はてなキーワード: 木火土金水とは
「水は火に強い」だとか「風は土に強い」だとかだ。
登場人物がゲーム的に世界を解釈しているのは別に嫌いじゃないが、作品がゲーム的な設定を持っているのは好きになれねえ。
本当にゲームの中だというのなら別にいいが、そうではなくその世界はその世界で現実だというのなら違和感がヤバイすぎる。
木火土金水になぞらえていようが西洋の四属性思想になぞらえていようが世界の物理法則にそこまで深く関わるようなもんではないだろ。
まあ確かに陰陽師の世界において五芒星の相克関係によって霊的な力がどうこうしていたというのはあるが、あれも結局は何も起きてない状況にそれっぽい儀式をやってみせるための設定でしかないだろ。
実際に霊的な力が蔓延っているような世界になってしまったら、そんな上っ面の設定は吹き飛んで実践的なものだけが残るはずだ。
別にコレは「個別の状況に対しての有効打の存在」を否定しているわけじゃない。
カビにカビキラーを打ち込むと落としやすくなるのは、そこにゲーム的な相性設定があるのではなく、ある対象に対して効きやすい道具を開発した結果だ。
だがそこに「ゲーム的な倍率」みたいなのが入ってくると完全に無理になってしまう。
騎兵に対して槍兵は5倍のダメージを与えるとか言われても何のリアリティもない。
ゲームにおいて5倍の特攻効果があるものとして計算されているものが、現実にはどのような過程で起きているのかを演出するのが漫画作品や映像作品の役割だろう。
「判定でクリティカルが出たからダメージが倍になった」とゲームで計算されるのは、現実の戦闘においても「当たりどころが悪くて大きなダメージを受けた」「装甲の隙間に完璧に入ってしまった」といった事が起きているのを簡略化したものだ。
ゲームは多くの場合が現実の簡略化によってシステムを設計しており、「火属性が草属性に2倍ダメージ」というのは、草木に対して炎で焼き払うのが有効であるのをゲーム的に簡略化した結果であり、それぞれのゲーム世界における実際の戦闘においても2倍ダメージが先にあってそれに相応しい演出として草が燃えているのではないはずだ。
そこを理解しているのか怪しい作品が増えてきているように思う。
世界の解釈にゲーミフィケーションを持ち込むのは良いことだし、登場人物がそういった価値観を持つのは現代なキャラクター造形として正しいと思う。
だが、世界を形作る根本原理がゲームそのままであるのが許されるのは、その世界が造物主によってそのように作られた場合のみだ。
火は水に弱く、木(風)に強い
→わかる、木ならわかるが風vs火?
水は木(風)に弱く、火に強い
→水vs木も水vs風もよくわからない。木を成長させてしまう? 風で飛ばされる? なら火も風に弱そうだけど
木(風)略
→木も風も直感的には火と水とうまいこと竦める魔法的元素ではない
他だと雷(水には強そう、火とはジャッジ不可能)とか、地(水にも火にも弱そう)とか金属とかうまいこと行かない
闇やら毒やら光やら聖やらは別カテゴリに入りがちだし混ぜると混とんとする
→まあわかる
火>金 金属を溶かすらしい。あと燃え尽きると灰になって土を強化
ただ、火と木が喧嘩しないのはこじつけに思える。金属よりも木のほうが簡単に燃える
土>水 土は水を汚すから説と土嚢で水を食い止める説があった。で、土から金属が生まれる
→まあわからないでもない
金>木 金属の斧とかで木を切り倒せる。金が水を強化するのがいまいち伝わらない。水滴だとか水増しできるだとか
→なんか無理やり。やはり火で木を燃やさないところがひっかかってくる
水>火 水で火を消すだけちゃんとしてる。水の力で木を育てるのもまあわかる。
水と火以外はガバガバ。3竦み候補として一番納得いくのは木か、やっぱり。
水>火>木>水
「木>水」のところがやはり弱い気がするが