむやに終わってしまった。
正直、増田母が言う「タオルの悪臭」が本当にあるかどうか、増田には全くわからない。増田母は「自分のニオイはわからないからだよ」と言うが、着てた服を脱いだ時の汗臭さはちゃんと自力で感知できるのに、タオルのニオイだけわからないということは正直ありえないと思う。何ならストレスか認知症か娘憎さか、とにかく増田母の側に何らかの精神的な原因があっての言いがかり、もしくは幻覚(幻臭?)を疑うレベルである。しかし増田が今、この自己肯定感マイナスの状態で家を飛び出しても、セルフネグレクトを経て最終的に床のシミになる未来が見える。つまり「増田母の主張するニオイが、実際にあるかどうか」という客観的な事実は脇に置いて、とにかく「増田の使用済みタオルには不快なニオイがある」という前提で、母のお気持ちに寄り添わなければ生きていけないのが現状だ。自分で書いていても情けないが、これは動かしがたい事実である。
しかしタイトルの通り増田には、その母のお気持ちが理解できない。「増田のタオルに、不快なニオイがある」ことを「あくまで親として、娘のためを思って」指摘する一方で、それに対して増田が傷ついたことを表すと怒り出す。柔軟剤の交換や手術という改善案を出しても、これまた怒り出す。正直、怒られる側としては、メンタルが弱っていることも重なって「ニオイを抱いて溺死しろ」……もとい、「改善しなくていいから、黙って私に殴られろ」と言われているようにしか聞こえないのである(注:『殴られろ』はあくまで比喩です。増田母は言葉の選び方が時々えげつないだけで、身体的虐待を行う親ではありません)。
これから梅雨に入り、夏が来て、汗臭さはいっそう避けがたい問題になるだろう。化繊のブラウスにジャケット、ストッキング、あらゆるものがニオイを発するようになったら、実家から増田の居場所はなくなるのだろうか。ボランティア仲間に、よそゆきの声でLINEの使い方を手取り足取り教えている増田母の声を聞いていると、その情の一欠片だけでも、どうして実の娘に与えてくれないのかと虚しくなる。
夏が、怖い。
一念発起して昼夜逆転ゲーム生活から脱却し体重計を買いに行ったら、ちょうど欲しかった物やらいい感じの物やらが買えて、家に帰って体重計の電池を買いがてらスーパーに行ったら、ちょうど食べたいと思ってた料理の材料が見つかって、「ああ今日って良い日だ、何だかやり遂げた感じ☆」と思いつつお気に入りのグラスにコーラを注いで、とりあえず買ったばかりのハイテクな体重計で体重を量り厳しい現実を噛み締めながら体重計をとりあえずの位置にしまおうとしたら、
コーラの入ったコップを倒した。
慌てふためく俺。
そして気づく。
すぐさま掃除にかかったが、縦置きにしていたPS3には通風孔からたっぷりコーラが入っていて、傾けたらドボボボボとコーラが出てきたのには苦笑いした。電源を入れてみるも、起動してもすぐ電源が切れる。見事に故障した。
ひとまず説明書を探そうかと思ったが、散乱したモノの中の奥底に数ヶ月前投げ捨てたままだったのに気付いた時点で、俺の思考は停止した。
体重を量ったときにパンツ一丁になり、そのまま慌てて動いたら汗だくだった。汗を拭おうとしたら、二日ほどめんどくさくて風呂に入ってない体からは、ボロボロと垢が落ちた。そのまま暫くボロボロ垢を落とした。
少しして、何だか笑えてきた。
アホかと。 何昼間に出かけた位ですごい事した気になってんだよ、と。
ロクに学校にも行かずに現実逃避して、部屋は荒れ放題のゴミ屋敷、身体は不摂生で献血断わられる程の弁護しようの無いデブ、歯は磨かない風呂には入らない、そんな癖して家族には大丈夫と大嘘を吐く親不孝者。
そういう嫌なことから目を背けて、都合のいいことしか見てないクズ。それがお前だ。
…という、内なる声を聞いた。
この気持ちを残そうと思って、パソコンに向かっているうちに、なんだかこれは天啓な気がしてきた。
今日はPS3がぶっ壊れるくらいで済んだ。でももっとやばい事態が起こりうる可能性はいくらでもある。
そう思って少しぞっとしたが、不思議と気分は暗くない。
「どうしようもねえなwww」という呆れと、「さて、どうにかしようか」という義務感と、「ま、どうにかなるさ」という楽観の混じった、よく分からんがポジティブな気持ちだ。
そういう、クソ野郎がアホなことやらかしてバカな閃きを得たという、他人にとっては下らないけど本人にとっては大事な気がすることが、今日、日本の片隅で起きたという話。
さて、書き終わったし本腰入れて片付けてくる。現実逃避はここまで。
部屋で腰を下ろしたときに、腰に鈍痛を覚えた。座るときに知らずと無理な体制になって、
そこらの筋肉を捻ったか、今までにも何度も経験したことのある痛みだった。しばらくしたら治る。
しかしそのときは30分経っても痛いままだった。その間に身体を動かして筋肉をほぐそうとしたり、
手をぐーにしてどんどんどんと叩いてみたり、横になったり、立ってても痛いままだった。
痛みとゆうのは、時間が経てば痛みがひいたり、頭痛や歯痛みたいに「ずきんずきん」したり、
強弱があるものだけど、ずーっと背中の右側が痛い。それもだんだん痛みが強くなっている。
脂汗が出てきて気持ちも悪くなった。布団を丸めて抱き抱える体勢がいちばん楽だった。
1時間過ぎ、痛みの原因が分からないし、これだけ痛いなら救急車を呼んでもいいだろう、
と母に呼んでもらった。そのとき母が「119番って何番だっけ」と漫画みたいなことを言ったのを聞いた。
出入り口までは歩いて、担架の上にやっと横たわって、丸くなった。
救急隊員の人が声をかけててくれた。「痛がってもいいですよ」と聞こえたけど、
それだと何か話が通じないから別の内容かもしれない。
しかし実はこの時、何だかだんだんと痛みがひいてるときだった。
僕はそのまま救急外来のベッドに寝て、何人もの看護師さんや医者さんがてきぱきと僕を助けようとしてるのに感動してた。
最後に先生からの説明があって、撮ったCT画像を見るとちゃんと白い石が写ってた。
「腎臓から膀胱までの尿管に結石が見えるから。それでしょう。石はもう膀胱に落ちてるみたいですね」。
あと先生は「この痛いのは何度か経験すると、自分で分かって我慢できるようになるんですけどね」と言った。
確かにそう思う。と同時に、次は痛くても我慢しなさいよ。との牽制かとも思った。初めてだったから許してほしい。
結石を画像検索して見ると、棘棘してそれが刺さって痛い、と思い違いしてしまうけど、
違くて「結石が尿管を塞いで尿が流れず、尿管内圧が高まる」のが、痛い。
この痛みの強さは出産と同じか、経産婦で尿管結石にもなった人の話では「尿管結石の方が痛い」そう。
尿管結石の痛みを経験して、出産の痛みとの比較を知って、出産をイメージすることができた。
だけどここから話が違うこと書くけど、尿管結石はそんなに痛くなかった。
次なっても原因が分かってるから、我慢できる(それで違う病気で手遅れになりたくないけど)。
布団抱え込んでたとき「ひーん、ひーん」と1人で声出して呻ってたけど。
頭痛も痛いのは痛い(頭痛はバファリン飲む)。抜歯した後は痛くない。
箪笥の角にぶつけた小指も痛いけど、よそ見してて歩く速度で電柱にぶつかるのは目から星が出るほど痛い。
咳のし過ぎで喉と腹筋が痛くなるのも辛いけど、
いちばん辛いと思う痛みは「お腹が痛い」だ。お腹を下して下痢で痛い、ならいいけど、
僕が人生で3回ほど経験したのは、お腹がとにかくきりきりと腸が膨らまされてるように痛くて、
だからトイレの便座に座るけど、痛すぎて過呼吸か酸欠で失神しそうで嘔吐しそうで、
横に倒れたいけどうんちでるかもしれないから、浴室に行って倒れて失神。
あのお腹の痛さはどうしようもないから、ずっと神様に謝って反省してた。家の中で良かった。
それがあると、ノロウィルスの「上はマーライオン」と言われる下痢が、恐ろしい。
腸捻転も想像すると恐ろしい。例え腕を切断したとしてもその痛みはずっと続かず、
腕が無いけど痛みも無くなるように、どんなことにも慣れることができたらいいのにな!
そもそも、「健常者」(というか「標準的な人間」というか)ってのは定型発達のストレートの男だけ、で
女の両性愛や異性装が男のそれより許容されがち(両性愛者は、何だかんだで最終的に男と恋愛して結婚して女の役割を果たす分には可、扱い)ってのも
元々女って時点で「健常者」じゃないから、「健常者じゃない枠」の中で多少違いがあろうがどうでもいい、ってのもある
そろそろ暑くなってきて、さすがに窓を全開放しつづけるのもつらくなってきた。
当社、窓はあるんだが、風が抜けない立地なので風通しがよくない。
業種はWeb制作業なんで社員半分くらいリモートワークなんだが、残りの半分は何だかんだ言って会社に来ないと仕事にならん。
今年はオリンピックやってたらやばかったくらいの暑さらしいし、夏本番に向けて何か対策したい。
皆様のオフィスでは猛暑のコロナ対策どうしようと思ってますか?
案1:空間除菌系
次亜塩素酸使う系の機器を買って設置。パナソニックのジアイーノとか一瞬だけ考えたんだが、皆様ご承知の通り害はあって利は少なく、あえなく除外。
あと、次亜塩素酸とか空間に充満してるとPCとかあっという間にサビて壊れそう。
案2:窓全開放で自然通風に任せる
足元にバケツを置いて、「ぬるいな」「ああ」で切り抜ける。
自分はこれでもいいんだが、女子社員はNGだろうし、バケツ倒したりしたら床下の配線が壊滅しそう
案3:窓全開放でエアコン全開
子供の小学校が今月から授業再開なんだが、暑くなってきたらこれで対応するらしい。
電気代がどんだけかかるのかわからん。持続化給付金が電気代で飛ぶレベル
案4:窓少し空けてエアコン弱めに入れる
窓を20cmくらい空けて、温度設定27度くらいでエアコン運転
そこそこ通風、そこそこ空調。これでも冷房効率は相当下がるから、電気代が怖い…
性能の低い空気清浄機はウイルスを拡散させるだけという報道もあるし、空気清浄機がどこまでウイルスを除去してくれるかわからん。
ダイキンのストリーマーとか、ブルーエアーみたいな高性能機ならウイルスもフィルターで取ってくれるのか?
その他案:
社員の数だけスポットクーラー設置:コンセント足りない。排水捨てるの大変
そういう事はたぶん誰しもが一度はやったことがあると思うが
大抵はすぐにばれて怒られるのが関の山
無論怒れるのは当たり前だし当然である
しかしこの約束が本当に守られているのかちょっと疑問に思うところがある
私自身もこの文句を言われた側であり、いざ実際に親に向けて「〇〇がほしい」と問いかけたことがある
「本当に要るのかそれ」
欲しいものがあるなら買ってあげると言いながら決定権は親の一存
無論金の出どころは親なのだから裁量が多くあるのは親側であるべきだが、その子がそれをほしい理由や内容も聞かず
同じ約束を子供が破れば怒られ、親側が破れば「ごめん」の一言か何かと理由付けして仕方がなかったと諦めさせる形でうやむやに
「なんで言わへんの」それは子供ながらに言うだけ無駄って理解してるからだよ
もちろんそれぞれの家庭の違いもあるわけだからこの事がすべてに当てはまるわけではないが
子供からの言葉を引き出すのはそれだけでも難しいのに、ようやく吐き出した中身を一方的に破棄するってのは残酷ではなかろうか
ただでさえ子供にとって親ってのは委縮する存在であるし、親側からしてみればどうやってもひっくり返らない格下の存在であるから
歩み寄るのは上の存在からであるべきだが、それをうまく出来る出来ないは親それぞれのポテンシャルの問題
子供もそうだが親側も生涯かけて子供から感じ取って学んでいくのだろうなと思ってみる
自分が年取って他の家庭を見る機会も増えて、尾木ママの子育て理論も何となく理解する部分も増えてきた
何だかんだケンカしながらもうまくやっているのだろうし、長い時間をかけて耐性ができたのか諦めの境地なのかこっちにはわからんことです
性欲を消したいと思い、女性ホルモンに近いと言われる大豆イソフラボンサプリを飲み続けたところ、体の感覚が変わって怖くなった話。
昔から性欲が邪魔だった。オナニーを2日我慢すると体が震える。ペニスがイライラして、射精の事しか頭になくなる。かといって、放出したらしたで思考力は低下し、強烈な眠気で意識は飛び、あらゆる事に対する興味が消え失せ、ネットサーフィンをする芋虫になる。小学4年生で性に目覚めて以来、性欲は自分の人生の妨げであった。自分と同じように、性欲に支配されてきた人も多いだろう。性欲に動かされた人は、異性を求め、何だかんだ結ばれて次の世代を生み育てる。だが、自分の場合はそうはいかなかった。 現代では、魅力的でない男性が女性に性欲を向ける事は、犯罪とまではいかずともモラルに反するのである。
そもそもの話として、性欲は必要なのか?要らないのではないか?いや、性欲は人間が種を保つためには必要ではある。子孫を残すためのセックスへ向かう動力源として、性欲は必要である。
では、性欲は自分にとって必要なのか?これはNoだ。もし自分が将来子供を持つことが出来るなら、性欲はあると良いだろうが、自分にはその可能性は無い。自分は女性を嫌いではないが、女性は、自分のことが嫌いである。だから自分も、異性の肉体は好きだが、異性は好きではないとと思うことにした。異性との人間関係を維持するコストは大きすぎるし、リターンはつまらない話を気を遣いながら聞けるくらいだ。酸っぱい葡萄の話は知っている。失恋をした訳ではない。話題が逸れるのであまり語らないが、もう無理なのだ。ともかく、自分は異性と関わる可能性がない以上、子供を持つこともないだろう。結局、自分にとって性欲は必要ないという結論に至った。
さて、邪魔かつ必要ない性欲をどうしようか。除去できるものなら除去したい。そう願っていたところ、突然その日は来た。
大豆イソフラボンを聞いたことがあるだろうか。これは、大豆に含まれるポリフェノールの一種で、女性の美容に効果があるとされている。その原理は、大豆イソフラボンが女性ホルモンと似た働きをするからだそうだ。話は変わって、女体化、いわゆるメス堕ち界隈では、女性的な体になるために女性ホルモンを摂取することが知られている。女性ホルモンの摂取により、男性的な生殖機能や性欲は減退するそうだ。
これらを組み合わせると、大豆イソフラボンを過剰摂取すれば、性欲を抑えることができることになる。もちろん医学的に直接の根拠がある訳ではない。人の生殖能力を奪う実験など、倫理的に許可されるはずがない。
思い立った自分は、すぐに大豆イソフラボンサプリメントを購入した。Amazonで1500円でこんなにも簡単に去勢グッズが手に入るとは思いもしなかった。1日1錠のサプリメントを、朝、夕と飲んだ。
効果は絶大であった。ペニスのイライラは無くなった。爆発するような性欲は無くなった。爆発的な食欲も減った。朝勃ちも無くなった。オナニーはまだ1日1回しているが、以前のような勃起力はなく、射精の勢いは非常に弱々しくなった。実験は成功だ。性欲は確実に減退した。休日を自慰に耽って溶かすこともなく、ペニスと戯れているうちに朝日が昇る心配も無くなった。
が、少し怖くなった。自分の生殖能力は大丈夫なのだろうか。大豆イソフラボンの過剰摂取が原因で精子が作れなくなるかもしれない。しかし、問題が顕在化するのは、自分がつがいを作れた場合であり、その可能性は非常に小さい。だから問題は、問題ではない。大丈夫なのだ。
仏陀は日々修行していたが、その"修行している"という事実・自覚から生まれる、まるで他人より偉くなったような錯覚を戒めていた。これはあるあるだし、全人類陥りがち。例えば、募金活動をしていると、募金をせずに素通りしていく無関心な人間に怒りが湧く時があるが、まさに仏陀が戒めているそれになっている。ボランティアをしている自分、利他の心を持っている自分のことが偉く感じ、そうじゃない他人が低く見えているからこそ怒りが湧くのだ。
この現象は最近の自分にも起こっており、毎日勉強をしていると何だか偉くなったような錯覚に陥り、漫画やアニメを漫然と見ている周囲がアホに見える。けど、まぁ、このバイアスを認識した上で、努力している自分はとっても偉いし、努力していない有象無象はゴミカスという認識を肯定している。別に聖人君子になりたい訳ではないし、偉くなったという気分がたとえ錯覚・虚像でも、現実として気分が良いので、この勘違いを否定せずに積極的に享受していきたい。俺は偉い!神!周りはカス!ゴミ!
後は、出来る限り回収するだけでしょ
やらなかったら3兆そのまま損するだけ
戦争なら長引けば長引くほどコスト増えるけど、オリンピックはもうコストの分はほとんど払って、後はやるだけなんだよ
やる方が得なのは明らかでしょうに
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
https://anond.hatelabo.jp/20200531081711
彼らに触発されて、地方在住年収450万のリアルを教えます!!どどん!!
まずはスペック。
30歳男、既婚子供一人、地方在住、昨年の年収は470万くらいで手取りは390万ちょい。
博士号持ちの研究教育職。高校からJASSO奨学金を借りていて合計1000万円ほど。今は月4万くらいずつ返済している。
まだ子供が小さいので妻は専業主婦状態。貯金は出来ていないが、全体的な収支としては何とかプラマイゼロくらいで抑えている感じ。
世帯用の社宅で家賃2万、築50年の鉄筋コンクリート集合住宅、3LDK。わりと広くて部屋は持て余している。
さすがに古くて所々ボロがきてるけど当分引っ越すつもりは無い。家賃が安くて助かっている。
弁当は昨晩の残りもの+業務スーパーの冷凍のオクラ・ブロッコリー・ほうれん草など決まったもの。
ごはんに鮭フレークとか鳥そぼろをかけると「贅沢したな」と感じる。
子供が生まれたらほとんど誘われなくなったが、何だかんだで月1回くらい。
1回で4000ー5000円ほど。
自宅での晩酌は週に1日か2日くらい、妻と2人でビールを1缶飲む。
誕生日で5千円くらいのウィスキーを買ったので少しずつ飲んでいる。いいワインを買うのは年に2回くらい。
肉や魚はイオンで安いものを買う。野菜は地域の農産物直売所で安いものを買う。
コンビニは仕事に向かうときに朝ご飯におにぎりを買う。時々おやつも買う。比較的物価は安い場所だと思う。
大正義ユニクロ。ブランドとかは知らないし買わない。Tシャツ等消耗品的な衣服以外はここ数年ほとんど買っていない。
地方民なので車が無いと死ぬ。中古で買った50万の軽自動車と40万のコンパクトカーの2台持ち。任意保険も車両保険は付けない格安のもの。
家族での旅行はめったに行けませんが、仕事上の出張などでお金のかからない国内旅行は年5回くらい、海外旅行は年1回くらいあります。
Zaimというアプリで月ごとに1円単位で家計簿をつけている。
支出の内訳:水道光熱費2万円、通信料8千円、食費7万円、日用雑貨1万円、趣味娯楽3万円、医療費保険費1.5万円、車関係2万円、奨学金返済4万円などなど
という訳で、これが私の生活レベルです。
年収1000万、1600万増田さんと比べるとそりゃあ貧乏感がありますが、これでもこの地域だと年齢の割に稼いでいる方だと思っています。いやマジで。
同じ職場に、私より年齢が上で給料低い人はごろごろいますし、地域を見ても貧乏な暮らしをしている人が多いと感じています。
子供が大きくなればもっとお金がかかりますし奨学金の返済もずっと続くので、子供が大きくなってきたら妻も働く予定です。
隣に新しく家が立ってから、ゴミ出しの事で文句を言われるようになった!これまで2年何も言われなかったのに、個人情報までゴミから拾われて、文句を言われた!でも行政から言われたのではない、自治会らしいゴミ出しの時間が早いとこれってゴミ出すな!って事どう聞いても遠回しに出さないでくれって、言われてるようなものだよねぇ〜?行政に話しても「なんの力にもなれなくてすみません。」って?
なんじゃそれ!!少しのプラゴミが入ってるのを個人情報まで抜いて、文句言うくせに、もう何だかわかんないよ!
大多数の意見だけが正義のように個人情報まで抜いて文句を言うやつ!
今まで生きてきてメイクなんてもちろんやったことないので、ネットで適当に「男の娘 初心者 コスメ」とかで検索して情報を集める
最初はamazonで買うことも検討してたんだけど、amazonで売ってるコスメで一式揃えようとすると安物でも軽く1万くらいするので諦めた
毎日使うんならそれなりに金かけてもいいけど、とりあえず試しにやってみるくらいのノリで1万かかるのはちょっときつい
スマホ片手にコスメ売り場をうろうろしながらたどたどしい手付きでコスメを買い物かごに入れていく
できるだけ人が少ない時間帯を狙ってみたんだけどそれでもたまに女性客はやってくる
俺などいないものとして普通に買い物してる人もいれば、俺の姿を見るや否やえらい勢いで踵を返してどっかに行ってしまう人もいた
正直すまんかった
できるだけ素早く買い物を終わらせようと努力はしたんだが、コスメ売り場に来るのなんて初めてなのでどこに何があるのかわからん
パッケージとか商品名見てもやたらオシャレな名前や姿かたちになっててどれが何なのかわかりにくい
それでも何とか一通りのコスメを買い揃えることができた
占めて1500円くらいだったと思う
安いな
化粧下地を適当にぬりぬりしてからリキッドファンデーションを刷毛みたいなやつでぬりぬりする
最初は土気色みたいになって大丈夫かこれと思ったけどさらに刷毛で伸ばしていくとそれなりにいい感じになった
仕上げにフェースパウダーとかいうやつをまぶしてみるとなおいいようだ
俺は肌があんまり綺麗な方じゃなくて毛穴がやや目立ちがちだったんだが、これをするとなかなか綺麗な肌になってちょっと楽しい
ただヒゲを隠すのは難しくてコンシーラーでやってもうまくいかん
赤い口紅を塗りたくってからコンシーラーで隠すといいという噂を聞いたが本当かはわからん
仕方ないのでマスクで隠すことにする
肌ができたので次は目だ
これはなかなか難しい
俺の二重は自前なので作業自体はおそらく比較的やりやすいはずなのだが、眉とか目元とかはちょっと手を加えただけで印象がガラッと変わってしまう
もちろんこれは男女に共通する真理ではあるのだが、女の場合はアイライナーやらアイシャドウやらアイブロウやらややこしいあれこれを多数駆使せなあかんので余計に気を遣う
目元のお絵かきができたら最大の難関、まつげだ
まつげはマスカラとつけまつげで武装するんだが、マスカラぬりぬりしてるとあれたまに目に入ってめっちゃ痛い
下手したら目になんか障害残りそうで怖い
そしてつけまつげもむずい
鏡で反転してるからつけまつげの向きがおかしくなったりのりが目に入ったりする
うまくつけられずに落としてしまって探していると一瞬「なんやこれゲジゲジか!?」みたいになる
まつげはほんまトラウマになった
ちょっと肌綺麗にして目元に手を入れるだけでも十分いい効果を得られるんじゃないかと思う
あと自分の顔がどんどんきれいになっていくのをリアルタイムで見ていると、もっときれいになりたいという気持ちが湧いてくるのに気づいた
まあ俺も美容院行ったりいい服買って鏡みるのは楽しいのでそれの延長線上にある心理なのかもしれない
私は10年ぐらい前から写真を趣味とし、デジカメもセンサーサイズが大きめでいろいろマニュアル設定もできるカメラやデジタル一眼レフをゲットし、撮影に励んできた。理論書も読んだし、初心者向けのスクールにも通った。
たぶん写真の理論編についてはアマチュアの中では強い方ではないかと思う。が、いかんせんセンスがない。よくカメラ女子がSNSにアップするようなお洒落な写真はどうすれば撮れるのかさっぱり分からない。あと、光を上手く使うことができない。たとえ普通の公園でも良い感じの光が差しているときに、可愛い子どもでもモデルにして撮ればそれなりに良い写真になると思うが、そんな場面にとんとお目にかからない。
それでも昔はケータイで撮ったまんまの写真を無防備にアップする輩がおり、彼らはピンボケしていようが多少ブレていようが気にしていなかったので、いかにも失敗写真みたいなのは絶対にアップしない私は意識高い系だったと思う。が、今はありがちで工夫のない撮っただけ感満載の写真はバカにされる気がする。少なくとも「イイネ!」がいっぱいつくことはない。
むしろSNSには、良い撮影スポットを探し、絶妙なタイミングや光を狙って撮影し、レタッチにも手を抜かない写真が次々アップされるようになってきた。たぶんアマチュアで他の仕事をしながら写真を撮っていると思われる人々が、次々にアップされては流れていくSNS上の写真に恐るべき時間と情熱を注ぎ込んでいる。
いちおう記録写真としてはありだと思うが平凡な私の写真は、さほど発表に値しないものになった。…というか前からそれほどレベルは高くなかったかも知れないけど、基本的なピントや露出が適正ならOK だったアマチュア写真が、常にフォトコンに入賞を狙うようなレベルのものになってしまって自分は写真をネットにアップするのがつらくなった。
今でも写真は撮っているし、時々SNSにもアップするけど、いつからアマチュアの写真はこんなになっちゃったのかなぁと思う。むしろプロカメラマンのアカウントをフォローすると売り物になる写真はSNSにアップできないので、意外と平凡な飲み会の写真とか、仲間の写真展に行ったときの記念写真だったりする。
昔は何も考えずに撮ったまんまの写真をアップする輩をバカにしていたのに、気がつけば自分がろくに工夫のない平凡な写真を量産するだけの女になっている。気軽に撮っただけの写真をアップして、ひとこと日記みたいなのか書けるSNSがあると良いなと思う。既存のSNSでもそれはできるんだけど、周りの写真のレベルが高過ぎると何だかつらい。
写真は飯の種ではなくて、むしろ金食い虫の趣味なので、止めたかったら止めればいいんだけど、それなりの歳月をかけてきただけに無駄にはしたくない。これからどういうふうに写真とつきあっていけば良いのか悩む。
あ~父親が亡くなって遺産が入ったから、預金が一桁アップした件か。
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何故なら、母がぜ~んぶ使っちゃったから(笑
それでも尚、父に財産と言えるものがあったのは、母が先に亡くなり、母はその母親(私にとっては祖母)からの遺産を受け継いでいたから。
その一部を相続した某親族がすぐに売り払い、そこにマンションが建った、と言えばかなりの広さを想像してもらえるだろう。
夏休みに近所の子が単なる林だと思って迷い込むような土地の一部を、母も相続した。
そしてそれをいつの間にか換金していた。
その中には未だ換金出来ていないものもある。でも私は呑気なので、まあその内、と思っている。
通帳に数字になって記されていた金額は、正直想像を超えた金額だった。
これが、私の口座の預金額を一桁アップさせた原因だ。
ついこの間、趣味の小銭貯金の壺がいっぱいになったので、預金しにいった。
すると、窓口の女の子が言うのだ。
「定期預金にされませんか? 万が一キャッシュカードを紛失して悪用されたら、全部引き出されてしまいますよ」
それもそーだ、と承諾したら、別の窓口に案内された。
そこで対応してくれたのは、窓口の女の子ではない全くの別人。我が息子程ではないがそこそこ若いお兄ちゃん。
「〇円単位だと利率が上がります。そこの電光掲示板の利率より……交渉で10倍になります」
はいぃぃぃぃぃ!?
ちなみに普通の定期預金だと、その時0.01%だった。普通口座なら0.001と、もう一個0が増える。
当分使う予定もないし、預けておくか。
「0.1%になりました!」
……はいぃぃぃぃぃ?
その時私は思ったんだ。お金持ちはこういう優遇がある所為で、もっとお金持ちになるんだ。
と、こう書くと私自身がめっちゃお金持ちになったように読まれてしまうが、本人に自覚はない。
ある芸能人が自身のnoteでSNSに法規制を求める内容を記載してた。
そこに挙げられていた例えに「交通事故を起こした運転手は免停になる」というものがあった。
つまり彼はSNSを交通道路に見立て、著名人に誹謗中傷のリプライを送るアンチを交通事故の加害者に見立てていることになる。
ネットでは古くからネチケットと呼ばれる公共マナーが提唱されているが、これは人によって定義が異なる抽象的な概念だし、個別具体的な行為を規定してるわけでもなく、ネチケットを広く包摂する法律も存在しない。
限りなく妥当に近いのはSNSの利用規約だろうかと思ったが、例えばTwitterの利用規約にはこの様な一文がある。
――利用者は、本サービスの利用により、不快、有害、不正確あるいは不適切なコンテンツ、または場合によっては、不当表示されている投稿またはその他欺瞞的な投稿に接する可能性があることを、理解しているものとします。
字義通りに素直に解釈すれば、TwitterユーザーはTwitterを利用することでいわゆる″アンチ″ の投稿によって不快な思いを受ける可能性さえも理解して利用すべき、となる。
仮にこれをSNS(この場合はTwitter)の運転免許とした場合、「アンチ行為をしたユーザーからSNSの発言権を奪うべきである」と唱えるユーザー側からの言動は免許所持者として適切な言動と言えるのだろうか?
―― 当社は、Twitterユーザー契約に違反しているコンテンツ(著作権もしくは商標の侵害その他の知的財産の不正利用、なりすまし、不法行為または嫌がらせ等)を削除する権利を留保します。
という一文も記載されており、具体的には各々のユーザーが「このツイート/アカウントはユーザー契約に違反している」と考え運営に報告し、その都度Twitterの各種ポリシーに照らして個別具体的に判断されて、仮に違反が認められた場合にはアカウントの凍結等々の判断が為される、というプロセスになる。
ちなみにTwitterユーザーなら既知の事実だと思うが運営の判断は杓子定規的ではなく現状ケースバイケースでかなり判断に幅のある恣意的なものになっていると思う。
なので仮に運営の判断=運営免許とすると運営に尋ねるまではユーザーの免許の所持/不所持が判然としないシュレディンガーの運転免許になってしまうのではないだろうか。
そして当然のことではあるが、仮に利用上でユーザーによる触法行為が行われた場合には、それこそユーザーの報告やTwitter運営如何に依らず捜査機関による捜査や逮捕、起訴等が行われることもあり得るわけで、このケースを例に準えるとSNSの運転免許違反ではなく日本国の運転免許違反に妥当するのだろう。
正直な気持ちを書くと俺はSNSに法規制を与えるべきではないと思う。
名誉毀損や著作権侵害、児童ポルノの投稿等の触法行為に関してはこれまで通り国内法で対処可能であるし、個別具体的な暴言等の″マナー違反″に関しても運営に報告してその判断を仰ぐプロセスが用意されているわけで、仮に運営の裁定に納得がいかなければSNSの利用を停止する自由もあるわけである。
SNSの利用が強制されたものでない以上始める自由も辞める自由も行使できるわけである。
自分にとって気に入らないSNSを取り巻く環境に法規制を求めるのは自由だが俺は上記の理由から全く賛同できない。
なおメディアを賑わせている自死された女子プロレスラーの方に関して書けば、彼女は出演されていた番組プログラムの犠牲者なのではないかと思う。
リアリティショーだか何だか知らないが生放送でない以上当然事後に編集が加えられているわけで、そのことを思えば脚本や台本が全く用意されていないとも考え難く、言うなれば彼女は製作陣の指示に従って喜怒哀楽の演技をしていたら視聴者から嫌われ悪辣な言葉を投げかけられて精神を病み死を選んでしまったリアリティショーの犠牲者なのではないか、と思う。
赤の他人がどの面下げてご冥福を祈るんだ?という従前からの疑問があるので「ご冥福を祈ります」と書くのは気が退けるが、一方で強い社会規範に締め付けられているのが俺という人間なので、ここは素直に「ご冥福を祈ります」と書き込ませて頂く。