はてなキーワード: spiとは
当時は全教科とも80点は取れていたと思う。
生まれた都道府県と違うけれど、そこは誤差みたいなものとして。
5択ではなく、筆記で書かせる問題が多くて、しかも登場人物の心情を書かせたりで、難しいところがあった。
現代文はセンター試験よりも難しいくらいだと思ったが、自分がセンター試験を受けたのは遠い昔なので、なんともいえない。
現代文の文法問題を解きながら、現代文の文法は古文のそれに比べて難しいように感じた。
いまいち型にはまりきってないし、解説を読んでも解釈の余地があるような気がした。
古文はとてもやさしい。
図形に補助線を入れたりして、相似の三角形を見つけて、比を取って長さや面積を求める問題が全然解けなかった。
余弦定理を使って解けないかと思ったが、やっぱり相似を見つける必要があって、結局全然無理だった。
中央値や最頻値を計算させるなど、データ処理の基礎が問題になってたりするのが、昔とカリキュラムが違うんだろうなという感じを受けた。
みたいな問題があった。
地震速報が間に合わない理由を書かせるとか、やっぱり震災の影響ってこういうところにもあるんだなと実感。
生物の細胞の絵や模式図は、解くには問題ないが、ちょっと変で、中学校の授業大丈夫か?と感じた。
地図やグラフから読み取らせる問題が多かったりして、すっかり暗記科目だった高校の社会科よりも、SPIに近い感じで面白かった。
歴史の問題は、かなり易しかったが、その反面ちょっとどうかと思ったりした。
断片的に「~の改革」みたいなキーワードだけ覚えてもつまらないと思う。
歴史はある程度のボリュームを学ばないと、そうさせたダイナミズムを学ばないと楽しくないと思う。
これはかなり易しく感じた。
これも、単純に高校の授業が中学の上位互換だったからだと思う。
英文読解が、将来の夢だとか、未来の地球にむけてとか、夢のあるテーマなのが中学生らしくて、泣きそうになった。
簡単な文章で、こんな少ない語彙で、こんなにも人を感動させられるのかと思った。
全体を通してみて、思いのほか楽しかった。
高校の授業が中学の上位互換だった科目(古文、代数、英語)は、非常に易しく感じた半面、高校で選択科目になったような幾何や、地学は久々に解くとかなり疲労した。
何事も慣れなんだなと思った。
出来ないのではなくて、難しいのではなくて、慣れていないだけ。
努力すれば、人はなんでも出来るようになる。
それから、18歳選挙権や、地震についてかなりのボリュームが割かれてたのが、とてもよかった。
大学入試だと、多少の時事ネタはあるものの、これほどは割かれない。
あの時はわからなかったことが、今だとわかることもあった。
死にたい。
大学受験失敗して親に金銭面で迷惑かけた。大学生活は勉強も課外活動も全力でやった、親に楽しい話を聞いてもらいたかった。
部活のリーダー、バイト3年間、ゼミ研究発表、学祭委員…いわゆる「ESのネタ」は余るほどできた。
それで意気込んで始めた就活だが。
SPIや玉手箱は、もう勉学で失敗しまいと入念に準備したからそこまでは9割9分受かった。
だがいざ面接となるととたんにお祈りサイレント。あれだけ学科不問と言っていたのは何だったのか。「あなたが勉強してきた芸術ってのはどう活かせるの?」しか聞かねえじゃねえか。サイレントサイレントお祈りメールサイレントお祈りメール25社。
結局6月半ばまで最後の1社だけ3次まで進んでたのに今日で連絡ないまま1週間。毎日電車乗る時お風呂入る時ベッド入った時涙止まらない。
今やってるプロジェクトには参加できないわバイトも人手不足なのに入れないわ卒論発表も近づいてるのに全く準備出来てない。
「大学も就職も学校推薦!就活おわりー遊ぶぞ!」と言い放った知人には殺意すら覚えた。
あげく2ヶ月前に就活終えた恋人には「本当に好きでいてくれているのか分からない」と言われもう何もかも上手くいかない。
悲劇のヒロインとでも、まだ受けた会社が少ない、甘えだとでもなんとでも思われてもいい。私はつらいんだ。学校でいくら必要とされたとしても社会にいらないと言われたら社会のゴミなんだ。
親も求人を探してくれている。私はなんてことをさせているんだ。こんな子供にそこまでする価値はないよお母さん、お父さん。ごめんね。ごめんね。
四月くらいまでは余裕を持って取り組めていたと思う。でもなんでだか、段々よく分からなくなった。息切れしたのかもしれない。いつになってもあがり症で人見知りとかいうおよそ就活には向かない自分の性格のせいかもしれない。
SPIの勉強に身が入らなくなって、説明会にも足が遠のき、選考に進んでた企業をドタキャンすることもあった。
同時期に大学に行くのも面倒くさくなった。卒業のためには週一回のゼミだけは行かなくちゃいけないんだけど、出席してない。原則として欠席5回で単位アウトのゼミで既に7回休んだ。就職以前に卒業できないって相当やばい状況だと思うんだけど、不思議と危機感がない。今日も一人暮らししてる家の近くの市民プールで2時間泳いで、そのあと川沿いを30分くらい散歩して、辿り着いた公園で本を一冊読み切った。お腹が空いたのでコンビニで冷やし中華を買って、また公園に戻って食べた。
でも家に着いたら反動のように気が塞ぎこむ。もう二週間くらい食器を洗ってない。意を決してマグカップを洗おうとしたら、中の抹茶ラテが結晶化してて笑ってしまった。菓子パンの袋が床に散らかってて、人工甘味料の胡散臭い匂いが鼻につく。部屋の隅に炊飯器があるんだけど、それがどうしても怖くて開けられない。放置してある残った米を見るのが怖いから。
これからどうしようかなと思う。友達には駄目な人間ということがバレてるから、笑いながらネタにしてくれそう。でも家族に打ち明けるのが怖いな。父も母も兄も高卒で、自慢の娘のはずたったんだけどなたぶん。GPAが3.5あったって言ったらよく分からんけどって言いながら喜んでくれたんだ留年するとはとても言えないな。
月曜になったら、ゼミの先生に必死で謝って救済措置を恵んでもらおうと思う。あと停滞気味だった就活も再開して、また1から業界も見直して説明会に行こうと思う。
ああでもそれをする前にまずは家の片付けをして、風呂掃除もして、ゴミ出しして、カビが生えた米を捨てないとって考えると死ぬほど面倒くさくて、ベッドの上で菓子パンかじりながら増田見てる。
もうずっと食事が喉を通らない。
固形物を口に入れた瞬間、それが喉に詰まって窒息したりあるいは気管に入って誤嚥性肺炎を起こすことを想像するからである。いままでモチを詰まらせたことも魚の小骨を引っ掛けたことも無いというのに不思議な話であるが、おれの頭の中では食事と死のイメージとが鮮やかに直結しており、視界に映り込んだ鼻の頭のようにあるいはピンク色をした象のように、意識しだすと止まらない。おれはやがて経腸栄養剤しか口にできず糖分を採りすぎて糖尿病になって失明し脚は壊死して腎臓を壊して透析で苦しんで死ぬ。親が大手病。年収が×××万円以上でなければ、なんとかと云う結婚紹介所におれを登録できないのだと云う。収入の不足分を補うためにかれとかれの母がもつ不動産を相続させるとも云った。過干渉。おれが未婚で長男でキモオタで身の回りの支度ができない無職のプー太郎で優良企業就業済既婚の弟がいるものだからそういう余計なお節介をされるのであろう。自分はその紹介所で妻との縁ができたのでお前もそこに入会せよと云う。おれくらいの年齢の頃、かれはすでに一と三分の二流くらいの企業に勤めていたからかれはその相談所に入会できたわけだが、28歳無職就業経験ゼロという現状そしておれのもつ素質たとえばわが指導教官にそれゆえにお前は研究者に向いてないと直々に云われるほどの社会性の無さなどの資質を鑑みれば、おれがその年収を達成することはとうてい困難なことに思われた。だからおれは早く家を出て住所も電話番号も秘匿して蒸発してしまいたいくらいなのだがおれの学費と生活費と住居費の××年分および奨学金の返済にかれの収入の大部分が充てられているという事実がある以上そういうわけには行かない。ところでかれはおれが野良博士という現代の不可触賤民であるにも関わらず一流有名企業に入れる実力を持っていると勘違いしているようで、どこぞの某大電機メーカーが博士卒を重点的に募集しているなどと有難いタレコミを呉れる。あるいは予備校の講師などしながら企業の研究職を狙えばどうか、などとも云う。博士の就職がいいと云っても景気がいいのは人工知能関連の分野だけだということをどうもかれは理解しておられないようである。おれはと云えば研究室にも行かず×年間も自宅に引篭もってノートの上の数式を弄っていただけの人生だったから、プログラミングのスキルも各種資格もろくに無く、きょうびどこの企業からも御呼びでない。頭の回転も遅く某社のSPIでは酷い点数を取ってしまったために面接すら受けさせてもらえない。これでは受験数学の問題など到底解けないだろう。登録していた就職斡旋屋からは貴方にはシンクタンクなどが向いているでしょうなどと調子の良い言葉をもらったが一か月経ち二か月経っても音沙汰が無い。当たり前である。何かの手違いで某外資社から研究内容を紹介する機会をもらったこともある。おれの能力を試すためにあえてそういうポーズを採ったのかもしれないが、かれらはおれの話を理解するそぶりを全く見せなかった。ショックを受けた。明らかに企業側の需要とのミスマッチが感じられた。おれのプレゼンに問題があった可能性は否定しないが、要するに世界でも十人くらいにしか価値を認めてもらえない仕事を延延黙黙やっていたということは、おれも同意するところである。その十人のうちの一人がわが指導教官だったのは幸運だったのか不運だったのか分からない。もともとおれは数学などで分からない問題があるとイライラが募り便通が悪くなり院試の頃は特に最悪で原因不明の腹痛で入院するくらいで、睡眠時間も食事の回数もゴリゴリと減っていき、歯ぎしりが止まらなくなり、かと思えば今日はサボりの日だと云ってネットサーフィンに明け暮れるものの心はまったく休まらず、夜中唐突に呻きながら自転車で遠出をしたり、風呂も洗濯もせず、機嫌は最悪で周囲に怒鳴り散らし、ただでさえ無口な性格だというのにいっそう塞ぎこんで誰にも相談できなくなり全て自分の力だけで問題解決したくなる人間だったから、博士課程に進学することは当然の帰結であった。おれが天才数学者だったなら上記のエピソードは天才の微笑ましい奇行としてウィキペディアの埋め草にでもなったのだろうが、悲しいことにおれはアホでマヌケでIMOメダリストなどからは程遠い知能の持ち主だったから学位をとるのに結局◆年もかかり(思考速度と問題解決能力が研究能力のすべてではないという当たり前の事実に気づけたことが大学院における唯一の収穫である)今では無職である。元から変だった自意識は余計に拗れメンタルは不調をきたした。食事が怖い。面接が怖い。唐突に脳血管の破裂が怖くなる。あれほど楽しかった学力試験が今では恐ろしい。自分の劣等具合を再確認させられるから。大学院など行かなければよかった。博士課程など行かなければよかった。満期取得退学しておけばよかった。学位など取らなければよかった。高卒で就職すればよかった。以上。
『泣いた』なんて表現は安っぽさというかミーハー感があって好きじゃないから、多分おそらくきっと『泣いた』は、この22年間で一度も使ったことのない言葉なんだけど、今日は初めて使うことになりそうだ。
大学4年生の僕は、だいたいの人と同じように年明けくらいから就職活動を始めていて、だからそろそろ半年を迎えようとしている。リクルートスーツもそれなりに様になってきたし、おかげで春服も夏服も、もしかすると秋服まで買い足さなくて良さそう。
こんなはずではなかったというのが本音で、3月末にはそれなりに大きなIT企業の最終面接にいくつか呼ばれていたから、わりとすんなり内定は取れそうだしGWはどこに行こうかなんて考えていたんだけど、その慢心というかもともとの人間性が正当に評価された結果だろうか、結局ことごとくお祈りを喰らい今に至っている。
はっきりいってヤバい。5月の大型連休は明け、依然として『無い内定』だ。
就活解禁の3月に余裕をかましすぎて学内説明会を始めとした企業研究を一切やってこなかったし、自分なんか一生かけても見つからないだろうというどこかで聞きかじったような知識で自己分析を疎かにしているから自己PRなんてできないし、そもそも中学校受験ぶりのテスト勉強(SPI)に四苦八苦している。
なんとなく東京のキレイなオフィスでなんとなくカッコいい仕事をなんとなくするんだろうなあと漠然に描いていた人生設計は早くも崩れそうで、ときたま深夜に『みん就』を見ていると将来の不安と、将来の不安と、将来の不安で本当に切なくなってくる。
そんなときに見つけたのが、マガジンハウスという出版社の新卒採用ページ。
各部署の所属長たちが未来の新入社員に向けてメッセージを送っていて、僕は毎月欠かさず買っている雑誌『POPEYE』の編集長である木下孝浩さんの言葉に文字通り『泣いた』。
少しだけ引用させていただく。
“大切なのは、学生時代、何かをして満足するのではなく、それを経て、今何がしたいかだと思う。人生のピークはハタチじゃない、これからもっと楽しい事が待ってるよ。”
かっこいいなよなあ、ほんと。
はあ、就活がんばろ。
先日SPIなる就活の悪魔と相対し壮絶な社会への討ち死にを果たした28歳大学院既卒無職職歴ゼロ、今日は意気揚々と人工島の上の国際空港に向かう。
学生時代に投稿した論文が国際学会に採択されたためである。SPIできなくても面接官に研究プレゼン理解してもらえなくても本業ではちゃんと評価されてるんだからね!最後の役目を果たさんとする彼の足取りは重く自信に満ちていた。
だがそこは28歳無職童貞大学就職課の劣等生、空港ロビーに着けば嗚呼無惨。「機材メンテナンスノ為欠航」簡素な掲示がこの男に世の厳しさを教える。すかさず代替便へ振替えを企むも受付は既に長蛇の列。7時間待たされた挙句、次の便は最短で40時間後だという。マイナー路線の宿命か。あーそっかーー2日後かーーー俺の発表は初日の午前中なんだよなああああああああああ。明らかに間に合わない。
自分は就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月に帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子どものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。
予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽(荒井由実のセカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなものを演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポが音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。
*
就活ではいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費が支給されるときは新幹線や飛行機(LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないときは夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸の三宮とか東京の蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。
就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京に一極集中したメディアや広告、出版関係の企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいかに交通費で破産せず就活を乗り切るかはひとつの重要なテーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイトが提唱する標準的なエントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西や関東への移動はそれなりに負担で、特に東京の会社で選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。
夜行バスが発着するのはたいてい新宿の西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿のビル街を歩くと時々そのことを思い出す。
支給される交通費で収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東の実家や知人のところに滞在しながら、東京の会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡〜東京間の交通費を申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡の会社に大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社からも内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一次安倍政権のときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業の内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場は氷河期を迎えた(らしい)。もし自分が大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部のとき受かったところには受かっていなかっただろう。
職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立の小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたものは自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機を矛盾なく有効に繋げる作業を会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビやみん就のサイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人に自分を矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分のなかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。
*
先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間を体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。
夜行バスに乗っていたときの自分にとって、海外旅行も宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのときの自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口のネットカフェに泊まったり朝から歌舞伎町の銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路に浮浪者の排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡に下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。
去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパやアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月のラッシュのなかを新幹線で実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分のお金で大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。
チャランポランな人生を送ってきました。
ロクに勉強もせずに、酒飲んで、ゲームして、惰眠むさぼって、気づけば私も四年生。
説明会だのに行ってはみますが、まあESや適性検査の通らないこと通らないこと。
学歴だけならそこまで悪くはないはずですし、部活動なんてやってたからシューカツセーっぽい体験もあるんことにはあるんですよ。
しかも人気の企業って訳じゃ全然ないとこばかり志望してます。でも全然ダメです。
SPI?っていうの?も本を買って一通り例題を解いて、「こんなのどう対策するんだ」と諦めたらもうめっちゃくちゃ。
まあその辺はいいんですよ、よくないけど。
問題は性格検査ですよ。あれはいけない。なにがいけないって、答えが矛盾だらけなんです。正直に答えてるのに。
自分からチームの先頭に立ってはいないけど気づいたらまとめ役してるとか。
根暗なのに人を楽しませるのが好きとか。たぶん噂に聞く「ライスケール」ってヤツに全部引っかかります。
じゃあお前は一貫してる気質を何ひとつ持ってないのかと言われれば、あるんですよ。
徹底した自己否定の感情ですわ。だから自分より他人の方が大切。他人大好き。
嘘をつけばいいんでしょうね、整合性が取れるように。あとはチョチョイと、人事ウケの都合がいいように。
ダメなんです。つけないんです、嘘。だって正直に答えれば正直な私の姿が見えるんでしょう?
正直な私の考えをみてもらわなきゃダメじゃないですか。正直な私を見て、キッチリ落としてもらうんです。
誰も取らないですよ、私を。迷惑だし。なんだか内定が欲しいんだか欲しくないんだか分からなくなってきました。
つまり、嘘をつかないなら嘘をつかないでも内定をとれるような努力をしなければならないんでしょう。
TOEIC××点とか、海外経験とか、本当にやったことで評価につながることをストックしとくべきでした。
行きたい企業があるんです。人のために新しいことをし続ける、カッコいい企業なんです。行きたいんです。
でもそこで働いて何か役に立てるような人間だと自分は思えないんです。もう嫌なんです。
ただでさえ文学部なんてお先真っ暗な学部選んだんだから、真面目にやらなきゃならなかったのに。
真面目に嘘つくしかないんだろうなあ。親にも迷惑しかかけてないや。親死なないかなあ。それなら俺もなんの未練もなく死ねるんだよ。クソ。
ゴールデンウイークでいっぱいになる
同じ大学でOB訪問→リクルーター通してトヨタやデンソーの内定をもらう人がいる
サイトがオープンする前にいつでも面接に対応できるようにしておく
マイナビ等に頼るべきではない。
人事は第一志望でないと取らない。
外でのセミナーは1度顔を出しておく。学生の真剣なところを目の当たりにしておく
・イベントに頼るな →学内セミナー(会社説明会と同じ)は重要 AIUは企業が大学に来る。
新聞を読むと(毎月読む)流れがわかる。
2~3か月見てるとわかる
↓
どこで自分を役立たせるか?
キーワードを作って比較。KDDI NTTなど 売り上げ などのキーワード
売り上げというキーワードならソフトバンクが第一志望ですと言える(売り上げで世界一へ)・・志望理由になる
人事が見ている場所・・なぜ?他と比べて?
ある程度絞る必要がある
50~40で絞り込んで研究をしっかりやっておく
場面場面で”これ”という言葉
筆記試験は年内に(12月までに)完了させる。SPI ・・6割7割取れればいい。
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SPI3-U⇒ 一番よく受ける
WEBテスト……よく使われる
準備をしっかりしてやる、計算機、紙など。
自分で出来具合がわかりづらい。
⇒他社でも使える。
点数は通知されない。駄目だったらまた受け直しができる。
キャブ、ギャブの勉強を。
★spi★
出るパターンが決まっている。
時間の変換
1・インターンは落ちても気にしない。
インターンシップに通ったら
志望業界の知り合いができる
働くということが身近に感じる
☆本気で働きたいと思ってないのに入りたいと思っている人がいる。
スーパーでも、なんでも。
劇的に変わるのはマナー
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人事だと気づかず
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☆どういった人が社会人にいいか?
報告、連絡、相談
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直す方法はどこにも書いてない 手引きにもない
先輩もしらない。
⇒想定していなかった問題を解決する
(ソリューション)
⇒ひたすら情報収集。
情報を集めたら、分析⇒考えて、仮説を作る(ポジションニング?)
⇒検証に入る。
⇒必ず失敗をする。失敗の連続。
色んな迷惑をかけて失敗。
⇒怒らない。 お疲れ様って言われる。
振動が原因じゃないとわかった
落ち込む。でも失敗して落ち込む
どんどん真実に近づいていく。
本当は治らないかもしれないが、改善になっていく。
みんなで頑張れるひと☆
⇒落ち込んでも粘り強く頑張る。
私は、何をすべきか自分でわかる人。
面接で多い。
アルバイトで怒られた、でも頑張る等。
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よし、俺がこの研究室を盛り上げる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
問題はそこらじゅうにある。
今の自分を変えるために。
http://anond.hatelabo.jp/20160409160042
乱暴で身勝手な愚痴のような自分の記事に反応して下さった方がいたので。
あの様な酷い記事を読んで頂き、筆記試験について返事の様な記事まで書いて下さり有難うございます。
・性格検査についてはコミュ力だけが重視されているわけではないのですね。安心致しました。
嘘つきと見なされなければ大丈夫ということですね。
・五次面接
確かに五次面接のところは大手の会社でした…。並行して中小企業も受け続けます。
只それでもどこも3次くらいまではあるんですよねー。長いと感じてしまいます。2次辺りで落とされるとそれまで会社に使ったお金も時間も無駄になってしまうし。
100社…自分も100社受けても受からないなんてことになりそうで今からビクビクしています。
自分はSCOAと玉手箱とSPI全部受ける羽目になりました。金融系が多いからかもしれないですね。玉手箱なんかは問題に慣れが必要だったりするので、苦手だと問題集何回かやらないと解けないんですよね。
出来の良いSPIじゃね?
高卒のくせに面積の計算ができない人、大卒のくせに微分がチンプンカンプンの人、そういう人が沢山いるならもう就活に高卒や大卒なんて要求してもしょうがないじゃん。
大学入試や高校入試がSPIの代わりになってるなんて言うならそういう人達がいるのがそもそもおかしい訳でさ。
じゃあ何が必要かと言えばそれぞれの企業が必要だと思う能力を正確に測れるSPIなんじゃないかって事。
それを企業ごとにやっていたら大変だからセンター試験みたいに求職者全員で一斉に受ける仕組みにしたら良いんじゃないのって事。
その結果を見て会社は「まあうちは社会科は50点足切りでいいからこの内容の数学は90点超えてくれないと困るかな」とか「うちは営業だから算数クラスができてればいいよ。でも国語は80点超えてね」とかやっていけばいいんじゃないのって事。
どうかなこのアイディア?
色々いっぺんに解決出来ね?
おっと「奨学金返せない人は今泣いてるんですよ!」なんてただ過去を悔やんでばかりいるだけのネガティブ意見はサンキューノーノーでごぜーますぜ。
学生の頃すげーツイッターやってて、geekに憧れすぎて東京に出てweb系企業に転職する気まんまんでblogとかよくかいてた。その思考はうまいこと実現された。
今は27で年収530ぐらいで、特にリーダーとかもやってない割にはまずまずなのかなと。入社時に一回少数チームのリーダーやったけど。
年に2万昇給できれば、24万*3年で30歳で600万ぐらいなのか。
やりたくないけど、案件のリーダークラスになればもっといけるんだろう。
悪くはないのかな…。
大企業(今も大企業だけど)への転職もターゲットに入れることが出来るようになってきて、27歳、そろそろ一番バリューを出せるんじゃないか感があって、今のうちにガッツリ上げたい‥
というか今の配属が中途半端すぎて、もう違う所行きてぇ。もう一旦やりきったし、抜けるなら今…。
次の方向性は二つ。
自分が作っているものを愛せるプロダクト、サービスが作れるところに行く、ベンチャー抜けだしたぐらいの所。
もう一つはくっそ大企業で給料よくて、SPI試験とかあって入るのがめんどくさい所。
後者は技術が磨ければいいんだけど、売上が立っているところって安定志向で、マネジメント中心のあんまり尖ったことしないイメージが合って。。。最終着地にするぐらいの気持ちで行かないと駄目かなーって。Webでは尖ったこといってるけどぬー。
前者は、自分のモチベーション駆動で働くということをしたいから。最近やる気しないんだもん。。。だいたいのことは出来るようになってきたんじゃん?(ごめん言いすぎた。)作りたいものを形にする技術はそこそこあるので、ガッツリ力を振りかざしおれの心が満たされる仕事をする・・・。マネジメントはおれの仕事を楽にするために行おう。もしくはサービスの品質を上げるため。フロントエンドとか出来ないし・・・。プロに頼むわ。なんか出口があるので上手くやれる気がするんだ・・・。書いてて思ったけど、「オレのサービス」じゃないという時点で何いってんだ感あるな。頼みベタだしなー。
なんか自分がコントロールできる範囲というのを広げていかないといけないのかもしれない。
次どうしよ。もっとコード書いてモチベーションあげて、何かのコミッターになるとか、どっかで話すとかやって行かないともう一つ壁超えられないかなー。もしくはマネジメント的なとこやってお仕事スキル高めるかー。
大学入試で数学を使わなかったとしても、大学入学後に数学(的思考)が必要になることはよくある。例えば、数学を使わなさそうな学部に入っても、一般教養科目で数学Iや数学IIで習うような関数やグラフに出くわすことは珍しくない。例えば、就職活動でお目にかかるSPIの非言語問題では数学Aで習うような順列・組合せ、確率の問題が出てくる。
高校のときに2年生まで数学を頑張ったことは、国公立を狙うような進路を考えているのだったら、まず無駄にならない。仮に受験科目としては「捨て」たとしても、努力して学んだことを失くしてしまうわけじゃない。
今日、大学で講義を受けていてびっくりした。教授の話も、生徒から発言のたびに出てくる単語の意味もわからなかったのである。
私は3年生なのに。しかも、これは専門科目なのに。
私はオタクだ。友人も少ない。彼氏もいない。SNSやアニメ鑑賞で時間を浪費し、バイトだけは人並みにしてお金を稼いではアニメイベントや同人誌に使う、という生活をしていた。特に勉強したいこともなかったし頭も悪かったので、近所にある+たまたま受かった、という理由で、日東駒専レベルの大学の文系学部に適当に入って、適当に過ごしてきた。
だってそれでいいと思ったから。平気だと思ったから。やりたいこともないし、だったらただ卒業するだけでもいいや。学歴?もう知らない、気にしない。流されてもなんとかなるだろう。まあ、いいや。で、気がついたら三年がたっていた。
来年からは就活だというが、インターンもいっていないしESの書き方もわからない。SPIの勉強もしていない。やってきたのはSNSだけ。あとはアニメを見て、ジャンプ読んで、それから……。それから?あとは何をしていたっけ。ゼミも入ってないから卒論書かなくていいやラッキー、ぐらいしか考えていなかったけど、そもそもの勉強はちゃんとしてたっけ?
答えはノーだ。専門科目の話すら思い出せないぐらい、わたしは勉強をしていなかった。あの科目でやったな、とかそれぐらいはわかっても、肝心の単語の意味や成り立ちが理解できていなければ話にならない。
たぶんこのまま卒業したら、この学部に入った意味はなかったことになると思う。
最近、オタクを続けることにすら疲れはじめてきている。1クールごとのアニメチェックが煩わしいとか、SNSの話題に乗り切れないとか、かなりくだらないことで。たぶんやめること自体はそんなに難しくないし、SNSのアカウントも消せと言われればすぐに消せるものなんじゃないかと思う。
でも、もしオタクまでやめたら私には何が残るんだろう。
というわけで、大学卒業をあと一年と少しに控えた今にして、私はようやく気づいた。大学三年、21歳、なんとかなる!でやってきた私の人生には、なにも残らなかったのである。なんとかならなかったのである。
残らなかったというか、そもそも手放そうと思ったらすぐに捨てられる物しか持っていなかったわけで、残るもなにもはじめから持ってなかったんじゃないか?という話だ。何もないことに気づくのに21歳までかかった。比較的自由でいられるための猶予はあと一年しかないというのに。
たぶんこのままだとまずい。大学卒業したんだから学部の話ぐらいはきっちりできるようにならないと困る。でも、もう三年の冬だし、そもそもやろうと思うことすらない。就職したい業界もない。まず何からしていいのかがわからない。
タイムマシンがあればなあ、と少し思ったが、結局遡ったところで今と結果は変わらないだろう。私は同じ事を繰り返す気がする。だったら、今から必死にやるしかない。でも何を?わからないけど、やらないと困るような……。……この考えをループさせていて、いよいよ、私にはなにも残らなかったことを実感した。
何からすればいいんだろうなあ。
12/13追記
ブコメやトラックバックがついていて驚いた。色々ありがとうございます。軽く触れます。ただこの話はネタではないです。
なんで卒業できる前提なのか?→今期の分を取り終えれば卒業単位まであと4単位なので、四年で大学週一日行けば卒業はできるはずだから。卒論は必修になっていないので書かなくても卒業できます。そういう大学です。
三年のこの時期にわからないわけない/教室間違えたのでは→講義の内容をばらすと、その講義は経営学のとある一分野のもので、生徒の発言によって授業が進んでいく、という自主性が求められる講義でした。ここで「企業がパフォーマンスを高めるためには、競合他社の動向を気にする必要がある」という話が生徒から出、教授は「競合他社というワードが出てこういう話になったなら、あと4つぐらいすっと出てくるよね?」「そう、ファイブフォースモデルが……」と続けたのですが、私にはちんぷんかんぷんでした。なんじゃいファイブフォースモデルって。(そのあときちんと調べました)
周りが平然と「残りの4つ」について発言していくのも衝撃的で、ああ、私は根本から経営学の基礎を理解してないから話と話を繋げられない=卒業したらなにも残らないな、と思った次第です。
これだけならともかく、そのあともコストリーダーシップ戦略と対をなす戦略についてもぱっと名前があげられなくて、なあなあでやってきた学問の知識が全くついていないことを理解しました。