はてなキーワード: クリティカルとは
おれは自由意志や実存主義が人生唯一の確かなコンパスだと思っていて、構造主義というのがイマイチ好きではない。
人が生きるという事は事実の追求だけで片付く問題じゃないだろうし、そこを照らすのは論理ではなく何かしらの信仰だと思う。言葉は何でもいい。信念や納得、お気持ちとでも言い換えればいい。
内から発するプリミティブな価値なんてものはほんの些細なもので、大半は誰かの、なにかのコピーかもしれない。でも外から刷り込まれた、無自覚に規定された価値観とて、一度心に刻まれたのならそれはもうその人を成すその人自身のもんでしょって思う。
人生は、少なくともおれにとっては納得を追い求めて貫き続ける旅だと思う。目的とか考えずにボーッと生きたいと良いというのも、それはそれでそこには納得があるだろうし。前向きなものであれ後ろ向きであれ。
納得も意志もなくただあるようにあるだけのままであれば、それは本質的に石ころと変わりない。それを肯定して悟りの境地に至れるほどおれの心は強くない。
だから命はそのための手段というかステージに過ぎないと思う。もちろんそれが無きゃ何も始まらないけど、納得に従ってそこから降りるというのもまた一つ価値ある生き方(死に方だけど)だと思う。
人類全員がそういう考えで生きてる訳じゃないだろうけどおれにとってはそうなのだから、他人が自殺をしようが、同様におれにとっては何の問題にもならない。
まあ別に人殺そうとするのも良いと思うけど、当然それに抵抗するのも自由だし、現に人殺しへのそれなりのペナルティは多数決的に定められてる。
構造主義的な話としては、自殺も尊重されるべき自由意志のようでいて、実は無自覚に環境に追い込まれてるって可能性が問題になるのかもしれない。
でもさっきも書いたけど、一度内面化された価値観は過程がどうあれその人のもんだと思う。
了見の狭さ故にラディカルな方へ突っ走る人に対して、「まずは他にも視点を持ってみない?どれを選ぶかはあなたが後で決めれば良いし」みたいなスタンスならまあ分からんでもない。
けど暇を持て余して抽象的な考えを拗らせて死にたがる人ならともかく、もっと目先の切実な苦しみに耐えかねた人に言うのはどうなん?って思うよね。
今のアナタは自分の決意で死のうと決めたと思っているのだろうけど、実はそう思わされてるだけなんです。もうちょっと頑張ろうよ。
なんて疲れ切って余裕なんかないであろう人間に言うのも酷な話じゃないですか。
明るくなるかもしれないし暗いままかもしれない未来のために、頑張る気なんて中々湧きやしませんよ。
湧かないからこそ他人が止めてやる必要がある。酷なのを承知で、それでも生きて欲しいという願いを押し付けてでも止めるのが愛ってもんだ。
自殺を許せない人は概ねそういう事を言うんでしょう。
そういう優しさもあるだろうけど、放っといて死なせとくのも確かな優しさだと思うけどね。
無関心な相手だからそう言える、本当に人を愛した事がないサイコパス気取りの拗らせた厨二病野郎の妄言だとか言われるのがオチなんだろうけど。
その辺の事もちゃんと踏まえた上でおれは死なせてとけば?って思うけどね。
あと最近親ガチャってよく言われてるけど、あれも構造主義的な発想の問題提起なのかな。
人生のネタバレとか、そういう悲観に終止する決定論の方を志向する話はさておいて、その事実にどう取り組んでいくかって点で。
おれも格差の再生産とか親ガチャが無いものだとは思わないし、その是正に取り組むべきだって意見にはまあそうでしょうねえ、って思う。
現実はあるようにあるのだから、与えられた環境で自分で乗り越えるなり現状に甘んじるなり、好きにするしかないだろとも思う。
それらは別に二者択一でもなくて、目先の今を耐えつつ少しずつ構造と格闘していくというのがベストなんだろうね。
おれはラッキーな事に恵まれた環境で育ったからこそこんな抽象的な事を考える余裕があるんでしょう。つまりポジショントークなんだけど、それを言ったら環境に苦しんでる人の言い分もポジショントークだよねって話になる。
他人事じゃないんだし、ちょっとでも構造に抗う暇すら無いわけじゃないでしょ?と言われればごもっとも。
それはそれとしておれの人生はおれのものなので、そんなことはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)です、って感じ。
社会を良くする事はイイ事なんだろうけど、それがおれに与えてくれる幸福は知れてる。
そんな気の長そうな話よりは自意識を拠点におれの人生をやっている方が魅力的。それならそっちにウェイトを置きたいよね。
子供とか作って「まとも」になれば考えも変わるんだろうけど、今んとこその予定もないからおれが死んだあとの事とかどうでもいい。次世代がどうなろうと知った事ではない。
こういう話をすると概ね素朴な相対主義とか冷笑とか厨二みたいな説教をかます人間がいるけれど、そこにクリティカルな内容を伴っているのをおれは見たことがない。
今日はそんな事を考えていました。
全部が全部ウソってことじゃなくて、人としてクリティカルなところにウソついてばかりな感じ。
とりあえず最近見た事例を紹介する。
突然結婚しましたとかあわせで遅刻しまくりとか態度悪いとかは日常茶飯事なのでここでは紹介しない。
ちなみに真面目な人は大成しないって感じする。
割と健全→過激→エロROM配布(ただし脱いだりせず偽乳)→妊娠結婚発表
まではままあるなぁ、と思ってたけど孕ませボテ腹シチュコス写真出すとかファンの人はNTRよりも脳破壊されるやろ。
なんかボテ腹愛好家に目をつけられたみたいだけどあたりまえやろ。考えなしにやったりヤったりするからや。
なんか仲間内では公然の秘密みたいで、海外旅行いってるわーってなったタイミングで上げた写真が相互フォローしてる人と日時も場所も同じタイミングで上げてるのを見たんだよね。
パトロンサイトで支援してるファンが知ったら憤死するぞマジで。
あとパトロンサイト始めた頃はAカップくらいだったのに、今はDカップくらいあるよね。別にぽっちゃりした印象もないから豊胸したんか?
日本人はバチバチに整形して激ヤバスタイルのレイヤーってほぼ見たことないんだけど、奴はそういう感じかと思いきやどう見ても偽乳ですありがとうございました。
最初から今まで偽乳と公表してないのもたちが悪いよね。偽乳と加工かつ宅コス(自宅でコスして写真撮ること)してたら、いやーバレないものなのね。
恥をかかせちゃいけないのは男も同じ、っていうかむしろタブー。正直「収入レベル」とか「ステータス」とかは男性社会に於いてはクリティカルすぎる機微な情報なので、言及すら避けるのが普通で、それを推し量ろうとするような質問やフリは間接的なものであっても失礼とみなされる。なので「値踏み」とかいうもはや無駄でしかないプロセスは飛ばす。気が合うか、趣味が合うか、イイヤツかヤナヤツか、そこだけが最優先の関心事となる。女にゃわからんだろ?
身の丈に合わない誘いを受けた時、男は「高すぎね?」「安すぎね?」って言えるし、あまりに遊び方に差があるようなら男は自発的に距離を置くことができる生き物だし、自然と「このグループみんなが無理なく楽しめる遊び方」に調整され収斂していくので、そもそも値踏みなんか機能的に必要ないんだよね。女にゃわからんだろ?
女は友達に共感を求めてるかもしれないが、男が友達に求めているのは連帯感だ。また、社会階層・生活階層(要は経済的価値観)が一致していることよりも人格(文化的価値観)が一致していることのほうを重視する。男は女みたいに「みんながみんなと気が合う風」を装ったりせずに、ホントに気が合う人に対してしか気が合う空気を出さないので、自然と男グループは気が合う者たちが厳選されていくシステムになってる。女にゃわからんだろ?
もっとも、こんな気風なのも中年以上で今どきの若い男たちは周りと同じファッションして周りの顔色うかがって周りの空気読んでお友達ごっこしてる子たちも多いみたいだけどね。
現役業界人です。
元日立の技実者が半導体産業没落の理由を語る記事に600ブクマ以上ついてて、大半が好意的な反応(一部懐疑的)なんだけど、この人かなり適当なこと言ってるんで、注意喚起としてここに書いておく。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/69408
声を大にして言いたいのは、なんでみんな元XXみたいな肩書で、業界事情を話す人を信用できるのかってこと。本当にクリティカルな問題の事情に通じている人は現役の利害関係者なのでマスコミに漏らせないのってちょっと考えたらわかるよね?(元XX官僚の肩書きでウクライナ情勢やコロナ対策を語る胡散臭い人いっぱい思いつくっしょ?)
気になる人は調べてもらえればいいんだけど、この方、純粋な技術の仕事は長岡技科大が最後で辞めてから20年間ずっとコンサル的な仕事しかしていないのね。現場の最前線から離れて相当な時間がたつわけよ。で、過去の実体験を切り売りしながら同じことを知識のアップデートもないまま繰り返し話してる感じ。
自分も2006年ごろに、講演会でこの人が同志社経営学系の研究員の肩書だった時に同じような話を聞いた記憶があって、その時はへーと思ったんだけど、そのときからずっと日本の半導体業界が没落した真の理由はこれだ!的な感じのことを発言する場所を変えながら繰り返していてうんざりしている。
知識のアップデートがされていない例を挙げると、過剰品質として取り上げられている64Mb DRAMって90年代前半にはすでに開発されていた代物っていえばヤバさが伝わるかな?(2023年現在の業界の主力は16Gb)なので、元ゲーム会社の社員が初代プレステの開発経験を元に、プレステ5のゲームの開発手法がヤバイ的な話をしているチグハグさなわけよ。
同じメモリの話で公開情報を元に事例を挙げると、3D NANDの話になるが、中国YMTCが業界トップクラスの232層積層品を開発して日米韓の大手メーカーにスペック的には追いついたんだけど、すでに出回っている構造解析レポート(無料で読めるオープンなものも多数あり)見る限り非常に高コストで、日本企業よりも高コスト設計をしている中国企業っていう業界外からイメージ出来る直感に反したことになってたりするわけで。
日本の電機業界が国際競争力を落とした理由は、過剰品質で値段が高すぎるからだ!とか単純じゃな理由ひとつで説明できる話じゃないんよ。ここ10年くらいで大手電機メーカーがいろんな事業を切り売りしたけど、外資に買収されたある事業が、同じエンジニア、同じ工場、同じ製造フローのまま売り上げを倍増させてる事例はいくらでもあるわけで、それらは単に過剰品質でコスト競争力がなかったからダメだったのかと言われると疑問符がつくのね。(具体的な事例は生々しすぎるので流石にここには書けないが。)
長々と書いてしまったけど、1番危惧してるのはビミョーな評論家に世間の空気が左右されて政治家が変な判断しちゃわないかってことなんよね。アイツら、今でこそ半導体不足のニュースに慌てて、補助金つけまくってるけど10年前には半導体は韓国から買えばいいって普通に言ってたのよ。世間の空気は変わりやすいんで、こういうふうに問題を単純化して騒ぎまくるだけの評論家にはマジうんざりしている。
>私を含むジェンダー・クリティカルなフェミニストたちが、身体を重要視しているからです。もちろん、LGBTQの活動家以上に、私たちはすべてにおいて同意しているわけではありません。しかし、大まかに言えば、女性の人生は男性との身体的な違いや、そこから派生する文化的な意味によって形作られているというのが、私たちの分析です。例えば、女性の家事や介護労働の搾取は、生殖における女性の役割と関連しています(正当化されるわけではありませんが)。女性の解剖学的構造は、レイプによる妊娠など、性的暴力に対して特定の方法で私たちを脆弱にする。乳房は女性にとって最も一般的な癌の発生部位です。
私たちは、性的差異が人間の経験の重要な側面であることを理解し、それを認識する平等の形を求めます。私たちは、ジェンダー・アイデンティティ(男性または女性であるという感覚)という、より新しい概念を代用として受け入れることはしません。そして、バトラー派のフェミニストたちが提唱するように、「性」を捨てて、より包括的な用語に切り替えるという考えは甘いと考えています。なぜなら、もし「セックス」が語られなくなり、考えられなくなったら、欧米諸国だけでなく、世界中のセックスに基づく抑圧をどのように認識し、取り組むことができるのでしょうか。
トランスジェンダリズムの戦略は、フェミニスト全般を敵視して攻撃する右派と違って、左派の仮面をかぶってフェミニズムを内部から乗っ取ることです。
ですから、トランスジェンダリズムべったりのふかソファ学者は、フェミニストを階級差別化して、市井のフェミニストを蔑視しています。
また、フェミニスト鑑定士のミソジニストは、トランスジェンダリズムを受け入れないフェミニストをクソフェミと呼んで差別しています。
トランスジェンダリズムの呪文である「かわいそうな弱者」「抑圧されたマイノリティ」という擬態に騙されず、性差別的な男権拡大にすぎないという彼らの本質を見抜いて侵入に反対するのは、
ラディカル・フェミニスト、ジェンダークリティカル(GC)・フェミニスト、
反性売買フェミニスト、
ゆえに、トランス活動家のミソジニストたち(おじさんやお爺さんなど)は、自分たちに従わない女性たちに「TERF」「トランスヘイター」「トランスフォーブ」というレッテルをつけ、ミソジニーに過剰適応した自分たちに都合の良い「善良なフェミニスト」と区別するのです。トランス活動家の大部分は、「セックスワーク・イズ・ワーク」を唱えているので、反性売買フェミニストを踏みしだくという反社的宣言をしています。
タイトル通りだけど、これ、何故?
当方男で、婚約後、住む場所とか、金銭管理の方法とか、家事分担とか、結婚式どうるとか決めてるんだけど、
釣った魚に餌はやらない的な?
てか、俺何かした?
相手の希望通りにしてあげたいのが本音だけど、いかんせん態度が一方的で、こんな人だっけ?って。
女性ってこんなもんすか?
(追記)
「女性ってこんなもんすか」は言い過ぎでした。
ただ、書いてしまった以上、自戒も込めてそのまま文章は残します。
クリティカルな決め事の段階だから…というより、口調も態度も違うんですよね。
何というか、超がつくほど拘りが強いのを感じてる。え、こんな性格だったっけ…と思うほどに。
友達は超重要。ただし、一人の友人に影響を受けすぎるのは博打が高すぎるので、1年目は広く浅くを心がけよう。
バイトは最重要。あなたは世間知らずなので、いろいろな手段で生活費を稼いでいる人に触れよう。同じバイトは半年以上続けず、仕事を覚えたら次のバイトに移行しよう。
コンビニバイトは日本の小売や流通システムを集約しているので1回は経験しておくとよいが長居不要。優秀なあなたは遺留されるだろうが、アルバイトはきっぱり辞める権利がある。辞めるときに経営者()から不本意な雑言で罵倒されることもあるだろうが、その言葉はしっかりメモしておき今後の糧としよう。
初級バイトは同世代の若者がやっているようなコンビニとかカフェとかでよいが、最終的にはいい歳した大人がそれで生計をたてているようなところを狙っていこう。たぶん今後一生直接関わることのない人たちの生き様を学べる。
ゼミの選択はクリティカルだが、ローカルコンテキストに完全依存するため、最善のアドバイスはできない。一般的なアドバイスとしてはモラハラ教授だけは人生詰むレベルなので避ける。
授業は優秀なあなたならバイト等である程度手を抜いていても2年目にはほぼ必須は終えていて、3年目以降は流していけるようになっているだろう。そうでないならあなたは優秀ではないので本稿の対象ではない。
あんま関係ないと思う、国問わず大企業本体は基本的には幹部候補しか採らんで
まぁ米国は大企業の本体でも給与やっすいポジションがあるから、そこで実務経験者とることも米国ならあるの・・・か?
でもまぁ基本的には、下記みたいな感じだと思うで
何歳からのチャレンジも遅く無いの増田(https://anond.hatelabo.jp/20200804222320#)で引用したblogの人は
米日立でめっちゃ社歴が長かったシニア・マネージャーだったみたいだぞ
その経験を持ってなお手を動かせれば何か職はあるかなぁが現実よ
💻 56歳のプログラミング初心者 💻 としての自分を完全に受け容れられるようになる前の私は、
クリティカル・インナー・セルフ(内なる自分)と上手く付き合わなければならなかった 🙄
内なる自分:なんでこの年でプログラミングの勉強を始めたんだい?
わたし :本当に言いたいのは、あとどれくらい生きられるのか?
そして、プログラミングで稼げるだけの時間が本当に残っているのか、だろ?
わたしはアメリカ人だから平均寿命は 78.8 歳だ。とするとまだ 22.8 年生きる可能性が高い。
20歳の人間からするとそんなに長いとは思えないだろうけど、わたしは56歳でストリートで踊れるくらい元気だ。
内なる自分:すべてのテック企業は大学を出たてのガキを雇いたがるものじゃないの?
わたし :それは大した問題じゃないな。わたしはシリコンバレーに住みたくもないし、巨大なテック企業で働くつもりもないから。
内なる自分:今やってること全てが時間の無駄ではないと言い切れる?
わたし :本当はこう聞きたいんだろう?
「もしプログラミングを学んだ後でフルタイムの給料をもらえなかったらどうするつもりなのか?」と。
わたしの答えはこうだ。
「だから何だ?」
ーーーーーーーーーー
【原文】[Next Avenue] VM Vaughn - 56 and Learning to Code
https://www.nextavenue.org/learning-code-56/
【日本語訳】[Medium] 56歳からコードを書き始めて食べていく方法
「やめとけ」と叫び続ける内なる自分とひたすら言い争ってみました
https://medium.com/japan/i-am-learning-to-code-at56-37054b5dc8ce
https://anond.hatelabo.jp/20230407210512 これの追記。
書いたつもりがスポッと抜けていた「財産分与」について。あと「関係を良好にできない親の場合は…」についても少々。
ブコメにあった『財産が無い人ほど相続大戦争が勃発する』というのは、よく言われてる話なんだけど、因果をちょっと勘違いしていて、半分ぐらいしか合っていない。
自宅ぐらいしか財産が無い家で揉めたら、生きてる家族の人生にそこそこ大きな影響があるような相続大戦争になることもあるが、財産がたいしてなかろうが、家族仲・兄弟仲がいい、または家族がそれなりに常識的で合理的なご家庭の場合は揉めることはない。
揉める根本原因は「大した財産がないから」ではなく、家族兄弟間の仲が良くなかったり、家族兄弟の誰かがそれぞれの家庭に何らかの問題があって合理的判断ができなくなっているという点だ。
増田なので言葉を選ばずに言うが、お金があってもなくても、人間関係が悪いか、もしくは頭が悪いかの場合は、たいてい揉める。ただし、その先はリアリズムで、家族間で揉めてもお金があれば最終的には日常生活におけるクリティカルな悪影響は受けにくい。しかしお金がないとそうじゃない…(財産分与で揉めて調停になって時間とカネがかかって結果もらえた財産は雀の涙、みたいな)。
ただまぁお金持ちだって金銭・日常生活面での影響が相対的に小さいだけであって、「家族の仲が悪い」とか「相続で揉めて親兄弟と断絶」とかはお金で換算できないタイプの影響はあるよね。
話は戻るが、平成以降の貧富拡大社会では「親に金がある=子もある程度は余裕がある」そして「親に金がない=子供も結構カツカツ」だから、「貧乏人ほど相続で揉める」みたいな一見論理が通っていそうな俗説をつい言いたくなる。だがそれは論理が少し飛躍していている。カツカツの生活をしていると心の余裕がなくなりがちで、親子兄弟含め人間関係が薄く悪化しがちで、親が死んだタイミングで色んな物が噴き出しがち、なのだ。
本来の因果関係は、「親子ともに金がない」→「家族全員がカツカツ」→「それぞれの家庭に若干問題が(住宅ローン返済が大変とか諸々)」→「あわよくば」という悪い心→「醜い争い」という順番である。
兄「親父が死んだ後の自宅を売ろう」
妹「何言ってんのお母さんが住む家がなくなるでしょう」
兄「おふくろは一人になるんだからお前が引き取って面倒見ればいいだろう。母さんもそれが安心だよな?」
母「そうね…でも…」
妹「何言ってんの夫がいい顔するわけない。そもそもお兄ちゃん何でそんなお金が必要なの」
母(…無言)
兄「ローンとか教育費とか大変なんだよ…」
とか?こういう想像上の橋田寿賀子ドラマのような戦争はめったにない。まぁごくたまには見かけるけど…その場合は相続関係なく「もともと家族の仲が相当悪く&全員が相当金に困ってる」場合だと思う。多くの場合はどちらかの条件が満たされないので、例えば、家族仲が悪いけど、比較的羽振りの良い兄弟が面倒にかかわたくないからと引くんだよね…。
要するに、何が言いたいかと言えば、つまり、お金があまりない自覚があるなら、何よりもまず親兄弟との関係を良好にしておくことが大事。
そして、人間色々あるからね、仲良くするのは難しい場合でも、「親の財産と生活」に関することをできるだけ透明化する努力はしてもいい(本当に険悪な場合は放っておいても全然いいとも思う。後述)
実はこの「親の財産と生活の透明化」が、要するにエンディングノートの一番大きな役割。
またしてもリアリズムな話だが、親が死ぬ前に自分たちにいくらぐらい金が残りそうなのかを透明化できていれば、お金がない家なら邪な期待を持つこともなくなるし、お金がそれなりにある家ならそれなりの予定や計画が立てやすくなる。
そして、大事なポイントなのに前の増田にうっかり書き忘れたが、エンディングノートは必ず、利害関係者(配偶者や兄弟)に全員が見られるようにしとくこと。
「利害関係者の誰か1人だけが事前に情報を持っている」という状態は、下手すると比較的悪くもない人間関係を悪化させる危険もあるので、「エンディングノート書いてもらおうよ→そうだね→手伝ってね→出来たら読んでね」的なプロセスは必ず、必ず必要。親が勝手にやり始めてる場合でも、子供たちから「見せておくれよー」は言うようにしよう。
「透明化」について、テーマとは直接かかわりはないがもう一つ大事な所としては「介護の金と労力」について。
人間は老いてくると段々ゆっくりと自分のことを自分でできなくなる。介護段階に入った時に配偶者や子が(介護サービスを利用しつつ)老いた人の責任を負っていくことになるが、このお金と労力で、子供が負担をする場合は、ある程度は金銭的、労働力的な出納を透明化するのをお勧めする。完全平等分担なんてできないのでだいたいで良いのだが、透明化しておくことで負担配分が合理化されやすくなるし、トラブルや人間関係の悪化を事前に防ぎやすくなる。親の状態がおかしくなったら介護認定が付かないにしろ早めにケアワーカーに相談しておく方がおススメなのは、介護ケアは早い方が予後が良いとか悪化した時の介護認定がスムースだということが一番だが、家族の問題に第三者が入ることで透明性が高まるから、という効果も期待できるよ。ケアワーカーの選別ももちろん、利害関係者(兄弟)と相談して決めるの大事。報連相まじだいし。
お金については単純に使用した分を記し精算(理想は介護用さいふを共有してそこから拠出)、労力についても共同の分担スケジュールを作っておくといいよ、見える化することで手伝えない人にうっすらとした罪悪感を持ってもらえるし。
ちなみにだが、「亡くなった人の介護負担が大きかった家族へ、相続財産の配分をより大きくすることは可能か」について。
正解は「その介護により相続人の財産が大きく減った場合以外は、財産分与の比率にはほとんど影響しない」。ケアワーカーさんや施設の手配や色々なやり取り、送迎や見舞い、日々の生活のサポートやら、諸々けっこう日常を削られる「労働」だが、財産分与にはほぼ反映されない。一応「寄与分」という考えはあるんだけど、雀の涙なんだよね。この扱いはとても理不尽だと増田も思う(多分法律を考えた人が親の介護を自分でするなんて考えてないんだろうと思う)。極端な例で考えると理不尽さが増すので極端な例を出すが、「義母に尽くして看取った嫁に財産分与が可能か」の答えはNoである。法定相続は、「配偶者に半分」「残りの半分は子が等分」なので、子の妻には財産相続の権利がそもそもない。
なのでまぁ財産を多く貰おうと下心で面倒を見てもほとんど効果ないので、現代においては「透明化」によって親の老いに対する労力の等分化を目指そう。
まずは前提条件:親の残した財産をどう分けるかは、法律を守らなくても別に全然いい。
こう言うと語弊があるが、民法にある法定相続分はあくまでも民事訴訟が起きた時の基本的な解決線なので、別に民法に従って分けなくても、家族兄弟(相続人とか言いますね法律だと)が仲良く話し合って皆が納得すればその納得した方法で分ければいい。ちなみに、亡くなった人の銀行口座が凍結された場合はこれらの「相続人」たちの連名で書類を提出しないと口座解凍ができないのだが、要するに揉めてない証拠を出してくれという銀行の都合の書類ですね。だまして口座解約して逃げちゃう悪い兄弟がいるとも限らんし。
で、例えば財産を全部無職の弟に渡したって全然良いし、上に書いた「義母に尽くして看取ったけど財産をもらえなかった可哀想な嫁」も、その状態が透明化され家族間で共有されてて、そして家族仲が良ければ財産分与においては報われ得る。「お義姉さんがずっと面倒見ててくれたんだから、死亡保険金はお兄ちゃんが受け取って。それでお義姉さんに少しでも慰労になるといいけど」「そうだよな、本当にありがたかったなぁ…」というほのぼのストーリーにすることも可能。というか割と多くの「大きな問題がないご家庭」はこういう風にやっている。
次に自宅の相続:利用状況に準じるのが大原則。利用しないならすぐ換金
例えば父親が死んで母親がいる場合は当たり前だが母親がもらう。両親と兄弟の誰かが同居している場合でも生き残った方の親がもらうケースが一番順当(配偶者が取得する方が税金上の得が大きいので。ただし金持ちの場合はその限りにあらず。金持ちは金を払って税理士に過激な節税方法でも聞けばいい)。まぁ当たり前すぎる話。
親が死んで利用する人がいない自宅は、個人的なお勧めは「すぐに売っちゃえ、売って金で分けろ」である。それが一番穏当だと思う。住む人がいなくなった家は本当に笑うほどすぐ傷む。家の整理に数か月かけるもよし(思い出がいっぱい出てきて楽しいよ)、業者を入れれば2、3日(ある程度思い出を掘り出せたら人の手を借りちゃうとよい)。業者にごみの処分を頼んだってせいぜい数十万~百万ぐらい。売れば1千万ぐらいにはなったりするわけで。お金は良いよ、きっちり等分もできるし、好きなように傾斜も付けられる。
厄介なケースは下記。
不動産という財産の厄介さは「不動」なことと「財産としてデカい」ことで、あまり蓄財していない親御さんだった場合、「同居してた兄弟がそのまま自宅を相続する(そうじゃないと住むところがなくなっちゃうからね)と、財産分与がかなり不公平になってしまう」という問題が起こる。もちろん、等分じゃなくて全然いいよー!と他の兄弟が言うのであれば何の問題もない。兄は同居、妹はF1ドライバーと結婚して億万長者、とかなら言いそうな気もする。
だが庶民はやっぱり、自分も貰えるはずのものが貰えないとなると、内心穏やかではなくなることがほとんどだと思うので、その場合はまぁ、頑張って話し合いをしよう笑。
エンディングノートの効用はここにもあるが、こういう同居してる結果不均衡になりそうなご家庭の場合は、例えば、同居してない子に不公平感が出ないように、親の支払いで「非同居子」を受取人にした死亡保険に入っておくとかできます。これもエンディングノートを関係者全員で共有出来てれば可能。家族兄弟で話し合って決めるのが大事。
この「同居してた兄弟系の争い」で見たことある一番のバッドエンドはこんな感じ…。トホホ…。
ちなみに上の2を言い出したのは私の兄弟。配偶者の親が住みたいというかもしれないからと言われ、なんでそれで何千万の家がもらえると思うとんねん!とすごいデカい兄弟喧嘩をしたぜ…。親が片方死んだあとは残った家族は仲良くなりがちで、もう一人の親が死んだあとは兄弟の仲が悪くなりがちっていう俗説はガチだったんだなとしみじみした。
「家族」ってまぁ人一人の人生で複数持つことになるんだよね。愛人がいるとかではなく、結婚やらで所属する「家族クラスタ」が増えていく。結婚すれば別の家族ができる。自分の親による家族、自分と配偶者による家族、配偶者の親による家族。独身のままでも、家族ではないにせよ世帯が別になるからまぁ似たような感じだと思う。
戸籍が分かれても世帯が分かれても、生まれた時の「家族の枠」がなくなるわけでもなくて、親の介護やら相続やらで「産まれたり育ったりした家族の枠」のなかで行動したり考えたりする必要が出てくる。でも、その時に他の家族(自分の家族や配偶者の実家家族など)のこともつい考えてしまったりして、思ってたより多いしがらみの中で非合理的なことを言い出すこともある。それで何かね、親が一人もいなくなっちゃうと兄弟がむき出しの喧嘩になっちゃいやすいんだね。いやぁ、生まれてからほぼ初めてかつ最大の兄弟喧嘩だったよ…。ちゃんと仲直りはできましたが。
地主とか運用してる不動産があるとかの場合は、素直に税理士に聞いて言う通りにするのが吉。
田んぼや畑=地目が「農地」になっている場合は、耕作放棄地だろうが市民農園に貸してる畑だろうが、簡単に売れないので、地元の農協に相談だ!農地を持ってるということは100%親御さんは農協の組合員のはず。農地は地域の農業員会の許可がないと相続も売却も自由にできないらしいので、生きてる時からその辺は親御さんに聞いとくといいよ。
山を持ってるとか森を持ってる、みたいな人もたまにいると思うが、これも同様。エンディングノート作成に当たっては、自宅以外の土地を持ってると判明した場合、地目が「宅地」以外のもの(法務局で確認可能)があったら要注意。しかるべきところ(農協とか役所とか)に色々聞いとくといいと思う。
ただし、地目が「宅地」じゃない土地は、都市部ではまずあんまり見かけない。家庭菜園をやってるけど地目は「宅地」なんてことも普通にあり得るので、親に確認だー。
速やかに家財を引き上げないと、ずっと家賃を支払い続ける羽目になるので、業者を入れてでも引き上げしましょう。結構馬鹿にならんと思います。
色んな事情があるから、そういうことも普通にあると思う。関係が良くなければ、良くないままで、心を鬼にして「放置」が良いと思う。あとは物理的にどうにも無理だ!というときも「放置」するしかないよね…。
自分が何もしないままで親が死んだら相続はどうしたらいいのか。割と全然何とかなる。
誰も存在を知らない金融機関の口座は一定期間が過ぎればその金融機関の持ち物になるので心配しなくていい。株式なども同様。勝手に発行者が何とかしてくれるから大丈夫。
家については、一番簡単な方法は業者に頼んで売っちゃう。片付けとかもドライに割り切ってすべて金で解決。処分費用を相殺した残金があればラッキー、無くても(多少の持ち出しがあったとて)手間代だと思えば腹が立たないと思う。そこまで実家と関係が悪いなら。
親御さんが金持ちの場合は、誰かしら財産管理を手伝ってる人(銀行とか税理士とか)から必ず連絡があると思うので、その指示に淡々と従えばいい。
やらない方がいいかな、と思うのは以下
要するに、酷い言い方になるが、親子兄弟との関係が良くできない(あちらの理由もあろうし、こちらにも理由があろう)なら、何かを望まない、というのが大原則。そうすれば別に今以上悪くなるということはない。まぁ、そういうこともあるよね。
これもまぁ、そこまで関係が悪い家族関係なら、出来るだけ縁薄く接するのがいいと思う。お金で解決、第三者に委託(介護事業者)、同様に、感情も時間も手間も労力も金もかけない、その代わり何も文句も口出しもしない、というのがベストだと思う。
ちょっと前の増田に、親の介護のために仕事を捨てて田舎に戻るか、というのがあったが、あれブコメに多数指摘があった通りで、戻ったら最後、増田の人生が割と酷くなるだけなんだよね。介護する子がいる要介護者は施設入所の順番が後送りになり実質的には多分入所が不可能になる。仕事もなくなる収入も減る、介護はよりより厳しくなるだけなので戻らないのがリアリズムの正解なんだよね…。
リアリズム面を書き始めたら長くなりすぎたし、楽しい話が全然できなくなった。しょうがないよな…。家族も自分も老いも、逃げても逃げられない「生の頚」のようなものだな、と思うときもある。
「水は火に強い」だとか「風は土に強い」だとかだ。
登場人物がゲーム的に世界を解釈しているのは別に嫌いじゃないが、作品がゲーム的な設定を持っているのは好きになれねえ。
本当にゲームの中だというのなら別にいいが、そうではなくその世界はその世界で現実だというのなら違和感がヤバイすぎる。
木火土金水になぞらえていようが西洋の四属性思想になぞらえていようが世界の物理法則にそこまで深く関わるようなもんではないだろ。
まあ確かに陰陽師の世界において五芒星の相克関係によって霊的な力がどうこうしていたというのはあるが、あれも結局は何も起きてない状況にそれっぽい儀式をやってみせるための設定でしかないだろ。
実際に霊的な力が蔓延っているような世界になってしまったら、そんな上っ面の設定は吹き飛んで実践的なものだけが残るはずだ。
別にコレは「個別の状況に対しての有効打の存在」を否定しているわけじゃない。
カビにカビキラーを打ち込むと落としやすくなるのは、そこにゲーム的な相性設定があるのではなく、ある対象に対して効きやすい道具を開発した結果だ。
だがそこに「ゲーム的な倍率」みたいなのが入ってくると完全に無理になってしまう。
騎兵に対して槍兵は5倍のダメージを与えるとか言われても何のリアリティもない。
ゲームにおいて5倍の特攻効果があるものとして計算されているものが、現実にはどのような過程で起きているのかを演出するのが漫画作品や映像作品の役割だろう。
「判定でクリティカルが出たからダメージが倍になった」とゲームで計算されるのは、現実の戦闘においても「当たりどころが悪くて大きなダメージを受けた」「装甲の隙間に完璧に入ってしまった」といった事が起きているのを簡略化したものだ。
ゲームは多くの場合が現実の簡略化によってシステムを設計しており、「火属性が草属性に2倍ダメージ」というのは、草木に対して炎で焼き払うのが有効であるのをゲーム的に簡略化した結果であり、それぞれのゲーム世界における実際の戦闘においても2倍ダメージが先にあってそれに相応しい演出として草が燃えているのではないはずだ。
そこを理解しているのか怪しい作品が増えてきているように思う。
世界の解釈にゲーミフィケーションを持ち込むのは良いことだし、登場人物がそういった価値観を持つのは現代なキャラクター造形として正しいと思う。
だが、世界を形作る根本原理がゲームそのままであるのが許されるのは、その世界が造物主によってそのように作られた場合のみだ。
GMが想定していないことが起こるんだよね
一流は怒られないための行動など造作もないがあえてクリティカルでない部分で手を抜いて「弱み」を演出し作為的に「怒られ」を誘発する。
指摘した「弱み」に留意した部下が行動を改善するという過程を体験させることで上司に「育て」のカタルシスを与え、自身へ教育し成長させたのだ、悪役になることを惜しまず若い才能に投資したのだという実感(サンクコスト感)を植え付ける。
(追記)
おもいのほか一流はてなーたちのトラバブクマあつまったな。プロ怒られ師のワイとしてはみんなサンキューやでを禁じ得ない。
もちろんこれはワイの実体験に基づいた経験則であるわけはなくてワイが元増田を見て単発で適当に思いついただけの妄想や。当然元増田の本文は一行目しか読んでない。あんま本気にするなよ?実践して失敗しても知らんぞ?
ちなみにワイは先輩に怒られた時「後輩を指導するのも先輩の仕事ですよね。いい仕事出来て良かったですやん」って言ってさらに怒られたことがあるやで。